11月16日に対野間易通控訴審判決が言い渡されるM君が、大阪司法記者クラブに記者会見を申し込んだが、会見実施を断られた。M君が記者会見を断られたのはこれが4回目だ。どうもおかしい。詳細な成り行きを見てみよう。

M君が野間易通にツイッター上で、本人が望まない姓名や所属大学の名前をさらされた上に、数々の誹謗中傷を受けた被害を大阪地裁に提訴した裁判は野間に罰金11万円の支払いを命じる判決が下された(5月26日)。

しかし賠償金額の少なさもさることながら、判決文にはM君の受けた被害が妥当評価されておらず納得のいかない点も少なからずあったことから、M君は大阪高裁に控訴した(6月8日)。その高裁判決は11月16日に言い渡される。

そして、偶然にもその日は李信恵が保守速報を訴えた訴訟の判決が言い渡される日でもある。同じ日同じ裁判所の中で、地裁、高裁の違いはあれどM君対野間の判決と李信恵対保守速報の判決が交錯するのだ。

野間は10月18日の朝日新聞や産経新聞でもコメントが掲載されるなど、相変わらず大手メディアにも登場が続いているが、M君事件で敗訴したことへの言及は一切ない。真逆に「M君リンチ事件」やM君の対野間裁判勝訴は鹿砦社以外にはごくわずかな例外(「救援」8月10日号紙上における前田朗氏の「反差別運動における暴力」など)のほかには報じる媒体がない。

極めて不思議な現象ではないか。何か「深い闇」があるのか、誰かが操作しているのか、それとも報道関係者は「M君リンチ事件」をまだ知らないのか。

取材班は1年以上この疑問に長らく直面していたが、過日その実態の一端を明かすことになる出来事が起きた。M君は10月18日に、対野間裁判高裁判決(11月16日)後の記者会見を大阪司法記者クラブに申し込んだ。記者クラブは持ち回りで幹事社が入れ替わる。10月18日の幹事社は共同通信で同社の楡金(にれがね)記者が申し込みに応じている。M君は楡金記者に以下のように記者会見を申し込んでいる。

楡金 共同通信の楡金(にれがね)と申します。
M  お世話になります。Mと申します。記者会見の申し込みをしたいのです。
楡金 どういった内容でしょうか。
M  名誉毀損の裁判の高裁判決です。
楡金 どういった内容の名誉毀損でしょうか。
M  ネット上の誹謗中傷です。
楡金 一審判決はどこかに報道されたり?
M  それはありません。
楡金 そうなんですね。ちなみにどなたに誹謗中傷されたのでしょうか?
M  野間易通という方です。きょうの朝日新聞にこの人のインタビューが載っています。
楡金 そうなんですね。一審の結果はどうだったんでしょうか?
M  私の勝訴でしたが、どちらの主張も聞いていない内容でしたので控訴しました。
楡金 主文はどういった内容だったんですか?
M  11万円の賠償命令です。
楡金 もともとの請求額は?
M  220万円です。
楡金 Mさんご自身はどういったご職業の方でしょうか?
M  大学院生です。
楡金 わかりました。大阪府内?
M  いえ○○大学です。
楡金 ○○大学の大学院生でおいくつでいらっしゃいますか?
M  ○○歳です。
楡金 野間易通さんとはどういった関係だったんですか?
M  私も野間氏もヘイトスピーチに対する抗議運動をしていました。その内部で暴力事件があったという話はお聞きになったことありますね。
楡金 あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?
M  そうです。その被害者が私です。その事実を昨年私は公表しました。最初は「週刊実話」という雑誌が報じました。そうしたらどういう経緯かわかりませんけど、その日のうち「週刊実話」はネットに訂正記事を出しました。それでは私は困りますから、事実ではないわけですから。それで李信恵さんの謝罪文を公表しました。そうしたら野間さんらが私の実名を出してネットで誹謗中傷をしたのです。
楡金 ネットというのはツイッターかなにか?
M  主にツイッターですね。
楡金 ツイッターですね。承知しました。それではこれから各社にお受けできるかどうか聞いてみますので。
M  ちなみに判決の日は11月16日13時15分です。
楡金 わかりました。判決後に記者会見したいと。
M  そうです。付け加えておきますと、同じ日に李信恵さんが保守速報を訴えていますね。その判決と同日です。
楡金 わかりました。各社に諮ってみまして、場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども、また結果をお伝えいたしますので連絡先をお願いいたします。
M  はい(電話番号を伝える)
楡金 わかりました。ありがとうございました。ではまたご連絡いたします。
M  ありがとうございます。

午前中に記者会見を申し込んだM君へ午後楡金記者から連絡が入る。

楡金 Mさんでいらっしゃいますか。午前中にご連絡いただきましてありがとうございました。各社に諮ってみたんですけれどもちょっと他の予定との兼ね合いとかもありまして。
M  他の予定とはなんでしょうか。
楡金 各社のあのーそれぞれの判断なので。ごめんなさいそこまで全部把握していないんですけれども。えーっと記者会見として開くっていうのは、ごめんなさいお断りさせていただくんですが。
M  その理由はなんですか。
楡金 各社にご連絡しまして、どうしても記者会見をしたいという判断にはならなかったっていう。
M  だからそれはなぜなのかとお聞きしているのです。
楡金 なぜなのか。そうですね、要望がなかったという以上の理由はないんですが。
M  要望がなかったというのは「小さい事件だから黙っていろ」ということですか。
楡金 そんなことはないんですけれども。
M  ではどういうことですか。
楡金 それぞれの、あのー社さんのご判断ですので。
M  なるほど。その日李信恵さんも判決ですよね。記者会見されるんじゃないですか?
楡金 いや、とくに今のところご連絡は頂いていないんですよ。
M  そうですか。まだ時間がありますからね。
楡金 あーまーそうですね。
M  どちらにしても、記者会見されるのかどうか、直接私は確認しに行きますので。
楡金 あ、わかりました。承知しました。はい、はい。そういうことで当日法廷に行って中には傍聴する記者もいるかもわかりませんが。
M  はい。高裁の84号法廷です。
楡金 もしかしたら判決言い渡し後にお話を聞く記者がいるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
M  はいわかりました。
楡金 すみません。ありがとうございました。
M  はい。

午前中には「場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども」と各社への確認はするものの、興味を示していた楡金記者からの「記者会見お断り」の回答はいかにも歯切れが悪い。注目すべきはM君が初めて会話を交わした楡金記者が「M君リンチ事件」を「あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?」と認識していることだ。

彼らは知っている。間違いなく「李信恵さんもかかわっていたやつ」を熟知している。

リンチ事件直後のM君の顔(『人権と暴力の深層』より)

大手マスメディアは、たとえそれが「建前」であったとしても事実に対しては「厳正」であってもらわねば困る。しかし新聞、テレビは一切野間や李信恵の「負の部分」を報じない。なぜなのだ?

楡金記者によると李信恵サイドから11月16日記者会見の申し込みはまだなされていないという。万が一「M君リンチ事件」裁判では原告であるM君は無視され、被告である李信恵の裁判には記者会見を開かれれば、完全な「偏向取材(報道)」と断じるほかない。そんなことはないはずだ。大阪司法記者クラブの記者諸君には「報道人」としての良識があるのだから、もうこれ以上の過ちを「報道人」が繰り返しはしまい。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

NHK2017衆院選開票速報より

相当昔の話だ。自動車免許を取得するために教習所へ通っているときに、当たり前のようで、いまになれば結構含意のある、自動車操作の際の原則を教わった。運転は「認知―判断―操作の連続だ」との原則である。運転者は周囲の状況を視覚で確認し(認知)、その状況ではどのようにハンドルを切るべきか、速度を上げるか下げるかを脳で瞬時に決定(判断)し、手足でハンドルやアクセル、ブレーキに適切な動きを伝える(操作)する。最近自動車教習所でどのように教えられているのかは不案内だが、当時は教習の初期段階で「認知―判断―操作」を講師は繰り返し受講生に説いていた。

なにを分かり切ったことを。と、繰り返される「認知―判断―操作」が耳障りに感じた記憶がよみがえる。「当たり前ではないですか、そんなこと」とまだ心身発達途上であった若年には響く言葉では決してなかったけれども、それが哲学的だなぁと思いだされたのは、今次の総選挙を総括するにあたり、どうも気が進まない原因をあれこれ思案していた際だ。

◆有権者の欲求が消し去られる小選挙区制間接民主主義

小選挙区制における間接民主主義は「認知―判断―操作」の手順を円滑に操作しえない制度ではないか、現況の惨憺たる有様の根本には構造的、また精神的にこの阻害要因がかなり強く作用しているのではないかとの疑義を私は抱いている。

また視点を変えると有権者が持つ要求や欲求が、それを達成するために手段であるはずの投票行動に繋がってはいないように思われる現象に思い至る。そもそも自身の要求がなんであるのか、自分は何を欲しているのか、自分の生活がどうして苦しいのか、客観的には生活が苦しいのに、「みんなそうだから」と理不尽な生活苦を、受け入れてしまう生理や精神がどうして定着したのか。これらにも重大な注意が払われなければならない。

雇用主が下請けに仕事を投げると、斡旋に入る人間が中間搾取を行い、働く人に本来支払われるべき金額が減らされる。請負の構造が二重三重と増すにつれ中抜きの額が増すから、働いた人が手にする賃金は請負構造が重層であるほど、少ないものになる。

間接民主主義、とりわけこの島国においては小選挙区制が導入されて以来、国政選挙で、有権者の要求、欲求が投票行動により反映される原則的な権利が構造的、精神的に破壊されつくされたのではないか。直近の選挙結果はもちろん重大な関心事である。けれども注視されるべきは、どのみち投票行動によって、要求や欲求が反映されることのない制度の定着により、有権者の精神に本来生理的に宿るはずの、欲求や怒り、不満などがあいまいに消し去られている現状だ。

◆小選挙区制導入で崩れさった「選挙制度の前提」

人は多様であるから個別全員の意見を社会に反映させることはできない。それで代議士制度が誕生し、投票による付託で共通項を政治に反映させる。この制度には合理性が認められる。ただし、制度の有効性は、有権者が100%とはいかなくとも一応の納得で自己の態度や要求、欲求を付託できる投票対象が選択肢として準備されていることが条件とされなければならない。民主主義が至上の制度だと私的には思わないけれども、政治は民主的であることが現行憲法では原則とされているのであるから、その原則は堅持されなければ制度の趣旨は無化される。

そして今回の総選挙に限らず、小選挙区制導入に伴い「選挙制度の前提」は崩れさっていた。2割以下の総得票で7割以上の議席を得られるのが小選挙区制度である。

得票を目指す候補者が次第に「現状肯定派」(原則肯定ではない)によって占められるようになることは当然の成り行きだ。多様な価値観などは切り捨てられ、異議申し立て勢力であった諸党派もその主張を「現状」に近づけ得票を狙う。つまるところ原則的な変化などこの制度の下では、起こりようがないのではないか。

NHK2017衆院選開票速報より

◆制度に並走して有権者の覚醒を抑止するマスメディア

制度に並走しマスメディア権力も有権者の覚醒を抑止する役割を進んで担う。それはきのうきょうに始まったものではない。強制によらずとも戦争を喚起し加担した1930年代の新聞の姿と敗戦をまたいでも、何途切れることなく連綿と続くこの島国のマスメディアの根腐れ的特質でもある。にしても報道自由度ランクで「国境なき記者団」により72位という名誉ある格付けを頂いている客観情勢を、それらに囲まれ日々生活をしている人びとは認識しておくべきだろう。この島国の報道自由度は「顕著な問題」(Noticable problems)に分類されている。

よって、今次の総選挙の結果は単一の選挙結果として分析しても優位な意義がなく、問題をはらむ選挙制度、および情報制限下で連続して行われる国政選挙の結実期に、どのような投票行動が見られたかとの視点から冷徹に眺められるのが妥当であろう。

顕著な傾向としては、「有権者の意識混濁と捻じれた投票行動」を見て取ることができる。現象面での結果には言及しない。偶然であろうか、大型台風の直撃が示唆的に語るべき総論(災害)を提示しているのだから。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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曽我逸郎『国旗、国歌、日本を考える: 中川村の暮らしから』(2014年トランスビュー)

長野5区(飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡)から非常にユニークな人物が立候補している。曽我逸郎(そが いつろう)氏だ。前中川村村長であり、中川村に来る前は広告代理店の電通で勤務していた。学生時代から禅寺に通っており、釈尊の教えが考えのベースとなっているそうだ。

曽我氏は村長時代に「国旗に一礼しない村長」として多くのメディアで取り上げられたことがある。原発問題や沖縄の基地問題にも言及し、これらの問題に関心を持って取り組んでいる全国の市民から支持を集めてきた。

著書『国旗、国歌、日本を考える』(トランスビュー)に村長時代の議会答弁やインタビュー、講演会記録などがまとめられている。曽我氏の考えを知るには大変良い本だ。ここではこの本を含めて曽我氏の戦争・原発・沖縄観をめぐる発言を紹介したい。(強調は筆者による)

◆曽我氏の戦争観──自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ

長野県は戦前満蒙開拓団に最多の人数を送り込んだ県だ。多数の県民が国策に協力し、亡くなった歴史がある。その歴史を踏まえながら曽我氏は国策に迎合する危険性についてたびたび言及してきた。2013年の中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式で国旗の掲揚がなかったこと等に批判があった際、遺族会の方々に配慮しつつ、曽我氏は以下のように述べている。非常に明瞭で勇気ある発言だと思う。

「国のために命を捧げたのだ」と考えることによって、愛する親族の死に意味を与えたい、無駄に死んだのではないと納得したい、という遺族の気持ちはよく分かる。そうとでも考えないと、親族を奪われた理不尽さは収拾がつかない。しかし、遺族のそういったつらい思いが、利用されてきた側面もあるのではないだろうか。私の言いたいのは、顕彰ということだ。戦没者を、国のために命を捧げたとして広く知らしめ讃える。純粋な追悼に顕彰の要素が注入されることで、「国のためになくなった」と、死に意味が与えられる。しかし、同時に、「立派だ、見習うべきだ」という空気も生み出されるのではないか。ひとりの兵士の死が、後に続く兵士らの獲得に利用される。これは日本だけのことではない。世界中で昔から繰り返されてきた手法だ。国旗の掲出は、戦没者・戦争犠牲者の追悼に、顕彰の意味合いを混じり込ませてしまう。それは避けるべきだと私は思う。「国ではない、家族や郷土のために亡くなったのだ、だから顕彰すべきだ」と意見もあろう。しかし、戦争を考えるとき、私たちがしなくてはならないことは、自己犠牲の顕彰以上に、兵士たちを自己犠牲せざるを得ない状況に追い込んだのは何かを、突き詰めて考えることではないか。どこで誰がどういう決定をして、兵士たちは死なねばならない状況に追い込まれたのか。自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ。戦争に至る歴史を検証することである。歴史のどの段階、どういう状況で、誰がどんな決定を下し、どういう結果を導いたのか。それを認識し、今の状況につき合わせて、今を検証しなくてはならない。それこそが戦没者、戦争犠牲者慰霊祭を毎年行う意義であろうし、故郷の暮らしから引き剝がされ、将来の夢や計画を奪われ、異郷の地で悪縁にまみれさせられ、命を奪われた戦没者や、未来と命を絶たれた戦争犠牲者の心に適うことだと信じる。戦没者、戦争犠牲者は、自分たちのような犠牲者を、二度と生み出さないことを願って亡くなったに違いないと思う。ところが、慰霊祭の壇上に国旗が掲げられることで、犠牲を強いた側を問い詰めることに蓋がされてしまう。歴史を検証し今を検証することは、憚るべきことであるかのような空気が醸し出され、自己犠牲の顕彰ばかりが強調されることになってしまう』(2013年7月10日 中川村ホームページ)

◎[参考動画]衆議院選挙長野5区 曽我逸郎より皆さんへ(itsuro soga2017年10月13日公開)

◆曽我氏の原発観──それ(原発PR)をしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです

原発に関しては、中川村と同じく「日本で最も美しい村」連合に所属していた福島県飯館村が原発事故の際深刻な被害を受けたこともあり、曽我氏は飯館村の住民を夏祭りに招待するなど支援・交流を続けてきた。実は電通にいた時、原発のPRの仕事をさせられそうになったのだという。以下はインタビュー記事の一部だ。

――広告会社に勤めていたころ、電力会社の担当になるのを断ったと聞きました。
(曽我)入社して十数年たったころでした。原発のPRはしたくありませんと告げたら、上司が「電気を使っているのに何を言っている」と言うので、「じゃあ会社を辞めます」と答えました。結局、会社には残りましたが、せめて私が消費する電力のうち原発に依存する分を減らそうと意地で階段を上り下りしていました。学生時代に原発施設での被曝労働者の話を小耳にはさんでいたことが背景にあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。誰にも、踏み越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです。(2012年9月21日「朝日新聞」)

現在でも原発問題を語る際、放射線被ばくや原発立地地域の問題は盛んに語られても、原発作業員の問題は比較的語られていないように思われる。原発労働者の実態を、曽我氏は3・11より前に気にかけていたようだ。気にかけただけでなく、実際に行動に移したことは注目に値するだろう。

以上の経緯からか、反原発を唱えてきた元京大助教授の小出裕章氏や城南信用金庫の吉原毅氏等が曽我氏の推薦人として名を連ねており、自由党の山本太郎議員が応援演説に駆けつけている。

◆曽我氏の沖縄観──沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている

沖縄の基地問題に長年取り組んできた現参議院議員の伊波洋一の選挙を応援したり、2015年5月には辺野古の新基地建設に反対するため座り込みに参加するなど、沖縄との関係も深い。2015年12月の中川村の定例議会の答弁では「沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている。沖縄に学ぶことは、我々自身の民主主義を深めることに繋がる。お仕着せの民主主義ではなく、住民が主体的に声を上げる本来の民主主義のため、自由闊達な村の「空気」づくりを続けていくためにも、今後も沖縄の話題は取り上げていきたい」と発言している。

沖縄の基地偏重の原因を「帝国陸海軍の参謀たちから国の最高指導者に至るまで、敗戦後直ちに、保身やさまざまの理由によって、米軍に寝返ったからだと思います。駐留米軍に国体を護持してもらうため、日本の国土をも差し出しました」とし、その象徴として「昭和天皇沖縄メッセージ」をあげている。(2010年5月27日 中川村公務殉職者慰霊祭)歴史的な観点からの考察もしっかりとしている。

◆反TPP、反モンサント──地方から既成政治に抗う

曽我氏は街頭演説の中で「安倍・小池両氏の考えには共通性があり、選挙後には協力しあい、憲法改正にもつながっていくだろう」と指摘。また森友・加計学園問題で国会が紛糾するなか種子法が廃止されたことにも言及。遺伝子組み換え作物の種子をつくっている巨大グローバル企業モンサント社の種子が流入する危険性を訴えた。

◎[参考動画]2011年2月20日長野県中川村、全村挙げてのTPP参加反対デモ(不利他由仁音2011年2月23日公開)

曽我氏はもともと熱心なTPP反対派で、村長在任中の2011年2月には中川村で地元の商工会・農協、東京のフリーター労組等の協力を得ながらサウンド・デモを行ったこともある。今回の野党再編の「主犯」前原誠司の「GDP比でたった1.5%の第一次産業のために、TPPに乗り遅れるな」の発言を2013年の講演会で批判していた。

曽我氏の主張は、現在の都市部偏重・経済効率優先・格差助長・軍事大国化に突き進む既成政治への抵抗だ。地方からの抵抗が国政を動かすうねりとなっていくことを期待したい。

◎曽我逸郎(そが いつろう)候補(長野5区)公式サイト http://itsuro-soga.com/


◎[参考動画]曽我逸郎さん高森町講演02(信濃のアブマガ2017年10月7日公開)

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号【特集】小池百合子で本当にいいのか

小池百合子東京都知事オフィシャルウェブサイトより

選挙直前に小池百合子東京都知事が立ち上げた「希望の党」は、一瞬話題になったが、選挙戦に入って急速に失速しているようだ。

あらためて、中心人物である小池氏が過去にどのような発言をしてきたかを、新聞、雑誌、国会議事録からたどり、人物像を探ってみたい。

◆支配層にとって痛くもかゆくもない第三極

その前に、新党とか第三極と言われる集団について考える必要があるだろう。自民・公明の与党を第一極、それを真っ向から批判する政治勢力を第二極、その中間を第三極と一応定義しておく。

政権交代とは、上記の第一から第二へ移ることを言うが、本格的政権交代を阻止するための政治勢力が第三極という見方もできる。これまでの新党、第三極としては、古くは新自由クラブ、日本新党。比較的新しいところでは、維新、みんなの党などがある。公示直前になって結成された立憲民主党は、いくつもの重要政策で与党と対立しているから、いちおう第二極としてもいいだろう。

今回の希望の党をはじめ、これまでに生まれては消えた政党に政権が移っても、抜本的な社会の変革はないので、日本の支配層にとっては痛くもかゆくもない、形だけの政権交代となる。

それどころか、与党の勝利にさえつながる“効果”がある。意図したかは分からないが、結果として希望の党は、政権交代防止ないし与党敗北阻止の役目になっている。

東京都知事選、都議選、希望の党結党と、旋風を巻き起こしたかに見えた小池氏は、どのような人物か記録しておく意義はあると思う。

◆日本会議との親和性

小池百合子東京都知事は、日本最大の右派組織と指摘される日本会議の国会議員懇談会に所属し、同懇談会の幹事長や副会長を歴任していた。その創立10周年には、「誇りある国づくりのため、皆様の叡智を結集していただけますよう祈念しています。貴会議の今後益々のご発展と、ご参集の皆様の尚一層のご健勝をお祈り申し上げます」(2007年9月13日)と挨拶文を送っている。

もっとも、自身が選挙で当選を重ねて上昇していくために、様々な人物や団体と関係を構築するのが政治家だろうから、社交儀礼的な側面もあるかもしれない。

1992年に日本新党から参院選に立候補して当選して以降、細川護煕元首相を皮切りに、小沢一郎自由党代表、小泉純一郎元首相、安倍晋三首相と、その時々の権力者に近づき、所属政党も、日本新党→新進党→自由党→自民党→離党→希望の党、と変えて階段を昇ってきた。その意味では、小池氏にとって日本会議も、政治家として階段を昇っていくため素材のひとつにすぎないとの見方もある。

だが、過去の言動を検証すると、日本会議の理念と一致点が非常に多く“日本会議度”は相当に高いと見なければならない。日本会議は、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合同して設立された。

前身の「日本を守る会」は1974年に明治神宮など宗教団体出身者らによって設立された。日本会議の役員の3分の1以上が宗教団体関係者であり、その理念は、皇室中心主義、憲法改正、愛国心教育、国防力強化、伝統的価値観の家庭づくりなどである。

日本会議は、復古的政治の下支えをする教育や家庭も重視している。教育基本法改正を訴えたり、夫婦別姓や男女共同参画反対運動を展開してきた。「親学」もその流れにあると言えるだろう。

「親学」とは、日本会議役員が関わってきた「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長・髙橋史郎明星大学教授が提唱する児童教育の概念だ。提唱者の髙橋氏は、親の育て方と発達障害をむすびつける非科学的な論理をたてている。

安倍首相が会長で下村博文元文科相が事務局長として「家庭教育支援議員連盟」(「親学推進議連)は発足。親学に基づく子育てを推進するために立法しようという運動を行ってきたのである。小池氏は、「親学推進議連」のメンバーでもあり勉強会にも参加し、自身の公式サイトにも掲示していたが後に削除した。

◆憲法改正ではなく「壊憲」を主張する小池氏

その右派的言動として分かりやすいのは、2000年11月30に開かれた衆院憲法調査会での発言である。この時は、石原慎太郎氏やジャーナリストの櫻井よしこらが参考人として出席していた。石原氏の日本国憲法破棄論を踏まえたうえで、小池氏はこう述べている。

「結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、私はその方が、逆に、今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分をてにおはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます」

つまり、基本的人権・平和主義・国民主権という憲法の三大原則を踏まえたうえでの改憲とか改正ではなく“壊憲”するという考えだ。

国防力強化にも熱心だ。14年7月、安倍内閣は集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。外国のために自衛隊を海外に派遣して実力行動の道を開くのだから憲法改正が必要だが、その手続きを経ずに閣議で決めてしまったのは、事実上の無血クーデターともいえる。

この時点から遡ること11年、小池氏は月刊誌『Voice』(03年4月号)で、こう発言している。

「集団的自衛権の解釈変更は、国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」

まさに安倍内閣の閣議決定を先取りしている。さらに、15年に安保関連法性が争点になっていた国会審議でも「ホルムズ(海峡)のみならず、イエメン側の方での機雷掃海だって十分考えられる」と自衛隊の海外活動を政府に迫る、意気軒昂ぶりである。

スパイ防止法制の必要性を強く訴えてもいる。渡部昇一・上智大学名誉教授の対談本「渡部昇一、『女子会』に挑む!」(ワック)に収録された渡部氏との対談に、こんなことが書いてあった。

尖閣列島問題や日本人会社員が中国で拘束されたことに談を進める中で「日本にはスパイ罪がない。これが非常に問題です」「これまでスパイ防止法を作らなかったのは、『どうぞスパイ活動をおやりください』とうサインを送っていたに等しい」と強調している。

かつて自民党は、国家秘密法の名称で成立をはかったが、権力に恣意的に運用される恐れや基本的人権を著しく侵害するとして大きな反対運動でつぶれた。それを小池氏は必要だと強調してやまない。

◆核武装容認、非核都市宣言拒否

きわめつきは、核武装論だろう。月刊誌『Voice』03年3月号で、後に日本会議会長になる田久保忠衛・杏林大学教授(当時)と現代コリア研究所の西岡力との鼎談で核武装発言は飛び出した。

「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安倍晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」

さらに衆議院選挙に際して毎日新聞が実施した「日本の核武装について」のアンケートに「国際情勢によっては検討すべきだ」(毎日新聞03年11月1日付)と答えている。

都知事選でも核武装発言について対立候補の鳥越俊太郎との論戦で、鳥越候補が非核都市宣言すると述べたことに対し「賛成をいたしません。明確に申し上げます」と、自身の考えを明らかにした。

軍事関係では、11年11月26日の衆院本会議の代表質問で、11年度予算案で防衛費が削られていることを批判し、「国防の手段を確保し、必要な防衛関係予算を増額すべきだ」と防衛費増額を主張。武器輸出三原則見直しの検討などについて、「すべて自民党政権時代に議論しその方向を出してきたものばかり」と武器輸出三原則の撤廃も主張していた。

◆「安倍と小池は同じ」を示す過去の記事

以上、国会議事録、新聞記事、雑誌記事など公の媒体に掲載された小池氏の発言を整理してきた。こうした小池氏の足跡を見れば、彼女の理念は日本会議や安倍晋三首相とかなり共通しているのは間違いない。

憲法改正、安保法制支持など、重要な理念や重要政策で安倍自民党と同じ希望の党は、自民党の派閥のようである。本記事冒頭でのべたように政権交代防止、与党敗北阻止の結果を生む可能性が高い。

10月22日、総選挙の結果で今後が見えてくるだろう。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号【特集】小池百合子で本当にいいのか

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

元プロレタリア青年同盟・元国鉄下請労働者の中川憲一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

人の心や尊厳と、それを守るための闘争の手段とを問うような映画上映&トークと集会が開催された。わたしは、9月30日にドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』を観て監督と出演の方のトークを聴き、10月1日には「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」に参加したのだ。

◆ 「命をかけてカヌーに乗る権利があるが、心通わせる運動がしたい」という思い

『三里塚のイカロス』の代島治彦監督は、大津幸四郎監督とともに手がけた前作『三里塚に生きる』後の2013年、辺田部落の農民の妻となったHさんの自殺に対して『不条理』を感じ、強い憤りを覚えたことが本作制作のきっかけとなったという。『三里塚に生きる』を観て「運動は『魂の救済』へと向かわねばならない」と考え、大津幸四郎さんが撮影を担当していた小川伸介監督『日本解放戦線・三里塚の夏』なども観ていたわたしは、『三里塚に生きる』の映画評を雑誌に寄稿し、新作の完成も心待ちにしていた。

© 2017 三里塚のイカロス製作委員会

『三里塚に生きる』は三里塚芝山連合空港反対同盟に参加した農民を中心に描いていたが、『三里塚のイカロス』では支援の活動家が主に取り上げられている。その中で、Hさん同様、農民の妻となった女性たちも多く登場するのだ。

作品パンフレットでは、反対同盟事務局次長の島寛征さんは、1967年の「強制外郭測量阻止闘争」で、機動隊が「座り込みをしている反対同盟の農民を蹴飛ばしたり、ぶん殴ったりし」た、と語っている。共産党はスクラムを解いて歌を歌ったが、68年の「三里塚空港実力粉砕現地総決起集会」では新左翼はすでにヘルメットにゲバ棒で武装していた。『三里塚の夏』では、「三里塚空港粉砕全国総決起集会」で反対同盟の青年行動隊もカマと竹槍をもって武装する姿が映し出されている。ただし、反対同盟の中には葛藤があった。

『三里塚に生きる』では、機動隊3人が死亡した東峰十字路事件を経て、青年行動隊リーダー・三ノ宮文男さんが自殺した当時を仲間が振り返る。パンフで島さんは、「『ここで生きていこう』という運動に死人が出る。少なくとも農民は、この頃から闘争の矛盾に気づきはじめます」という。その後、援農と妻たちの話題に移り、産直の「ワンパック」運動にも触れている。ちなみにわたしたちは以前、四ツ谷の「自由と生存の家」でここの野菜を含めて送ってもらい、販売して得た収入を「自由と生存の家」に暮らす人々にカンパするなどしており、現地のイベントにも参加していた時期があった。そこには運動とは無関係に父親とともに移住してきた青年が、農的な暮らしに精を出す姿もあり、希望を感じたものだ。

ところで本作では、空港が開港され、移転を余儀なくされた際に悩み苦しむ元支援の妻たちの思いも拾い上げられる。そしてHさんが移転を苦に鬱病を発症し、亡くなってしまう。そのような中、話し合いでの「秘密交渉」による前進が試みられるが、読売新聞の報道によって事実は「ねじ曲げられ」、反対同盟幹部(の一部)と新左翼党派から「秘密交渉」を試みた人々が自己批判を迫られる。中核派では「三里塚で主流派になり、日本の革命的左翼全体の主流派にならければならない」という意図が持ち上がり、生活と命が踏みにじられていく。結果、反対同盟において「永続闘争」は否定され、終息の仕方が話し合われるようになる。パンフで島さんは、「時代は変わっても政府と住民のいざこざは今後もどんどん起きる訳ですよ」「砂川米軍基地拡張反対闘争からはじまって、いまの沖縄の米軍基地問題まで、そこで生きる住民が一番損をしている訳ですよ。三里塚はどうかっていうと(中略)闘争の犠牲を代償にしたことで、その後は農業を持続できる体制ができたり、地元での仕事が増えたり、住民はあまり損をしない形になったと思う。」とも語っているのだ。そして沖縄の辺野古では、三里塚を教訓に、非暴力が貫かれていると代島監督はいう。

上映後、出演者である元第四インター・平田誠剛さんと代島監督のトークがあった。そこで平田さんはまず、「みんなそれぞれ傷を持っていたりするが、わたしと同じように、終わっていない、続いていると聞き、それがうれしかった」と、監督に感謝の言葉とともに述べた。また、「中核のやり方を統制し、反対運動を続けていくのは難しかった。それはわたしたちの責任だろうと思う。第四インターだけでなく、わたし個人も、関わった人も」とも口にする。さらに、「わたしは福島に生き続ける。今は、ほとんどいわき市にいて、三里塚闘争の経験を生かしながら、単なる類推でなく人々の共感、ともに歩む生き方を、恥ずかしいけどしているかなと感じている。(このことをカメラの前で語らなかったのは)いうべきことにあらずと思っていたから。代島監督は埴谷雄高の(4兄弟が窮極の「革命」について語る)『死霊』を読み直しているといっていたが、わたしはドフトエフスキーの(無神論的革命思想の「悪霊」に憑かれた人々の破滅を描く)『悪霊』を再読している。19世紀に限らず、今だって人間に起こりうること。わたしはあまりこのようなことを改めていいたくないが、それぞれ(このようなことを)抱えているとわかっていなければいけないと思う。逃げずに踏みとどまり、『おもしろい』闘いを続けたい」「三里塚の経験があって、焦らなくなった。心通じ合える瞬間みたいなものがあり、それだけでも十分と思うこともある。支援として、福島に尽くし足りないわたしが悪い」「俺たちは命をかけてカヌーに乗る権利があるし、これからも生きていく。第4インターはトロツキストで、後ろから弾が飛んでくることがわかっても、ともに闘う戦線をつくり、反撃しない思想。だが、わたしは立派なトロツキストでない。パクられた仲間のほとんど字を書けない母親の手紙に泣いた。俺たちが継ぐものはそういうものであり、そのようにやりたい」などとも語った。

農民の方々や支援に参加していた方の複雑な思いはあるだろうし、わたしは近隣の出身なので地元の人々が現在抱く思いも聞いている。いずれにせよ、現在、社会運動に携わっている立場として、闘争の意味をさまざまな視点から問い直す作品は意義深い。また、個人的には大友良英さんのファン歴も長く、ドキュメンタリー映画のコアをこのように音楽で表現できる人はほかになかなかいないだろう。

元革共同(革命的共産主義者同盟)中核派政治局員の岸宏一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

◆ 尊厳と「存在」とをかけた闘いを、誰が断罪できるのか

そして、たまたま翌日に開催されたのが、「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」だ。近年、この連帯集会にも参加しているのだが、今回は「ハンダラ少年」が取り上げられた。ハンダラとは、1975-87年頃、ナジ・アル=アリによって描かれた、パレスチナ難民を描写したイラストの登場人物。「正義と自己決定のためのパレスチナ人民の闘争の強力な象徴」であり、「難民キャンプの子供のように素足で、わたし(ナジ・アル=アリ)を『間違い』から守るアイコン」「彼の手は、アメリカの方法による解決策に対する拒絶反応として、背中に隠されている」。ナジ・アル=アリは10歳の時にレバノンの難民キャンプに収容され、ハンダラ少年も10歳として描かれており、パレスチナに自由と尊厳とが取り戻されるまで成長することも振り返ることもない。

講演で中東近現代史研究家の藤田進先生は(アメリカなどによる国際連合の決議を経て分割され)イスラエルに侵略されるパレスチナの情況を語り、「最後に譲れないものは、人間の尊厳、物質的なものよりもプライド」と強調した。尊厳がなくなると人間は存在できなくなる。物理的に破壊されても、(パレスチナの暮らしに根づき平和や生命の象徴とされてきた)オリーブの木は生えて、抵抗運動がまた始まり、人間としてのプライドが強く打ち出されるものだともいう。

ナジ・アル=アリは絵を描き続け、1987年頃から93年頃まで続いた第1次インティファーダ(抵抗運動・民衆蜂起)がヨルダン川西岸とガザ地区で始まった頃にあたる87年に暗殺されたが、犯人は逮捕されていない。彼の本を監修した(『パレスチナに生まれて』いそっぷ社)藤田先生は、「ハンダラ少年はパレスチナだけでなく全アラブ社会、全イスラム社会、そして世界へと広がり、多くの人を惹きつけている」と説明する。パレスチナでは虐殺が繰り返され、ハンダラ少年は背中だけで顔を見せないが、その後ろ姿は抑圧された人々にエールを送り続けるのだ。そして、彼は常に事態を見つめており、ノーコメント。「そのハンダラ少年の見つめるディテールが、この絵を見るものの現実・置かれている事態・苦しみとつながる。抵抗の眼差しが描かれているのだ」とも藤田先生はいう。そして、パレスチナのあちこちに、ハンダラを描いた子どもたちの落書きがあるそうだ。

たとえばオイルの絵では、石油を入れるブリキ缶を伸ばしたものを用いた掘っ立て小屋が建てられている。藤田先生は、「国連の金で難民収容の家を造られているが、最初はテントで、その後に泥造りのものになる。ただし、狭くて不潔で住み心地が悪いため、たとえ劣悪で貧弱なものしか造れずとも人々は改造を試みるのだ。いっぽう、湾岸産油国はリッチ。そしてここに描かれた夫婦は、故郷の土地やオリーブ、暮らしのことを語り合っているのだろう。レバノンにイスラエルが侵攻してPLO(パレスチナ解放機構)の拠点だったベイルートの難民キャンプがつぶされ、国際政治による大弾圧の時期の中での思いが想像される」と説明する。

ナジ・アル=アリがハンダラ少年を描いたオイルの絵(撮影=小林蓮実)

イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラについて説明する藤田進先生(撮影=小林蓮実)

また、第1次インティファーダの終わり頃、93年に突然、オスロ合意(イスラエルとPLO間の協定だが、2006年のイスラエルによるガザ地区・レバノン侵攻で事実上崩壊)が結ばれ、一方的にパレスチナの平和が「強行」される。その際に、イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラも紹介。ビラには、「この家は住人の1人がテロリスト協力者のため破壊された。つまり報復攻撃だ。テロリストと協力者は破壊と絶望を増すだけであり、このようにならないように気をつけろ」という旨のことが書かれている。藤田先生は、「アメリカの圧倒的な支援を受け、最新鋭の、通常兵器でなく戦略兵器を住民弾圧に用いるイスラエルの軍事力と、抵抗グループのそれとの非対称。抵抗メンバーなどは、トイレにも行かせてもらえず、垂れ流しの中、人間としての尊厳を奪われ、怒りと抵抗が起こっている」と語るのだ。

そして、「第2次大戦後、国際連合ができ、対立があっても、人間の自由と尊厳のために維持せねばならないものがあるという、平和のロジックを世界は共有した。イスラエルをつくったユダヤ人にも生活があり、家庭を築いており、土地が必要であることをパレスチナ人は否定できない。だからこそ、話し合いを始めることがパレスチナ人の大きな念願。イスラム、アラブ社会では、宗教が違っても、隣人同士としての関係をつくるという考えが根本にあった。アラブの関係を動揺させるアメリカのやり方に対しても、違和感が世界に広がり始めたのだ。そして、イスラエルの将来に絶望する人々はイスラエルから外へ出ている」とも加えた。

会場からの「神風特攻隊と抵抗運動の共通点」などに関する質問に答え、現地で活動していた足立正生さんは、「神風特攻隊とリッダ闘争(パレスチナ解放のための日本人青年による決死の闘争)とは、180°異なる。そうでない後者は人間の尊厳を求める側から、虐殺と困難を強いられた側からの個人的な決起。国家テロこそなくさないかぎり、人道主義も人権もへったくれもない。人民や民衆を弾圧する政治こそがテロだ。生き延びるかの抵抗の闘いはテロではない。占領と抵抗抜きにして、『暴力』を否定できるのか。それは、尊厳の一部ではないか」と問いかける。

ほかにもいくつか質問があり、藤田先生も、「アメリカのバックアップを受けてユダヤ人だけの国を造ろうとすれば、アラブ全土を治めないかぎり安心しない主体となる。ただし、そのイスラエルの中にも、共存を考える人が現れている。だからこそ、アラブとユダヤ人の共存の話し合いに舵をきるべきだ。まずは、イスラエル内の左翼や民主主義者との対話を構築せねばならない。また、リッダ闘争は政治と武力闘争を力尽くで押さえ込まれた『お手上げ状態』から起こった。ルサンチマンに近い武力の闘争だ。神風特攻隊は、天皇制国家・国民国家から起こったものだが、アラブの自爆はパトリオット、自分の故郷を思う気持ちから起こっているもの。生活空間を守るための最後の手段として選択されており、女性の救急隊員などですら『自爆テロ』をおこなう。占領に抵抗する『暴力』を、はっきりと批判したり断じきれるのか。冷静では考えられないことだ。非暴力とは別に、人間の尊厳を蹂躙するものに対して激しく闘う心、リスペクトの闘いがイスラム世界にある。これをさせないためには、軍事力でなく、彼らが求める話し合いに応じることだ」と繰り返す。

また、サラームという言葉は平和と訳されるが、「宗教は違っても人間同士共存すべきだというイスラムの論理。人間のダメさ加減をアッラーの教えを忠実に守ることで乗り越えるというもの、そういった意味でアッラーの奴隷になるということ」と説明した。

撮影=小林蓮実

最後に、「世界から支援されているという意識が生まれ、現在、強力に非暴力抵抗活動が進められている」という意見が会場からあったが、足立さんは「それが民衆の抵抗の抑圧に使われており、現在も自爆攻撃はある」と口にしたのだ。

力をもたない側、尊厳を奪われている側は、命をすでに奪われていることと同じ状態にさらされる。そんな人々の最後の選択としての抵抗運動の形。国内などでは理解も得られず有効でない方法かもしれないが、リッダ闘争に参加した岡本公三さんを支援するオリオンの会では、「秋葉原事件」は抵抗運動かどうかという議論がなされたことがあった。答えは出ていなかったが、事件当時わたしは、彼は化け物ではないし理解できると考えたものだ。無差別殺傷を肯定はできないが、それは自分だったかもしれないと、これにかぎらずさまざまなときに考える。

わたしたちの、そして世界の人々の尊厳のために、いろいろな問題に対して対話を実現させること。そのために自分は何ができるのだろうか。そんなことをいつも思う。

◎『三里塚のイカロス』オフィシャルサイト http://www.moviola.jp/sanrizuka_icarus/
横浜シネマリンにて上映中。10/21(土)より名古屋シネマテーク、フォーラム仙台、メルパ岡山で公開。ほか全国順次公開予定

◎JAPAC blog(Japan Palestine Project Center)http://japac.blog.fc2.com/


◎[参考動画]映画『三里塚のイカロス』予告編(moviolaeiga 2017年7月24日公開)


◎[参考動画]証言で紡ぐ成田空港反対闘争~「三里塚のイカロス」代島監督インタビュー(OPTVstaff 2017年9月6日公開)

▼ 小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター、労働運動等アクティビスト。
○『紙の爆弾』11月号 特集「小池百合子で本当にいいのか」
「『追悼文見送り』でも隠せない 関東大震災 朝鮮人虐殺の〝真実〟」寄稿。
○現代用語の基礎知識 臨時増刊号ニュース解体新書(自由国民社)
「従軍慰安婦問題」「靖国神社参拝」「中東の覇権争い」「嫌韓と親韓」を執筆。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

種目に限らず幼少のころ、あるいは中学、高校で熱心にスポーツに励む若者たちからは将来の目標として、自己記録の更新や地方、全国大会での優勝、果ては世界選手権やオリンピック出場、プロ選手での活躍が語られる。「将来政治家になって活躍したい」と公言したのは、私が知る限り、須磨学園時代に駅伝を中心に中距離で目覚ましい活躍をした小林祐梨子氏くらいだ。

私はスポーツ観戦が趣味である。それゆえに近年は複雑な思いに直面せざるをえない苦痛を強いられている。スポーツでは、個人やチームが勝利や自己の練達を目指し練習を重ね、その結実を果たすプロセスも見るものにとっては醍醐味である。アスリートが目的を達成し、観戦している人びとへの感動を引き起こす。動機はまったく純粋で「ある道で自分(自分たち)の限界を極めたい」。そのひたむきな姿にさして世間と比べてなにか秀でたものを持たない、私のような人間はすがすがしさを感じる。

◆活躍すればするほど「国家」の引力に抗えない

しかし、活躍が国内にとどまらず、他国の選手を凌いでの世界選手権やオリンピックの優勝となると「奴ら」は目標を遂げたアスリートに別の視線を送り始める。企業が社会人チームに優秀な選手を引き入れたい、プロのチームが同様にスカウト活動を行う。これはアスリートにとっても生活設計の上からメリットがあり、両者の目指すものあいだに、大きな乖離はない。

ところが、オリンピックでメダルを得たり、長年国際的に活躍をしたアスリートを待ち受けるのは前述のような目的合理性において両者が合致するものばかりではない。その中でもとりわけ厄介なのが「政治」からのスカウトだ。アスリートは成功を重ね、活躍すればするほど「国家」からの抗いがたい引力にからめとられる。

国際大会で優勝すると表彰式では「日の丸」が上がり「君が代」が流れる。アスリートはその種目に適した肉体を造り上げ、技術を磨くために、激烈な練習に日々打ち込む。そしていかに勝利するかのメンタルトレーニングも欠かせない。当然勝負に勝つためには「闘争心」もなければならない。

純粋に自己の目的達成のために日々のトレーニングをこなし、レベルが上がっていくとスポーツジャーナリズムを中心に取材を受ける機会が増す。競技だけに没頭したいと思っていても、スポーツ界とジャーナリズムの持ちつ持たれつの関係はそれを許してはくれない。世界大会前になれば「メダルへの自信は?」、「日本代表としての意気込みを」と何度も似たような質問にさらされなければならない。

そして晴れて好成績を収めた暁には、首相官邸などに招かれたり、○○栄誉賞を授与されたりと、いよいよがんじがらめにされていく。成功したアスリートが、現在の政治や社会体制に対して異議を申し立てることは、外堀(環境)内堀(思考)を埋められ、実質上不可能となる。「奴ら」は当該アスリートが引退後「使えるかどうか」の本格的な選別作業に入っている。

アマチュアのアスリートは、現役時代の大半を競技で好成績を残すことと、学業、もしくは仕事を中心目標とした生活(練習や移動)に費やすので、政治や社会問題について、「ああでもない、こうでもない」と議論したり、資料を漁ることに多くの時間を費やすことはできない。プロの選手となり長期間にわたり活躍すれば、それなりの社会経験を積み、生活の時間配分を自分なりにコントロールできるようになる。また、プロの団体競技では、いつ他のチームからの引き抜きや、所属チームからの契約打ち切りに直面するかわからないので、自分がより望ましい環境で活躍する、または有利な条件でプレーするために知恵を身につけることが必要になる。

◆鈴木大地、橋本聖子、馳浩──権力の都合に最適なアスリート出身政治家たち

国際大会で目覚ましい活躍をしたアスリートが引退後「奴ら」の引力に吸着されていった先例は、枚挙にいとまがない。顕著なところでは、現スポーツ庁長官の鈴木大地だ。鈴木大地はソウルオリンピック水泳で金メダルを獲得した。「バサロスタート」と呼ばれる長時間水面に潜りなかなか浮きあがってこない泳法で16年ぶりに水泳で日本に「金メダル」をもたらした。引退後は順天堂大学に教員としての職を得て、2015年に発足したスポーツ庁の初代長官に就任した。鈴木は現役時代、どことなく斜に構えたコメントを発することが多く、個性の強い人物との印象があったが「奴ら」は順調に権力中枢に鈴木を招へいすることに成功した。鈴木は自分が活躍をしたオリンピックの東京での開催を控え、世論の批判をかわすには絶好の人選だったといえる。

印象が強烈であったアスリートに「奴ら」からの触手が伸びたのは、たとえば以下の通りだ(古い例は除く)。日本スケート連盟及び日本自転車競技連盟の会長にして参議院議員の橋本聖子、釜本邦茂(サッカー・元参議院議員)、第20代文部科学大臣の馳浩(レスリング、プロレス、衆議院議員)、萩原健司(ノルディック複合、元参議院議員)、谷亮子(柔道、元参議院議員)、アントニオ猪木(プロレス、参議院議員)、朝日健太郎(ビーチバレー、参議院議員)、堀井学(スピードスケート、衆議院議員)、堀内恒夫(プロ野球・元参議院議員)、大仁田厚(プロレス、元参議院議員)、神取忍(女子プロレス、元参議院議員)以上は国会議員若しくは議員経験者である。上記の顔ぶれの中で所属が自民党以外なのはスポーツ平和党から維新などを渡り歩いているアントニオ猪木と、民進党圧勝で勝ち馬に乗った谷亮子だけだ。ほかは全員自民党公認で当選している。

◆スポーツは「国家意思」に吸収されていくしかないのか?

スポーツでの成功者は徐々に「国家」に絡めとられてゆき、根源的な問題では(例えば東京オリンピック開催の是非など)必ず「国家意思」と同意せねばならない、(あるいは自ら進んで強い同意の表明をする)運命を背負わされる。ある分野では極めて卓越した成功を収めた者が、必然的に「国家意思」に吸収されていくというまことに不健全で恐ろしい構造。実はこの島国においてスポーツと「国家意思」の間には相当昔から不健全な関係性が脈々と続いていたのではないか。

「2020年東京オリンピック・パラリンピック」は至極当然、話題や争点にすらならず総選挙が展開されている。


◎[参考動画]スポーツ庁発足 初代長官に鈴木大地さん(TOKYO MX 2015年10月1日公開)


◎[参考動画]第2期スポーツ基本計画 スポーツ審議会委員からのメッセージvol .1(mextchannel 2017年3月26日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

『NO NUKES voice』13号 「反原発と反五輪──東京五輪が福島を殺す」(鵜飼哲さん)他

◆中沢けいの刑事告訴つぶし 『帝国の慰安婦』裁判

中沢けい(鹿砦社『人権と暴力の深層』より)

中沢けいといえばその文章が国語の教科書に掲載されている著名な作家だ。代表作として『楽隊のうさぎ』などがある。同時にのりこえネット共同代表をつとめ、リンチ事件被害者のM君が刑事告訴することを防ごうとしてきたリンチ事件隠ぺいの主犯のひとりだ。この経緯は鹿砦社刊『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の深層』に詳しい。

中沢けいのリンチ事件に対する対応はそれ自体驚愕するものだが、ここでは別の刑事告訴つぶしについて言及したい。「日本軍と同志的関係にもあった」などの表現が従軍慰安婦被害者の名誉を棄損したとされ、在宅起訴された『帝国の慰安婦』著者である朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)を擁護する声明(朴裕河氏の起訴に対する抗議声明)についてだ。中沢けいの他に大江健三郎や津島佑子、海外からもノーム・チョムスキー等そうそうたる学者・作家が署名している。

声明文にはこうある。

「それ(筆者註:検察庁の起訴文)は朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、 予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています」

朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版2014年11月)

中沢はこの著作をこう評価している。

「軍に代表される公権力によって拉致され性的奉仕を強制された多くの被害者の声に耳を傾けようとする姿勢のかげには、単純な戦時下の人権侵害とする見方よりも、植民地主義、帝国主義にまで視野を広らえる鋭さが隠れている。それは戦時下の人権侵害的犯罪というとらえ方よりも厳しい問いを含んでいると言わなければならない。朴裕河は過去を美化し肯定しようとする歴史修正主義者の視点とは正反対のまなざし慰安婦被害者に注いでいるのだ」

しかし、このような評価は正しいのだろうか。鄭栄桓明治学院大学准教授の『忘却のための「和解」』(世織書房)によれば、『帝国の慰安婦』には極めて恣意的な引用が目立つのだという。一例をあげる。

「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だか “わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない”という従軍慰安婦の証言にたいし、朴裕河は日本語版『帝国の慰安婦』のなかで自分の身に降りかかった苦痛を作った相手を糾弾するのではなく、『運命』という言葉で許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは、彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。何よりも彼女の言葉は、葛藤を解く契機が、必ずしも体験自体や謝罪の有無にあるのではないことを教えてくれる」(92-93頁)と書いている。

鄭栄桓『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房2016年4月)

しかし、この従軍慰安婦の証言には続きがあり、最後にこう述べていたのだ。

「アイグ、日本の軍人のことを考える本当に恨めしい。恨めしいのは恨めしいけど、あの軍人たちもみんな死んだはずだよ」

さらに鄭栄桓氏によれば、この被害者は米下院議長宛てに公開書簡を送った6人のうちの1人だったそうだ。その公開書簡には「私たちは戦争が終わった後も私たちが被った残酷なことについて語ることができず、ほとんどの全人生を傷と恨を抱いて暮らしてきました」とある。

いかに恣意的な引用であったかがわかるが、他にも『帝国の慰安婦』には大量の誤った引用や歴史認識が見受けられる。それほど分厚い本でもないので、ぜひ『忘却のための「和解」』をご購読いただきたい。

上記のことを踏まえると、ヘイトスピーチ規制を推進しながら、従軍慰安婦の被害者たちの訴えに「名誉が傷ついたとは思えず」と賛同した基準はなんなのかと中沢けいに聞いてみたくなる。中沢は『人権と暴力の深層』のインタビューでヘイトスピーチ対策法に関し「出来たものをうまく運用して、社会的に役に立つものになりましたよ、っていうのがジャーナリストや報道の仕事でしょ」と他人に運用に関して丸投げにしているが、中沢の基準が曖昧なのにどうやって適正に運用できるのか。

◆田中明彦ら軍拡目指す安保法制推進学者の不気味な賛同

中沢けいの他の署名者を見てみよう。高橋源一郎や島田雅彦、星野智幸、いわゆるSEALDs・しばき隊と親和的な関係にある作家以外にも元東京大学教授田中明彦が入っている。   

ジョセフ・S.ナイ ジュニア、デイヴィッド・A. ウェルチ『国際紛争 ─ 理論と歴史 原書第10版』(翻訳=田中明彦、村田晃嗣/有斐閣2017年4月)

田中明彦は日本の大学で国際政治学を学んだ人物であれば必ず名前を知っている著名な国際政治学者だ。集団的自衛権行使容認を含む憲法解釈変更を提唱した「安保法制懇」(安倍首相の私的顧問機関)のメンバーで、安保法制推進の理論的リーダーでもある。また彼の訳出したジョゼフ・ナイ=デイヴィッド・ウェルチの『国際紛争』はアメリカの大学で広く用いられている教科書であり、日本の大学でも使用されているほど影響力がある。ジョゼフ・ナイは「ソフトパワー」という概念を広めた他、日本の橋本龍太郎内閣時にクリントン政権の国防次官補として日米安保再定義にも関与した実務家でもあり、「知日派」として影響力があるとされている。

田中もナイも日本の集団的自衛権行使容認を昔から提唱しており、イラク戦争支持者であったことも共通している。

日本の外交政策に大きな影響力を与えているとされ、山本太郎議員が国会で取り上げた第3次ジョゼフ・ナイ=アーミテージレポート(IWJ仮訳)を引用する。

日米同盟、ならびにこの地域の安定と繁栄のために極めて重要なのは、日米韓関係の強化である。この3国のアジアにおける民主主義同盟は、価値観と戦略上の利害を共有するものである。(中略)米国政府は、慎重な取扱いを要する歴史問題について判断を下す立場にないが、緊張を緩和し、再び同盟国の注意を国家の安全保障上の利害、および将来に向けさせるべく、十分に外交的な努力を払わなければならない。同盟国がその潜在能力を十分に発揮するためには、日本が、韓国との関係を悪化させ続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。米国はこのような問題に関する感情と内政の複雑な力学について理解しているが、個人賠償を求める訴訟について審理することを認める最近の韓国の大法院(最高裁)の判決、あるいは米国地方公務員に対して慰安婦の記念碑を建立しないよう働きかける日本政府のロビー活動のような政治的な動きは、感情を刺激するばかりで、日韓の指導者や国民が共有し、行動の基準としなければならないより大きな戦略的優先事項に目が向かなくなるだけである。(中略)直近では、金正恩の長距離ミサイル実験および軍部との権力闘争は、北東アジアから平和を奪うものである。同盟国は、根深い歴史的不和を蒸し返し、国家主義的な心情を内政目的に利用しようという誘惑に負けてはならない。3国は、別途非公式の場での活動を通じて、歴史問題に取り組むべきである。現在そのような場がいくつか存在するが、参加国は、歴史問題についての共通の規範、原則、および対話に関する合意文書に積極的に取り組むべきである

このレポートを読めば田中明彦がなぜ朴裕河の起訴に反対したのかが、明確になってくる。『帝国の慰安婦』にみられる記述が外交関係の「改善」、ひいては日韓の軍事同盟強化に資するとみているからだ。

実際、朴裕河自身も『帝国の慰安婦』の日本語版あとがきで「この2年、日韓は一種のコミュニケーション不全に陥り、相手に対する諦めと不満を募らせてきました。幸い2014年春、日韓の局長級協議が始まり、9月末現在、首脳会談成立への兆しも見えています。この動きは望ましいもの」と日韓政府の「歩み寄り」に肯定的だ。

◆日本の侵略・植民地支配責任

イラク戦争を支持し、安保法制を推進した中心人物と同じ声明に賛同していることになんらの違和感を感じないらしいのがSEALDs・しばき隊シンパの学者・作家なのだ。今回小池=前原のコンビによる政界再編により「リベラル」派の困惑は頂点に達しているが、そもそもなし崩し的に堤防を決壊させるようなことをしてきたのは彼らである。今更困惑されてもどうしようもない。このリベラルの崩壊は長年にわたって積み重ねられてきた右傾化の結果でしかない。これ以上の決壊を防ぐには地道に日本の侵略・植民地支配の責任を明らかにして法的に賠償していくことしかないだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

既に9月12日の本通信で予告しましたように当社は9月28日、大学院生リンチ事件加害者側当事者で、この夏連続して当社とこの代表・松岡に対し誹謗中傷、侮辱、名誉毀損発言を行った李信恵氏を「被告」として大阪地裁に損害賠償300万円と謝罪広告等を求め提訴いたしました(第13民事部。平成29年ワ第9470号)。ようやく訴状が李信恵氏本人に送達されましたのでここにご報告させていただきます。これに先立つ本通信8月2日、同30日、9月12日号をも併せてご参考にしてください。
以下、訴状に沿って概略をご説明いたします。

◆ 被告・李信恵氏による名誉毀損行為

被告・李信恵氏(以下、李被告とする)はマスメディアを中心に受けている社会的評価からはおよそ想像できない攻撃的姿勢を示し、以下の通り自身のツイッターで原告に対し悪意をもって誹謗中傷、侮辱、名誉毀損に該当する発信を繰り返した。

1 2017年(平成29年)7月27日、李被告は、自身のツイッターアカウント上において「鹿砦社はクソですね。」と発言した。
 同発言は原告・鹿砦社(以下、原告とする)のみならず従業員や取引先、ライターに対する侮辱、誹謗中傷、名誉毀損に繋がるもので、その影響も大きく無視できないと判断せざるを得ないものであった。原告は李被告を諌め、それ以上の行為に及ばないことを期待し、原告が運営するホームページ上の同年2017年8月2日付け「デジタル鹿砦社通信」にて、反論記事を掲載した。
 ところが李被告は、その後も自身のツイッターアカウントにおいて、侮辱、誹謗中傷、名誉毀損発信を継続した。

2 同年8月17日、被告は「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」と発言した。

3 同年8月23日、被告は「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」と発言した。

4 同日、「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」と発言した。

5 同日、被告は、「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないなあ。あんなクソに、(以下略)」と発言した。

6 同日、被告は、「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」と発言した。

7 同月24日、被告は、「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」と発言した。

8 同日、被告は、「鹿砦社って、ほんまよくわかんないけど。社長は元中核派?革マルは?どっち?(中略)クソの代理戦争する気もないし。」と発言した。

◆ 李被告の行為が有する意味とこれに対する原告の対応

李被告の発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない品性を欠く表現であることは一般常識である。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人間の支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、原告に対する強い悪意をもってなされたものであることが明瞭である。しかも、「反差別」運動において一定の社会的評価を得ている李被告がかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、原告に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ない。

やむなく原告は、同月25日、被告に「警告書」を送付し、とりわけ、当社、および当社の関係者がいつどのような「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」を行なったのか、具体的に事例を摘示し証明するよう、また、被告が主張するところの「鹿砦社ってほんまクソやなあ」とか「クソ鹿砦社」と表現される根拠を証明するよう求めた。

しかしながら、李被告からは代理人の神原元弁護士を通して「『名誉毀損』には該当しない」との形式的で内容の伴わない回答があったのみで、原告が求めた説明に対する回答はなかった。

原告や原告関係者が、李被告に対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行なった事実などないし、また原告の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも被告の一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものと言わざるをえず、原告に対する名誉毀損の程度は甚だしい。

なお、原告代表者が現在から40年以上も前である学生時代に一時ノンセクトの学生運動(主に学費値上げ反対運動であった。原告代表者は母子家庭で育ったこともあり、学費値上げが学生や父兄、学費支弁者に課す負担増加に怒り運動に関わっていったが、被告が言うように「中核派」や「革マル派」は勿論のこと、一切のセクトに所属したことはない。)に関わったことを針小棒大にあげつらい、あたかも「中核派」か「革マル派」に所属していたかのように発言しているが、それは両派の血で血を洗う内ゲバ・殺人の歴史を顧みれば、原告鹿砦社代表者の松岡、ひいては同人が代表を務める原告会社に対する明確な名誉毀損である。

――――――――――――――――――――――――――――

第1回弁論は11月9日午後1時30分からです。多くの皆様方の傍聴をお願いするものです。

8月2日の「デジタル鹿砦社通信」の記事を読んで「クソ」発言をやめたら、また「警告書」を受け取って真摯に対応したら、わざわざカネと労力を費やして裁判沙汰にするまでもありませんでした。いやしくも私たちは出版社なので言論で勝負することをモットーとしていることで、私たちから訴訟を起こすことは、よほどのことでない限り、これまでめったにありませんでした。今回の件について、「この程度で訴訟かいな」という声もあるようですが、歳を重ね丸くなったとはいえ、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」と再三再四誹謗中傷され安穏としておれるほど私もお人好しではありません。今回私は特段の名誉毀損と感じ、取引先(大から小まで月に50社[者]以上の支払いがあります)らへの悪影響を懸念し提訴に及んだ次第です。

また、訴状が裁判所から送達されたことについて李被告は自身のツイッターで、本名と通名の併記で送達されたことに対し不快感を示し文句を言っています。リンチ事件の際の検察の書面もそうなっていて、本件訴訟でもそれに倣ったのですが、先のリンチ事件の民事訴訟でも本件同様(エル金や凡も)本名と通名の併記になっています。李被告とつながる「しばき隊」の人たちが「レイシスト」認定した一般市民の本名や住所等を暴露した「はすみリスト」とは違い、私たちから「家族を危険にさらす」(李被告のツイッター)ようなことはしませんし、いたずらに本名や住所を公にすることはしません(李被告に、「はすみリスト」で名前や住所等を暴露された人たちがどれほど「危険にさら」されたことをどう思うか聞きたいところです)。

リンチ事件の訴状送付の時は何も言わなくて、今になって文句を言うのはどういう理由でしょうか? 李被告の場合、夫が日本人だということですので、「夫の姓を私の日本名にしました」と李被告みずから言うように、そう役所に届け、おそらく検察の書面でも住民票を確認し、その名と「李」の名を併記しているのでしょう。本件訴訟でも、検察の書面同様、この国の裁判の法律に従ったまでであり、悪意があってのことではありません。それがなにかしら「家族を危険にさらす」ことに繋がるわけがありません。

さらに、連日「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」呼ばわりされて私(たち)は不愉快極まりありませんが、李信恵サン、あなたが「李信恵はクソ」「クソ李信恵」と一度ならず再三再四言われたらどう感じますか? 嫌でしょう? あなたが嫌だと思うことは他人も嫌なのですよ。

悪意を持って他人が嫌がることをするような人に「反差別」だとか「人権」だとか言う資格はありません。「差別」に反対し「人権」を守る闘いは、崇高なことだというのは言うまでもありません。そして、この先頭に立つ人の言葉は人一倍美しく、それを読む人を勇気づけるものと思ってきましたが、この1年半余り、李被告の発言をつぶさに見て来て、大いに疑問を抱くようになりました。汚い言葉(「クソ」という日本語は決して美しい言葉ではありません)は「差別」に反対し「人権」を守る人が使うべきではありません。言葉は、人格や人間性を表わします。私の言っていることはおかしいですか?

《関連記事》
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵氏による「鹿砦社はクソ」発言を糾す!(2017年8月2日松岡利康)
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵被告による、鹿砦社に対する悪質な誹謗中傷、名誉毀損発言について「警告書」を送付しました(2017年8月30日松岡利康)
◎ 鹿砦社からの「警告書」に対し、李信恵代理人・神原元弁護士から〝回答にならない回答〟届く。誠意のない回答にわれわれの方針はただ一つ! 鹿砦社特別取材班(2017年9月12日鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

22日、20時全国ネットのテレビ局は早くも当確を出しだした。「バンザーイ、バンザーイ」のあとに当確者のインタビューが始まる。こいつは極右与党の政務次官だった候補だ。

「これまでの安倍政権は、かえりみれば独断専行でした。憲法軽視、集団的自衛権なんかはとんでもない話です。アベノミクスという戯言。あれは国民を欺くための詭弁で、年金原資を株式相場につぎ込んで大企業を儲けさせるだけの愚策! そんな政策でこの貧富の差が埋まりますか! 私は消費税廃止! 累進課税税率の見直し! 護憲! この3本で頑張ってまいります」

渋谷にある半国営放送のアナウンサーがニコニコ顔で頷いている。「続いては同じく当確が出た希望の党の老狭候補の事務所から実況でお伝えします」、見ものだ。

「今回、護憲、反原発、反新自由主義を掲げて明真党にも加わって頂き、立派な戦いができたと思います。有権者はみなさん『北朝鮮とは戦争ではなく対話で、拉致被害者も帰してあげて』、『消費税を今さら大学無償化の一部に自民党は回すといっているけど、そもそも消費税は全額福祉目的税として導入されたんでしょ。何言ってるんだ』と強い怒りの声があふれていました。安保法案についても、検事として、弁護士として法律に携わった人間としては、『違憲』であるとしか判断しようがない。近く開かれる臨時国会で早速安保法案は廃止をいたします」

事務所に集まった支援者からは拍手が沸き上がる。次々に当確の出た候補者たちは、事務所からの中継で、選挙前や公示後に口にしていたことと真逆の内容を興奮気味にまくしたてる。どれもこれも似通ってはいるが、「反自民、護憲、反原発、安保法制廃止、消費税廃止」を異口同音に口にする。

山崎から電話が入った。

山崎 異常はないか。

ヤス ああ、予定通りだ。世間様には異常だろうがこちらの計画通りに行っている。そっちはどうだ。

山崎 誤算が生じた。代々木近辺に饅頭の影響が全く出ていない。Fに問い合わせたが、「理由は分からん」と言っている。

ヤス しばらく様子を見よう。

山崎 そうだな。また連絡をくれ。

俺は党本部に7日前から泊まり込んでいた。本部には実力を認められた欧米のハッカーたちが10人以上詰めっきりで、世界中の大手ポータルサイトから各政党本部、候補者、警察庁、法務省、総務省、全国すべての選管に徹底したハッキングを続けていた。完璧な翻訳ソフトで意志疎通するので俺とのコミュニケーションも問題ないし、日本語で書かれたマニフェストをドイツ人のハッカーがいともたやすく書き換えていく。それだけでは不自然だから、元のマニフェストよりも分かりやすく、庶民受けするサイトに作り変えてしまうのだ。

ハッキング初日は各政党本部や総務省に、候補者たちから苦情や問い合わせが相次いだようだが、次の日には落ち着いた。我々が行うハッキングが候補者事務所への好感度の現れとして顕在化したからだ。前日までと真逆な主張だが、我々は政策とその根拠、提示方法については6人で数年かけて素案作りに没頭してきた。公示期間の中、ハッキングで政策を丸切り変えたら投票行動がどうなるかは、スーパーコンピューターで何度も試算を繰り返してきた。準備は完璧だった。候補者たちは、急激な有権者の好反応にだけ関心が向いたのだ。

唯一の誤算、代々木方面への饅頭の効果不足はこの際大きな問題ではないといっていいだろう。共産党は「与党候補も野党候補も、マニフェストや選挙前半と全く主張を曲げて、我が党の政策を横取りするという、まことに恥ずかしい行為を恥じることなくきょうに至っている。この選挙結果は欺瞞だと言わざるをえない」といきり立っている。

しかし、護憲派が衆議院の9割を占め、安保法制、共謀罪、特定秘密保護法、個人情報保護法、周辺事態法などが廃止されることはもう必定だ。福島原発事故廃炉作業にかかった不明朗な出費を調査する特別員会の設置が決まり、すべての政党が東京オリンピックの返上と福島原発被害者救済を一体のものとして緊急に結論を出すべく「2020年問題特別委員会」も発足した。委員長には山本太郎参議院議員が就任した。議員バッチとともに青いバッチを付けていた保守系の議員も、全員が「虹色」のバッチに付け替えた。

肌寒さを強く感じだした臨時国会での首班指名の日、俺はミサと部屋でテレビを見ていた。

ミサ ね、ヤス政治って面白いでしょ?ワクワクする。ようやくこの日が来たんだよ。

ヤス 政権交代なら自民から民主、民主から自民があったじゃん。

ミサ そうじゃないんだって。意味が違うの、今回は。

ヤス どこが、どうちがうのさ(違うさ。当たり前だろう)。

ミサ 見てれば分かるって。

衆議院議長が投票結果を読み上げた。

ミサ やったー! 大池さん総理大臣だよ! 日本で初めての女性総理大臣すごいじゃん!

赤いスーツをまとった大池薔薇子は立ち上がり、微笑みながら何度も四方に頭を下げている。

ミサ でもさ、ヤス。「希望」の政策って、最初と全然違って共産党みたいなこと言いだしたのが不思議なんだよね。私政治よくわからないけどあれでいいのかなぁ。

ヤス 俺知らねえよ。

ミサ、いや党員じゃない誰もが饅頭の威力や党の行動を知るはずはない。饅頭は神経細胞を刺激しながらも脳神経を傷つけることなく、経験記憶と思考傾向を書き換える。遺伝子技術を主に、万能細胞も援用して、防衛省が極秘で開発を進めた極めて高度な最新技術をFが改良した、いわば生物兵器だった。

開発にあたり、俺たち6人は骨髄をFに提供した。どんな保守反動でも思考と思想が俺たち6人と同様な傾向を持つように遺伝子と感覚、感性までも瞬時に変化させる。自然風がなくても分速100mの伝播が確認されている。完成した饅頭の試験結果も申し分なかった。だから開票速報を報じたテレビキャスターをはじめとする報道機関の人間の表情も、翌朝朝刊の記事も、候補者の突然の変貌を違和感なく伝えることに成功していたのだ。報道機関の人間だけではない。饅頭の行き渡った東京近辺の住民にも同様の効果が生じているはずだ。

直後に議員が総立ちになり肩を組んで合唱を始めた。議員たちは「インターナショナル」を大声で歌っている。携帯が鳴った。山崎からだ。ミサが隣にいるが気にしていられない。

ヤス どうした? なんで奴らインターなんか歌いだすんだ?

山崎 バグだ。プログラムミスだ……。

ヤス わかりやすくいってくれ。

山崎 反帝・反スタは何度もプログラミングしたんだ。だがコマンドの一人が『資本論』、『レーニン全集』などの資料に紛れて『スターリン全集』を誤って打ち込んでいたことがわかった。

ヤス 打つ手はあるのか?

山崎 思いつかない……。

ミサ なんかこの歌元気が出るね。初めて聞くけど。なんていう歌だろう。かっこいい! みんな赤い旗を振ってるよ。ねえヤス、私興奮して涙出るよ。

議員総立ちでのインターナショナル合唱は、いくら何でもやり過ぎだ。しかし『スターリン全集』のバグだけで、ここまでの影響が出るだろうか。待て! まさか、俺たち6人の「骨髄交換」にそもそもの要因があるとしたら……。俺たちは「反スタ」だ、分かりやすく言えば統制と独裁を嫌悪している。6人ともそうなのは確信していた。でもまさか俺たちの血の中に自分では気づかない「権力欲」の要素が入っていたのだとしたら……。

ミサの声が遠くに聞こえる。

作戦成功の暁に、我々の任務は、次なる革命勢力をAIやITによらず、真に人間の発想と思想により実現する永続革命を可能ならしめる次世代の用意だ。とはいってもここでもAIと近くIPS細胞の技術の助けを借りざるを得んが。

肌寒いのに俺はとめどなく冷や汗をかいていた。

どこで間違ったんだ。何が間違いだったんだ!

(了)


◎[参考動画]インターナショナル / 大工哲弘(1996年)
 
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

ギリギリだ。フー。ミサはいい子だけど政治センスはゼロ。俺の党活動なんか理解出来るはずもない。もっともミサじゃなくても俺たちの党活動は非公然だから党員にしかその存在すら知られていない。公安も気づいていないはずだ。

わざわざ古めかしい「党」なんていう呼び方を提起したのは、小林だった。「そりゃないぜ」と一斉の反対に「古臭くて誰も使わないからいいんだよ。俺たちだって公然活動をするわけじゃないだろ。万が一公安に踏み込まれても、日共か中核の分派くらいにしか思われないさ」。この言い草には妙な説得力があった。

仲間たちは「党」、「党員」と苦笑いしながら呼ぶようになった。それだけじゃない。符牒や備品も敢えて古いものを選りすぐって使うようにした。水溶紙は常時持ち歩いているし、仲間の電話番号はすべて特殊な飛ばし(転送)を使っている。もちろん電話は偽名で購入したプリペイド携帯。ミリ、キリには細心の注意を払う。

政治局はもう全員が集まっている。

伊藤 また最後にお偉方の到着だ。

ヤス 嫌味言うなよ。定刻前だぜ。

山崎 ミサと会ってたんだろ?

ヤス ああ、部屋に来てた。選挙ボランティアやるんだってさ。

山本 ミサは本当に大丈夫だろうな?

ヤス その手の話は一切しないから大丈夫だよ。ミサの関心は、所詮プチブルレベルだから俺はオルグしない。

本多 今のうちに関係を綺麗にしておいた方がミサのためにはいいんじゃないか。

ヤス もう少し考えさせてくれ。それより時間がない。今日が最終打ち合わせになるかもしれないから、山崎、要点をまとめて話してくれ。

山崎 ああ。これまでの方針に大きな変更点はない。行動は10月22日、19時丁度だ。ブツの調達は順調だと考えてくれ。ルートがルートだから慎重に進めている。

伊藤 防衛省のFが日和ることは絶対にないんだな。

山崎 奴が死なない限り絶対といっていい。防衛省がどうしてFを割り出さないか。それを心配してるんだろ。

ヤス ああ。

山崎 Fの姻戚関係は複雑だ。俺も戸籍を見たが、あれじゃあ親父が誰かわからないよ。

本多 どういうことだ。

山崎 Fは戸籍上養子縁組で帰化したことになってるんだ。

伊藤 帰化? Fは日本国籍じゃなかったのか?

山崎 日本国籍さ。だが父親が父親だろ。あそこまでの有名人はそうはいない。父親は弁護士にこっそり「Fを一旦外国籍にして、それから縁戚の養子にしてくれ」と頼んでたんだ。絞首刑される直前にな。Fはまだ小学校に入る前さ。

ヤス だから姓が違うのか。

山崎 そういうわけだ。Fは父親の血だけじゃなくて、俺たちとは異質なルサンチマンを抱え込んでいる。だからわざわざ防衛大学に進学し、制服組を選んだ。そして俺たちのような人間との接触を待っていた、というわけだ。

本多 Fについてはわかった。先を続けてくれ。

山崎 饅頭の配給先は予定通りだ。担当は伊藤が渋谷と六本木、俺がお台場と汐留、本多が赤坂と永田町、本多の補佐に山本が付いてもらう。小林はバイクでその他4件に回ってもらう。本部待機及びサイバー担当は岡本だ。

山本 饅頭の効果はちゃんと確かめてあるんだよな。

山崎 ああ、既に理化学研究所とペンタゴンで確実な効果が確認されている。

山本 「されている」じゃないだろ。させたんだろ。

山崎 悪かった。山本の言うとおりだ。それぞれに潜り込ませた細胞に何度も臨床実験をさせて、効果は100%確認済だ。

本多 実験結果の詳細なデータは見られるか。

山崎 いまここにはない。だが間違いない。

伊藤 山崎、本多は物理の研究者だろ。だから確実な裏付けを見たいんだよ。俺もその気持ちは分かる。だが、山崎の計画指揮にこれまでは一点の落ち度もない。本多、ここは山崎を信用したらどうだ。

本多 仕方ないだろう。先に進めてくれ。

山崎 饅頭を届けたら、半径1キロには確実に効果が現れる。半径2キロの効果も50%以上の数値が確認されている。これが都心の地図なんだが、見てくれ。饅頭の届け先によっては半径2キロが重なってるだろ。つまり50+50のエリアで大手メディアはすべてカバーできる。

伊藤 理論上はそうだろうけど、風向きに影響されないのかい。

山崎 それもFがすべて防衛省で解析済みだ。大げさに言えば23区の中心部はすべて饅頭の影響を多かれ少なかれ受ける。

ヤス 首尾よくいけば「完全制圧もありうる」だろ、山崎。

山崎 そうだ。だがそこまで俺も楽観はしていない。で、重要なのが本部機能さ。

ヤス わかってる。でも、何度も言うぞ。俺はデジタルテクノロジーをまったく分からない男だ。そんな俺が指揮を執っていいのか。

本多 山崎がお前を選んだのには合理性がある。俺もこの人選には賛成だ。岡本は奴が言う通り理系音痴さ。ニュートン物理学の基礎も知らない。ましてやインターネットやハッキングの知識は皆無だ。だから適任なんだよ。作業をするのはコマンドだ。本部に必要なのはテクノロジーの知識じゃない。戦略と戦術だ。岡本はコマンドの作業を微塵も理解しないだろうよ。だから余計な心配もしないし、できない。ひたすら秒単位の即断に没頭できる。それが山崎の読みとみた。

山崎 さすが東大の博士課程。本多の説明に付け加えることはない。

伊藤 饅頭の受け渡しはいつだ。

山崎 22日15時にここだ。まだ現物は見せていないからイメージだけ知っといてもらった方がいいだろう。これをみんな見てくれ。

山本 外見は「もみじ饅頭」か(笑)

山崎 ああ、しかも老舗の「錦堂」だ。

伊藤 作戦のあと「錦堂」に迷惑かかるんじゃないか。俺は広島出身だからそんなことになったら里帰りできないぜ。

ヤス 伊藤さ、広島出身ってほんとかよ。有名なのは「にしき堂」だろ。「にしき」はひらがなが商標登録だぜ。何があろうと作戦後お前は堂々と帰郷すりゃあいいんだよ。もっとも政治も「にしき堂」も関係なく。カープ優勝で広島は浮かれてるから誰も気にはしないだろうけど。

山崎 饅頭は丁寧に梱包されて、金色の紐で結わえられている。ここが重要だ。よく聞いてくれ。結びは蝶々結びが二重だ。ごく軽く結んである。配達人は饅頭を置く際に、結び目を一回ほどかなきゃならない。その瞬間にオルゴールの「Over The Rainbow」がかすかな音で流れ出す。作動の合図だ。

伊藤 その手順は練習しとく必要があるよ、絶対。イメージだけじゃうまくいかない。

山崎 その通りだ。きょうは一人5個つづ饅頭の模型を用意してある。そう難しく考えないで、紐の端を5センチばかり引っ張るだけで緩い蝶々結びは解けるから、みんな試してみてくれ。

小林 山崎の手際よさには毎度恐れ入るよ。大企業に入ってたら今頃役員でもおかしくないよな。

山崎 小林、お前には俺の仕事を教えていなかったな。俺はお前の言う「大企業」、しかも、あの「四菱商事」の総務部長さ。

小林 う、嘘だろ! 「四菱商事」ってよりによって……。

山崎 理由は聞かないでくれ。でも事実なんだ。名刺をやろう。間違いないだろう。

小林 あ、ああ。でも平気なのかい。作戦に加わって。

山崎 平気? 馬鹿言わないでくれ。俺は晩稲田を出て迷うことなく「四菱商事」に入ったよ。出世も早かったと思う。それもこれもこの作戦のためさ。

ヤス コマンド手配は山崎に一任する。みんな、いよいよ俺たちが「虹をかけなおす」ときが来る。狼やサソリ、大地の牙を継承したとはとても言えんだろうが、今度は本当に虹をかけるんだ。

一同 異議なし!

末期帝国主義はマルクスの教科書通りに資本の寡占、労働力の収奪から、意識の収奪までを完成させようとしている。日本の政治はこのありさまだ。はっきりしているのは、我々はごく少数の極めて不利な状況に追い込まれている事実だ。言論では勝てない。武力(暴力)でも勝てない。この現実を直視することから「第二次虹作戦」が生まれたことはみんな知る通りだ。俺たちは非公然活動を行うが、複数の弁護士に確認したが、この作戦が成功したら俺たちを裁く法はない。だが失敗すれば逮捕は免れないだろう。

俺たちが生きてきた時代には、それなりの抵抗があった。しかし正視しなければならない。その抵抗は局地戦では勝利を獲得することはあっても、人民がこの国の権力を奪取した歴史はない。我々の作戦が成功すれば、この国初めての「無血革命政権」が成立する。しかしみんなも知る通り、これから生まれる政権はAIとITテクノロジーで奴らを洗脳する、「禁じ手」の革命と呼ばれても仕方がないだろう。それでも奴らの政治生命は数年持つはずだ。

作戦成功の暁に、我々の任務は、次なる革命勢力をAIやITによらず、真に人間の発想と思想により実現する永続革命を可能ならしめる次世代の用意だ。とはいってもここでもAIと近くIPS細胞の技術の助けを借りざるを得んが。

反動の波を押し返す力がわれわれには残念ながらない。奴らが非道を平然と進めるのなら、圧倒的少数であるわれわれは、ブルジョワが新たな資本の蓄積、または、戦争の兵器として開発した技術を先行して革命に導入する。見ろ、山崎、山本、伊藤、本多、小林、そして俺。この6人がまだどの国も公にしていない、「遺伝子交換」を敢行したから、深刻な意見の相違もなくたった6人で再び「虹」をかける手前まで来ているじゃないか。

「毒を食らわば皿まで」と吐き捨てた野合議員がいたよな。俺たちはその先を行っている。いわば6人は「アンドロイド」でもある。しかし、われわれには滾る血があるだろう。誰が見たって「遺伝子交換」で結ばれているとは見破られない個性もある。

(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

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