国会開会式に見る天皇と国会の立憲主義

11月7日第195回国会の開会式(参議院本会議場)。見にくいが画面最前列が安倍
参議院本会議場に入場する天皇

 

11月14日「立憲主義の後退」で山田次郎氏が鋭い論評を展開している。立憲主義の今日的課題や論点は横におくが、その一形態が表出している国会の開会式を取材する機会を得たので、報告したい。

国会は「非公開」の会議を除き、衆議院TV、参議院TVでネット放送されているので、テレビ受像機を持たない人でもほぼすべての本会議、委員会の中継を視聴することができる。

画面左前が安倍

11月7日第195回国会の開会式が参議院本会議場で行われた。国会の開会式や式典は伝統的に衆議院本会議場ではなく、参議院本会議場で行われるのが慣例だそうだ。開会式には天皇が出席する。

国会議事堂は正面から向かって左側に衆議院、右側に参議院が位置するが、ちょうどその中間あたりに天皇が国会を訪れた際の「御休所(ごきゅうしょ)」が設けられており、天皇が国会に到着する15分前からは衆議院と参議院の間を通行することができず、エレベータも停止される。天皇の「御休所」が実際に使用されることがほとんどなく、天皇は国会に到着すると参議院本会議場へ向かい、開会の式辞を述べると帰路につくのが恒例だそうだ。

傍聴席の様子

開会式では衆・参両院の国会議員が参議院本会議場に集まるので、通常は決められている席に本人が着席することはなく、当然多くの立ち見議員が生じる。

開会式の傍聴席は皆礼服を身につけた方ばかりで、職員が傍聴席のブロック順に説明事項を伝える(傍聴席には警備要員と思われる人物が相当数目につく)。13時開会式を控えて12時45分ごろから議員の入場が始まる。

最前列に安倍首相他諸大臣が着席しているようで、議長席を挟んで両側には燕尾服を着た議員(?)たちが直立し、大島衆議院議長や赤松副議長も控える。議場内ではあちこちで肩を叩きあって挨拶をしたり、握手をする議員たちの姿が見られるが、入り口付近で数人と挨拶を交わしたがそのままそこに立ち続けていたのは、不倫騒動で民進党を離党しながら無所属で当選を果たした山尾志桜里議員だ。

山尾志桜里議員

13時丁度に天皇が傍聴席から向かって左側の入り口から入場すると、議員、傍聴人は一斉に起立する(開会式中の起立はあらかじめ職員から傍聴者にも伝達されていた)。1分前までの喧騒が嘘のように、千数百名が集まる参議院本会議場は静寂が訪れる。天皇が議会中央に着席すると、大島衆議院議長が式辞を読み上げ、読了後その原稿を天皇に手渡す。

このとき数段の階段を上り下りするのだが、大島衆議院議長は常に天皇に向かい合った姿勢で移動をする。かつて高齢の衆議院議長が、正面を向いたままの階段を下りることが体力的に難しくなり、議長を辞したことがあったことが思い出された。

式辞を天皇に手渡す大島参議院議長

その後天皇が、
「本日、第195回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙による新議員を迎え、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
ここに、国会が、国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」

と式辞を読み上げると議員、傍聴者が礼をし、天皇が参議院本会議場から退出して開会式は終了した。

式辞を読み上げた天皇

この間約15分弱である。議員たちは再び歓談をしながら議場を後にするが、傍聴者はすぐに退出することはできない。天皇が国会を後にしたことが確認されてから傍聴者の退出が許可され、衆議院と参議院のあいだの封鎖も解除される。

画像で眺めるのと実際にその場に居合わせるのでは空気感がずいぶん違った。
以上、国会開会式の報告である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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NUMO ── 原子力マフィアのテーゼ

NUMO(原子力発電環境整備機構)が開く「核のごみ」の説明会で1万円ほどの謝礼金を学生に約束して参加者を集めていた問題で、説明会が11月17日に開かれ、NUMOの伊藤真一理事が「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」と謝罪した。


◎[参考動画]「核のごみ」説明会の謝礼金問題 NUMO理事が謝罪(ANNnews 17/11/17公開)

◆嘘を塗り固めるには「金(買収)」しかない──原子力マフィアのテーゼ1

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

まったく哲学的でも美学のかけらもないテーゼ1は、しかしながら原子力マフィアの間ではある種の不文律、「絶対原則」の一つともいえる行動原理である。

班目春樹元原子力安全委員会委員長が最終処分場をめぐっての2005年のインタビューで「最後は金目でしょ」、また石原伸晃元環境大臣も2014年6月23日、福島第一原発事故による汚染土中間処理施設建設問題の際に「最後は金目でしょ」と示し合せたように同じ発言を繰り返している。原発4機爆発=人類史上初の大事故の前も後も彼らの本音は「買収すればなんとかなる」であり、二人の発言はぶれておらず、失言でもなんでもない。

◆嘘は大きいほど騙しやすい──原子力マフィアテーゼ2

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017
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にしても、もう少しコソコソする“慎み”くらいは演技でもいいから繕わないのか。そもそも全く科学的ではない最終処分地探しのインチキ地図に「科学的特性マップ」などと平然と命名する神経は「嘘は大きいほど騙しやすい」―原子力マフィアテーゼ2―に基づいているのだが、あまりにも荒唐無稽の度が過ぎる。NUMOは「放射能濃度の高いものは、地下深くの安定した岩盤に埋設し、将来にわたり隔離する『地層処分』が必要です」と主張している。

高濃度汚染物が何十万年にもわたって放射能を出し続けることは科学的に明らかになっている事実だが、一方日本列島のどこにも数十万年にわたり「安定する岩盤」がないことは昨今の地震を見るだけでわかる。人類の文明史などいくら遡ってもせいぜい数千年が限界なのだ。この島国で最も古いとされる紙にしたためられた文章「日本書紀」でも西暦720年に書かれた(つまり1300年ほど前)に過ぎない。

誰が数十万年後までの「安定した岩盤」を保障できるのだ? この問いに答えられない時点で日本における「高濃度汚染物地層処分」は破綻しているのであり、「科学的」というならばその前提の上で議論や計画を立案せねばならない。

しかし、高濃度汚染物処理はこれまで「海中処分」や「北極処分」、「宇宙処分」と行き当たりばったりで、いずれも解決とはならない策が議論されてきたが、危険性の大きさがまる分かりなのでそれらの案は排除され、最後に「ややこしいものは埋めてしまえ。あとのこと?そんな先のこと知るか!どうせその頃、ワシらは死んどるんや!」とやけっぱちになって強引に進めようとされているのが「地層処分」に他ならない。

最近の地震を見るだけでも日本列島はどこでも大地震が起こることは体験済みだが、そのスパンを人類史以上の数万年、数十万年、さらに数百万年と伸ばせばそこには「プレートテクトニクス」により、日本列島全体が「新しい」造山運動の中で誕生し、現在も「動いている」プレート境界の上に位置していることが歴然とする。地殻形成の歴史においては欧州の方が日本列島よりもはるかに古く、それ故安定した地盤で地震が少ない、とされているが、その「地盤が古く安定している」はずのフランスでも地震が発生していることを見れば、「科学的特性マップ」がまったく「科学的」ではないことが容易に理解される。

このような基本的な質問や疑問を投げかけられては困るので「サクラ」として学生アルバイトが動員されたのだ。「サクラ」は従来電力会社社員や、関連企業の社員が担っていたが「コストダウン」の影響か、ここでも「非正規サクラ」に頼るという「新自由主義」のほころびを私たちはいま目にしている。

身内のトップ「原発推進親分」の世耕経産大臣から「下手な芝居」を直々に叱られたたNUMO伊藤真一理事は「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」とまた日本語の曖昧さを悪用しようとしているが、違うだろ。「皆様の不信を招きかねない」ではなく原子力マフィアを含めて「誰も信用していない」のが実態だ。


◎[参考動画]「今と向き合う」 デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/07/26公開)


◎[参考動画]Adfes2017ダイジェスト~「人を動かし、世に響く」。大学広告研究会のNo.1を決めるコンテスト(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/10/18 公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

支離滅裂過ぎる元検事、若狭勝氏は本当に「法律の専門家」なのか?

若狭勝氏公式HPおよびブログより

衆院選に希望の党から立候補して落選した弁護士の若狭勝氏が11月14日、フジテレビ系「バイキング」で「国会議員は不倫をしてはいけないルールを作るべき」という持論を披露した。

番組では、山尾志桜里議員が不倫疑惑の相手である弁護士を政策顧問に再起用したことについて議論。若狭氏は「山尾氏が不倫していたかどうかは別にして」と前置きした上で「国会議員は不倫をしてはいけないというルールを作るべき。不倫したければ、国会議員を辞めるべき」とルールの必要性を説いた。

◆「若狭法務大臣」というお笑い劇は回避できたが……

若狭勝氏公式HPおよびブログより

その理由として「国会議員は国のため、国民のために仕事をしてたら、不倫をしている時間はない。国会議員の不倫は仕事をおろそかにしている証明」と自身が国会議員を務めてきた経験に基づいて熱弁をふるった。

画期的?なルール作り案を聞かされた坂上忍は「なんで落選しちゃったんだよ~」と残念がったが、政治評論家の有馬晴海氏は「(国会議員の)なり手がなくなりますよ!」と厳しいツッコミ。若狭氏は「3分の1ぐらいですよ」と驚きの数字を挙げて不倫議員を推定していた。

※若狭勝氏「ルールを作るべき」国会議員の不倫に持論(日刊スポーツ11月14日付)

東京地検特捜部出身にして、「法律の専門家」を自認した若狭。あまりにも的外れで、程度の低い発案。お笑いタレントからも失笑を買う「国会議員は不倫をしてはいけないルール」とは、よくぞ思いついたものだ。まあ、こんなどうでもよいことを真顔で語っているような「器」だから、まかり間違えば「希望の党」立ち上げメンバーで、あのような稚拙な三流芝居(それは必然的に生じた。なに不思議ない帰結をみた)に乗れたのだろう。まかり間違っていれば、今頃入閣して法務大臣あたりの椅子に座っていたかもしれない、というお笑い劇は回避されたのだ。

◆本来はオーディション段階で「選外」になっているべき人間だった

若狭は「政治ドラマ」の役者を演じるには、資質が決定的に不足していた。まず、若狭は滑舌が悪い。情報の受け手が望む「簡潔な要約」を語ることができない。よくこれで、検察や弁護士、国会議員を務められたものだと、呆れるほどに、「そのへんのおっちゃん」並みに口下手で、何を主張しているのかわからない。小池との新党造りの重責は、世襲や「地盤」、「看板」、「鞄」のない、テレビ評論家としてだけ顔の売れた若狭にしては荷の重すぎる役割であった。イメージチェンジのために髭を剃り落としたところで、急にインパクトの強い発信ができるようになるはずはない。

本来若狭は、小池百合子が仕掛けた「劇場」に登場する役者としては、オーディション段階で「選外」になっているべき人間だ。

さらに、小池からは初期終結した「同志」であるはずなのに、小池が海外出張中に「代表代理」を外されるという、「ダメ」男の烙印まで押され、結局若狭は「政変のキーマン」どころか、自分が落選してしまう(笑)。政治家としての生命はもう終わりだろう。

◆今の若狭は内心安堵しているのではないか

若狭勝氏公式HPおよびブログより

だが、私はむしろ今の若狭は内心安堵しているのではないかと想像する。本来であればまだ維持できた国会議員としての立場を失っても、相変わらずテレビ局は若狭を重用する。特にフジテレビ系列との癒着は明らかだ。上記のような元検察官とは思えない、失笑を買うレベルで「国会議員は不倫をしてはいけないルールを作るべき」と、冗談ではなく真顔で発言できる場所、つまり「テレビコメンテーター」が若狭にはふさわしいのだ。気遣いや、周りの目を気にしながらの議員生活よりも、よっぽど気楽で収入も悪くない。

若狭はテレビから出てきて、テレビに帰っていった。11月14日小池百合子は「希望の党」代表辞任を発表する。既に総選挙でぼろ負けしているだけではなく。先に行われた葛飾区議選挙で「都民ファースト」は公認を5人立てたが、当選は1人だけだ。小池は代表辞任に当たり、当たり障りのないコメントしか残さなかった。

「あんなものインチキですよ」。俳優であり元参議院議員でもある中村敦夫さんを選挙期間中に取材したら、中村さんは希望の党と維新をそう切り捨てた。まことに歯切れがよかった。

若狭は「何事もなかったように」フジテレビ系列のニュースや情報番組に出まくるだろう。小池は築地市場の豊洲移転欺瞞を「東京オリンピック」で隠しながら平然と知事に居座るだろう。嘉田由紀子が滋賀県知事時代に「未来の党」の代表に就任した時期があったが「知事と国政政党の代表が務まるのか」との批判の前に嘉田は「未来の党」代表を辞任した。

他方大阪府知事の松井一郎は「日本維新の会」の代表であり、小池は14日に代表を辞任したとはいえ都知事を兼ねながら国政政党の代表を兼務したが、それは批判の対象とはならなかった。嘉田はびわこ成蹊大学学長の椅子をなげうってまで「希望の党」からの公認を狙い、先の総選挙に出馬したが「希望の党」から袖にされたうえ、落選した。

若狭、小池、嘉田──。こういった連中はあまねく「インチキ」であることが判然としたのがこのたびの政局だ。


◎[参考動画]若さで勝つ!! 若狭勝セミナー (日本海賊TV2017年8月8日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

追悼 塩見孝也さん ── ロシア革命100年の年に逝去された「日本のレーニン」

自宅で仕事をしていると、鹿砦社の編集者から「塩見さんが亡くなりましたので、往時の写真をお送りします」とのメールが入ってきた。送信いただいた方の名前も書かずに「え!うそでしょ!」とだけ書いて瞬時に返信してしまった。

◆塩見さんと鹿砦社『革命バカ一代 駐車場日記』

私は格別塩見さんと親しかったわけではない。お会いしたのは数回だったろう。初めてお会いしたとき、書籍や映画の中でしか知らなかった塩見さんは既に老境の域に入ってはいたが、相変わらず「革命」というべきか「社会変革」と表現すべきか、ともかく「何か」を指向する情熱は衰えていなかった。

ある宴席で「おい田所、タバコ1本くれよ」と言われ、一本進呈し、私がマッチで塩見さんのタバコに火をつけている写真が残っている。残念ながら読者諸氏には個人的(身体障害)理由で拙顔をご覧頂きたくないので、その写真掲載できないが、代わりに(と言っては失礼に過ぎるが)鹿砦社社長・松岡氏との写真をご覧頂こう。

塩見孝也さんと松岡利康(鹿砦社社長)
塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

鹿砦社は塩見さんの著書『革命バカ一代 駐車場日記』を出版している。長期の服役後労働の現場を初めて経験した塩見さんの穏やかな日記帳のような現状報告だ。

◆まだ時代は若者が夢を見ることを許していた

ご本人にお会いする前、私にとっての塩見孝也のイメージは『宿命』(新潮社、高沢皓司)に登場する赤軍(派)議長としての「塩見孝也」であった。『宿命』は明らかに公安筋からの情報提供が多数含まれるなど、内容に数々の問題が指摘される作品であるが、『宿命』の冒頭でのちに「よど号ハイジャック」として世界を震撼せしめた計画を議論する、都内のある喫茶店での塩見さんの描写には、多くの先輩から聞いていた塩見さんの人物像が重なった。

また若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』に登場する塩見さんのイメージ(この映画の塩見さんや田宮高麿氏の配役はかなりミスキャストではあるが)も彼の人柄や思想を想像させる材料となっていた。

砂漠のように干からびた80年代に大学生としての時間を過ごしたものとしては、塩見さんに限らず、名のある闘士や活動家だけではなく、市井の若者が煮えたぎる思いを行動と直結することのできた「時代」が心底羨ましかった。『宿命』のなかには、

「まだ時代は若者が夢を見ることを許していた」

と、その後の時代を冷徹に突き放したフレーズがある。砂を噛みしめるような思いで過ごした80年代の不毛を見事に言い当てている。あのとき砂を噛んでいた私感と共振する。

以下は1969年8月に結成された赤軍(派)が同年9月3日に発した「世界革命戦争宣言」である。

ブルジョアジー諸君!
我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、
ここに公然と宣戦を布告するものである。
君たちの歴史的罪状は、もうわかりすぎているのだ。
君たちの歴史は血塗られた歴史である。
君たち同士の間での世界的強盗戦争のために、
我々の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、
あげくの果ては、がっぽりともうけているのだ。
我々はもう、そそのかされ、だまされはしない。
君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、
我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺害し
ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、
我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ドゴールを殺し、
ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君たちの家々を 爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、
我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある。
  
君たちの時代は終りなのだ。
我々は地球上から階級戦争をなくすための最後の戦争のために、
即ち世界革命戦争の勝利のために、
君たちをこの世から抹殺するために、最後まで戦い抜く。
我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。
君たちは殺されるのがいやなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、後ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔する奴は、
誰でも容赦なく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
世界革命戦争宣言をここに発する

塩見孝也『赤軍派始末記―元議長が語る40年』(彩流社2009年)

「まあ、なんと過激な」とそっけない反応が返ってくることは百も承知だ。「過渡期世界論」や上記の「世界革命戦争宣言」だって「世界」を知らないが故に「暴走」できた理論的には穴だらけのマニフェストと言われても仕方あるまい。それはわかる。

それでも「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」、「君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある」は法外な宣言であろうか?

このマニフェストを書いたのは塩見さんではないが、私は上記の引用は根源的には今日でも有効性を失なっていないと思う。

「やられたらやり返せ」との対等の関係ではない。巨大権力や国家が弱小国家に「戦争」を仕向けるとき、弱小国家は「問題は話し合いで解決しましょう」などという「正しい」論理で地域紛争や、侵略は公平・公正に解決されたのか? ベトナム戦争に米国が敗北したのは、とりもなおさず「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」が実践されたからではないのか。

◆ロシア革命から100年の年に「日本のレーニン」逝く

私は赤軍派でもなければ、どの党派に所属したこともない。学校で強制されるクラブ活動にすら嫌悪観を抱く人間だから、到底「綱領」のある組織などには所属できない。

しかし、塩見さんの生きざまには多くの苦渋や、過ち、辛酸もあろうが、獲得すべき目的を確信し行動した、清々しさを感じる。塩見さんと親しかった先輩は大勢の中では自己の運動について全くと言っていいほど語らなかった。それほどの「負債」があったのだろう。

戦果を派手に宣伝するのは本当の「闘士」ではない。「闘士」は必ず人には語り得ぬ「重荷」を背負っている。これは経験的に確信できる。その点塩見さんは突き抜けていたのかもしれない。なにせ「日本のレーニン」だったのだから。ロシア革命から100年の年に逝去された塩見さん、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

加計疑獄で安倍首相を追い詰めた黒川敦彦氏が11月18日東京で講演

選挙中に配布した黒川氏のビラ(表)
黒川氏のビラ(裏)。消費税全廃を訴えた立候補者は全国的にきわめてまれだった。

総選挙の公示日を目前に控えたある日、携帯電話をとると、「黒川です。いま新幹線で山口に向かっています」と聞き慣れた声が聞こえてきた。

今治加計学園獣医学部問題を考える会の黒川敦彦・共同代表である。今年に入ってから、加計学園疑獄を徹底的に追求し、かずかずの証拠資料を収集してきた人物だ。彼を情報源として、大手メディアや野党議員が問題を追及してきた。筆者も黒川氏からの情報をもとに記事を書いた一人である。

彼とその仲間たちの活動によって、安倍政権が解散に追い込まれたといって過言ではない。

電話を受けた数日前に、立候補を決意したことは知っていたが、こうして安倍晋三首相の選挙区である山口4区に向かう旅の途中で電話が入ると実感がわいてくる。キャリーケースひとつ持って、敵陣営に単身乗り込む姿が目に浮かんでくるようだった。

首相の選挙区で無所属新人が立候補するなど大胆すぎる。結果は惨敗だった。しかし、今回彼が立候補したことは全く意味がなかったことだろうか。12日間の選挙運動中に何が見えてきたか。

そもそも、加計学園問題の行方はどうなるのか。11月10日に設置審が認可するよう答申したことを林芳正・文部科学大臣が発表した。そして11月4日には、早々と認可してしまった。一連の疑獄はまったく解消されていないにもかかわらずに。

そこで、筆者が毎月行っている勉強会「草の実アカデミー」の第100回のイベントとして11月18日午後2時20分から、東京文京区の文教シビックセンター「スカイホール」で、黒川氏の基調講演を中心に集会を開催することにした。「森友・加計告発プロジェクト」の全面的な協力を得ての企画である。

演題は、「安倍晋三総理に真っ向勝負を挑んだ黒川敦彦が語る『もり・かけ追及・総選挙総括・今後目指す道』。

さらに、40年近く日本中で選挙ボランティアとして活動してきた斎藤まさし氏による総選挙全般の総括。つづいて、森友・加計告発プロジェクト共同代表の藤田高景氏が、両疑獄事件の告発の現状を語る予定だ。

◆疑惑の解明はイコール安倍政権の終焉

森友学園疑獄、加計学園疑獄で身動きが取れなくなった安倍政権は、憲法53条に基づく野党の臨時国会招集要求を無視したあげく、9月28日の臨時国会冒頭で衆議院を解散した。まさに「もり・かけ隠し解散」だった。

解散直前の状況を整理しよう。

森友学園では、国有地8億円の値引きの根拠とされたゴミはなかったことが判明し、財務省がそのことを分かっていた。そして売却金額を先に1億3000万円程度にすると決め、その金額に合わせてゴミ撤去費用を見積もっていたのである。

さらには、支払いを10年分納にするレールを敷いたのも財務省側だった。これら一連のことが録音されていた音声データに収められており、その一部がテレビで公開される事態になっていた。これだけでも安倍政権は窮地に陥っていた。

一方の加計学園をめぐる状況はどうであったか。

前川喜平・前文部科学事務次官などの発言でもわかるように、行政がゆがめられていたことが根底にある。

建築見積も内容も見ないまま、建設予定地の愛媛県今治市議会は96億円の補助金を供出する決定をした。ところが黒川氏らに内部告発が設計図面を提供したことから、大幅に建築費を水増ししていた疑惑が浮上してきたのである。

建築費や運営費など総経費の半額を補助金で出すというのであるから、建築費水増しによって当然補助金額が高くなるわけであり、補助金詐取疑惑が生じる。加えて、ずさんな設計によってバイオハザードがほぼ100%起きると専門家が指摘する始末だった。

このような状況で、安倍首相が野党の質問に答えられるわけもなく、そのための解散だった。

したがって、普通に選挙をすれば自民党が負けていた可能性が極めて高いが、周知のとおり与党が3分の2の議席を占める圧勝に終わった。

森友学園問題を日本中に知らしめた木村真・大阪府豊中市議(左)と黒川敦彦氏。11月9日、文部科学省前でともに加計学園獣医学部新設の認可に抗議した。

◆自民党を勝たせた野党の分裂の背景は?

安倍政権が窮地に追い込まれたときに起きたのが、民進党の山尾しおり衆院議員の不倫ゴシップだった。その当時、解散総選挙はないのではないかという見立てもあった。しかし、この山尾事件が明るみに出た瞬間に「解散総選挙をやるだろう」と指摘した人物もいた。野党第一党の民進党をガタガタにし、間髪を入れず解散総選挙に打って出ることで、政権の延命を図ろうとの意図がすけて見えたからだ。

つづいて、希望の党の設立による民進党分裂の第二弾。間髪を入れぬ立憲民主党の立ち上げとなった。さらに無所属で出馬した前民進党所属議員もいたから、民進党は4分裂したことになる。

2015年9月の安保関連法制の強行採決以降、野党共闘(民進党・共産党・社民党・自由党)という流れができていた。前原前民進党代表は共産党との共闘に前向けではなかったが、一定の進捗はあったわけで、そのまま選挙をやれば安倍政権への一定の歯止めとなったはずである。

そのような事態を阻止し、もりかけ疑獄を隠し、自民党の敗北を阻止する結果をもたらしたのは、民進党の分裂と希望の党創立だった。誰かがシナリオを描いたのかもしれないが、誰が、いつ、どのようにコトを進めたのかは判明していない。

安倍ヤメロのプラカード(加計学園獣医学部認可に抗議活動 11月9日)

◆これからどうする、どうなる?

このような状況で、黒川敦彦氏は、単身山口4区に乗り込んだわけだ。選挙期間中の10月16日、加計孝太郎理事長の詐欺の幇助容疑で安倍首相を山口地検に刑事告発もし、消費税ゼロを最大の政策として訴えた稀有な立候補者でもあった。

黒川氏は、選挙後にフェイスブックなどで選挙を振り返ってはいるが、18日の集会は、初めての本格的な総括になるはずである。今後の日本の政治を語るうえでも貴重な集まりになるだろう。

基調講演 安倍晋三総理に真向勝負を挑んだ黒川敦彦が語る
    「もり・かけ追及・総選挙総括・今後目指す道」

報告1 今回の総選挙について(斎藤まさし氏、選挙ボランティア)
報告2 森友・加計告発の現状(藤田高景氏、森友・加計告発プロジェクト共同代表)

日時 11月18日(土)14:00開場、14:20開演
場所 文京シビックセンター26階スカイホール 東京都文京区春日1-16-21

交通 東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分 JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分
資料代 500円
主催 草の実アカデミー

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい ── 11・12同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂さん(児童文学作家)講演会、100名の参加で大盛況! 芝田さん、45年振りのキャンパスで語る!

あつっぽく講演する芝田さん
講演レジメ(全員に配布)

このかんたびたびお伝えしてきましたように、11月12日、京都の同志社大学今出川キャンパスで、「70年安保・学生運動、そして児童文学……過ぎ越し45年を振り返り いま生きてあることの意味を問う」と題し、私の先輩にして児童文学作家の芝田勝茂さんの講演会が開催されました。講演の内容は、別紙のレジメに沿って話されました。

学友会倶楽部は、全学自治組織「学友会」解散後、OBの、いわば親睦組織として発足し、毎年今の時期に大学の行事としてなされるホームカミングデーで講演会を開いてきました。今回で5回目となりますが、単にゲストを招いて講演していただくだけでなく、1年に1度ではありますが、集まって、学生時代から培ってきた志を確認し、お互いの現在の活動を知り、また励まし合うということだと私なりに理解しています。

代表は、1964年度生の堀清明さん。堀さんはかつて大きな事故に遭いお体が不自由な中で頑張ってこられ、また今年は2カ月余り入院され、退院されたのは講演会の1週間前でした。かつて「若きボリシェビキ」(古い!)の時代は、人一倍過激で怖い方だったと聞きます。

そのように先輩が頑張っているのに、後輩が安閑としているわけにはいかないでしょう。

ということで、今年は私の発案で、学生時代直属の先輩だった芝田勝茂さんをお呼びすることになりました。

お呼びするに際し、実に37年ぶりに再会しいろいろ話しました。懐かしさと共に、お互いに生き延びてきたことを喜び合いました。

芝田さんは、1971年の三里塚闘争で逮捕され、長い裁判闘争を抱え、生活面含め苦労されながら児童文学の作品を書き続けてこられました。今回、私(たち)の求めに応じ、「初めてで最後」の学生時代の話をされました。一時期、共に活動したこともあり、当時を想起し、ほろっとするところもありました。

ところが、11・12が近づいてくるにしたがい、「はたしてどれだけの方が参加してくれるだろうか」との強迫観念にさいなまれました。宣伝・広報活動にも最大限努めました。同日、10・8羽田闘争50周年記念集会など複数のイベントが重なり、参加者が分散することも懸念されました。実際に、「10・8記念集会に行くよ」と言った方も何人かおられました。ええい、たとえ実行委員だけだったとしても、われわれのできる最大限の取り計らいで芝田さんをお迎えしようと腹を括りました。

そんなこんなで当日朝まで眠れない日が続きました──。

しかし、それは杞憂でした! 当日、会場には続々と参加者が押し寄せてくれました。涙が出そうでした。実行委員も含め100人ほどの参加者でした。10・8記念集会などとバッティングしなかったらなあ……と思いましたが、そんなことを言っていても仕方がありません。

私が最初の挨拶と司会・進行を努めさせていただきました。

開会の挨拶をする松岡

芝田さんのお話は、学生時代の体験から始まりましたので、肯けることばかりでした。やはり学生時代に共に議論し共に行動したことは身に付いています。

芝田さんにしろ、3年前に遙かアメリカからお招きした矢谷暢一郎さん(現・ニューヨーク州立大学教授、学生時代は学友会委員長)にしろ、人一倍の苦労をされました。おふたりに共通しているのは逮捕・勾留、有罪判決を受けたということです。そのご苦労が今に結実しています。私も逮捕・勾留、有罪判決を受け、それなりの苦労はしましたが、それがいいほうに結実しているかどうかはわかりません(苦笑)。

この日、芝田さんの単行本未収録の短編小説3篇を小冊子にし、レジメと共に参加者全員にお配りし喜んでいただきました。また、「S・Kさん」として再三再四くどいほど登場する『遙かなる一九七〇年代‐京都』の完成を目指しました。元々、長年かけて準備してきていたものですが、だらだらしてなかなか進捗しませんでした。ここは、11・12に向けて完成させようと、共著者の垣沼真一さんと意を引き締め編集作業に努めました。なんとか間に合い11月1日に完成し、署名したものを直接芝田さんにお渡しすることができました(奥付の発行日は11月12日)。

この本の底流には、芝田さんの思想が在ります。それは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命は戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(本書第三章「創作 夕陽の部隊」より)
という言葉に凝縮されています。

この作品について芝田さんは直前のフェイスブック(11月7日)で、
「……1973年にノートに殴り書きされた『夕陽の部隊』は、暗黒の闇がすぐそこに来ている刻に、一群の若者たちが得体の知れない怪物と闘う話だ。彼らの論理は、確実な敗北を前にして、ひとはいかに生きるのかという、ある種の美学にすぎないように思える。現世に、なにがしかの獲物の分け前を求めるのではなく、夕陽の金色の残照に、どのように煌めくのかという、それだけのために、醜怪の極に向かって突っこんでいく、最後の突撃隊。だが、『敵』とはいったい、誰のことなのだろう?……主人公の青年が、その後に辿り着いたところ、そこでどんなことがあったのかをも含めて、今の若い方々にも聞いていただければ、と思う。決してノスタルジーを語るつもりはない。それらのすべてが、『今』に意味を持っているのかを、わたしも知りたい」
と書かれています(『夕陽の部隊』は『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています)。

荒井由美の時代の名曲「いちご白書をもう一度」(1975年)からも42年経ちました。世に出たのは、芝田さんや私が失意のなか京都を離れる頃です。月日の経つのは速いものです。〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい──。 

最後になりますが、私の無理を聞き入れ「初めてで最後の講演」をしていただいた芝田さん、本講演の実行委員のみなさん方、会場に足を運んでいただいた皆様方に、心よりお礼申し上げます。

多くの方々で埋め尽くされた会場

(松岡利康)

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

「立憲主義」という名の後退

立憲主義という用語が流行りだして数年経つ。もとから憲法学では有名な概念だったが、安保法制の頃から急激に人口に膾炙するようになった。「立憲デモクラシーの会」という学者有志の団体ができたし、「立憲」を名前に冠した政党が野党第一党となった。

立憲民主党党首の枝野幸男氏は結党時に以下のように述べている。 

枝野幸男オフィシャルサイト(http://www.edano.gr.jp/)より

「立憲という言葉は、古めかしい、分かりにくいという意見もあります。しかし、どんな権力でも、憲法によって制約をされる、憲法によって一人ひとりの自由と人権を守る。この立憲主義というのは、近代社会において、あまりにも当たり前のことだから、特に戦後70年、私たちの国では、あまり言われませんでした。残念ながらというべきかもしれません。ここ数年、立憲主義という言葉をもう一度思い出さなければならない、そんな状況になっている。それが、今の日本です。立憲主義は、確保されなければならないというのは、明治憲法の下でさえ前提でした。少なくとも、大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました。戦前の主要政党、時期によって色々名前若干変化しているんですが、民政党と政友会という二大政党と言われていたそれぞれ、頭に「立憲」が付いていた。立憲主義は、あの戦前でさえ、ある時期まで前提だったのです
 
◆天皇機関説事件──立憲と天皇の緊張関係

枝野氏は立憲主義は戦前の一時期まで前提であったと述べている。しかし、大日本帝国憲法と日本国憲法とでは決定的に違うことがある。天皇に対する扱いだ。前者では主権者であり、後者では象徴になっている。前者の大日本国憲法下では主権者である天皇に対しての緊張関係が立憲主義の大きな成果といってよかったのに対し、戦後の日本国憲法では天皇は象徴に過ぎず、ほとんど考慮しなくてもいい存在だ。

美濃部達吉の新聞記事

立花隆は『天皇と東大Ⅲ』で天皇機関説事件について詳述している。この本の中で、戦前最大の憲法学者であった美濃部達吉が天皇機関説事件の騒動の中、取り調べで持論であった詔勅批議について聞かれる部分がある。詔勅批議とは天皇の詔勅の是非を議論し、批判していいかということを指している。この部分が非常に天皇機関説以上に目を付けられていたようなのだ。

天皇機関説では「国民代表機関たる議会は内閣を通して天皇の意思を拘束しうる」(日本大百科全書ニッポニカの解説より)としていたため、美濃部達吉は天皇機関説の帰結から天皇の詔勅を批判してもよいとしていた。当時の少数説ではあったが、今聞いても筋の通った大変勇気ある議論だ。戦前立憲主義の精髄と言っていい。

ただ、美濃部はこの論理展開でいくと天皇の名前だけで出されている教育勅語(他の詔勅はその起草者が天皇のサインの横に副署しているが、教育勅語にはそれがない)も批判可能でダイレクトに天皇批判してしまうことに気づき、取り調べの中であわてて一部訂正した。この訂正により美濃部は不敬罪の起訴猶予となった。美濃部ですら訂正せざるを得なかったところに時代を感じる。

木下尚江

◆木下尚江──明治期の立憲ラディカル

天皇機関説事件より以前の明治時代には、立憲政治について美濃部よりさらにラディカルな発言をしていた者もいる。日露戦争に反対していた木下尚江だ。木下尚江は田中正造が足尾銅山鉱毒事件に関して明治天皇に直訴したことに関してこのように書いている。

「(田中正造の直訴は)立憲政治の為めに恐るべき一大非事なることを明書せざるべからず、何となれば帝王に向て直訴するは、是れ一面に於て帝王の直接干渉を誘導する所以にして、是れ立憲国共通の原則に違反し、又た最も危険の事態とする所なればなり」(「社会悔悟の色」、『六合雑誌』第253号、1902年1月15日)
  
◆現在の「立憲主義」者たち

翻って今の「立憲主義」者はどうか。前回の記事で触れたように、安保法制を批判しながら、個別的自衛権を大きく拡張したうえでそれを合憲とみなす枝野氏といい、熱烈な天皇主義者になった「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人の一人内田樹氏といい無茶苦茶だろう。

立憲民主党結党時の枝野氏が「戦前のある時期」と言っているのがいつのことを指しているのかわからない。しかし弁護士資格を持つ枝野氏の大学時代の恩師が憲法学者の小嶋和司だそう(Wikipedia情報なので不確かだ)なので天皇機関説事件の概要と重大性ぐらいは知っているはずだ。これは推測でしかないのでわからないが、もし天皇機関説事件のことを指しているのであれば、なぜ明言を避けたか。この時期に天皇が関わるようなことを言っても今時の「リベラル」は特に反応もしないし、票にもならないとわかっていたからだろう。

そもそも天皇の「お言葉」なるものを受けて国会議員がわざわざ審議し法制化した時点で憲法違反の疑いが強いのに、天皇の退位特例法に枝野氏のいた民進党は賛成していた(枝野氏自身は欠席)。ちなみに民進党以外にも自民、公明、共産、日本維新の会、社民が賛成していたからほぼ全てが賛成である。


“天皇退位”特例法案が衆議院通過(ANNnewsCH 2017年6月2日公開)

右派の評論家池田信夫氏がTwitterで「だいたい「立憲主義」なんて、「憲法改正反対」の旗を降ろしてしまった左翼が、その言い換えで持ち出した言葉にすぎない。自衛隊も安保も認める立憲主義なんて、それこそ与太話だ」と指摘しているが、この現状ではこう嘲笑されても仕方がないというべきだろう。

現状がまるで戦前のようだという指摘がある。その危機感は共有できる。が、戦前にも木下尚江をはじめとして極めて真っ当な意見の持ち主はいた。彼らは今のたいていの政治家・学者以上に真っ当だっただろう。その彼らの意見が当時全く世にいれられなかったという残酷な事実を忘れるべきではないだろうし、はたして自分たちは彼らを乗り越えているのだろうかということがますます問われてくるだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

安倍〈対米完全服従〉政権──理屈も条約も憲法も「どうでもよい」の真意

トランプと安倍が会談し、その要旨は〈①核・ミサイル開発を進める北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限に高める、②トランプが日米間の貿易不均衡の是正を要求。安倍は経済的対話を通じて成果を出すと説明、③トランプは米国製武器の輸入拡大を求め、安倍も意欲、④安倍が提唱した「自由で開かれたインド太平洋戦略」実現に向けた協力強化で一致。中国への懸念が念頭〉の4点だったと報じられている。

◆ここに理性があるとはどうしても考えられない

トランプが来日すれば「成り上がり実業家」として、商売の話をしてゆくに違いないと多くの人が予想した通り、今回の来日でトランプが日本に迫ったのは「貿易不均衡の是正」(米国産製品をもっと買え!)と、「対北朝鮮全ての選択肢」(戦争も排除しないぞ! 戦争になったらお前ら日本も加勢しろよ!)さらにそのためにはもっと「米国の武器を買え!」との要求だった。安倍は「はいはい、わかってまんがな、親分」とトランプの命令すべてを受け入れた。

別段驚くに値しない、予定通りの「セレモニー」ではある。にしても「すべての選択肢」には明確に「武力攻撃」=「戦争」も包含される。この島国に住む多くの人は本当に「戦争」を許容するのだろうか。望んでいるのだろうか?「北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限高める」のであれば、すでに旧友好国中国との仲も不安定になっている朝鮮が「暴発」する可能性はますます増大する。「暴発」を意図して米国をはじめとするその「友好」周辺諸国がひたすら朝鮮に対する圧力を高めることに腐心しているとしか私には思えない。ここに理性があるとは、どうしても考えられない。

 

◆かくも不可解な安倍政権の対米完全服従姿勢

「もっと武器を買え」と言われて「はいはい、その通りでございますね。幾らでも買わせていただきますわ」との「公約」を先の総選挙で安倍は一度でも口にしただろうか。日米関係は最上にして不可侵の国是だと安倍は妄信している。誰に教えを請わなくても、祖父岸信介が A級戦犯で、本来は連合国により「死刑」を執行されても不思議ではなかった身から、どうしたわけか無罪放免された。それにとどまらず最高権力者にまで、引き揚げてもらった連合国(とりわけ米国)への「恩義」が人格形成に関わっているのだろう。仮に連合国が岸に「死刑」を執行していれば(死刑制度の是非についての議論は別にして)安倍は総理ににまで登りつめることはなかったろうし、安倍のかくも不可解な、対米完全服従姿勢が生じたか、にも疑問符が付こう。

ちょっと抽象的なようだけれども、この相関性を自分に置き換えて考えてみると、あちらさんが、いかに「逆らえない」相手かを想像することができる。連合国の思惑(岸信介の放免)がなければ「今の自分はなかった」。これは安倍にとって取り去ることのできない自己規定の前提と言ってよい。

だから現実も理屈も条約も憲法も、安倍にとって実は「どうでもよい」のだろう。
私たちにとっては比類なき不幸である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

ドナルド&シンゾーが強要する「コインロッカー難民」厳重警戒社会の不快

東京駅に着くと、人混みはいつものことながら、駅のそこここで、外国人観光客に対応している駅の職員や係の姿が目に付く。揉め事の主たる原因は「コインロッカーの封鎖」だ。


◎[参考動画]“異色”補佐官イバンカ氏に熱狂 片や冷やかな海外(ANNnewsCH 2017年11月3日公開)

◆はじまりのオウム地下鉄サリン事件

あれはたしか、1995年オウム真理教の地下鉄サリン事件以降からだったのではないだろうか。一時は駅のゴミ箱が撤去された。以降、要人来日やサミット開催の時に「コインロッカー封鎖」は「あったりまえ」のように行われるようになった。

その否々(是非ではない)はともかく、私たちはもう「厳重警戒」に慣れてしまっているので、ぶったまげるほどのことではないが、事情を知らずに「運悪く」観光旅行にやってきた海外からのお客様にとって迷惑千万だろう。東京駅地下のコインロッカーコーナーには、トラブルを予想して担当者が配置されていたが、傍から見るところ海外からのお客様は英語が母国語ではなさそうで、担当者との間で意思疎通は全く成立していない模様。

大人を折り曲げたら1人入りそうな、大きな旅行鞄を2つも3つも持っての移動は想定していなかっただろうから、お客様にすればホテルへのチェックインまで「どうしてくれるのだ!」という苦情になっていたのだろう。そして残念ながらコインロッカーだけでなく、手荷預かり物所も「閉鎖」されている。

この「厳重警戒」に当たるに駅員さんや警備員さんもさぞご苦労が多いことと拝察されるし、そんなことを知らずやってきた観光客(国内外とも)には「迷惑」以外の何物でもない。


◎[参考動画]President Trump in Japan. President Donald Trump plays golf with prime minister Shinzo Abe (CHANNEL 90seconds newscom 2017年11月5日公開)

◆ドナルド来日で水かさが上がる「厳重警戒」のほうが気持ち悪いぞ!

どこぞの国のロシアの援助で当選したとの報道も絶えない大領領が来日している。首都圏の電車やバスは、年から年中「テロ特別経過中」だけれども、最近の彼らいうところの「テロ」は欧米で爆弾や銃だけでなく自動車を使うという、発想の転換による手法も用いられている。じゃあコインロッカーを封鎖しても無駄じゃないの「経済」的に損じゃないの?

東京を見回してごらんよ。

爆弾や薬物を使って「何事か」を準備している人がいるようには、さらさら見えない。そんな団体聞いたこともないし、近年起こる「凶悪事件」のほとんどは個的理由に帰結するように思えてならない。もちろん「あらゆる犯罪は社会的意味を持つ」とのテーゼは今日でも有効だとは思う。だから事件が起きてから「ああだの、こうだの」言い募ることは誰にでもできる(しかしその「ああだの、こうだの」が有効で次なる事件を事前に制止できた例は寡聞にして聞かない)。

それよりも毎年水かさが上がるこの「厳重警戒」のほうが気持ち悪く、実際に迷惑だ。偉大なる大統領さまは瑞穂の国の首相閣下と「ゴルフ」に興じられた由。夜は銀座での会食。銀座はその店だけでなく、近所が(歩道を含めて)立ち入り禁止になっていたぞ。制服警官からなんど「職務質問」受けたことだろう。まま、私たち庶民には関係のねー話でごぜーやすので、親方二人鳩首会談うまいことやってくださいなまし。


◎[参考動画]トランプ大統領来日 横田基地スピーチ Donald John Trump a visit to Japan(nbsc006 2017年11月4日公開)

◆「パナマ文書」と「パラダイス文書」──脱法資本主義と無縁の私たちの自由は?

あれこれうるさいなと思い、ちょっと不機嫌に目を覚ましたら「パラダイス文書」の文字が、朝刊1面に踊っていた。あれあれあれ。また出たぞ。「パナマ文書」はそっけないけど「パラダイス文書」はいい響きだ。

オフショアに税金逃れできる企業は一握りだよね。朝刊では、丸紅、住友商事、日本郵船・大阪ガス、三井住友火災保険、ソニー、生命保険、ソフトバンク・グループ、東京電力、KDDI、UHA味覚糖の名前があがっていた。その他総数日本関連で1056件の記載があるらしい。

コインロッカーの閉鎖に閉口している市民や旅行者。オフショアやタックスへイブン(租税回避地)とは金輪際無縁なわたしたち。ちゃんと読み解いてくれる分析者はいないものか? ロシアの核兵器はNYワシントンに向けられていて、米国ICBMもモスクワやサンクトペテルブルグに焦点を定めている。でも、そういう対立と別の水脈で(どうやらそれらは「国際金融」と呼ばれるそう)片側の大統領が誕生する。国家や資本の概念が徐々に確実に変容している。自由な個人にとっては、なんとも複雑で不快な時代である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

われわれの「いちご白書をもういちど」―― 11・12(日)同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂(児童文学作家)さん講演会へのご参集をお願いいたします! 鹿砦社代表・松岡利康

今や児童文学の世界で確かな地位を築かれた芝田勝茂さんは、私の学生時代の2年先輩にあたります。1970年代前半のことですので、遙か昔のことです。

芝田さんは1968年に同志社大学(文学部国文学専攻)に入学、この頃は、70年安保闘争、教育学園闘争華やかりし時代で、芝田さんも時代の渦に巻き込まれていきます。そうして70年に入学した私と出会い、一時期を共に過ごし、70年代初めに盛り上がった学費値上げ阻止闘争、沖縄-三里塚闘争を共に闘いました。

芝田さんは71年の三里塚闘争(成田空港反対闘争)で逮捕され、以後長い裁判闘争を強いられます。しかし、裁判と生活のために京都を離れ上京、働きながら徐々に児童文学の作品を書き始めます。そうして1981年『ドーム郡ものがたり』でデビュー、83年『虹へのさすらいの旅』で児童文芸新人賞を受賞、そして90年『ふるさとは、夏』で産経児童出版文化賞を受賞し、以降40点近くの作品を出版、児童文学作家としての地歩を固めていきます。

また、私も学費値上げ阻止闘争で逮捕-起訴され、裁判と生活に追われ、芝田さんともなし崩し的に連絡が途絶えていきました。最初の作品『ドーム郡ものがたり』の出版直後一度東京でお会いした記憶がありますが、学生時代以来会ったのはそれ一度でした。

今回、学生時代から45年、81年に一度会ってからも35年ほど経って、なにかの巡り合わせか、同志社大学が年に一度行うホームカミングデーに学友会倶楽部主催の講演会にお招きすることになり再会しました。これも運命でしょうか。

「学友会」とは、各学部自治会、サークル団体を統括する自治組織で、60年安保、70年安保という〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の学生運動、反戦運動の拠点となり、同志社大学はその不抜のラジカリズムで一時代を築いたところです。残念ながら2004年に自主解散し、かつてそこに関わった者らで作られたのが「学友会倶楽部」です。いわば親睦組織のようなものですが、かつての記録集を出版したり、5年ほど前からホームカミングデーで講演会を行っています。

芝田さんは、当時運動に関わり逮捕-起訴された者のほとんどが身バレすれば社会的に不利益を蒙り生きにくくなることからそうであったように、出身大学名や学生時代の活動なども誰にも語らず過ごして来たそうです。

今回、学生時代のことを語るのは「最初で最後」だということですが、共に一時期を過ごしたこともあり、興味津々です。われわれにとっての「いちご白書をもういちど」といえるでしょうか。

この講演会に間に合わせるべく、私なりに当時のことを書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』という300ページになる分厚い本を上梓しました。この底流となっているのは芝田さんと共に過ごした70年代初めの物語と記憶です。こちらもご購読よろしくお願いいたします。

なお、11・12芝田勝茂さん講演会ですが、入場料は無料、先着100名のご参加の方に、単行本に未収録の芝田さんの短編小説3篇を収めた小冊子を進呈いたします。貴重です(将来的にプレミアがつくかもしれません〔笑〕)。

11・12(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書