われわれの「いちご白書をもういちど」―― 11・12(日)同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂(児童文学作家)さん講演会へのご参集をお願いいたします! 鹿砦社代表・松岡利康

今や児童文学の世界で確かな地位を築かれた芝田勝茂さんは、私の学生時代の2年先輩にあたります。1970年代前半のことですので、遙か昔のことです。

芝田さんは1968年に同志社大学(文学部国文学専攻)に入学、この頃は、70年安保闘争、教育学園闘争華やかりし時代で、芝田さんも時代の渦に巻き込まれていきます。そうして70年に入学した私と出会い、一時期を共に過ごし、70年代初めに盛り上がった学費値上げ阻止闘争、沖縄-三里塚闘争を共に闘いました。

芝田さんは71年の三里塚闘争(成田空港反対闘争)で逮捕され、以後長い裁判闘争を強いられます。しかし、裁判と生活のために京都を離れ上京、働きながら徐々に児童文学の作品を書き始めます。そうして1981年『ドーム郡ものがたり』でデビュー、83年『虹へのさすらいの旅』で児童文芸新人賞を受賞、そして90年『ふるさとは、夏』で産経児童出版文化賞を受賞し、以降40点近くの作品を出版、児童文学作家としての地歩を固めていきます。

また、私も学費値上げ阻止闘争で逮捕-起訴され、裁判と生活に追われ、芝田さんともなし崩し的に連絡が途絶えていきました。最初の作品『ドーム郡ものがたり』の出版直後一度東京でお会いした記憶がありますが、学生時代以来会ったのはそれ一度でした。

今回、学生時代から45年、81年に一度会ってからも35年ほど経って、なにかの巡り合わせか、同志社大学が年に一度行うホームカミングデーに学友会倶楽部主催の講演会にお招きすることになり再会しました。これも運命でしょうか。

「学友会」とは、各学部自治会、サークル団体を統括する自治組織で、60年安保、70年安保という〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の学生運動、反戦運動の拠点となり、同志社大学はその不抜のラジカリズムで一時代を築いたところです。残念ながら2004年に自主解散し、かつてそこに関わった者らで作られたのが「学友会倶楽部」です。いわば親睦組織のようなものですが、かつての記録集を出版したり、5年ほど前からホームカミングデーで講演会を行っています。

芝田さんは、当時運動に関わり逮捕-起訴された者のほとんどが身バレすれば社会的に不利益を蒙り生きにくくなることからそうであったように、出身大学名や学生時代の活動なども誰にも語らず過ごして来たそうです。

今回、学生時代のことを語るのは「最初で最後」だということですが、共に一時期を過ごしたこともあり、興味津々です。われわれにとっての「いちご白書をもういちど」といえるでしょうか。

この講演会に間に合わせるべく、私なりに当時のことを書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』という300ページになる分厚い本を上梓しました。この底流となっているのは芝田さんと共に過ごした70年代初めの物語と記憶です。こちらもご購読よろしくお願いいたします。

なお、11・12芝田勝茂さん講演会ですが、入場料は無料、先着100名のご参加の方に、単行本に未収録の芝田さんの短編小説3篇を収めた小冊子を進呈いたします。貴重です(将来的にプレミアがつくかもしれません〔笑〕)。

11・12(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

大阪司法記者クラブ(と加盟社)、そして全マスコミ人に訴える! 報道人である前に人間であれ! 

11月1日、大阪司法記者クラブに鹿砦社代表として記者会見申し込みに訪れた松岡が、申し込みから実質2時間程度で”拒否”された事情は本コラム11月2日でお伝えした。松岡はこの経緯に納得できなかったので、11月2日再度同記者クラブの幹事社である朝日新聞の采澤嘉高(うねざわ・よしたか)記者に電話で尋ねた。

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松岡 鹿砦社松岡と申します。昨夜は失礼しました。昨夜電話いただいた時に打ち合わせ中で聞き取りにくかったこともありまして……。すみません、会見の件なのですけど、聞き違いかもしれませんが「全社一致でやらない」ということになったのですか?
采澤 そうです。
松岡 「全社一致」は加盟社が「全社一致」ということですか。
采澤 そういうことですね。
松岡 加盟社は20数社ほどありますね。
采澤 クラブにいるのは13社なんです。
松岡 13社の方が集まられて、采澤さんが説明されて「やらない」ということになったわけですね。
采澤 そうですね。どの申し入れについてもそうですね。やり方は同じです。
松岡 13社全社集まられた?
采澤 そうですね。たまにいないところもありますけど。いることになっている時間帯に呼び掛けていますので。
松岡 ある社に聞いたのですか、采澤さんが話されて質疑などはなかった。それで資料は詳しくは見ていないとおっしゃっていたのですが。
采澤 それはその方が見ていないだけであって、資料はクラブ内のホワイトボードのところにありますので、見ようと思えば誰でも見られるようになっています。もしその場で資料など見なかったにしても、あとで資料を見て、やはり会見をお願いしたいなということであれば、社によっては言ってくることもありますし、そういう流れですね。
松岡 会見しないことにするのは采澤さんの判断でなされた?
采澤 いえいえ、皆さんで集まってそういうことにしようと。私一人で判断できることではありませんので。
松岡 皆さんのご判断ですね。私としても自分の問題ですのでショックでした。しっかり調べて決めていただきたかったという気持ちはありますね。
采澤 そう思いになるのでしたら各社に個別にアプローチしかないですね。私が幹事社としてできることはもう終わってしまいましたので。どうしても希望されるのであれば各社に聞いていただくしかないとは思いますね。いただいた情報は全部提供してありますし、本も見られる状態にしてありますので。
松岡 ちなみに采澤さんご本人はこれはあまり大したことはないというご認識なんでしょうか?
采澤 いえ、大した問題か大した問題ではないかではなくて。事件1つ1つご本人にとっては大事な問題ですので、大事で大切な問題だと思っていますが「報道するような内容ではない」なと思っただけです。
松岡 例えば本をめくると最初に大学院生がリンチされた写真が出ていると思いますが。
采澤 ありますね。
松岡 あれでも「大したことはない」と。
采澤 「大したことはない」などと私は一言もお話していませんよ。そこははっきりさせておきますけど。「報道する内容ではない」と思ったということです。
松岡 それはどういう意味ですか。僕はあの写真を見て凄くショックだったので、それからこれは助けてやらなければ、思ったんだけど。M君の写真を見て(リンチの場面の録音書き起こしも一部本に収録してありますが)、あれは「報道するほどの問題ではない」というのは理解できないですね。
采澤 だから本を出しているんですね。
松岡 李信恵さんたち。他の裁判をやっている人たちがリンチにも関わっている。李信恵さんは記者会見をやられて、われわれは「報道するほどの問題ではない」と言われると、いかがなものかと思いますね。
采澤 「報道するほどの問題ではない」というか程度を低く見ているのでは一切なくて、「報道するような内容ではない」と思っているだけです。情報として重要とか重要じゃないではなくて、もう「報道するような内容ではない」と思っただけですね。
松岡 そうですか。それは残念なことですね。
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さすが天下の朝日新聞記者である。立て板に水の受け答えは頭脳明晰、瞬時の判断に長けている才を窺わせるが、騙されてはならない。

ヘイトスピーチと称される「言葉」により傷ついた被害者の皆さんは気の毒だ。その点李信恵が複数の提訴に踏み切った判断に取材班は、それ自体には異議もない。であるから「言葉」により傷ついた者が「報道」の目玉になるのであれば、「言葉」に加え複数人による長時間の〈暴力〉にさらされた被害者はより一層心身に傷を負っていることは当然であろう。

けれども、朝日新聞采澤記者はその被害を「報道する内容ではない」と直感し、司法記者クラブに同席する他社の記者も同意している。この判断こそマスコミが”腐った塊”に他ならないことを議論の余地なく示す。松岡が「重大ではないととらえているのか」のかと聞くと「重大ではないなどとは言っていない。重大だろう。だけれども報道する内容ではない」とサラリと言ってのける脊髄反射。ここに修復不可避な致命的論理矛盾があるのだ。

世には「マスコミ論」や「マスコミ批評」といったジャンルの学問分野や雑誌を中心とした「マスコミ・ジャーナリズム」を研究・評論・批判する人々がいる。取材班も折に触れ大手マスコミ批判に言及する。しかし、原則的に考えれば日本では「マスコミ論」、「マスコミ・ジャーナリズム」批評などは所詮そのすべてが意味のないものであることが上記のやり取りの中で凝縮的に明示されている。

マスコミは常に腐っていて、愚民観を内在しながらそれ以上の愚を無自覚に犯し続ける。「権力監視機能」などは幻想であり、一般市民よりも高度な情報や判断力を個々の記者や集合体としての新聞社、テレビ局などが常時蓄えて、それが市民に提供されるなどと考えていたら大いなる誤解だ。

マスコミは口にするのも憚られるような形容詞でしか表現できない”低俗”な娯楽(愚民化に最適な兵器)を主に、「ニュース」や「情報番組」と命名した「断片的で真実には迫らない、誤解を誘導する」情報の散布に熱を上げる。稀に真実に迫るドキュメンタリーなどを放送するが、それは視聴者に対するアリバイ作りと、組織ジャーナリズムの中にごく僅か生息する”普通”の感覚を保持している番組制作者に対する、いっときの「ガス抜き」を与えているにすぎない。優れたドキュメンタリーは、四六時中垂れ流している「娯楽」公害で「愚民化」に余念のない連中の免罪符的意味しか持たない。

われわれはマスメディア研究に重層な歴史的蓄積があることを知っている。知っていて敢えて断ずる。「今日、日本においては、いかなるマスメディア批評も批判も無効である」と。マスメディアは”腐った塊”に他ならず、”腐った塊”は、論を立て、表現を変えあれこれ論評したところで所詮は”腐った塊”でしかないのであり、詩的なノスタルジーや、実現可能性のない「期待」を抱くことなどに寸分の意味もない。

われわれ自身が「無効」と断じている「マスコミ批判」は書きたくないが、やはり言及せざるを得まい。「記者クラブ」は「Tsunami」(津波)、「Karōshi」(過労死)、同様「Kisha club」として国際的に用いられている、日本発の特異文化である。「Kisha club」についての他国研究者の研究論文は多数あるが卑近な例でいえはWikipediaに下記の記述がある

〈Institutions with a kisha club limit their press conferences to the journalists of that club, and membership rules for kisha clubs are restrictive. This limits access by domestic magazines and the foreign media, as well as freelance reporters, to the press conferences.

While similar arrangements exist in all countries, the Japanese form of this type of organization has characteristics unique to Japan, and hence the Japanese term is used in other languages.〉

(取材班訳:記者クラブは所属社以外へは固く門戸を閉ざしている。雑誌、外国メディア、フリーランスは入ることができない。同様の同意事項は他国にもあるが、日本の形態は特異であるので日本語のまま他国でもこの言葉が用いられる)

記者クラブは取材される対象と記者を癒着させ、緊張関係を奪ってしまう機能を果たす。総理官邸で行われる記者会見の様子を読者もご覧になったことがあるだろう。大勢の記者はひたすらパソコンに発言を打ち込む”速度競争”のために両手をキーボードの上で躍らせるだけで、核心を突く質問など出ない。記者クラブは”報道カルテル”と言い換えてもよく、”情報の談合”が行われる場所でもあり、所属すると必然的に記者としての素養が〈堕落〉してゆく役割も担う。末端で堕落した(させられた)記者が動き回る社のトップは定期的に安倍と会食を共にする。マスメディアに「腐るな」というほうが無理なのだ。

そうでない、との反論があるのであれば11月1日、2日に鹿砦社が直面した〈排除〉について整合性を持ち弁明してもらわなければならない。采沢記者の「報道する内容ではない」との即断とそれに全く議論の起こらない大阪司法記者クラブ。不条理ではあるが異常ではない。これが記者クラブマスメディアの真髄、そこに居る記者の誰ひとりとして不条理とは感じない。

そのような人間が集め、加工した情報だけがマスメディアから流布される。賢明な読者諸氏はもうお気づきであろう。ことの深刻さはM君や鹿砦社排除にとどまらない。われわれの日常すべてが、恣意的に加工された情報ばかりに囲まれている。「そんなもんでしょう」と、習い性である異常を微塵も感じず開き直る報道現場の人間たちの弁明には磨きがかかる。彼らが無意識に”愚民観”を隠し味に加え流布する情報に日々低線量被曝のように洗脳される人々。その終着駅にはどんな光景が広がっているだろうか。誰が喜ぶ社会だろうか。右も左もなく「しばき隊」などは情報商品としてつとに消費され尽くし、ごみ箱の中にすら記憶としても残滓はないであろう。

ヘイトスピーチも同様だ。何度繰り返すがわれわれは差別には絶対に反対する。表出する差別は当然反対だが、差別は心の中にも宿る。表出する差別を無理やり抑えれば、より一層陰湿な差別が形を変え弱者を痛めつけのではないか。無責任なマスコミはもう暫くすればヘイトスピーチなどなかったかのように、全く報道しなくなるに違いない。

われわれは「M君リンチ事件」や「鹿砦社排除」を極めて強く注視する。同時にその視線の先には誰しもが無縁ではありえない規格外の破綻が待ち受けていることを予感する。「しばき隊」諸君も含めて。

われわれは、M君のリンチ直後の顔写真を見て、それが「差別」に反対し「人権」を守ると嘯く者ら(李信恵被告ら)によってなされたという冷厳な〈事実〉に対し、人間の感覚を失くし無感覚になった大阪司法記者クラブ(と加盟社)、と共に全マスコミ人に訴えたい! 報道人である前に人間であれ! と。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

鹿砦社の記者会見申し込みを大阪司法記者クラブが全社一致で拒否

李信恵によるツイッター上での度重なる、誹謗中傷を受け、鹿砦社はやむなく大阪地裁に李信恵を相手取り、名誉毀損損害賠償の提訴を行った(第13民事部合議2係、事件番号=平成29年(ワ)第9470号)。

そして11月1日午後、大阪司法記者クラブ(大阪高等裁判所の代表番号06-6363-1281から内線でつながる)に同訴訟の第一回期日である11月9日閉廷後に記者会見を行いたい旨申し入れるため、社長松岡が以下の「会見申込書」を持参し同記者クラブへ赴いた。

(取材班注:文章中の空欄はM君の本名)

松岡は持参した「会見申込書」のほか、記者の参考にしてもらうため、これまで出版した関連書籍や訴状、李信恵の書き込みなどの資料を持参した。裁判所の記者クラブ室に入ると、入り口近くに女性が座っていた。

松岡 「記者会見の申し込みをしたいのです」
女性 「失礼ですがどちら様でいらっしゃいますか」
松岡 「鹿砦社と申します」
女性 「少しお待ちください。幹事社の朝日新聞を呼んでまいります」

その後に現れたのが幹事社、朝日新聞の采澤嘉高(うねざわよしたか)記者であった。

松岡 「申し入れ書を書いてきました」
采澤 「どんな内容なんですか?」
松岡 「私が裁判を起こしました。来週9日が第一回の弁論です」
采澤 「あ、あーはい、はい、はい、はい李信恵さんに対して」
松岡 「あまりにも罵詈雑言がひどいもので訴訟を起こしたので、第一回の弁論のあとで記者会見を開かせていただきたいと思っているんです」
采澤 「わかりました」
松岡 「一通り訴状や資料を揃えてきましたので、参考にしていただいて、是非とも前向きにご検討いただきたいと思います」
采澤 結構大量ですか、それ、資料は?
松岡 大量と言えば大量です
采澤 「書籍があるわけですね」
松岡 「書籍が3冊と訴状などですね」
采澤 「本はどうすればいいんですか?」
松岡 「本は差し上げます。提訴に至るまでの『デジタル鹿砦社通信』という毎日ネットで更新している記事ですが、これも読んでいただければだいたいお分かりいただけると思います」
采澤 「ちょっと一瞬これ読んでいいですか?」
松岡 「どうぞどうぞ」
采澤 「基本的には全社に諮って会見をお願するか否かを決めるという形になります。その結果をお伝えしますので」
松岡 「そうですね。公平に判断して頂ければと思います。資料に目を通していただければ内容はおわかりになると思います」
采澤 「これは提訴されて第一回が9日と。原告は松岡さんご本人ですか?」
松岡 「株式会社鹿砦社です」
采澤 「会社としてですね」
采澤 「内容としては李信恵さんが……名誉毀損ですか?」
松岡 「はい、そうですね」
采澤 「請求原因としてはどの部分なんですか?ツイッター上ですか?」
松岡 「ツイッター上ですね」
采澤 「『クソですね』と発言した部分ですね。そもそも何に対してこの発言だったんですか?」
松岡 「知りませんねそれは。それはご本人に聞いてください」
采澤 「どういう書籍を出されているんですか?『反暴力と暴力の連鎖』ほー」
松岡 「このリンチ事件に関しては3冊出していますね」
采澤 「わかりました。じゃあこちらの携帯にお電話すればいいですか?」
松岡 「そうですね携帯にお願いします」
采澤 「会見する場合はお越しになるのは松岡さんお一人?」
松岡 「この日だったら弁護士も来ると思います」
采澤 「わかりました。じゃあ返事するようにいたしますのでよろしくお願いいたします」

采澤記者は「なるほど、なるほど、ツイッターで誹謗中傷されたんですね? 原告は松岡さんで?」などと一見真摯に受け止めるような態度を示したが、M君も同様に申し込み時には前向きそうな応酬を行いながら、4回も蹴飛ばされているのだ。全く楽観はしなかった。采澤記者は松岡の「携帯に連絡します」といい、申し入れは終了したが、持参した資料は初めて目にする人であれば数時間は要する分量だった。

松岡が大阪司法記者クラブを訪問したのは15時10分前後だ。それから2時間ほど17時過ぎに松岡の携帯電話に采澤記者からの着信記録があった。その時間松岡は仕事の打ち合わせのため、大阪市内において会議中で携帯電話を鞄に入れたままでいたが、19時過ぎに再び采澤記者から松岡の携帯電話に連絡が入る。

「全社一致で記者会見は開かないことになりました」と采澤記者は言い放った。「社会的に(被害者として)注目を浴びている人が加害者になっている事件は報道の対象にならないのですか?」と問うた松岡に、采澤記者は「記者会見を開かない理由は言えません」と答えた。

おかしい。

松岡が大阪司法記者クラブを訪れたのは前述の通り15時10分頃で、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』のほかに資料も持参している。采澤記者が「結構大量ですか?」と聞いた通り1、2時間で読破できる量ではない。

「全社一致で」と采澤記者は告げてきたが、大阪司法記者クラブのある大阪地裁・高裁では連日17時まで公判が行われている。記者クラブに所属している報道機関の全記者が2時間ほどのあいだに持参した書籍や、資料すべてに目を通すことはありえない。否ほとんどの記者は一瞥しただけで資料に目など通してはいないのだろう。

「M君リンチ事件」あるいは「鹿砦社」の名前だけを理由に「記者会見拒否」を「全社一致」で決定したとしか考えるほかない。記者クラブ詰めの記者たちは、誰一人として松岡が持参した資料の詳細を読むことなく「全社一致」で「会見拒否」を決定した。

11月16日、M君が野間を訴えた名誉毀損、損害賠償請求訴訟の高裁判決が言い渡される。偶然にも同日同日李信恵が「保守速報」を提訴した地裁判決も言い渡される。M君は既に「記者会見拒否」を大阪司法記者クラブから言い渡されている。

李信恵の扱いはどうするのであろうか。

万が一M君と鹿砦社を「排除」して、李信恵の記者会見が開かれれば、取材班は大阪司法記者クラブにも照準を合わせねばならない。極めて恣意的な不平等=差別を取材班は座視することはできないからだ。これまでM君に応対してきた記者の中には「事件には社会的関心が薄い」と発言した者がいたが、マスコミが報道しないから社会的関心が喚起されないのではないか!

大阪司法記者クラブ所属各社の記者諸君に伝える。本日鹿砦社は「全社一致」での「記者会見拒否」を言い渡された。間違いはないであろうか?もし「意に反して」の「「全社一致」であれば鹿砦社まで内々にご連絡頂きたい。情報の秘匿は確約する。

そうでなければ、われわれは新たな「言論戦」を大阪司法記者クラブに対しても正面から展開せざるを得まい。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

長年書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』が完成! 渾身の〈政治的遺書〉! 鹿砦社代表 松岡利康

しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま

私たちは1970年に京都の大学に入りました。私は同志社大学、もうひとりの編著者・垣沼真一さんは京都大学—–もう50年近くも前の話です。昔話といえば昔話です。燎原の火の如く燃えた70年安保闘争、学園闘争の火は鎮火しつつあったとはいえ、まだくすぶっていた時期でした。特に京都では同大・京大を中心に意気軒昂でした。まだ沖縄が「返還」されていない時期で、沖縄(返還協定調印‐批准)─ 三里塚(成田空港反対闘争。第一次‐二次強制収用)─ 学費値上げ問題などが沸騰し、私たちも精一杯闘いました。

しかし、その後、叛乱の季節は収束し、連合赤軍の銃撃戦‐リンチ殺人、内ゲバなどで暗い時代に向かっていきます。私たちも、大学を離れ生活に追われ、背負った問題に呻吟しつつ生きてきました。そうして、齢を重ね60代後半に入りました。

このかん、私たちは、かつて背負った問題を整理し書き綴っていくことにしました。数年かけて書き綴りました。私たちなりの覚悟で<知られざる真実>も明かし、偽造された歴史に小さいながらも楔を打ったつもりです。

こうした私たちの意気込みに、尊敬する大先輩の矢谷暢一郎さん(元同志社大学学友会委員長、現ニューヨーク州立大学教授)が海の向うから玉稿を寄せてくれました。

A5判、2段組で300ページの堂々たる分厚い本になりました。ここには、私たちが若かった頃に培い、そして闘い、しかし挫折し背負ってきた<負債>が書き綴られています。どうかご一読され、時代は端境期、当時の<空気>を感じ取ってください。

本書第二章の「創作 夕陽の部隊」という短編小説で、私の当時の先輩のS・Kさんは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命を戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」
と、当時の情況に対し本質を衝いた表現をしています。

60代も後半となり年老いた私たちは、気力、体力も衰え、再びこのような本を作ることはできないでしょう。私たちの最後の<政治的遺書>といってもいいくらいです。ぜひご購読お願いいたします。
  

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』※表紙画像をクリックすればAmazonに飛びます。

遙かなる一九七〇年代‐京都
学生運動解体期の物語と記憶

松岡利康/垣沼真一[編著]
A5判/300ページ/カバー装
定価:本体2800円+税  11月4日発売!
本書は、学生運動解体期の一九七〇年代前半を京都(同志社大学/京都大学)で過ごし
潰滅的に闘った者による渾身の〈政治的遺書〉である。
簒奪者らによる歴史の偽造に抗し、
学生運動解体期=一九七〇年代 ─ 京都の物語と記憶をよみがえらせ
〈知られざる真実〉を書き残す!
[構成]
[特別寄稿]『遙かなる一九七〇年代-京都』の出版にあたって
矢谷暢一郎
第一章 遙かなる一九七〇年代-京都
松岡利康
第二章 [創作]夕陽の部隊
橋田淳
第三章 われわれの内なる〈一九七〇年代〉 甲子園村だより
松岡利康
第四章 七〇年代初頭の京大学生運動--出来事と解釈
熊野寮に抱かれて 
垣沼真一

【おことわり】取次会社などに出荷し、手持ち在庫がなくなりましたので小社へのご注文はお受けできなくなりました。Amazonへご注文をお願いいたします。

ところで、本書は、11月12日(日)に行われる同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂さん講演会に間に合わせることを私なりの義務感として刊行を目指しました。もともと本書は数年前から準備してきましたが、芝田さんとの再会が俄然モチベーションをアップさせました。本書には、芝田さんとの学生時代の日々、そして以降40数年のお互いの苦闘が底流になっています。なぜか? その〝回答〟は本書を紐解いていただければ分かるでしょう。人間、こうした具体的な目標なくしては力が入らないようです。3年前の同倶楽部の講演会に上記の矢谷暢一郎さんをアメリカから招きましたが、ここでも何とか矢谷さんの著書の刊行を間に合わせました。本が完成し京都に届いたのは前日でした。

講演会の内容は別掲の通りです。入場は無料、参加者先着100名様に芝田さんの単行本未収録3篇を収めた小冊子を贈呈いたします。関西近郊の方はぜひご参集ください。

11月12日(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

アウンサンスーチーの民主暴政 ── イスラム教徒ロヒンギャを暴虐する仏教社会


◎[参考動画]Rohingya’s Exodus: A special report on Myanmar(Sky News2017年9月13日公開)

10月3日AFP通信は以下のようにビルマにおけるロヒンギャへの国連の視察の様子を伝えた。

〈国連(UN)は2日、ミャンマー政府の招きでイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)への迫害が問題となっている西部ラカイン(Rakhine)州を視察し、同州におけるロヒンギャの住民の被害は「想像を絶する」と指摘した。 

ラカイン州では8月末、ロヒンギャの武装集団が警察施設を襲撃したことを機に軍が軍事作戦を強化。約50万人ものロヒンギャの住民が隣国バングラデシュに逃れる事態となっている。国民の間で国連や国際NGOはロヒンギャ寄りだと反発が強まるなか、政府はこれまで州内への外国人の立ち入りを厳しく規制してきた。 

外交官や国際NGO職員らを対象に政府が実施した今回の視察ツアーは、国連とミャンマー政府との関係改善を示すものとなった。国連からも3人が参加した。

国連は声明で今回の視察を「前向きな一歩」と評価する一方、「より広範囲に人道支援を行き渡らせることが必要だ」と強調。「人的な被害の規模は想像を絶する」と述べ、「暴力の連鎖」を終わらせるよう求めている。〉(ロヒンギャの被害「想像絶する」 国連、ミャンマー政府の招きで視察)

ビルマの長年にわたる困難、民族問題が最悪に近い形で推移している。近代におけるビルマ政権の成立は、英国の植民地としてのビルマを第二次大戦中に日本軍の「南機関」によって軍事訓練を受けたアウンサン将軍らがバーモウを大統領に就任させ1943年「ビルマ国」の独立を宣言する。しかし「ビルマ国」は満州同様、完全に日本の傀儡政権であったため、日本の敗戦を機にクーデタにより崩壊。現在「ミャンマー」と称している「ビルマ」の建国は1948年とされている。

その建国の父、国民的英雄の娘にして1988年以来軍事政権の弾圧下に置かれていたアウンサンスーチーがビルマの実権を握ったのが2016年3月だった。前年に行われた民政移管後初の選挙でアウンサンスーチーが所属するNLD(国民民主連盟)は8割を超える議席を獲得し圧勝。軍政時代に改正された憲法による規定で大統領には就任できないとの規定から、アウンサンスーチーは「国家顧問」、「外相」、「大統領府大臣」を兼任し、大統領にはティンチョーが就任した。

◆ビルマ軍事政権の民政移管と中国の脅威

アウンサンスーチーの名は国際的に広く知られているが、ティンチョーと聞いて顔が思い浮かぶ読者はどのくらいいるだろうか。現在ビルマ政権は実質的にアウンサンスーチー政権で、ティンチョーは飾り物と言っても過言ではない。20年以上にわたり弾圧を受けてきたNLDであるが、その間に海外に亡命した支持者の間では政治方針をめぐりかなりの論争が巻き起こっていた。NLD海外支部が実質分裂した地域も少なくない。日本に滞在して穏やかに活動していたNLDのメンバーからも、当時深刻な路線問題を聞かされた。

軍事政権が民政移管を決断した理由はいくつもあるが、主として欧米諸国からの経済制裁により、経済の疲弊が著しかったことが挙げられる。1980-90年代には欧米を尻目に、軍事政権に対して突出した援助を行い、ビルマ人からは陰で「犬」と陰口をたたかれ、軽蔑されていた日本は、その後あっという間に中国にその位置をかっさらわれる。中国はビルマに急接近し、多大な経済援助と投資で影響力を高めていった。ビルマ軍事政権にとって中国の影響力の過大な膨張も脅威と受け取られるようになった。

◆軍事政権顔負けの少数民族弾圧を行うアウンサンスーチー

ともかく2016年からアウンサンスーチー民主政権に移行したはずであったが、軍事政権下時代にも顔負けの少数民族への弾圧をアウンサンスーチーは行っている。ビルマにとって民族問題は極めて深刻だ。ビルマ在住の民族は単純に数だけでも100とも130ともいわれる。カレン、シャン、ワ、コーカンなどとは近年も政府軍との武力衝突が起きている。そして仏教徒であるビルマ族によるイスラム教徒ロヒンギャへの襲撃はAFPが伝える通り、隣国バングラディシュに50万人の難民が逃げ出すまで、事態は深刻化している。

ロヒンギャが民族的な集団をさす呼称なのか、宗教文化的な集団を称するものなのかの議論があるが、この地域でロヒンギャ語を使い、イスラム教を信仰している人びとであることは間違いない。そしてロヒンギャと仏教徒衝突、弾圧の歴史は18世紀にまでさかのぼる。根深いと言えば根深い対立と差別に置かれたのがロヒンギャである。


◎[参考動画]Myanmar: Soldiers kill at least four in hunt for border attackers(Al Jazeera English2016年10月12日公開)

◆「人びとの夢」を実現する社会の答えがロヒンギャ「暴虐」だったのか?

100を超える民族が混在する国の行政運営が困難を極めるであろうことは、容易に想像できる。1990年代アウンサンスーチーが自宅軟禁状態で、国際社会から軍事政権に批判が集中していた1998年に私は自宅軟禁中のアウンサンスーチーにインタビューをした。あの時彼女は撮影用のビデオカメラを止め、インタビュー収録が終わったあと、雑談の中で「私の仕事は、人びとの夢を実現することです」とさわやかに語ってくれた。

「人びとの夢」の人びとはビルマ族だけに向けられていたのか? 20年間軍事政権の弾圧で苦しんだあなたの仲間には獄中死や銃殺された人が無数にいることを忘れたか? ユダヤ人のように第二次大戦中に受けた地獄をパレスチナで同様に展開する愚を平然と犯すのか?

アウンサンスーチー、軟禁解除後の初来日は日本財団の招きによるものだった。会場の一聴衆として彼女の話を聞くことは可能だったけれども、足が向かなかった。この来日では安倍晋三や多数の経済人と面談している。

私は過剰な指導力や幻想を抱いているのではない。あなたが主張していた「民族融和」といま行っていることは丸切り逆ではないのか。民族問題の全面解決などとの無茶を期待しはしない。にしてもロヒンギャへの「暴虐」はひどすぎないか。

気のせいだろうか、あなたの目つきは2015年からどんどん濁ってきているように見える。


◎[参考動画]Rohingya crisis, explained(India Today2017年9月13日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号 望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

電通出身脱原発派の曽我逸郎候補 健闘すれど厚かった小選挙区制の壁

曽我逸郎氏のHPより
曽我逸郎氏のHPより

前回取り上げた長野5区曽我逸郎(そが いつろう)候補が残念ながら落選した。当選したのは自民党の宮下一郎氏(91,542票)で、2014年前回の衆議院選挙(91,089票)より得票を少し増やした。曽我逸郎氏は宮下氏に次ぐ2番目で、48,588票を獲得した。宮下氏の得票と比較するとやや開きがあるが、希望の党から立候補した中嶋康介氏が前回の衆議院選挙(46,595票)よりやや減の得票を今回獲得(43,425票)したのに対し、曽我氏はそれを上回る得票を獲得した。

中島氏が前回と比較してやや得票を落としたのは、前回まで連合長野のもとで中島氏を支援していた自治労長野が曽我氏を独自に支援していたことが原因の一つと考えられる。自治労長野が連合長野とは違う候補を支援したのは長野県内ではこの5区だけで異例だった。曽我氏は前回共産党推薦で立候補した水野力夫氏が獲得した28,947票に約2万票上積みしたが、及ばなかった。

◆小選挙区制下の一本化をめぐる苦悩

今回の長野5区は死票率が50%を超えた。相変わらず小選挙区制の酷薄さを感じさせる結果だ。曽我氏の支援者によると、「曽我さんも、中島さんが希望の党ではなく立憲民主党や無所属で出馬していたら、今回の出馬はなかったのではないか」とのことだった。他の支援者は中島氏のマニフェストと希望の党との政策のかい離を指摘していた。

曽我氏のスローガンは「安倍政権、小池新党に立ちはだかる」であり、選挙後に出した曽我氏のコメント「今回の選挙を総括すれば、小池百合子氏にかき回されてしまいました。改憲勢力に対抗する一枚岩をつくり上げることができなかったのは、大変残念です。安倍首相と小池氏とは同類であり、そのどちらの陣営にも伊那谷から一議席を与えてはならなかったのに」(公式サイトより引用)とあるのを読む限り、他の候補者が安倍・小池と距離を置いていれば曽我氏は出馬していなかった可能性は高い。

曽我逸郎氏のHPより
曽我逸郎氏のツイッターより

中島氏は希望の党から立候補していたが、集団的自衛権の閣議決定撤回(公式サイトより)を掲げるなど、希望の党のスタンスより左寄りの立場をとっていたので、選挙区での争点がやや不明瞭となった。中島氏は民主・民進党時代に中川村村長選挙で曽我氏や曽我氏の後継候補(現職:宮下健彦氏)を応援していたこともあり、曽我氏も中島氏も互いに悔いの残る結果となったのではないだろうか。

曽我氏の前述のコメントはこういった背景があってのことだろう。もちろん立候補して主張を訴えることは民主主義社会で正当な行為であり、一本化自体が本来邪道であると筆者は考えている。死票を制度上大量に生み出す小選挙区制自体が不本意ながらの一本化を推進しやすい。このような選挙制度は早急に改革されるべきだ。

◆長野県内 自民・希望両党に逆風

長野1区の民進党前職篠原孝が希望の党の公認を蹴り無所属で立候補して圧勝し、2区では希望の党の下条みつ氏が自民党前職務台俊介(長靴事件で内閣府大臣政務官を辞任)相手に辛うじて勝利した。10月23日放送の地元テレビ局の報道によると下条みつ氏はもともと改憲反対を訴えており、社民・共産支持層が一本化する予定だった。しかし、下条氏が希望の党から立候補したため一本化はご破算となった。下条氏が選挙戦の中、党と自身のマニフェストとかい離があるのに、なぜ希望の党にはいったのかを直接説明する一幕もあった。長野県内では中島氏に限らず、希望の党にたいしてかなり風当りが強かったと言っていい。

◆立憲民主党への警戒

以上、希望の党が長野県内で一様に伸び悩んだことに言及してきたが、一方全国的に大躍進した立憲民主党にも不安がある。ジャーナリストの寺澤有氏に枝野氏の原発事故時の発言を受けて“新党「直ちに影響はない」”と揶揄された(原発事故避難者が枝野氏や福山哲郎氏らに向ける不信感を思えば当然である)立憲民主党だが、野党第1党になったのでその影響力は無視できないものとなった。

立憲民主党のホームページをみると「北朝鮮の核実験・弾道ミサイル発射は極めて深刻な脅威であり、断じて容認できない。北朝鮮を対話のテーブルにつかせるため、国際社会と連携し、北朝鮮への圧力を強める。平和的解決に向け、外交力によって北朝鮮の核・ミサイル放棄を訴え、最後の一人まで拉致問題の解決に取り組む」とあり、自民党と全く方針が変わらないものもある。その点、Twitterや候補者アンケートで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の意図を理解し、圧力強化へ同意しなかった曽我氏のほうが筆者としてはまだ筋が通っていると思う。

さらに危険だと思うのが枝野氏の持論だ。「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」と通販生活の記事で述べているが、ここでは個別的自衛権と集団的自衛権の境が限りなく曖昧になっている。

『私にも話させて』ブログを運営している金光翔氏が以下のように過不足なく適切に要約している。

有田芳生議員のツイッターより

「安倍政権が個別的自衛権では不可能として、集団的自衛権の行使を可能にして対処した案件に関して、枝野は個別的自衛権で対処可能、と強弁しているだけの話としかいいようがない。枝野の個別的自衛権解釈(およびその帰結としての憲法解釈)は、安倍政権の解釈論よりもはるかに強引かつ説得力のないものであって、これこそが立憲主義の破壊であろう」(2017年10月19日、メモ59より引用)

同感だ。立憲民主党が大政翼賛会化し、自壊する日もそう遠くないように思われる。

◆追記:有田芳生参議院議員の曽我氏への言及

支持する・しない、好き・嫌いは自由に発言されてもかまわないし、仕事柄むしろ積極的になされるべきだが、「国会でお会いしましょう」と言う前に、とりあえず鹿砦社特別取材班の取材に答えていただきたいと思う。説明責任を果たさないまま応援されると「逆宣伝」になりかねない。応援は本来自由にやればいいので、自分でも理不尽なことを言っている自覚はあったが、選挙期間中強くそう思った。

◎[関連記事]長野5区、曽我逸郎候補(電通出身・前中川村長)のまっとうな戦争・原発・沖縄観(2017年10月20日)

◎曽我逸郎氏公式サイト http://itsuro-soga.com/

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

『NO NUKES voice』13号 望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
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大阪司法記者クラブはなぜ、M君の記者会見を拒否するのか?

11月16日に対野間易通控訴審判決が言い渡されるM君が、大阪司法記者クラブに記者会見を申し込んだが、会見実施を断られた。M君が記者会見を断られたのはこれが4回目だ。どうもおかしい。詳細な成り行きを見てみよう。

M君が野間易通にツイッター上で、本人が望まない姓名や所属大学の名前をさらされた上に、数々の誹謗中傷を受けた被害を大阪地裁に提訴した裁判は野間に罰金11万円の支払いを命じる判決が下された(5月26日)。

しかし賠償金額の少なさもさることながら、判決文にはM君の受けた被害が妥当評価されておらず納得のいかない点も少なからずあったことから、M君は大阪高裁に控訴した(6月8日)。その高裁判決は11月16日に言い渡される。

そして、偶然にもその日は李信恵が保守速報を訴えた訴訟の判決が言い渡される日でもある。同じ日同じ裁判所の中で、地裁、高裁の違いはあれどM君対野間の判決と李信恵対保守速報の判決が交錯するのだ。

野間は10月18日の朝日新聞や産経新聞でもコメントが掲載されるなど、相変わらず大手メディアにも登場が続いているが、M君事件で敗訴したことへの言及は一切ない。真逆に「M君リンチ事件」やM君の対野間裁判勝訴は鹿砦社以外にはごくわずかな例外(「救援」8月10日号紙上における前田朗氏の「反差別運動における暴力」など)のほかには報じる媒体がない。

極めて不思議な現象ではないか。何か「深い闇」があるのか、誰かが操作しているのか、それとも報道関係者は「M君リンチ事件」をまだ知らないのか。

取材班は1年以上この疑問に長らく直面していたが、過日その実態の一端を明かすことになる出来事が起きた。M君は10月18日に、対野間裁判高裁判決(11月16日)後の記者会見を大阪司法記者クラブに申し込んだ。記者クラブは持ち回りで幹事社が入れ替わる。10月18日の幹事社は共同通信で同社の楡金(にれがね)記者が申し込みに応じている。M君は楡金記者に以下のように記者会見を申し込んでいる。

楡金 共同通信の楡金(にれがね)と申します。
M  お世話になります。Mと申します。記者会見の申し込みをしたいのです。
楡金 どういった内容でしょうか。
M  名誉毀損の裁判の高裁判決です。
楡金 どういった内容の名誉毀損でしょうか。
M  ネット上の誹謗中傷です。
楡金 一審判決はどこかに報道されたり?
M  それはありません。
楡金 そうなんですね。ちなみにどなたに誹謗中傷されたのでしょうか?
M  野間易通という方です。きょうの朝日新聞にこの人のインタビューが載っています。
楡金 そうなんですね。一審の結果はどうだったんでしょうか?
M  私の勝訴でしたが、どちらの主張も聞いていない内容でしたので控訴しました。
楡金 主文はどういった内容だったんですか?
M  11万円の賠償命令です。
楡金 もともとの請求額は?
M  220万円です。
楡金 Mさんご自身はどういったご職業の方でしょうか?
M  大学院生です。
楡金 わかりました。大阪府内?
M  いえ○○大学です。
楡金 ○○大学の大学院生でおいくつでいらっしゃいますか?
M  ○○歳です。
楡金 野間易通さんとはどういった関係だったんですか?
M  私も野間氏もヘイトスピーチに対する抗議運動をしていました。その内部で暴力事件があったという話はお聞きになったことありますね。
楡金 あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?
M  そうです。その被害者が私です。その事実を昨年私は公表しました。最初は「週刊実話」という雑誌が報じました。そうしたらどういう経緯かわかりませんけど、その日のうち「週刊実話」はネットに訂正記事を出しました。それでは私は困りますから、事実ではないわけですから。それで李信恵さんの謝罪文を公表しました。そうしたら野間さんらが私の実名を出してネットで誹謗中傷をしたのです。
楡金 ネットというのはツイッターかなにか?
M  主にツイッターですね。
楡金 ツイッターですね。承知しました。それではこれから各社にお受けできるかどうか聞いてみますので。
M  ちなみに判決の日は11月16日13時15分です。
楡金 わかりました。判決後に記者会見したいと。
M  そうです。付け加えておきますと、同じ日に李信恵さんが保守速報を訴えていますね。その判決と同日です。
楡金 わかりました。各社に諮ってみまして、場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども、また結果をお伝えいたしますので連絡先をお願いいたします。
M  はい(電話番号を伝える)
楡金 わかりました。ありがとうございました。ではまたご連絡いたします。
M  ありがとうございます。

午前中に記者会見を申し込んだM君へ午後楡金記者から連絡が入る。

楡金 Mさんでいらっしゃいますか。午前中にご連絡いただきましてありがとうございました。各社に諮ってみたんですけれどもちょっと他の予定との兼ね合いとかもありまして。
M  他の予定とはなんでしょうか。
楡金 各社のあのーそれぞれの判断なので。ごめんなさいそこまで全部把握していないんですけれども。えーっと記者会見として開くっていうのは、ごめんなさいお断りさせていただくんですが。
M  その理由はなんですか。
楡金 各社にご連絡しまして、どうしても記者会見をしたいという判断にはならなかったっていう。
M  だからそれはなぜなのかとお聞きしているのです。
楡金 なぜなのか。そうですね、要望がなかったという以上の理由はないんですが。
M  要望がなかったというのは「小さい事件だから黙っていろ」ということですか。
楡金 そんなことはないんですけれども。
M  ではどういうことですか。
楡金 それぞれの、あのー社さんのご判断ですので。
M  なるほど。その日李信恵さんも判決ですよね。記者会見されるんじゃないですか?
楡金 いや、とくに今のところご連絡は頂いていないんですよ。
M  そうですか。まだ時間がありますからね。
楡金 あーまーそうですね。
M  どちらにしても、記者会見されるのかどうか、直接私は確認しに行きますので。
楡金 あ、わかりました。承知しました。はい、はい。そういうことで当日法廷に行って中には傍聴する記者もいるかもわかりませんが。
M  はい。高裁の84号法廷です。
楡金 もしかしたら判決言い渡し後にお話を聞く記者がいるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
M  はいわかりました。
楡金 すみません。ありがとうございました。
M  はい。

午前中には「場合によっては判決だけ頂いて、囲むって言うことになるかもしれないんですけれども」と各社への確認はするものの、興味を示していた楡金記者からの「記者会見お断り」の回答はいかにも歯切れが悪い。注目すべきはM君が初めて会話を交わした楡金記者が「M君リンチ事件」を「あーはいはい。李信恵さんもかかわっていたやつですか?」と認識していることだ。

彼らは知っている。間違いなく「李信恵さんもかかわっていたやつ」を熟知している。

リンチ事件直後のM君の顔(『人権と暴力の深層』より)

大手マスメディアは、たとえそれが「建前」であったとしても事実に対しては「厳正」であってもらわねば困る。しかし新聞、テレビは一切野間や李信恵の「負の部分」を報じない。なぜなのだ?

楡金記者によると李信恵サイドから11月16日記者会見の申し込みはまだなされていないという。万が一「M君リンチ事件」裁判では原告であるM君は無視され、被告である李信恵の裁判には記者会見を開かれれば、完全な「偏向取材(報道)」と断じるほかない。そんなことはないはずだ。大阪司法記者クラブの記者諸君には「報道人」としての良識があるのだから、もうこれ以上の過ちを「報道人」が繰り返しはしまい。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層――カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

衆院選の暗澹 小選挙区制度が招いた有権者の意識混濁と捻じれた投票行動

NHK2017衆院選開票速報より

相当昔の話だ。自動車免許を取得するために教習所へ通っているときに、当たり前のようで、いまになれば結構含意のある、自動車操作の際の原則を教わった。運転は「認知―判断―操作の連続だ」との原則である。運転者は周囲の状況を視覚で確認し(認知)、その状況ではどのようにハンドルを切るべきか、速度を上げるか下げるかを脳で瞬時に決定(判断)し、手足でハンドルやアクセル、ブレーキに適切な動きを伝える(操作)する。最近自動車教習所でどのように教えられているのかは不案内だが、当時は教習の初期段階で「認知―判断―操作」を講師は繰り返し受講生に説いていた。

なにを分かり切ったことを。と、繰り返される「認知―判断―操作」が耳障りに感じた記憶がよみがえる。「当たり前ではないですか、そんなこと」とまだ心身発達途上であった若年には響く言葉では決してなかったけれども、それが哲学的だなぁと思いだされたのは、今次の総選挙を総括するにあたり、どうも気が進まない原因をあれこれ思案していた際だ。

◆有権者の欲求が消し去られる小選挙区制間接民主主義

小選挙区制における間接民主主義は「認知―判断―操作」の手順を円滑に操作しえない制度ではないか、現況の惨憺たる有様の根本には構造的、また精神的にこの阻害要因がかなり強く作用しているのではないかとの疑義を私は抱いている。

また視点を変えると有権者が持つ要求や欲求が、それを達成するために手段であるはずの投票行動に繋がってはいないように思われる現象に思い至る。そもそも自身の要求がなんであるのか、自分は何を欲しているのか、自分の生活がどうして苦しいのか、客観的には生活が苦しいのに、「みんなそうだから」と理不尽な生活苦を、受け入れてしまう生理や精神がどうして定着したのか。これらにも重大な注意が払われなければならない。

雇用主が下請けに仕事を投げると、斡旋に入る人間が中間搾取を行い、働く人に本来支払われるべき金額が減らされる。請負の構造が二重三重と増すにつれ中抜きの額が増すから、働いた人が手にする賃金は請負構造が重層であるほど、少ないものになる。

間接民主主義、とりわけこの島国においては小選挙区制が導入されて以来、国政選挙で、有権者の要求、欲求が投票行動により反映される原則的な権利が構造的、精神的に破壊されつくされたのではないか。直近の選挙結果はもちろん重大な関心事である。けれども注視されるべきは、どのみち投票行動によって、要求や欲求が反映されることのない制度の定着により、有権者の精神に本来生理的に宿るはずの、欲求や怒り、不満などがあいまいに消し去られている現状だ。

◆小選挙区制導入で崩れさった「選挙制度の前提」

人は多様であるから個別全員の意見を社会に反映させることはできない。それで代議士制度が誕生し、投票による付託で共通項を政治に反映させる。この制度には合理性が認められる。ただし、制度の有効性は、有権者が100%とはいかなくとも一応の納得で自己の態度や要求、欲求を付託できる投票対象が選択肢として準備されていることが条件とされなければならない。民主主義が至上の制度だと私的には思わないけれども、政治は民主的であることが現行憲法では原則とされているのであるから、その原則は堅持されなければ制度の趣旨は無化される。

そして今回の総選挙に限らず、小選挙区制導入に伴い「選挙制度の前提」は崩れさっていた。2割以下の総得票で7割以上の議席を得られるのが小選挙区制度である。

得票を目指す候補者が次第に「現状肯定派」(原則肯定ではない)によって占められるようになることは当然の成り行きだ。多様な価値観などは切り捨てられ、異議申し立て勢力であった諸党派もその主張を「現状」に近づけ得票を狙う。つまるところ原則的な変化などこの制度の下では、起こりようがないのではないか。

NHK2017衆院選開票速報より

◆制度に並走して有権者の覚醒を抑止するマスメディア

制度に並走しマスメディア権力も有権者の覚醒を抑止する役割を進んで担う。それはきのうきょうに始まったものではない。強制によらずとも戦争を喚起し加担した1930年代の新聞の姿と敗戦をまたいでも、何途切れることなく連綿と続くこの島国のマスメディアの根腐れ的特質でもある。にしても報道自由度ランクで「国境なき記者団」により72位という名誉ある格付けを頂いている客観情勢を、それらに囲まれ日々生活をしている人びとは認識しておくべきだろう。この島国の報道自由度は「顕著な問題」(Noticable problems)に分類されている。

よって、今次の総選挙の結果は単一の選挙結果として分析しても優位な意義がなく、問題をはらむ選挙制度、および情報制限下で連続して行われる国政選挙の結実期に、どのような投票行動が見られたかとの視点から冷徹に眺められるのが妥当であろう。

顕著な傾向としては、「有権者の意識混濁と捻じれた投票行動」を見て取ることができる。現象面での結果には言及しない。偶然であろうか、大型台風の直撃が示唆的に語るべき総論(災害)を提示しているのだから。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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長野5区、曽我逸郎候補(電通出身・前村長)のまっとうな戦争・原発・沖縄観

曽我逸郎『国旗、国歌、日本を考える: 中川村の暮らしから』(2014年トランスビュー)

長野5区(飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡)から非常にユニークな人物が立候補している。曽我逸郎(そが いつろう)氏だ。前中川村村長であり、中川村に来る前は広告代理店の電通で勤務していた。学生時代から禅寺に通っており、釈尊の教えが考えのベースとなっているそうだ。

曽我氏は村長時代に「国旗に一礼しない村長」として多くのメディアで取り上げられたことがある。原発問題や沖縄の基地問題にも言及し、これらの問題に関心を持って取り組んでいる全国の市民から支持を集めてきた。

著書『国旗、国歌、日本を考える』(トランスビュー)に村長時代の議会答弁やインタビュー、講演会記録などがまとめられている。曽我氏の考えを知るには大変良い本だ。ここではこの本を含めて曽我氏の戦争・原発・沖縄観をめぐる発言を紹介したい。(強調は筆者による)

◆曽我氏の戦争観──自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ

長野県は戦前満蒙開拓団に最多の人数を送り込んだ県だ。多数の県民が国策に協力し、亡くなった歴史がある。その歴史を踏まえながら曽我氏は国策に迎合する危険性についてたびたび言及してきた。2013年の中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式で国旗の掲揚がなかったこと等に批判があった際、遺族会の方々に配慮しつつ、曽我氏は以下のように述べている。非常に明瞭で勇気ある発言だと思う。

「国のために命を捧げたのだ」と考えることによって、愛する親族の死に意味を与えたい、無駄に死んだのではないと納得したい、という遺族の気持ちはよく分かる。そうとでも考えないと、親族を奪われた理不尽さは収拾がつかない。しかし、遺族のそういったつらい思いが、利用されてきた側面もあるのではないだろうか。私の言いたいのは、顕彰ということだ。戦没者を、国のために命を捧げたとして広く知らしめ讃える。純粋な追悼に顕彰の要素が注入されることで、「国のためになくなった」と、死に意味が与えられる。しかし、同時に、「立派だ、見習うべきだ」という空気も生み出されるのではないか。ひとりの兵士の死が、後に続く兵士らの獲得に利用される。これは日本だけのことではない。世界中で昔から繰り返されてきた手法だ。国旗の掲出は、戦没者・戦争犠牲者の追悼に、顕彰の意味合いを混じり込ませてしまう。それは避けるべきだと私は思う。「国ではない、家族や郷土のために亡くなったのだ、だから顕彰すべきだ」と意見もあろう。しかし、戦争を考えるとき、私たちがしなくてはならないことは、自己犠牲の顕彰以上に、兵士たちを自己犠牲せざるを得ない状況に追い込んだのは何かを、突き詰めて考えることではないか。どこで誰がどういう決定をして、兵士たちは死なねばならない状況に追い込まれたのか。自己犠牲の顕彰よりも、犠牲を強いた側を問うことが重要だ。戦争に至る歴史を検証することである。歴史のどの段階、どういう状況で、誰がどんな決定を下し、どういう結果を導いたのか。それを認識し、今の状況につき合わせて、今を検証しなくてはならない。それこそが戦没者、戦争犠牲者慰霊祭を毎年行う意義であろうし、故郷の暮らしから引き剝がされ、将来の夢や計画を奪われ、異郷の地で悪縁にまみれさせられ、命を奪われた戦没者や、未来と命を絶たれた戦争犠牲者の心に適うことだと信じる。戦没者、戦争犠牲者は、自分たちのような犠牲者を、二度と生み出さないことを願って亡くなったに違いないと思う。ところが、慰霊祭の壇上に国旗が掲げられることで、犠牲を強いた側を問い詰めることに蓋がされてしまう。歴史を検証し今を検証することは、憚るべきことであるかのような空気が醸し出され、自己犠牲の顕彰ばかりが強調されることになってしまう』(2013年7月10日 中川村ホームページ)

◎[参考動画]衆議院選挙長野5区 曽我逸郎より皆さんへ(itsuro soga2017年10月13日公開)

◆曽我氏の原発観──それ(原発PR)をしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです

原発に関しては、中川村と同じく「日本で最も美しい村」連合に所属していた福島県飯館村が原発事故の際深刻な被害を受けたこともあり、曽我氏は飯館村の住民を夏祭りに招待するなど支援・交流を続けてきた。実は電通にいた時、原発のPRの仕事をさせられそうになったのだという。以下はインタビュー記事の一部だ。

――広告会社に勤めていたころ、電力会社の担当になるのを断ったと聞きました。
(曽我)入社して十数年たったころでした。原発のPRはしたくありませんと告げたら、上司が「電気を使っているのに何を言っている」と言うので、「じゃあ会社を辞めます」と答えました。結局、会社には残りましたが、せめて私が消費する電力のうち原発に依存する分を減らそうと意地で階段を上り下りしていました。学生時代に原発施設での被曝労働者の話を小耳にはさんでいたことが背景にあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。誰にも、踏み越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです。(2012年9月21日「朝日新聞」)

現在でも原発問題を語る際、放射線被ばくや原発立地地域の問題は盛んに語られても、原発作業員の問題は比較的語られていないように思われる。原発労働者の実態を、曽我氏は3・11より前に気にかけていたようだ。気にかけただけでなく、実際に行動に移したことは注目に値するだろう。

以上の経緯からか、反原発を唱えてきた元京大助教授の小出裕章氏や城南信用金庫の吉原毅氏等が曽我氏の推薦人として名を連ねており、自由党の山本太郎議員が応援演説に駆けつけている。

◆曽我氏の沖縄観──沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている

沖縄の基地問題に長年取り組んできた現参議院議員の伊波洋一の選挙を応援したり、2015年5月には辺野古の新基地建設に反対するため座り込みに参加するなど、沖縄との関係も深い。2015年12月の中川村の定例議会の答弁では「沖縄は、矛盾に長く苦しめられ、それと闘ってきた分だけ、民主主義が鍛え上げられている。沖縄に学ぶことは、我々自身の民主主義を深めることに繋がる。お仕着せの民主主義ではなく、住民が主体的に声を上げる本来の民主主義のため、自由闊達な村の「空気」づくりを続けていくためにも、今後も沖縄の話題は取り上げていきたい」と発言している。

沖縄の基地偏重の原因を「帝国陸海軍の参謀たちから国の最高指導者に至るまで、敗戦後直ちに、保身やさまざまの理由によって、米軍に寝返ったからだと思います。駐留米軍に国体を護持してもらうため、日本の国土をも差し出しました」とし、その象徴として「昭和天皇沖縄メッセージ」をあげている。(2010年5月27日 中川村公務殉職者慰霊祭)歴史的な観点からの考察もしっかりとしている。

◆反TPP、反モンサント──地方から既成政治に抗う

曽我氏は街頭演説の中で「安倍・小池両氏の考えには共通性があり、選挙後には協力しあい、憲法改正にもつながっていくだろう」と指摘。また森友・加計学園問題で国会が紛糾するなか種子法が廃止されたことにも言及。遺伝子組み換え作物の種子をつくっている巨大グローバル企業モンサント社の種子が流入する危険性を訴えた。

◎[参考動画]2011年2月20日長野県中川村、全村挙げてのTPP参加反対デモ(不利他由仁音2011年2月23日公開)

曽我氏はもともと熱心なTPP反対派で、村長在任中の2011年2月には中川村で地元の商工会・農協、東京のフリーター労組等の協力を得ながらサウンド・デモを行ったこともある。今回の野党再編の「主犯」前原誠司の「GDP比でたった1.5%の第一次産業のために、TPPに乗り遅れるな」の発言を2013年の講演会で批判していた。

曽我氏の主張は、現在の都市部偏重・経済効率優先・格差助長・軍事大国化に突き進む既成政治への抵抗だ。地方からの抵抗が国政を動かすうねりとなっていくことを期待したい。

◎曽我逸郎(そが いつろう)候補(長野5区)公式サイト http://itsuro-soga.com/


◎[参考動画]曽我逸郎さん高森町講演02(信濃のアブマガ2017年10月7日公開)

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

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〈政権交代防止装置〉としての第三極 ── 小池百合子都知事の言動を検証する

小池百合子東京都知事オフィシャルウェブサイトより

選挙直前に小池百合子東京都知事が立ち上げた「希望の党」は、一瞬話題になったが、選挙戦に入って急速に失速しているようだ。

あらためて、中心人物である小池氏が過去にどのような発言をしてきたかを、新聞、雑誌、国会議事録からたどり、人物像を探ってみたい。

◆支配層にとって痛くもかゆくもない第三極

その前に、新党とか第三極と言われる集団について考える必要があるだろう。自民・公明の与党を第一極、それを真っ向から批判する政治勢力を第二極、その中間を第三極と一応定義しておく。

政権交代とは、上記の第一から第二へ移ることを言うが、本格的政権交代を阻止するための政治勢力が第三極という見方もできる。これまでの新党、第三極としては、古くは新自由クラブ、日本新党。比較的新しいところでは、維新、みんなの党などがある。公示直前になって結成された立憲民主党は、いくつもの重要政策で与党と対立しているから、いちおう第二極としてもいいだろう。

今回の希望の党をはじめ、これまでに生まれては消えた政党に政権が移っても、抜本的な社会の変革はないので、日本の支配層にとっては痛くもかゆくもない、形だけの政権交代となる。

それどころか、与党の勝利にさえつながる“効果”がある。意図したかは分からないが、結果として希望の党は、政権交代防止ないし与党敗北阻止の役目になっている。

東京都知事選、都議選、希望の党結党と、旋風を巻き起こしたかに見えた小池氏は、どのような人物か記録しておく意義はあると思う。

◆日本会議との親和性

小池百合子東京都知事は、日本最大の右派組織と指摘される日本会議の国会議員懇談会に所属し、同懇談会の幹事長や副会長を歴任していた。その創立10周年には、「誇りある国づくりのため、皆様の叡智を結集していただけますよう祈念しています。貴会議の今後益々のご発展と、ご参集の皆様の尚一層のご健勝をお祈り申し上げます」(2007年9月13日)と挨拶文を送っている。

もっとも、自身が選挙で当選を重ねて上昇していくために、様々な人物や団体と関係を構築するのが政治家だろうから、社交儀礼的な側面もあるかもしれない。

1992年に日本新党から参院選に立候補して当選して以降、細川護煕元首相を皮切りに、小沢一郎自由党代表、小泉純一郎元首相、安倍晋三首相と、その時々の権力者に近づき、所属政党も、日本新党→新進党→自由党→自民党→離党→希望の党、と変えて階段を昇ってきた。その意味では、小池氏にとって日本会議も、政治家として階段を昇っていくため素材のひとつにすぎないとの見方もある。

だが、過去の言動を検証すると、日本会議の理念と一致点が非常に多く“日本会議度”は相当に高いと見なければならない。日本会議は、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合同して設立された。

前身の「日本を守る会」は1974年に明治神宮など宗教団体出身者らによって設立された。日本会議の役員の3分の1以上が宗教団体関係者であり、その理念は、皇室中心主義、憲法改正、愛国心教育、国防力強化、伝統的価値観の家庭づくりなどである。

日本会議は、復古的政治の下支えをする教育や家庭も重視している。教育基本法改正を訴えたり、夫婦別姓や男女共同参画反対運動を展開してきた。「親学」もその流れにあると言えるだろう。

「親学」とは、日本会議役員が関わってきた「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長・髙橋史郎明星大学教授が提唱する児童教育の概念だ。提唱者の髙橋氏は、親の育て方と発達障害をむすびつける非科学的な論理をたてている。

安倍首相が会長で下村博文元文科相が事務局長として「家庭教育支援議員連盟」(「親学推進議連)は発足。親学に基づく子育てを推進するために立法しようという運動を行ってきたのである。小池氏は、「親学推進議連」のメンバーでもあり勉強会にも参加し、自身の公式サイトにも掲示していたが後に削除した。

◆憲法改正ではなく「壊憲」を主張する小池氏

その右派的言動として分かりやすいのは、2000年11月30に開かれた衆院憲法調査会での発言である。この時は、石原慎太郎氏やジャーナリストの櫻井よしこらが参考人として出席していた。石原氏の日本国憲法破棄論を踏まえたうえで、小池氏はこう述べている。

「結論から申し上げれば、一たん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていく、私はその方が、逆に、今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分をてにおはを変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないかというふうに思っておりますので、基本的に賛同するところでございます」

つまり、基本的人権・平和主義・国民主権という憲法の三大原則を踏まえたうえでの改憲とか改正ではなく“壊憲”するという考えだ。

国防力強化にも熱心だ。14年7月、安倍内閣は集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。外国のために自衛隊を海外に派遣して実力行動の道を開くのだから憲法改正が必要だが、その手続きを経ずに閣議で決めてしまったのは、事実上の無血クーデターともいえる。

この時点から遡ること11年、小池氏は月刊誌『Voice』(03年4月号)で、こう発言している。

「集団的自衛権の解釈変更は、国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」

まさに安倍内閣の閣議決定を先取りしている。さらに、15年に安保関連法性が争点になっていた国会審議でも「ホルムズ(海峡)のみならず、イエメン側の方での機雷掃海だって十分考えられる」と自衛隊の海外活動を政府に迫る、意気軒昂ぶりである。

スパイ防止法制の必要性を強く訴えてもいる。渡部昇一・上智大学名誉教授の対談本「渡部昇一、『女子会』に挑む!」(ワック)に収録された渡部氏との対談に、こんなことが書いてあった。

尖閣列島問題や日本人会社員が中国で拘束されたことに談を進める中で「日本にはスパイ罪がない。これが非常に問題です」「これまでスパイ防止法を作らなかったのは、『どうぞスパイ活動をおやりください』とうサインを送っていたに等しい」と強調している。

かつて自民党は、国家秘密法の名称で成立をはかったが、権力に恣意的に運用される恐れや基本的人権を著しく侵害するとして大きな反対運動でつぶれた。それを小池氏は必要だと強調してやまない。

◆核武装容認、非核都市宣言拒否

きわめつきは、核武装論だろう。月刊誌『Voice』03年3月号で、後に日本会議会長になる田久保忠衛・杏林大学教授(当時)と現代コリア研究所の西岡力との鼎談で核武装発言は飛び出した。

「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安倍晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」

さらに衆議院選挙に際して毎日新聞が実施した「日本の核武装について」のアンケートに「国際情勢によっては検討すべきだ」(毎日新聞03年11月1日付)と答えている。

都知事選でも核武装発言について対立候補の鳥越俊太郎との論戦で、鳥越候補が非核都市宣言すると述べたことに対し「賛成をいたしません。明確に申し上げます」と、自身の考えを明らかにした。

軍事関係では、11年11月26日の衆院本会議の代表質問で、11年度予算案で防衛費が削られていることを批判し、「国防の手段を確保し、必要な防衛関係予算を増額すべきだ」と防衛費増額を主張。武器輸出三原則見直しの検討などについて、「すべて自民党政権時代に議論しその方向を出してきたものばかり」と武器輸出三原則の撤廃も主張していた。

◆「安倍と小池は同じ」を示す過去の記事

以上、国会議事録、新聞記事、雑誌記事など公の媒体に掲載された小池氏の発言を整理してきた。こうした小池氏の足跡を見れば、彼女の理念は日本会議や安倍晋三首相とかなり共通しているのは間違いない。

憲法改正、安保法制支持など、重要な理念や重要政策で安倍自民党と同じ希望の党は、自民党の派閥のようである。本記事冒頭でのべたように政権交代防止、与党敗北阻止の結果を生む可能性が高い。

10月22日、総選挙の結果で今後が見えてくるだろう。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

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