今年は衆議院の解散、総選挙があるようだ。解散は総理大臣の専権事項だから、いつ解散されるのかは、安倍のみが決めることではあるが、永田町の住人たちに聞くと、「おそらく今年中で確実だ」の声が多い。

◆英国EU離脱もトランプ大統領選勝利も二者択一の中での選択

さて、そうなれば衆議院の議会構成図を変える機会が訪れるのだから、常々「最低・最悪」と現政権をなじっている私からすれば、前のめりに、無根拠でも何らかの変化と、できうることであれば自公政権の終焉を夢想したりしてみるのだが、その可能性はあるのだろうか。「いくらなんでもそれはないだろう」と言われた。

ドナルド・トランプが大統領選に勝利し、英国がEUから離脱する決断を2016年世界は目にした。どんなことにだって可能性はあることを私たちは見たのだ。けれども、それらは二者択一の中での選択だったことを忘れてはならない。米国大統領選挙は、ヒラリー・クリントンかドナルド・トランプの選択で、英国のEU離脱は「EU残留」か「EU離脱」を選ぶ。それ以外の選択肢は「棄権」以外にはない投票行動だった。

◆一票の意思表示が妥当な価値で扱われない小選挙区制度

 

解散、総選挙となれば有権者は、支持する候補者と政党の名を書き、それが意思表示(投票)となる。しかし小選挙区制が導入されている現在の選挙制度の下では得票率が獲得議席に比例しない、という構造上のからくりがある。選挙結果がどのように表れたとしても、一票の意思表示が妥当な価値で扱われない制度であり、まずはこの大問題を正すべきではないか。

「金がかかる」といって中選挙区制から移行された小選挙区制であるが、「金がかかる」理由を質したら「自民党内の候補調整に金がかかる」というのが、本当の理由だった(田原総一朗氏談)。まず中選挙区に戻したら少しは不平等が解消されるだろうが、読者はどうお考えだろうか。

◆絶望する根拠[1]──野田佳彦が幹事長の民進党に票が集まる理由なし

そして2017年総選挙になったら、私の期待とは正反対の結果が導かれるであろうことを、残念ながら私はほぼ確信する。それ第一の理由は野党第一党の民進党には、現政権に対する明確な対抗政策がなく、党内には「隠れ自民党員」とレッテルを貼りつけても不足ではないダメダメな奴らが相当数見当たるからだ。原発事故後に「終息宣言」を口にし、再稼働の暴挙を強行した野田佳彦。素人が見たって、最悪のタイミングで「自滅解散」に打って出た大馬鹿者。こんな奴が幹事長として党の中枢でまたぞろ大きな顔をしていれば、自公政権に嫌気がさしている有権者の票が集まる理由がなかろう。

◆絶望する根拠[2]──自民と維新の二者択一に投票意欲がわくはずなし

 

そしてさらに絶望的な根拠の象徴として、大阪を中心とする関西地区での維新勢力の定着である。大阪府11の小選挙区では自民と維新が実質的に議席争いを繰り広げることになるが、現状どうやらそこに他の野党候補が食い込む余地は全くないようだ。自民と維新の選択? 地元大阪では、橋下徹に牽引された「大阪都構想」をめぐって、維新(一部公明)対他の政党という、地域限定のトピックがあったけれども、国政に送り出す候補者を自民か維新のどちらからしか選べないのであれば、そんなものに投票意欲がわくはずがない。

◆絶望する根拠[3]──東京・大阪・大都市圏票の急激な保守・反動化

 

かつて国会議員の選挙では、都市部では革新勢力(今ではこの言葉すら目にしなくなった)が強く、地方では主として農協に支えられた保守が強いという構図が長く続いたけれども、東京都知事に石原慎太郎が就任して以来、この構図は崩れた。

都市部ほど保守・反動が強くなり、野党の小選挙区で議席獲得はむしろ地方に広がりを見せている。これは21世紀に入り、確実に歩みを進め、その速度を増し、右傾化が都市部において地方を凌駕していることの表れでもある。

大した議論もなく、選挙権を18歳に引き下げた、自公政権の自信には「若者の洗脳は完成した」とのメッセージが込められていると、深刻に受け止めなければならない(事実昨年の参議院選挙で18-20歳の投票行動はその通りになった)。

◆元憂歌団の内田勘太郎さんの至言──「(時代を)作っていくのは若い人」

正直に言えば、どうにもならないだろうという結論しか私にはない。しかし、私は我が身一人でがっかりしていればよいのであって、状況が厳しくとも、なんとか打破を実現しようと、汗をかいておられる方々を冷めた目で見るわけでもないし、その逆だ。『NO NUKES voice』第10号で、元憂歌団の内田勘太郎さんが優しい物言いの中、鋭敏なメッセージを発している。

「俺は俺でずっと頑張りますけど。知ったこっちゃない。でも(時代を)作っていくのは若い人だから自分のことを年寄りだとも思ってないですけど『頑張ってね』とだけ言いたいな」

至言なり! さすが芸術の才のある人の言葉は違うと感じ入る。「(時代を)作っていくのは若い人」なのだ。私たち中年や老人がああだの、こうだの言っているあいだは「時代が死んでいる」のだ。新しい発想や行動、そして何よりも、この社会の理不尽に体を震わせるほどの「怒り」が若者から発せられたとき、ようやく時代は動き出すのだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

 

 

  

―― まずは今回の感想を

「そうですね。力及ばずでした。応援して頂いた皆さんにお詫び申し上げます」(パシャ、パシャ、シャッター音とフラッシュを浴びながら)

―― ノミネートされた時点で手応えはありましたか。

「いやぁ。あの時は正直びっくりしましたね。正確にはノミネートされたことを知ったのはかなりあとで、仲間から聞かされたんです」

―― ノミネート直後には知らなかった。

「ええ、こう見えて結構忙しいんですよ。貧乏暇無しってやつ。あ、この表現差別になっちゃうかな(笑)。直後に知っていたらアクションはもっと早かったでしょうし、そうすれば結果もね……」

―― 受賞決定前の数日はかなり注目が集まりました。

「はい、激励や叱咤もたくさん頂きました。でも、こういう言い方はどうかなとは思うけど、ノミネートを知ってからは僕たちなりに必死だった。全力で走りぬけた感はありますね。とにかく『受賞』の一助を担いたいと。発表を聞いた時、僕ら全員泣きましたもん」(「本当か?という無言の質問が矢のように飛んでくるが、会場は一応静まっている)。

―― 気鋭の社会学者が芥川賞受賞実現すれば、ボブディランのノーベル文学賞受賞に似ている、という話題もありました。

「あ、それ、かなり意識はしていたんです。あれ見てカッコイイなと。ボブディランは授賞式に参加しなかったじゃないですか。だから彼も『東京で控えてください』と言われていたらしいんですけど、あえて大阪に縛り付けた。詳しくは言えませんが色々考えたわけです。最後はご本人の意向もありますけど」

◆上昇志向を隠しきれない本性を取材班は見抜いていた

―― 受賞の確信はおありになった?

「うーん、確信なんて持てませんけど、なんか天啓(受賞しない)みたいなものはあって。だから僕らは動いたのかな。僕らの中で議論したんですけど、実は彼がかなりの上昇志向なんだと読み解いたんです。たぶん無意識に。 」
  

 

 

  
「『地味に』とか『片田舎でひっそりと』とか『無名』とかそういう言葉が出ちゃうってことは、脳のどこかで真逆のことを発信している神経細胞、生理というか、もうこれは生得的なモノなんでしょうけどそういうものを『持っている』。だから『紀伊國屋じんぶん大賞』受賞のコメントでも『この本の最大の特徴は、何の勉強にもならない、ということだと思います。いちおう社会学というタイトルはついていますが、これを読んでも社会学や哲学や現代思想についての知識が増えることはありません。これは何の役にも立たない本なのです』と書いているんですが、直後に『この本で書いたことは、まずひとつは、私たちは無意味な断片的な存在である、ということと、もうひとつは、そうした無意味で断片的な私たちが必死で生きようとするときに、「意味」が生まれるのだということです』ってかなり断定的な言い方してるじゃないですか。押し付けがましいほどに。僕らから見たらこれは明らかな矛盾ですよ。決定的ともいえる意味の亀裂です。けど彼は矛盾と感じてはいない。これはかなり重要なポイントで、おそらく多くの読者も気づいていないと思うな。でも僕らは、それを見逃さなかった。あ、話それちゃったごめんなさい。確信はなかったけど、受賞に向けて最大限に力を尽くした。これは言い切れます」

―― 作品自体はお読みになりましたか?

「いや、あんなもの読んでる暇ないですよ。それほど悠長な暮らしはしていませんよ(笑)。だって僕たちは毎日、毎日原稿書いて、1本いくらの生活しているわけですから。日雇労働みたいなものです。世間には『読まなきゃ批評しちゃいけない、現場にいなきゃ発言しちゃいけない』と厳しいことを言う人がいるのは知っています。でも選挙で人柄に惚れて候補者に投票するなんてことは、日常的にあるわけです。『小泉現象』なんかまさにそうだったわけじゃないですか。作品から作家に興味を持つ場合もあれば、作家の人となりから作品の受賞を応援することだって許されていいんじゃないでしょうか。まあそのきっかけが僕らの場合偶然にも『M君リンチ事件』への彼の関わりだった訳で、これは大学教員としての見解を聞くべきだ、と思いましたね。僕らはジャーナリズム論を声高に掲げるつもりは全然ないけど、他のメディアが酷過ぎるるでしょ。それは申し訳ないけど断言しますよ。鹿砦社特別取材班なんかたかが10人足らずですが、今の報道状況への疑問は共有していますね。それが取材の根源を支える力にもなっている」

―― 受賞にはいたりませんでしたが、どのくらい貢献されたと思いますか。

「それはわからない、としか言えませんが、言えないこと、書けないことを含めて皆さんが想像される以上に頑張った。まあ、このくらいで勘弁してください」

―― 次回作が気になりますが。

「うーん。ギャラ次第ですかね。冗談ですよ(笑)。だって大学からの給与もあるし、共稼ぎですから、経済的には全然困っていないわけです。テレビ出演なんか準備はそんなにいらない割にギャラはいいし。僕ら日雇いとは違うんです。それからこれは強調したいんだけど、たぶん彼は本業の手を抜く気はないんですよ。研究者としてという意味です。だから次回作は未定でしょうね。と思ったらツイッターで『このたび残念な結果になりましたが、心からほっとしております(笑)。ここまで来ただけでもすごいことだと思います。みなさまのおかげです、ありがとうございました。今後も書き続けていきたいと思います。よろしくお願いします』とか『さあ、飲みに行くで!!!!(笑)みんなほんとにありがとー! また書くから絶対読んでね!!!』とか書いている。このあたりが僕らにはひっかかる。まあ正直と言えば正直な気落ちの吐露でしょうが、こういう言行不一致から人間性が見えてくるわけです」

―― これからも書き続けるということは芥川賞受賞を狙った大学教授ということになりますね。

「それを狙っていたわけです。彼には是非階段を上がって頂いて、著名になって欲しかった。経歴はだいぶ異なるけど、同じ大阪出身の高橋和巳を目指してほしいですね(「無理だよ無理!」の声が飛ぶ)、ああ、じゃあ高橋源一郎くらいにしときましょうか(爆笑)。でも毎年ノーベル文学賞候補になって、何年たっても受賞できない村上春樹って惨めだと思いません?そりゃ本出だしゃ売れるし、海外での翻訳も多いけど、あの露骨な『ノーベル賞欲しいよー』にはこっちが恥ずかしさを感じる。彼にもそうならない保証はないし、そのあたりは今後も注視しますよ」

―― ここまで熱心に応援された理由は何でしょうか。

「たぶん次の編集長には私がなると思っていた。それもありますね」

―― ちょっと意味が解らないんですが。
  

 

 

 
「僕らも解りませんよ。業務時間中のほとんどを『ネットパトロール』に費やしていて、国会前集会の決壊の準備までしていた藤井正美さんにはかないません」

―― ますますわからないんですが。

「しばき隊にそんなこと言ったら『ボケ』、『カス』、『死ね』と言われちゃいますよ(笑)。僕らは体張って仕事してますけど、笑いを大切にしているので(ただうちわネタ過ぎて解りにくいでしょうけど)、時に数人しか笑ってもらえなくても、死ぬほど笑わしたいという変な欲求があるんです。鹿砦社には吉本も手が出せませんしね(笑)」

―― 受賞応援以外にも何か目的があるようにも思えますが。

「『なおさらノーコメント』って言わせたいんでしょ(爆笑)。もちろんありますが、それは鹿砦社の出版物を読んで頂ければわかるのであえて発言するのは控えます」

◆鹿砦社特別取材班の地道な取材は続く

―― 特別取材班の次のターゲットは。

「引き続きこの問題に取り組まざるを得ないでしょう。というよりも、すでに今手一杯なんですよ。もちろん中心は『M君リンチ事件』。問題意識に変わりはありませんが、彼を襲った『しばき隊』が、そろそろ実質的にも力を失ってきている。これはかなり確信を持って言えます。彼らの相方であった『在特会』がおとなしくなって存在意義が揺らいじゃった。そこに『M君リンチ事件』が世に広まったでしょ。一部のコアな人を除いてそりゃ離れますよ。理念なき野合、しかもヒステリックじゃなきゃはじかれる訳でしょ。それからこの取材をしていると最近痛感するんだけれど、事件や自然災害にしてもそこへ向けられる人びとの注目、関心の期間・スパンがすごく短くなっている。これは社会的には良くない傾向だと思います。たぶんマスメディアの影響が大きいのでしょうが、大事件でも、年中行事でもニュースの価値・意味付けに対する感覚が、根元の部分で歪んでしまっている。しかも、マスメディアが持ち札を切るスピードは増すばかり。だから『風化』というのは、あらゆる事象に共通する現代的な問題だと思います。それに抗う意味でもわれわれは原則的に問題を追います。これは本当に地味な作業ですが『M君リンチ事件』は最後までフォローしますよ」

―― ありがとうございました。受賞おめでとうございました。

「いやいや、受賞できなかったじゃないですか」

―― 記者クラブから「芥川賞アシスト特別賞」を鹿砦社特別取材班に授与します。

「え!本当ですか?」

―― はい、副賞は岸政彦氏へ再度の取材依頼です。

「光栄です。次回は前回のように簡単には引き下がりませんよ。岸先生にお伝えください。他のメディアがやらなくて、提灯持ち記事ばかり書けば書くほど、僕たちは燃えるんです。僕たちは権威も権力も怖れませんから。『M君リンチ事件』隠蔽に彼が果たした役割も追い続けます」

(鹿砦社特別取材班)

 

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

1月24日に3年の任期切れで退陣を表明しているNHKの籾井勝人会長については、契約世帯ならずとも世間からさまざまな理由で嫌われていたが、NHK職員たちからも「退陣万歳」の声が出ている。

「NHK近くの居酒屋やカフェバーなどはNHK職員やスタッフの『MS会』と呼ばれる隠語で予約が満杯のようです。『MS会』とはずばり、『籾井会長、さよなら会』のことですよ。とにかく何か籾井会長が暴言や失言をやらかすたびに、友人や知人から嫌味を言われる生活から解放されると思うと安堵のひとこと」(NHK関係者)

NHK全体では「1万人近い職員が働いてるが、地方局のスタッフも渋谷の本部の職員からの誘いで上京して『MS』会に参加する連中もいるようですよ」(同)

そもそも、2014年1月25日の就任会見では「政府が右というものを左というわけにはいかない」「(従軍慰安婦は)どこの国にもあった」「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」など大放言を連発した。ネットは大炎上し、国会でも議員からさんざん追及され、NHK予算は3年連続で全会一致の承認を得られない異例の事態となった。

「例年だとこの時期には、NHK会長が最後に勤務する日は、花束で送りだそうとか、そんな話が局長クラスから持ち上がるのですが、そんな話すらも出ずに『ようやく消えてくれるのか』という声ばかりを聞く。これは極めて異様な事態です」(同)

さかのぼれば、2015年3月には私的なゴルフで乗車したハイヤー代金をNHKに請求していたことが発覚し、マスコミの餌食に。

前出のNHK関係者は「籾井さんでは、マスコミの前に出ていくたびに、受信料の徴収率が落ちるといわれていた。このまま続投されていては組織が持たないので本来、会長を支えるはずなのに胸をなでおろしている経営委員は多いです」とひそかに語る。

「とにかく籾井会長は悪代官の印象が強かったです。携帯の保有者からワンセグ携帯の受信料について裁判を起こされて負けたのに、ただちに控訴。即座に高等裁判所に控訴して『受信料の支払いを主張していく』と昨年10月に息巻いたタイミングでは相当、NHK職員たちが世間にたたかれました。そして無理とわかっているのに執拗に『SMAPの紅白出場』へとこだわり続けた。あれこそ『皆さまに愛される』どころか『皆さまに嫌われる』NHKを作っていくだけ」(同)

さらに、2025年から一部運用していくという新社屋に約3400億円もかけるというバブルな計画も『籾井離れ』を加速させた一因だ。

報道局にいる40代社員は「籾井時代は、彼の覚えがめでたい幹部は、やたらと経費が落ちやすかったようだ。そうした情報にいつもいつも現場の僕らはカリカリしていた。いまだに籾井さんの印鑑がないと経費が落ちずに精査にまわっている、『M経費』と呼ばれるグレーな製作費が数百万あると聞いているが、まあそのまま藪の中だろうな。つぎの上田新会長がまともな運営をしてくれることと祈るよ」と語る。

かくして、NHK本部近郊の居酒屋では「籾井退陣、万歳」の乾杯の声がさぞかし聞かれることだろう。

それでも、籾井会長を評価する声も確かに一部ある。籾井会長は実績として「リオパラリンピックのネットライブ配信」「国際放送の強化」「受信料支払い率80%達成」などと局内で評価して、退任を残念がる職員がいることも確か。

「8Kに加えて4K放送の実施を決断したり、ネットによる同時送信の推進も打ち出した。受信料値下げも検討するはずだったが、やりとげてほしかった」という声もあり「最後の日は式典などで声を聞きたい」という局内から出ているという。

NHK広報に「籾井会長を送り出す式典や花束贈呈はやるのですか」と聞いてみたが、5分近く保留されたうえに「籾井会長に関してそのような情報がきていません」(1月6日18:33)とのこと。

次期会長には、三菱商事の副社長で現職のNHK経営委員・監査委員の上田良一氏が就任となるが、「籾井体制」の垢を洗い流せるか。注目したい。

(伊東北斗)

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

 

 

  
芥川賞第一回は1935年、石川達三の『蒼氓』が受賞している。『蒼氓』が芥川賞第一回の受賞作とは知らなかった。筆の早い石川達三は後に押しも押されぬ文壇の大御所となり、日本ペンクラブの会長まで上り詰めた。ただ、「芥川賞」=「作家としての将来を保証される」かといえば、かならずしもそうではなく、文学の世界では新人作家の登竜門的色合いが濃いとされている。芥川賞に対して直木賞は「受賞すれば生涯食うのに困らない」と言われるだけあって、作家の中でもすでに一定の評価が定まった候補の中から受賞者が決まる。

さて、ごたくをならべるのはここまでだ。いよいよ本日17時に第135回芥川賞の受賞者が発表される。英国のブックメーカー(英国ではあらゆることが賭けの対象となる)が芥川賞受賞者予想を賭けの対象にしているか、英国在住の友人に聞いてみたが「聞いたことないよ」とのことだった。まあそうかもしれない。英国人にとっては賭けるにしても、判断材料が少なすぎるのだろう。

◆宴の場は大阪、十三の「美味しいホルモン焼いている」店にしたかった

でももし、日本で同様の賭けが合法であれば、特別取材班は迷いなく、岸政彦先生の『ビニール傘』にどーんと張る。そして受賞のあかつきには、払い戻し金を手に、受賞記念パーティーを独自に準備する。場所は大阪、十三の「美味しいホルモンを焼いている」店にしたかったが、あいにく昨年10月末で閉店してしまったので、コリアNGOセンターに場所をお借りしてまずは一次会だ。パーティー参加者には『反差別と暴力の正体』で取材対象となった方々も招待しよう。

祭りだ! 祭りだ! 岸先生が文豪への第一歩を歩みだされた記念の日、これを祝わなくて、何を祝う。岸先生の洋々とした前途を祝し、著名人もたくさん招待しよう。有田芳生参議院議員、作家の先輩中沢けい氏、なにかと話題の香山リカ先生、取材班の田所敏夫は絶縁したけれども、この際のりこえねっとの辛淑玉さんにも声をかけよう。あんまり関係ないけど合田夏樹さんも呼ぼう。司会進行は元鹿砦社社員の藤井正美氏にお願いするのがいいだろう。撮影係りは秋山理央氏をおいてほかにはいまい。特別取材班は黒子に徹する。社長松岡もこの日ばかりは裏方だ。

◆お祝いスピーチのトップは李信恵さんしかいないだろう

岸先生「受賞の喜びのご挨拶」に続くスピーチのトップは、やはり先生に一門(ひとかど)ならぬお世話になっている李信恵さんしかいないだろう。李さんも「やよりジャーナリスト賞」受賞作家だからこれで受賞作家同士、さらに友情と信頼が深まることだろう。李信恵さんの『鶴橋安寧』を出版した「編集者の罪は重い」と李さんに憎悪を抱いていた朴順梨さんも、受賞者が岸先生ならば文句はあるまい(あれ? 朴さんが李さんを嫌っていたことって内緒だったっけ?)。先輩作家の中沢けいさんからは「何か不都合な取材や質問を受けた時は『なおさらノーコメント』よ」とユニークなアドバイスが飛び会場が笑いに包まれる。岸先生の笑顔が絶えることはない。

 

 

  

◆「文学におけるヘイト」をテーマに野間さんだって語ってくれる

宴たけなわで登場は、ソウルフラワーユニオンの中川敬さんだ。プロのミュージシャンの生歌が聴けるのも、やはり岸先生の人徳がなせる技だ。中川さんは「騒乱節」を披露してくれ、会場の盛り上がりは最高潮に。参加者の酔いがほどよく回ったところで、「NO HATE TV」でおなじみの安田浩一さんと野間易通さんが「文学におけるヘイト」をテーマにトークショーを披露だ。最近ツイッターで何を書いてもリツイートが激減している野間さんだが、この日ばかりは張り切っている。「調査なくして発言権なし」と国会議員になってもジャーナリスト魂を忘れない有田先生は、控えめにも会場の隅でメモをとっている。スピーチも固辞された。なんと謙虚な方だろう。有田先生の横には寺澤有氏の姿がある。必死で何かを有田先生に語り掛けているようだが、有田先生は取材に忙しく寺澤氏に構っている暇はないらしい(無視か)。合田夏樹さんはいつも通り綺麗どころを口説きまくって、いや、楽しませている。

懐かしいあの顔が見える。シースルーじゃなくてブルーシールでもなくてなんだっけ・・・。えーっと、シズル、違う。シールズだ! 憲法9条2項改憲主義者にして「民主主義ってなんだ」と自問しながら一橋大学の大学院に進学した奥田愛基氏だ。「民主主義ってなにか」わかったのだろうか? 時代の寵児としてもてはやされたけど関西では、司会の藤井正美氏らがコントロールしていて、「極左探し」の名のもと何の関係もない学生2人を「極左認定」しパージ(追い出し)していたシースルー、じゃなかったシールズ。見通しも風通しも悪かったよな。まあいいか。

◆芥川賞受賞記念パーティーのサプライズ

さあ、これで終わると思ったら大間違い。芥川賞受賞記念パーティーにはサプライズがなくてどうする。会場の照明が消えた。ざわつく会場に音声が流れ始めた。

「どっちや!どっちやゴラァ。言うてみぃ オラ(一発大きな殴る音)。言うてみんかい!(一発)。こっち来いコラクソガキ。どヘタレ」、「訴えたらええやんけそれやったら。徹底的にこっちもやったろやないけ。それで俺がパクられても上等やんけお前。売るか売れへんか見てみろや。頭下げへんで。お前なんかに。訴えられたって。あん?お前の味方してくれる奴何人おんのやろのぅ。これで。京都朝鮮学校の弁護団? お前の味方になって もらえると思うか?」

物騒な怒鳴り声が会場にこだまする。闇の中、聞くに堪えないと会場から出ようとする人もいる。怒声はさらに続く。
  
「KさんとかMさんでも誰でもええわ。今おるあいつらも。Iさんでも、Tさんでも男組でも。お? 勝負したろやないけ、それやったら。やるか!? どっちや!? 訴えてみぃやお前!(ドスッという音)おぉ、いつ起訴する?やってみぃ。(一発)コラ。いつや? 明日か? 明後日か? どないすんねん。弁護士事務所ドコ行くねん? どの弁護士行くねん。やってみぃや!コラ (一発)。クソが。やってみぃ、やってみぃ言うとんのやぁお前(一発)。おい。腹くくったから手ぇ出しとんねん、こっちはお前。あぁ? やったらええやんげ、やんのやったらぁ。受けたるからぁ。とことん。お前その代わり出た後、お前の身狙ろて生きていったんぞコラ」

「もうやめましょうよ」岸先生の声が響いた。その時だ。会場の正面左側にスポットライトが照射された。顔を腫らした男性が立っている。「キャー」参加者から幽霊でも見たような奇声があがった。無理もない。男性の顔は腫れあがっているだけでなく、唇は切れて血が滴り、鼻血も出している。男性は無言だ。またしても会場に女性の声が響いた、少し酔ったような口調だ。

「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」

 

 

  

スポットライトを浴びた男性は顔から血を流しながら、岸先生の方へ向かう。手に何かを持っているようだ。岸先生の顔が心なしか蒼褪めている。男性は小さな封筒から紙を取り出した。静まり返った会場で彼はその紙を読みだした。

「『李信恵さんの活動再開は、Mさんが最初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております。どうぞご理解いただき、ご了解いただきますようお願いいたします』これ、受け入れられませんのでお返しします」

紙を封筒に戻すと、少し血の付いた手で男性は岸先生に封筒を手渡した。岸先生の手が震えている。そして先生は消え入りそうな声で男性に語り掛けた。懇願しているようだ。

「これインターネットとかに出さんといてくださいね」。男性は黙って首を横に振った。

しまった! 寝過ごした。変な夢を見た。今日は岸先生の受賞発表の日じゃないか、記者会見抜かりなくこなすぞ。

 

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

増刷出来!『ヘイトと暴力の連鎖』

 

 

  

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive.
If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.

人は強くなければ生きてはいない。
優しくなければ生きているに値しない。

レイモンド・チャンドラーが、代表作『プレイバック』で登場人物に語らせた有名なセリフだ。ハードボイルドの雰囲気を吹かせながら「優しくなければ生きている資格はない」と締めるあたり、チャンドラー節全開で読む者を唸らせる。

さて、このセリフがぴったり当てはまる岸政彦先生がノミネートされた芥川賞受賞者の発表がいよいよ明日17時に迫って来た。謙虚で物静かな岸先生は発表を控えてどんなお気持ちだろうか。岸先生の謙虚さを示す格好のテキストがあった。「紀伊國屋じんぶん大賞2016」を受賞された岸先生のコメント、お人柄がにじみ出ている。

◆「とつぜんこのような大きな評価をいただき、戸惑い混乱するばかりです」

「このたびは過分な賞をいただき、ありがとうございます。これまで、アカデミズムの中心からは遠く離れた大阪の路地裏で地味に生きてきましたが、とつぜんこのような大きな評価をいただき、戸惑い混乱するばかりです」。

「地味に生きてきましたが」、なんて岸先生ファンが見たら「ウソ!! マサヒコ!」と絶叫しそうだ。

「この本の最大の特徴は、何の勉強にもならない、ということだと思います。いちおう社会学というタイトルはついていますが、これを読んでも社会学や哲学や現代思想についての知識が増えることはありません。これは何の役にも立たない本なのです」。

クー!しびれる。凡人の頭には浮かばないセリフだ。「これは何の役にも立たない本なのです」などという「自己否定」と等価な断言。みずからの著作に「いたらぬ部分が多々あって」とか「自分の勉強不足が恥ずかしいです」くらいの恥じらいを見せる人は多々見受けられるが、全共闘の「自己否定」、「大学解体」にも通じそうな(?)この全否定に取材班を含め読者は一発で、ノックアウトされるのだ。

◆「私たちがこの世界に存在することに意味はありません」

「私たちがこの世界に存在することに意味はありません。私たちは路上に転がる無数の小石とまったく同じなのです」。

ウォー! これ後世に残る名セリフじゃないか。フランシス・ベーコンや、カント、サルトルに匹敵する思想の域に岸先生は既に達している。そうか、長年解らなかったけど「私たちがこの世界に存在することに意味」はなかったんだ。「路上に転がる小石」と同じなんだ。なんという大胆な哲学。西田哲学、黒田哲学にも負けない「岸哲学」の真骨頂にただただ感服するばかりだ。

「この本で書いたことは、まずひとつは、私たちは無意味な断片的な存在である、ということと、もうひとつは、そうした無意味で断片的な私たちが必死で生きようとするときに、『意味』が生まれるのだということです」。

なるほど「私たちは無意味な断片的な存在」なんだ。だから「必死で生きよう」としない人はいつまでたっても「無意味」な存在。含蓄が深い。こんな怖い言葉を投げつけられたら「必死で生きよう」なんて普段考えてもいない、取材班のメンバーは「無意味な存在」だらけだと恥じ入るしかない。

何十発も殴られても、ひたすら耐えたM君

 

 

  
◆何十発も殴られても、ひたすら耐えたM君の「生きる意味」

でも、取材班は「必死で生きよう」としている若者を知っている。集団リンチ被害者のM君だ。M君は殴られて右目が腫れて、見えなくなっても、何十発も殴られても、顔を蹴られても、ひたすら耐えに耐えた。

彼は顔をボコボコに殴られたためか、あるいはPTSDのためか、殴られたことは覚えていたが、顔を蹴られたことを忘れていた。刑事記録を紐解く中で、取材班が「おいM君、君殴られただけじゃなくて顔を蹴られてるがな!」と伝えるまでM君にそのことは記憶になかった。「命を守る」のに必死だったのだろう。

岸先生おっしゃるところの「生きる意味」を体現しているのがM君であるが、そんなM君の「生きる意味」をさらに強固にする試練を、岸先生は過去にお与えになっている。事件直後加害者の「聞き取り」に岸先生が同席したことは昨日述べた通りだ。そしてその後加害三者からの「謝罪文」がM君に届く。李信恵氏は謝罪文の中で、「反省の気持ちを表すため、ツイッターもフェイスブックも休止しました。また、新規での講演を引き受けないことにしました。(中略)Mさんの気持ちを考えると自粛することが最善だと思ったからです。それが償いになるとは思っていませんが、自分なりに考えて行動に移しました」2016年(2015年の書き間違いだろう)2月3日付、李信恵氏手書きの「謝罪文」には上記を明言している。

 

◆岸先生が事務局長を務める「李信恵さんの裁判を支援する会」の言

ところが、2015年4月8日付「李信恵さんの裁判を支援する会」の名前で「李信恵さんの活動再開について」と題された文書が代理人を通じて一方的にM君に届けられ、累々言い訳を述べた上で最後は以下のように結ばれている。繰り返すが岸先生は、「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長だ。意思決定に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。

「李信恵さんの活動再開は、Mさんが最初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております。どうぞご理解いただき、ご了解いただきますようお願いいたします」

さすがである。取材班はこれまで「岸哲学」を学んでいなかったのでこの通告がたんにM君への約束を踏みにじる、無茶苦茶な行為としか理解できなかったが、そうではなかった。これは「私たちは無意味な断片的な存在である」前提に立った、岸哲学の真髄がなし得た、ある種の弁証法だったのだ。

常人には理解できないだろうけども、理解できない人がいるとすれば、「岸哲学」を学び直すべきだ。M君がより『意味のある』存在として成長してほしいと願う岸先生が、われわれの思いつかない深い愛情でM君に試練をお与えになったのだ。必死で生きることを余儀なくされた『意味のある存在』であるM君にとって、岸先生は恩師かも知れない。

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

 

 

  
岸政彦先生は龍谷大学で教鞭を取る社会学者として有名だ。『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(2013年)、『街の人生』(2014年)、『断片的なものの社会学』(2015年)と毎年優れた著作を出版しておられる。『断片的なものの社会学』では「紀伊國屋じんぶん大賞2016」を受賞されている。CiNii(学術論文検索データベース)で検索すると59件の論文がヒットする。非常に研究熱心な岸先生は業績も秀でているといえよう。

◆たぐいまれなる情熱と能力に脱帽

学生に講義をして、専門分野の研究に汗をかき、さらに小説まで手掛けておられるのだから岸先生のたぐいまれなる情熱と、能力には脱帽するしかない。テレビ出演や新聞への寄稿も多い。

そして忘れてはならないのがそんな多忙の合間を縫って、「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長まで引き受けておられる献身性だ。学者たるもの机上で論文を書き連ねるだけでなく、それを社会に還元するのが使命だろうが、岸先生はそれを実践している。ご立派、研究者のかがみだ!

しかも岸先生は勇敢だ。「M君リンチ事件」直後にコリアNGOセンターで行われた加害三者(李信恵、エル金、凡各氏)への「聞き取り」にも足を運んでいる。社会学者にとってフィールドワークや「聞き取り調査」は基本中の基本。岸先生はその場で加害者達から「真実」を聞き出したに違いない。そして加害三者は過ちを認めM君に「謝罪文」を伝えることになる。

◆2014年大晦日の不思議な出来事

でも、岸先生が加害三者に「聞き取り」を行ってから、M君に謝罪文が届くまでにちょっと不思議な出来事があった。「聞き取り」は2014年12月30日に行われたのだがその翌日、12月31日に凡氏がインターネットで配信していた「凡どどラジオ」に岸先生はゲスト出演していたのだ。「聞き取り」では「真実」を知ったであろう岸先生がその翌日に加害を認めた凡氏の配信に出演しているのは??

この件については辛淑玉氏も凡氏の行動をきつくたしなめている(詳細は『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』をご参照頂きたい)。でも前日に「聞き取り」という名の「民間取り調べ」に参加した岸先生が翌日に罪を認めた人物の配信に出演するのはなんかおかしくはないか? M君がどう思うかをお考えにはならなかったのだろうか。

あ、そうだ、「推定無罪!」。警察に逮捕されても、送検されても判決確定までは皆さん「推定無罪」が社会の常識。だから岸先生は罪を認めた凡氏をも、分け隔てすることなく「事件など無かったかのように」平気で配信に参加されたのだ。そうだ。そうに違いない! でなければ単に言行不一致の誠実ならざる人格となるが、そんなことはない。岸先生の人権原則を踏み外さない「推定無罪」を体現して下さった姿勢に、取材班はあらためて先生の偉大さを痛感する。

え? でも凡氏は関西大学で岸先生が教えていた頃の教え子だって? 嘘でしょ。公正な社会学者として、岸先生がそんな個人的事情を優先するはずがない。絶対にない! じゃあこの写真を見ろって?

え? これ岸先生「紀伊國屋じんぶん大賞2016」祝賀会での凡氏との2ショット? 事件のあと? うそだ。信じない。この写真は加工されたものに違いない! 凡氏はM君への謝罪文で活動停止を約束していたじゃないか。

岸先生はそんな人じゃない(はず)。まだきょうは芥川賞候補者だけど、19日の17時には、晴れて「芥川賞受賞作家」になるんだ。岸先生は清廉潔白、公正無比な聖人だ!

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

鹿砦社特別取材班は1月19日17時を心待ちにしている。『反差別と暴力の正体』巻頭グラビアに登場した、あの岸政彦先生の『ビニール傘』がノミネートされている、第156回芥川賞受賞者が発表されるからだ。今年のノミネートは岸先生のほかに加藤秀行氏『キャピタル』、古川真人氏『縫わんばならん』、宮内悠介氏『カブールの園』、山下澄人氏『しんせかい』と力作ぞろいである。

特別取材班としては、是が非でも龍谷大学社会学部教授にして、「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長である岸先生に受賞して頂き、全国から絶大な注目を浴びる「芥川賞受賞作家」として確固たる地位を築かれることを切に願う。

岸先生は謙虚な方でおられるので、下の写真で受賞を固辞されているようにも見えるが、違う、違う!! これは特別取材班が、岸先生の研究室に「M君リンチ事件」についてお話を伺いに行った際に質問にはお答えを頂けず、記者のIDをスマートフォンで撮影したくせに、「この写真インターネットとかに出さんといてくださいね」と記者に懇願されたお姿である。

 

特別取材班は岸先生のこんなみっともない姿を二度と見たくはない。1月19日には堂々と「芥川賞受賞作家」として持ち前の甘いマスクから、満面の笑顔を見せて欲しい。そして受賞記者会見では記者の質問に堂々と答えてもらおう。天下の芥川賞受賞作家だ。2度もの「ノーコメント」はないであろう。岸先生! 授賞式には伺いますからね。

でも誰が事件について質問するかをここではまだ明かさない。特別取材班はこのかん、社外の大手メディアにも協力者を獲得してきている。司会者が「事前注意」で「今回の受賞に関係のない質問はご遠慮願います」と注意しようがしまいが、受賞会見の様子はニコニコ動画で生中継されるのだ。偉大なる尊師によればドワンゴはけしからん会社だそうだが、そこで中継される岸先生はどんなご様子だろうか。

今から授賞式での岸先生の姿を想像すると興奮を抑えきれない。芥川賞は公営財団法人日本文学振興会、まあ実質的には文藝春秋が仕切っている。芥川賞の選考委員は小川洋子、川上弘美、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美、吉田修一、高樹のぶ子、奥泉光、島田雅彦(順不同)の各氏だ。

特別取材班はどこかの団体とは違うので「文藝春秋に岸先生を推薦するFAXを送ろう」とか「選考委員じかにメールでプッシュしてください。割り振りは以下の通りです」などと読者の皆さんに間違えてもお願いするようなまねはしない。しかし、世は因果なもの。何が起こるかわからないとだけ予測しておこう。

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

まったくよい思い出がない行政機関にどうして「成人」を祝ってもらう理由がある。よい思い出どころか、むごい思いをさせられたあの県にある、あの市が主催する「成人式」になにが有難くてのこのこ出かけて行かなきゃならないんだ。正月に配布された市報には、市長と新成人の座談会が掲載されていた。知っている顔が市長と「若者の未来」をテーマの座談会に、デレッとした表情、馬鹿丸出しで発言している。「へっつ。軽薄な奴め! 行政権力に踊らされて恥知らずだよ」と市報を食卓に放り投げたら「そんな捻くれた考え方をするもんじゃない!」と父親に叱られた。

父親は俺を叱ったが、成人式に出席しろとは言わなかった。年中行事やしきたりを重んじない家風が幸いしたのだろう。時代遅れも甚だしく厳しい躾を幼少時から叩き込まれてきたが、不思議なことに世間では一般的な「七五三」や「お宮参り」といった因習的行事に我が家は全く無関心だった。「サンタクロースなんていないんだよ」となにげなく「教育」されたのは小学校入学前だ。かような子供にとっての「絶望的宣告」も別段珍しくはなかった。でも近年とは桁違いに世間ではクリスマスが騒がれていた当時、子供としては「クリスマスプレゼント」や「クリスマスケーキ」に憧憬を抱いたのも事実で、その根拠「よそはよそ、うちはうち」の絶対宣言が悲しくなかったと言えばウソになる。

なにが「成人」だ。成人がそんなに目出度いか。周りの「新成人」は社会に無関心で恋愛や、ファッション、さもなくば音楽に夢中になっている奴らばかりじゃないか。「成人」なんて20歳になったら急に訪れる激変なのか。違うだろ。「教師」として俺の前に次々現れた「成人」の中で人間的尊敬に値する人は3人しかいなかったじゃないか。世間は景気がいいらしい。それがどうした。俺には何の関係もない。日本の経済侵略がもたらした一時的なあだ花に過ぎはしないじゃないか。俺は相変わらず不機嫌だ。

1月の第二週の月曜に成人の日が移行する前。198X年の1月15日、私はかなりイライラしてどこに身を置いたら一番気持ち素直でいられるか、朝から6畳の下宿で悶々としていた。藤圭子じゃないけど「15、16、17と私の人生暗かった」。俺の成人の日を無視するのも手だけども、気が晴れるような場所か風景はないものか。かといってライブや人だかりに出かける気にはならない。一人がいい。そうだ。若草山の山焼きが今日だ。映像でしか見たことがない若草山の山焼きを見に行こう。火や花火からカタルシスを得られる俺の性格にうまくいくと合致するかもしれない。

サントリーホワイトとウォークマンをポケットに入れ奈良に向かった。若草山を眺めるのに至近の有名な場所ではないが、ベストポディションがあることは以前から知っていた。日頃の若草山は、至極おだやかな女性的ともいえる稜線だが、あの山が燃え盛ったら少しは爆発寸前な俺の気分を慰めてくれるだろうか。私のみが知るベストポディションは奈良市内のある歩道橋だ。私のほかに誰も居はしないだろう。

案の定、日が暮れ切った18時過ぎ歩道橋には誰もいはしない。サントリーホワイトを半分飲み干したのでペースを抑える。ウォークマンで聞いているのはYMOの「東風」、「千のナイフ」のライブバージョンだ。詳しい理由は解らないけど、YMOを中学生時代に耳にしてから、この無感情、無機質でありながら、底にどこかしら「革命」と相いれる旋律の楽曲に俺は、「こいつらやがては世界を取る」を予感した。中でも「千のナイフ」は最高だ。198X年1月15日はサントリーホワイトを友に、日ごろ温厚な若草山が、猛狂いながら燃え上がり、一切の欺瞞を燃やし尽くせ!

やがて山裾からから火の手が上がった。円周があやふやだった赤い輪郭はじりじりと山頂へ向けて炎を滾らせてゆく。ここは若草山からは距離がある。煙の臭いも届かないし、至近で眺めるよりも迫力は格段に落ちるだろう。そんなことは構わない。残りのサントリーホワイトを飲み干すと炎も山頂へ向けての速度が上がる。俺の耳では「東風」が鳴り響く。誰もいない歩道橋の上で腹の底に熱が湧く。かじかむ手先を擦りながら、俺なりの「成人の日」はこれでよかったと少し気持ちよくなった。

「成人」なんて擬制だ。優れた感性は中学生・小学生から老成した賢者にも通じる。違いは言葉を獲得しているか、していないかの違いだけだ。ダメな奴は50になっても60になっても年を重ねるだけで成長はしない。新成人の皆さん、おめでとう。君たちには制度により与えられる「成人」ではなく、自立した精神・哲学を持ち、行動し責任を取る真の「成人」(mature)を目指してほしい。そして希望を切り開けるのは君たちだけだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

年賀状の習慣を止めて10年以上になるが、それでも頂ける年賀状だけには返信する。筆不精で手書きの文字は下手くそな私には、パソコンとプリンターが実にありがたい。のだけれども、年賀状作成に限らず、最近パソコンの作動がどうもおかしい。当初のWindows8は起動も早く操作性に不具合はなかったが、抵抗しても抵抗しても画面に現れる「Windows10」へのバージョンアップ画面に毎回拒否をしていたが、いつの間にか勝手にWindows10へOSが切り替えられてしまった。問題はそれから生じた。

◆「押し付け」アップデートの不快

要らないから拒否しているのに無理やりの「押し付け」に、まず不快な思いをさせられたが、不快な思いにとどまらず、不具合まで不随して押し付けられるはめになったから始末におえない。まず起動が遅い。といっても何分もかかるわけではないから、これは我慢すれば実用問題ない範囲ではあるが、以前より「のろくなった」のは気分がよいものではない。そして困ったことにWordなどの初歩的なソフト利用中に、しばしばフリーズ(画面が白くなり固まる)が発生する。毎日のように駄文を綴っているが、こんな現象はWindows10へ「強制連行」されるまでは経験がなかった。コンピューターに詳しい方に話を聞くと、どうやらこの現象は私に限ったことではなく、多くの人が同様の不具合に手間を割かれ迷惑しているとのことだ。

面倒くさいし、細かいことは解らない。そもそも理解しようという意欲がないから、私にとってパソコンはもう進歩して頂かなくて結構だ。いや私だけではなく、人類全体にとってもこれ以上の情報処理技術進歩は幸せをもたらすものではないだろう。ソフト会社の方々は新たなソフトやOSを開発しないと商売にならないのだろうけども、もうこれ以上は要らない。人工知能も予想変換も音声入力も、便利かもわからないけれども、つまるところ人間が体と頭を使って行うべき動作や思考をアウトソーシングしているわけであり、そんなことを当たり前に続けていればますます、生物として人間の感覚や行動域、思考が退行してゆくのではないか。

◆利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない

利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない。科学技術の進歩は無思想であり、利益と打算、直近の成果が開発者にとっては尺度である。であるゆえに、世紀の大開発ともてはやされる「iPS万能細胞」にも私は疑念を持つ。困難な病に日々苦しむ方々が新薬や「iPS万能細胞」に期待を寄せておられることを承知の上でも疑念は消せない。

万能細胞と遺伝子組み換え技術を軍事的な視点から合体させたらどうなるだろうか。これは夢想ではない。第二次大戦中にヒットラーは北方優越民族(純血のゲルマン人)を創出するために、体格、外見がゲルマン民族として優れた若者を秘密裏に交接させ、「スーパーゲルマン」創出を実際に行っていた。

敗戦によりその目論見は短期間で終了したけれども、今日の為政者の立場で試考してみればどうだろうか。科学技術自体は無思想だが、その開発に関わる人間には思想がある。世界から注目を集める山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長が月刊『HANADA』に登場し、櫻井よしこに歴史を尋ねている。歴史を尋ねる相手がなぜ、極端な歴史修正主義者の櫻井よしこなのか。山中氏はその行為をなぜ全く躊躇していないのか。私には合点がいく。

◆テクノロジー依拠は最小限にとどめる

パソコン、スマートフォン依存による退行は既に散見される。高校の英語の授業では電子辞書が当たり前のように使われているし、タブレットやスマートフォンに向かって「この近くで美味しいランチ」などと急に横で声を出されると、びっくりすることがある。電車の中で携帯電話の通話をするな、というのがこの国の標準的なマナーとされているけれども、小声ならべつに構わないんじゃないか。大声で井戸端会議をやるおばさんたちの規制の方が優先順位は先だと思うが、間違いか。

「近くの美味しいランチ」を探すのはかまわないが、それくらいはタイプしてもたかが数文字じゃないか。音声入力に慣れた方にとっては、たかが数文字のタイピングが面倒なのだろうか。私にはよくわからないけれども、利便性をまとった人間の機能低下を生じさせるテクノロジーの接近にはかなりの注意が必要だと感じさせられる。

と言いながら上記主張とは正反対に、年賀状の作成をパソコンに委ねる私が、何を言っても説得力は無きに等しいか。今年は老化を痛感する身体を、それでも最大限に使ってゆかなければならない、そうでなければ「顰蹙を買う文章を書け!(松岡氏から賜った私の使命)」すら果たせなくなるかもしれない。吠え続けるためにテクノロジー依拠は最小限にとどめようと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

初詣の人波に溢れる、四谷の神社であの人とすれちがった。わたしは下り、あの人は参道から階段に歩を進めてきた。わかった。なぜだかわかった。あの人がやってくる。思い出せない。なんで? あの人なのに。あの人の名前は……。

眼光鋭い狼三頭が低い咆哮をあげている。雪化粧こそないが凍てついた赤い大地が牙をむく大陸の上で。ずっとずっとさがしていた彼らはサソリのような生命力でようやくわたしの前に現れてくれた。人間だった彼らが狼に変容したって、わたしにはなんの不思議もない。彼らは彼らとして生き抜くなかで、狼に転化しただけのことだ。ひっきりなしにほほに吹き付ける寒風の中で、わたしは赤い大地に立つ狼たちとの距離を詰める。隆々とした筋肉を剛毛の下にたくわえた狼たちの息づかいが聞こえてきた。

語っているのだろうか、成就を。あるいは一時の休息か。彼らは40年も前のわたしたちへの約束を果たし終えた。年末、小伝馬町の職場で同僚が迷惑そうにニュース画面を見ながら交わす雑談を聞き、わたしは体の震えを止めることはできなかった。生きていたのか? 自由でいたのか? あの約束を40年も追いかけていたのか? そして成就したのか?

わたしはなにを差し置いても自分が会いに行かねばならない「義務」を直感した。その日の定時前、課長へ休暇願のメールを送った。理由は「海外旅行に出かけるため」とした。課長からは「普段年休もとらないあなたが急に珍しいですね。仕事の心配は要りませんからどうぞ良い旅を」と返信をもらった。

妻には「古い友達が急に亡くなった」とだけ告げた。「何言ってるのよ、お父さん! お正月どうするのよ! 誰なの古い友達って? 子供たちはどうするのよ! お年玉は?」帰宅して早速旅支度をはじめると妻はまくしたてた。

「おまえに任すよ、ぜんぶ」と言いながら妻を抱きしめた。「なによ! どうしたの…… 変よ……」背中に回した手の力を強める。いい家庭だった。手の力を緩め、銀行でおろした1000万円と生命保険証書を入れた虎屋の羊羹箱がはいった紙袋を目で示した。「お年玉とお義母さんへの羊羹だ。これで勘弁してくれ。3日には戻るよ」あとは聞かずに家を出た。

大陸だ。赤い牙をむく大陸だ。だがどこなんだ。手がかりは彼らの遠い仲間から何年か前に「中国で彼らを見た」噂があると耳にしたことだけだった。そこから先どうやってここへたどり着いたのかは夢を見ているようでさだかではない。でも嘘じゃない。嘘だというなら目の前にいる三頭の狼の息づかいがまぼろしだ、と否定してもらわなければならない。

白い吐息と獣の匂いすら感じる距離に身を寄せた。「いいか、計画だ。計画の緻密さがなければ絶対に失敗する。ここ数年奴の行動パターンを全て調べたらこれしかない」、「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」、「お前な、向いているんだよ。性格が。好きとか嫌いとか、分からなくていい。俺が保証する。お前には最適な仕事なんだよ」

三人がわたしに投げかけた言葉が蘇る。わたしは堪えきれなくなった。「おい、やったのか? やれたのか? 本当か?」。低い咆哮がさらにオクターブを下げてわたしに視線を合わせた。こいつはM.Mだ。間違いない。「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」とわたしたちを諭したM.M。「やったさ。やり遂げたよ。見ろ俺たちを。狼になったろう。綺麗ごとばかりじゃなかったさ。地べたをはいつくばって恥ずかしいまねだって厭わなかったよ。でもやったんだ。俺たちはな」

「お前の方が辛かったんじゃないのか」。こいつの繊細さも昔と変わらない。M.Dだ。「体を悪くしたと聞いたが」、「なに言ってるんだ。俺はこの通りだ。本当の狼になったんだよ。まんざら悪くもない」。その声を聞き終える前に喉に強い痛みが走った。わかっている。T.Tがわたしに牙を立てたのだ。低い振動を伴う咆哮はT.Tだ。「なぜ、今頃ここに来た。お前がここに来れば俺がお前を許しちゃおかないことはわかっていたはずだ」。わかっていたさ。わかっていたって人間には行かなきゃいけない時がある。暮れの小伝馬町で彼らの「勝利」を耳にした時、私はT.Tに会いに行くと即座に決めた。こうなることもわかっていた。

「ありがとうよ。死ななくてよかった。本当によかった」 声帯を噛み切られたので言葉は出ない。かまわない。食いちぎれ。闘い続けたT.Tよわたしを噛み切るんだ! 消えゆく意識の中で背中が大地を感じた。M.Dが胴体の剛毛を総毛立たせながら天に向かい大団円の咆哮を叫んでいる。赤い地表が揺れる。M.Dの怒号が赤い地表を激震させる。

あの人がわたしと交差してそのまま彼方に向かう前、わたしは逆を向き階段を駆け上る。あの人の背中に手をのばした。振り向いたあの人は何のことだか、意味も解らずきょとんとしている。思い出せない? ダイヤモンドの後悔と逡巡、あの人がいつも口にした「希望」、「未来」。一緒に肩を落とした荒川の土手。三頭の狼と化身したあなたと仲間たち。40年を生き抜いて栄達した狼から、また人間にもどったあなた。

「どなたですか?」
「わたしですか? わたしは……」
「俺の名は『田所敏夫』ですが」

正月4日だというのに京都市美術館は人で溢れている。「最近のお父さんどうかしてるよ。急に居なくなったと思ったら翌日帰って来て『正月は京都旅行だ!』なんて」、まんざらでもなさそうに妻が子供たちに同意をもとめる。

後ろから押され、子供の手を引きながら、ひときわ人だかりの多い絵の前にやって来た。「文部科学大臣賞受賞」の肩書に歩みが止まるのだろう。ここは赤い大地ではない。人混みの熱で汗をかきそうだ。

「おい、ガラでもないぜ」最高位を獲得した三頭の狼が少しはにかんでわたしに微笑んだ。「いいんだよ。やったんだ。やってくれたんだ」 こころでだけ語りかけようとしたら、不覚にも落涙していた。「俺たちはやったぜ。次はお前だぜ。わかってるだろうな」饒舌な狼は交信を止めない。「わかっているさ。わかっている・・・」、「お前の『絶望癖』も何とかなるか」、どこまでも細かいM.D。

俺の名は「田所敏夫」。今年は俺がお前らの後塵を追って「希望」を作るさ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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