《鹿砦社特別取材班座談会》「M君リンチ事件」真相究明取材で見えてきたもの

 
 

  
過日鹿砦社特別取材班の編集会議のあと座談会が行われた。取材に当たって来たスタッフが顔を合わせ、これまでの取材と今後の展望などについて語り合った。

松岡 ご苦労様です。きょうはこれまでの取材成果や課題と今後の展望などについて気楽に話してください。

  正直、骨が折れています。新聞、テレビ関係者の間で「M君リンチ事件」は、もうみんな知っている状態になってるんですが、なぜかうちの後追いがないのが不思議ですね。

  今まで接触したメディアってどこがあったっけ?

  朝日新聞、産経新聞、共同通信、朝日放送……。あと週刊誌なんかからは結構こちらに問い合わせはありますね。

  朴順梨は早い段階で「共同通信の記者から聞いた」って藤井とのメールに書いてたよね。

  ええ、共同通信内では東京の社会部を含めて、ほとんど浸透しています。

  だけど記事にしたのは『週刊実話』だけやったね。

  それも発売当日にネットで謝罪・訂正が出され大騒ぎになった。あの訂正劇はなんだったんだろう?

  当日に西岡研介からクレームが入ったと『週刊実話』の編集部からはリークがありました。編集長判断の前に訂正を出したという説もあります。

  西岡ってそんな力があるんだ。

  みたいですね。でも先鞭をつけた『週刊実話』の記事は一定の評価に値するんじゃないですか。

  いや、あんな折れ方してほしくなかったね。おかげでその後、ネットでの空中戦凄かったじゃない。

  あの頃は夜も眠れんかった(笑)。僕ら参戦してないけど、しばき隊とアンチしばき隊のある意味での天王山やった。しばき隊は「嘘つきども」と勢いづいたけど、「世に倦む日々」高島章弁護士の応戦に結局軍配ですわ。

◆「M君リンチ事件」の現場音声と写真の衝撃、書籍出版の意義

  決定的だったのは高島弁護士が事件を録音した音声の書き起こしと、事件直後の腫れあがった「M君」の写真を発表したことですね。

リンチ事件直後のM君の顔
 
 

  あれは効いたな。あの写真出されたら、さすがに「リンチはなかった」とは言えない。そのあともしばき隊からは散発的に攻撃はあったようだけど、一気にトーンは下がったもんな。

松岡 このかんの展開を振り返ると、初期は主戦場がネット、とくにツイッターだったけれども『ヘイトと暴力の連鎖』を昨年7月14日に出してからはしばき隊がかなりおとなしくなった印象がありますね。

  やっぱり紙媒体でまとめたものが出る意味が大きいことを再確認しましたね。SNSで100回書かれてもやがて忘れられていくし、モノは残らない。その点書籍には書籍の強みがあると。

  それを実感したのは『反差別と暴力の正体』を出した後の反響ですわ。あの取材には(いつもそうやけど)力入ったし、こっちも驚くような事実が山ほど出てきたもんなー。

◆強烈だった沖縄地裁前の顔ぶれ

  龍谷大学に岸政彦の「直撃」に行った時は、ドキドキもんでしたよ。

  なに言ってるんだよ。大学教員なんか「直撃」の対象としては簡単なもんじゃないか。

  すいません……。

岸政彦=龍谷大学教授(当時)

  重要なのは事実を掘り下げることはもちろんだけど、当事者に直接当たるってことだね。

  それはそうなんやけど、『人権と暴力の深層』取材で沖縄地裁前は、すさまじかったですわ。しばき隊幹部勢ぞろいやから。野間なんか僕のすぐ横でビデオ回してた。安田浩一と香山リカのツーショット抑えた時は嬉しくて、松岡社長に電話したら「安田と香山と野間のスリーショットも撮れ!」って……。褒めてもらえると思ったらさらにエゲツない命令が来て冷や汗もんでしたわ。スリーショットはさすがに無理やったけど。

安田浩一と香山リカ
 
 
野間易通

  沖縄地裁前の顔ぶれは強烈でしたね。安田浩一、香山リカ、野間易通、伊藤大介……。あとしばき隊の裏幹部みたいなのも居たんですよね?

  それはまだオフレコやん! 今追ってるところです。

  あっ失礼しました。

◆有田芳生の「鹿砦社ヘイト」と増える編集部への激励

松岡 『人権と暴力の深層』では有田芳生参議院議員と中沢けいの突撃も掲載できました。経費は大幅に予算オーバーでしたが(笑)。

  東京の突撃部隊は今回も大活躍でしたね。

  それにしても有田のあの態度は酷いよね。

  「鹿砦社ヘイト」ですわ。

有田芳生参議院議員

  

 

  

 
 

  言うまでもないことなんだけど、もう一回確認しておきたいのは、われわれは「M君リンチ事件」を追ってるんだけど、決して差別を容認する立場ではないということ。「デジタル鹿砦社通信」の記事なんかは、けっこう右寄りの読者にも読まれてるみたいだけど、それはそれでいい。でもわれわれは原則的に「差別」や「暴力」に反対の立場だということはもう一回再確認しておきたい。

  右、左は関係ないんですよ。取材班の中だって、A君なんか保守じゃない? Bさんはどうかわからないけど、私は原則反自公だし、いろいろな意見の相違はある。でも「差別」と「暴力」を認めないことではしっかり一致できてるんじゃないかな。

  それがあらへんかったら「突撃」なんてでけへんわ。

  あと取材班の外で協力して下さる人が増えているのはありがたいですね。

  いま、ネット監視してくれている人どのくらいいるの?

  詳しくは言えませんが相当な数になりました。ターゲットの発信は全員を24時間監視していますから、何かあれば即座に情報が入手できるようになりました。無償でのボランティアの方には感謝ですね。

  ネットと言えば、最近李信恵がまた暴れてるな。鹿砦社やライターにさんざん噛みついている。まあそれはともかく、事実無根の書き込みはやめてほしいね。

  それは無理な注文だよ。しばき隊は「ないこと」を「あること」にして燃え盛り、気に入らない相手を潰そうとする。常套手段だね。だから李信恵だって記事内容自体には、一切具体的な反論ができていないじゃない。安倍が言った「印象操作」と同じだよな。でも「鹿砦社はクソ」っていくらなんでも下品すぎる。気に入らないのは分かるけど「反差別」の「旗頭」なんだから、もう少しましな表現はないものかとは思うね。

松岡 「鹿砦社はクソ」は酷すぎます。Cさん、「もう少しマシな表現」というレベルではないですよ。鹿砦社には、私以外に7人の正社員がおり、みんな真面目に一所懸命に働いてくれています。また多くの取引先や、ライター、デザイナーらが支えてくれています。いくら温厚な私でも(苦笑)、絶対に許せませんね。そりゃそうでしょう、曲りなりにも「反差別」とか「人権」とかを口にする人が、まともに一所懸命に働いている者らに「クソ」とか、私たちの人権を蔑ろにする汚い言葉を浴びせたり……呆れてものが言えません。私もそろそろ本気で怒らないといけないかもしれません。ところで、名前は出せませんがマスコミ関係者だけでなく、結構な大物からも最近は激励が増えています。私を含めて知らなかったから何とも思わなかったけれども、くだんの「M君リンチ事件」を知ったら常識的な人が驚き、怒るのは当然でしょう。

◆松岡代表による鈴木邦男さん義絶表明の波紋

  社長の怖いところは私たちにも内緒で「隠し玉」を持っているところだね。まだなんかあるんじゃないですか?

松岡 ありませんよ(苦笑)。どこに「隠し玉」があるんですか?

  これが怖いんだよね。鹿砦社。

  何言ってるんですかCさん。Cさんだって鹿砦社一派って散々ネットで書かれてるじゃないですか。

  え! そうなの? 俺あんまりネット見ないし、2ちゃんねるなんか見る方法も知らないから。でもそんなレッテル貼られたら『月刊HANADA』や『諸君』で仕事できなくなっちゃうぜ。

  そんな仕事してへんくせにCさん!

  やかましいわい!

  冗談はともかく、3冊を出したこと影響はさまざま出ているね。今焦点なのは鈴木邦男氏と松岡さんの今後の関係だな。松岡さん本当は、『人権と暴力の深層』の中で書くはずだったんだけど、逡巡して書けなかった。それで僕が背中を押す意味で「デジタル鹿砦社通信」に「鈴木邦男への引退勧告」を先に書いたのが内幕なんだ。

 
 

  自分は鈴木先生の本の出版も手掛けていたので正直複雑ではあります。

  厳しい選択だったと思うよ。横からちょろちょろ香山リカがちょっかい出したりしてきてるけど、30年の濃密な付き合いを真剣に思慮している人に、他人が口出すなと言いたい。

  週刊誌や新聞でごっつい扱いになることは今のところあらへんけど、松岡社長の鈴木邦男さんへの意思表明は、業界では相当な話題になってます。自分のところにも「どうなってんねん」と、問い合わせが結構あります。「松岡社長に直接取材しなはれ」言うてますけど。

 

  いずれにしてもわれわれに夏休みはないようだね。例のミッションみんな進んでるかな?

一同 ……。

  絶対に8月末までにあげること! でしょ社長?

松岡 そうだね。次はこれまでの3冊を超える「爆弾本」になるから、皆さんしっかり頼みます。

  夏休みなしか……。

(鹿砦社特別取材班)

◎[参考記事]私はなぜ「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明に関わり、被害者M君を支援するのか[松岡利康=鹿砦社代表]
 

最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

鹿砦社に対する李信恵「嘘つき」ツイッター言論への反論

 
 

  
7月27日、本コラムに「リンダの会『#安寧通信』解析〈1〉 0号執筆陣に見る李信恵絶対擁護の人々」を掲載したら、予想通りであったが、さっそく李信恵がツイッターで反応してきた。しかしながら、例によってその内容には明確な虚偽と悪意が込められているので、この際しっかり反論しておく。まず下記を見て頂こう。

李信恵のツイッターより

昨日の「リンダの会『#安寧通信』解析〈1〉 0号執筆陣に見る李信恵絶対擁護の人々」では、李信恵が在特会元会長と保守速報を訴えたことに何の異議も唱えていない。それどころか、

《繰り返すが編集班はいかなる「差別」も「排除」も肯定する立場にない。断じて「差別」も「排除」も「リンチ」も肯定しない》

と立場を明確にしたうえでさらに、

《『#安寧通信』、vol.0は李信恵が、在特会元会長の桜井誠と保守速報を相手に2014年8月18日に損害賠償を求める裁判を起こしたことを紹介する李自身の「反ヘイトスピーチ裁判に向けて」から始まる。この文章に書かれている訴えには虚偽はなく、李自身かなりの被害を受け訴訟に踏み切ったことが窺い知れる。相手は狂気の差別集団「在特会」なのだから。》

と李信恵が起こしている裁判へは基本的に理解を示し、批判などは微塵も展開していない。課題として述べているのは李信恵が、

「日本には差別を裁く法律はありません。名誉棄損や侮辱にしても、刑事事件での告発はハードルが非常に高い」

と述べている部分の「日本には差別を裁く法律はありません」である。詳細は27日の本コラムをご覧いただきたい。取材班はこの裁判自体に一切ケチをつけてはいないのであり、「#安寧通信」に登場する顔ぶれと、そこに書かれている内容が「M君リンチ事件」と極めて深い関連を持つので、それを明らかにしようとしているのだ。

しかし、李信恵にとっては「#安寧通信」が鹿砦社に取り上げられたことだけで、気に入らなかったのだろう。おそらくは、もっと汚い言葉で罵りたいのであろうが、
「偏見や私怨のある人たちは、そういうことは見えないんだと思った」

と決めつけている。「偏見や私怨」? 取材班には李信恵に「偏見や私怨」などない。直接会ったこともない、接触したこともない対象にどうして「偏見や私怨」を抱く必要があるのだ。李信恵がここで述べている「そういうこと」とはその前の書き込みから推測するに、「#安寧通信」の文章にはすべてひらがなでルビがふってあることを指しているのだろう。「そういうことは見えないんだ」ではない。見ればわかるが、この連載の目的は「#安寧通信」の称賛や李信恵が起こしている裁判への批判ではなく、あくまで「M君リンチ事件」を読み解くための側面からの解析である。何をどう評論しようと自由じゃないのか。

さらに、断じて容認できない嘘は、

「まあ、撮影禁止の裁判所内での写真、Facebookで友達までの公開の写真をTwitterでアップしちゃうようなリテラシーのない人たちだし。」

である。鹿砦社は裁判所内での写真撮影は行っていない。「M君」が李信恵を訴えた裁判の前回期日に社長松岡が傍聴に出かけた際の写真を撮影してTwitterに掲載した方はいるが、その人は鹿砦社の人間ではない。そして鹿砦社はその写真をリツイートも「いいね」もしていない。また「Facebookで友達までの公開の写真をTwitterでアップ」など鹿砦社はしていない。この2点は完全な虚偽である。

「というわけで猫田と鹿砦社に関しては週明けぐらいに全部まとめて警察に行ってきます。」
  

 
 

そうだ。どうぞご勝手に。週明けと言わず、それほど気になるのであれば110番通報をしたらどうだ。李信恵は「猫田と鹿砦社」とワンセットにしているが、猫田氏の言動と鹿砦社の言動は全く別のものだ。それくらいは理解できないか? 

ついでに助言しておくと「リテラシーのない人たち」は言葉の使い方が間違いだ。「リテラシー」とは文章、文脈、文意を読み解く力のことであり、ネットに写真を掲載する行為に用いるのは不適切だ。噂によると李信恵は国語の非常勤講師をしている、とのことだが、カタカナ言葉とはいえ教員であるのであれば、正しい言葉遣いを心掛けるべきだ。

「猫田と鹿砦社のライターとか関係者に個人情報をばら撒かれたり、本当に迷惑しているし普段の生活に支障が出てるので。」

繰り返すが猫田氏と鹿砦社は、まったくの別人格である。われわれは偽善者どもの仮面を剥ぐために、時に直撃取材も厭わないが、よほど悪質な公人でない限り、住所や個人情報を公開することはない。例外的に香山リカがツイッターで「どこに送ったのかちょっと書いてみれば……」と書き込みを要求してきた際には送付先を明示したが、あれは本人の要請によるものだ(にもかかわらず、翌日神原元弁護士から「削除要請」のメールが来る不思議な展開だった)。

それ以外にわれわれ(鹿砦社)がどのような「個人情報をばら撒いている」というのだ? はっきりと事例を挙げて指摘していただきたい。もし具体的事例を適示できないのであれば、それこそ李信恵の言う「名誉棄損や侮辱」である。

李信恵のツイッターより

と李信恵は寺澤有に噛みついたあと、

李信恵のツイッターより

上記のように興奮している。が、この中にも嘘がある。「鹿砦社と名乗らずに自宅に電話してきた田所敏夫は」とあるが、田所敏夫は鹿砦社の社員ではない。フリーの物書きだ。「辛淑玉オンニの友人だと最初に云った」は田所に確認したところ事実だ。田所は李信恵に電話取材をするにあたり、自己紹介もかねて辛淑玉の知り合いだと切り出しているがそのどこが問題なのだ。田所は辛淑玉の携帯電話番号を知っていたし、それ故その後に直接辛淑玉本人にも取材をして、辛淑玉が「M君」攻撃に転じたので『辛淑玉さんへの決別状』を本コラムと『反差別と暴力の正体』に著しているではないか。

「おいらに取材するなら、根性入れてやれ。ちゃんとしてたら受けるけど、ちゃんとしてなかったら受けないだけ。」

これも嘘だ。自分に都合が悪ければ李信恵は絶対に取材など受け付けない。「根性を入れてやれ」!? おう、そこまで言うのであれば、われわれもさらに本気で「根性を入れて」やってやろうじゃないか! ちなみにあれこれ鹿砦社に言いがかりをする李信恵は鹿砦社のツイッターアカウントをブロックしている。何かやましいことがあるのか?

李信恵のツイッターより
 
 

「友人のFacebookの写真とか使うなよクソが。」

繰り返すが取材班は李信恵の言う「友人のFacebookの写真」など全く使っていない。

これは明確な虚偽であるだけでなく「クソ」とまで表現している。明白な虚偽を堂々と発信する覚悟はあるのだろうな、李信恵。「鹿砦社はクソ」なのだな。一度書いたものは取り消すことができない。上記に挙げた虚言といい、「クソ」呼ばわりといい、明確な名誉毀損だ。われわれは、名誉毀損だからといって、なにかといえばすぐに公権力、警察力に頼ろうとする輩とは違う。〝違う形〟で反論、反撃する。

鹿砦社社長の松岡は、ここまで言われても、まだニッコリ笑ってはいるが、彼が〝本気〟を出した時の怖さをわれわれは知っている。

松岡が若い頃、好んで使った言葉に、「彼ら反革命がわれわれに鉄を用いるならば、これに対しわれわれは鋼鉄でもって答えるであろう」(トロツキー)というフレーズがあるという。松岡が「鋼鉄」を使う時はいつだろうか。エセリベラル、エセ人権派、エセ反差別主義者の蠢動には「鋼鉄」でもって粉砕しなければならない。

(鹿砦社特別取材班)
最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

リンダの会『#安寧通信』解析〈1〉 0号執筆陣に見る李信恵絶対擁護の人々

 
 

  
「李信恵さんの裁判を支援する会(リンダの会)」が2014年10月7日に発行した『#安寧通信』vol.0が手元にある。「M君」が集団リンチを受ける2月ほど前に発行された『#安寧通信』。10号までは、誰でも手に取れる場所に置かれていたので入手可能であったが、本来なら街角に置かれていたはずの11号の姿は見つからない。『#安寧通信』自体の発行が休止されたとは考えにくいので、何らかの事情で、一般への公表を控えるようになったのではないか、とも推測される。

「李信恵さんの裁判を支援する会(リンダの会)」が2014年10月7日に発行した『#安寧通信』vol.0の表紙

vol.0はご覧の通り表紙はカラー印刷で、次号以降は白黒の簡易印刷だ。『#安寧通信』は李信恵(リ・シネ)の裁判を支援するために発行されている媒体であるが、同時に詳細にこの冊子を読み解くと「M君リンチ事件」と李信恵、あるいは周辺人物の関連を読み解くことができる。これから数回にわたり『#安寧通信』の解読を試みる。

なお、このような作業を安田浩一などは「運動に分断を持ち込むもの」などと批判するやもしれないが、われわれの目的はあくまでも「M君リンチ事件」の真相や背景解明にある。「結果としてだれが喜ぶか」(安田)などは関係ないことをあらかじめお断りしておく。繰り返すが編集班はいかなる「差別」も「排除」も肯定する立場にない。断じて「差別」も「排除」も「リンチ」も肯定しない。

◆「差別を裁く法律」があれば問題は起きなかったか?

『#安寧通信』、vol.0は李信恵が、在特会元会長の桜井誠と保守速報を相手に2014年8月18日に損害賠償を求める裁判を起こしたことを紹介する李自身の「反ヘイトスピーチ裁判に向けて」から始まる。この文章に書かれている訴えには虚偽はなく、李自身かなりの被害を受け訴訟に踏み切ったことが窺い知れる。相手は狂気の差別集団「在特会」なのだから。

しかしながら、すでにこの文章の中には李信恵自身の問題ではないにしても、この「運動体」が指向する方向性の危険性の萌芽がある。

「日本には差別を裁く法律はありません。名誉棄損や侮辱にしても、刑事事件での告発はハードルが非常に高い」

李が述べていることは事実だろう。しかし「差別を裁く法律」があれば問題は起きなかったであろうか。そもそも差別とはなんだろう。同様な形で人々に共有され言語や行動で表現されることもあるけれども、もとは個々人の心の中に住処を持つ「こころのありよう」ではないだろうか。どんなに卑劣なことを考えていても表現しなければ相手を傷つけることはない。心の中で悪質極まりない大量殺人を夢想していても、それを発言したり、行為に移さない限り、その人が指弾の対象になることはない。「内心の自由」はどんな犯罪や不幸行為、道徳的に非難される行為であろうが、心の中に留め置いておく限り批判の対象とされることはないし、あってはならない。

◆裁くための概念が曖昧すぎる「ヘイトスピーチ対策法」

よって「差別を裁く法律」などという概念は、それ自他が「表現の自由」どころか「内心の自由」にまで踏み込んで個人の思考や思想を制限する性質を有することを必然的に併せ持つ「規制」や「弾圧」に利用される恐れが高い。ある国が犯した罪を永遠に赦免しないとするのであれば、欧州のように「ナチス禁止法」(俗称)を設け、対象を限定して二度と過ちを犯さないような法律を制定することには意味があるだろうが、「差別」一般を裁く法律では概念が曖昧すぎ、恣意的な乱用がなされる危険性が高い。

 
 

その証拠に、制定されてしまった「ヘイトスピーチ対策法」はすでに現行法の定める範囲を超えた作用を及ぼしている。昨年川崎市で差別者が主催したデモの際、取り囲んだ大勢の反対者との衝突を懸念したのか、現場の警察官は「これ以上は無理だ、これが国民の意思だ」と語った。差別に反対する人の中にはこの警察官の発言に大喜びをした人が大勢いた。そこにこそ「ヘイトスピーチ対策法」の最大の危険が在るのだ。あの光景を目にしながら私は背筋が寒くなった。当該警察官の「これが国民の意思だ」という言葉が、「安倍政権反対デモ」、「戦争反対デモ」、なかんずく「東京オリンピック反対デモ」で発せられたらデモ参加者はどう感じるだろうか。法律などなくとも警察はデモ弾圧の際には散々な暴言をこれまでも発してきたが、それに「お墨付き」を与える法律を作ってしまえば、どんな惨禍が引き起こされるかの想像ができないのだろうか。

◆伊藤健一郎(C.R.A.C.WEST)と伊藤大介(C.R.A.C.)

李信恵の2頁にわたる「反ヘイトスピーチ裁判に向けて」に続くのは、ITOKENこと伊藤健一郎(C.R.A.C.WEST)の「差別を扇動する在特会、桜井誠そして保守速報」である。ITOKENこと伊藤健一郎は「M君リンチ事件」後、元鹿砦社社員藤井正美へのメールで「M君リンチ事件」の加害者を擁護し、あたかも「M君」に非があったかの如く「口裏合わせ」を企図する「説明テンプレ」とそれを伝える「声掛けリスト」を作成した人物である。噂によればこの春大学院を修了し学位を修得したとのことだ。伊藤はその文章の中で、

「街頭で繰り広げられているヘイトスピーチは人目を引きやすく一部では報道もされていますが、彼らの活動の中心はインターネットであり、路上の活動は氷山の一角にすぎません。ネットでは『在日』を主なターゲットにした差別的書き込みが多く見られます」

と分析をしている。主語を「M君」に置き換えてみよう。

「街頭で繰り広げられている『カウンター』の活動は人目を引きやすく一部では報道もされていますが、彼らの活動の中心はインターネットであり、路上の活動は氷山の一角にすぎません。ネットでは『M君』を主なターゲットにした攻撃的な書き込みが多く見られます」

ほとんどの部分を直さなくとも文章が合致してしまう。これが何を示すのかは、読者に考えていただこう。ちなみに『#安寧通信』の#(一般的には「いげた」と呼ぶが、ツイッターでは「ハッシュタグ」と呼ばれる)もツイッター上で用いられる符号である。ツイッターを使わない人には意味が分からないだろうし、意味を持たないが、彼らはそれほどにインターネットを重視していることの表れであろう。

次いで登場は、肩書が「旧しばき隊(現在解散)、現反レイシズム行動集団「C.R.A.C.」の伊藤大介による「『#安寧通信』創刊に向けて」である。
内容は取り立てて言及する必要はない、凡庸なものだ。

反レイシズム行動集団「C.R.A.C.」伊藤大介のツイッターより

◆金光敏(コリアNGOセンター)と金明秀(関西学院大学社会学部教授)

そして、金光敏(特定非営利活動法人コリアNGOセンター)の登場だ。『反差別と暴力の正体』で電話取材にあいまいな返答に終始しながら、実は「M君」が李信恵、エル金、凡、伊藤大介、松本英一を訴えた裁判で「被告」側に「M君」との私信を証拠として提供しているのがコリアNGOセンターだ。

金光敏は幾分詩的な文章を寄せている。全文を掲載するのは馬鹿らしいので割愛するが、ナルシシズムにすぎる文章は、金が「M君」に対した暴虐とはずいぶんバランスが悪い。

関西学院大学社会学部教授、金明秀のツイッターより
 
 

さらに金光敏同様、『反差別と暴力の正体』で、在外研究で1年間韓国にいるはずなのに、不思議なことに日本国内にいて電話が繋がった、関西学院大学社会学部教授の金明秀も登場する。「ぼくは、この裁判を最後まで支援します」と金は宣言し文章を結んでいる。ツイッターに「泥酔して」(本人談)上記書き込みを行った金明秀は「M君」を一貫して「支援しない」ようである。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)
最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

「共謀罪法」施行2日後に金田法相が死刑を執行した理由

共謀時審議の中で、散々な無能ぶりを発揮した法相金田勝年が7月13日、2名の死刑を執行した。金田自身が死刑執行を命じたのはこれで3名となる。この島国ではいまだに「復讐権」を国家に委ねる、前近代的な人権感覚が幅を利かしている。

2017年7月13日産経新聞

死刑とは、いかなる理由を付与しようとも「国家による殺人」にほかならない。

主として被害者感情を利用して、または、まったく効果などない「犯罪予防」を理由に「国家による殺人」がまた行われた。しかも西川氏は再審請求中であり、再審請求者への死刑執行は異例中の異例である。

金田はなぜ2017年7月13日に2名の死刑を執行したのか。それは7月11日に「共謀罪」が施行されたことと無関係だろうか。相次ぐ国会審議の中での失態により、内閣改造では法相を更迭されることが確実な金田に、この際最後の一仕事を法務省は押し付けたのか。

理由はどうでもよい。唯一にして最大の問題は、ようやく日弁連も「死刑廃止」に舵をきり、死刑についての議論が高まる機運が生じたことへ、国家意思は「再審請求中の人にも死刑を強行する」ことを国民に見せつけた、そして庶民レベルではまだまだ「死刑廃止」に対する意識の高まりがみられないことである。

「人を殺したのだから殺されて当然」という、当たり前のように聞こえてその実何の思索も行われていない感情論を耳にすることがあるが、「人を殺したら殺されて当然」だろうか。

金田勝年法務大臣

◆「殺人」行為と「死刑」を短絡的に結び付ける大いなる誤解

戦争はどうだ? あらゆる戦争で戦勝国の兵士が敗戦国の兵士や民間人を殺戮したことにより、裁かれ「死刑」になることがあるだろうか。「戦争」だから殺人は免罪されるのか。また、まったくの不幸なめぐりあわせによる交通事故はどうだ。運転手に微塵の殺意がなくとも、意識不明に陥ったりして複数人の犠牲者が出ることがある。それでも加害者は「死刑」に相当するか(判例上このような加害者で死刑になった人はない)。つまり「殺人」という行為と「死刑」を短絡的に結び付けることは大いなる誤解であるということである。

そして、仮に大量殺人の真犯人であっても、その人に死刑を執行することにより、被害者の生命が回復するのか。被害者感情は本当に回復されるのか。殺人でなくとも、加害者に復讐心を抱くことは日常的に起きているのではないか。そのような個人の復讐心の物理的遂行をとどめる為に、近代法は構成されているのではないか。

そうであるので「死刑」制度の存置自体が近代法の精神にはそぐわず、むしろ前近代的な制度であると、近代法を導入した多くの国家は認識し、「死刑」を廃止したのだ。欧州のほぼ全域、そして制度上は廃止されてはいないが、韓国も死刑の執行を行わないことにより、実質的な死刑廃止国となっている。

金田勝年法務大臣

◆特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある

さらにあまり知られていないが、「一人として人を殺さなくとも」「死刑」以外の処罰がない罪がある。「外患誘致罪」だ。外国の軍隊を国内に招き入れたり、外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者を罰するのが「外患誘致罪」だ。この容疑で逮捕された人は、冤罪であっても死刑を覚悟せねばならない。

おかしくないか。日本には米軍が駐留している。日米安保があるとはいえ、条約は法律よりも優位なのか。米軍が日本に駐留しているのが当たり前になっているので、こんな珍説を説く人はいないが、歴代政権は「外患誘致罪」を継続的に実践してきている。さらには集団的自衛権容認により、よりいっそう外国の軍隊がこの島国に上陸する可能性が増した。これは国家的「外患誘致」導入への地ならしではないか。しかし当然のことながら、国家への「死刑」などは制度上存在しない(例外的に、「革命」が起きればそれに相当しよう)。

売り物が無くなったマスコミが安倍政権に背を向けだした。政権へのマスコミの風向きは月刊『文藝春秋』の特集を注視していると解かりやすい。安倍政権批判が全面解禁されたのは今回も6月9日発売の『文藝春秋』7月号「驕れる安倍一強への反旗」が掲載されて以降だ。右派も含め安倍政権叩きが本格化している。

長きにわたった不幸極まりない安倍政権末期にあり、強行された死刑について我々はわすれてはならない。特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある。他人事ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち
『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

7月22日公開映画『台湾萬歳』酒井充子監督が語る「今の台湾があること」の喜び

あなたは、台湾に行ったことがあるだろうか。そして、日本統治下や国民党戒厳令下の歴史や、「原住民」の人々のことを知っているか。

酒井充子監督 1969年、山口県生まれ。大学卒業後、メーカー勤務ののち新聞記者となる。台湾の日本語世代が日本への様々な思いを語る初監督作品『台湾人生』が2009年に公開された。以後、『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(2013年)、『台湾アイデンティティー』(2013年)、『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』(2014年)を制作。著書に『台湾人生』(2010年、文藝春秋)がある。現在、故郷・周南市と台東縣の懸け橋となるべく奮闘中 (撮影:小林蓮実)

2017年7月22日土曜日より、酒井充子監督ドキュメンタリー台湾3部作最終章『台湾萬歳』が、ポレポレ東中野ほか全国順次公開となる。それにともない、筆者は先日、台湾の台東縣を訪れたが、このことは次週以降に譲る。

本作は、日本統治時代の愛国教育の徹底や戦後の国民党の戒厳令下などを描き出した『台湾人生』、台湾で生まれ育つも時代に翻弄されざるをえなかったそれぞれの生き様をとらえた『台湾アイデンティティー』に続くもの。戦争を体験しながらも漁師として生きてきた張旺仔さん、同様に漁師だが戦後生まれの「原住民」アミ族のオヤウさん夫妻、パイワン族の父とブヌン族の母の間に生まれた中学校の歴史教師でシンガーソングライターのカトゥさんらが登場する。カメラは彼らの語り、衣食住などの生活、「歌い・踊り・祈る」姿を追う。

九州より少々小さい国土の台湾。先日、本作と台湾のことをより深く理解したいと考え、酒井監督へのインタビューをおこなった。

◆「張さんの地球」から描く、困難を経て現在の台湾があることの喜び

—— 酒井監督は、蔡明亮監督『愛情萬歳』をご覧になって台北を訪れ、侯孝賢監督『悲情城市』のロケ地をめぐっていた際に流ちょうな日本語でおじいさんに話しかけられたことを機に台湾への関心を深めたとお聞きしています。映画製作自体は、どのようなタイミングで決心されましたか。

酒井 『愛情萬歳』を1998年の夏に観て、その舞台となっていた台北に立ちたい・そこに行きたいと感じました。軽い気持ちで台湾へ向かったのです。私は現地でよく道を聞かれるほど台湾の人に見えるようなのですが、『悲情城市』の舞台である九份から台北に向かうバスを待っている際、遠くからトコトコと歩いてきたおじいさんに「日本からいらしたんですか」と流ちょうな日本語で話しかけられました。私は当時住んでいた「北海道から来ました」と答え、その後、おじいさんの幼少期に日本人教師にかわいがられたという思い出、再会の希望の話を聞かせてもらったのです。98年で戦後53年が経過しており、私は日本人の先生を思い続ける台湾人が存在することに衝撃を受け、歴史をきちんと知りたいと考えました。このたった1度の訪台で2000年、「台湾の映画を作る」と決意して新聞記者を辞めたのです。

—— 大変な決意と行動力ですね。では、3部作の構想は、いつからでしょうか。

酒井 制作を進めるうち、なし崩し的なものですね。台湾の日本語世代のおじいさんやおばあさんと出会って話を聴き、この声を届けたい、そのためにまずはこの1本(『台湾人生』)を完成させたいと考えました。また、白色テロ(民主化運動などに対する強権的な弾圧のこと。ここでは、中国で共産党との内戦に敗れた国民党が台湾に本拠地を移し、49〜87年の38年間にわたり戒厳令を敷いた時代の暴力的な直接行動を指す)や戒厳令下のことをもっと聴きたいと考えて『台湾アイデンティティー』を制作し、その最中にプロデューサーが「もう1本作って3部でしょう」と口にしたことが現実化しました。ただし、過去2作はインタビュー中心でしたが、今回は極力インタビューを控え、「生活を撮る」ことを意識した点が異なります。それにより、現在の台湾の時間が見えてくるのではないかと考えたのです。

—— 日本統治下や国民党戒厳令下のことは、徐々に知っていったのですか。現在、台湾といえば「親日」というイメージをもつくらいの人がほとんどかもしれませんが。

酒井 台湾の歴史について勉強しながら、映画を作っていきました。一般的には、日本が統治していたことすら知らない人も多いかもしれませんね。「親日」といっても、この2文字では語り尽くせませんし、何文字あっても足りません。表面的なことは身近に感じられますが、それだけではない、複雑なのです。

—— 『台湾人生』のラストに現場の人間同士の交流を見て胸を打たれ、『台湾アイデンティティー』にその発展を見ました。そしてルーツを辿りながら、『台湾萬歳』は「原住民」と地に足のついた生活者へと至ったのだと考えたのですが、個人的には繰り返し観るほど社会派の文脈中心では語りづらく、張さんの魅力あってこそのヒューマンドラマであり、タイトルから監督の台湾に対する愛と祈りとを受け取ったのです。そこで、監督ご自身が本作で伝えたかったことは、どのようなことでしょうか。

酒井 そうですね。いろいろなことがあったけれど、今の台湾があることの喜びでしょうか。そして、作り手が用いれば陳腐な表現になってしまうかもしれませんが、「人間賛歌」ですよね。

©『台湾萬歳』マクザム/太秦

—— では、監督にとって、張さんの魅力のポイントは、どこにあるでしょうか。

酒井 私は現役で働いている日本語世代を台湾の南側に求めていました。彼の第一印象は、あの笑顔と、下着のようなラフなシャツ1枚の姿だったからわかった働いてきた人ならではの胸板の厚さ。初対面から、運動の代わりのように、なんてことのない畑を愛してこまめに世話をしていて、惹かれましたね。私は山口県出身ですが、同郷の香月泰男という画家を愛しています。彼は『シベリヤ・シリーズ』を手がけ、花・野菜・果物・ヨーロッパの風景なども題材にしています。そして、『〈私の〉地球』という作品があり、出身地でありシベリヤから戻った後に過ごした大津郡三隅町(現・長門市)の家と森の半径数百メートルに手を描き、周囲にシベリヤ(日本軍捕虜の強制労働の地)、ホロンバイル(彼の通過した地)、インパール(日本軍の無謀な作戦で敗北を喫した地)、ガダルカナル(日本軍が米軍の物量に圧倒されて敗北した地)、サンフランシスコ(平和条約が締結された地)という地名を書きこんでいます。私は張さんの畑を目にした際、「ここは張さんの地球だ!」と感じました。そして、スタッフに香月泰男のことを話して「張さんの地球を撮りたい」と伝えたら、「わかった」と即答してもらえたのです。そして、5回、計100日の訪台で、最初の2回は1カ月ずつ成功鎮に戸建てを借り、私とスタッフ2人との合宿状態で撮影をおこないました。ただし、毎日カメラをまわすのでなく、張さんの話を聴きながらお茶を飲み、バナナをいただくような日も多くありましたね。

◆屈せず幾度でも立ち上がる台湾の人々の歴史と現在の姿

—— 私は活動家でもあり、ほしいものを獲得できることがある台湾・香港・韓国などの運動や社会をうらやましくも思っていました。先日、別件の取材で、LGBT関連法などの面からも進んでいることも知りました。でも、今回の訪台で、同行の仲間と「どこの社会も変えることの困難は同じだ」「台湾は正式な国として認められていないからこそ国際標準を目指さなければならない」などという会話も交わしたのです。酒井監督は、台湾の現在の社会について、どのようにお考えになりますでしょうか。

酒井 日本統治などは歴史的な事実であり、それを知ることは大切なことです。また、日本が台湾に学ぶべきこともあります。LGBT法や脱原発などの「超最先端」をアピールし、時代を先取りしていく国の立ち位置などですよね。台湾は、世界保健機関(WHO)総会に2009年よりオブザーバー参加してきましたが、17年、中国の圧力で参加が認められませんでした。そのようなことが起こっても台湾はめげることはありませんし、独自のスタンスを示し続けなければなりません。また、末端の声が、国を代表する声になりうる状況ですが、先日、台湾移民を取り上げたドキュメンタリー『海の彼方』の黄胤毓監督は「抵抗すべきことが多くあり、為政者に立ち向かう声が大きくならざるをえない」という旨のことを語っていました。韓国も台湾も80年代に民主化運動が起こり、自らの手で自由を勝ち取ります。日本の戦後、アメリカとの関係などをかんがみれば、大きな違いがあるでしょう。

—— 韓国とアメリカとの関係は、日米関係と似たところはありますが、たしかに大きく異なりますね。とにかく、このような記録には時間的な制限があるとは思いますが、もっと台湾のことも知ることで、日本人が「棄てた」台湾の人々への支援や、原住民の人々・独立についての支援、日本から足を運ぶ人の拡大などにつなげていきたいとも「夢想」しています。

酒井 『台湾人生』に登場してくれた5人のうち4人の方が亡くなり、同様の証言を撮影できるのもあと5〜10年間でしょう。原住民族の村もさまざまです。カトゥさんのブヌン族の村には一体感があり、精神的な豊かさに魅力を感じました。いっぽうで、村全体の佇まいからさびしさや貧しさが伝わる村も多くあります。原住民に対する助成金もありますが、それに頼ってしまうような現状もあって私は、それは大きな課題ではないかと考えています。『台湾人生』のタリグさんによる「名前が日本人や中国人に変わっても、自分が原住民であることを忘れてはならない」「原住民がいなければ今の台湾はない」という言葉が無意識に私の中に残り、それが『台湾萬歳』に結びついたのでしょう。実は、台湾でまだ行ったことのない場所を対象とする次回作の構想もあります。

—— それでは最後に、読者に伝えたいメッセージはありますか。

酒井 とにかく「台湾に行ってください」と伝えたいですね。特に、台湾の人口に比し、原住民の割合は2.3%ですが、台東縣ではそれが3割強にのぼります。『台湾人生』にご登場いただいた唯一の生存者であり、二二八紀念館(1947年に国民党の専売局闇タバコ摘発隊が台湾人女性に暴行を加え、これに抗議した群衆に摘発隊が発砲して1人を殺害。これに対し、2月28日に抗議デモがおこなわれたが憲兵隊による一斉掃射で多数の市民が死傷し、政府関連施設や中国人に対する抗議行動や襲撃事件が全島に拡大した「二二八事件」を伝える場所)でボランティア解説員を務めていた蕭錦文さんは現在引退していますが、会えることもあるかもしれません。そして、『台湾萬歳』はぜひ、笑いながら観てください。

◎台湾3部作最終章『台湾萬歳』http://taiwan-banzai.com/
 7月22日(土)よりポレポレ東中野にて公開ほか全国順次

[参考動画]映画『台湾萬歳』予告編(CINRA NET 2017年6月2日公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)
1972年、千葉県生まれ。大学卒業後、広告代理店・制作会社、サポート校、編集プロダクションを経てフリーライター、エディターとなる。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『労働情報』などに寄稿。映画評・監督インタビュー執筆、映画パンフレット制作・寄稿、イベント司会なども手がける。ドキュメンタリーや60〜70年代の邦画を好む。また、労働や女性などに関する社会運動に携わる。小林蓮実Facebook 

愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち
『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

「浪花の歌う巨人・パギやん」こと趙博(チョウ バク)の「誇張と嘘」

 
 

  
◆M君が心底信頼していた趙博

取材班が初めてM君に面会したとき、M君は趙博を心底信頼していた。趙博は「パギやん」とも呼ばれているが、会話の中で「そんなことわかってくれるのはパギやんくらいですかね」というM君の言葉を取材班はたびたび聞いた記憶がある。事後の相談のため、松岡と取材班の一部、M君、趙博らで一度顔合わせをしようということになり、大阪駅近くの居酒屋で顔を合わせた。なにせM君の数少ない支援者であるから松岡をはじめ、取材班の一部も打ち解けて趙と話をした。

だが、その時初対面であった趙の眼差しの印象を、複数の人間は同じ感想で見つめていたことがのちに判明する。趙の目の奥には曰く言い難い「暗さ」があった。しかしその「暗さ」がまさか下記のような展開を誘引する、とまで考えたものは参加者にはいなかった。趙は饒舌であり、また舌鋒も鋭かった。李信恵への人格批判もここには書けないほど凄まじかった。

趙は、

「辛淑玉さん、政治感覚全然ダメ! あのひと全然わかってないから」

「カウンターとか何とか言ってる在日の奴らには『チョン公死ね』言われたくらいでゴタゴタぬかすなって言いたい。1世2世の人たちはどんな思いをして生きてきたか全然奴らわかってない」

「今の運動、変ですよね。なんか変。集まってるのアホばっかりやもん」

など、われわれ外部の人間からすれば、はばかられるような、驚くべき発言を多く聞いた。

趙の見解すべてに参加者が同意したわけではないが、少なくともM君が受けている仕打ちがひどい、ひど過ぎるという点では一致していた(はずであった)。

◆5月6日、趙博の豹変

しかしそれから何が起きたのか、趙は5月5日突如李信恵と会談をする。5月6日に、趙は松岡を含む複数の人間に以下の内容のメールを送っている。

《昨日、李信恵とじっくり話しました。先ず、信義の問題として私が謝罪します。次に、被害者Mの誇張と嘘がはっきりしました。今日、彼と会う約束でしたが「精神的にしんどいので日を改めて欲しい」とのことでした。僕は逃げたと判断します(後略)》

また趙は翌日5月7日にはフェイスブックにもほぼ同内容の長文を掲載している。

今になってはっきりわかるのは、5月5日「趙博─李信恵会談」で、趙は相当厳しい「何か」を李側から突き付けられたのではないかということだ。趙にとっては可及的速やかに「転向声明」を出し、状況をこれまでと逆の方向に動かさねばならない役割に置かれるほど「重大な何か」だ。

その証拠は、下記の通話も含み、趙がM君の「誇張や嘘」と表現している内容につき、何ひとつ具体的な指摘を行っていない(行えない)こと、普段はそれほど頻繁に書き込まないツイッターやフェイスブックに間を置かず、「謝罪」を表明し、同時に取材班の田所にまで電話をして「印象操作」を試みた慌てぶりから明らかだ。

趙は李信恵と会った数日後からM君に「直接話したい」と連絡をよこしだした。松岡はじめ、取材班は「絶対に会いに行くべきではない」とM君を説得したが、これまで世話になった恩義を感じていたM君は「どんな話になるかわからないけど、男と男の話をしてきます」などと思い詰める場面もあった。きわめて危険な罠だった。しかし松岡らの強い説得により、M君は趙との面会を回避することができた。そのM君に対して趙が、どのように語ったか。

◆5月16日、趙博からの電話

下記は5月5日の「趙博─李信恵会談」から10日ほど経った5月16日、18時11分趙博から田所へかかってきた電話の内容だ。

  色んなデマを流されたことに関して、殴ったことに関して、もちろん殴ったことは悪いんだけど、そこの背景を全部抜きにして彼は被害者として振舞って、シネの言葉を借りると「ちゃんと和解しようとしたのにしなかった」という事を言ってる。僕は「じゃあ、あんたらきちっとしなかったの?」というところを詰めたんです。そしたらそれは「エル金を庇うためだ」と。「それ以上私たちがやると彼がしんどくなる」と。でも「それは良くないんじゃない」と僕は言ったら「そうだ」と。シネちゃんはきちっと文章にしてね、やろうといったけど、周りのみんなは「それは止めた方がいい、ほっといたほうがいい」ということだったんです。だから今日その辺をM君に聞こうと思ったんだけど、あいつ逃げたね。
田所 逃げた?

 
 

  と俺は判断した。だったらちょっと俺は……。俺の立場からすると乗せられた感じはしてた(笑)。ちょっとこれはもう白紙ですよ。Mを問い詰めなきゃいけないことになった。だから辛淑玉のことについても僕はきのう突っ込んで聞いたら、辛淑玉の「みんなへの手紙」っていうのは、シネちゃんがすぐ、辛淑玉に言って「違う」ということを言って、それで認めさせたと。そういうことを言ってた。「辛淑玉はそれを了解してんのね?」って言ったら「了解してる」って言ってた。田所さんはっきり言って、これ茶番だよ。ガキどもの。
田所 誰の?
  ガキどもの! ネットガキどもの。ネットでギャーギャーワーワー言ってる連中がさ、なんか暴力起こしてさ。俺はM君が本当に困ってる様子だったからね、付き合ってきたけどさ。田所さん、俺らの業界的に言ったらこれガセネタだぜ。
田所 それは事実もなかったということですか?
  うん。もちろん暴力は振るったんだけど、李信恵は殴ったって俺聞いてたから、そのことについて何度も言ったけど「殴ってない」。で警察にも取り調べの時にもそのことはちゃんと言ったし、まあ民団の前でも言ってたけど、俺は何でかと思ってたけどそうでないという印象をきのう持ちましたよ。
田所 確証を得られたわけですね。
  だから、Mさんとシネさんと会う気ありますって聞いたら、「いつでも会います」って。拒否してんのMの方だよ。という気がした。で、今日あいつが来なかったているのは「精神的にしんどいから日を改めてください」っていうのは決定的ですね、僕にとっては。お前そんな根性で喧嘩する気やったんかという。もういっぺんきちっとあいつと会わないといけないと俺思っている。俺こんなバカなことに関わってられないからね。
田所 仲裁しようと関わって来られたのにね。
  仲裁することは全然やぶさかじゃないけど、Mがそんな態度だったら俺あいつ糾弾しなきゃいけない。結局リツイートしてくれっていたのはあいつだからね。俺がリツイートした。それがわーっとなって、結局なんかワーワーギャーギャーなって(笑)。まあこんなもんかと僕は思っていたけど。まあでもね、シネさんもけろっとしてたよ。きのうは。全然傷ついてないわ。あそんなもんだろうという感じで。ちょっとそれは情報入れとこうと思って、ハハハ。
田所 趙さんとMさんのお付き合いは長いようですが私が趙さんにお会いさせて頂いたのは一回きりで、全体像についてもそんなに深く知っている訳ではないので、趙さんのほうがご存知で奔走されていたということしか知りませんからね。
  僕もそれでなんとか、と思ってたけど。シネは嘘をついてる感じじゃなかったな。きのう。「なんでオッパはそんなことしたの?」って。逆にM君のことを心配しててね。そういうことも含めてちょっとこれは仕切り直しですよ。M君が来たら話そうと思ったけど、僕の印象はあいつ逃げたなという感じだな。残念ですけど。また連絡入れます。
田所 わざわざありがとうございました。

◆M君を裏切った趙博

転身ぶりはこの電話の10日ほど前にすでに明らかにはなっていたが、趙が田所に話している内容は「誇張と噓」だらけであるばかりでなく、根拠のない悪意に満ちている。趙は事件の詳細を知っており、関係資料も目にしている。事実関係がどうであったかは知っている。だからM君を支援していたのではないのか。なにが「誇張と噓」なのか。繰り返すが、趙はその具体性を一切言及できない。M君の主張に「誇張も嘘」もないからだ。逆に李信恵が「M君を心配している」とはよくぞ言えたものだ。この時期李信恵はツイッターで「M君リンチ事件」を無きものにしようと、連日書き込みを行っていたではないか。そんな李信恵が「M君を心配している」? これを聞いて、「ああそうですか」という人は、悪徳商法で壺を買わされる人並みに気の毒な人だけだろう。

「M君リンチ事件」には多くの「裏切り者」が登場する。趙はその象徴的な人物といえる。集団リンチを受けただけでも心身のダメージは計り知れない。M君は幸い体が頑丈だったので、生命の危機には至らなかったが、普通体形の人、あるいは体の細い人だったら、生命の危機にかかわる暴行であったことは間違いない。

そして、読者の中にもご経験おありの方があろうが、「人に裏切られる」ほど精神的に辛いことはない。それが信用していた数少ない年長者であれば、どれほどの落胆とダメージを受けることか。

そんなことはお構いなしに「浪花の歌う巨人」こと趙博(パギやん)は活動を続けている。今も多くの人を欺きながら。


◎[参考動画]グーチョキパーの歌(趙博)(hanabi nw 2014年5月7日公開)
(鹿砦社特別取材班)
最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

資金も支援者も減り続ける反原連が孕む「独善性」「排他性」という宿痾

 
 

  
反原連(首都圏反原発連合)が資金不足から「ドネーション・プロジェクト」を始めている。反原連のHPには、

「2017年度初めの反原連の戦略拡大会議において、2016年度の決算を検討したところ、年間経費の約3分の1に当たる約360万円の赤字が計上され、これに2015年度の赤字額約150万円も加わり、このままではあと1年ほどで活動ができなくなることが判明しました。反原連が現在の運営状態になった4年前から大幅な経費の増加はないため、原発問題の長期化に加え、安倍政権の様々な悪政のため、人々の関心が原発問題以外にも分散したことによる、抗議参加者の減少や、口座へのカンパ額の減少などが原因であると考えています。
 これを受け、同会議で今後の方針を話し合ったところ、『金曜官邸前抗議』をはじめとする反原連の活動の必要性を訴える多くの人々がいること、安倍政権下での、3.11福島原発事故の反省も無い原発推進・原発回帰の情勢の中、道半ばで活動を止めることを考えるのは難しいことから、あと2年以上運営を継続することを目指し、目標額を1,000万円とするドネーション(カンパ)の呼びかけをすることになりました。これまで反原連では、積極的にドネーションの呼びかけをしてきませんでしたが、この度、初めて、強く訴えることを決断するに至りました。」

反原連のHPより

とカンパの訴えが掲載されている。原発問題が風化する中で、反原連に寄せられる寄付が減っているのはわかるが、鹿砦社としては「ああそうですか」と上記の文章を額面通りに受け取ることはできない。

◆反原連の内実を知れば知るほど「支援者」が減る

鹿砦社はかつて反原連に年間300万円を超える実質的支援を行っていた。上記反原連の予算規模がそのままであるとすれば、年間予算の3分の1程度を支援していたことになるが、反原連から一方的に「絶縁」を宣言されたのは、下記の通り2015年12月2日だ。当時の予算規模であればおそらく半額程度を鹿砦社の支援は支えていたことだろう。

反原連のHPより

われわれは「支援したから言うことを聞け」などと言っていたわけでもない。反原連に散見される「独善的」、「排他的」な言動に意見を伝え、出版社として当たり前に、独自の編集方針と、編集権で『NO NUKES voice』 を淡々と発行していたにすぎない。しかし反原連は、失礼千万、編集権への介入も著しい上記声明をHPに掲載した。反原連を鹿砦社が支援してはいたが、実際には社長松岡が反原連の活動に一時的に「騙されて」いたことがこの反原連による声明で明らかになる。

内実を知れば知るほど「支援者」は減るであろう。これが反原連に対するわれわれの偽らざる感想だ。
   
   
  

 
 

◆中沢けい、香山リカ、鈴木邦男、野間易通
  ── 「しばき隊」の別動隊と化した「のりこえねっと」

それは運動を中心で支えている人間の質に頭を傾げざるをえないこと、彼らが連携している他の運動体に、深い病巣を見て取れることから明らかだ。7月7日には複数の国会議員をはじめ、中沢けい、香山リカ、鈴木邦男らも演台に立ったようだが、この三人の登場が現在反原連の姿を明確にあぶりだしている。

中沢けい
香山リカ
鈴木邦男
 
 

  
この三人はいずれも「しばき隊」の別動隊と化した「のりこえねっと」共同代表であり、「M君リンチ事件」に関して隠蔽工作に手を染めた中沢けいや、「M君リンチ事件」にかんして鹿砦社をくどい程攻撃してくる香山リカ。あるいは度重なる鹿砦社、松岡からの問いかけを無視している鈴木邦男といった連中だからだ。

反原連の構成員すべて=「しばき隊」の別動隊と化した「のりこえねっと」の構成員ではなかろうが、現在もこの不健全な運動体を実質的に仕切る野間易通は反原連の一員であることからも、その密着性は明らかだ。

◆反原連よ、あなたたちの独善性は度を越えている

われわれは反原連を100%否定するつもりなどなかったし、健全な議論で問題解決を図ろうと試みた。松岡がそのために流した汗は並ではない。しかし、鹿砦社のまったくあずかり知らぬ「M君リンチ事件」が発生していたことを知るに至り、反原連への支援が、間接的とはいえ、われわれの意思と全くかけ離れた運動体による犯罪に関連していたことを突き付けられたのだ。これが一般市民であれば「ああ、なんとういうことをしてしまったのか……」で済ますことができるかもしれない。

しかし、小なりとはいえど出版を通じて社会に発信を行ってきたわれわれに「沈黙」は許される選択肢ではなかった。反原連よ、「反原発・脱原発」は結構だが、あなたたちの独善性は度を越えている。特定党派を「排除」する声明など出す権利が、公道上で集会を行っている団体にどうしてあるのだ。あなたたちの仲間は「過激派だからこいつら逮捕してくださいよ」と警察に詰め寄った。あの発語は偶然でも、例外的な過ちでもなく、反原連の行動原理の根底に共有されているものだとわれわれは了解する。われわれは反原連のこのような姿勢を断じて容認しない。

それにしても、「M君リンチ事件」とは無関係の登壇者もいるが、中沢けい、香山リカ、そして鈴木邦男の登場には愕然とさせられる。鈴木邦男よ! あなたは松岡の度重なる心の叫びを無視するのか! 鈴木を称して松岡は「八方美人」、取材班は「無節操・ボケたか?」と評したが、ここまで来ると鈴木の妄動は「蝙蝠(コウモリ)」にたとえざるを得ない。

反原連は反原発、脱原発を目指しているはずだろう。その目標に異議はない。しかし、あなたたちのような「3・11」後の運動ではなく、それ以前から石にかじりついて活動してきた人びとへの嫌がらせは目に余る。そしてあなたたちは、なにより「傲慢」にすぎる。

反省など期待できない団体とは知りながらも最低限、鹿砦社として意思表示をしておく。それが一時的とはいえ、「支援」をしたものの責務であるからだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

7月18日早稲田大で無料再演!社会派ブラックコメディ『キョーボーですよ!』

◆すでに治安維持法より広範囲な共謀罪の犯罪対象

6月15日に成立し7月11日施行された共謀罪だが、北から南まで日本全国で同法廃止へ向けての取り組みがなされている。

犯罪を実行していなくても計画段階で逮捕したり家宅捜査できるのが共謀罪だ。犯罪を「計画した」「合意した」と判定する権限を100パーセント持つのは、警察などの捜査機関だから、警察全権委任法といっていい。

反対者を弾圧した戦前戦中の治安維持法ですら、当初は共産主義者取締などに対象が限定されており、しだいに拡大されて、絵を描く人や俳句の会まで弾圧された。それに対して共謀罪は、277(数え方によっては316)の犯罪に共謀罪がつくので、最初から広範囲の市民に網をかけるものだ。

◆とんでもない危機に、とんでもなくフザけた演劇

すでに法律は施行され、監視が始まっている。戦後日本の最大の危機と言っても過言ではない状況なのだが、このとんでもない危機に、とんでもなくフザけた演劇が上映される。

社会派ブラックコメディを世に放ち続けてきた劇団チャリT企画の『キョーボーですよ!』(作・演出、楢原拓)がそれだ。実は、強行採決直前の6月9日~6月13日に、東京都新宿区の「新宿眼下画廊 スペース地下」で上演されたので筆者は初日に観に行った。

共謀罪をめぐる国会内での与野党の攻防や反対運動がピークに達する時期と上演期間がぴったりと一致してしまったので、リアルな感覚が迫ってきた。この作品が、入場料無料で7月18日に再上演される。

7月18日早稲田大で無料再演決定!『キョーボーですよ!』 
『キョーボーですよ!』上映会のチラシ

今回は、劇団「チャリT企画]と[早大有志の会]のコラボ企画だ。

7月18日(火)18:30開演(18:00開場)
18:30~早大・梅森直之教授 講演「キョーボーですか?」
19:10~劇団チャリT企画 公演「キョーボーですよ!」
早稲田大学小野記念講堂
入場無料(全席自由200席)
詳細は http://www.chari-t.com/pc/information.html
劇団ホームページ http://chari-t.com/kyobodesuyo/

◆「びっくりするほど簡単にあなたも今日から犯罪者」

いったいどのような内容なのか。

《平凡な市民サークルが突然わけもわからずテロ集団と認定され、テロの実行を共謀したとしてメンバーが逮捕されてしまう。そして、ものすごく不当な扱いを受けたあげく、しまいにはメンバー全員に「処分」が下される。

知らなかったでは逃げられない異常な事態。
果たして彼らの運命や如何に?
“今日もあなたを誰かが見ている”》
(以上、同劇団のチラシより)

“今日もあなたを誰かが見ている”

このあらすじは、共謀罪法案の核心を突いている。本人には、犯罪を計画した覚えもなければ、合意・賛同した覚えがまったくなくても、あるいはそう主張しても通用しない。

仮に犯罪計画に一度でも合意(暗黙の合意、目配せでも合意したとされる可能性あり)してしまったら、あとになって「そんなの危ないから止めた」と思って実際に何もしなくても、罪は成立してしまう、ということになっている。

だれかが警察に通報して「こんなことが話されていました」と言えば、犯罪の計画や合意があったとされかねない。そして通報した密告者は、罪を免じられる。したがって、疑いを掛けられた者が助かる方法は密告しかないのである。

本作は、以上のような共謀罪の本質がしっかりと盛り込まれている。人の弱みに付け込んで供述させる警察のやり方、取調べ方法など、おそらくこんなことになるだろうな、と思わせる内容がちりばめられているのだ。
 
もちろんコメディだから笑いっぱなしなのだけれど、笑いながら胃の辺りに不快感を覚えた。夜遅めの食事を採り、朝起きたときに胃がもたれる、あの感覚である。

へたをすると、この演劇はブラックコメディとは言えなくなってしまうのではないか。あたかも近未来の現実をそのまま演じているように思えてしまうからだ。

◆安倍政権こそがブラックコメディ

チラシには小さな文字で「※料理番組ではありません」と笑いを誘うような文言が書いてある。「キョーボーですよ!」のタイトルは、料理番組の「チューボーですよ!」をもじってあるからだ。

だが、公式WEBサイトに掲載された出演者の内山奈々さんのインタビューがアップされている(インタビュアーは小劇場舞台制作団体BMGの長谷川雅也氏)のを見ると、やっぱり料理番組的ともいえる。

「チラシには『料理番組ではありません』と書かれてますが、料理番組と思っていただいてかまいません。どこにでもいる普通のおばちゃんが、『お前、包丁研いだだろ』と言われて捕まるような話です」

その言葉どおりの内容だと言っておこう。

今回の作品を制作した劇団チャリT企画は1998年に結成され、時事ネタや社会問題などの思いテーマをコメディとして世に送り出してきた。「ふざけた社会派」「バンカラ・ポップ」と彼ら自ら称する異色の劇団だ。

過去には、特定秘密保護法をテーマにした『それは秘密です』などを手掛けて注目された。特定秘密の内容はもちろん公開されず、「秘密は秘密」という法律そのものが「秘密は秘密」で一般人にはまったくわからないというマンガ的状況がよくわかる作品だった。

共謀罪でも、森友・加計学園疑獄でも、政府や自民党の対応を見ていると、国会内でブラックコメディを演じているかのようだ。それも、へたなシナリオ、ひどい演技である。

ろくでもない“永田町芝居”を見せられた後に、プロが演じる面白い芝居を観て、共謀罪廃止へ向けてのエネルギーとしていただきたい。


◎[参考動画]チャリT企画『キョーボーですよ!』ゲネプロダイジェスト(2017年6月9日公開)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち
『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

M君リンチ事件から李信恵を守るジャーナリスト、安田浩一の矛盾〈後〉

 
 

  
前回に続き、安田浩一へのインタビュー(2016年3月23日の電話)の後編を公開する。

《安田から2度目の電話》

安田 あの田所さん、ごめんなさい、もしかしたら『紙の爆弾』とかに書こうとされていますか?
田所 いえ、別に寄稿の依頼はありません。私はこちらから持ち込んで書いてもらえる(ようなところはありません)。『紙の爆弾』に記事を書いたことはありますけれども、今の段階で別にどこのメディアどうこうって全く予定はありません。
安田 あ、そうですか。どちらに書かれるのもご自由だと思いますし、僕が何も制限させてもらうつもりはないんですけれども、『紙の爆弾』であれば、僕はある種何か意趣返しじゃないかなと感じたものですから。
田所 はい? とおっしゃいますと?
安田 『紙の爆弾』でもある種、運動圏に対して非常に厳しい冷たい視線を向けたりしてることが最近ありましたから、『紙の爆弾』はね。あるいは反原連の関係におきましても。しかも『NO NUKES voice』など見ますと、更に大きいネタを掴んでる、みたいなことをたしか松岡さんが書かれてたような記憶もありますんで、そういう文脈であるのであれば嫌だなと思ったのは正直なところです。
田所 今のところ私はこの件では、李信恵さんに電話取材しまして、今日安田さんに電話させていただきまして、あとは実際にカウンターされている方に二、三、情報は聞いてはいるんですけれども、まだまだとてもではないですけれども全体像が掴めていませんので、それがどんな感じのものなのかということ自体がまだわかっていない段階です。それが果たして記事にできるものなのかということすらまだわからない段階で、むしろそういうことの指針をいただきたくて安田さんにはお電話差し上げたということです。
安田 指針なんて言われるほどのものでもないし、どんな媒体に書いてもそれは僕は自由だと思いますから、そこに何か是非を加えたり加えようと思うことは僕はないんです。ただ『紙の爆弾』であれば、松岡さんが何かそういった大きなネタを掴んでるといったような文脈の延長線上に今回の取材があるのであれば、非常に不愉快だなと思って。
田所 それは全くないです。
安田 そうですか。やっぱりそんなにデカいヤマ(事件)なのかどうかっていうことに関して、僕は甚だ疑問ですし、結果的にどうなるかって考えると、もちろんどうもならなくていいし、目的もない記事を量産してきた僕は言えないんだけれども、結果的に何か運動を縮小させたり、せっかく頑張って傷付いて戦ってる人を更に傷付けるってことが目的であるのならば、嫌だなと思ったわけです。
田所 そういう目的は少なくとも私は持ってないつもりです。
安田 今回のことに関してはデマや誇張された形で持っていって流通してるようにも感じますし、誰が喜ぶのか、誰を喜ばせるのかってことを考えた時に、僕は喜ぶ人の顔が見えてすごく嫌なんです。

安田浩一(『人権と暴力の深層』より)
 
 

  
◆「何か運動の中の組織的に行われた暴力ってわけじゃないんでしょ」

田所 誇張したデマなどももうネットには出ているわけですか?
安田 出てますよ。暴力事件がどうのこうのとか。で、結果的に誰が喜ぶのか、誰を利するのかと考えると嫌だなという気はするんですね。結果的にどんな取り繕おうが、どんな美辞麗句を使おうが結果的に運動に分断を持ち込んで、亀裂を深めさせ、対立を煽ることにしかならない。僕個人はそう考えてる。これが社会的大問題であればですよ、例えばかつて新左翼と呼ばれた方々の内ゲバに発展することであったり何かそこで凄惨な粛清が行われたのであれば、それはそれで社会的な問題として提起することが可能であったでしょうけども、そんな問題でもないでしょうしね。
田所 私が伝えられた内容は鼻の骨を折る大怪我をして顔の形が変わっているという表現で伝えられたんですね。
安田 でもそれがね、何か運動の中の組織的に行われた暴力ってわけじゃないんでしょ。なんかよくわからない喧嘩っぽい。
田所 それはわからない。まず私は被害者の方に聞かないことにはわからない。
安田 それはそうですね、それは裏取りする必要がある。
田所 憶測で判断したくはないなと思っているんです。
安田 それをどういう形でもって発表されるかわかりませんし、ただ結果的に僕は疑ってるのは紙の媒体の意図の中で何かうまい具合にネタが作られているような気がしないでもないんですよね。
田所 ネタが作られてる?
安田 ええ。
田所 紙の媒体の中で?
安田 『紙の爆弾』の意思や意図が反映されてるんじゃないかという気がしますし、田所さんがこの取材をされてるということはね。何に興味を持たれてるのかなぁというのが疑問にあります。いったいこの問題のどこに問題があるのか。
田所 かつての新左翼の粛清と言いますか暴力による内ゲバみたいなことがありましたよね。そんなことを私は歴史的には知ってるんだけれども、肉感的には知らないんですね。今のカウンターの人たちがどういう様な形で動いているのかということは、私は現場に行って皆さんと一緒に行動して、安田さんのように現地で取材をするとか、これをメインのテーマとして扱っている人間ではないものですからよく知らないんです。側面から見ていて在特会の問題とかお金の流れとか、そういうことを自分で調べながら記事にすることはあるんですけれども、実際の在特会がものすごい無茶苦茶なヘイトスピーチをしている所へ出て行ってカウンターの方の抑えてる場面とかを取材したことはないんですね、私自身。
安田 そっちの方がよっぽど問題としては大きな問題であって、一方的な暴力によってむしろ傷ついてるのは李信恵をはじめとする在日当事者であって、そしてカウンターと一口におっしゃいますけども、カウンターって組織じゃないですからね。何か組織があるわけではご存知の通り、カウンターって称するって、この間も東住吉に大勢の人が集まりましたけど、誰一人として組織に属してるってわけでもないし、いわば自発的に集まってる人の総称としてカウンターとして呼んでるのであって、論調の違いでもって何かトラブルが起きるとかそういうのはない。まだまだ地雷を抱えながらそれぞれがそれぞれの戦いをしてるのであって。何が問題なのか僕はわからない。
田所 ちなみにちょっと古い話になるんですが、私は20数年前から辛淑玉さんと親しくさせて頂いてまして、石原知事だった頃の「第三国人」発言の際には私も及ばずながら共闘した人間です。ただ私が聞いているのは被害者が顔を殴られて骨が折れて顔の形が変わっているという話です。発表するしないは別に、その真偽を確かめたくなるのは安田さんにもお分かりいただけると思います。もし本当であれば、安田さんがさっきおっしゃったように、そんな軽いことではないという可能性も出てくると思うんですね。
安田 うーん

安田浩一と香山リカ(『人権と暴力の深層』より)
 
 

  
田所 だから安田さんもまだ詳細はご存じないわけであって、私もわからないわけであってそのことに対する評価というものはまだする段階ではないと思うんですね。
安田 わかりました。そういう熱意を持って取材される意味が僕にはよくわからないんだけど。取材されるのは自由ですから、これ以上特に言及することはないんですが、少なくとも、ただここまでお話しましたから万が一、僕の懸念もわかっていだいたと理解した上で取材していただいたと思いますけれども、何度も言いますように一つこう約束してください。僕は取材拒否ということはしたくないので、極力どんなお電話でも取りますし、どんな自分と考え方の違う人の問い合わせであっても極力答えるようにしております。ですから今回もそう思ってあえてこちらからお電話差し上げましたけれども、もしカギ括弧を使うのであれば、僕は運動を貶めるための目的や意図があるのであればご協力したくないということだけ、カギ括弧として使ってください。申し訳ございません、お約束いただけますでしょうか。
田所 もちろん確実にわざわざお電話までいただいて、それを裏切るようなことは決していたしませんので。 (電話の会話は以上)

◆「M君」に対する心遣いの言葉の断片も聞くことはなかった

どうだろうか。太文字と赤い下線の部分を特に注意して再度ご覧いただきたい。安田は最初に「僕もそういう話は聞いたことはありますけれども」と言い、また「僕その場に居たわけじゃありませんし、また聞きですからね」はずなのに、終始事件を「取材」すること自体に疑問を呈し、「訳が分からない」と繰り返している。詳細を知らないはずなのに「だけどもことさら取り上げることの意味がさっぱり分からないし、なんとなくその取材に向かう回路そのものに僕は胡散臭さを感じてるんで、」と極めて神経質に、事件の内容が明らかになることを警戒している。そして明言はしないものの、「取材をしてくれるな」というニュアンスが至る所に見られる。

安田が田所の取材に警戒心を隠さなかったのは、せっかく功を奏しそうだった「M君リンチ事件隠蔽作戦」が社会に広く知られれば「結果的にどんな取り繕おうが、どんな美辞麗句を使おうが結果的に運動に分断を持ち込んで、亀裂を深めさせ、対立を煽ることにしかならない。僕個人はそう考えてる」のと、「僕とすればこれは明らかに李信恵を貶めるための情報だと思うので一切協力はできない」のが本音だろう。

しかしここで安田の言う「運動に分断を持ち込んで、亀裂を深めさせ、対立を煽ることにしかならない」という理由は逆に言えば、「被害者M君の被害回復よりも、運動のほうが大切だ」ということになる。そして事件への言及で安田の口からは、ついぞ「M君」に対する心遣いの言葉の断片も聞くことはなかった。おそるべき加害者擁護、運動第一主義である。

◆「C.R.A.C.」はいまも存在するし、悪名高かった「男組」は明確な組織だった

安田は「カウンターって組織じゃないですからね。何か組織があるわけではご存知の通り」とここでも明白な虚偽を述べている。現在に至るも野間易通が君臨する「C.R.A.C.」は存在するし、解散はしたが悪名高かった「男組」は明確な組織だったじゃないか。そして、何よりITOKENこと伊藤健一郎が鹿砦社元社員藤井正美に宛てたメールにあった「説明テンプレ」と「声かけリスト」はカウンター全員ではなくとも、その中の一部が「組織化」されていた動かぬ証拠だ(詳細は『反差別と暴力の正体』参照)。

「カウンターは組織ではない」、「リンチ被害者などどこにもいない」ように世論形成をしたがっている安田は、「差別反対」であれば「集団リンチ」も黙認し、被害者を無視、いや攻撃さえする。さらには冒頭述べた通り、障害を持つ田所の公開を望まないのに写真を掲載した野間のツイッターを肯定するなど、最近の言葉でいう「アウティング」(身分晒し)を肯定していることになる。

この男、策略と矛盾だらけではないか。

◎M君リンチ事件から李信恵を守るジャーナリスト、安田浩一の矛盾〈前〉(2017年7月17日公開)

(鹿砦社特別取材班)
最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

M君リンチ事件から李信恵を守るジャーナリスト、安田浩一の矛盾〈前〉

 
 

  
鹿砦社に「M君リンチ事件」の情報がもたらされたのは2016年2-3月。取材班が結成され、その中で田所敏夫がさしあたり、李信恵、安田浩一、辛淑玉に電話取材を行い、取材班は同時期に被害者「M君」から直接話を聞くことになる。

その時は、まさかこれほどの「闇」が背後にあろうとは予想しなかった。私たちがいま目にしているのは、まぎれもなく「闇」だ。加害者や加害者側とされる人びとの取材には骨が折れた。

◆取材班・田所の顔写真を載せた野間のツイッターに「いいね」を押した安田浩一

以下に紹介する安田浩一への電話インタビューは2016年3月23日に行ったが、李信恵にはそれに先立つ3月20日、辛淑玉には3月28日、また少しあとだが被害者「M君」の側に立ちながら突如加害者側に寝返った趙博から電話があったのは5月6日だ。
李信恵を取材したらどういうわけか、野間易通のツイッターに田所の顔写真が大写しで掲載された。あるシンポジウムをIWJが放映した際のアーカイブから取られたものであることは田所の指摘ですぐに判明した。そしてこの映像の情報を野間に知らせた人物もすでに特定できている。

田所は通常写真撮影されることを、よほどの状況でない限り「お断り」している。取材班しか知らないが、田所は複数の障害を抱え、目にも病を抱えており、これまで2度の手術を受けている。それゆえファッションではなく、常時(夜間でも)サングラスをかけている。田所は人前で話す際には、必ずこの理由を説明しサングラスをかけたまま、話す失礼をお詫びしてから話をはじめる。

安田浩一は鹿砦社から「田所の顔写真が野間のツイッターに無断で掲載されたことをどう思うか」、との質問に対して(ちなみに安田は野間ツイッターに掲載された田所の顔晒し投稿に「いいね」をしている)「書くものの覚悟」だと回答してきている。障害があるが故に「不本意な形で」自分の顔写真の撮影、公開を望まないのは「書くものの覚悟」なのか。障害について語るか語らないかは本人の自由ではないのか。それとも「どんな障害か説明しろ」と迫られればならないのか。それが言論界のルールなのか。

◆安田浩一の警戒ぶりと矛盾

さて、そんな安田へのインタビューをご覧になればお分かりいただけようが、安田の警戒ぶりと矛盾は甚だしい。田所の質問に「僕もそういう話は聞いたことがある」と一応事件を知ってはいることを認めながら、田所が「取材をすることの意味が解らない」、「何がしたいんですか」と詰め寄る。

2016年3月20日、田所が安田の携帯に電話をかけたが留守録だったので、電話をかけた趣旨を残したところ、安田からの着信があったという。一度目の会話が終わり、しばらくしてまた安田から電話がかかってきた。まずは田所と安田のやり取り(蛇足の部分は省いてある)をご確認いただこう。

《安田から1度目の電話(コールバック)》

安田 すみません、お電話いただきまして。
田所 申し訳ありません、コールバックいただきまして。わたくし田所と申します。初めて電話をさせていただいて恐縮でございます。実はわたくしのところに、「クラック(C.R.A.C.)関西のイトウ」と名乗る方から非通知で電話がありまして、この電話があったのが一月ほど前なのですが、「2014年12月17日に大阪である方が、いわゆるカウンター界隈の方なんですけれども、何人かの人に大変な暴力を受けた事件があるけれども知ってるか」と言うタレコミの様な電話があったんですね。そのようなことがあったことについて、安田さんは聞きおよびではございませんでしょうか。
安田 僕もそういう話は聞いたことはありますけれども。まずネタ元がまず確かなのかどうかということと、クラック(C.R.A.C.)関西という組織ありませんし、クラック(C.R.A.C.)大阪はありますけどもね。イトウと名乗る人物、多分ITOKENのことなんだろうけども、本人そういうことをどこかに電話するっていうことはありませんし。
田所 私が聞いた感じでは関西弁ではなくて、東京なまりの人でしたので、まあ東京なまりの人も関西に住んでますけれども。
安田 尋ねられればね、僕も書き手の一人としては取材拒否するということはありませんけれども、まずネタとして成立しそうな話なんですかね。暴力事件と言いますけども、具体的にどういう状況でどういう環境の中で行われたかって、僕その場に居たわけじゃありませんし、また聞きですからね。その詳しく状況がわからないなかで。
田所 そうですね。安田さんはそこにいらしたわけではありませんね。
安田 で、何が起きたのかとか何がどうだったのかということはできませんし。それ、どこか媒体か何かに載せられる設定で取材されてるんですか?

 
 

  
田所 場合によったらそういうこともあるかもわかりませんけれども、まず全体像がわからないものですから。ただですね、わたくしに伝えてきた人は暴力をふるった人の一人に李信恵さんがいらっしゃると明言されていたんですね。実は数日前に李さんに失礼ではありましたがお電話さしあげまして、そういったことがあったのでしょうかとお尋ねをしようとしたのですが、お話はいただけませんでした。「松井やより賞」受賞された彼女が本当にかかわっているのであれば事件だという認識を私は持っています。そういうことがあったということは耳にしていらっしゃるのかどうかというあたりを、まずそれだけをご存知かどうかということをお尋ねしたくてお電話差し上げた次第です。
安田 わかりました。やっぱり取材者の立ち位置と、どこの媒体に掲載するのかということが明確にわからなければ、僕、何もお話はできませんし、李信恵は体張って先頭立って戦ってる女性でして、賞を受けたかどうかは関係なく知名度も関係なく、彼女のある種運動をけん引するような立ち位置にあることは事実なわけで、僕は彼女を貶めるようなことに関しては正直言って協力したくないんですね、結果的に。

◆「何が目的なんでしょうか? 暴力事件なるものを明らかにされるというのが目的なんですか?」

田所 今も裁判なさってますもんね。
安田 関わってるし、最も激しく傷つきながらこの問題に対峙している人間の一人です、彼女は。そうした中で、特に例えばこれが対外的な暴力事件みたいなことでスキャンダル的に取り上げるような価値があるのであればまた別ですけれど、僕からすればそういう価値は全くないと判断してますし、なおかついわば結果的におそらく、田所さんがどういうお立場なのか僕は存じませんが、李信恵を貶めるためであるならば僕はやっぱり全く協力、このことに関して言及したくないし。
田所 私の立場を申し上げますと、差別については明確に反対の立場です。
安田 まず暴力を振るったとされる方と振るわれたとされる方、双方にお話をあてたんですか? まずそちらに当てるのが先なんじゃないですか? 事実関係を。
田所 ええ、ですから李信恵さんは加害者ということで情報があったものですから、李さんにはお電話を差し上げました。ただこの事件について聞くのは難しかったです。そもそもそういう事件があったのだろうという傍証は取れましたが、安田さんはこういう界隈のこと俯瞰的に非常に高いところからご覧になってらっしゃる方だと思いますので。
安田 買い被り過ぎです。高い所から俯瞰して見るという慣習は僕の中にはなくて、僕は常に取材者であると同時に当事者でありたいと思ってますから。僕はそれはだから特に僕としては何か問題があったという認識では僕はないですし、それでいったい何を目的にそれを取材されて、どこにどんな記事を書くのかということは当然気になりますし。何が目的なんでしょうか? 暴力事件なるものを明らかにされるというのが目的なんですか?
田所 クラック(C.R.A.C.)関西のイトウと名乗る方が私に伝えてきた内容というのは相当衝撃的ではあるんですね。
安田 ほおほお。
田所 被害者の方が負ったケガの程度も軽度ではないですし、いまだに治療されているということでした。顔の形が変わるほど殴られたという話です。仮にそれが事実であれば「顔の形が変わって骨折する」というのはそれほど軽いことではないのかなと考えます。
安田 でもそれちゃんと裏取りした方がいいですよね。事実なのかどうかとか。
田所 もちろんそうですね。だからこれから。被害者の方に、まだちょっと被害者の方の電話番号などもわからないんですけれども、被害者の方に直接お会いして。
安田 そこまでは知りませんし。
田所 ええ、それは私の方でこれから。
安田 それからきちんと裏取りすべきだと思うし、そこでどんな問題が生じたのか、単に一方的に殴っただけなのかどうかとかそういったことを含めて、それこそ田所さんのお立場から聞くのであれば俯瞰的に見る必要は当然でてきますよね。それによってどんな影響が出るかということも考えてますのでね、単に貶めるだけであるんだったら、僕はやっぱり信頼して協力はしたくないな。
田所 そうですね、私も差別者を利するような取り上げ方をしたくないとおもっているのですね。

安田浩一(『人権と暴力の深層』より)
 
 

  
◆「男の子としての喧嘩なんていくらでもやったことありますし」

安田 ネットとかでも最近出てるじゃないですか、そういう話が。なんか暴力事件があったとか何とか、僕もネット見ましたけども、結果的にその時点でもって差別者を喜ばせてますし、それを材料として喜んでる人がいっぱいいるわけですよ。僕自身は暴力を丸々肯定するわけではありませんけれども、僕ももともと男の子としての喧嘩なんていくらでもやったことありますし、差別者の胸ぐら掴んで殴り倒したい気持ちになったことはいっぱいありますし、それをいちいち僕は小さな否定はしてないんですよね。暴力を大声でもって肯定することはしてませんけれど、そういう小さな衝動なんていうものは僕もいくらでも抱えているものであって、ましてやそれを問題視し記事化するってことが社会的な影響力ってことも当然僕も考えますから、丸乗りすることは僕はできないですね。心情的にはとても無理です。田所さんが一生懸命取材されてることはわかりますけれども、もちろんそれによって差別者の立場からそれを肯定するうえで記事を書こうとしてるんじゃないということは十分理解します。だけどもことさら取り上げることの意味がさっぱり分からないし、なんとなくその取材に向かう回路そのものに僕は胡散臭さを感じてるんで、田所さんではないですよ、その取材に向かわせようとする動きそのもの、その回路そのものに僕は胡散臭さいものをとっても強く感じてますので、これまでの文脈から、今までに僕に聞いてきた人物も含めて、だから僕は回路そのものを疑っているので、疑っているというか胡散臭さを感じてますので、僕とすればこれに関して何か言及することはできないし、そもそも事実関係を正確に知ってるわけでも何でもありませんから、推測だけでものを言いたくもないし。

◆「李信恵をはじめとする一生懸命活動している人間を貶めるための情報に僕は協力はすることはできない」

田所 そもそも安田さんは何かあったということは聞いていらっしゃるけれども細かいことはご存じないので、当然のことですけれども知らないことは細かいことについて論評のしようもないし、それプラス伝わり方というかそれに対して関わって来てる人間が別の意図を持って関わって来てるんじゃないかという心象を持ったこともあると。
安田 だからその片言を取られると困るんですけれども、僕とすればこれは明らかに李信恵を貶めるための情報だと思うので一切協力はできない。カギ括弧にするんだったらそうしていただきたいです。それは僕からのお願いです。僕のカギ括弧をもし使うとするならば、「李信恵をはじめとする一生懸命活動している人間を貶めるための情報に僕は協力はすることはできない」 そういうカギ括弧を使っていただきたいと思います。
田所 わかりました。
安田 是非そうしてくださいとしか言いようがありません。
田所 形になるかどうか自体もまだわかりませんし、これから被害者の方に当たったりというような段階ですので、一応今のカウンターの中では権威でいらっしゃる安田さんがひょっとしてご存知だったらどういうご見解かなということでお伺いしたんですが、ご丁寧にもコールバック頂いて大変恐縮で、ありがとうございました。
安田 見解というのは今私が言ったことだけですね。申し訳ありません、それ、紙として、田所さん信頼していますけど、分けて書いて下さい。僕とすれば李信恵をはじめとするそういった人々を貶める、運動そのものを貶めるものであれば協力はできないと。そのカギ括弧以外は使わないでください。
田所 わかりました。

(後編につづく)

(鹿砦社特別取材班)
最新刊『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。
AmazonでKindle版販売開始!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)