「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

高橋源一郎、山口二郎、小林節、小熊英二、内田樹、上野千鶴子をはじめとする「シールズ」応援団の現・元大学教員に聞きたい。
あなたたちは人生の中で、とりわけ学究活動に身を置くようになり、何を学び何を経験し、何を学生に教壇から講義してきたのかと。

「シールズ」は20世紀の最終盤に産れた世代の学生が構成していた。だから彼らには60年安保、70年安保の実体験は当然ない。私自身だって60年安保、70年安保を自身の体験として経験している訳ではない。経験はないが書物や各種の情報、そして何よりも私自身がそれらを、決して軽視できない問題だと感じたから、断片的ながら調べることはしたし、私が生まれるより前に惨殺された、樺美智子の名前は、小林多喜二同様、頭から離れることがない。

数十万人の激しいデモに身を置いた経験もなければ、国会周辺を取り巻く「怒り」の一員になった経験もない。だけれども「どのようなことが起こったのか」、「人々の怒りはどう現されたのか」についての私の想像は、それほど的外れなものではないように思う。

ひるがえって、昨年の「戦争推進法案審議」の際に国会周辺で繰り広げられた「シールズ」による行動には、当初から極めて強い違和感があった。「本当に止める」と書かれたプラカードの文字は真逆の意味にしか受け取れなかったし、「とりま廃案」の「とりま」の意味は知り合いの若者に聞くまで解らなかった。シャボン玉よりも軽そうな、そしてシャボン玉ほどの瞬時の輝きすら持たないこれらの言葉は、本来自然に高まっていく「怒り」に穴をあけて、茶番劇が茶番劇を認める役割だけを果たした。

「シールズ」も大学生なのだから、言論については批判や責めを負う責任はあろうが、もっと指弾されるべきは、彼らの「無知」振りに「違う、そうではない」と豊かな経験と知識から諌めるべき学者や、教員があろうことかもろ手を挙げて、あの空疎な乱痴気騒ぎを称賛したことだ。全共闘運動の何たるか、何であったかを賛否はともかく経験しているであろうはずの、高橋、山口、小林、上野らが吐いた「ことば」がどれほど軽率なものであったことか。

しかし、よくよくこの面々の名前を見直すと実は共通項がある。彼らはいつの時代も根源的な正義ではなく、その時代に受け入れられやすいトピックに必ずと言ってよいほど顔を出す連中だ。上野は京大時代には学生運動の中でも相当に過激な運動を牽引する指導的学生と近しい関係にあったと聞いている。その経験と昨年のシャボン玉ほどの重さもない空疎なイベントを自身の中で学者として真摯に比較し、無知の過ぎる学生たちに彼女自身の経験(それが成功にせよ苦い経験にせよ)を何故語らなかったのだ。本気であのイベントが「新しい運動」だと考えていたのか。そうではあるまい。彼女の打算高さを考えれば別の計算が働いていたはずだ。

山口二郎は法政大学の教員として、なぜ足もとの法大キャンパスで起こっている、異常事態を問題にしないのだ。「ついに国民の怒りが爆発しましたね」などと、的外れなコメントする前に、学内でビラ配りも出来ない、立て看板も立てられない、公安警察が常駐する異常事態を何故問題にしないのだ。彼自身が積極的に動いた「小選挙区制」を導入すれば、今日のような政治的閉塞状態、多様性のある政党が存在できなくなることは自明であったにもかかわらず、それを積極的に推進した責任をどう考えるのだ。

「世に倦む日日」主宰の田中宏和さん

つまるところ、「シールズ」応援学者は、私の見るところ、インチキばかりだ。

このような粗雑な感想ではなく、社会科学的手法を用いて「シールズ現象」を読み解いた『SEALDsの真実』が発刊された。著者である田中宏和氏は、人気ブログとツイッター「世に倦む日日」で積極的な発信を行っている在野の研究者である。『SEALDsの真実』では、鹿砦社の本コラムや『NO NUKES voice』以外、一部の右派を除いては批判が皆無に近かった「シールズ」にメスが入る。

「忖度」や「自己規制」という言葉をメディア関係者からしきりに耳にするようになった。そんなものは不要だ。本書は「事実を直視することの大切さ」と「知識・学識への態度」について我々に多くの示唆を与えてくれる。

◎田中宏和さんのブログ「世に倦む日日」
◎「世に倦む日日」ツイッター 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』08号【特集】分断される福島──権利のための闘争


鹿砦社の総反撃がいよいよ開始される。熊本の大地震を目の当たりにしながら、川内原発の運転を停止しない、原発マフィアどもに、反原発運動の仮面を被りながら、その実、警察権力と手を携え、ひたすら「排除の論理」で唯我独尊に陥った「反原連」へ、そして、「反原連」を出自とする、リンチ事件が専ら噂のしばき隊、その子分で「9条改憲」を持論とする「シールズ」の諸君へ!

◆25日(水)、『NO NUKES voice』第8号発売開始!

第一段は今週25日(水)発売の『NO NUKES voice』第8号である。第一線で闘ってきたジャーナリスト、研究者、市民運動家にご登場頂き、各持ち場での持論を展開して頂く。三者三様の立場から我々が学ぶべきものに限りがないことを、改めて認識させられる。

また、福島に寄り添う気持ちを忘れないためにも、今号も現地福島に取材班が足を運んだ。過酷な現実と向き合いながらも、将来を切り開こうとする揺るぎない意思をご紹介する。決して楽観論のみでは語れない福島の現実を私たちは直視してゆこうと考える。

田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

◆27日(金)、「世に倦む日日」田中宏和さんの『SEALDsの真実』発売開始!

そして27日の金曜日(場所によってはそれよりも早く)には「世に倦む日日」主宰、田中宏和さんによる『SEALDsの真実』がいよいよ書店に並ぶ。アマゾンで告知した直後、一時は人気第一位を記録した注目の問題作だ。

奥田愛基がすぐにTwitterで鹿砦社に対して侮蔑的な書き込みをしたことからも明らかなように、本書の出版については「シールズ」に関わった人々がかなりナーバスになっているようだ。しかし、心配は不要である。本書は「シールズ」に対して正面からの問題提起を行うものであり、彼らの庇護者である「しばき隊」が常套手段として用いる、恫喝、罵声浴びせ、身分明かしなどといった卑怯な手法は、当然の事ながら一切用いられてはいない。あくまでも社会科学的に「シールズ現象」とその背景についての考察が加えられた、学術書に過ぎない。しかしながら、であるからこそ、実は彼らにとっては痛撃となる可能性は低くないだろう。ツイッターの140文字空間にだけ、生息場所を持っている窮屈な言論に慣れ切った御仁には少々難解であるかもしれないが、それこそ「勉強」の為に、是非とも「シールズ」のメンバーには一読をお勧めするし、反論があれば是非有益な議論を交わしたいものである。

しばらく、大人しくしている間に、随分と座視できない〈事件〉が立て続けに起こっているようだ。その中に〈犯罪〉まで含まれているというから事は穏やかではない。

◆雑誌と書籍の使命は闊達な言論を喚起することだ!

『NO NUKES voice』8号は(毎号そうではあるが)編集部が総力を挙げ、やや危険と思われる水域にも敢えて足を踏み込んでいる。そのくらいの危険を冒すことなしに闊達な言論を喚起することはできないであろうし、雑誌を提供する者の最低限の義務だと私たちは考える。原則はゆるぎない。原発全機即廃炉を目指し、読者諸氏からの叱咤を期待する。

『NO NUKES voice』は決して不偏中立ではない。科学と人道に立脚しながら、非人間的存在である「原発」とそれが包含する「差別構造」を常に視野に入れながら敵を撃つ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。


◎『ヤクザと憲法』劇場予告編

映画「ヤクザと憲法」を元「週刊実話」の編集長と、手伝いにいっている編集プロダクションのデスク氏とで鑑賞した。このドキュメンタリーは東海テレビが制作し、すでに放映されたものだがヤクザの日常をレポートした内容ゆえに、当然、全国放映は不可能。そこで映画でしか観れないしろものとなった。本当は「憲法」とつく映画のタイトルゆえ「5月3日」に観たかったが、やはり混んでいると予測し、この日にしたのだ。

渋谷は、ゴールデンウィークのまっさい中だというのに、ガラガラだ。池袋は歩けないほど人ばかり(外国人の旅行者も含めて)ができているってのに、渋谷には「怖い」というイメージがあるのだろうか。

はてさて今、レビューを急いで書いているのには理由がある。ヤクザとつるむタイプのジャーナリストである俺は、警察に追われて近く、高飛びするからだ(なんていうのは嘘)。

そう、ヤクザは危険な生き物の代名詞だ。なのに、この映画に出てくる人はみな、ヤクザとはいえ等身大の「人間」だ。

この映画は、大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」に100日にわたってカメラが入った稀少なドキュメントである。

今、ヤクザは人権がないかのごとく司法上は扱われる。銀行の口座を持てない。家をもてない、ゴルフはできない、宅急便は扱いを拒絶される。だが日本国憲法第4条は定めている。

『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』と書いてある。

作家・宮崎学は、この条文の後ろに『ただし、ヤクザを除く』と書いてあるとよく解説する。

僕もそのとおりだと思う。この映画は、確かにヤクザの日常をカメラで切り取っているという点で画期的だし、未来永劫、記録と記憶に残すべきしろものだと思う。

部屋住みの青年が言う。

「嫌いな者どうしでも一緒におれるというのがいい社会とちがいますやろか」

ヤクザはもともと、賭け事の仕切りと祭りの露天商を稼業としてきた。それが、覚せい剤の密売など犯罪行為へと傾斜していった。昭和40年代になると組どうしの抗争はエスカレートしていき、拳銃の大量所持や、抗争で一般人が犠牲となることが問題化してきた。

そうした中、平成3年に「暴力団対策法」が制定され、前科のある組員の割合などが一定を超えると「指定暴力団」として警察の強い監視下に置かれることになる。

こうなるとみかじめ料や用心棒代を要求しただけで「中止命令」が出る。これはいわゆる「イエローカード」で、無視すれば「逮捕」となる。お目こぼしは一回しかないというわけだ。

さて、このヤクザをとりあげた映画が「人権を守る」最後の砦として未来では扱われないことを切に願う。そして、この映画をよく作ってくれたと思う。感謝すらしている自分がいる。

「銀行口座が作れないと悩むヤクザ」「金を手持ちすると親がヤクザだとばれる」というきついご時世では、「自動車保険の交渉がこじれた」段階ですぐに詐欺や恐喝で逮捕される。

同時に、この映画では、山口組の顧問弁護士だった山之内幸夫弁護士が、恐喝で立件されて実刑10月の処分を地裁に言い渡されて弁護士資格を失った瞬間をもカメラはとらえている。このとき、「ああ、古きヤクザの時代が終わっていくのだ」と僕は映画館の最前列で滂沱の涙を流した。そう、古いヤクザの時代は、音を立てて終焉に向かっているのだ。

◎『ヤクザと憲法』HP http://www.893-kenpou.com/

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

4月28日、29日と那須塩原温泉にいた。
ゴールデンウィークの入り口、寸前なので28日はまだ旅館が通常料金に近い。なんといっても行くなら本格的な硫黄温泉に入りたい。というわけであるが、縁もゆかりもないが、評判がやたらといい「湯荘白樺」に宿泊した。

 

肌寒い。まるで感覚としては冬で空気は澄んでいた。西那須野から。バスで40分ほど走ると塩原温泉バスターミルに着く。そこに旅館の車で迎えにきてもらった。山中、970メートルの山を登っていくと山桜がようやく咲き始めたのが見える。ゆっくりとだが、確実に少し私たちより遅れて春が「山」に来ているようだ。

天和2年(1683年)からすでにこの温泉はすでに湯治場として知られ、神経痛か肩こりリウマチ、胃腸の疾患に効くそうだ。

 

布団を敷きにきてくれた旅館店員は言う。
「泥パックを塗るといいですね。温泉に備え付けてあります。湯の中に入って、毛穴を開かせて10分間、塗っておいてパックすると白く乾きます。そうしたら洗い流す。私など1年間入ったら、腰痛がすっかり治りました」

那須町への観光者数は微増していて、平成27年度は 480万2,208人 (前年470万7,029人)前年比 102.02% 9万5,179人増)だからうまくいっているほうなのだと思う。実際、那須塩原は修学旅行地のメッカとしても知られ、小学校のときに宿泊したあまりにも有名な「ホテルニュー塩原」を38年振りに見たときは思わずため息が漏れた(何年経営しとんねん)。

 

あ、肝心の腰痛、ヘルニアだが実際問題、誇張ではなくて軽くなった。1日でかなり軽くなるということはやはり温泉は治癒効果があるのだな、と思う。まあ年をとったらこのあたりに住むのもいいかもしれないな、と思う。

いっぽうで、大分の湯布院温泉などは、熊本地震の影響でキャンセルが相次いでいるという。これは九州全体の旅館が打撃を受けており、2、3割値段を下げて必死に集客をしているようだ。機会があれば、熊本や大分にも赴こうと思う。それが震災地が元気になる最もてっとり早い手段だと信じるのみである。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

むのたけじさん

1947(昭和22)年5月3日に施行された日本国憲法。これを記念して定められたのが憲法記念日だ。5月3日(火)、東京臨海広域防災公園で開催された〈5.3 憲法集会〉に参加した。

最寄駅のひとつ国際展示場駅を降りると、大勢の参加者と様々な団体旗・組合旗に迎えられた。政治や教育に関するビラを配る人々を横目に早速メイン会場へ向かう。

会場では開会前のプレコンサートが行われていた。沖縄音楽を代表する歌い手、古謝美佐子さんの歌声が広く響き渡るなか、徐々に参加者が集まってくる。開会宣言がなされた13:00には通路にまで溢れた参加者の熱気で、まさに大集会といった空気が出来上がっていた。

野党4党首のスピーチからは、やはり彼らは「人気者」なのだなという印象を受けた。しっかりと組まれた主張内容を訓練された話法で彩り、聴衆は適宜拍手を挟むなどして応える。ありきたりだが外さない演説であった。

奥田愛基さん

多くの方がマイクを握るなか、字義通り圧倒的な演説を行ったのがジャーナリスト、むのたけじさんだ。1915(大正4)年生まれのむのたけじさんは、朝日新聞社アジア特派員として活躍し、戦前・戦中期には近衛文麿や東条英機のインタビューを行ったこともあるという。現在101歳だ。

カンペを持たずに一言一言を確実に紡ぐその声は重く力強い。自身の戦争体験とそこから得た自責の念。特に印象に残ったのは「第三次世界大戦は、動植物の大半を死なせるでしょう。戦争を殺さなければ、私たち人間に生きる資格はありません。」という言葉だ。むのたけじさんのスピーチに対する拍手は絶大なものだった。落涙を免れなかった参加者の大勢いることは容易に想像できる。

ハイライトとして、SEALDsの奥田愛基さんの参加を挙げよう。遅れて会場に到着した奥田さんは、その理由(遅刻しそうだったためタクシーに乗り事情を説明。急ぎすぎた運転手が速度違反切符を切られた。そのために遅れたとのこと)を語り会場を笑わせる。

しかし、リュックを背負い、メモとしてiPhoneを見つめながらスピーチする彼の言葉は軽い。限りなく軽いその言葉と態度に、筆者は親しみを抱くことができなかった。現政権への対抗勢力の集まりという側面を持つこの集会に、奥田愛基さんの言葉はどれだけ有用なのだろうか。

参加人数の多い大規模な集会(この度の集会参加人数は主催者発表で50,000人)は社会の状況を端的に表すことがあり、無視することができない。やや私感に偏った観察記となったが、集会の様子を知る手助けとなれば幸いだ。


▼[撮影・文]大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

本日は1947年5月3日「日本国憲法」が施行された「憲法記念日」である。施行から69年目となるが、2016年の今日にいたり、成文憲法たる「日本国憲法」(以下「憲法」)は本当に「在るのか、もう無いのか」、私にはかなり怪しく思えて仕方がない。形式的にも外形上も「憲法」は存在しているけれども、その重要な柱とされたはずの「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」は文字通りの内容を伴い、下位法で定められ、行政の場で「憲法」が規定する運用がなされているであろうか。

◆条文と現実の間の乖離

「憲法」は前文以下第一章から第十一章補足の第百三章までで構成されている。その中で以下の文言は「在る」には「在る」が実態はどうだろう。カッコ内太字が私の疑問である。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 (集団的自衛権容認)

2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(自衛隊の存在)

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(近年3万人を前後する自殺者)

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(各種差別の放置)

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。(大学による思想弾圧)

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。(神社本庁の政治介入)

2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 (国家神道に由来する「君が代」斉唱の強制)

3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。(官僚の靖国神社参拝、首相の伊勢神宮参拝)

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 (鹿砦社が襲われた言論弾圧事件)

2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 (盗聴法の成立)

第二十三条  学問の自由は、これを保障する。(文科省による「文系学部統廃合」)

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(ワーキングプア・生活保護支給拒否)

第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。(労組への不理解・労組の弱体化)

第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。 (現行犯以外での令状なし逮捕の横行)

第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。(不当逮捕・拘禁の横行)

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。(警察・検察・海上保安庁などによる暴力の常態化)

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。(自白の強要)

2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。(不当長期勾留により相次ぐ冤罪)

3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。 (自白のみでの死刑判決)

第四十四条  両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。(人種による差別)

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(憲法改正を公言して憚らない首相以下国務大臣)

◆「改憲」だけが「憲法の死」を意味するわけではない

素人目でざっと見渡しても現実と条文の間には、相当な乖離があり、乖離の幅は権力者の意図によりどんどん拡大され、かつ固定化を図られている。今、自衛隊が既に定着しているのはその好例だ。これだけ解かりやすい文言でも曲解すれば何でもできる。「学問の自由はこれを保障する」など文科省の官僚や、大学に批判的な「学生狩り」に血道をあげる多くの大学関係者には「冗談」にしか聞こえないだろう。

文言、条文はある。よく読めば所々に少しおかしな部分もあるけれども、ある種の思想と理念を総合的に包含した「憲法」を有機体ととらえれば、外見上の体裁は整ってはいる。まだ生きていそうだ。問題は「憲法」の内臓を喰いつくしつつある「悪性新生物」が既に有機体としての生命を奪う(あるいは既に奪われた?)ところまで拡大していることだ。

毎年のように5月3日に、私は「護憲」(条件付きながら)の意見を表明する発言や行動をしてきた。けれども今年は現実を直視しようと思う。極めて重篤で危篤状態にある「憲法」。おそらくは蘇生不可能な有機体としての「憲法」。

「改憲」だけが「憲法の死」を意味するわけではないことを、私(たち)は徐々に学ばされ、「解釈改憲」という「殺憲法術」をも目の当たりにした。「憲法」はこれからどうのように最期を迎えるだろうか。「明文改憲」がなされるのか、それとも「悪性新生物」が臓物を食い尽くし、内部は完全な変容を遂げても、表皮だけは「憲法」のままの体裁を取り続けるのだろうか。「憲法」はまだ「在る」。死んではいない。でも意識はあるか? 余命は幾ばくか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

4月29日(金)、国会議事堂前にて〈T-ns SOWL〉(Teens Stand up to Oppose War Law)が安倍政権の退陣を求める抗議行動を行った。同グループは安保法制に反対することを目的として立ち上げられたもので、高校生や10代の若者が主なメンバーだ。首相官邸前で行われている反原発連合の活動を取材した筆者は、少し遅れて国会議事堂前に到着。国会議事堂と警察、大勢(30名超)の取材陣を前にした〈T-ns SOWL〉が、一見して熱のこもった声を上げていた。

「集団的自衛権はいらない」「戦争反対」などという聞きなれたシュプレヒコールに加え、あるいは練習を重ねたのではと思われるような、新鮮でリズミカルなオリジナルコール。それに答えるメンバーは、白色に統一された拡声器を握り締め、しっかりと声を出していた。

暴力性を帯びがちなかつてのデモ活動に比し、〈T-ns SOWL〉の活動からは「フラットな民主性」が感じられた。それは、彼らの用いる言葉やその服装が「社会的一般」を外れていないという事実に依るところが大きいと思う。

より多くの社会構成員に働きかけることを目的のひとつとして認めるのであれば、一般的な言葉で語りかけるというのは非常に重要なことである。この観点からすると、彼らの態度はメンバーの若年性を考慮せずとも評価さるべきものである。

もうひとつ感じたことを述べる。これは〈SEALDs〉についても言えることなのだが〈T-ns SOWL〉のデモ活動からは、浮き足立っているような、言わば「部活動」的な印象を受けた。これはそのメンバーの多くが生活を持たないという点に起因するものであろうが、あるいは不可避的なものだとも言えよう。重要なのは、そういった印象を与えるということを自覚しているかということと、その自覚を持った上で為すべき仕事を追求しているか、ということである。これは私見だが、彼らの仕事は「半ばほども社会参与していない高校生ですら問題意識を持つ安保法制とはいったいなんだろう」といった手順で問題意識を惹起させることだと思う。

大学生主体の〈SEALDs〉に次いで現れた〈T-ns SOWL〉は、メンバーが高校生であるという点が最も特徴的であり、その特徴はメディアにとって格好の要素である。先述した通り、現場にはその「ネタ性」を証明するように筆者を含めた報道関係者が詰めかけている。メディアは〈T-ns SOWL〉とその活動を資本に変換すべく様々な調理を試みるだろう。そういった社会の利害関係に絡め捕られることなく、自分たちの立場と為すべき仕事を認識し、主体的に行動できればと願うが、非常な困難が伴うであろう。まずは今後の動向を眺めようと思う。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

高田さん(仮名)はまだご存命でしょうか。高田さんに農作業のイロハを教えて頂いたのはもうだいぶ前のことです。あの頃、僕は関西の田舎に住んでいて、職場の近くに畑を借りていました。その畑は持ち主の方が忙しくて、使えなくなっているからと好意で貸してくれていました。

高田さんは、僕が借りていた畑の隣に、自分の畑を持っていました。高田さんは、畑と、小さな雑貨屋さんを持っていました。雑貨屋さんは、コンビニが増えたので売り上げが上がらなくなって、その頃は畑仕事に出る時間が増えていたみたいでした。高田さんは口数が少ないおじいさんだから、最初のうちは挨拶を交わすくらいでした。

高田さんは野菜作りの名人で、そのうち僕に色々な智恵を教えてくれるようになりました。疲れない鍬の使い方、用水からの水の引き方、雑草引きのコツ、作物ごとの育て方、肥料の選び方と施肥の妙、連作しても平気な野菜とダメな野菜。高田さんは、野菜作りのことは何でも知っていました。おかげで僕は、素人にしては立派な収穫を得ることが出来ました。翌日の天気を、空や雲を見ながら教えてくれることもありました。高田さんの天気予報が外れることはなかったです。

高田さんは、野良仕事の話以外の話題を、自分から切り出すことはありませんでした。だから、いつも僕から話しかけないと始まりません。ゴールデンウイーク合間のある日(5月1日でした)、仕事が早く終わった僕は、畑に向かいました。

高田さんは、夏野菜の苗をうえる仕事で忙しそう。高田さんは僕を見つけると仕事の手をとめて、あぜ道に腰を下ろし、煙草を吸い始めました。高田さんのタバコはハイライトです。珍しく高田さんから話しかけて来ました。だからよく覚えています。
「あれにはいかんのかい?」
「あれ、ってなんですか?」と僕が聞き返すと、
「今日はメーデーやろ。組合のあつまりがあるんやろ。若い者はいかなあかんのちゃうんか?」
「僕の仕事場には組合はないからメーデーにいくことはないんです」
「あーそうか」。
高田さんからメーデーを話題にされてちょっとびっくりしました。

それから、僕が聞いたわけでもないのに高田さんは、珍しく野良仕事とは関係ない、自分の話をはじめました。雑貨屋さんを始めた理由(ちょっと気の毒な話でした)や、奧さんとの縁談。それから驚いたのは僕らの畑から、京都や、大阪へは電車で1時間半もあれば十分行ける場所でしたし、高田さんの家もそのそばだったのに、高田さんは京都にも、大阪にも「生まれてから一回も行ったことがない」と言われたことです。電車に乗ることはあるそうですが、「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」。別に偉そうにするわけでもなく、秘密の話を打ち明けるようでもなく、高田さんは僕にそう話しました。

70代だった高田さんには、京都や、大阪に出かける必要がなかったのかなぁと不思議でした。高田さんはテレビが好きで、物知りというか、頭のいい人でした。だから畑仕事とは関係ない話をしていても、僕が知らない事件や、考えを教えてくれるので「京都や、大阪は知らん。行ったことがない」はびっくりでした。電車には乗るけど、新幹線や飛行機は高田さんには無縁の乗り物です。

僕の畑で、まだ実を付けてたエンドウをむしりながら、高田さんに、僕の畑から聞いてみました。「京都や大阪に行こうと思ったことはないんですか?」、「あらへん。行くことあらへんから」雑草を抜きながら、田中さんは少し楽しそうな声で答えてくれました。

あちこちに出かけて、世界をたくさん旅行すればするほど、知識が増えて世の中がわかる、と思っていた僕には驚きの「メーデー」でした。畑仕事のプロは、どこに行かなくても世界を知っている賢人でした。

今日は「メーデー」です。高田さんはまだ元気にしているかな。僕も最近、京都や大阪に出かけるのが億劫になってきました。

なんでだろう。

でも、高田さんみたいな「仙人」にはなれそうもありません。
さて、地域のメーデー集会に行って来ます。

(伊藤太郎)

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!

記事をスクラップしてノートを作成したり、ニュースや情報を整理することが非常に苦手で、整理整頓が身についていない私が、この新聞だけは「残しておくべきだろう」と直感し適当な封筒に入れて押入れの奥に放り込んでいた。その後、幾たび転居したのか数えるのも億劫だ。転居ごとに蔵書や資料を処分し、私物は衣装ケース数箱になったのだが、この新聞は処分されずに残っていた。

この男が死亡した日1989年1月7日の夕刊は、新聞社の有料過去記事検索サービスや、大きな図書館に行けばどなたでも見ることができるだろう。保存にさしたる配慮もしなかったため、折り目がつき、全体が黄ばんでいる私の持ち物からは、言葉を慎重に選ばねば感想を述べるのを躊躇わせる「凶相」が滲み出ている。

今日は「昭和の日」だ。正直でよろしい。4月29日は昭和天皇ヒロヒトの誕生日で、この男が死亡する1989年以前はやはり休日「天皇誕生日」だった。週休2日制がまだ定着していない時代にこの時期の「ゴールデンウイーク」は勤労者にとっては貴重だったと想像できる。だからだろうか、現金なものでこの休日の恩恵に比すると、この日が持つ罪の側面はお疎かにしか意識されていない。

1989年ヒロヒトが死亡すると4月29日は「みどりの日」となった。現天皇アキヒトの誕生日(12月23日)が新たな「天皇誕生日」として休日になったが、「ヒロヒト天皇誕生日」を廃止することは、天皇主義者にとって(あるいは無意識な休日恩恵享受者にとって)は許されざることだった。だから4月29日は1989年から2006年までは「みどりの日」の名称で休日とされた。

その理由を「昭和の日普及委員会」(設立発起人:財団法人国民精神財団、現在は活動休止の模様)は、 「昭和天皇が自然を愛したことにちなんで、平成元年から『みどりの日』と名称を変えて祝日として存続しました。自然をこよなく愛された昭和天皇は、『全国植樹祭』にも必ずご臨席になり、ご自身の手により植樹をされてきました」と解説している。

ヒロヒトが戦後、戦争責任を一切不問にされ、「全国植樹祭」に参加していたことはその通りだけれども、ヒロヒトの評価を戦後の行為に限定するのは乱暴に過ぎる。ヒロヒトは敗戦までは「大元帥陛下」(日本軍の最高指揮官)であり「現人神」であった。人間ではなく「神」として、日本国民に対しては徹底的かつ絶対的な存在だった。敗戦までのヒロヒトの行為はアジアを中心に3千万人の他国人を殺し、300万人の日本人も死に導いた「最高指揮官」だ。1945年までのヒロヒトは自身が手を下しはしなくとも、洪水のような「血」を流させた責任者なのだから、ヒロヒトを象徴する色は「みどり」ではなく「赤」ではないのか。「赤の日」では具合が悪いか。

1975年10月31日、有名な話ではあるがヒロヒトは初の訪米から帰国後、皇居「石橋の間」で戦後初めてにして最後の記者会見に臨む。記者が「また陛下はいわゆる戦争責任についてはどのようにお考えになりますか」と質問するとヒロヒトは、
「そういう言葉のあやについては文学はあまり研究していないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」
と答えた。

数々の詔や難渋な勅旨を戦争中に連発していたのは誰だ。いわゆる「玉音放送」にしたところで、棒読みの様子は明らかではあるが、あの文章は多少「文学的」ではないのか。ヒロヒトの言い分には幾ばくかの推測の余地(詔や勅旨、玉音放送の文章は誰か他人が書いていた、それだけでなく大元帥陛下の地位自体が祭り上げられ、虚構であった)が含まれるとの斜に構えた解釈が成立しなくもない。

しかし、この開き直りこそが裁かれるべくして裁かれず、あろうことか「国民統合の象徴」として生涯を終えたヒロヒト大罪の真骨頂である。

黄ばんだ新聞の活字はリードの部分だけは意識的に大く書かれているが、本文は現在の3分の2ほどの大きさだ。新聞の文字は当時この大きさが標準だった。2016年の新聞と比較すると随分小さい活字で埋められた紙面16頁はヒロヒト賛美で埋め尽くされているがその中にこんな文章がある。

「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であった。絶対主義的天皇制は、暗黒支配を維持し、侵略戦争と他民族抑圧を遂行するため、国内にあっては徹底した人権抑圧をおこなった。今日、天皇は憲法によって国政に関与することを禁止されているにもかかわらず、しばしば反動的な立場から国政に関与してきた。本来、天皇制は廃止されるべきものであるが、今日の憲法のもとで政府に課せられた厳粛な責務は、憲法の平和的民主条項をきびしく遵守することである」

随分過激なことを言う奴がいるじゃないか、と読者には感じられるかもしれないこのコメントはヒロヒトの死に関しての「共産党中央委員会声明」だ。この誌面には自民党、社会党、公明党、民社党、共産党、社民連の順で各党のメッセージが掲載されている。共産党以外は話にならない。馬鹿らしいと感じた。共産党のコメントだって後半部分が気弱じゃないかと訝ったものだが、2016年の「昭和の日」共産党の方々はどうお感じになるだろう。

1989年1月7日、朝日新聞夕刊の紙面を眺めて「結局こうなるんじゃないか、マスコミは」と予想にたがわぬ翼賛報道に暗い未来を想起するしかなかった。敗戦から1989年へ、まだ雨上がり間もない空だったのだから、虹が現れても不思議ではなかったが、虹はかからなかった。ヒロヒト没後27年「昭和の日」に、かからなかった虹をまた思い描く。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

1986年4月26日から30年目を迎える。あの事故は近隣住民以外の世界の人々の頭の中では「歴史」になってしまっているのではないだろうか。旧ソ連、現在のウクライナで発生した「チェルノブイリ原発事故」である。

◆「原発=核発電」は狂信的な国家意思の象徴

Fukushima2016

記憶の中では「歴史」となっても、事故地では今日にいたるも放射能漏れを防ぐ作業が継続している。事故後原子炉を封じ込める為に作られた「石棺」と呼ばれる構造物が内部からの強力な放射線によりボロボロに劣化し各所にひびが入り危険な状態となったので、ウクライナ政府は巨大な「第二石棺」を建設中だ。

思い起こせば爆発したチェルノブイリ原発4号機は「運転中」ではなかった。しかも福島の様に地震や津波と言った自然災害が原因でもなかった。運転停止中に外部電源喪失に対応する非常時用発電系の実験を行っている際に、原子炉出力管理のコントロールミスから事故が発生したと言われている。つまり「人災」であったわけだ。

Fukushima2016

つい最近、事故後に現地を取材したジャーナリストは「事故直後ソ連の政府は何をやったと思いますか。なんと兵士にソ連の国旗を持って原子炉の上に行かせ立てさせたというのです」と俄かには信じがたいエピソードを教えてくれた。それほどどの国にあろうと原発=核発電は狂信的な国家意思の象徴であることの現れであろう。

◆1975年の戦後日本を思い出してみる

30年経過すれば、たいがいの事は「歴史」になる。本当はその事件や事故が終わらずに不可視な形で継続していても体に痛みを伴う直接被害者や、事故により生活全体を破壊された人びと以外は容易に「現実」を「歴史」と見まがう。

Fukushima2016

私は1975年を思い出している。言うまでもなく敗戦後30年目の年だ。戦地に赴いた元兵士や銃後を支えた明治生まれ、大正生まれの人びとがまだ多く生きていた。皇国史観で教育を受けながらいきなり「民主教育」への転換を経験した人々が丁度子供を産み育てている頃だった。「戦争」が話題になることは私の周りでも、珍しいことではなかった。でも「戦争反対」を語る人も「戦時中の苦労」を語る人、または懐古的に「日本軍の雄姿」を語る人、いずれもそれは「思い出物語」としてであって「今は違う」が無言の枕詞になっていたように思う。

◆「ソビエト」の消滅──原発事故は国を亡ぼす

チェルノブイリ原発事故は、2016年の日本から回想すれば2つの事を示唆したいたのだと今更ながらに思う。

Fukushima2016

1つは「原発事故を一度起こせば人間の力では対応が出来ないことだ。そのことは、事故後30年経過するも「第二石棺桶」建設を余儀なくされているウクライナの姿が事実をもって示している。あの巨大なドーム状の構造物さえ、また何十年かすれば劣化を余儀なくされ、「第三石棺」、「第四石棺」の建設が行われることになるだろう。

そしてもう1つの重大な示唆は「原発事故は国を亡ぼす」ことだ。これは文字通り「国が無くなる」、「国が崩壊」することを意味する。1986年4月「ウクライナ共和国」は「ソビエト社会主義共和国連邦」を構成するひとつの「共和国」と称されていたが実態は「ソビエト」の中の一地域である。

Fukushima2016

「ソビエト」は当時、米国と世界を二分する東陣営の巨大な指導国であり、モスクワやクレムリンが陰に陽に世界に発する力は絶大であった。「東西冷戦構造」は西側のNATOと東側のワルシャワ条約国機構が特に欧州では隣接し合いながら、「核戦争」の危機を抱え、日々緊張の壁を境につばぜり合いを続けていた。

その価値判断は横に置くとして、時代は「東西」という相いれない二極が不思議な均衡を保ちながら世界を支配していたのだ。ところが「東側」の親玉「ソビエト」は崩壊してしまった。1991年、チェルノブイリ原発事故から5年後のことだ。この事実を福島第一原発事故発生から5年後の今日、私たちは極めて重大に受け止める必要があるのではないか。

Fukushima2016

「ソビエト」崩壊の序章を、ミハエル・ゴルバチョフが大統領に就任後打ち出した「ペレストロイカ」・「グラスノスチ」などの「開放・改革路線」、「新思考外交」との見立てるのはおそらく間違いではあるまい。

しかし「東側世界連鎖崩壊ドミノパズル」には「チェルノブイリ原発事故」のピースを欠くことは出来ない。ゴルバチョフは確かにホーネッカー率いる東ドイツの崩壊(=東西ドイツの統合)へ内々に「許諾」を与え「ソビエト」以外の国への支配を急激に弱めていったが、「そうせざるを得なかった」事情のひとつが「チェルノブイリ原発事故」だったのではないかと指摘する専門家は少なくないし、私も同意する。

歴史の「教示」や「示唆」は事後になれば解読がいともたやすいが、同時間にあって正確な解析は困難を極める。そして歴史はそれ自体が教訓化されることを望んでもいる。

◆フクシマ以後──この国を待ち受けているもの

私(たち)は今どこへ向かっているのだろうか。世界を二分する勢力の頭目、政治力と軍事力、総合的な影響力と「何があっても壊れることはないだろう」と思われていた巨大国家「ソビエト」を消滅せしめた一因のチェルノブイリ原発事故。

そして4機の原発爆発を起こした、福島第一原発事故を当時「ソビエト」の領土の約60分の1で受け止めている日本はどうなるのだろうか。ゴルバチョフはチェルノブイリを隠蔽しようと画策したが無駄だった。民主党から自民党へと続く日本の政権は「事故収束宣言」(野田)「アンダーコントロール」(安倍)と平然といいのける。4年後には東京でオリンピックを開くという。日本には当時「ソビエト」が従えていたような経済ブロックも実質上の従属国もない。日本はひたすら米国に隷属するのみだ。

歴史を「ソビエト」の先例にあてはめてみよう。日本を待ち受けているのは「さらなる繁栄」や「より幸せな生活」だろうか。「祝賀に沸く東京オリンピック」は現実のものとなり得るのか。残念ながら私にはそのイメージを描くことが出来ない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号!タブーなきスキャンダルマガジン!

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

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