私にはこの島国での戦争体験は勿論ない。取材の関係で紛争当事国や戒厳令が敷かれた国に滞在した経験はあるが、自分が生まれた国で戦争を経験したことはない。

私の親世代は戦争中や戦争直後の生まれが多く、祖父母はいずれも戦前の生まれだった。だから戦争についての話は幼少時より度々聞かされていた。私の父母は男兄弟が多かった。叔父達は概して非政治的で、中には戦後も「皇国史観」から脱することの出来ない人もいたけれども、原爆直撃を受けた経験や、食べ物がなくとにかくひもじい思いが辛かった記憶は皆が異口同音に語ってくれた。

祖母は明治の生まれで女学校を卒業していた。当時としては「高学歴」の部類に入るだろう。祖母は私が幼少の頃から古い写真を持ち出しては「敏夫ちゃんね。戦争の時には本当に恐い思いをみんなしたのよ」と自身が「愛国婦人会」のタスキをかけた写真を見せながら私に語ってくれた。祖母の言葉はいつも穏やかだったけれども、幼少の私に向けて語られる言葉はいつも「反戦」の意気に満ちていた。家父長制が殊のほか強い封建的な家風だったので、祖母が戦争を語ってくれるのは祖父が外出中か、その場に居ない時だった。

祖父はと言えば戦争中は造船技術者だったので、徴兵を逃れることができ戦死を免れた。祖父は元気な時分には戦争を語らなかったが、晩年になり(当時は中曽根が首相だった)テレビで国会を眺めていると「このままではいずれまた戦争になるのう」と私に語り掛けてくれた。もとより左翼思想の片鱗も持ち合わせない祖父であったが「今、国会で自民党にはっきり反対できるのは共産党だけじゃのう。このままいけばまた戦争じゃのう。そうなったら敏夫、外国に逃げろ」が口癖だった。

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(1968年新潮文庫)

◆慣れ親しんだ地が舞台の「火垂るの墓」に号泣

野坂昭如による「火垂るの墓・アメリカひじき」を文庫で読んだのは高校時代だっただろうか。幼少時を過ごした西宮や芦屋、三ノ宮を主たる舞台とする短編小説「火垂るの墓」に私の想像は膨らんだ。慣れ親しんだ地名がこれでもかと登場し、そこで繰り広げられる悲劇は他人事とは思えなかった。祖父母と両親をはじめとした年長者から散々伝え聞いていた戦争談は、体験していないものの私にとって「原体験」と言ってよいほど血肉化していた。夜間、普段は聞かない自衛隊の飛行機が飛ぶ音を聞けば「戦争が起きたんちゃう?」と真顔で親に聞いていたほどだった。子供特有の過剰な恐がり方と言えばそうとも言えるが、今から思えばあの時代にあってもかなり異質な子供だったと思う。

1988年に「火垂るの墓」はアニメ作品化されているが、既にテレビ視聴を止めていて、情報に疎かった私がそれを知ったのは数年後の事だった。レンタルビデオ屋から借りてきた「火垂るの墓」のパッケージには野坂昭如が「アニメ恐るべし」とコメントを書いている。

ビデオ再生を始めてから私が声を押し殺し号泣し出すまで数分もかからなかったろう。阪神大震災で壊れてしまって今はないけれども、阪急三宮駅の丸い柱を目にした時、そこで主人公が息絶えるシーンから映画は始まるのだけれども、自分が見知っている、私にとっては幼少の幸せに満ちた思い場所でこれからあの「火垂るの墓」が繰り広げられると思うと胸苦しくさえあった。

果たして舞台は芦屋川の春、桜満開の場面や京阪神が焼野原になる場面へと展開してゆく。余談だが野坂は戦争中に西宮から神戸のどこかに住んだことがあり、そのため、私が幼少期を過ごした阪急今津線の仁川駅周辺の商店を描いた作品もある。その商店は私が幼少の頃まだ営業していて、個性的な薬屋のおじさんや駄菓子屋のたたずまいは野坂の描いた作品どおりであって、それを今でも忘れずに覚えている。

そういった個人的経験が複合的に重なっていることもあろうが、野坂昭如原作、高畑勲監督の手による「火垂るの墓」は私にとっては忘れることの出来ない映画作品の一つである。傑作だと思う。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◆「火垂るの墓」がテレビ放映されるのは明日8月14日で最後になるかもしれない

日本テレビ系列は毎年夏になると「スタジオジブリ」の新作が公開さえるのに合わせて「火垂るの墓」を8月に放映することがままあった。日本テレビも製作委員会に入っているので、日ごろの報道姿勢とは関係なく「そろばん勘定」がそうさせていたのだろうか。

昨年「映画部門の閉鎖」を発表したジブリは「思い出のマーニー」を2014年7月公開したが、今年の夏ジブリの新作公開はないが8月14日に「火垂るの墓」が放映されるそうだ。21日には「おもひでぽろぽろ」、28日には「平成狸合戦ぽんぽこ」と3週連続で高畑勲監督作品を流す予定だという。

ひょっとすると「火垂るの墓」がテレビで流されるのはこれが最後になるかもしれない、そんな嫌な予感がする。

私のつたない言葉では伝わらない「戦争」。それも自分の住み慣れた場所が戦争にまきこまれたら、自分の家族が戦争で亡くなったらどうなるのか……。若者にはくどい言葉を退屈に聞かせるよりも、「火垂るの墓」を観て、感じてもらう方が訴求力があるだろう。

「戦争が来るよ」、「被害に遭うのは君たちだよ」と語り掛けてソッポッを向かれるのは致し方ないのだろう。私の思いや伝達力が弱いのだ。

若者に限らず、こんな時代だから「火垂るの墓」をご覧になることをお勧めしたい。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎ヒロシマ70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!

2005年8月から契約社員として勤務していた出版社、竹書房をリストラされたのはちょうど4年後の09年8月のことだった。

私は長く雑誌編集者だったが、空いている時間の隙間を縫っては実話誌などにペンネームで原稿を書く裏のアルバイトをしており、リストラを機に「ライターとして本格活動を始める」ことにしたのだが、実はこのリストラ、暴力団取材に力を入れていたことが原因でもあった。私自身は暴力団は取材対象でしかなく、何の私的な付き合いもなかったからこそ、平然と“ヤクザ”と連絡をとれていて、暴力団の動向をメインに扱う竹書房の雑誌「実話ドキュメント」も担当していた。

しかし、会社のメインバンクから「ヤクザ雑誌をやめなければ今後の融資できない」という趣旨の申し入れが頻繁に経営陣になされたことで、ヤクザ雑誌に関わる編集者のリストラが始まっていた。後に竹書房は2012年8月号でヤクザ雑誌「実話時報」を休刊させ、「実話ドキュメント」を2013年7月号を最後に手放し、同誌は翌月号から版元をマイウェイ出版に変えて発行している。「実話ドキュメント」を30年近く編集してきた隠れた名編集者の牧村康正氏もそれ以前に退社しており、編集者のM氏も竹書房版の「実話ドキュメント」最終号を終えると辞表を出した。

◆宮崎学原作コミック本販売差し止めも島田紳助引退も警察の『見せしめ』的締め付けだった

竹書房のしがらみがなくなったことで、私は気にせず暴力団の動向を追ったのだが、そんな中で2010年4月に私が手がけた宮崎学原作のコミック「実録激闘ヤクザ伝四代目会津小鉄高山登久太郎―鉄」(竹書房)が福岡県警の要請で販売差し止めと判断、これに原作者の宮崎が福岡県を相手に裁判を起こし、僕は宮崎側に付いて陳述書を出したのだが、これはどう見ても『見せしめ』的な締め付けだった。同著は暴力団を推奨しているわけでもない、ただの伝記なのである。こうした「スケープゴート」の逮捕が次々に起こった。そのひとつが2011年8月の島田紳助の引退でもあった。

島田の記者会見の前日、旧知の編集者から電話がかかってきた。

「明日、紳介が記者会見をやるようだが何か知らないか」

寝耳に水だった。
だがまさか引退会見になるとは思わず、僕はテレビの画面に釘付けになった。
島田はヤクザとの交際について素直に認めて「ギリギリ、セーフかと思ったがアウトやった」と語った。

記憶するかぎり、この時期は「ドキュメント」という雑誌を部分的に手伝っていたが、この島田をあつかった号は奇跡的に売れた。

そんな中でも私は暴力団排除の社会の中で彼らがどうやって「しのぐか」について注視した。暴力団は年々、排除の機運が高まっていた。何しろ11年に暴力団排除条例が全国で施行、その前の「助走期間」である09年の東京都豊島区による不動産の取引において暴力団を排除することを制定した生活安全条例や、佐賀県の暴力団組事務所について不動産所有者が賃貸契約を解除できる条例は、彼らにとって死活問題となった。ヤクザは海外に進出したり、新手の詐欺をひねりだしたりしていた。

◆「ぼったくり防止条例」の契機となった1999年影野臣直氏逮捕の深層

その中で、「半グレ」が進出してきた。新宿の歌舞伎町などは、本来ならヤクザになるような連中が、ぼったくり飲食店を始めた。そして今、月に300件も新宿署に被害の電話が寄せられる。

99年に「ぼったくり」で逮捕されて「ぼったくり防止条例」の基点となった影野氏が語る。そもそも80年に大学生が高すぎる飲み代を払えずに店(2階)からヤクザの事務所(3階)に連れていかれ、トイレの窓からスキを見て逃げだそうと転落死した事件が端緒だ。

ぼったくりを始めた頃の影野臣直氏(撮影/渡辺克己)

「1980年の大学生の飛び下り死亡事件は、それまで無許可で営業できた『ノーパン喫茶』、『個室ヌード』、『個室マッサージ(現・ファッションヘルス)』、『レンタルルーム』、『ソープランド』、『ポルノショップ』、『のぞき部屋』などのノーパン喫茶から台頭してきた新風俗を、警察の掌中に管理できるようにする『新風営法』施行(1985年)の一因となったのは、間違いありません。この後、新風営法施行の草案が出されたとき、各界は揺れました。左系の議員や弁護士らは、新風営法施行は『違憲』であると対立しましたが、大学生飛び下り死亡事件が起きたために態度を軟化させました。それでも、事件から施行まで5年の歳月を費やしているので、新風営法の施行がいかに難題であったかが理解できると思います。横浜のクラブのママさんたちは、『新風営法施行は財産権の侵害である』として、デモ行進を行っています。良くも悪くも、昭和のママらしい行動力ですね。でも、新風営法施行の本当の原因になったのは、新風俗が客引きを使って莫大な利益を上げていたことと、その経営者が大っぴらにヤクザへの経済援助していたことです。店の持ち主がヤクザの若衆で、それを新風俗業者が借りる。家賃は特別高い上に、おしぼりや花、絵画等のリースも、同系列のヤクザの会社がやる。カスリ(ミカジメ料)を集金にくるヤクザの無尽(頼も母子構)を何口も付き合ったりと、ヤクザの膨大な資金源になっていました。

よく経営者がヤクザの親分連中をゾロゾロ連れて、歌舞伎町の高級クラブを梯子していた姿を見かけたものです。みんな、あんな風になりたいと憧れていました。ヤクザと組めばアメリカンドリームを体現できる……世がそんな風潮になっていました。ヤクザを英雄視する良からぬ風潮を抑止するため、警察は新風営法施行の準備を始めました。例をあげれば、歌舞伎町の区役所内に図書館(教育施設)を開業させたり、大久保病院(医療施設)を改装させたりして、歌舞伎町や他の繁華街を新風俗の禁止区域にしました。禁止区域に歌舞伎町がスッポリ入るように、従来の区域の設定を官公庁施設、学校、図書館、児童福祉施設、までの距離を20メートルから200メートルになったはずです。 今まで営業していた店は警察に届け出をだせば、既得権として新風営法施行後も営業できるとしましたが、客引き、時間外営業などで摘発されると最低20日以上(現在は最低40日以上)の営業停止が課せられたので、高い家賃を払っていた新風俗業者はたちまち干あがってしまいました。

1985年3月13日深夜0時、新風営法施行直後、歌舞伎町の看板が消え、本当に真っ暗になりました。 営業していたのは、偽装マッサージ店として新風営法の隙を突いた僕が経営するKグループの店だけ(笑)。この店は稼ぎにかせぐのですが、警察の徹底したガサ入れに40日で逮捕。 全国最初の新風営法違反での全国指名手配者になってしまいました。それが、ペンネーム『影野臣直』の由来となった『影のオーナー逮捕』の記事です」

◆警察が「ぼったくり」を刑事事件と扱い始めたことでヤクザはもっと地下に潜り始める

そして、ようやく歌舞伎町では警察が腰をあげた。東京新聞では以下のように報じる。

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「ぼったくり」事件化へ転換 歌舞伎町 被害多発で警察
東京新聞2015年6月12日 夕刊
東京・新宿の歌舞伎町で、客が高額な飲食料金を請求される「ぼったくり」の被害が急増している。「民事不介入」は警察の対応の原則だが、あまりのトラブル多発に、警視庁は今月から客を保護して店側との接触を絶ち、都のぼったくり防止条例違反などでの事件化を基本に対応する方針に転換した。しかし、対応次第では「過度の民事介入になりかねない」との声もある。(皆川剛)

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そう、警察はついに「ぼったくり」を刑事事件として扱い始めたのだ。これからヤクザは「ぼったくり」については、ナーバスになるだろう。そしてまた、ヤクザは地下にもぐるのである。

(小林俊之)

◎塩見孝也『革命バカ一代』で思い出したベテラン警備員『ゲンさん』たちの物語
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由
◎731部隊を隠蔽し続ける米日の密約──近藤昭二さん講演報告
◎ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

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ニュースサイト「THE PAGE」8月5日に「『原発にミサイルを撃ち込まれたら?』山本太郎議員の質問は杞憂」と言う記事が掲載されており、6日午後現在アクセス数が一番多い政治記事と表示されている。

ネット上には数多くのニュースサイトが存在するがその真贋(あるいは信用度)は玉石混合で、かなりの確度で情報が正確なサイトから明らかに偏向した視点から主張を展開するものまで幅広い。私が読んで正確さを疑うことが多いのは、「FOCUS-ASIA.COM」、「Record China」そして「産経新聞」などが展開するニュースサイトだ。「THE PAGE」は記事により質にばらつきが目立つ。

同サイトの記事を批判する前に断わっておくが、山本議員の質疑の内容はあくまでも「国が現在想定している」ことへの疑問であり、私自身は中国や朝鮮が現実に日本への「攻撃」を行う可能性はゼロではないが極めて低いと考える。しかし「日中平和友好条約」で「相互不可侵」が明確に謳われていても現政権は中国を実質的な「仮想敵国」として国会答弁を続けている(こんな失礼なことはない。「同盟国」とされる米国情報機関は安倍の自宅をはじめ日本の省庁などの電話を「盗聴」していたことが報じられているが、それに対する政府の反応は極めて腰が引けている。同様の「盗聴」をもし中国が行ったら大騒ぎするだろう)のだから、その矛盾と原発の危険性及び事故時対策の無策を指摘することが山本議員の質問の本質的問いと感じた。

◆勝手に想定したシナリオで山本太郎議員の国会質問を歪曲させる「THE PAGE」

8月5日の「THE PAGE」掲載ニュースには誤りが多い。記事中「弾道ミサイルに原発を狙えるピンポイント攻撃能力はない」の中で、「そもそも弾道ミサイルには原発施設に命中を期待できるようなピンポイント攻撃能力はありません。例えば北朝鮮は核兵器と弾道ミサイルをセットで開発しようとしていますが、これは命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低いことが理由の一つです」とある。

これは仮定が誤っている。「命中精度の低い弾道ミサイルには大量破壊兵器を組み合わせないと効果が著しく低い」のは「THE PAGE」が勝手に想定するシナリオであって、命中精度だけの向上を目指すのであれば「ミサイル」にGPSを搭載するだけでピンポイント攻撃は可能になる。

ちなみに最新のICBM(大陸間弾道ミサイル)は1万キロ以上先の標的から半径200メートル以内に着弾する確率が50%を超えている。「原発銀座」である福井県と北京の距離は1,787キロ、ピョンヤンからは979キロだ。この距離の原発を狙うのであれば「大量破壊兵器」を搭載する必要はなく、格納容器と圧力容器を破壊できる程度の爆弾を搭載すればよいし、稼働中の原発ならばミサイル着弾の際に、制御棒挿入による緊急停止(スクラム)は出来ないから、格納容器を破壊しなくとも冷却系配管の破壊を起こすだけで原発は暴走する。このような能力を持つミサイルはイスラエルのパレスチナ攻撃やシリア内戦で政府軍が実戦使用している。中国は独自開発、朝鮮にはスカッドミサイルが配備されていると推測されるが、弾道ミサイルの弾道部分を軽くして、最近の自家用車にも搭載されているGPS機能を搭載することはいともたやすい技術である。

また、「なお巡航ミサイルならばピンポイント攻撃能力がありますが、北朝鮮は保有していません」では、意図的に中国が巡航ミサイルを保有していることへの言及を避けている。政府は答弁で中国と朝鮮の脅威を語っているのだ。政府意見の擁護を試みるのであれば中国を度外視しては反論にならない。

さらに、「核弾頭を保有しているなら原発を狙う必要がない」という、攻撃側の意図を勝手に限定した見出しの文章の中では、「ロシアや中国の場合は核弾頭を大量に保有しており、核弾頭を積んだ弾道ミサイルを相手の都市部に落とせば確実に大被害をもたらせるので、原発へのミサイル攻撃を行う意味がありません。核弾頭をまだ大量保有していない北朝鮮にしても、弾道ミサイルの弾頭に高レベルの放射性物質を搭載するという方法があります」と、議論の本質から逸脱した主張を行っている。

「そんなことは、わかっとるちゅうの!」の一言だ。前提が違うだろう。山本議員の質問は「原発にミサイル攻撃があって被害が出たらどうするか」を政府に尋ねているのだ。「原発へのミサイル攻撃の必要はありません」というのは勝手だけれども、これを書いた「JSF/軍事ブロガー」なる人物は中国や朝鮮の政府や軍の責任者に「日本攻撃作戦」の手の内を取材したことがあるのか。

◆安倍政権の矛盾だらけの政策を代弁しているだけ「JSF/軍事ブロガー」

そして道理を外れた憶測・推測を重ねている割には、「原発への攻撃は戦時国際法違反となる」といきなり真っ当なジュネーブ条約を持ち出してくる。しかし以下の文章は何が言いたいのだろう。
「このジュネーブ条約第1追加議定書は日本の仮想敵国であるロシア、中国、北朝鮮も締約しています。これらの国が戦時国際法を遵守するという保証はありませんが、重大な違反行為と規定されていることを破るとなると、大きなリスクを背負うことになるでしょう。また仮にアメリカが、同盟国の稼働中の原発へ攻撃が行われた場合は大量破壊兵器の使用と同等と見做し核報復を行うと宣言した場合、強力な核抑止力が発生します」

え? 仮想敵国は「ジュネーブ条約に加盟している」けど「遵守するか」どうかはわからない? 「また仮にアメリカが・・・強力な核抑止力が発生します」は全く論理が通っていないぞ。「アメリカが報復攻撃を行うと宣言しなかった」らどうなるのだ。米国はジュネーブ条約加盟国だけれども、イラクやアフガニスタンで数々のジュネーブ条約違反を犯している事を帰還兵が告発している国でもある。一旦核戦争が起これば「ジュネーブ条約」もあらゆる国際法も吹っ飛んで、世界は破滅に向かうことを想像できない発想力の低さには恐れ入る。

極めつけは、「ミサイル対策よりもテロ対策」として、「もしも『可能性が低くても原発への弾道ミサイル攻撃の対処が必要だ』とした場合は、自衛隊がミサイル防衛システムを用いて迎撃する、あるいは地下原発・海底原発といった防御力が強固な施設への転換を図るという選択が考えられますが」と、どうあっても原発を継続しないと気が済まないらしい。

要するにこの「THE PAGE」の記事は現政権の矛盾だらけかつ無謀な政策を代弁しているだけで、しかもその抗弁も国会答弁並に「穴だらけ」で説得力がないということだ。

クソ暑いのに余計に不快指数が上昇する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎広島原爆70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎安倍話法──「大きな嘘」で「解釈改憲」を無理やり正当化し続ける
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

戦後70年は安倍晋三「退陣」の年!話題の『紙の爆弾』9月号発売中!

 

「村山談話」、「河野談話」が時に現政権から批判体に話題にされる。安倍は正式な談話を出すことをどうやら諦めたようだが、果たしていかなる形でまとめるであろうか。

知人から冗談半分だろうけども、「お前が書いてみろよ」と言われた。私は貧乏な一市民に過ぎず国を代表しての談話を書くなどおこがましすぎるけれども、「村山談話」を読み返すと「今ならこのままじゃないな」と言う箇所が思いの外多いことに気が付いた。そこで僭越に過ぎると承知しながらも「村山談話」を私なりに書き直してみた。

「敗戦後70年を迎えるにあたっての談話」

先の大戦で日本が敗戦してから、70年の歳月が流れました。戦争の災禍を知る多くの人々は既に亡くなり、あの大戦はあたかもはるか昔の「歴史」のように捉えられつつあることも事実であります。しかし、戦争自体を経験していなくとも、我らの国が犯した罪が無くなるわけではありません。むしろあの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せ、決して忘れないことこそが我らの世代の責務と言えましょう。

敗戦後、日本は、焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、経済体な発展を遂げました。しかしその背景には「朝鮮戦争特需」、「アジア諸国への実質的経済侵略」があったことを無視してはなりません。20年前、村山首相は「今日の平和と繁栄を築いてまいりました」と談話で言及されましたが、そこでは戦後も続いたアジア諸国への我々の「加害者」としての視点が欠如していました。2015年我々は戦争中から引き続きアジアを中心とする諸国の犠牲の上に繁栄をえたことを再確認し、反省します。

一方国民が繁栄に向け一人一人の英知とたゆみない努力を惜しまなかったことに、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国をはじめ、世界の全ての国々との間に今日にも増して平等かつ公平な平和的関係を構築すべく、その決心を明らかにします。

「平和で豊かな日本」は過去のものになりました。私たちはこの20年で「平和の尊さ、有難さを忘れた」政策を容認して来てしまいました。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後70周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。その為に再度憲法前文及び9条の具現化に政府は力を尽くします。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から70周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、被爆国としてまた世界最大の原発事故を引き起こした国としての体験を踏まえて、核兵器及び原子力発電の究極の廃絶を目指し、率先して原子力発電を全廃するものであります。核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

二度と戦争の惨禍を引き起こすことのない国際関係の構築を目指し、我々は憲法の原点に立ち返り、その精神の具現化のため「自衛隊」を「災害救助隊」へ改組します。米国と締結している「日米安全保障条約」はこれを破棄することを、ここに宣言し不戦の誓いといたします。

2015年8月15日
日本国首相 田所敏夫

参考までに、以下が村山談話本文である。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話


◎[参考動画]戦後70年談話は村山談話を継承し、謝罪と反省を明確に プレスクラブ(2015年6月9日)

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◎ヒロシマ70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎安倍話法──「大きな嘘」で「解釈改憲」を無理やり正当化し続ける
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

戦後70年は安倍晋三「退陣」の年!話題の『紙の爆弾』9月号発売中!

 

70年目の広島原爆の日を迎えるにあたり、「将来への希望」や「平和の希求」を語ることを控える。それらは全く胸中に思いを抱かない安倍と言う人間の口から軽々しい言葉で語られることが必定だからだ。真意の全くこもらない空疎の限界を超越した「言葉」や「意味」への侮辱が今年もまた繰り返されるだろう。見なくともわかる。準備した原稿のみに目を落とし、よく回らない舌で精一杯必死に本心と真逆の「ことば」を職務としてこなす不誠実極まりない奴の姿が。安倍に抗議する意味でも、むしろこの日に敢えて寒々とした現実を直視しようと思う。

◆中学校長による「被爆者への言論弾圧事件」を島原市の教育委員会はどう考えているか、聞いてみた

少し古い話だが、2014年7月1日に島原市のある中学校での「平和学習」に講師として招かれた被爆者である末永浩氏(79)が被爆体験や戦争責任、原発事故の話を語ったところ、校長が「やめてください」と大声で遮るという事態が起きていたことが先日の報道で明らかになった。

当該中学校の名前が明らかにされていないので、末永氏の話を遮った校長本人には取材できていないが、島原市の教育委員会学校教育課の平田氏に電話で事情を聞いた。

平田氏によると「校長、末永氏双方平和を望む気持ちは同じと理解している」らしいが校長が「一方的な意見だけを末永氏が正しいと思い込み話をしていた」ので「制止」をしたそうだ。この件について島原市宮原照彦教育長は「校長と講師の被爆者が幸せを願う気持ちを持っている。今回のような残念な結果にしてしまい大変遺憾に感じている。今後はこのような事態を引き起こさないように各学校での平和学習に努めたい」との声明を明らかにしている。

しかしこの「声明」は何かを語っているようで、役人特有の「事なかれ主義」により読む者を煙に巻き、中学校長によって行われた「被爆者への言論弾圧事件」を曖昧に誤魔化そうとした出来の悪い作文だ。

◆日本のアジア侵略は「歴史的に定まっていない」という立場をとる教育委員会

平田氏によると「事前の打ち合わせでは無かった内容だったので校長が末永さんの話を制止したのは仕方ない」というのが教育委員会の見解だそうだ。では問題とされたのはどのような話なのだろか。

末永氏は長崎で被爆した自身の体験を話したあと、「アジアで原爆を語ろうとすれば、日本がしてきたことを反省して語らなければならない」と説明しながら、中国や韓国の博物館が旧日本軍による侵略に関するものとして展示している写真を生徒に見せ、日本の戦争責任について話した。さらに、「原爆と同じように核分裂によって放射線を出す」と、福島第一原発の事故など原発問題について語り出したところ、校長が「やめてください」と大声で遮ったため、末永氏は「原発についてもみんなでよく勉強し考えて下さい」と述べて話を終えた。というのが平田氏の説明だ。

「平和学習」の中で被爆者末永氏が上記のような話をした中の一体どこに問題があるのだろう。校長が「一方的な意見」と感じたのは一体どの部分なのか。被曝者が講師に呼ばれて戦争や放射能の話に文句を言われるのであれば、どんな話をしろというのだろうか。これに対して平田氏は「事前の打ち合わせではあくまで『被曝体験』を語って下さいと校長は依頼していたが、戦争責任や原発の話に及んだので打ち合わせ外の話と判断した」そうだ。え、正気か? 島原市教育委員会?

平田氏がそのように説明してくれたので、私は「では、被爆者が核兵器の話をするのは構わないのでしょうか(馬鹿げた質問ではあるが)」と尋ねると「それは勿論構いません」とのお答え。では「核兵器だけでなく兵器や戦争について被爆者が見解をのべることは」と聞くと、これまた「問題はありません」だ。更に「被爆者を苦しめている放射能について原発も同様の問題を孕んでおり、実際に事故が起きたことに言及することは如何か」との質問にも「問題はありません」との回答だ。

ならば、末永氏の講演のどの部分が「一方的な意見」に該当するというのだ。個別の話を1つ1つ点検して行ったが、どこも「問題」にされる部分はないじゃないか。そう糺すと「日本の戦争責任に言及した部分が事前の打ち合わせにはなかった」と平田氏は発言した。島原市教育委員会によると「アジア諸国への日本の戦争責任」を語るのは「一方的な意見」に当るそうだ。私は「日韓条約」では不十分ながら日本政府は戦時の賠償をしていること、更には「村山談話」や「河野談話」で日本政府は正式に戦争責任を認めていることを紹介した。国が「侵略」の事実を認め国際条約上も確定していることに言及することのどこに問題があるのかを平田氏に重ねて聞いた。平田氏は「社会科の教科書には『日本の侵略行為』には諸説議論があるとの記述がある」事を根拠に持ち出し、日本が中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国を侵略したかどうかは「歴史的に定まっていない」ともとれる発言をした。

爆心地からは離れているとは言え、原爆を落とされた長崎県の島原市教育委員会にして戦争への認識がこの程度なのだ。これがあの「天草四郎」を生んだとされる島原の今日的現実=知的退廃である。平田氏に「満州国を知っているか」と聞いたらさすがに「知っている」と回答されたけれども、満州から中国へ広がった戦線が「侵略」でないはないというなら日中戦争をどう解説するつもりなのだろうか。

◆原爆被爆者が「戦争責任」や「原発事故」に言及してはいけない「平和学習」

被爆者を講師に呼んでおきながら「戦争」の真の意味や歴史、戦争責任を語らせない「平和学習」には微塵の意味もない。「平和学習」は正式な「科目」ではないのだから講師を呼べばそれぞれの考えや個性に基づいた話を展開するのが当たり前だろうに、被爆者に「戦争責任」や「原発事故」への言及を禁じる「平和学習」など「アリバイ造り」以外の何物でもない。その証拠に教育委員会は中学校長の「言論弾圧行為」を全く問題にしていないどころか、末永氏の歴史認識を「一方的な意見」と決めつけている。本来強く責められるべきは中学校長の憲法21条違反行為と教育委員会の憲法99条違反行為だ。

ここ数か月学校現場での明らかな歴史改竄策動事件や、国の過剰介入を何件か紹介してきた。もうこの程度の話は全国に溢れているということだ。私如き暇人でも一々取り上げきれないくらいに「教育現場の戦争体制化」は拡大している。残念だがもう決壊したダム同様、止めようがない。

つまり、私(達)は圧倒的に敗北している。しかも決定的な最後の敗北の寸前まで押し込まれている。この事実を直視し自分の身の丈と時代の容貌とのとてつもない差異を冷徹に確認しながら、少なくとも身内3人を死に至らしめた原爆の日の自省とする。


◎[参考動画]元ちとせ「死んだ女の子」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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さいたま市立指扇(さしおうぎ)中学校の「学校だより」7月号に新井敬二郎校長が「憲法より礼儀が大事」と題した文章を作成し生徒に配布していたことが判明した。私の手元には問題の「憲法より礼儀が大事」はないので、7月3日午前電話取材で新井敬二郎校長に詳しい経緯と見解を伺った。

◆「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」

新井校長は開口一番「私には憲法軽視の気持ちは全くありません」と前置きし、「指扇中学の生徒は最近礼儀正しいと近隣住民からお褒めを頂いていることもあり、そのことへの賞賛から文章は始まっている。夏休みを前にして益々精進しようと激励の気持ちで前プロ野球監督の野村克也氏の著作から当該部分を引用した。『礼に始まり礼に終わる』は特に素晴らしい言葉だと考えた」とのことだった。

新井校長は長くソフトボール部の顧問として活躍し埼玉県内では指導した中学では県内でかなりの好成績を収めた実績の持ち主でもある。「学校だより」5月号も陸上で近年活躍をする愛知県の豊川高校の例を挙げ「どうやったら勝てるか」などの実例が紹介されている。

◆「今考えると軽率だったと思います」

それにしてもなぜ、わざわざこの時期に野村氏の引用でなければならなかったのだろうか。新井校長は「憲法軽視ではない」と仰ったけれども、憲法と礼儀を同等(正確には憲法が礼儀より価値的には下位とする)文章を何故中学生に配布したのだろうか? 中学校の校長先生だから話し方は穏やかだったが、新井先生に悪意はないものの、「遵法」意識は極めて希薄だったと言わざるを得ない。

「今考えると軽率だったと思います。ここで『憲法』の部分を削っておけば良かったんですね」と新井校長は語ったが、表題自体が「憲法より礼儀が大事」となっているのだからこの文章を掲載するにあたって新井校長が現在の戦争推進法案を一顧題しなかったとは考えられない。

新井校長に対しては、さいたま市の教育委員会が既に電話で事実確認を行っており、3日午後、新井校長本人が直接教育委員会へ赴き事情を聞かれるとのことだ。新井校長は「始業式の際に生徒には改めて真意を説明するなりしなければいけないですね」と言われたので「始業式が行われる時にはもう『安保関連法案』が成立していたらどうなさいますか? 尊敬する新井校長先生から『憲法より礼儀が大事』を教わった生徒さんの中には夏休み中に保護者にその話をする人もいるでしょう。早急に訂正文を出されてはいかがですか」と伝えると「そうですね」と黙り込んでしまった。

話をしていて新井校長は生徒指導に熱心な先生だということは理解できた。しかし問題は中学、高校の教育現場でこの時代「熱心」とされる教師の中には「礼儀」、「校則」を守ることを熱心に教える先生は沢山いるけれども、その先生たちの大半は日本国憲法を本気で読んだことがある人が殆どいないことだ。

◆「教育指導要領」の憲法軽視

教員採用試験受験の為には大学の資格課程で「憲法」が必須だから今教育現場にいる先生方は「憲法」について大学時代に講義は受けている。資格課程は採っていなかったが私も「憲法」は受講した。しかし大学で「憲法」の講義を受講したことが、現在問題になっている「改憲策動」を理解する材料になるかと言えば、それはかなり疑わしい。

また「礼儀」、「校則順守」に熱心な先生の中には、「遵法意識」から逸脱してしまう先生もいる。「親や家族を大切にしろ」と教えるのはいいけれども、その教材に某右寄り宗教団体のパンフレットを配布して校長に注意された先生は確かに「生徒指導」には熱心な先生ではあった。

問題の核心は初等教育(小学校)中等教育(中学・高校)で教育の指針となる「教育指導要領」に実際の社会生活で重要な法律について教えることが殆ど記載されておらず、従って普通科高校を卒業した人でも「刑事事件」と「民事事件」の違いを明確に説明が出来ないほど「法律」についての教育が手薄だということだ。

◆諸悪の根源は「教育基本法」と「教育指導要領」で教育委員会を縛る文科省

実はこれは大問題で「基本的人権」に属する「逮捕された際の黙秘権」や「接見交通権」などを実践的な知識として持ち合わせている大学生は少数だ。本来ならば義務教育の段階でこの様な「基本権」は教えられるべきだと思うが、それを譲るにしても高校卒業までには教示されておくべき内容ではないか。学校を卒業して仕事に就いたら誰もその様な知識を教えてはくれない。

逆に言えばそのような初歩的な法律も中等教育では教えないし、教育指導要領は改悪された教育基本法に沿ってどんどん「国家に奉仕する」国民養成に邁進しているから教育現場でも「憲法よりも礼儀が大事」という実践的な本音が飛び出すのだろう。

たしかに中学校の中だけで生活している限り、生徒にとって「憲法」は差し迫った課題ではないのかもしれないが、それは生徒レベルの感覚であって校長先生が率先してこのような意見表明をしてはならない。

教育現場は先生たちが忙しくて残業過多のようだ。ヒラの先生から副校長(教頭)、校長までが雑務に追われているという。文科省が押し付けてくるどうでもよい「統計」や「資料」の作成に膨大な時間を割かれ、本務である授業準備や教材作成が後手に回ってしまうと嘆く先生が多い。

改悪された「教育基本法」とそれに準拠する「教育指導要領」の縛りはてきめんで、各市町村の教育委員会はこれにビビりきっている。猛暑だから頭がヒートして「憲法よりも礼儀が大事」と中学校長は間違えたのではない。

文科省、教育指導要領が暗にそれを期待しているのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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タブーなき月刊『紙の爆弾』は毎月7日発売です

 

自分の怪我は痛い。指先を数ミリ切っただけで気になって手仕事が進まなくなる。たったそれだけの怪我でも鬱陶しいものだが、横で仕事をしている人に「指先を切ってね、仕事が進めにくいんだ」と言うほどの大事ではない。でも横の同僚が気遣いの細かい人だったらあなたが何を語らなくてもいつも通りではないあなたの仕草に気が付き「どうかしたの?調子悪そうだけど」と声をかけてくれることがあるかもしれない。

これは注意力(洞察力)が繊細かどうかという個性に起因する反応だが、その上であなたが「ちょっと指先を切ってね」と言った時に「ああそう」と答えが返って来るか「あらら、ちょっとの事でも指先の怪我は気になるよね」と声をかけてくれるかは「感性」(想像力)に属する反応と言えよう。他者の「痛み」を自分も想像して共感できるか、あるいは「他人の事は他人の事」とそこで思考停止するかは社会的な問題に対する態度にも繋がって来るだろう。

◆徐々に迫ってくる危機を自分の生命の危機と繋げて想像すること

私達の多くは戦争の実体験はない。でも同時代に他国で実際に戦争が起こっていることは知っている。また私達の多くは「直ちに健康に影響はない」(言い換えれば「いつかは健康に影響が出るかもしれない」)放射能がばら撒かれた島国で生活していることを感性の鈍くない人ならば意識をしている、と思っていた。

でも私の見込みは随分外れていた。私のようにもうどうでも良いほど年を取っている人間よりも若い人々が将来に対して不安が強いのではないか、と心配しながら想像していたが若者の多数は私が心配するよりも放射能に対して脅威を感じていないことを知らされる機会に直面した。

若者に原発や放射能について語り掛ける人の前で多くの若者は眠そうにしていたり、露骨に居眠りをしていた。

「おいおいお前達! 被害を食らうのは君たちだという話をされて、それでも居眠りしていられるのか・・・」と私は内心少し腹も立ち、それ以上に彼らは大丈夫だろうか、と心配が湧き上がってきた。自分の生命の危険に関わることに生物は敏感で、それを回避しようとするのは、考え方や思想と言ったレベルの話ではなく「反射」に近いはずだと考えていた。目に見えない危機だから若者は危険性を察知できないのだろうか。危機は目に見えるまで察知されないとすれば、放射能に限らず事故や伝染病について彼らはどう反応するのだろう。

ましてや「戦争」といった現実に起きているけれども、「自分の目の前にはない」ことが徐々に迫っていることを彼らは自分の生命の危機と繋げて想像することができるだろうか。

◆ソウル・フラワー・ユニオンの「極東戦線異状なし!?」

私は歳を取ったと痛感する。このようにグタグタ考えることは大学に勤務している時はなかった。学生が「戦争」についての関心が薄ければ直接語り掛けたり、その非道さを示す証拠を示したりして少なくとも私なりに感じる危機を伝えようと試みたものだが、それに割くエネルギーが徐々に枯渇してきているとの実感がある。要する私自身がどんどんダメになってきているのだ。

だがやはりこれだけ明確に迫りつつある「戦争」についてはそのおぞましさを伝えるのが義務の様な気がして(ここが私の往生際の悪いところだ)逃れることが出来ない。「戦争になったら君達が一番最初に戦場に連れて行かれるんだよ」、「戦場では『人殺し』が義務なんだよ。敵前逃亡すれば見方から撃ち殺されるんだよ」、「指先を数ミリ切ってもチクチク痛いけど、砲弾の破片が体に刺さると取り出しにくくて、寝ることが出来ないほどの痛みが続くんだよ」・・・・。

やはり絞り出す言葉に迫力がないなぁ。こんな陳腐な言葉にはきっと反応してくれないだろうな。私の「伝達力」は日々低下しているのだろう。彼らの「想像力」はどうなっているのだろうか。言葉を吐けば吐くほど自分の脳髄や感覚までもがどんどん摩耗していくのではないかと、こちらの方が心配になる。情けない。

ソウル・フラワー・ユニオンに「極東戦線異状なし!?」という楽曲がある。「極東戦線異常発生」の今日この曲はどのように聞こえるだろうか。


◎[参考動画]ソウル・フラワー・ユニオン「極東戦線異状なし!?極東戦線異状なし !? ALL QUIET ON THE FAR EASTERN FRONT !?」(2004年6月11日)

戦争推進法制が仮に成立すれば、数年以内に確実に戦争がやって来る。自分が戦場に赴くことなど金輪際ない政治屋どもが決める悪法は「君たちを片道切符で戦場へ送り出す」ための準備以外の何物でもない。考えよう。想像しよう。私は「戦争」で誰にも死んでほしくない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

 

J-castニュースによると福岡教育大学の准教授が7月21日の講義中に「戦争法案絶対反対」「安倍やめろ」などのシュプレヒコールの「練習」をさせたとして大学は准教授の授業を停止したそうだ。(2015年7月27日付J-castニュース

これに関して同大学は7月23日、下記の声明をHPに掲載した

福岡教育大学「授業内容のインターネット掲載に関わる事案について」(2015年7月23日)

◆1日15件の問い合わせは「炎上」なのか?

21日の講義からわずか2日で准教授の「授業停止」を決定したのだというから「電光石火」の対応だ。学生からネット上に投稿されたものは複数ある模様だが、その中にはこの准教授の講義を否定的にとらえていないものも含まれる。大学によると「一時炎上と言われる状態に陥った」とコメントがあるが、「炎上」などという軽々しい言葉を大学が使うことに私は違和感を覚える。いったい「炎上」と言うほど大騒ぎになったのはどこのサイトなのだろうか。学生個人のTwitterじゃないのか。投稿したのは学生だとJ-castニュースには書かれているが、個人のTwitter書き込みに反論が相次ぐことは別段珍しいことではない。さらに「7月22日には問い合わせや苦情、対応を求める電話やメールが15件ほど大学側に寄せられた」そうだが1日にメールや電話で15件の問い合わせは大騒ぎするような数ではない。

大学職員時代に、やや刺激的な企画やイベントを新聞などで告知すると案内した電話番号に電話が集中し、仕事が出来なくなる経験を何度かしたが、そんな状態に比べれば「メールを含めて」1日に15件など特段取り上げるほどの数ではない。

◆国公立大学は教育機関でも研究機関でもなく「従順な国民の養成機関」なのか?

そこで福岡教育大学の田中正幸事務局長に電話で事情を伺った。田中氏の話によると「問題の講義は『人権同和教育論』という講義でその受講生がTwitterに投稿した。その事実が判明したので授業担当者の准教授に事実確認を行ったところ『否定』はしなかった。本人が『否定』していないのでTwitterに投稿された事実は存在したと考えており、現在その詳細を調査中だ。授業担当者の外したのは『処分』とは考えない。教員がどんな考えを持とうが自由だが、講義の中で特定の考えを語るのは逸脱の可能性がある。それを語る必要があったのか、無かったのかも含めて調査している」との回答であった。

私は「『人権同和論』の講義ならば最大の人権蹂躙である戦争に対して反対を述べるのは全く自然なことではないか。安保法制に反対するのは『特定の考え』ではない。人権を教える講義の中でごく自然なことではないか」と質問した。

田中氏は「安保法制の事など大学は全然問題にしていない。あくまでも講義内容として適切であったかどうかだけだ」と回答されたが「では、不適切な可能性が疑われる内容は何だ」との問いに「それは学生が投稿した通り『戦争法案絶対反対』とか『安倍を倒せ』というものだ」と結局問題にされているのは「特定の考え」=「安保法制反対」であることを認めた。

田中氏には忙しい中30分ほど時間を割いて丁寧に対応頂けたが、残念ながら福岡教育大学の判断は完全な過ちだ。過ちどころではない。罪でさえある。

国公立大学の教員は公務員だから「国に楯突く研究や言動をするな」というなら、大学は教育機関でも研究機関でもなく、単なる「従順な国民の養成機関」だ。

◆安倍政権の「反動攻撃」にビクついてばかりの国公立大学の経営陣

福岡教育大学は「大学教員が行った教育活動の適正さについて関係法令や本学規則に照らした事実調査等を早急に実施し厳正に対処してまいります」なんていきり立つな。どれだけの凶悪犯罪や知能犯罪を犯したかと誤解するけども、要するに准教授は「戦争推進法案」に危機感を持っていてそれを講義中に語り、きょうび政府に反対することの方法や表現すら知らない学生に範を示しただけの事ではないか。

普通の教育者としては「当たり前」の行為じゃないのか! 戦争に反対するのは。

国公立大学の経営陣は安倍政権発足後矢継ぎ早に飛んできた「反動攻撃」にびくついている。これは福岡教育大学に限った事ではない。教授会権限を奪い学長権限を拡大する「独裁運営」を認める法改正が行われ、ついには「文科系教員養成系学部の廃止・統合」などという実質的な「大学破壊」を文科省は迫っている。もう文部科学省は「教育弾圧省」と実態に合わせて改称すべきだ。

◆大学が異常なほど迅速に対応した背景の本質──戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる時代

大学が僅か2日でこのような決定を発表するのは「異常」だ。国立大学の意思決定は通常このように敏捷ではない。「役所的」な手続きがあるから普通の概念より「ゆっくり」しているのが常態だ。その「常態」を「異常」にせしめたのは僅か15通のメールや電話だけであろうか。

違う。殺人事件が学内で発生した並の「緊急対応」を大学当局に取らせたのは、私が想像するに「時代の脅迫」だ。元朝日新聞植村記者の非常勤講師契約について様々な脅迫を受けた北星学園大学のような状態に陥ることへの恐怖感が大学執行部をつき動かしたのではないか。あるいは匿名の卑怯な脅迫や恫喝ではなく「教育弾圧省」からの「お叱り」を慮った側面もあろう。

実際田中氏によると22日時点では問い合わせやメールや電話は15本程度だったが28日に産経新聞(!)が記事化しネットでも配信してから苦情や問い合わせが急増しているという。

憲法違反の「戦争推進法制」に反対することへの「自己規制」いや「内部粛清」が顕在化したのが福岡教育大学事件とみるべきだ。便利なようで「凶器」にもなる「ネット」が力を持つ現代、匿名性の脅迫は当事者を思いの外委縮させる効果を持つ。

武器を持たされる「戦争」の前に「言葉を封じられる」言論弾圧はこのように急速に進行している。既に時代は戦争推進勢力に抗うことが「非行」扱いされる段階に入っている。

真逆に同志社大学では学長が国会の特別委員会中央公聴会で「戦争推進法案」に賛成意見を述べても同志社大学の理事会は「個人の意見には介入しない」との理由で村田晃嗣学長の責任を一切問題にしていない。学内外で有志教職員・学生が反対の声を挙げるのみだ。図々しくも村田は27日も「良心学」という名の講義を行ったそうだ。そんな資格がこの男にあるのか。

戦争法案反対を講義で語れば担当を外されるが、国会で戦争法案賛成を明言しても「良心学」を語らせる。この底抜けに救いがたい倒錯。ファシズムの加速がはっきり目に見える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎今こそ同志社を<反戦の砦>に! 教職員有志「安保法制を考える緊急集会」開催
◎同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎安保法案強行採決!「大きな嘘」で日本政治をレイプしまくる安倍話法の本心
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

『慨世(がいせい)の遠吠え  強い国になりたい症候群 内田 樹 鈴木邦男 対論』

同志社大学で7月25日、「安保法制を考える緊急集会」が行われ250名以上が集まった。「同志社平和の会」が主催し、「安保法制に反対する同志社大学教職員有志」、「村田学長の公聴会発言に対して抗議する同志社学生有志の会」が共催し学生さんが司会を務める中、会はほぼ予定通り17:00から始まった。

◆鶴見俊輔さんへの黙祷で始まった良心の集会

会の冒頭主催者の出原政雄教授から、20日に逝去した元同志社大学教員でもあった鶴見俊輔さんへの黙祷が呼び掛けられ参加者は起立して黙祷を捧げた。個人的にもお宅に何度も伺った鶴見さんの逝去がこのタイミングに重なったことは、あの穏やかな語り口から「同志社は一体どうなっているんですかね。もう良心は死んだのですか?」との声が聞こえて来そうだった。

会の前半は既に声明を出している同志社大学教職員、学生代表、同志社中学の先生、京大・立命館の先生方からそれぞれお話があった。出色だったのは、言葉は穏やかだったが怒りを含んだ学生代表と中学の先生方のお話だった。学生代表は「教職員よりも先に声明を出そうと思ったが間に合わなかった」と述べながらも、村田発言の問題点を正確に抽出、指摘していた。

◆同志社にはまだまだ真っ当な教師たちがいる

同志社中学の先生方は「13日の村田学長の発言を聞いて、学年末の忙しい時期だったが何としても早く声明を出すべきだと思い翌日には声明をまとめた。学長に手渡そうと出向いたが受け取りを拒否され、その場に抗議声明を置いてきた。生徒は毎朝の集会で不安になっている『僕ら戦争に行かんとあかんの?』と聞いてくる生徒もいる。私達は中学が職場だが学長を辞任させるまで大学の人を応援するので頑張って欲しい」と語った。真っ当な教師の姿ここにあり、との印象を受けた。

だが、一部の教員の発言は時間だけがやたらに長く、内容的には「緊急集会」の名に値しない間延びしたものだった。あたかも通常の講義を行っているかのようで概して「緊張感」がない。そして何よりも「怒り」が感じられない。

◆鹿砦社松岡社長も緊急アピール! 「同志社を<反戦の砦>に!」ビラを配布!

前後するがこの日の集会には松岡社長が「緊急アピール! 稀代のファシスト=村田晃嗣学長を退陣に追い込み 同志社を〈反戦の砦に!〉」と銘打ったビラを持参し会場前、参加者に配布していたが、そこへ出原政雄教授がやってきて「人格を誹謗中傷するのはこの集会の趣旨ではないのでこのビラを回収してくれ」と要求してきた。なに? 戦争推進法案に賛成した村田を批判するビラが「人格攻撃」だからそれを巻くな、回収しろと?

出原氏が問題視したのは、「学生を戦場に送るのに熱心な学長」など殺人者と変わりません。私達は同志社を卒業して何十年かぶりに、体の奥底からの怒りを抑えることが出来ません。村田学長は政治学者ですが、人間性を持ち合わせない〈悪魔〉であることが明らかになりました」の部分だ。

この指摘には呆れるほかなかった。戦前を通じて初めて国会の場で「戦争法案賛成」を表明した私立大学学長への、筋違いな過剰なまでの配慮。戦争を牽引することは「個人研究者の意見」として許される、戦争を誘引する発言は「穏やかな表現であれば」許される。逆に直接的な表現を用いると「人格批判」として排除しようとする。

村田が極悪・史上最悪の国会内での発言を行い、それを問題にする集会でもこのような「言葉狩り」が行われている現実こそが村田のような人間を学長に押し上げ、その暴言を放置する遠因になっているのではないか。そんな的外れな「品性」や「体裁」ばかりに気を回しているからこそ村田の暴走を許したのだという反省が、概して同志社大学には欠如していると感じた。

このビラについては、実質的な教職員有志のまとめ役である板垣竜太先生に相談し「この表現問題ありますか」と伺ったところ、「いや私は問題を感じませんが」とご了承頂いたので、結局無事に配布することが出来たが、村田が調子に乗る学内的要因を図らずも垣間見る機会とはなった。

同志社OB鹿砦社松岡社長もリレートークで緊急アピールを行った

◆同志社はなぜ村田のような超ファシストを大学長にまでしてしまったのか?

主催関連団体の挨拶に次いで「リレートーク」が行われた。合計16名の発言者が5分の時間制限時間内で意見を述べた。松岡社長も発言に立ち「昔は良かったという言い方はしたくないが、同志社の空気は変わったと思う。なぜ村田のような超ファシストを学長にまでしてしまったのか。はっきり言うが教職員の方々にも責任はあると思う。これまで卒業以来大学内の問題に関わることがなかったが、同志社が私にも母校愛がある。今日はチラシを配らせてもらったが主催の先生から『人格攻撃』しているから配布するな、回収しろとまで言われた。そんなケツの穴の小さいことを言っているから村田のような人間がのし上がって来るのではないか。そんなことを言っている場合か。もっと体を張って、村田退陣、安保法案阻止の闘いを期待したい。主体は学生、教職員だから我々は後方支援をしてゆきたい」と語った。

次いで私の発言となり思いの一部を述べた。

この日の集会はたぶん主催者も予想以上の人数が集まり3時間を超える会となったが、様々な立場から多くの人の発言があり大変意義深い集会だったと言えよう。とりわけ短時間でこの集会を準備した関係者の方々のご苦労には敬意を表したい。

◆250名もの良心が集まった理由──村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?

だが、残念だが何かが欠けていたように感じる。大学では講演会やシンポジウムが頻繁に行われるが、その空気感と大差がなかったように感じたのは私だけであろうか。

私はこの会を実質的に運営した板垣竜太先生と学生諸君には特に再度深い敬意を払う。同志社中学の先生方の熱意も実感した。

だが、最後に再び登壇した出原教授は「この会は議論を目的にしている、村田学長への批判は予想されていたが『人格攻撃』はならないと考える」と再び述べたにとどまらず「会の目的は『村田学長に辞任を迫るものではない』」とまで言及した。

では、この「緊急集会」の意味は一体何なのだ。参加者の少なくない人々が村田許せぬ。即時退陣を願っているからこそ250名を超える人数が集まったのではないか。この発言は決定的に問題の本質を捉えていない。許せないと感じた私を含めた多くの人から声が上がった。

「村田に辞任を求めない集会に意味があるのか?」

こう発言した私に出原教授は「集会の趣旨と違うから出て行ってください」と言い放った。更にその発言を糾弾すると私の前に座っていた教員が「静かにしろ!黙って聞け!」と立ち上って迫ってきた。

何を考えているのだ、あなた達は。私に向ける「言論弾圧」のエネルギーがあればそれをすべて「村田打倒」に向けたらいいではないか。近年アカデミズムの世界でも「回りくどい」言い回しで煙に巻く話法が流行している。その意味が戦争賛成である「回りくどい言い回し」は「直接的な反論言語」よりも高尚とされる。表現の細かな部分の揚げ足取りで発言を封じ、あからさま悪意が「修辞」を纏って闊歩することは往々にして問題にされない。

ここだ。ここに「知」の退行がある。そして人間として当たり前に感じ、表現すべき「怒り」への抑制と蔑みがファシズムを下支えしている。

身近なファシズムを打破するところから始めなければ、と再度痛感した1日でもあった。

当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(表面)

当日、配布禁止回収を求められた緊急アピールチラシ(裏面)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《大学異論40》同志社大学長発言を「個人の意見」と容認した理事会に反省なし!
◎《大学異論39》同志社の「良心」は「安保法案」賛成の村田晃嗣学長を許すのか?
◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落

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先の国会衆議院特別委員会で「戦争推進法制」賛成意見を述べた村田学長の発言をめぐって7月16日、同志社大学の理事会が審議を行った。その場で村田氏から国会での発言は「あくまで学者個人としてのもの」であったことについて弁明がなされ、いくつかの疑問意見は呈されたものの、理事会としては「村田発言」を「納得する」との結論に至ったと同大学広報課の高阪氏は述べた。

◆「公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない」(高阪=同志社大学広報課)

「村田発言」についてはいち早く「同志社中学校教職員有志」から発言内容を厳しく批判する声明が出されたほか、「同志社大学教職員有志」、「同志社大学学生有志」らから非難の声明が相次いでいる。私の取材に同志社中学の先生は「教職員全員というわけではないが、ほとんどの教職員は怒り心頭です。毎日生徒を目の前にしている私たちは村田氏の発言を絶対に許すことはできず、辞任させるまで頑張ります」と語っていた。(安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明)

同志社中学校の先生たちの真っ当さに比べて、同大学理事会の例えようなき愚劣振りはどうだ。「村田発言」を不問にするという、大学としては「自殺行為」に等しい愚かな判断だ。理事会に限れば、もうこの大学は「戦争翼賛大学」と言われても仕方がないだろう。

◆「戦争推進」は「公序良俗」に反しないという同志社大学理事会の総意

広報課の高阪氏は「本学は各教員の考え方を尊重するという基本姿勢なので、公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない、というのが基本姿勢です」と語ったが、同志社大学において「戦争推進」は「公序良俗」に反しないということらしい。何たる想像力の欠如と、「知」の摩耗であろうか。

いったい同志社大学における「公序良俗」とは何を意味するのか。同志社大学は学生のバイク通学を禁止しているが違反学生は小さいけれども「公序良俗」の違反者とされるのだろう。数年前同じ学校法人である同志社女子大学に勤務する職員が同僚を殺すという事件があった。これは間違いなく「公序良俗」違反だろう。

◆「集団的自衛権」行使で日本に戦火が及んだら、その有責者には「外患誘致罪」を問えないか?

なら戦争はどうなんだ。刑法には「外患誘致罪」という罪がある。

「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させ、又は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに加担するなど軍事上の利益を与える犯罪である。現在、外患誘致罪(刑法81条)や外患援助罪(刑法82条)などが定められており、刑法第2編第3章に外患に関する罪として規定されている」

この罪に問われると誰一人殺していなくても最高刑は「死刑」である。「外患誘致罪」は外国の軍隊や武装組織を日本に招き入れることを前提とした刑罰だが、この条文だけ読めば「集団的自衛権」行使だって結局同じ結果を招くのではないか。「外国」を「米国」と置き換えれば日本に戦火が及んだ時の有責者は同様に罰せられないとおかしくはないか。

近代の戦争で「侵略」を旗頭に行われた戦争などない。戦争は常に「解放」や「自由を守る」、「自衛」といった一見理のありそうな「美名」のもとに口火が切られる。大学で国際関係・国際政治を教えている教員ならばこの程度のことは最低レベルの人間でも知っている。

そんな最悪事態をわざわざ招き入れようとする与党の「戦争推進法案」に賛成することを、しかも学長が国会で「あくまで個人的な意見だが」といえば免罪されるとする同志社大学の「個人の自由」概念には論理や理性のかけらもない。あるのはこの時代にまったく抗おうとせず,諾々とルーチンワークをこなし「善良な教職員」を演じ切りたいとする、人間として最低の自己保身だけだ。

この惨憺たる事実を見つめながら、同志社内部で声を上げる良心的な人々を精一杯応援してゆきたい。


◎[参考動画]頭脳警察-世界革命戦争宣言~銃を取れ!(1990年11月12日同志社大学「超非国民集会」)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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