
9月8日に定例会見でNHKの籾井勝人会長が、会見で今年の「第67回NHK紅白歌合戦」に、年末での解散を発表したSMAPの出場を「当然、出てもらいたい」と熱望したのには「裏」がある、とNHK関係者は指摘する。なにせ自らジャニーズ喜多川社長を説得してもいいとすら発言した。
これは来年の1月に行われる「NHK会長選」に続投するための好感度とりパフォーマンスとみるむきが多いが、実は「本気だ」という局内の声。「1月に会長選があるので、続投したい籾井会長としては、少しでも点数を稼いでおかないとならない。このままでは籾井会長は辞任、経団連が推薦する人材に交替で落ち着きそうな気配だ」(放送ジャーナリスト)
籾井会長は、独善的な人事を断行する「強硬派」として知られる。今年の4月に発表された人事では、理事10人のうち、空席だった2人を含めて合計6人が入れ替えとなった。会長側近ながら、事業計画について意見画異なる理事を再任しないなど、独断専行がNHK内の反発を招く。 実際、ありとあらゆるルートを辿ってジャーニー喜多川社長との「接見」を探っているようだ。籾井会長は、2013年12月に経営委員会で選出された。三井物産、ユニシスと大企業を渡り歩いた手腕が期待された。
「ですが、尖閣・竹島問題で『日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない』と偏った発言をして物議をかもすなど、『舌禍』問題がついてまわりました。そのたびに側近は火消しに奔走。局内では〝自演炎上会長〟などと揶揄される始末です」(同)
SNSでは「NHK籾井会長が辞任するまで受信料不払いします」というスレッドが立つほどに嫌悪している視聴者も一部いる。NHKの歴代会長は経営委員会で決まるが、政府・与党幹部の胸先三寸で選ばれてきた面がある。自民党長期政権の時代には内閣のポスト配分と同じようなものだったと指摘され、実際、九州旅客鉄道(株)相談役の石原進委員長をはじめとして元・三菱商事(株)代表取締役副社長執行役員だった上田良一や阪神高速道路株式会社取締役会長など自民党のシンパで委員も固まっている。
NHK会長の座は「実質的に閣僚と同義」という見方も。今、NHKへは風当たりが強い。ワンセグ受信料も払うようにとの見解でさいたま地裁で裁判をしている。石原進経営委員長は9月13日、将来的にテレビ放送をインターネットで同時に見られるようにする方針を示しつつ「公共放送を維持していくためには、ネット配信であっても何らかの受信料をいただく必要がある」と話している。

続投となると籾井会長が打つ奇手「SMAPの紅白出場」は続投へのバネとなるか。それとも滑るのか。NHKに「スポーツ新聞等で、籾井会長が『SMAPに紅白に出てほしい』としてジャニーズ事務所と交渉すると言っていたが、すでに交渉したのか」と聞いたが、「スポーツ新聞等の報道は承知していませんが、NHKの公式ホームページで発表されたことがすべてです」とした。
またジャニーズ事務所に「その後、NHKからSMAPに対して紅白歌合戦への出演オファーはあったのか」と聞いたが、コメント依頼書を送ってもファックスでの回答はなかった。SMAPが紅白に出場という期待を持たせて失敗したときの風あたりは強い。「ファンは冷めていて、『SMAP』の今のギクシャクとした共演ぶりを見て『5人が歌うのは無理』と見ている。先日、ファンに150ページ以上のボリュームがあるメンバーの盛りだくさんな写真集が送られたそうだが、これが〝最後のファンサービス〟となるだろうね」(芸能記者)
さて1月、NHKの会長のイスに座っているのは誰だろうか。
(伊東北斗)
民進党代表選が15日投開票され、蓮舫代表代行(48)が503ポイントと1回目の投票で、過半数を獲得し、新代表に選出された。日本と台湾の二重国籍でネガティブな報道が相次ぐ中、それをはねのけての当選は見事だが「隠された爆弾がまだある」と与党のベテラン議員。 蓮舫は、先月の末に台湾を日本の二重国籍問題がもちあがってから「私は昭和60年に国籍選択の宣言をして台湾籍を抜き、日本人です」と主張。その後の発言が二転三転し、苦しい弁明を続けていた。 「今話題の〝二重国籍問題〟は、かつてインタビューに『台湾籍は抜いている』と答えてきたが投票直前、郵送の党員やサポーターの投票が締め切られる13日に蓮舫はとってつけたように二重国籍を発表。これについて松原仁元国家公安委員長が『代表戦の運びとしてよくない』と話すなど、出馬辞退がくすぶっていた中の当選なので、頭に来て『ばかばかしい。こんなのは茶番だ』と選挙会場となったホテルで万歳三唱の中、捨て台詞を吐き捨てて帰る古参議員もいた」(民進党議員秘書) 過去のインタビューの発言で「だから自分の国籍は台湾なんですが」(『CREA』97年2月号)や「私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティーは『台湾人』だ」(「週刊ポスト」2000年10月27日発行号」)、「どこも指摘していないが、隠された爆弾がある」と政治ジャーナリストは言う。 「実は創価学会系の第三文明社からリリースしている母親向け月刊誌『灯台』の2003年3月号で、学生時代をふりかえるインタビュー企画『マイ・スクール・デイズ』で、かつて『自分のアイデンティティー台湾を捨てるのが嫌だ』と父親に反対した記述があるのです」(事情通) 記事にはこうある。 インタビューは、出馬する前年の03年の2月に行われた。当時、インタビューしたライターは言う。 「子供を産んだばかりで産休でタレント活動を休んでいました。その中をインタビューに応じてくれて感謝しています。ところが国籍のことになると「父が(台湾籍を外す)手続きをしたので正確にはどうなったかわからない」と顔をくもらせて、しまいには「正確にお知りになりたければ、台湾に行って確認されたほうがいいと思います」と記者に確認を投げ返す始末。本当にあきれかえりましたね。取材した相手に『国籍が正確に知りたければ調べろ』と言われたのはあとにも先にもこれが始めてです」 このインタビュー記事は、一部、民進党幹部の目にとまった。 「これはまずい。公明党の支持団体の創価学会に思い切りウソをついた上に、一部の地方選挙で行っている選挙協力体制にもヒビが入る可能性がある」(前出・民進党議員秘書) 今回の民進党代表選では、とにかくネガティブな情報が流れないように大手新聞やテレビの取材ばかり優先して、「大本営発表」ばかりにしたのもげせない。記者クラブ外の記者は取材に四苦八苦して一週間ほど蓮舫の事務所は電話しても誰もでず、民進党本部に連絡して二重国籍問題について聞いても「それは事務所に聞いていただけますか」とやんわりと逃げられた。 「国会質問でとりあげられてこの雑誌が仮に出されたら、どうこたえるかだね。彼女のブレーン筋から聞くとすでに『想定問答』をしているふしもある。ただし、与党に対して辛口なキャラだけに、創価学会系のメディアに出ているのみならず『ウソをついていた』となるとかなり攻め所を残した印象だ」(同) そして「03年の2月号の『灯台』で『台湾籍を外して日本人です』とこたえているが、本当のところはいつ外したのか」とメールで聞いたが回答は期日までになく、代表選で忙しいのか、それともこの手の質問を嫌ってか3日連続で電話には誰もでなかった。 「灯台」の版元の第三文明関係者は、蓮舫が過去、国籍を語ったインタビューについて「何も話したくない」と電話を叩ききった。 かつて「仕分けの女王」で世間を賑わせた歯切れのいい新代表が自らの国籍で永田町から「仕分け」られようとしている。 (鈴木雅久) 嫌な予感はあった。彼女の携帯に電話をかけた時、いつも通り「おー! どうしたの?」と明るい声で語りかけてくれたのは5月頃だったろうか。でもその後に取材内容を告げると、声が急に暗くなった。彼女が逡巡していることは手に取るように分かった。会話の最後はたしか、こうだった。「この話ではおしまい! また楽しくご飯食べに行こうね」。 私が彼女に尋ねたのは「しばき隊」による「リンチ事件」だった。私がこの役回りを引き受けなければならないことは、正直かなり辛くはあった。 私が辛さんと知り合ったのはまだ20世紀だった。シンポジウムのパネラーとして参加をお願いしたら、忙しい中、安いギャラで、便の悪い田舎まで快く足を運んでくださった。初体面ながらシンポジウム終了後の懇親会では「意見の合わない主催者とは飲まないよ」と気配りに満ちた言葉をかけて頂いたことが思い起こされる。 その後も私が病で床に臥せた時には、いつも暖かい言葉をメイルで送ってくれた。心優しい人だなと、本心親しく感じていた。 3年程前になろうか。久しぶりに彼女の講演会の知らせを聞いて、大阪に出向いた。講演後の懇親会(出席者は100名以上いただろう)で、辛さんに近づき私は彼女の肩を叩いた。最初彼女は私が誰か認識できなかった。それはそうだろう。初体面の頃とは別人のように容姿が変わった私をほぼ20年近く時間が経過して、分かってくれという方に無理がある。私はサングラスを外した。「ワー生きてたの!」そう言いながら彼女は私をハグしてくれた。 今だから告白するが「のりこえねっと」の運営が大変だと聞いて、「私手伝おうか」と申し出たこともあった。東京に住むのは気が進まないけれども、彼女の進める運動ならば手伝いたい、との気持ちがあり、実際に「のりこえねっと」の事務局が置かれているビルまで出向いたこともある。そこは「のりこえねっと」が専ら借りている事務所ではなく、他の団体に居候しているようだった。その日は事務所の中に誰もおらず引き上げた。 辛淑玉さん。悲しいけれども私はあなたに決別の辞を述べなければならなくなりました。その理由はあなたが記した下記の文章です。 【関係各位へ】 2014年末に起きた傷害事件とその後のネットの騒ぎについて 今年の春頃、私がこの事件の加害者3名宛てに書いた手紙が、私の了解を得ることなくネットに流されました。そして、その手紙に書かれていたことを「証拠」として、李信恵さんに対する異常なまでの攻撃が始まりました。 まず、私は、Twitterを始めとするネットの中で何が起きているのか、逐一追うことはできません。今でも全容は把握できていないと言わざるを得ません。 私にとって、問題は、私の手紙が私の知らないうちにネットに持ち出されたことに尽きます。 私が被害者に初めて会ったのは、事件後のことです。被害者の友人Kさん(私は被害者とKさんの関係については何も知りません)から連絡があり、まずKさんと連絡を取り、ついで被害者から写真とテープを頂き、それに基いて手紙を書きました。そして、被害者に手紙を見せ、被害者が望まない箇所は削除し、その了解を得た上で関係者に送りました。 この手紙を持っているのは、事件に関わったとされる5名と被害者1名、双方の弁護士、それと、この事件を知らせてくれたKさんだけのはずです。 当初、被害者とKさんは、このことが外に漏れることを非常に心配していました。「大変なことになる」というのが口癖でした。彼らの、問題を解決したいという思いが強く感じられたからこそ、私は手紙を書こうと決心しました。 私がLさんに会ってまず思ったのは、「こんなにちっちゃい子だったんだ」ということでした。あんなに体格のいい被害者を、どうやって殴ったのだろうかと。事件に至るいきさつはいろいろとあったようですが、それは私の知らないことなので、そこに関してはコメントできません。 あの手紙に書いた内容の中で、決定的に間違っていたのは次の点です。 音声だけから状況を判断するのがどれほど危ないことか、私は思い知りました。 多くの方は、加害者側は反省も謝罪もしていないと考えているようですが、裁判所が勧めた和解を被害者が拒絶して告訴した結果、刑事事件となりました。 しかしその結果、加害者のLさんは仕事も辞めざるを得なくなり、家も引き払い、罰金に弁護士費用も加わるなど、Lさんが彼の人生で受けた制裁は十分に重かったと言えます。今度は、これに民事訴訟が加わります。 この事件について「正義」を唱え、楽しんでいる人たちは、いったい何がしたいのでしょうか。 そして、被害者とその友人Kさんが望んだ「解決」とは何だったのかと考えざるを得ません。 一方的な情報だけに基いてあの手紙を書いたことは、悔やんでも悔やみきれません。そして、それがネットに公開され、マスコミにまで渡されることを想像できなかった私の責任は重いです。本当に申し訳ありません。 2016年9月10日 ※辛淑玉さんのfacebookより https://www.facebook.com/shinsugok/ もう議論の余地はないでしょう。あなたが立ち上げた「のりこえねっと」は、何を乗り越えるのが目標だったのですか。9月10日のあなたの文章は支離滅裂です。失礼ながら落胆しました。あなたは「その手紙に書かれていたことを『証拠』として、李信恵さんに対する異常なまでの攻撃が始まりました」という。それは大間違いです。李信恵さんは自ら自身のツイッターで、何度も何度も「リンチはなかった」、「嘘に騙されちゃだめだよ」、「喧嘩はあったけどリンチはなかった」とあなたの文章があろうがなかろうが、自ら発信し続けているではないですか。彼女はあなたの指導ではなく、自ら書いた「謝罪文」の中で深い反省を表明しているではないですか。その中には「活動の自粛」も含まれます。 これは被害者に相談してのことではなく、李さんが一方的に提示した反省の姿勢を現すための「自粛」のはずでした。しかしその約束も反故にされます。約束を反故にする文章を目にして、私はその傲慢さに言葉がありませんでした。 「李信恵さんの活動再開については、Mさんが初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております」 辛さん。あなたは自分の気持ちを確かめられることもなく、意に反した一方的な「約束反故」を突き付けられたら、それもはらわたが煮えくり返るような内容を「お気持ちに反することはないものであると考えております」などと、穏やかながら意味においてM君の精神を抹殺するような言辞を向けられたら、黙っていられますか。あなたは不条理を許さない人だと、私は今でも思っています。このM君に対する「被害者の精神殺し」を辛さんは容認できるのですか。 あなたはこうも言う。「あの手紙を出した後、加害当事者であるLさんや関係者に会い、あの日起きたことの別の一面を知ることになりました。それは、被害者側から聞いた話とは相容れないものでした。私がLさんに会ってまず思ったのは、『こんなにちっちゃい子だったんだ』ということでした」 これは事実ですか。あなたがしたためた従前の文章によればあなたはLさんを事件の前から知っていた記述になっていますよ。記憶違いでしょうか。 それから、「多くの方は、加害者側は反省も謝罪もしていないと考えているようですが、裁判所が勧めた和解を被害者が拒絶して告訴した結果、刑事事件となりました」は事実誤認、いやはっきり言いましょう。嘘です。「裁判所が勧めた和解を被害者が拒否」した事実などありません。そもそも加害者に対する民事訴訟は、今日(9月12日)初弁論が開かれたばかりです。 加害者達は刑事事件では罰金処分を受けていますが、刑事裁判になっていないことはご存知でしょう。仮に刑事裁判になったら、相手は検察ですよ。刑事裁判で「和解」などあり得ない。では、どの「裁判所」が「和解」を勧めたとお考えなのですか。この部分は非常に大きな間違いです。全く事実と異なります。辛さんの性格であれば直ぐにご訂正頂けるものと信じます。 あなたは、悲しくもこうも言っている「事件当夜の飲み会は李信恵さんの裁判関係の流れで予定されていたのですが、その途中で知人の訃報が入り、飲み直そうということで現場となった店に移動したこと、また、みんな悲しみに沈んでいたので、店の外で行われていることには、全く関心が行かなかったということです。そして、私が恐怖を覚えたあの『笑い声』は、その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです」 これは加害者達の言い訳のみに立脚した苦しい言い逃れです。誰かの訃報があろうが、場を盛り上げようと「笑い声」を挙げようが、暴力を受けた(殴る蹴る)被害者にとって、そんなことは関係ないことではないですか。沖縄の米兵が性欲を満たすために沖縄の女性を暴行した。その末に殺害にまで及んだ。でもその兵士は故郷の母親の訃報を聞いた直後だった。これが被害女性に対する加害者の言い訳になりますか。 「この事件について『正義』を唱え、楽しんでいる人たちは、いったい何がしたいのでしょうか。一年半以上も前のことを、まるで今起きたかのように騒ぎ、事件の全体像もその後の経過も知らないのに、ネット上で尋問でもするかのような問い詰め方をし、しかも、自分にはそうすることが許されているのだと思っている。その傲慢さを恐ろしく感じます。生意気な女は叩いてもいい、目障りだから思い知らせてやろう、とでもいうかのようです」 中にはそのような人がいるのかもしれませんが、「1年半以上も前のこと」の真相を今明かそうと努力してはならないのですか。私は日韓両政府が慰安婦問題に10億円でケリをつけようとしたことに腹が立って仕方がありません。慰安婦の方々が何十年も日韓両政府から冷たくあしらわれたことに、辛さんは怒りをお持ちではないですか。当事者の納得を得ず政府間で結ばれた「被害者を疎外した解決」は許せないとお感じになりませんか。事件がいつ起きたなどは重要な問題ではないのです。何が起きたか、そして周辺の人間がどのように動いたか。私はM君から話を聞き「酷い」と感じました。この感覚を辛さんと共有できると思っていました。でも無理なようです。本当に残念です。 そして、私は許せない気持ちであなたのこの言葉を糾弾します。 「そして、マイノリティがマジョリティを叩いたら、報復として何十倍もの血を求められること、その暴力はとりわけ女に向かうということを、あらためて思い知らされました。まして、それを扇動している人たちの中に在日の男たちがいることには、吐き気すら覚えます」 問題のすり替えです。「マイノリティがマジョリティーを叩いた」から加害者は責めを負っている訳ではありません。加害者は「謝罪文」まで書き、一度は反省の態度を現しながら、周囲の弁護士や大学教員が必至で事件の隠蔽に奔走したこと。さらには「事件」自体が無かったものであるとの言説を李信恵氏はじめ、周囲の人間が未だに止めないことが問題の根幹なのです。こんなところに筋違いの差別を持ち込んではいけない。 辛さん、私の顔はご記憶ですよね。私はこの「事件」の取材を始めてから、辛さんが懇意にしておられる野間易通氏のツイッターに無断で顔写真を数回掲載されましたよ。悪口を添えたリツイートも数限りなくありました。野間氏はいまだにM君への攻撃を止めません。 これ以上悲しい離別にしたくはありませんので、ここまでにします。 長い間お世話になりました。私が病床に伏せている時にかけて頂いた優しい言葉は生涯忘れないでしょう。あなたは私の心の友人でした。深く感謝します。 今、私は深く深くあなたに落胆しています。それでも辛さんのご健勝とご多幸をお祈りします。 ▼田所敏夫(たどころ としお) 伝説的な映画『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督がそのブログ(2016年9月8日付)で「週刊金曜日『鹿砦社広告問題』に触れて」と題して執筆しておられます。 私たちにとって原監督は雲の上の存在です。こういう形ではありますが採り上げていただいて、ある意味、感慨深いものがあります。 同時に、いってしまえば、たかが広告如きで、原一男ともあろう名監督が不快感を覚えられ、『金曜日』と激しくやり合われている様に驚くと共に忸怩たる想いです。 原監督は今後、『金曜日』に連載されるということですが、その連載と当社の広告が再びがち合うこともあるやと思われます。その際も、いちいち『金曜日』とやり合われるのでしょうか? くだんの広告は、もう数年前から毎月1度(2度の時期もあったり、毎週文中に出広していた時期もありましたが)定期出広していて、SEALDs解散特集とがち合ったのは偶然で、掲載誌が送られてきて私たちも初めて知り驚いた次第です。 もし、SEALDs解散特集とがち合うことが予め判っていたならば、右上の広告は『SEALDsの真実』にしたでしょうし、また掲載をずらして欲しい旨打診があれば、これは契約違反で、私どもが『金曜日』に抗議したことでしょう。 これまで新聞などでは内容を検閲されて広告掲載を拒否されたことは何度かありますが、『金曜日』は比較的自由で拒否されたことはありません。だからといって、内容については私たちなりに考慮し、“金曜日向け”に版下を作成しているつもりです。 当社が7月に刊行した『ヘイトと暴力の連鎖』は、一読されたら判りますが(原監督は当然すでにお読みになっているものと察しますが)、タイトルに「ヘイト」の文字を付けているとはいえ、決して、俗に言う「ヘイト本」ではありません。 私たちは、知人を介して当社に相談があった集団リンチ事件に対して、被害者の大学院生は、弁護士やマスコミなどにも相談しても相手にされず、「反差別」の名の下にこんなことをやったらいかんという素朴な感情から取り組んでいるものです。ネット上では本も読まずに非難の言説が横行しておりますが、全く遺憾です。 SEALDsにつきましては、当初は「新しい学生運動」という印象で好意的に見ていましたが、徐々に疑問を感じるようになりました。実際に奥田愛基君にも話を聞き(『NO NUKES voice』6号掲載)、次第に否定的になっていきました。これも同誌に書き連ねている通りです。 SEALDsにしろ、リンチ事件を起こした「カウンター」にしろ、バックに「しばき隊」とか「あざらし防衛隊」なる黒百人組的暴力装置を控えて、やっていることには疑問を覚えます。作家の辺見庸が喝破した通りです(が、しばき隊や、SEALDs支持者らからの激しいバッシングに遭い、そのブログ記事は削除に追い込まれました)。「しばき隊」の暴力を象徴しているのが集団リンチ事件です。これでいいのでしょうか? 原監督は、しばき隊やあざらし防衛隊の暴力の実態を知った上で発言されておられるのでしょうか? 原監督には本日(9月9日)、上記の内容で手紙と『ヘイトと暴力の連鎖』等関連出版物を送りました。これらをしっかり読まれ、認識を新たにされることを心より願っています。 ▼松岡利康(鹿砦社代表) 街を歩くと、やたらインドカレーの店を見かけることが増えたと感じるのではないだろうか? 事実、インド料理店の名目でタウンページに登録されている飲食店は’07年の302件から‘14年の1773件と7年間で約6倍に増加(出典:タウンページデータベース)。 ◆平野和之氏が指摘するインド料理店乱立と「悪徳ブローカー」の暗躍 その原因として「在日インド人が増えたこと」「日本人のエスニック料理への関心が高まったこと」など、さまざまな言説が語られるが、そもそも根本的な理由は「出店コストの安さ」と指摘するのは経済評論家の平野和之氏だ。 「ラーメン店などは2000万円~3000万円程度かかることもざらですが、インドカレー店は1000万円程度で、居抜きで安くあげれば数百万円程度でも出店できる。その理由は立地です。ラーメン店など、薄利で客の回転が重要な飲食店の場合は1階であることが必須条件ですが、インドカレー店ならば賃料の安い雑居ビルの2階以上や路地裏などでも十分に成立する。また、特殊な調理器具が少なく済むのも大きい。やろうと思えば家庭用の機材でも事足りるため、改装費用も抑えることができるのです」(2016年8月14日付ハーバービジネスオンライン) どこか怪しいな、と感じていたが、やはりそうだったかと上記の記事で納得させられた。 都会は言うに及ばず、地方都市でも形態の似たインド料理店を目にすることが多くなった。夕食に利用したことはないが、ランチタイムだと日替わりや、各種カレーセットを1000円以下で食すことができ、しかも「ナン」食べ放題が私の入ったことのある、この形態のインド料理店での共通点だ。そして私的経験に限れば、どの店も値段の割には味が良く、ハズレが無かった。よって昼飯時にちょっと刺激が欲しいなという時には、気軽に足が向くようになった。 但し、冒頭記事にもあるように出店時のコストを抑えているのは、店内を見回せば容易に気が付くだろう。テーブル、椅子は高価なものではないし、不思議な内装の店にもしばしば行き当たる。ゾウの置物はわかるとして、インドチックではない東南アジア風の仏画が飾られている横に、ラーマヤナの絵画が並んでいたりする。給仕はたいがい肌の浅黒い女性だ。混雑していない時間に「インドの方ですか」と聞いたら、半数以上はネパール出身者だった。 コンビニチェーン並の増殖力で展開するインド料理店の裏には「コンサルタント」のような業者がいて、店舗展開の指南をしているのだろうと目星はつけていたが、やはり「悪徳ブローカー」が背後で暗躍していると、紹介した記事は指摘している。 そもそも一部のインド人は、華僑に匹敵するほど、国外での事業展開に長けた実績と経験を持っている。労働者として職を探しに外国に出るのではなく、自己資本でそれぞれの地の利を活かしたに商いを展開するインド商人の存在は確固たる地位を得ている。 他方、人口13億人を抱える大国だから、単純労働者として来日を希望する人たちも増加し、東京では江戸川区西葛西周辺に集中してインド人が居住している。東南アジア諸国からの来日者数には及ばないが、在留インド人の数は今後も増加傾向をたどるだろう。 ◆根源にあるのはこの国の労働環境問題 さて、問題は激増する「インド料理店」に象徴される、外国人労働者への対応だ。 ついに非正規雇用が4割を超えてしまった日本。4000万人労働者の半数近くは年収300万円以下で生活を強いられながら、「労働三権」(団結権・団体交渉権・団体行動権)という言葉すら知らない「労働者」達が圧倒的多数を占める今日の労働現場。労組はあっても機能しないし、歴史的資産として保持している労働者の基本権が実質的に忘却、無きものにされた「労働市場」に外国人労働者が本格的に来日すればどうなるだろうか。 確実なことは、外国人労働者が日本人より好待遇で働く機会などはあり得ない、ということだ。しかしそれ以前の問題として、日本人労働者の現況が「ボロボロ」である。実はすでに海外からは多数の労働者が「研修生」名義で来日し、その中で予想しうるあらゆる種類の困難が既に発生している。困難を押し付けられるのが弱者である構造は普遍だ。 比較的安価で美味しいインド料理店に入り、「ナン」のおかわりをしながら感じていた、ちょっとした居心地の悪さの遠因は、大袈裟なようだけれども、来日外国人労働者問題(それ以前に日本人の労働環境問題)だったのだろうか。 ▼田所敏夫(たどころ としお) 「クライマーズ・ハイ」などで知られる横山秀夫の原作は、「正義と悪」が必ずしも軸にはならない。立場により「悪が正」となり、また逆もしかり。 ヒットした横山氏の原作を基に、『感染列島』などの瀬々敬久監督と『ザ・マジックアワー』などの佐藤浩市主演で映画化した犯罪ドラマが作られた。 前半と後半で2連作となっているのだが、新聞記者が警察の広報官とことごとく対立する。その内容は、『被疑者を匿名』としたり「誘拐犯人を匿名」としたりする警察側と記者クラブとの攻防を縦軸として、昭和時代の最後の1週間にあたる昭和64年に起きた未解決誘拐事件をオーバーラップさせていく。新たに発生した類似の事件の謎に迫る。県警の広報官を演じる佐藤のほか、綾野剛、榮倉奈々、永瀬正敏、三浦友和ら豪華キャストが集結。 僕は、「記者クラブ」というものが不思議でならない。警察に事件について問うと禅問答のようなやりとりになる。 警察 「あなたは加盟社の記者ですか」 いったい、何を渋っているのだろうか。ここで僕は取材依頼書と名刺、住民票までも送る。そして警察の広報に連絡を入れる。 筆者 「FAXは届きましたか」 ここで頭に来て電話を切った。 話をもとに戻せば、こうして「現実」を無視して理想の警察の広報官をこの映画では佐藤浩行が演じている。この誘拐事件の行く末はもちろん、警察と 記者クラブとの摩擦や警察内の対立、主人公の娘の行方など怒とうの展開に目がくぎ付けとなるだろう。 だが諸君、誤解することなかれ。こと警察の広報は、バカばかりで話にならぬ。このほか、バカ警察の広報のふざけた対応は山ほどあるが、機会があれば紹介しよう。ただし僕が仲がいい警視庁のエリートの刑事はきちんとしている。一応、フォローしておこう。 ▼小林俊之(こばやし・としゆき) Kさんの緻密な分析に、私はほぼ全面的に賛同する。唯一大学入学者の経済的背景は、かつての「日本育英会」が「日本学生支援機構」という名の学生ローン(サラ金並のえげつなさ)会社になったことから、第二種であれば誰でも「貸与」という名の借金を受けることが可能となり、国立大学だけでなく、学費がさらに高い私立大学へも保護者の年収が200万円代の学生も通うことが珍しくなくなった。 非正規雇用の爆発的増大や、家族構成の変化といった社会的要因と、大学側の変化(学費高騰)が歪な形で結びついてしまい、結果として卒業後間もなく「借金の返済」に追いまくられる若者は急増している。気が付いたら400万~500万の借金を背負って大学を卒業していた、という悲劇は、30歳を待たずに自己破産をするという結末を既に産んでいる。 このように学生が大学で「普通に」学べない、「学ばさない」状態に陥れた理由の根源はKさんがご指摘の通り、「教育社会秩序の帝国主義的再編」が進んだことに他ならない。その咎人は枚挙にいとまがないが、とりわけ「小人閑居して不善をなす」を職務規定としているかの如き「文科省」の罪は重い。この連中が大学に押し付けて来る法律、通達、指導は根源に国家による高等教育機関の完全掌握という目的があることは明白ながら、他省庁と比較して「旨み」の少ない「文科省」(旧文部省)官僚の歴史的悪癖と言える。 従前、一応健全な私立大学経営者や国立大学の教員は、文科省のその様な性質を熟知しており、それなりの葛藤や、場合によっては一触即発という事件すら時には起きていた。しかし「一般教育の大綱化」に端を発する、一見大学に「カリキュラム編成上の自由を与える」ように見せかけて、他方では「自己評価自己点検」という全くの愚策を強要し始めた頃から、文科省の「不善」振りは際限が無くなった。国立大学を「法人化」=半民営化し、独自の資金調達を強いたことが、今日の年額54万円という学費の高騰に繋がっている。大学は、とうに「自主」や「自治」の精神など忘却の彼方といった有様であるから、文科省への抵抗など今日は皆無と言って過言ではないだろう。 それだけではない。昨年は東大が事実上の「軍事研究解禁」を宣言し、日本学術会議も「軍事研究」取り扱いの見直し(おそらく詭弁を弄して、「結果解禁」の結論を出すだろう)に着手。既に防衛省は各大学に研究資金をばら撒き始めた。 「科学技術の進歩は不可逆だが、人類の歴史は可逆である」と述べた先人が居た。 巨大台風の接近は京大においては、熊野寮、吉田寮と西部講堂を吹き飛ばし、サークルボックスも跡形もなく消滅する。囲碁や歌舞伎、吹奏楽といった非政治的なサークル以外は台風通過後も再生することはない。勿論IPS研究所は巨大台風にびくともしなかっただけでなく、熊野寮跡地に「遺伝子・万能細胞研究所」を新たに増設することになる。この施設の資金提供には世界中の名のある企業が手を上げたが、結局内閣調査室と防衛省の直系という極めて例外的な研究所が誕生する。 その図は私の錯視だろうか。「バリスト」の肉感と響きが反響に次ぐ反響をもたらす日は可能だろうか。(了) ▼田所敏夫(たどころ としお) (前回に引き続きKさんの書簡より) ここで問題となった。バリストの実態をみてみよう。 経験的にはこの程度のことで刑事責任を問うのか京大よ!と言う感じです。70年当時の状況をこの基準でいけば毎年何百人という退学処分を出すことになりますね。バリストの理由は反戦ですが、其の本当の原因は、当局がこの数年間、同学会を含めて学生との対話を一方的に形骸化させてついには廃止し始めた事にあります。勿論このことは学生自治を最終的に葬り去ろうとする文部科学省の指示による事は間違いないでしょう。 2012年に中核派とノンセクトが休眠状態だった同学会を手続に則り再建したにもかかわらず当局は、既に実態が消滅した同学会が存在すると強弁して同学会を学生の団体と認めず同学会との話し合いを拒否してきました。またその数年後に社会思想系のサークルの非公認化を画策してきた。この策動は学生たちの力で阻止されました。 詳細:https://sites.google.com/site/protectclubact/home/zong-ren-jia-cheng-ren-qu-xiao-wen-tino-ji-lu そもそも学生運動は戦後に占領軍により復活されて、憲法23条でその意義自体は認められが、その後の展開で学生自治は個別の法的根拠を得られなかった。このため学生は何事も実力と交渉で勝取るスタイルが歴史的にとられてきた。勢力が盛んなうちは良いが、一度衰退に向かえば時間的に余裕の或る当局が学生を追い詰めていくことになる。1980年代以降同学会の形骸化、背景にある社会主義勢力の国内外での凋落がこの動きの拍車をかけました。今回はまずは社会的に評判の悪いセクト,次は赤いサークル,最後は自主管理寮と手をつけてくるのが政府の作戦なのだろう。 ◇教育学園闘争の社会的意味 少し変な表現だが、学生時代に言っていた「教育社会秩序の帝国主義的再編阻止!」がいかに重大な主張であったかを、最近実感するようになりました。大学をいくつか散策してもまるで砂漠の中を歩いているようです。タテ看もビラもなく、ガードマンが黙々と交通整理をしているだけです。学生さんたちも授業に縛られて生気に乏しいようにみえます。69年から70年のキャンパスが祭りだったと言う人もいます。全共闘運動が崩壊して支配層がまず手をつけたのは、学園からの批判的勢力の一掃でした。72年の学費値上げから大管法で、少しは残っていた学生運動は全国的に 窒息させられた。京大の学生運動も77年の学内派の懐柔と竹本処分断行により衰え始めた。 これらの文部省支配の攻勢はやがて教授会自治そのものにおよび、学園内でのリベラル派は次第に追い詰められて今日に至っています(2004年には国立大学法が施行され、2014年8月には学校教育法および大学法人法の改定に関する通知が出ました。通知は完全に教授会が無力化されて、学長に権限が一極集中していて、実質は官僚が全権を掌握する内容だった)。 さらに重大なことはこの変化自体が社会に重大な変化を起こしてきて今日に至ったということだ。当時私は基本的には社会改革への手段としてこのスローガンを理念的にしかとらえていなかった。繰り返しになるが学費は我々の頃、国立大学は月に千円だったのだからその後最終的には物価と比較して10倍になるとんでもない値上げが行われた。結果として大学では国立も私立も 豊かな家庭の子弟が多くなり、学園の多様性は減少していくことになった。学生も大きく変わっただけでなく、社会全体での流動性も失われていくことになった。このことの意味は大きくほとんどすべての社会的政治的事項に関係すると言っても誇張ではないでしょう。権力に批判的などの勢力も次第に抑えられてしまった。大学はボデーブローで追い詰められた。この動きは今も継続している。いずれにせよこの後どのようなものであれ社会改革には若く、創造的な人材が十分に必要だ。学園の自治と自由が復活することが必須の課題だ。学生の多様性が失われてきていることは 長い目で見れば、国民の力が大きく損なわれていくことになる。このままではその傾向がますます著しくなる。大事業をなすには多彩な人材が必要だ。「京大」をつぶしてはならない。 本件(バリストによる「無期停学処分」)は別段京大または学校関係者だけの問題ではありません。 (つづく) ▼田所敏夫(たどころ としお) ◆「もんじゅ」も福島も国民負担──いつまでもなにを眠たいこと言うとんねん! 「管理上の相次ぐミスで停止中の高速増殖原型炉『もんじゅ』(福井県敦賀市)について、現行計画に基づいて今後10年間運転する場合、国費約6000億円の追加支出が必要になると政府が試算していることが8月28日、分かった。既に約1兆2000億円をつぎ込みながら稼働実績がほとんどなく、政府は菅義偉官房長官の下のチームで、廃炉も選択肢に含めて今後のあり方を慎重に検討している」そうだ。 また、「東京電力福島第1原発事故で掛かる除染や廃炉、損害賠償などの費用のうち、国民の負担額が2015年度末までに4兆2660億円を超えたことが8月28日、分かった。日本の人口で割ると、1人3万3000円余り。東電は政府にさらなる支援を求めており、今後も拡大する見通しだ」らしい。 ちょっときつめの関西弁で表現すれば、「いつまでもなにを眠たいこと言うとんねん!」とでも唾棄されるだろうこのようなニュースを前に、私たち『NO NUKES voice』編集部は改めて、原発が避けがたく有する「非経済性」のみならず「非人道性」に憤激を抑えることができない。 ◆正邪、善悪、犯人と被害者がひっくり返った現状が許せるか? 福島の事故現地に住む、あるいは避難した人びとが、相応に救済されるのであれば「1人3万3000円余り」の税金投入に異議を唱える気はない。でも全くそのようにはならず、被害者は切り捨て、復旧作業に携わる労働者からは多重請負による苛烈な搾取。 そしてあろうことか、事故を起こした東京電力が「黒字」を計上し、社員には高額なボーナスまで支給されている。どういうことなんだ。正邪、善悪、犯人と被害者がまるっきりひっくり返ったこの状態をあたかも、当然の図を見るように眺める為政者や東京電力の眼差しが、奇異でならない、許せないのだ。 ◆権利や命は闘い取るもの、「果報は寝て待て」では勝てはしない 事故が起きて原発の危険性が認識されたと思ったら「世界一厳しい規制基準」で「福島原発の汚染水は完全に湾内でコントロールされており、健康被害は、過去も、現在も、未来も起こらない」と言い放った、あの安倍首相の歴史的とも言える仰天演説は歴史によって裁かれることになるのだろうか。 いや、そんな時代を黙して待っている訳にはいかない。権利や命は闘い取るものであり、「果報は寝て待て」では勝てはしない。 ◆「被曝を無視する(反)脱原発運動は、認識が不十分である」 『NO NUKES voice』第9号の特集は「いのちの闘い 再稼働・裁判・被曝の最前線」だ。私は多くの識者を取材する中で学んだことがある。それは「被曝を無視する(反)脱原発運動は、認識が不十分である」ということだ。本号でも小野俊一医師や井戸謙一弁護士、アイリーン・美緒子・スミスさんや全国の運動報告で指摘されている通りだ。 そこで冒頭の報道である。東電は4兆2660億円の国から(つまり我々の税金から)援助を得ておいて、「まだ足らない、もっとよこせ」と言っている。一民間企業である東電がなぜ倒産しないのか。健康被害の調査や対応にしっかり体制を整えているか。民間の例外的な診療所を覗いては皆無じゃないか。140人を超える若者が甲状腺癌手術を受けても「放射能との関係はありません」と。これが政府であり福島県の正式な声明だ。 ◆多数の人々を殺し、追い込み、住む場を奪った東電が存続できる社会は公正か? たとえば鹿砦社が資金繰りに困ったら国は無担保で金を「援助」してくれるだろうか。そんなことはありえないじゃないか。だから中小企業の経営者は月末、年度末に資金繰りに奔走するのだ。なぜ東電だけ特別扱いなのだ。多数の人を殺し、生活苦に追い込み、住む場所を奪った東電がどうして「特別扱い」を享受できるのだろう。私にはさっぱり理屈が解らない。 が、そのからくりを理解する鍵は『NO NUKES voice』第9号に織り込まれている。結構なページ数なので全てをお読みいただくのは少々骨が折れるかもしれないが、読者の皆さんには「ああなるほど」と首肯して頂けるに違いない。 まず知らなければ判断のしようもないし、自分の意見を持つことも出来ない。その一助になればと本誌を世に送り出した。私たちは何度も何度も同じことを伝え続けなければならないだろう。それほど簡単に世が激変するものではないことを知っている。先人たちも後ろ指をさされながら、多くの人びとに無視されながらも論を曲げず、数え切れないほど同じ話を繰り返してきた。その精神に真摯に学ぼうと思う。是非お手に取ってお読み頂きたい。 ▼田所敏夫(たどころ としお) 《報告》持久戦を闘うテントから 特集:いのちの闘い―再稼働・裁判・被曝の最前線 《インタビュー》稼働中原発に停止命令を出した唯一の裁判官 弁護士に転身しても大活躍 400名を超える学生が暮らす自治寮「熊野寮」には「自由」の空気が流れている。これだけの大所帯なので運営も一筋縄ではいかないだろう。社会や政治に強い興味のある学生も、そうでない学生も暮らす空間は、学生「自治」の最後の砦かも知れない。議論の中で私は「法政大学が監獄大学になるのに10年も要さなかった。京大は確実に権力からタ―ゲットにされていると思う。このまま行けば5年後この場所はないかも知れません」と懸念を述べた。この意見にはKさんも同意され、戦後経験したことの無い、弾圧と反動が今起こっていることについての認識で一致した。 議論は終息をみそうになかったが、頃合いを見て気を利かせた卒業生が缶ビールを差し入れしてくれた。熊野寮食堂に冷房はない。当日も扇風機が回っていたが滲み出る汗を抑えるまでの効果はなかったのでビールには助かった。懇談会はあらたまった「閉会」を宣言することなく「もう帰らんと家に着かれへんから」、「明日試験なので勉強して来ます」といって一人抜け二人抜け、また知り合いの顔を見つけた学生が、他の席に移動して行ったりで流れ解散となった。 この日驚いたのはKさんが実に多くの学生を良く知っており、またKさんも学生から認知されていることだった。ビールを数本開けた頃Kさんは「どうですか、この雰囲気は」と私に尋ねた。「いいですね。昔を思い出して懐かしいです」と私が答えると、Kさんは「ここにいた時代は、私の人生にとって何物にも代えがたいんですよ。ここで出会った友人たちが結局人生の中で最も重要な友人となりました」と隠し立てせず思いを語って下さった。 私はよくその気持ちが理解できるような気がした。ここで誤解を招かないように、Kさんの人となりについて若干触れておく必要があるだろう。Kさんは大学卒業後いくつかの企業で先端技術の関連業務に従事していた(現役時代は世界中を飛び回り先端技術者として世界にその名を知られていた)。定年後も独自でコンサルタント業をいとなんでいる。クライアントには海外の企業も多いそうだ。つまり彼は一般的な意味で「社会的に成功した」人物であり、仕事も趣味もない単なる「懐古主義者」とは全く異なる人物であることを強調しておく必要があろう(現役時代の収入は相当なものだったと想像される)。 そのKさんから思いを綴った下記の文章を頂いた。 京大正門には同学会やサークルの立て看板に混じって、ノンセクトの学生が出したと思われる立て看板が有った。「封鎖はオカシイ、でも停学処分はもっとオカシイ、学生に窓口がないなら実力行動は1つの手段だ」とありました。 1970年全共闘運動の終焉の年に京大に入った私にとっては、とうとう来るべきものが来たかであった。文部官僚がじわじわと大学を追い詰め、とうとう本丸に手を出してきました。広範な市民的活動が求められていると思います。 この事件に関しては既に京大当局は同学会を告訴して 関与した中核派が6名逮捕されたが、検察は3月に不起訴にしています。 詩人であり事業家でもあった故堤清二さんは戦後すぐの学生時代に共産党員になり分裂を経験したり、ご尊父との確執があったりして非常に懐の深い人でした。彼が社会思想関連の対談中で「やはり関西では 京大の存在が大きい」なる旨の発言をしています。 戦前京大は河上肇をなどのファシズムに抵抗した多くの知識人、社会主義者を輩出した。大学の自治を守ろうとした滝川事件は有名です。戦後では天皇事件をはじめ、以降綿々と継続しているリベラルの伝統は周知のことです。反原発の原子力研究者が無傷でいられたのも京大らしいといえます。その京大でおおきな反動が起こってきている、全容に迫ろう。 40年以上も前だが京大教養部で学生運動の片隅にいた。当時は三派全学連や全共闘の「実力闘争」は衰えてはいたが、京大では学生運動はそれなりに存在感を示していて、構内はそれぞれの革命を主張する人達でが入り乱れていた。日本共産党と新左翼系は鋭く対立していたが、まもなくその中で中核─革マル─青解の三つ巴の内ゲバが始まった。彼らとは少しはなれて、京大ではブント系が教養部と各学部でゆるくまとまり反帝国主義の旗の元、同学会を日共から奪還したりしてきた。全共闘の崩壊、連合赤軍の破綻、米中友好、などを経て、運動方針をめぐる本質的な亀裂が進行して深刻な事態になってきた。 そんな中で理不尽な暴力を受けたことはあったが、幸運なことに自身が相手の物理的な打撃を目的としたテロに手を染めることはなかった。自分史を語るのが本稿の目的ではないのだが、近年の学生運動を述べるための今の学生と環境を少し比較しよう。 ◇経済生活: 当時家から定期的な送金がなかった私は自主管理寮にはいり生活費を抑えながらアルバイトを繰り返して何とか食べていた。さすがに学生運動家には無理だろうが、アルバイトだけで郷里へ送金していた人も寮には居たそうだ。文系であれば可能だっただろう。70年代初頭くらいまではこのように社会的な流動性が担保されていたと言えるのではないか。家の経済状況が相当悪い人でも国立大学にそれなりに入っていたことが解る。 現在の学費、入学金、下宿代などを考えると国立大でも入学時に約百万円かかることになる。京大以外ではほとんどの自主管理寮がなくなっているのだから、今大学進学志望者と、その家族は経済的に追い詰められていると思う。まるで新しい封建制が確立しているようだ。 ◇学生生活: ▼田所敏夫(たどころ としお)
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!
投稿日: カテゴリー 伊東北斗, 社会問題一般, 芸能
蓮舫民進党新代表のアイデンティティを創価学会系雑誌はどう伝えていたか?
私は、日本と台湾のハーフです。『国籍』というか、自分のアイデンティティー(自己同一性)について考えはじめたのは小学校一年の頃です。私の名前は「謝蓮舫」なのですが、「舫」という字は常用漢字にも採用されていなくて、なかなか自分の名前を漢字で書けませんでした。このとき「自分と他者はちがう」とはっきりわかるようになり、自分のアイデンティティーを考えはじめ、父に「台湾ってどんな国なの?」と聞いたり、学校の隣の図書館で台湾に関する本を読みふけったりすることもありました。一度だけ、国籍をめぐって父と衝突したことがありました。一九八六年に、国籍法が改正され、それまでは無条件に父方の国籍に入らなければならなかったのですが、未成年でも自分の意思で父と母、どちらかの国籍を選べるようになったのです。両親の結論として「男の兄弟は、いつか結婚や就職があるから、日本国籍にしたほうがいい」ということになりました。私も日本国籍になることを勧められました。私は「自分のアイデンティティーである台湾を捨てるのはいやだ」と断固として反対しました。ですが、父親からは「そうしたほうがいいと思う」というあいまいな答えが返ってきたのです。あとにも先にも、父があいまいな答えをしたのは、そのときが最初で最後だったと思います。結局、私は帰化申請して日本人となりました。ですが、父も「謝」という姓が子どもたちの代でなくなるのはさみしかったと思いますし、本当は父の名前を私に受け継いでほしかったのではないかと思っています。
『ヘイトと暴力の連鎖』!
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!辛淑玉さんへの決別状
この事件に関して様々な方が見解を述べていますが、私は、誰に対して何を伝えなければならないのか、整理ができませんでした。また、様々な制約もあり、コメントを出す機会を逸しました。
その間、渦中に置かれていた李信恵さんは苦しんだことと思います。どれほど絶望的な思いで過ごしたことでしょう。
本当に、ごめんなさい。
しかし、今年に入って、関係者ではないのに私の手紙を見たという人たちに出会いました。どこからか出回っていたのです。
次は、手紙がネットに流されました。それを有料のコラムで紹介した人もいると聞いて、私信をネットに流すだけでも非常識なのに、それで小銭を稼ぐという行為には耳を疑いました。
被害者とKさんが私に言っていたことは何だったのだろうと混乱しました。
あの手紙を出した後、加害当事者であるLさんや関係者に会い、あの日起きたことの別の一面を知ることになりました。
それは、被害者側から聞いた話とは相容れないものでした。
事件当夜の飲み会は李信恵さんの裁判関係の流れで予定されていたのですが、その途中で知人の訃報が入り、飲み直そうということで現場となった店に移動したこと、また、みんな悲しみに沈んでいたので、店の外で行われていることには、全く関心が行かなかったということです。
そして、私が恐怖を覚えたあの「笑い声」は、その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです。
私は、解決方法は被害者が決めるべきだと思っていたので、その決断を重く受け止めました。
そして、そのLさんのことを心配した李信恵さんが、30数箇所を自傷して血だらけになった自分の写真を送り、「代わりに死んであげたから、死なないで」と言ったことなど、ネットで楽しく叩いている人たちには、想像もつかないことでしょう。
彼女はそれ以前から、在特会や保守速報との訴訟によるストレスで、身体はボロボロの状態でした。かつて、私は彼女の周囲の人に、裁判はもうやめたらどうかと言ったことすらあります。もう十分だろうと。
一年半以上も前のことを、まるで今起きたかのように騒ぎ、事件の全体像もその後の経過も知らないのに、ネット上で尋問でもするかのような問い詰め方をし、しかも、自分にはそうすることが許されているのだと思っている。その傲慢さを恐ろしく感じます。生意気な女は叩いてもいい、目障りだから思い知らせてやろう、とでもいうかのようです。
少なくとも、限られた情報しかなかった初期の段階で書いた私信を、私の許可なく世に出したことからは、彼らがやりたかったのは解決ではなく、復讐だったのだろうと思わざるを得なくなりました。
そして、マイノリティがマジョリティを叩いたら、報復として何十倍もの血を求められること、その暴力はとりわけ女に向かうということを、あらためて思い知らされました。まして、それを扇動している人たちの中に在日の男たちがいることには、吐き気すら覚えます。
辛淑玉
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
『ヘイトと暴力の連鎖』!
『NO NUKES voice』第9号 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!原一男監督のブログ記事について──松岡利康(鹿砦社代表)



『NO NUKES voice』第9号 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!インド料理店の激増劣化から見えてくるこの国の労働環境問題
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
『NO NUKES voice』最新第9号! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
7日発売!タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!
衝撃出版!在庫僅少!『ヘイトと暴力の連鎖』!映画「64」に見る理想の警察広報と現実の差
筆者 「いえ、ちがいます。所属はエスエル出版会といいます」
警察 「原則として電話では教えていません」
筆者 「電話では教えないということは、FAXでは事件の概要を教えているということですか」
警察 「いいえ、そうは言い切れません。一般のかたに公開できない情報もあるからです。あなたがどの社に所属しているか、身分を特定しないとわけがわかりませんし」
筆者 「それでは、名刺や書いた記事など一式と社長に身分保障を書いてもらって郵送すれば事件の概要について教えていただけるということでしょうか」
警察 「いいえ、そうとは言っていません。こちらであなたの身分を特定して、公益性があると判断すれば教えるケースがあります。ただし、その結果を 担保しません。われわれとしては」
筆者 「何を言っているかよくわかりません、それでは書類を一式、FAXしますが、ご検討いただきたい」
警察 「送っていただくのはかまいませんが、それで教えるケースが生まれると保証できかねます」
警察 「届きましたが、検討はまだしておりません」
筆者 「どういうことでしょうか? FAXを送らせておいて検討しないというというのは、どうすれば教えていただけるのですか」
警察 「ですから、こちらに来ていただいて、事情を説明していただければお教えする可能性はありません」
行かないと話にならないなら、はじめから交渉などしない。
知り合いの新聞記者にとっくに頼んでいる。
ちなみにこのバカ警察は大津警察署だ。
バカも休み休み言えとは警察のためにある言葉だ。
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。
『NO NUKES voice』最新第9号! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!
衝撃出版!在庫僅少!『ヘイトと暴力の連鎖』!
「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』京大バリストと「無期限停学」処分を考える《4》

現在私たちは、まさに「逆行する歴史」を目の当たりにし、そのただ中に置かれている。その事を顕著に示すのが大学の現状だ。京大の持つ「自由」な学風を一瞬で吹き飛ばす猛烈な台風、中心気圧800ヘクトパスカル、最大風速90m級の化け物台風が接近している。気象庁の発表する天気図には表れないが、文科省が連発する「不善」の集合体がファシストたちの立ち上げる気炎と相まって勢いを増す悪質のエルニーニョとなり、文科省外部秘の「教育行政天気図」は、はっきりと巨大台風接近を示している。
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
渾身の『NO NUKES voice』vol.9! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
衝撃出版!在庫僅少!『ヘイトと暴力の連鎖』!
「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』京大バリストと「無期限停学」処分を考える《3》 Kさんの書簡より

まずこのバリストだが、同学会のほぼ実態である京大の中核派が全国の拠点から活動家を集めて京大吉田南、かつての第三高等学校の跡地に或る教育用の一棟を入り口を立て看板やテーブル椅子などでバリケードをつくり入場できないようにしたものです。時間的にはせいぜい2コマ程度なのでしょうか。別段器物損傷、暴力行為、暴言などがあったわけではありません。大学の告発内容も授業妨害、業務妨害となっています。
とりあえず ともし火を守りましょう。どこででも良いですから 創意工夫を凝らし 処分反対の声をあげよう。
定形、不定形を問わず 決議や討論を全学、全国民に公開しましょう。
また教育的配慮として非公式に運動からの離脱と、学費の処分中の継続的支払いを条件に、処分の解除を検討する可能性を示唆した。これに対して同学会は反対声明をだし、反撃を宣言した。(以上Kさんからの書簡より)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
『NO NUKES voice』最新第9号! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!
衝撃出版!在庫僅少!『ヘイトと暴力の連鎖』!「非経済的」で「非人道的」な原発に真っ当な憤激を!『NO NUKES voice』第9号





兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
◎『NO NUKES voice』第9号・主な内容◎
《グラビア》
〈緊急報告〉最高裁が上告棄却! 経産省前「脱原発」テントひろばを守れ!
福島のすがた──双葉町・2016年夏の景色 飛田晋秀さん(福島在住写真家)
原発のある町と抗いの声たち 現場至上視点(3)大宮浩平さん(写真家)
三上治さん(経産省前テントひろばスタッフ)
《インタビュー》毎日の「分岐点」が勝負──脱原発への長年の歩み
アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)
《インタビュー》脱原発の戦いに負けはない せめぎ合いに勝てる市民の力の結集を!
菅直人さん(衆議院議員、元内閣総理大臣)
《インタビュー》復活する原子力推進勢力 この国のかたち
吉岡斉さん(九州大学教授、原子力市民委員会座長)
井戸謙一さん(弁護士)
《インタビュー》帰れない福島──帰還の無理、被曝の有理
飛田晋秀さん(福島在住写真家)
《インタビュー》ウソがどれほどばらまかれても被曝の事実は変わらない
小野俊一さん(医師、元東電社員)
《報告》原発作業とヤクザたち──手配師たちに聞く山口組分裂後の福島
渋谷三七十さん(ライター)
《報告》「原発の来た町」伊方で再稼働に抗する人たち──現場至上視点撮影後記
大宮浩平さん(写真家)
《報告》三宅洋平に〝感じた〟──参院選断想
板坂剛さん(作家・舞踊家)
《報告》みたび反原連に問う!
松岡利康(本誌発行人)
《報告》私たちそれぞれが考え抜いた選択を尊重し、認めてほしいと訴えます
武石和美さん(原発避難者)
《報告》原発プロパガンダとは何か?(第7回) プロパガンダ発展期としての八〇年代と福島民報
本間龍さん(元博報堂社員、作家)
《報告》反原発に向けた想いを次世代に継いでいきたい(8)
どう考えても、今のこの国はおかしいでしょう?
納谷正基さん(『高校生進路情報番組ラジオ・キャンパス』パーソナリティ)
《報告》原発映画のマスターピース 『一〇〇〇〇〇年後の安全』と『希望の国』
小林俊之さん(ジャーナリスト)
《提案》うたの広場 「ヘイ! 九条」
佐藤雅彦さん(翻訳家)
《提案》デモ楽――デモを楽しくするプロジェクト
佐藤雅彦さん(ジャーナリスト)
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
原発再稼働を遅らせてきた世論と原発反対運動五年余
熊本大地震の脅威+中央構造線が動いた+南海トラフ地震も心配
『NO NUKES voice』第9号 8月29日発売! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線京大バリストと「無期限停学」処分を考える《2》 熊野寮という特別空間

学費 1970年=12,000円/年 → 2005年=535,800円/年 35年で44.7倍。
この間に、給与5.0倍、白米12.6倍 学費に関してとんでもない値上げが継続してきたことは間違いない。給与との実感では学費は約10倍になっているはずだ。
半世紀前との決定的な違いは その余裕のなさだ。当時は文系の学生などは、学生運動やサークル運動に参加しなければそれこそ 「デッカンショ」の世界で、一日中好きな勉強や読書にいそしむことができた。いまやどの講義も出席が単位習得と連動して厳しく管理されている。また英語教育を強化するとして、自習型のコンピューターシステムが導入されて課外での負担も増えているようだ。総じて今京大生はむやみに拘束されて疲れはてて不活発になっている。 (つづく)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
『NO NUKES voice』9号 8月29日発売開始! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!
衝撃出版!在庫僅少!『ヘイトと暴力の連鎖』!
「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』