2015年再考(4)戦争と大学──「学」の堤防は決壊し、日常を濁流が飲み込んだ

東京大学総長の濱田純一(当時)が「デュアル・ユース(軍民両用技術)」の研究解禁の声明を発表したのは今年の1月16日だった。

濱田純一はその声明の中で「軍事研究の意味合いは曖昧」だが「東京大学での研究成果について、デュアル・ユースの可能性は高まっている」と表明した。

その上で、「このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える」と結び、「軍民両用技術」研究解禁を容認する声明を東京大学の総長として発したわけだ。

2015年1月16日付け濱田純一東京大学総長(当時)の声明

◆迂遠な表現で「軍事研究」全面解禁を表明した東大総長声明は歴史的な事件である

迂遠でありながら意図するところが「軍事研究」の全面解禁に他ならないこの「宣言」は2015年が、まつりごと(政治)の世界だけではなく学問、教育機関も「戦争」へ向かうことを明言した「事件」として記憶されなければならない。

さらに最近になり、この「軍事研究解禁宣言」以前から、こともあろうに米軍の資金提供を受けた研究が全国の大学で多数行われていたことが判明した。
「研究機関に米軍資金 名城大など計2億円超」(2015年12月7日付中日新聞)

教育・研究の現場では「戦争準備」体制が誰はばかることなく猛烈な勢いで立ち上がっている。

◆「戦争推進法案」賛成の意見を国会で述べたピエロ村田晃嗣=同志社大学長

「良心」も「節操」も入り込む隙間すらない「高等教育機関」の際限なき国家への追従、堕落の惨憺極まりない無聊な絵画の仕上げを担ったのは同志社大学長村田晃嗣(当時)だった。

ピエロを演じる自覚があったのかどうか知らないけれども、私の感覚からすれば「道化者」のような衣装をまとい国会特別委員会中央公聴会に公明党推薦の参考人として「戦争推進法案」賛成の意見を述べた村田は「道化」が過ぎて同志社大学長選挙で落選の憂き目を見た。だが、それをもって「同志社」の良心復活などと喜んでいる方々がいるとすれば目出度たさが過ぎるというものだ。

最後の堤防はつとに決壊し、濁流が日常を飲み込んでいるこの人為災害を感じることができなければ、高等教育機関で教鞭を取っている方々は職を辞したほうが良い。


◎[参考動画]戦争法案【賛成】公述人=公明党推薦・村田晃嗣=同志社大学学長(2015年7月13日)

◆「卑怯な非政治性」をまとった鵺(ぬえ)たちの学府

「戦争」加担に自然科学も社会科学も人文科学もありはしない。2015年12月、大学で教職にあり、戦争に「反対しない」ことは(戦争に)「加担する」ことと同義である。もう、中間領域などない。「YES」か「NO」。どちらにつくか、自身の立場を明確にしない研究者、教育者はすべて戦争に加担する「卑怯な非政治性」をまとった鵺(ぬえ)だ。

否、さらに悪質なのは「戦争推進法案」反対運動が全国で沸き上がり、その中心として国会前で行われた抗議行動に登場した現職・引退した大学教員達だ。政治の「イロハ」も知らぬ学生たちが(おそらく)本能的に「戦争は嫌だ」と起こした行動を自身の「良識派」振り発揮の好機だと姑息にも抜け目のなかった連中は、本質的な「戦争への反対・国家への抵抗」を極力「排除」すべく「坊や」や「お嬢ちゃん」たちに賛辞を投げかけ、「ようやく若者が目覚めた」、「この日を待っていた」などと聞いて居る者が恥を感じるような甘っちょろくも薄っぺらな軽口を叩き続けた。

◆「若者に共感した」と言いつつ、ストも打たず職も辞さない大学の教職員たち

自民党の勉強会で何度も講師を勤めたあの改憲論者さえもがそこにはいた。あんた達は国会の前で学生を持ち上げているけども日頃は大学で何をしているんだ。教授会で「戦争推進法案反対」の決議を提案したのか。まさか学内に公安警察を常駐させていて黙ってはいまいな。学内外でビラを配布しようとしている学生を監視し、弾圧をしてなどいまいな。絶対に。

60年安保や70年安保よりあたかも「優秀」な抗議行動のようにあちこちで吹聴していた東大名誉教授、あんたはいつの時代でも結局時代と寄り添っているだけじゃないのか。そもそもコンサートか何かと見違えるような、あの光景を見てあれが「反政府抗議行動」だと本気で感じていたのか。だとすればあんたの得意な打算は完全に的外れだ。あんたは完全に勘違いしている。救いがたく。だから本音をちょっと発語しただけで総叩きにあったじゃないか。

「戦争推進法案」に反対して教職員組合がストライキを打った大学があるか。職を辞した教員がいるか。自分の仕事や体の一部でも「賭けて」闘った教員がいたら教えてくれ。

年末の流行語大賞の候補に戦争推進法案反対に関係する「○○○○」や「××××」が選ばれたといって喜んでいる愚民たち。そこにニコニコしながら加わる澤地久恵。広告代理店と資本によって回収されていく情報商品に選定された「戦争反対」は滑稽ではなく恐ろしさを強いてくる。怖いのは権力や資本じゃない。誰にも指示されずに、アルバイト代ももらわずに権力代行業に余念のない(しかも本人には悪意が全くない)スタイリッシュでカッコよく「普通」な人。「普通の人」が織りなす「パレード」や「フライヤー」だ(「デモ」や「ビラ」はダサいから排除される)。

東大総長の「軍事研究解禁」と同志社大学長の村田の国会における希代の「戦争賛成」発言。そして戦争に「反対」しているはずで9条改憲は賛成で、リベラルで「自民党感じ悪いよね」なのに安倍政権打倒と言ったら「過激」だと怒る人達。
ビルの横でニンマリウインクしているジョージ・オーウェルと目が合った。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『広河隆一 人間の戦場』──映像化で新たな力を宿した不屈の「戦闘宣言」

-『広河隆一 人間の戦場』(長谷川三郎監督)-

フォトジャーナリスト広河隆一氏を活写したドキュメンタリー映画『広河隆一 人間の戦場』(長谷川三郎監督)が12月19日に封切られた。20日新宿「K’s cinema」で上映後、広河氏と長谷川監督の舞台挨拶とトークショーが開かれた。

「ジャーナリストである前に自分は人間だ」
広河氏の活動を理解する根源的な精神は、この言葉の中に集約されているといっても過言ではあるまい。

「負けっぱなしですよ。でもこのままでおくものか、という気持ちもある」
広河氏の語り口は明瞭とは言い難いし概して口数は少ない。しかし彼が口を開くと、はっとさせられる「直撃弾」のような真っ直ぐな言葉が紡がれる。

広河隆一氏

現役のフォトジャーナリストがドキュメンタリー映画の主人公となる「人間の戦場」は2年間の製作期間を要し、パレスチナ、チェルノブイリ、福島、沖縄などで広河氏の取材や救援活動の様子を映し出す。国家や戦争・紛争により極小の個人、とりわけ「子供」が無残に「殺され」、「病まされる」現場を追う広河氏は「死体の写真しか撮れないほどジャーナリストにとって悔しいことはない」と語る。

◆ジャーナリストである前に自分は人間だ

「死体」や「凄惨な現場」のみを専ら被写体として探し回り、世界の紛争地帯の表面だけを追う「戦場カメラマン」が少なくないことを私は知っている。彼らにとって「戦争」や「悲劇」は商売上、絶対必要な舞台であるから、「死体を撮る」ことに悔しさを感じることはない。彼らは広河氏の「ジャーナリストである前に自分は人間だ」という言葉に痛撃を受け「人間の戦場」を最後まで心穏やかに鑑賞することはできはしない。

広河隆一氏と長谷川三郎監督の舞台挨拶(2015年12月20日新宿K's cinema)

広河氏の活動を少なからず知る私にとっても取材現場での彼の身のこなしや、被写体との距離の取り方、幾通りも理解が可能な「現場」への意味づけの視点など発見が多くあった。

◆救援活動の先駆者としての広河隆一

広河氏はまた、フォトジャーナリストでありながら、常人の想像を超える救援活動の先駆者でもある。大施設に発展を遂げたチェルノブイリ原発事故地の影響を受ける地域の子どもたち保養施設「希望」建設にといった想像を絶するプロジェクトを広河氏は幾つも手掛けた。

一方で個人への援助や継続的な友人関係も数えきれない。「人間の戦場」ではウクライナのナターシャさんが生き証人として登場する。広河氏を「お父さん」とまで呼ぶナターシャさんとの交際は彼女が11歳の時から始まり、甲状腺ガンを患い手術を受ける時にも広河氏は付き添ったという。

長谷川三郎監督

幸い健康を取り戻し、結婚をして2児の母になったナターシャさんは実に明るく、広河氏を含む撮影クルーを自宅に招き入れる。どれほどの打ち合わせをしても、絶対に作り出すことは出来ない「心からの笑顔」が広河氏とナターシャさんの関係の全てを物語る。

施設や設備の建設や設立、いわば「マクロ」(状況全体へ)の救援と同時に個々の人びととへの救援(「ミクロ」)と交際を続ける広河氏のエネルギーには圧倒されるばかりだ。全世界に何百人、否、何千人ものナターシャさんがいるのだろう。

◆映像化されることで違う力をもった広河隆一の仕事

上映後のトークショウで広河氏は幾分照れながら、当初撮影されることに戸惑いを感じていたことを告白する。しかし「自分の仕事が映像化されることによりまた違う力をもつようになった」成果を実感しているようだ。

広河隆一氏と長谷川三郎監督(2015年12月20日新宿K's cinema)

長谷川監督はこう語る。
「ドキュメンタリー作品はたくさん手掛けてきたが、ジャーナリストが取材している場所へカメラを向けていくというのはその場の人びとに大変なストレスをかける仕事で、相当に神経をつかった」

そうだろう。広河氏は撮影中も自分が「被写体」であることをしばしば忘れ、監督やカメラに向かって「私じゃなくてそちらを撮れ!」と何度も要請をしたという。骨の髄まで沁み込んだジャーナリストとしての感覚。撮影する側と撮影される側の神経をすり減らすような境界線のせめぎ合いが「人間の戦場」の醍醐味でもある。

映画終盤に広河氏が「新しいテーマ」に取り組み始めるシーンがある。彼はどんな切り口で「あの壮大」なテーマを切り取りだしてくれるだろうか。「人間の戦場」は「新しいテーマ」との激闘を始めた広河氏の改めての「戦闘宣言」なのかもしれない

『広河隆一 人間の戦場』は新宿「K’s cinema」、神奈川「シネマ・ジャック&ベティ―」、愛知「名古屋シネマテーク」、大阪「第七藝術劇場」、兵庫「神戸アートビレッジセンタ―、広島「横川シネマ」などで順次公開予定。詳細は「人間の戦場」公式HPをご参照頂きたい。
http://www.ningen-no-senjyo.com/


◎『広河隆一 人間の戦場』劇場予告編

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎2015年再考(3)湯川さん、後藤さん人質事件の惨事からこの国は何を学んだか?

自由な言論の場は1ミリも揺るがない!「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice』第6号!

2015年再考(3)湯川さん、後藤さん人質事件の惨事からこの国は何を学んだか?

今年2月1日の本コラムで「イスラム国人質『国策』疑惑―湯川さんは政府の捨て石だったのか」を書いた。イスラム国に「戦犯」(War Criminal)として囚われた湯川遥菜さんと「人質」(Hostage)とされ身柄を拘束された後藤健二さんが共に殺害されたのは1月31日だと推測される。イスラム国は「武器販売」を目的としていた湯川さんを2014年8月に拘束し「戦争犯罪人」として当初より処刑の意向を示したが、「人質」とされた後藤さんの身柄拘束は14年10月中旬と考えられ、身柄解放に関しては10億円の身代金がご家族に要求されている。

14年8月16日に湯川さんの身柄が拘束されていることを知った政府は、名ばかりの「現地対策本部」をヨルダン大使館内におく。国会で野党議員の「現地対策本部は具体的にどういう人員で何をしていたのか」の問いに、通常大使館駐在する人間の数と同等で「情報収集などにあたった」と岸田外相は答弁していたけれども、この時点で「現地対策本部」は何もしていなかったことが明らかになった。

2015年1月17日安倍首相はエジプトで、
(1)ここで私は再び、お約束します。日本政府は、中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援を、新たに実施いたします。
(2)エジプトが安定すれば、中東は大きく発展し、繁栄するでしょう。私は日本からご一緒いただいたビジネス・リーダーの皆様に、ぜひこの精神にたって、エジプトへの関わりを増やしていただきたいと願っています。 日本政府は、その下支えに力を惜しみません。 E-Just(イー・ジャスト)にとって便利で、有望な産業立地とも近いボルグ・エル・アラブ(Borg El-Arab)国際空港の拡張を、お手伝いします。電力網の整備とあわせ、3億6000万ドルの円借款を提供します。
(3)その目的のため、私が明日からしようとしていることをお聞き下さい。
まず私はアンマンで、激動する情勢の最前線に立つヨルダン政府に対し、変わらぬ支援を表明します。国王アブドゥッラー二世には、宗教間の融和に対するご努力に、心から敬意を表すつもりです。
(4)イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
などと述べた(文中の数字は筆者が挿入したものである)。

この演説を受けてISからの後藤さん解放の条件とされた身代金の金額が当初の10億円から20億円に引き上げられる。その直接原因となったのは(4)の安倍首相の言及である。身代金が20億へ引き上げられたのはここで対ISへ日本が20億円(2億ドル)支出すると公言したのにあわせてのことだ。そして副次的な要因として(3)も作用している。2014年9月11日にヨルダンを含む中東諸国の外相が米国のケリー国務長官と会談し「米国の軍事作戦に協力する」ことを約束していたからだ。ケリーと会談した国の中にはトルコも含まれるが当時トルコはまだ、ISと決定的な対決には至っておらず、日本の「対策本部」をヨルダンではなくなぜトルコにおかなかったのかと指摘する専門家も多かった。実際トルコ政府は英国人ジャーナリストなどが人質として捉えられた事件で仲介役を引き受け、解決した実績もあった。そして(1)、(2)のような「ばら撒きによる懐柔」政策も敵意を掻き立てた可能性は否定できない。


◎[参考動画]Japan condemns ISIS beheading of journalist Kenji Goto Headlines Today 2015/01/31 に公開

◆歴史の文脈が導く物語の一断面としての「テロ」「人質」事件

さて、早いもので湯川さん後藤さんの惨事からもうすぐ1年を迎える。あの惨事からこの島国の政府は何を学んだだろうか。答えは「皆無」だ。

報道機関は沈黙しているが後藤さんと実に似た状況で現在も身柄を拘束されている日本人ジャーナリストが少なくとも1人いる。その人は今年の6月頃ISではない組織に拘束されたが、日本政府は解放交渉を当初から放棄し、民間の有志が解放交渉にあたっている。消息筋によると後藤さんのケースのように緊急の危険性は少ないようだが、拘束も半年に及ぶことから早期の解決が望まれる。

この拘束事件については数か月前から解放交渉にあたっている方より情報を得たものの「解放交渉は事件が大っぴらになると向こう側が態度を硬化させる。だからできれば触れないで欲しい」との要請があり紹介するのを控えていた。が、既に関心のある方々の間ではある程度この事件が知られることになったので敢えて紹介をしておく。

「テロ」、「人質」事件はある日発作的に起こるものではない。それは可視、不可視な歴史の文脈が導く物語の一断面だ。現象のみを切り取りその残虐性や非人道性をあげつらっても物語は読み解けない。物語は牧歌的童話のような単純なストーリーから、誰が正義でどいつが悪人か読後まで謎が解けないミステリーもある。

世界は善悪2分法で解釈できるほど単純ではない。そもそも「善悪」など状況が判断を下す暫定・相対的なものだ。勇ましく「テロとの戦いに参加する」などと宣言することは、どんなストーリーが展開されているかわからない、しかも異国語で綴られた書物を手に取り、その完璧な読解を「可能だ」と宣言するようなものだ。私にはそんな蛮勇はない。


◎[参考動画]Calls for Japanese government to secure release of IS hostage News First 2015/01/30 に公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
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笑止千万「軽減税率」!議論すべきは消費税引き上げの「ぼったくり」税制だ!

与党間で合意されている来年の消費税10%への引き上げに際して、「軽減税率」が生鮮食料品や加工食品に適応される方向で調整がまとまりつつある。

「軽減税率」と聞くとあたかも「消費税が安くなる」かの如き誤解も抱かされるが、与党の意図する「軽減税率」は、あくまでも「消費税を8%に維持する」ことのみを意味するのであって、現在よりも税率が下がることではない。

外食は「軽減税率」の適応外だ、テークアウトは適応だなどと些末な議論がかしましいけれども、そもそも消費税が10%に引き上げられる不当性についての議論はあまり見当たらない。

◆「社会福祉目的税」という騙し文句で導入された1989年の消費税

上がる上がる、どんどん上がる。賃金や社会保障費と逆にいったいどこまで引き上げれば気が済むのだろうか、庶民の敵=消費税。現在のところ見え隠れする最終目標値は経団連が示唆する19%だそうだ。

「社会福祉目的税」つまり社会保障以外には使いませんよ、との騙し文句で導入されたのが消費税だった。そんなものは嘘っぱちに決まっている、と少しでも大蔵省(当時)の恒常的欺瞞性を知っている人は、導入された1989年から危惧はしていた。消費税がそのまま社会保障費に充填されるなら、5%から8%に税率が引き上げられた際の増収分、社会保障費は増えていないと理屈に合わないが、第二次安倍政権発足後だけで、社会保障費は3900億円減額されている。

さらに馬鹿げた議論は「軽減税率」を導入するとそれを埋め合わせる「財源が不足する」という世論誘導である。各新聞がそろって報じる「財源不足」論。これから行う「増税」に対して財源が不足するというのは初歩的な論理破綻であって、それほどまでに「消費税の引き上げ」は社会的承認を得た「不可避の選択」だと言わんばかりだ。

新聞が「軽減税率」とその適応範囲の報道のみに熱を上げ、「消費税増税の不当性・逆進性」への議論が皆無と言ってよいほどに封じられているのには理由がある。民主党政権時代に日本新聞協会は政権と消費税引き上げの際(本当は5%から8%へ引き上げられたタイミング)で「軽減税率」の恩恵を受ける、との「密約」があったからだ。

活字離れ、部数減という厳しい環境は全国紙、地方紙共通の課題であり、この上消費税が上がれば定期購読者の減少は明らかだった。だから民主党政権が続いていれば新聞には既に「軽減税率」が適応されていたはずであったが、ご承知の通り政権は自公へ移ってしまったので「密約」も反故にされた。

◆自公政権とマスコミが世論誘導するウソまやかし

公明党HPより

「今こそ軽減税率を」と公明党のポスターが全国の街角に溢れる。なにが「今こそ」だと、山口那津男代表の顔に聞き返してやりたいけれども、創価学会を中心とする全国800万の基礎票を維持するためには池田大作先生の「人間革命」と「聖教新聞」で連日「勝利!勝利!」と連呼しているだけではやはり心許なく、与党内にあって自民との違いを何か演出しなければ危うい。実際に「平和」を標榜する(彼らの言う「平和」がどのようなものかの議論はともかく)公明党としては、「戦争推進法案」強行採決にあたって、ついに国会前をはじめ、全国で創価学会員が「反党」活動を行い出したことを軽視はできないはずだ。

だからお得意の「与党内にあって」何かを演出することが公明党にとっては来年の参議院選挙を控え絶対的に必要な行動となる。

しかし、これらの議論は全てまやかしであり、論外だ。「直関税率の是正」や「福祉目的税」という欺瞞が完全に破綻を来たしている消費税の存置自体の議論が何故湧きあがらないのか。所得税の累進税率を下げ、法人税も連続的に引き下げ、ほぼあらゆる商品、サービスに課税される消費税を上げれば確実に低所得者の生活が苦しくなる。

そのことは自公政権も認めざるを得なく、非課税世帯に対して昨年度は1万円、今年度は6000円の給付を行っている。だがそんな一時金で低所得層の継続的困窮が救済される道理はないし、非課税世帯以外の低所得層は、要するにボッたくられっぱなしである。

◆今こそ消費税の廃止を議論せよ!

野党時代に首相に就任する前にスウェーデンを視察した菅直人氏が「素晴らしい社会保障システムだった」と発言したのに対して、時の政権与党自民党の幹部は「一面だけを見てモノを言っている。スウェーデンは『高負担高福祉』と呼ぶのが正しい」と揶揄したことがある。消費税は3%の時代だ。

消費税が8%に上昇しても「社会保障」は後退しかしないことを我々はすでに経験している。10%に上がってもさらに屁理屈を並べて年金や、生活保護、健康保険などが削られてゆくだろう。この島国ではいくら消費税が上がろうとも「高負担高福祉」社会が実現することなどない。

消費税などなくとも、国債を40兆円も乱発しなくとも財政の運営が過去可能だったのだ。「状況の変化」などを政治が言い訳にするのならそれは為政者の財政運営能力低下を意味するだけだ。ごちゃごちゃ細かい「騙し」の議論「軽減税率」などではなく、「今こそ消費税の廃止」を私は主張する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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2015年再考(2)橋下ファシズム台頭の起源──TV×維新×虚言の愚劣な結託

-橋下徹公式HPより-

今年もこの男のはしゃぎ振りは相変わらずだった。おおさか維新の会の暫定代表を12月12日に辞任した橋下徹である。

今週18日の大阪市長任期満了と共に政界引退を表明している橋下が注目を浴び出したのはいつの頃からだろうかと振り返ってみと、おそらく日本テレビ系列の「行列のできる法律相談所」に出演し始めた2003年からであろう。それ以前にも関西ローカルのラジオ・テレビへの出演歴はあったが、島田紳助が司会の「行列のできる法律相談所」への出演が橋下勘違いの大きな転機になったと想像される。

◆やしきたかじん「そこまで言って委員会」の罪

さらに同年、「たかじんのそこまで言って委員会」にもレギュラーとして橋下は出演を始める。首都圏では放送されない「そこまで言って委員会」は「そこまで言ってはいけない」暴論が毎週飛び交う自民党・右翼翼賛番組だが、ここで更に橋下は「暴走」が許容されるメディア状況と「極論・暴論」がむしろ歓迎される時代背景に気が付く(「笑っていいとも」、「スーパーモーニング」など全国ネットでの番組にも曜日限定レギュラーで出演していたし、関西圏ではそれ以外にも多数のテレビ番組に出演していた)。故人ではあるが「やしきたかじん」が「関西ファシズム」伸長に果たした役割は計り知れないと言わなければならない。関西弁で庶民風の語り口をすれば、一見「反中央」、「反権威」と思わせる雰囲気を醸し出しながら、総体として現体制の補完、否更なる強化へと導引した罪は重い。政治などに口を出さずに歌を歌っていればよかったのだ。立派な歌い手だったのだから。


◎[参考動画]2008年放送「そこまで言って委員会」 脇博2015年11月22日に公開

これらテレビ出演目白押しであった「タレント弁護士」橋下の狙いは最初から政界進出にあったのだろう。質が悪いのは橋下が衆目を引き付ける「タレント」としてのスキルと法知識の専門家である「弁護士」資格を保持していたことだ。お気軽にテレビを眺める庶民にとっては、金髪で語りが滑らか、笑いも適度に誘う橋下があたかも身近な存在のように感じられたのか。橋下の腹にはテレビ出演が目白押しになった頃から「視聴者(庶民)はこの話法で騙せる」と確信めいたものが湧いていたに違ない。


◎[参考動画]橋下徹出演番組で水道橋博士が生送中にキレて番組降板? Ho AlexiaBelle 2013年06月21日に公開

「(府知事選出馬は)2万パーセントでも何パーセントでもありえない」と断言していた橋下はテレビで習得した鋭敏な感覚(自分のキャラクターであれば嘘を発言しても批判されない、むしろ驚きを持って共感を得ることが出来る)をまず実践する。

大阪を覆う橋下ファシズムの不幸な幕開けだ。

◆「維新」という名の復古主義

「維新」という古臭く復古主義者が好む名詞を自身の政治団体に冠したのは、橋下自身が復古主義者的性格を帯びている証だ。その橋下の政治的道具として使用便利なある本音が明かされたのが大阪府知事時代の過去の発言である。

「出生主義か、血統主義かをいろいろ考えるに当たっては、やはり天皇制が一番重要なポイントになってくると思います。日本国憲法の第一章のところ、一番最初のところに、国民の権利義務の前のところに天皇制というものをきちんと置いて、我々は天皇制をいただいているということは、やはりこれは血統主義なんだと、日本の国柄というものは血統主義なんだということを前提に我々の国家、日本というものは成り立っているんではないかというふうに考えます」(2010年2月26日大阪府議会での発言より)

これは橋下が「国民」をどう考えるかについて見解を述べたものだ。憲法第一章で天皇に関する言及がなされていることは間違いなく、それが現行憲法の最大の問題だと私は考える。だが、憲法第一章は天皇の位置づけや権限を述べているが、たとえば第一章「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」は、文言通りに解釈すれば「国民の総意」がなければ「天皇は国民統合の象徴」足りえないとの解釈余地もある。それ以前に憲法前文が掲げる平和主義、国民主権との乖離が著しいのが第一章だ。

私如き素人が法律論を展開しようとしているのではない。確かに憲法第一章には天皇への言及は存在する。だが国民を定義するにあたり「出生主義」か「血統主義」かの二分法に議論を閉じ込め、その中で強引に天皇制の存在を根拠に「血統主義」だと結論付ける橋下の思考には「差別」に直結する短絡が垣間見られる。


◎[参考動画]橋下徹市長の街頭演説 橋下徹ちゃんねる激怒・論破 2015年4月12日に公開

◆橋下思想の基層──「差別を温存する優越意識」と「嘘を語ることは武器になる」という確信

『週刊朝日』2012年10月26日号

橋下の出自などから人物像を浮かび上がらせようとした佐野眞一は「週刊朝日」連載の中で、決定的なミスを犯した。出生に立ち返り、橋下像を浮かび上がらせようとの意図は伺えたが、被差別者への配慮が重大に欠落していたことは否めない。橋下がそれを見逃すはずはなく、結果朝日新聞出版の社長が辞任する事態にまで追い込まれた。

しかし、ここで読者諸氏に注視を促したいのは、橋下が紹介した通り「国民」の定義を述べるにあたり天皇制を引き合いに「血統主義」だと語っていることだ。国民の定義議論だけではなく、天皇制を根拠とする「血統主義」は天皇家、皇室と相反する「被差別」の立場におかれる人々の「血統」をも確定し、それが社会的選別の尺度になると懸念はないだろうか。橋下は「日本の国柄というものは血統主義なんだ」とまで踏み込んで発言している。これが橋下の本音であり根本なのだろうけれども、この解釈は民族だけでなく出自によるあらゆる差別温存を弁解する論法に与するものではないか。差別そのものではないのか。

私はこれまで何度も橋下の愚劣さ、虚構について言及してきた。そして今回橋下の根本には「差別を温存する優越意識」と「嘘を語ることは武器になる」との思考が常時備わっていることを再度指摘しておきたい。


◎[参考動画]田原総一朗『橋下さんの言っていることがサッパリわからない!』 n Yasu 2014年02月12日に公開

◆「現状打破」してくれる超人を求めることで台頭するファシズム

大阪府知事選挙を前に、
「(府知事選挙出馬は)2万パーセントでも何パーセントでもありえない」
と語った橋下。

大阪都構想の住民投票を前にした5月9日に、
「だって、住民の皆さんの考え方とか、住民の皆さんの気持ちをくむのが政治家の仕事なわけだから、ここまで5年間精力かけてやってきたことが、大阪市民の皆さんに否定されるということは、政治家としてまったく能力がないということ。早々とそんなら政治家辞めないと、危なくてしょうがない。運転能力のない者がハンドル握るようなもんでね、早く辞めなきゃダメですよ」
と住民投票が否決されれば政界引退を明言した橋下。

「引退するはず」だった橋下、「運転能力のない者がハンドル握る」状態が続く「大阪維新の会」に再度信任を与えてしまった大阪府民と市民(もっとも大阪知事、市長選挙は「安倍か橋下か」という不幸極まる選択を押し付けられた選挙だった)。

どこかに、「現状打破」してくれる超人がいないだろうか、と英雄や強い指導者の出現を待ち望む深層心理が相変わらず有権者にはありはしないだろうか。

現代の政界における「英雄待望論」はそっくりファシズムの足固めだ。「立派な」「強い」指導者など要らないし、いるはずがない。変えられるとしたらまず自分自身の内面を凝視しなおす事からだろう。反面教師橋下先生をもう一度しっかり見つめながら。


◎[参考動画]橋下徹市長vs 在特会・桜井誠会長 橋下徹ちゃんねる激怒・論破 2014年10月20日に公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み
◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice』第6号!
『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン

2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み

2015年を振りかえってみようと思う。マスコミが毎年年末に年中行事として行う「今年の10大ニュース」のような凡庸な行為だが、自分の愚かさを振り返りつつこの1年を回顧する。


◎[参考動画]Charlie Hebdo: Paris terror attack kills 12? BBC News 2015/01/07 に公開

1月7日フランスの「シャルリー・エブド」が襲撃され、12名が死亡し20名以上が負傷する事件が起きた。あの事件は今年に起こっていたの?と錯覚を起こすほどはるか昔の出来事のように感じるのは11月13日に同じくフランス、パリで130人の犠牲者を出すことになる同時襲撃事件を目の当たりにして間がないからかもしれない。

「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」HPより

◆「表現の自由」がどこまで許されるのか?

「シャルリー・エブド」襲撃事件は年始にあって2015年、世界の注目がどこに注がれるのかを示唆するに充分過ぎる衝撃であった。報道機関への襲撃は「言論の自由への攻撃」と非難を浴びたし、「表現の自由」がどこまで許されるのかといった長年にわたる議論をさらに喚起する要因にもなった。

襲撃事件に国際社会が足並みをそろえて非難を表明し、「Je suis Charlie」(私はシャルリー)を公言する著名人が世界に溢れた。私は本コラム1月16日「『シャルリー・エブドと『反テロ』デモは真の弱者か』の中で、

「フランスのオランド大統領から『テロとの戦争』という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は『シャルリー・エブド』紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も『あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように』と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて『シャルリー・エブド』は『確信犯』だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや『ムハマンド』の風刺が掲載されている。(中略)『シャルリー・エブド』は国際社会から『承認』されている。決して弱者ではない。私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の『テロ』事件は続発するだろう。」

と私見を述べた。「シャルリー・エブド」襲撃事件の被疑者とパリ、同時襲撃事件の被疑者はともにイスラム教徒ではあるが、後者は「IS」が組織的に計画、実行した事件であると見られているのに対し、「シャルリー・エブド」襲撃事件の被疑者は「IS」との関係を否定している者がいる。

◆被抑圧者と世界を支配する力学の軋みが惨事を引き起こした

この際、事件を起こしたグループが同一かそうでないかはあまり重要ではない。明確なことは抑圧者と被抑圧者の歴史、宗教観と世界を支配する力学の軋みがこの惨事を引き起こしたという点だ。そしてそのような視点に被害者及び被害者に与する世界の洞察が及んだかどうかではないだろうか。私はそうすることなしに同種の襲撃事件の再来を防ぐことは出来ないだろうと考えた。

「世界」や「正義」、「歴史」さらには「人間の命」は徹底的に不平等なものであることを2015年の年頭、我々に突き付けたのが「シャルリー・エブド」襲撃事件だった。人間は進歩するのか、理性は進化するのか、「正義」や「大義」といった言葉に対して新しく説得力溢れた意味付けがなされうるのか、が問われたがいずれも回答は無残なものだったと結論づけるしかない。

私たちが事件を知り、その背景に思いを巡らすとき、事件はマスメディアや強者によって予めバイアスのかかった誘導が行われる。だから「意味」の闘いに備えるには常時弱者や庶民が「徹底的に不平等な社会」を認識し考慮に入れておかないと混迷に陥る。

「世界中(もちろん日本でも)でキナ臭いことが起こるよ」との警鐘を鳴らしたのが1月7日の事件だった。そしてこの島国で、私たちはまた大きな後退を迫られた1年となったのはご承知の通りだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界

7日発売『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン

禁煙ファシズムに抗う劇場版「MOZU」の喫煙シーン

迫力ある悪役を演じる北野武が加わったことで、好調に観客動員数を伸ばしている劇場版「MOZU」。主人公の西島秀俊がヘビースモーカーで「嫌悪感が走る」と嫌煙家たちの間で話題にのぼるも、これに反論した。

劇場版 MOZU

俳優の伊勢谷友介が、「タバコが嫌いなのを映画に当てつけてる」「無視していくべきだと思う」とコメントし、さらに「本当にどうでも良いと思ってる。そういう所やーやー言われても、無視していくべきだと思う」とまっこうから嫌煙の議論に反抗した。これに「よくやってくれた」とばかりに、愛煙家としては久しぶりに溜飲を下げている。とくに「喫煙派の演出家」が喫煙シーンを増やしそうだ。

「いやいや、伊勢谷は、映画とタバコをからめて『喫煙が悪い』とされる風潮に反論したので、別に喫煙を是認したわけではありません。それなのに、現場のディレクターたちは、これでタバコが似合う俳優たちがイキイキとできる。とくに悪役で食っている連中たちは、うれしがっていて、脚本上、タバコのシーンがじわじわ増えているのです」(ベテランの脚本家)

今や、刑事ドラマでも刑事たちは喫煙しない。かわりに楊枝をくわえていたり、ガムを噛んでいるのが通例だ。
「よくよく考えれば、本物の刑事たちも、警察が禁煙なのでそのほうが自然なのですが、遠藤憲一やオダギリジョーなどは、タバコを手にしたほうが絶対に絵になると演出家たちは考えていますよ。女性でも、何も指示しなくとも、小泉今日子や室井滋などは、アクが強い役をやると喫煙したがる。要するに喫煙する、しないは表現の自由だと思いいますよ」(都内のテレビ制作会社スタッフ)

かつて、宮崎駿の引退作のアニメ「風立ちぬ」の喫煙シーンが多いことにクレームがついたのが記憶が新しいが、そのときのクレームは、「病人の前で喫煙している」「学生にタバコを勧めている」の2点が問題となった。

「確かに、テレビシリーズでも映画でも、西島はよく喫煙している。だがこのシリーズに限っては、喫煙シーンは不気味な犯人が得体のしれない目的のために動いている不気味さを描くのに不可欠だと見るのが正しい」(同)

制作したTBSに「タバコのクレームは何件来ていますか」と聞くと「喫煙シーンが多くて不愉快だという意見はいただいていますが、件数は掌握してません」とのこと。

確かに、喫煙するしない、は映画の本質ではない。制作したTBSもそんな枝葉末節なことは「煙にまきたい」というところだろう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。
◎愛国的な韓国人や日本のネトウヨが卒倒しそうな韓国艦「テ・ジョヨン」の姿
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化
◎国勢調査の裏で跋扈する名簿屋ビジネス──芸能人の個人情報を高値で売買?

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「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策

シリアの政情不安長期化に伴い、膨大な数の難民が欧州に押し寄せている。あまりに急激な人口流入に戸惑い、国境を閉ざそうとする国もあるが、移民、難民受け入れ経験の豊富なドイツなどは(本音はともかく)「難民受け入れ」を表明している。


◎[参考動画]Germany’s winning refugee welcome formula(2015年09月07日にeuronewsが公開)

日本で行われる「反差別」を標榜する集会やデモなどで「Refugee Welcome」(難民歓迎)を掲げる人びとの姿も増えてきた。この国で市民が「難民受け入れ」に歓迎の意向を示したことは初めてではないだろうか。古くは朝鮮半島から日本に渡り工芸、芸術、文化などを伝えた「渡来人」、「帰化人」と名付けられた人々が「文化の伝道師」としての尊敬を集めたとの記録があるが、それ以降この島国では他国からの積極的な「定住意思」を持った人々を歓迎してきた歴史は見当たらない。

◆村長、町長や中学校校長らに選出ノルマが課せられた「満蒙開拓団」

私の気持ちは複雑である。

海に囲まれた島国だからだろうか、第二次大戦で敗北し経済成長を遂げた後もこの国は外へ門戸を開くことにことのほか後ろ向きであった。政策的にまとまった数の外国生活背景のある人々を受け入れたのは、おそらく「中国残留日本人」(「中国残留邦人」、「中国残留孤児」などと呼ばれることもある)の帰国活動が初めてだろう。

日本の傀儡国である「満州」を中心とする中国へ渡った人々の数は確定していないものの500万人を超えるとする説もある(彼らは一義的に『侵略者』であった)。自由意思で「一旗揚げよう」と移住した人の他に、「満蒙開拓団」と呼ばれる主として裕福ではない人々が全国の市町村長や中学校長などにより選出され、中国大陸に送り込まれた。

「五族協和」、「王道楽土」といった甘言をぶらさげた渡航者の選出にあたっては村長、町長や中学校の校長に「ノルマ」が課せられていたそうだ。「満蒙開拓団」に選出された方々はそれを拒否することなどできなかった。

敗戦と同時にいち早く敗走した関東軍と異なり、下級兵士や中国大陸でも貧しい生活を送っていた人々を中心に日本への帰国がかなわず、現地に留め置かれることとなる。帰国できず亡くなった方も多い。

その時期幼少で現地の中国人に身柄を預けられた人が、後に帰国することになる「中国残留日本人」だ。日本にやってきて服装も表情も当時の中国人と違わない人々が悲痛な思いで親族を探す姿は、当時多くの紙面や時間を割いてマスメディアで扱われた。幸い親族が見つかった方々が日本に帰国し定住した。その際に本人だけではなく配偶者や子供、場合によっては義理の兄弟などの親戚も入国、定住を認められたことから中国から定住した方々の総数は数十万人にのぼる。

帰国後は日本語のトレーニングや一定の生活支援、就業支援が行われたものの、日本の生活にはなじめず、家に引きこもりっぱなしの帰国者も少なくなかった。


◎[参考動画]アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言 Eさんの場合①(2013年10月24日に藤沼敏子さんが公開)
※藤沼敏子さんのHP「アーカイブス中国残留孤児、残留婦人の証言」には中国残留孤児・残留婦人による貴重な証言インタビューが多数掲載されている。http://kikokusya.wix.com/kikokusya

90年代はじめに彼らが住んでいた公営の集合住宅を訪れたことがある。生活支援をしているボランティアの方の案内で数件を尋ねると、帰国者ご本人はほとんど日本語が話せなかった。そのお子さんは工場労働などに出ているというから社会生活が可能な程度には馴染まれていたのだろう。そしてお孫さんは地元の小学校に通っているとのことだった。お孫さんは言葉に不自由はないし不都合も感じていないようだった。

私が訪問した数件のご家族は、不幸せそうではなかったけれども「帰国」したことを心底喜んでいるようでもなかった。

「残留日本人」を除けば日本に「政治難民」として逃げてきたい、という人々に対して法務省や入国管理局は実に冷淡だった。私も10人以上の難民申請の支援に関わったことがあるが私の知る「政治難民」は全員が門前払いだった。

◆政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢変化と「ユニクロ」柳井正のインタビュー

ところがここへきて政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢は変化を見せはじめている。理由は簡単だ。人口減に歯止めがかからずこのままでは「労働力」の確保がままならない、と考えた奴らは突如善人ぶって「さあ、さあ日本は門を開いていますよ」とその実またしても「経済奴隷」としてのみ外国人を招き入れようとしているのだ。

その本音を代弁しているのがブラック企業「ユニクロ」で有名なファーストリテイリング会長兼社長柳井正のインタビューだ(2015年11月21日付産経新聞)。

柳井は「移民・難民を受け入れなければ国そのものが滅ぶ危機」と題したこのインタビューの中で、
--日本企業の問題点は
「完全な実力主義になっていないことだ。古い制度を根本から変えていく必要がある。国主導ではなく、民間が主体的に変えていくことも必要だ。政府に頼めば何とかなる、という発想をやめなくてはならない」
--人口減少問題も企業経営に影響する
「人口減少は非常に深刻な問題だ。このまま放っておくと、日本は労働人口が不足する社会になる。人口が減って栄えた国はない」
と「移民・難民」の受け入れの必要性が、あくまで「国」(=日本)の利益のためであることを正直に告白している。

このインタビューの中では「国際感覚を身につける」などといった美辞も見られるが、ならば今よりも日本の「集中豪雨的輸出」が世界で問題とされた70年代後半から80年代になぜこのような「移民・難民受け入れ歓迎」という主張が国や大企業からなされなかったのか。

理由は簡単、当時は日本人だけで労働力が充足していたからだ。ここへ来て政府もこのまま行けば2030年に労働人口が200万人不足する、などと言い出した。あったりまえだろう。これだけの貧困と格差社会で非正規雇用がさらに増加すれば出生率は低下し、人口は確実に減っていく。日本は既に人口激減期に入っている。

◆経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか?

そこで冒頭の命題だ。難民受け入れ。移民受け入れに私は賛成の立場である。しかし、今それを政府や大企業が主張し出した狙いは単に「労働力」の充足を目的とするものである。「人道上」の配慮では断じてない。難民は母国を何らかの理由で追われ、仕方なく他国に安心を求め移動する人びとだ。

彼らの目的は一義的には「生きること」であり「金儲け」ではない。だから言語や生活習慣の全く異なる背景をもった難民をこの社会で生活してゆけるようにするためには、様々なトレーニングやサポートが必要とされる。当然お金もかかる(為政者が「社会的コスト」と呼ぶものだ)。

本当にそこまでの覚悟が総体としてあるのか。「難民を不足する労働力の補填へ」とのユニクロ柳井や政府の下心は経済的侵略者のそれと変わりない。そんな理由での難民受け入れなら私は反対する。経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか。難民の立場で我々はこの島国のありようをもう一度見直す必要を感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎《追悼》杉山卓男さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界

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大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸

「橋下打倒を!」と書きながら、本心どこか冷めている自分がいた。橋下徹が先導する地域政党「大阪維新の会」と、自民推薦、民主、共産なども推した候補者の実質的な対決となった大阪府知事、大阪市長の同日選挙は11月22日投開票され、知事には現職の松井一郎、市長には元衆議院議員、吉村洋文の両氏が当選した。

◆「自民党議員にも考え方に幅のある人がいる」という擁護論の終わり

嘘八百はいい加減にしてくれ!と「ハシモト」についてはこれまでも散々書き連ねてきたけれども、今回大阪同日選挙の何よりの不幸は「反ハシモト」として投票意欲を掻き立てる候補者が擁立されなかったことだ。知事候補だった栗原貴子氏、市長候補の柳本顕氏とも、出馬前はそれぞれ自民党所属の大阪府会、市会議員だった。

「地方に行けば自民党所属の議員といえども、考え方に幅のある人がいる」という擁護論は昔からある。「人格が立派な地方議員の中に自民党所属の人がいる」という話は散々聞かされてはいる。しかし、私そういう人に会ったことがない。中央であろうが地方であろうが「自民は自民」なのだ。とりわけ21世紀に入って以降の自民党には、寸分の油断もならないと感じてきた。麻生政権が瓦解し民主党が政権を担った時は「これで憲法改正へ向かうスピードだけには歯止めがかかった」と多少安堵したことは確かだった。

しかし、省みればこの「安堵」すらが油断だったのだ。民主党政権下では小泉政権や第一次安倍政権時のような露骨なファシズム指向政策が表出はしなかった。だが、今日の自民党政権に負けず劣らぬ「悪政」が行われていたじゃないか。思い出してみよう、原発事故後に「脱原発依存」を掲げた民主党政権は野田首相時代に大飯原発の再稼働を行っていたじゃないか。消費税の引き上げだって民主党政権時代に決定していたじゃないか。そして野田政権は自爆的に瓦解したことを。

◆「古いもの、しがらみ、旧弊とは相いれない」という言説ポーズが橋下の真骨頂

大阪人に限らず「ハシモトはうんざりだ、とんでもない」の認識は広がりを見せた。国政の場でも「維新の党」から設立者である「ハシモト」や「マツイ」が離党し、維新周辺にうごめく議員たちは混乱を極めている真っ最中だ。

実際には最高の指揮権を握っていた「ハシモト」がわざわざ離党する必要などなかった。松野頼久や民主党から合流した連中が気に入らなければ、これまで通り「首を飛ばせ」ばよかったのだ。市長の任期途中で「信任を得るため」と不要な選挙に打って出るわ、住民投票までやって否決された「大阪都構想」をまたぞろ蒸し返すは、世論は「ハシモト」や「維新」を選択肢から外し始めていた。メディアの狂気じみた「ハシモト」礼賛もトーンが下がってはいた。

でも「ハシモト」の目論見は的中した。私は「ハシモト」離党は大阪での同日選挙に向けたパフォーマンスだと感じていたが、残念ながら結果がそれを示している。

「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズ──。これこそが「ハシモト」言説の真骨頂だ。有権者を騙し続けてきた嘘八百、朝令暮改の神髄はここにある。あくまで「ポーズ」である。そのポーズに無批判なマスメディアが便乗する悪循環。

この時代の閉塞感を感じている少なくない人々が「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズに程度の差こそあれ期待を寄せていた(全く的外れにも)。実態は何もないこのポーズに共鳴する人は表面上「ごく普通の良き市民」である。

◆TPP甘利や極右稲田朋美が応援演説に来る対抗候補に誰が投票する気になるか

対する「古いもの、しがらみ、旧弊」の実態はどうだ。その中心である自民党、安倍晋三を総裁に無投票で再選した自民党の実像はどうだ。

わざわざここで私が詳述することもあるまい。戦争へ向かい、米国の下僕としての忠犬振りに熱をあげることを専らにする安倍自民党はちょっと政治に関心が芽生えた高校生からも「自民党感じ悪いよね」とプラカードに書かれるほどだ。

知事候補だった栗原貴子氏のTwitterとFacebookにはこんな言及がある。

この選挙戦、自民党本部から本当にたくさんの閣僚や党役員の皆さんが応援に駆けつけて下さいました。谷垣禎一幹事長、石破茂地方創生担当大臣、稲田朋美政調会長、甘利明経済再生担当大臣…国とのパイプを活かし、力強く大阪の発展を進めて参ります。 (2015年11月21日付くりはら貴子FB)

このコメントと顔ぶれを見て、「反ハシモト」の気持ちを抱いていた人の中には落胆を感じた人が少なくなかったのではないだろうか。「国とのパイプを活かし」なんて地方自民党候補者の常套句じゃないか。TPPを進める甘利、確信的右翼の稲田の顔見て投票する気になるだろうか。

◆安倍自民と橋下維新の両方に反対する人にとって投票の選択肢は100%なかった

つまり、こういうことだ。今回の大阪同日選挙には安倍自民党政権、「ハシモト」の両方を嫌う人には選択肢がなかったのだ。どちらの候補者に投じても「安倍を支持する」か「ハシモトを支持する」ことへ繋がる。そして中央では「維新」が割れ、形ばかり自民党と少しは異なる方向性を見せようとはしているけれども「大阪維新の会」はその主張において自民党と大差ない。何よりもハシモト自身が安倍に直談判しに上京していた様を見れば、こいつら2人が「同じ穴の狢」であることは明らかだ。こういった「投票に値する候補者がいない不幸な選挙」は小選挙区制導入後以前にもまして増えている。

「安倍とハシモトのどっちを選ぶか」の選択肢しか示し得なかった時点で大阪の同日選挙は意味を失っていたといっても言い過ぎではないだろう。「反ハシモト」陣営は真剣に主張や手法が「ハシモト」とは異なる候補者を早期に擁立すべきだった。「オール大阪」などという馬鹿げた茶番が敗因なのだ。なぜ実質自民党候補に共産党が相乗りできるのか。してしまったのか。師走に入って政治でろくなことがなかったこの1年を痛感する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界
◎《追悼》杉山卓夫さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

11月25日発売開始!「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

 

「年末ジャンボ」狂騒曲!所ジョージ、米倉涼子、原田泰造らが銀座に現る

一攫千金を! 宝くじの当選欲に飢えた人々が銀座に集結。11月25日、「年末ジャンボ宝くじ」の販売初日とあって、すでに朝6時から300人を超える人が今か今かと「西銀座チャンスセンター」の前で「年末ジャンボ宝くじ」の発売を待っていた。

そんな中、普通の芸能人、またそれを取材するスタッフならまず寝ている午前8時40分から「西銀座 チャンスセンター」前で「年末ジャンボ宝くじ&年末ジャンボミニ7000万記念イベント」なるイベントが開催。所ジョージ、米倉涼子、原田泰造ら「宝くじCM」に出ているメンツが集まり、1等賞金が7億円、前後賞が各1億5000万円ということで、「10億円分の札束を積み上げたツリー」の前で「もし1億円当たったらどうするか」をテーマにMCを展開するという、必死に並んでいる客からすればなんともむかつく〝ちゃらいイベント〟が行われていた。


カメラ約50台がひしめくなかで、「もし10億円が当たったら」というテーマでトークは進む。米倉涼子が「セレブ留学」、原田泰造が「サウナ経営」、所ジョージが「世田谷のガレージを改造する」というなんのひねりもない答えをフリップに書 いて、スタッフだけの乾いた笑いと拍手が、雨模様の空にむなしく響いていた。

所ジョージが「俺のところなんか朝着いたとたん、連れてきたスタッフがいつのまにかいないと思ったら、宝くじをいつのまにか買いに言っていたよ」などと購入を誘導するような台詞を吐けば、女性MCが原田に「どこで宝くじを買う予定ですか」と聞くと「あちこちで買います。今日もマネージャーにここで(西銀座チャンスセンター)で買いに行ってもらいましたけど」と暗に購入を勧めれば、米倉も「ぜひ年末ジャンボ宝くじを買ってこのツリーを一度、自宅で見てみたいです」とまるで街中で「年末ジャンボ」のコマーシャル撮りが行われているのではないか、というわざとらしさだ。


米倉たちは、札束のツリーを目の前に奪い合うようなポーズをしてお茶目なフォトセッションになっていたが、実はスタッフが「撮影禁止」という札を持って立ったポイント(パーティションで仕切られていた)の裏では売り場があり、客がタレントたちをうらめしそうに見ていた。

「この仕切り線が天国と地獄を分けているよな。何が夢の10億円だよ。3人あわせれば10億円くらいありそうなメンバーだよな」とサラリーマン風の中年男性が友人とおぼしき若い男につぶやいていた。囲み取材では、米倉が私生活のことを聞かれるのを避けたためか、原田と所だけがインタビュアに対応し、シナリオありきのやりとりをこなした。

「まあ、庶民と金持ちタレントの差がクリアになったイベントだったな」と見物客。イベント終わりで大粒の雨が落ちてきて、濡れながら長蛇の列を作る客たちがまるでこの「年末ジャンボ」狂騒曲に踊らされたようにも見えた。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。
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