3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

4年が過ぎた。2011年3月11日東北を中心に東日本を襲った大震災から。腰を抜かしそうな大津波、首都圏でも長時間にわたる激しい揺れ、交通・通信の途絶と寸断。そして人類史上初めての原発4基爆発。

今私たちがああだのこうだの、まだこの島国に住みながら、くだらない発語が出来ているのは、奇跡かもしれない。いや奇跡だと言い切っていいだろう。

◆「放射能という名の化け物」との格闘は半永久的に続くという現実

昨年12月に福島第一原発4号機の使用済み燃料プールからの燃料取り出しが終了した。

これを「技術の勝利」と呼んだ人がいた。

傲慢に過ぎる。

勿論、技術者や現場での作業に関わった方の「命がけ」の賜物には違いない。彼らの勇気と優秀さには尊敬の念を払う。

だが、それは燃料棒撤去作業を断念させる4号機の建屋崩壊に繋がる、余震が「偶然」起こらなかったことの僥倖に起因することを忘れてはいけない。人間の技術依存への慢心は常に不幸の誘引剤だ。これからまだ3号機、2号機、1号機の燃料取り出しと「廃炉」作業が待ち受ける。政府が言うには「30年程」で片が付くらしい。

馬鹿を言うな。人類的な時間尺で言えばこの「放射能という名の化け物」との格闘は半永久的に避けられない。

◆「復興」は全く進まず、「絆」という言葉の意味が剥奪された

復興?

全く進んではいない。「全く」だ。阪神大震災と比較すればその違いはことさらに際立つ。

勘違いしないで欲しい。私は被災された方々の不幸をことさら取り上げ、それを材料に騒ぎ立てようとしているのではない。被災された方々が納得のいく形で生活再建をなされることだけが「復興」の名に値すると考える。

「絆」という言葉が意味を剥奪された。

「不条理に耐え忍ぶため事実に目をつぶり、ひたすら思考せず支配者へ従うこと」へと意味の蹂躙・変換が行われた。J・オーウェルが『1984』や『動物農場』で予見した「意味の収奪」(Newspeak=新語法) とはこのように2011年以降の日本で現実化している。

屍。累々とした屍。200いや300を超える屍。数時間前まで昨日と変わらぬ日常を過ごしていた人々が津波に飲み込まれ、海の上をたゆたう姿となっとなったその姿を見て、事実のみを本社に伝えた記者が直後号泣し、座り込み立ち上がることが出来ずその後の取材活動が出来なかったことを私は知っている。

勘違いが過ぎたのだ。思い上がりが過ぎたのだ。自然の力に人間はかくも無力だ。

悲しみも、無力感も、後悔も、怒りも、そして疲労の余りに至る諦念。全て「自然に対抗できうる」などとの身の丈を過ぎた傲慢が導いた結果なのだ。

◆人災を「風評被害」と言い換える人々が、原発を輸出し、戦争に邁進する

寒い。しびれるほど寒い。春近いと言ったって東北の冬は地面の底から寒さが突き上げてくる。

どうかマスメディアよ、これ以上無意味な言葉で必死に生きる人間を軽んずる「侮辱」を止めてはくれまいか。

どうかマスメディアよ、自然に対して人間は無力ではあるけども、人間の行為は人間が制御できることを想起してはくれまいか。

どうかマスメディアよ、避けられぬ自然災害にあれこれ意味づけををするのではなく、避けようがいくらでもある「人間によって引き起こされる災害」の意味こそを問うてはくれまいか。

津波、地震によって亡くなった方々の鎮魂は、亡き人を思い忍び前を向く遺族の方々の日常で十分だ。薄っぺらい言葉やイベントなど一時凌ぎの慰めにしかなりはしない。

これ以上苦しめるな!

これ以上蹂躙するな!

被災地の人々、とりわけ子供を放射能で病ませるな、殺すな!

私はあなたに「ねぇ、だから一緒に行動しませんか」などと言うつもりは全くない。

私一人で怒る。

自然災害と人災は違う。

人災を「風評被害」と言い換えて原発の再稼働・輸出、あろうことか「戦争」に邁進する人間どもを満身の怒りで指弾する。殺意に近い感情は消えない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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