無意味な「火災報知器」設置義務化で行政への猜疑心は深まるばかり

消防法により各家庭には「火災報知器」の設置が義務付けられていることを読者の皆さんはご存知だろうか。一戸建て住宅では「寝室」、「台所」、「階段」に設置が義務付けられている。マンション(分譲・賃貸とも)やアパートでも一戸建て同様に「台所」、「寝室」には設置が義務づけられている。義務だが罰則はない。あくまでも居住者の安全確保の観点からということだからだろうか。

◆我が家の火災にこんな報知器が役立つか?

拙宅にも数年前に町内会の回覧板が回ってきた。なんでも町内会で共同購入すると市販の価格よりも安価に購入できるとのことで、半ば行政による誘導のような形で「火災報知器の購入」が促進された。私の知らないうちに家人が購入申し込みをしたので我が家には「火災報知器」が法令通り設置されている。

しかし、消防法により「設置しなさい」と義務化されたのは、火災が発生した時に消防署や、防災センターに直結・緊急で情報が伝わる機能を有するものではない。公的建築物にあるような従来の「火災報知器」と異なり、煙や熱を感知すると「そこだけで鳴る火災報知器」である(勿論各家庭がセキュリティー会社と契約をして火災報知器を設置することも推奨されているけども、そうすればかなりのコスト発生する)。

学校や大規模商店で火災報知機が鳴れば目の前に煙や炎が見えなくても、万が一に備えて心の準備をする効果は誰しも認めるところだろう。大人数の集まる場所では火災自体の被害はもとより、避難の際の二次被害も予防されなければならないから火災報知器の果たす役割は大きい。

でも、我が家で仮に火災が発生したとして、火災報知器はどんな役割を果たしてくれるだろうか。

◆「そこだけで鳴る火災報知器」では役に立たないという結論

まず、家の中に家族の人間誰かがいるケースを想定する。我が家は自慢ではないが広くはない。火の手が上がればまず居宅内のどこからでも目に入る。火事はおそらく火災報知器よりも人間の目によって発見されるだろう(これに対して「寝室等での火災の発生は夜が圧倒的多い」と行政は取り付ける根拠を主張しているが、それは冬季に石油ストーブや火鉢などを利用していた時代の発火原因に注目しているのであり、今日のように石油ストーブや火鉢利用が減少した時代には説得力を持たない論である。さらに「寝たばこ」も理由とされているが、これだけ嫌煙活動が広がった今日「寝たばこ」の危険性は過去よりも低下しているだろう)。

それでも仮に家族全員が就寝中に火災が発生して「火災報知器」が鳴り出したとすれば、驚いて目を覚ますだろうが、そんな高温になるまでゆっくり寝ていられるほどの広さの寝室は我が家にはない。

そもそも「そこだけで鳴る火災報知器」は音を出すだけだから、消火活動や消防への連絡は人間が手で行わなければならない。

したがって、家族の誰かが在宅中に「そこだけで鳴る火災報知器」は役に立たないだろうという結論に至った。

◆設置義務化の真の目的は別にある

では、家族全員外出中の火災ならどうだろうか。我が家から出火して火災報知器が鳴ってもその音は隣家には届かない。「火災報知器」が消防署や防災センターなどに直結していれば、家人不在でも消防車が駆けつけてくれるだろうけども、そうではなくて家の中でだけむなしく音を上げていても誰にも聞こえないし、何の役にも立たない。近隣の方が火災に気が付く頃には天井に火が回っているだろう。

勿論、我が家のような安普請ばかりでなく、寝室が広いお宅もあれば、部屋数が多いお宅だってあるだろうから、そのような住宅では「そこだけで鳴る火災報知器」も一定の役割を果たすのかもしれない。私とて「そこだけで鳴る火災報知器」の役割を全否定しているわけではない。中には被害を食い止めたり難を逃れる人もいるだろう。

だが、「そこだけで鳴る火災報知器」は法律で義務化しなければならないほどの重要性と効果があるのだろうか。厳格に消防法へ従えばワンルームマンションでも2個の「そこだけで鳴る火災報知器」を取り付ける必要がある。部屋数がもう少し増えて二階建てのお宅ならば3つや4つは最低必要だ。

本当に火災被害の低減を考えるのであれば消防署とは言わないけれども、地域ごとに火災の発生を感知するセンターなどへの接続を行っておかなければ意味は薄いのではないか。

くだくだ冗長に屁理屈を並べたが要は「こんな役に立たない物を義務化したのは、メーカーに儲けさせるためではないのか」と私はまたしても捻くれた邪推をしてるのだ。

◆同じく無意味は「チャイルドシート」義務化

同様な例は「チャイルドシート」にも当てはまる。「チャイルドシート」は6歳以下の乳幼児が自家用車に乗る際に設置するよう義務化されている。席数以上の人数が乗車する際などいくつかの例外規定は設けられているが、基本1児に1台が必要だ。

3歳と5歳のお子さんを持つ家族であれば2つの「チャイルドシート」にそれぞれお子さんを乗せなければならない。「チャイルドシート」は助手席にも設置できるけれども、事故の際助手席は最も危険の高い場所であるし、エアーバックの危険もあるので、常識的には後部座席にお子さんを乗せるのが望ましい。だがこれは実践してみればわかることだが、後部座席に2つの「チャイルドシート」を乗せると超大型車でない限り、空間がいっぱいになる。通常自家用車の後部座席は3人座れるが「チャイルドシート」を2つ乗せると3人目が座れるスペースはない。

つまり運転席、若しくは助手席からしか後部座席のお子さんの様子を見たり、世話をすることしかできなくなるのだ。3歳と5歳の子供で長時間おとなしくしているのはよほど「おりこう」な例外であって、長距離ドライブの際はやれ「おしっこ」だ「お腹がすいた」「外で遊びたい」とごねるのが自然だ。そんな時に保護者が隣にいれば、抱いてあげたりあやしてあげたりすることが出来るが、法令を順守し保護者と子供の物理的位置を車内で分離すると、面倒が増える上に、高速道路走行中などに子供が急に体調を悪くさせた時などに対応が出来ない。

なんでこんな無茶を義務化するのか。これまた自動車用品店やメーカーを儲けさせるためではないのか。

私の猜疑心をどなたか取り払っていただけないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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