イントロダクション ── 11月への想い

◆今日に至る私の始発駅 11月5日、55年前の東京駅

55年前、辛い別れを敢えて明るく「京都最後の日々」を終え心機一新、赤軍派参加のために深夜の京都駅を発った私は11月5日正午前の東京駅に着いた。

連絡先に電話を入れたら「すぐ新聞を買って読め」と言われた。新聞には「大菩薩峠で軍事訓練中の赤軍派全員逮捕」とあった。

大菩薩峠事件。警察に急襲され逮捕される赤軍派のメンバー(1969年11月5日)

この11月5日の国内での軍事訓練挫折の敗北体験から海外に軍事訓練拠点を設ける「国際根拠地建設」が赤軍派路線となって年が明けるやいなや私は「国際根拠地建設の軍」加入が決まり、‘70年秋の安保決戦で首相官邸占拠・前段階武装蜂起を担うよど号赤軍として朝鮮に渡ることになって今日に至る。

だから11月5日、55年前の東京駅着が「戦後日本の革命inピョンヤン」に至る私の人生始発駅やったんやなあと感慨深く想う。

17歳の革命-「女の子の授業はあっちだ」! 長髪を見とがめた体育教師の言葉に「よ~し、ならあっちに行ってやる」進学校、受験勉強からドロップアウトの挙に出た私。当時はなぜ自分がこうなるのか理由がよくわからなかったが、いま思うにこの反抗心の爆発は敗戦直後の米軍占領下日本が軍国主義から一転、民主主義に急変したおかげで頭の混乱した大人たちに感じ始めた私の違和感、「戦後日本はおかしい」に根ざしていた。

物心がつき始めた頃に戦後民主主義教育のリーダー的教師が口にした「中国人捕虜刺殺」要領、それは「戦後民主主義と中国人捕虜刺殺はイコールで結ばれている」ことを無意識のうちにも小学5年生の頭に刻みつけた。高校生にもなると東京五輪から大阪万博開催へと「アメリカに追いつけ追い越せ」の高度経済成長の明るい「昼間の日本」にもどこか「?」がちらついた。

「昼間の日本」への「?」、それはベトナム反戦・反安保の10・8羽田闘争、「ジュッパチ-山崎博昭の死の衝撃」を経て「戦後日本は革命すべき対象」となって二十歳(はたち)の私を政治に導き、ついには22歳の私に赤軍派参加・「革命家になる」を決意させた。

もちろん当時、「戦後日本の革命」を明確に意識できたわけではない、でもいまは間違いなくそれだと確信できる。

しかしながら私が「戦後日本の革命」を託した赤軍派の世界革命戦争の火蓋を切る前段階武装蜂起などは「夢のまた夢」に終わり、少数の先覚者の「命がけ」の先駆的行動が人民を覚醒させるというほど革命の現実は甘くないことを思い知った。

そして新たに始まった私の「戦後日本の革命inピョンヤン」だが、「革命家人生」の恩人・田宮高麿からの「若林、おまえいったい誰のために革命やってるんや?」の問いかけに始まる「日本の現実に足をつけた革命、国民(人民)の要求に応え国民の意思によって行う革命」の道は何か? を探る作業はいまも探求途上にある。
でもそれが「米国についていけば何とかなる」戦後日本の生存方式からの転換、「戦後日本の革命」であるという確信は変わらない。

2年前の秋、編集担当Kさんの勧めもあってデジ鹿通信に連載を開始した「ロックと革命 in 京都 1964-70」、鹿砦社代表・松岡さん言うところの「ある先輩の京都青春記」の序文に私はこう書いた。

ウクライナ事態を経ていま時代は激動期に入っている。戦後日本の「常識」、「米国についていけば何とかなる」、その基にある米国中心の覇権国際秩序は音を立てて崩れだしている。この現実を前にして否応なしに日本はどの道を進むのか? その選択、決心が問われている。それは思うに私たちの世代が敗北と未遂に終わった「戦後日本の革命」の継続、完成が問われているということだ。

2024年も終わる11月のいま、「戦後日本の革命」は近い! これは実感となった。私はすでに77歳だが、でもこの歳まで生きていてよかったと思える。

単なる「感じ」で革命ができるわけはないが、希望、楽観を持って事に臨むことは全ての第一歩だから後は「希望を現実に変える」絶え間ない努力だと自分に言い聞かせている。

【Ⅰ】「トランプ圧勝」、それは戦後世界秩序「瓦解」の証明

◆「世界の10大リスク」が予測通りになった2024年

この連載の第1回(2024年1月31日号)で年初に公表の「世界の10大リスク予測」について触れたが、2024年はこの予測通りの結果を示した。

 

米調査会社ユーラシアグループによる2024年の世界的リスク予測

また「世界の10大リスク」3位に上げられたウクライナ戦争に関する予測、「今年、事実上、ウクライナは分割される」も見事に当たり、トランプ陣営の打ち出した現状の容認、「ロシア軍実効支配地域」割譲を認める戦争終結案で米国の代理戦争惨敗(トランプは「自分が大統領なら戦争は起きなかった」とバイデンに責任転嫁)が「ウクライナの現実」となるだろう。

トランプ圧勝は米国式「民主主義」も米国式「国際秩序」も機能不全に陥ったことを世界に見せてくれた。日本人には「米国についていけば何とかなる」時代ではなくなったことを示してくれたと言える。

これを私式に翻訳すれば、「“戦後日本の革命”の夢拓く」時代に続くものになるだろうということだ。

そういう意味で2024年はこれまでとは画期を為す年だったと言えるのではないだろうか。

◆「トランプ圧勝」は米国の「例外主義」が死の淵にあることの証明

「『例外主義』後退、世界秩序の転換点」と題した編集委員名義の論説を11月13日付け朝日新聞は大統領選での「米国第一」のトランプ圧勝を受けて掲載、「米国が世界に特別な使命を負う」という「例外主義」が死の淵に瀕していることに懸念を表明した。

しかし朝日新聞が懸念しようがしまいが「世界に特別な使命を負う」という米国の「例外主義」、それに基づく第二次大戦後の世界秩序はすでに回復不能状態にある。これを300年の徳川幕藩体制が「黒船」襲来で「瓦解」の危機に瀕した故事に準(なぞら)えれば、米「覇権帝国」幕藩体制である戦後世界秩序は「瓦解」の危機に瀕しているということだ。そのことの証明が米大統領選での「例外主義」バイデン-ハリス大敗、「米国第一」トランプ圧勝だと言えるだろう。

このような側面からトランプ圧勝の意味について考えてみたい、「戦後日本の革命」は近いという実感を共有するために……。

米調査会社、ユーラシアグループが発表した2024年の「世界の10大リスク予測」、そのトップに上げられたのが「米国の敵は米国」、「米国がリスク要因になる」という予測はトランプ圧勝で的中、「大統領選で(米国の)分断と機能不全が深刻化する」との予測が指摘した通りの結果となった。従来の民主党支持基盤だった若者、黒人、ヒスパニック、女性、さらにはLGBTの一部までも「エリートの言う民主主義や人権より国民生活第一」のトランプに投票、「米国の分断、民主主義の機能不全」を世界が目にした。

「例外主義」についてこの連載の第6回通信 に次のように書いた。

戦後世界の「常識」、「パックス・アメリカーナ」(米国による平和)と称する米一極覇権秩序を支えてきた米国の外交理念、イデオロギーが「例外主義」だ。それは次のように規定されている。

“米国は物質的、道義的に比類なき存在で世界の安全や世界の人々の福利に対して特別な使命を負う”

2019年の大統領選で、バイデンは戦後世界秩序を規定してきた米国の「例外主義」復活を前面に掲げ、世界に対する米国の「特別な使命」を否定する内向きな「米国第一」のトランプ大統領(当時)に対抗、勝利して大統領の座を奪った。

勝利した「例外主義」大統領バイデンは「国際協調主義」を唱えながら「自由と民主主義・普遍的価値観に基づく国際秩序」擁護を安保外交スローガンに掲げた。それは米欧式普遍的価値観を認めない中国とロシアを「専制主義国家」と規定、敵視する新冷戦秩序樹立を目論むものだった。この目論見の下に世界を「民主主義国家vs専制主義国家」に分断、民主主義国家陣営による「専制主義国家陣営・中ロ包囲網」構築による対中ロ新冷戦勝利、米覇権回復を画策した。

でもそれは開始早々、頓挫の兆しを見せた。

この新戦略のスタートとしてバイデンが鳴り物入りで呼びかけた「世界民主主義サミット」は開催すらできないという醜態をさらした。「世界サミット」と豪語するだけの参加国を集められなかったからだ。米欧式「普遍的価値観」の押しつけによる「民主主義国家vs専制主義国家」の色分け、世界の分断をよしとしない国々が絶対多数であることが早くも明らかになった。

もう米国は世界から「特別な使命を負う」国家だと認められなくなっていたのだ。

さらに米国にとって深刻な打撃は2022年開始の、ロシアの「特別軍事作戦」によるウクライナ戦争だった。これはバイデンの新冷戦戦略シナリオに致命的な障害をもたらすものだった。

元々、対中ロ新冷戦戦略は当面の攻撃目標を中国一本に絞り込み、ロシアとの二正面作戦は避けるというのが米国の基本シナリオだった。弱体化した米国にはそれだけの余力がないからだ。しかしプーチン大統領は「特別軍事作戦」という先制攻撃で米国を否応なしに二正面作戦に引きずり込んだ。

二正面作戦を強いられた米国が絶体絶命の窮地に追い込まれたことは、今日のウクライナ事態の結果を見れば、好むと好まざるを問わず周知の事実となっているから詳細は省く。

いまやウクライナ惨敗を目前にしても米国も欧州諸国も為す術(すべ)はなく、「米欧供与の長射程兵器によるロシア領内攻撃許可を」!のゼレンスキーの失地挽回策、「最後の勝利計画」のための必死の懇願にも「Yes」とも「No」とも言えない迷走状態にある。「Yes」とすればプーチンの言う「ロシアとNATOの戦争になる」ことを恐怖するからだ。

バイデン式の米国「例外主義」は万事休す、機能不全は明らかになった。

更に重要なのはウクライナ戦争という米国の代理戦争を契機に米「G7」からの世界の離反が進み、新しい国際秩序への転換的局面が開かれる結果をもたらしたことだ。

対ロ制裁はロシアを経済的窮地に陥らせるどころか逆にG7「先進国」諸国の燃料危機、食糧危機など「制裁」が自らの経済危機を呼び込む羽目になり、対ロ制裁に加わらないグローバルサウス諸国は弱体化したG7を尻目に中ロとの経済関係を強化、ひいては中ロと共にドル金融体制に代わる独自の金融秩序をつくるに至るや米ドル支配体制を突き崩す脅威的存在にまでに成長した。

昨年7月のG7広島サミットにはブラジル、インド、ベトナム、インドネシアなどグローバルサウス主要諸国首脳を招きG7側に引き寄せようとしたが、ゼレンスキーまで呼ぶ「ウクライナ支援支持」会議にしたことが裏目に出てかえって開発途上国首脳の怒りを買い、グローバルサウスの離反に拍車をかける結果となった。

そこにまた中東でのハマスのイスラエル先制攻撃を契機にガザ戦争までが加わり、米国は三正面作戦まで強いられる更なる窮地に追い込まれた。いまや戦線はレバノンにまで拡大、さらにはイランにまで及ぼうとしている。この戦争はまた深刻なガザ人道危機を呼びイスラエル支援の米国・G7の「ダブルスタンダード」非難加速で米国からの世界の離反を決定的なものにしている。

まさにバイデン式「例外主義」のために米国覇権は「進むも地獄、退くも地獄」の絶体絶命の窮地に立たされたというのが、2024年11月の「米国第一」トランプ圧勝劇前の米国の直面する現実だった。

大統領選でのトランプ圧勝は「世界の民主化」よりも「米国国民のための民主主義」を! との要求を「米国第一」のトランプに託した「米国民の勝利」ではある。しかし同時にそれは「例外主義」バイデン主導の国際協調路線で進退両難に陥った米覇権の復権を企図する米支配層による「米国第一」トランプに託す起死回生策でもあることを見ておくべきだろう。

◆対中新冷戦に集中、これを「日本第一でやれ」がトランプ「米国第一・覇権」

トランプ圧勝を受けて次期トランプ政権の主要陣容が発表された。

それは当然ながらウクライナ、中東での戦争を収拾し、すべてを対中新冷戦に集中するための起死回生の陣容だ。国務、国防、経済の主要閣僚、安全保障担当大統領補佐官などはすべて対中強硬派で占められた。

トランプ政権発足は新年になるから、その具体的な路線、政策は不明だ。でもその基本方向は大まかに推測できる。

バイデン式の「例外主義」に代わる米覇権回復戦略転換の使命を負うのが次期トランプ政権だ。

トランプ式「米国第一・覇権」はバイデンのように「世界に特別な使命を負う」などと無駄に終わった「ウクライナ支援」のような国益を損なうまでの分不相応な気負いは捨てる。米覇権回復をするにしても国益を損なわない程度にし、過重な負担を負わない、代わりに同盟国に負担を分担させる。

そのスローガンは同盟各国も「自国第一」!

それはこういうことだ。

「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を護ることを強いられる理由はありません」-これは「日米同盟の変容」、「日米同盟新時代」を誓約した4月国賓訪米時の岸田首相の言葉だ。続けて岸田首相は「日本が最も近い米国の同盟国としての役割をどれほど真剣に受けとめているかを知っていただきたい」と「日本の覚悟」を強調した。

この「日本の覚悟」、「最も近い同盟国としての役割を果たす」覚悟を「自国第一」のスローガンでやれ、これがトランプ流の米国覇権、「米国第一・覇権」ではないだろうか。

「国際秩序を護る」ことは同盟各国の死活的利害、「国益を護る」問題だ、だから同盟各国もこれまでのようにこれを「負担」と考えるのではなく「自国の国益を護る」問題とし、「自国第一」でやれ! 米国が「米国第一」なら日本も「日本第一」に転換する。

結論的に言えば、「米国第一・覇権」への転換、それはある意味、多極世界に向かう時代の趨勢に即した覇権の転換であり、脱覇権の多極化ではなく多極化覇権と言えるものになるのではないかと想う。

すなわち超大国「米国第一」、米国中心の国際秩序擁護を同盟各国が「自国第一」で支える、これがトランプ「米国第一・覇権」だ。

トランプは「同盟軽視」と言われるが、それは同盟国に「気を遣わない」、いや「苛酷である」、つまり「相手軽視」という言い方が正しい。

またその「米国第一」は「米国の過重な負担を減らす」、その分、「同盟国により多くの負担を求める」、それを各国「自国第一」でやらせるというもの、これこそがトランプ「米国第一・覇権」であると言えるだろう。

だからトランプ「米国第一・覇権」は、「同盟弱化」、ましてや「モンロー主義」、「内向きになる」孤立主義では決してない、むしろ同盟強化であり、その同盟強化は重い責務を「自国第一」のスローガンで同盟国に押しつける方向で解決する。

「バイデンからトランプへ」で変わるのは何か? と言えば、同盟国への対し方が強硬姿勢に変わる、それも「自国第一」のスローガンの下に同盟各国が自主的、主体的に受け容れるように!

バイデンからトランプに代わろうが、米国の対中ロ新冷戦戦略自体は変わらない。

そもそもこの新戦略が、2017年末、第一次トランプ政権時代の国家安全保障戦略改訂で打ち出された米覇権回復の死活的戦略だから、トランプはより強力にこれを推し進めるだろう。

そして日本にとって最重要なことは、4月の岸田国賓訪米直前に「古い時代が終わり新しい時代が始まる」とエマニエル駐日米大使が「ウオール・ストリート・ジャーナル誌」寄稿文で規定した「日米同盟の変容」、「日米同盟新時代」、その推進は変わらないどころか「日本第一」のスローガンの下にいっそう加速されるということだ。

「日米同盟新時代」の核は、日米安保の「攻守同盟化」だ。

これまでのように「国際秩序を護る」戦争を米軍だけに任せてきた「片務的同盟」から自衛隊も「国際秩序を護る」戦争を担う「双務的同盟」に変容する、この日米安保の「攻守同盟化」を岸田首相は米国に誓約した。

 

ハガティ発言「読売」記事

これはバイデン政権との約束だが、トランプ政権時の駐日米大使、ハガティがこの「日米同盟新時代」移行について「トランプとも話し合った」ことを4月11日の読売新聞は伝えている。そもそも「日米同盟新時代」を誓約した岸田首相の米議会演説の実現に尽力したのがトランプの腹心ハガティだったことも明らかにされている。

何を言いたいかと言えば、トランプ政権になっても「日米同盟新時代」推進は変わらない、むしろいっそう強化されるということだ。

変わったとすれば、「国際秩序」は日本の「国益」に直結する問題であり、「国際秩序を護る」ことは「日本の国益を護る」問題だから、「日本第一でやれ」という覇権の手法だ。

トランプ「米国第一・覇権」は、「日米同盟新時代」の核心である日米安保の「攻守同盟化」推進を日本に迫るうえで、「米国に負んぶに抱っこ」の時代は終わったのだから、もっと自分自身の問題として自分が責任を持って解決せよと、それを「日本第一」でやることを強く求めてくるだろう。

とりわけ「攻守同盟化」の障害物である日本側の問題、「憲法9条の制約」を取り払うという難問解決に、より主体的に取り組むことを強く日本に求めてくる。

「いつまでも米国任せにするな」、「日本第一でやれ」! この基本要求として「憲法9条改憲」を迫る。これがトランプ「米国第一・覇権」が日本に迫ってくる「キーポイント」であることをしっかり見ておく必要があると思う。

〈Ⅱ〉「対米従属でない日米基軸」石破政権、実はトランプ「米国第一・覇権」に忠実な「日本第一・覇権」政権

◆「石破とトランプは合わない」や「日米足並みの乱れ懸念の石破外交」は眉ツバ

 

「日米安全保障条約の『非対称双務条約』を改める機は熟した」石破発言

このところ南米でのAPEC、G20会議に参加する帰途に石破首相が米国でトランプに会う計画と伝えられたが、トランプが「多忙」を理由に断る可能性が高い(実際に破談)だとか、「石破とトランプは相性が悪い」などといった類の石破首相とトランプ次期政権とは波長が合わないという「マスコミ観測」が垂れ流されている。

その根拠は石破首相の「アジア版NATO」や「日米地位協定改訂」発言が米国の不興を買って「日米足並みの乱れ懸念の石破外交」(朝日新聞)だとか「米国第一」で同盟軽視のトランプ外交に石破首相はついていけないからといったものだ。

果たしてそうだろうか? 私は眉ツバものだと思っている。

「日米同盟新時代」推進、その核となる日米安保の「攻守同盟化」実現の上で懸案の「憲法9条の制約」を除くことを急ぐトランプ「米国第一・覇権」だが、このトランプ路線推進、「日本第一・覇権」に最適の人物として石破茂に白羽の矢が当たった節がある。

「国民的人気の高い石破氏のような自民党政治家を担いで」与野党連合政権のような挙国一致体制をつくる-これは「トランプ大好き」人間、橋下徹の主張した「政権変容論」のシナリオだが、「秋の政局」で変則的ではあれ事態はそのように進んだ。国民に抵抗感の大きい「憲法9条改憲」(実質改憲を含め)をこの挙国一致政権で実現する、これはトランプ「米国第一・覇権」の望むところではないだろうか。

◆石破「対米従属でない日米基軸」はトランプ「米国第一・覇権」に忠実な「日本第一・覇権」

石破首相の総裁選候補以降の基本主張は「対米従属でない日米基軸」だ。これは言葉を換えれば「日米基軸を日本第一でやる」ということ、トランプ「米国第一・覇権」と軌を一にするものだ。

石破首相は総裁選に名乗りを上げる頃、米国の「ハドソン研究所」に論文を寄稿した。

寄稿直後の報道は「アジア版NATO」や「日米地位協定改訂」など「日米関係に不協和音をかもす」的な部分だけが強調されたが、最近はもっと本質的な部分がちらほら伝えられるようになっている。それも小出し的に、でもこの「小出し的な」内容に事の本質を見る必要があると思う。

いくつかあるがここでは一つだけ、でも最重要と思われるものをとりあげる。

「日米安全保障条約の『非対称双務条約』を改める時は熟した」とハドソン研究所への寄稿文で石破は述べた。

「日米安保条約の『非対称双務条約』」という概念は一般には理解の難しい抽象概念だが、それはこういうことだ。

この石破の新しい主張はかつてのトランプの不満発言に答える形になっている。

トランプは日米安保の「不公平」さに不満を唱えている。

「(日米安保条約は)不公平な合意だ。もし日本が攻撃されれば私たちは日本のために戦う、米国が攻撃されても日本は戦う必要がない」(2019年6月発言)

「日米安全保障条約の『非対称双務条約』を改める時は熟した」という石破の言葉はこの不満に答えるものになっている。

トランプの言うように、世界の常識からすれば「日米安保条約は不公平な合意だ」。通常、二国間の安全保障条約は軍事同盟である以上、「もし日本が攻撃されれば米国は戦う、米国が攻撃されれば日本は戦う」双務的条約にならねばならない。ところが日本の場合は憲法9条の制約から「他国のための戦争ができない国」である。

石破首相の言う「非対称双務条約を改める」とは、「米国にのみ日本のために戦う責務があり、日本には米国のために戦う義務がない」とトランプが不満を漏らした「日米安保条約の不公平さ」を「改める」意思を示したものだ。

さらに問題は「改める時は熟した」という一歩踏み込んだ発言をしたことだ。

最近、石破首相は持論の「憲法九条第二項・交戦権否認と戦力不保持の削除」については「(改憲の国民投票にかけるには)長い時間がかかる」、だから代案として「安全保障基本法のようなものの制定」で「実質改憲」をやればいいといった発言をし出した。

改憲ではなく新たな法律制定なら国会審議だけで与野党の賛同を得られれば「実質改憲」の目的は達成できる。国民投票に問う「改憲」という「長い時間がかかる」ことはやらずに「日米安全保障条約の『非対称双務条約』を改める」方策をすでに石破首相は腹案として持っているということだ。

その上、この腹案実現はいまの自公少数与党政権の国会運営方式、「野党の意見も採り入れる」与野党連合的手法ならじゅうぶん可能だと勝算も持っている。まさに「時は熟した」のだ。

いまの野党多数派は「日米関係を損なってはならない」が金科玉条だから、それが米国の強い要求というなら賛同を得るのは難しいことではない。野党第一党の立憲・野田代表は「(かつて党として反対した集団的自衛権容認の)安保法制は違憲だが、日米関係を考えれば納得できるものだ」などと「憲法より日米関係重視」的な言動を平気でやっている。「立憲主義」の党首としては聞いて呆れる発言だ。まして維新や国民民主に至っては「9条改憲」さえ賛成する野党だ。石破首相の「実質改憲」策、安全保障基本法はたいした反対も国会論戦もなく、それこそ挙国一致的に採択されるだろう。

ここで言いたいことは石破「対米従属でない日米基軸」はトランプ「米国第一・覇権」に忠実に従うものだということだ。そもそもトランプ「米国第一・覇権」は「“米国に負んぶに抱っこ”的従属をやめろ」ということだから石破の「対米従属でない日米基軸」は、まさにトランプが日本に求める「日本第一・覇権」そのものだと言える。

この石破寄稿文にはその他、アジア版NATOとの関連で「核共有論」と「核持ち込み容認論」も展開している。

また「米国に不評」とされるアジア版NATOだって米国の言うアジアにおける「格子状同盟への転換」、日韓、日豪、日比、クアッド(米日豪印)、AUCUS(豪英米+日)といったインド太平洋地域の国家間軍事同盟を格子状に網羅するという形で米国もアジア版NATO構築を急いでいるからなんら不協和音を生じるものではない。

結論として石破「対米従属でない日米基軸」は「米国第一・覇権」に従うことこそが「日本第一・覇権」であるということ、このことを強調しておきたい。

◆転機の2025年 「日米基軸のリスク」回避策は「戦後日本の革命」

「例外主義・覇権」のバイデンによって陥った戦後世界秩序「瓦解」事態の起死回生策を、対中新冷戦に集中するトランプ「米国第一・覇権」に託した米国だが未来は暗い。

三正面作戦が一正面作戦になったからといって中国を軍事、政治、経済的に凌駕する力はいまや米国にはない。ましてや日本やNATO諸国に「自国第一」で「地域の国際秩序擁護を主体的にやれ」と責任転嫁をしたところで米国よりも力で劣る。これらが束になっても「烏合の衆」だろう。「自由と民主主義・普遍的価値観」も色あせて久しい、米国民すら信じないそんなご託宣にはもう世界の誰も耳を貸さないだろう。

確実に時代は変わった。「パックス・アメリカーナ」の戦後世界秩序は完全に崩壊している。それは米中心の国際秩序が「G7・先進国」、旧帝国主義列強の現代版植民地主義、覇権主義の不正義の国際秩序だと世界が知ったからだ。さらに加えてウクライナや中東ガザで世界はそれを嫌と言うほど痛感させられた。

世界は新しい国際秩序、脱覇権多極化の時代へと大きく動きを開始した。来る2025年はまた新しい転機の年となるであろうと思われる。

でもわが国では「対米従属でない日米基軸」石破政権、それも与野党連合「挙国一致」的政権下でトランプ「米国第一・覇権」の要求に従い「日本第一」のスローガンの下、わが国の対中対決の代理“核”戦争国家化が着々と進められていく。

この「日米基軸のリスク」は同じ代理戦争でも“核”が入ることで「東のウクライナ」どころではすまないだろう。

「日米基軸のリスク」回避策は、くどいようだが「米国についていけば何とかなる」生存方式から脱すること、「戦後日本の革命」をやるしかない。だからといって、いまこれを担える主体、政治勢力が全くないとは思わないがいまだ少数で力も微弱。はっきり言って展望はまだ見えない。もしかしたらピョンヤンからは見えないところで新しい動きがあるのかもしれないが・・・。

「ピョンヤンから感じる時代の風」には大きな希望を感じる。日本でも時代の風を感じる人は多いはず、時代に敏感な若い人たちに希望を託したいというのがいまの素直な気持ちだ。

2025年にはどうか日本にも新しい風の吹くことを切に祈っている。

ピョンヤンの地で考えること、吠えること、祈ることはできる。できることをやり続けていれば何時か希望も現実になることを信じるだけだ。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』