昨年末、世田谷一家殺害事件や「餃子の王将」社長射殺事件など12月に起きた「未解決事件」に関する報道をよく見かけたが、1月に起きた事件の中にも未解決の重大事件は少なくない。筆者が居住する広島市にも該当する事件が2つある。

1つは2000年1月20日、市の中心部に程近い西白島町の地下道で起きた少女殺害事件。当時16歳の被害少女は深夜3時50分頃、帰宅中に地下道で何者かに刃物で刺され、死亡した。事件後、市内の11の地下道に防犯カメラが設置されたが、事件は発生から16年も未解決。そのため、広島県警は今もホームページで事件に関する情報を募っている(http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police-hiroshimachuo/16sai.html)。

火災で家族3人が亡くなった事件の現場。しばらく空き地だったが、今は家が建っている

もう1つの事件は2001年1月17日、広島市西区の住宅街で起きた。深夜3時半頃、中村小夜子さん(事件発生当時53)宅が火事になり、焼け跡から小夜子さんと孫の姉妹・彩華ちゃん(同8歳)、ありすちゃん(同6歳)の計3人の焼死体が見つかった。小夜子さんの遺体に首を絞められた痕跡があったため、「放火殺人事件」と断定した県警は本格的な捜査に乗り出した。ところが――。

発生から15年経っても「未解決」であるにも関わらず、今、県警がこの事件を捜査している様子はまったく窺えない。県警のホームページを見ても、この事件の情報は募っておらず、3人の命が奪われた重大未解決事件を完全無視状態なのである。

◆捜査しない理由

なぜ、県警は捜査しないのか。それは一度、無実の男性を犯人だと誤認し、検挙してしまったことによる。

冤罪被害に遭ったその男性は中村国治さん(同30)。小夜子さんの長男で、彩華ちゃん、ありすちゃんの父親だ。中村さんは事件の前年に離婚し、事件発生当時は2人の娘と共に実家である小夜子さん宅で暮らしていた。しかし火災があった時は家におらず、家族の中で1人だけ難を逃れていた。県警はそこに疑いの目を向けたのだ。

実際には、中村さんが夜間に家にいないのは事件の日に限った話ではなかった。家には夜間、自分の車を駐車するスペースがないため、中村さんは毎夜、小夜子さんの経営する喫茶店で過ごしていただけだ。

しかし、県警は事件発生の5時間後から早くも中村さんを長時間取り調べるなど、犯人扱いだった。中村さんが当時乗っていた車も隅々まで捜索。その結果、犯行の痕跡は何も出てこなかったのに、なおも中村さんに執着し続けた。そして5年半も経ってから中村さんを詐欺の容疑で別件逮捕すると、過酷な取り調べで殺人や放火の容疑を自白させ、再逮捕したのだ。

その挙句、裁判が始まると、有罪証拠は事実上、捜査段階の自白調書のみだったことが明るみに。そして裁判で自白を撤回し、無実を訴えた中村さんは第一審から上告審まで3度、検察官に死刑を求刑されながら、いずれも無罪と判断されるという異例の事態となったのだ。

◆「被害者や遺族のために」と口では言うが・・・・・・

ただ、そんな重大な冤罪でありながら、この事件はマスコミであまり冤罪として扱われてこなかった。むしろ、最高裁で無罪が確定した際には、〈3人の死 真相は闇の中〉(中国新聞2月25日朝刊)などという無罪確定に懐疑的な報道が目立った。それは、広島地裁の第一審で無罪判決が出た際、裁判長が「シロではなく灰色かもと思うが、クロと断言はできなかった」などと異例の付言をしたことなどが原因だ。

実際には、この事件はクロの証拠が乏しいのみならず、中村さんがシロだと示す事実がいくつも明るみになっていた。たとえば、検察官は中村さんが保険金目的で犯行に及んだと主張したが、裁判ではそもそも中村さんは小夜子さんが保険に入っていたこと自体をよく知らなかったことが明らかに。娘2人にかけていた保険については、3か月も掛け金を滞納しているなど、およそ保険金殺人犯らしからぬ事実も浮き彫りになっていた。

また、自白調書では、中村さんは小夜子さんの部屋のあちこちに5・5リットルの灯油をまいたうえ、ライターで灰皿の吸い殻に点火し、放火したことになっていた。しかし事件発生の直後、県警の捜査員は中村さんの体や車を隅々まで調べながら、凶器の灯油を一切検出できなかったばかりか、灯油の匂いすら感じ取れていなかったのだ。

重大な未解決事件に関する報道では、警察幹部が被害者や遺族のために事件解決を誓うようなコメントを発するのが常である。しかし実際には、この広島の事件に限らず、警察が被告人の無罪判決確定後、真犯人検挙のために捜査を再開したためしはない。警察が犯人検挙にこだわるのは必ずしも被害者や遺族のためではないことがここによく現れている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎ガンから生還!「国松警察庁長官を撃った男」から届いた決意表明の手紙
◎10月はなぜ未解決の重大事件が多いのか? 刺殺、放火、バラバラ殺人も迷宮入り
◎再審取り消し決定文書にもパクリ疑惑!──冤罪説が根強い鹿児島「大崎事件」
◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2月号!【特集】安倍政権を支える者たち!

菅直人元首相が名誉棄損で安倍晋三現首相を訴えた裁判が12月3日に行われ、東京地裁は菅元首相の請求を棄却した。この判決について毎日新聞はこう報じている。

東京地裁:菅元首相の請求棄却 「安倍首相が名誉毀損」(毎日新聞2015年12月03日付)

民主党の菅直人元首相が、東京電力福島第1原発事故の対応を巡る安倍晋三首相のメールマガジンの記載で名誉を毀損(きそん)されたとして、謝罪記事の掲載と1100万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は3日、菅氏の請求を棄却した。永谷典雄裁判長は「メルマガの重要な部分は真実」と述べた。

安倍首相は自身の公式ホームページに2011年5月20日付で「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメルマガを掲載。東日本大震災発生翌日の同年3月12日に実施された原子炉への海水注入について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」などと記した。実際は海水注入は停止されず継続された。
判決は「再臨界の可能性を質問した菅氏の気迫に押され、東電幹部や官邸のメンバーが海水注入を再検討した経緯があった。菅氏には海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」と指摘した。

菅氏は判決後に記者会見し「重大な事実誤認があり承服できない。控訴する」と話した。安倍首相の事務所は「当方の主張が認められた」とのコメントを出した。【島田信幸】

これだけの記事では詳細が何のことやら一般の読者には充分な理解が出来ないのではないだろうか。

この問題を含めて、私たちは10月8日菅元首相に取材を行っている。そのインタビュー記事は先月25日発売されたばかりの脱原発雑誌『NO NUKES voice』第6号に掲載されている。簡単にまとめれば経緯は以下の通りだ。

◆安倍メルマガ掲載翌日の2011年5月21日、読売、産経の2紙が一面トップで報じた理由

安倍現首相は自身のメルマガに上記通り「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題した文章を2011年5月20日に書いている。元首相といえども当時の安倍は野党の一議員に過ぎない。しかし翌日、読売新聞、産経新聞は1面トップでこの「恣意的誤報」を大々的に報じている。読売新聞の見出しは「首相意向で海水注入中断」だ。ご丁寧にも安倍の「首相が誤った判断で(海水注入)を止めてしまった。万死に値する判断ミスでただちに首相の職を辞すべきだ」とのコメントまでと掲載している。

菅元首相によると、この「海水注入中断造話」は東電社員が情報を大手メディア各社に配ったのだという。

このメルマガでの安倍の記述を大々的に報道したのは全国紙では読売、産経のみで朝日、毎日は掲載していない。そのことからも事実がどこにあったのかを推認することは難しくない。

2011年5月21日付読売新聞1面

◆その後、安倍側が2011年5月20日掲載記述を削除した理由

菅元首相は訴えの中で、1)メルマガ記載文章の削除、2)謝罪、3)名誉棄損の損害賠償を求めていると取材の中で明らかにした。安倍側は当初、全面的に争う姿勢を見せながら、ある時期こっそりと2011年5月20日の掲載内容を削除している!やましくないのであれば係争中の文章をこっそり削除する必要があるだろうか。

菅元首相は「傑作なのはこれから1週間経った時に吉田昌郎(当時福島第一原発所長・故人)がそんなことはなかったと言っていることです」と続けた。さらに「なんで新聞がこんなことを書くのか、私は海水注入を怒鳴って止めたことは一度もないですよ。海水注入で廃炉になるのだというのなら、それは東電が気にする事であって、私がそんなことを気にするはずもないですよ。海水に変えることを誰も反対していませんでした」と私たちの質問に明言した。

3月12日午後6時頃から官邸での打ち合わせで海水に切り替える相談をしていました。そこに東電から来ていた武黒一郎氏(当時副社長)は『切り替えに1時間半くらいかかる』というので、私は原子力安全委員会委員長の班目春樹氏に2つ質問をしました。
12日朝ヘリコプターで福島第一に向かう途中班目氏に『水素爆発は大丈夫ですか』と聞いたところ『圧力容器に水素が漏れても、格納容器内は窒素で満たされているので爆発はしません』との答えでした。でも午後3時ごろ1号機は爆発するわけです。私と班目さんは同じ場所にいて、その時も東電からの連絡は大幅に遅れました。民間のテレビ局が放送するまで連絡をしてこないのです。東電は。爆発から2時間後です。そこで班目氏が言ったのは『建屋まで水素が流れていくことまで気が回らなかった』でした。
そういうことがあったので(心配して)海水を注入した時、塩分の影響が出ると想像されるがそれはどうですかと、それが一つです。もう一つはメルトダウンしてメルトスルーすると再臨界の恐れはないか、それを非公式に外部の専門家にも意見を聞き、「懸念がないわけではない」と言われていたので『再臨界の恐れはないですか』と班目さんに聞きました。『可能性はゼロではありません』と彼は答えました。
このやり取りを誰かが「海水注入を止めた」と全く脈略の違う解釈をしたわけです。(『NO NUKES voice』6号特集インタビューより

つまり、菅元首相は一度も海水注入を止めていない。「塩分による影響」に対する質問が「海水注入停止」にすり替えられている。判決も「海水注入停止はなかった」と認定しながら安倍がメルマガで「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」と安倍の事実誤認を問題にしていない。いかに時の最高権力者への司法判断とはいえ、全くの不当判決というほかない。

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◎「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◆菅元首相の「承服できない判決・控訴する」は当然だ!

菅元首相は12月4日、自身の公式ブログで「承服できない判決・控訴する」と強い決意を述べている。私が電話取材をお願いしたところ、ご本人が「係争中なので公式のコメント以上は述べにくいから理解してほしい」と話されたが、周辺事情を含め丁寧なご説明を頂いた。

この裁判の背景を含み菅元首相が語る3.11──。その直後から官邸内でなにが起こったのか、何が隠されたのか、知られざる多くの事実を菅元首相は『NO NUKES voice』第6号で語ってくれている。是非ご一読を。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策
◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

「え、嘘だ……」とまた全身の力が抜けた。

布川事件の冤罪被害者、杉山卓男さんが先月亡くなっていたからだ。そういえば、昨年の夏頃以来、杉山さんから電話やメイルが来ることはなかった。それ以前は飲みに行った先から「田所さん、遠いだろうけど今綺麗な女の子と飲んでるから来ませんか」と、関西在住の私にいたずらメイルがときどき飛んで来ていた。深夜に関西から首都圏に行けるはずなどないのに。

私は布川事件を知ってはいたけれども、杉山さんや桜井昌司さん(杉山さん同様に逮捕有罪判決を受けた冤罪被害者)の支援活動を別段していたわけではない。杉山さんとはたまたま冤罪被害者を支援している方を通じて知り合うことができ、明け透けな性格とお互いの容姿にちょっとした共通点があったことから、親しくお付き合いさせていただくこととなった。

映画『ショージとタカオ』(右が杉山卓男さん)(2010年井手洋子監督作品)より

◆『冤罪』食らったからって、聖人君子じゃないよ!

杉山さんは自分が「不良だった」と飲むといつも語っていた。本音ではないだろうが「おらさ、刑務所に入っていてよかったと思ってるんだ。娑婆に居たら何してたかわかんねーからな」と何度も口にしていたのが印象に残っている。たしかにその可能性は低くはなかったのかもしれない。そこそこ飲んで気持ちよくなると、あの大柄で色白の男の茨木弁からは、書くにははばかれるセリフを連発していた。

でも、杉山さんは身近な人なら誰でも知っている、頭の切れる人だった。ご自身の冤罪の再審請求も獄中で裁判資料を見直す中からきっかけを見つけたというし、私が「冤罪被害者は国による犯罪の被害者だけれども、全員が清廉潔白な人格の持ち主というのは間違っている。普通の人が『犯人』に仕立て上げられたのだから、色んな人がいるんじゃないですか」と酔いにまかせて語った時、冤罪被害者を含めその場にいた人はみな沈黙してしまったが、杉山さんだけはすぐさま「そうそう、田所さん、ええこというねぇ。ズルい奴もけっこういるし、立派な人もいる。『冤罪』食らったからって、聖人君子じゃないよ!」と同意して下さった。

嘘半分、本当半分のあの茶目っ気にあふれたメイルが来なくなったのは、報道によると昨年夏ごろから病気療養されていたからだったのだろう。短い時間だったけれども杉山さんは私の心を開いて、なんでも楽しく話しをさせて頂ける貴重な方だった。事件の経緯やその後の騒ぎについて、時々話題にすることはあったけれど、本音をいえば私にはあまり興味はなかった。それよりも目の前にいる杉山さんの人格の豊かさがいつも楽しい気分にさせてくれた。ご家族内の相談や「選挙権を手に入れたけど、どこにいれたらいいんだ」ということまで、時に電話を頂いていた。

あああ、また最近経験したのと同じ後悔だ。杉山さんから連絡が無くなった時にこちらから、お伺いの連絡をしておくべきだった。

杉山卓男『冤罪放浪記 布川事件 元・無期懲役囚の告白』(2013年7月河出書房新社)

◆獄中にいた人々へ向ける杉山さんの非凡な視座

杉山さんは若いころ「不良」だったそうだ。間違いないだろう。しかし「冤罪放浪記」(2013年河出書房新社)の中で、永山則夫さんとの交流、袴田巌さん、金嬉老さんをはじめとする獄中にいた人々へ向ける杉山さんの視座は、凡人のそれではない。永山さんの思想性を切り捨て、金さんの傲慢ぶりを平然と暴く。実際のところがどうだったのかはわからないが、杉山さんは様々な「支援しますよ」と近寄って来る人にある種の「教唆」をされても、自身が納得をしなければ受けつけなかったそうだ。逆境でも独立した「個」を持ち続けた意思の持ち主だった。

そして30年の貴重な年月を、この島国の唾棄すべき司法によって奪われた杉山さんの思いは「冤罪放浪記」の帯に記されたことばに集約されるだろう。

「裁判官の皆さん、検察、警察の皆さんに対しては、『私への謝罪は必要ない』ということを、この場を借りて言っておきたいと思います。謝られても、許すつもりはありません。  杉山卓男」

杉山さんは怖い人だった。そして底抜けに優しい人でもあった。彼の薬指には指輪のような刺青があった。「それどうして、彫ったんですか?」と聞いたら「これはね、19の時に悪さして、もう母親には迷惑をかけないように、って誓ってね。それで彫ったの」と杉山さんは答えてくれた。本当かどうかは分からないけど、お母さんへの思いはいつも語っていた。

杉山さん、私がそっち行ったらまた飲みましょう。


映画『ショージとタカオ』予告編(2010年井手洋子監督作品)

◎『布川事件』えん罪被害者支援会HP=http://www.fureai.or.jp/~takuo/fukawajiken/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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するな戦争!止めろ再稼働!『NO NUKES voice vol.5』創刊1周年記念特別号!

〈長らくご無沙汰していましたが、最近は手術の予後の休養生活に入り、テレビの特番の放送も二回実現したことで、状況も一段落しました〉

先日、10カ月ぶりに届いた彼の手紙はそんな書き出しで始まっていた。手紙の主は中村泰(ひろし)、85歳。あの歴史的未解決事件、国松孝次警察庁長官狙撃事件の犯人だという説が根強い男だ。

中村から10カ月ぶりに届いた手紙

国松長官が自宅マンション前で狙撃され、瀕死の重傷を負ったのは今から20年余り前の1995年3月のこと。全国警察約26万人のトップが狙撃されるという超重大事件だけに警察は犯人検挙のため、威信をかけて捜査に取り組んだ。しかし、捜査を主導した警視庁公安部はオウム真理教犯行説に固執して迷走し、結局、2010年に事件を迷宮入りさせてしまう。一方、この間に警視庁の刑事部が犯人とみて、追及を続けていたのが中村だった。

中村が国松長官狙撃事件の捜査線上に浮上したきっかけは、2002年に名古屋で銀行の現金輸送車を襲撃し、逮捕されたことだった。中村はその後、獄中にいながらマスコミと接触し、自分が長官狙撃犯だと訴えるようになった。その自白内容には犯人でないと語れないような内容も多く、中村こそが長官狙撃犯だと考える取材関係者も少なくない。かくいう筆者もその一人である。

筆者は今年1月4日に当欄で、この中村が病に冒され、医療施設で闘病中だということを報告した。この時には病名は伏せたが、実は中村が見舞われた病は直腸癌だった。筆者は正直、年齢も年齢だし、大丈夫かな……と心配していたのだが、無事と近況を知らせるために届いたのが冒頭の手紙だった。

◆抗癌剤治療を受けながら著書を執筆中

手紙によると、服役先の岐阜刑務所は医療体制が不十分なため、中村は昨年末に大阪医療刑務所に移送され、今年初めに手術。術後の経過はよく、現在は岐阜刑務所に戻され、抗癌剤治療を受けながら静養しているという。

〈抗癌剤なるものはいろいろ副作用がありまして、万全の状態とは言えません〉

手紙では、そんな苦労も綴っていた中村だが、一方でテレビ朝日が昨年8月と今年3月、特別番組で自分のことを長官狙撃犯であるかのように報じたことを喜んでいた。

〈私としてはこれで警視庁の大嘘つきどもに一矢なり二失なり報いてやれたわけで、どうやら病苦の埋め合わせができたように思います〉

中村の犯人説を追った本「警察庁長官を撃った男」(鹿島圭介著)。中村曰く、本の内容は大半が事実だという。

中村は国松長官を狙撃した目的について、地下鉄サリン事件発生後もオウムへの強制捜査に及び腰だった警察をオウム制圧に駆り立てるためだったと語ってきた。そして自分の謀略通り、警察はオウムが長官を狙撃したと誤認し、制圧に動いたが、この自分の功績を世に知らしめたくなり、我こそは真犯人だと訴えるようになったと説明している。今回は取材協力したテレビの放送により、自分を犯人と認めない警視庁公安部に一泡吹かせてやったという思いらしい。

そんな老殺人者は現在、自著の執筆も進めているという。

〈不自由きわまる環境ですから、なかなか大変なのですが、支援者の協力も得ながら先行き短い命の続くかぎり、努力を続けていく覚悟を固めています〉

警察庁長官が狙撃されるという日本の戦後史に残る重大事件がこのまま未解決で終わっていいはすがない。中村が本当に国松長官を狙撃した犯人ならば、命あるうちに事件の真実を書き残してもらいたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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するな戦争!止めろ再稼働!『NO NUKES voice vol.5』創刊1周年記念特別号!

社会の耳目を集めた未解決事件については、毎年、事件が発生した日が近づくと、マスコミが捜査の現状や関係者の近況などを報道するのが恒例だ。そんな中、10月は重大な未解決事件がとくに多い月であるように筆者は感じている。

たとえば、警察庁が現在、捜査特別報奨金制度の対象にしている事件だけでも、
(1)2004年10月5日に起きた広島県廿日市市の女子高校生刺殺事件
(2)2009年10月26日に被害者が行方不明になったことに端を発する島根県立女子大生バラバラ死体遺棄事件
(3)2010年10月4日に起きた神戸市北区の男子高校生刺殺事件
と、3件がある。

また、あまり有名な事件ではないが、1999年10月2日に東京都目黒区の目黒不動尊の境内やその周辺で会社経営者の男性のバラバラ死体が見つかった事件や、2000年10月5日に札幌市豊平区でタクシー運転手の男性が刺殺されて現金を奪われた強盗殺人事件なども現在のところ未解決。それぞれ警視庁と北海道警のホームページで情報提供が呼びかけられている。

一方、世間一般には「解決済みの事件」と認識されているが、実際には未解決の事件もいくつかある。警察が犯人ではない人を間違って検挙し、そのまま有罪が確定してしまった冤罪事件がそれである。この「冤罪未解決事件」についても、実は10月に発生した事件は少なくない。

◆「冤罪の疑い」が指摘されている大量放火殺人犯

たとえば有名なのが、先日当欄で「再審取り消し決定のパクリ疑惑」を紹介した大崎事件だ。 1979年10月15日、鹿児島県大崎町で男性の死体が牛小屋で見つかり、原口アヤ子さん(88)ら親族4人が殺人などの容疑で検挙されたこの事件では、懲役10年の判決を受けた原口さんが一貫して無実を訴え、現在は鹿児島地裁に第3次再審請求を行っている。共犯とされる親族3人の信ぴょう性を欠く自白以外には有罪証拠は事実上存在せず、その再審請求活動の現状はマスコミでもしばしば取り上げられている。

16人が亡くなった大阪市浪速区の個室ビデオ放火殺人事件の現場は現在、駐車場に。

一方、世間一般ではあまり知られていないが、密かに冤罪の疑いが指摘されている重大事件もある。2008年10月1日、大阪市の浪速区で起きた個室ビデオ放火殺人事件がそれだ。

店内にいた16人が死亡する惨事となったこの事件では、火災発生時に客として店にいた小川和弘が殺人や現住建造物等放火の容疑で検挙され、裁判では無罪を訴えながら2014年3月に最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定した。確定判決では、小川は自分の現状を惨めに思い、衝動的に自殺を思い立ち、持参していたキャリーバッグに火をつけたとされた。しかし、めぼしい有罪証拠は捜査段階の自白だけ。しかも現場の個室ビデオ店では、火災発生時に小川が滞在した18号室より、その近くにある9号室のほうがよく燃えており、火元は9号室だったのではないかという疑いが指摘されていたのだ。

小川和弘死刑囚が収容されている大阪拘置所

実を言うと筆者は、最高裁の判決が出る半年ほど前、大阪拘置所に収容されていた小川と面会したことがある。マスコミ報道では、顔がやつれて、目がうつろな写真ばかりが紹介されていた小川だが、実際に会ってみると、顔はふっくらし、精悍な顔つきの人物だった。

「はっきり言うて、冤罪ですから。最高裁にも『火元が違う』言うて、(上告審の)弁護士さんが鑑定書出していますからね」

小川は面会室で筆者にそう言い切ったが、何らやましさを感じさせない堂々とした態度に、やはりこの人、冤罪なのではないか……という心証を抱いたものだった。

もうすぐ10月は終わるが、ここで紹介した事件が解決したというニュースは今年も聞かれなかった。容疑者が検挙されていない事件はもちろん、無実の容疑者が捕まっている事件も一日も早く真犯人の検挙に至って欲しいと願うばかりだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎再審取り消し決定文書にもパクリ疑惑!──冤罪説が根強い鹿児島「大崎事件」
◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑

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するな戦争!止めろ再稼働!『NO NUKES voice vol.5』創刊1周年記念特別号!

ノンフィクション作家の佐野眞一氏に、STAP細胞の小保方晴子氏、そして今年「渦中の人」となった東京五輪エンブレムの佐野研二郎氏など近年、大型のパクリ騒動が相次いでいる。そんな中、ある冤罪説が根強い事件に対する裁判所の決定文にも重大なパクリ疑惑が見つかった。

◆ほぼ丸ごと転用

その事件は、鹿児島県の大崎町で1979年10月、牛小屋で男性の死体が見つかった通称「大崎事件」だ。殺人罪に問われ、懲役10年の判決を受けた親族の原口アヤ子さん(88)は一貫して無実を訴え、現在は3回目の再審請求中。有罪証拠は共犯とされた他の親族3人(全員故人)の信ぴょう性を欠く自白しかなく、2002年に鹿児島地裁が再審開始決定を出したこともある。しかし2004年12月、福岡高裁宮崎支部が再審開始を取り消す決定を出したため、原口さんは88歳の今も雪冤を果たせずにいる。

この福岡高裁宮崎支部の再審取り消し決定は問題が色々指摘されているが、とくに有名なのが以下の一節だ。

<このような判断のあり方は、判決が確定したことにより動かし得ないものとなったはずの事実関係を、事後になって、上記のとおりそれ自体としては証拠価値の乏しい新鑑定や新供述を提出することにより、安易に動揺させることになるのであり、確定判決の安定を損ない、ひいては、三審制を事実上崩すことに連なるものであって、現行刑訴法の再審手続とは相容れないものといわなければならない。>

つまり、この決定を出した裁判官たちは確定判決で認定された事実関係が「動かし得ないもの」と決めつけ、再審制度の存在自体を否定しているわけである。大崎事件を冤罪だと信じる人たちがあちらこちらで批判しているが、それも当然の酷い判断だ。

そして実を言うと、この有名な一節はほぼ丸ごと転用により書かれていたのである。転用元は、東京高裁が2001年10月29日、別の再審請求事件の即時抗告審=事件番号は平成9年(く)第170号=で出した決定文である。その東京高裁の決定文の該当部分を示すと以下の通りだ。

<判決が確定したことにより動かし得ないものとなったはずの事実関係を、事後になって、それ自体としては証拠価値の乏しい新証拠を提出することにより、安易に動揺させることになりかねない。そのような事態は、確定裁判の安定を損ない、延いては、三審制を事実上崩すことに連なるものであって、現行刑訴法の再審手続とは相容れないものといわなければならない。>

2つの決定文のうち、同じ記述の部分を太字にしたが、福岡高裁宮崎支部の再審取り消し決定が東京高裁の決定文を転用しているのは一目瞭然。判決文や決定文には著作権はないが、「パクリ」と言われても福岡高裁宮崎支部の裁判官たちは否定しようがないはずだ。

◆パクリ裁判長はあの有名冤罪にも関与

この問題の決定文を書いた福岡高裁宮崎支部の裁判長は岡村稔氏といい、現在は東京で弁護士をしている人物だ。東京高裁に所属していた頃には、あの有名な冤罪・足利事件の控訴審で右陪席裁判官を務め、高木敏夫裁判長と共に菅家利和さんの控訴を棄却したこともある。そして実を言うと、転用元の東京高裁の決定を書いた裁判長がこの高木裁判長である。

このパクリ行為からは岡村氏がかつて上司だった高木裁判長を大変信頼していたことが窺えるが、いずれにせよ、めったなことでは出ない再審開始決定を取り消すにあたり、こんな手抜きをする感覚は理解しがたい。なお、筆者はこの件について、岡村氏に取材を申し入れたが、事務所の女性職員を通じ、取材を断ってきた。

コピペ決定により、雪冤の希望を一度絶たれた原口さんは、年齢的にも現在の第3次再審請求が雪冤の最後のチャンスになる可能性が高い。今度こそ真っ当な司法判断が下されて欲しいと思う。

岡村氏が現在所属する弁護士事務所の入ったビルは都心の一等地にある

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎《我が暴走07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]

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本コラムで先日来、お伝えしていたハンスト学生関係者が暮らすシェアハウス「りべるたん」に警察が暴力的に押し入った動画が公開された。
この動画は現場で撮影を敢行したジャーナリスト藤倉善郎さん撮影によるものだ。この動画を見た方々はどうお感じになるだろうか。
私は敢えて多くをコメントしない。ご感想と判断は読者の皆さんの判断に委ねたい。


◎[参考動画]「りべるたん」家宅捜索(藤倉善郎さん2015年9月26日公開)

シェアハウス「りべるたん」に押し入る警官(写真提供=藤倉善郎さん他)

真ん中の男が辻則夫=警視庁公安部公安1課警部補(写真提供=藤倉善郎さん他)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎見せしめ逮捕のハンスト学生勾留理由開示公判──大荒れながらも全員釈放!
◎安保法採決直後に若者弾圧!ハンスト学生への「不当ガサ入れ」現場報告
◎快挙は国会前デモだけじゃない!──6日目124時間を越えた学生ハンスト闘争
◎8.27反安倍ハンストの大きな意味──開始直後の学生4人に決起理由を聞いてみた!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

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「ガサ入れ」、「勾留理由開示公判」、「公妨」、「警備法廷」……。ご存知の方には耳慣れた言葉でも、興味のない方には何のことやらさっぱり意味が解らないかもしれない。でも、この島国に住む全ての人々がこれからは上記の言葉の意味を理解していなくてはならない時代になった。

◆9月16日国会前冤罪逮捕、24日不当ガサ入れに続き、25日は勾留理由開示公判!

9月16日国会前で「戦争推進法案」に反対して集まった多くの人びとの中から、まったくの「冤罪」で13名が逮捕される事件が起こった。

24日被逮捕者に関係する数か所が警視庁公安の「強制捜査」(ガサ入れ)を受け、私もそのうちの1か所「りべるたん」で公安警察と名乗る「暴力集団」の狼藉の一部始終に付き合った(24日付記事参照)が、25日は東京地裁310法廷でまだ釈放されていない6名のうち2名の「勾留理由開示公判」が行われた。

秋雨が降り一気に肌寒さを増す悪天候ながら、開廷予定10時の1時間前には約30名の支援者が集まり、支援集会が開かれた。今回の法廷は悪名高い常時警備法廷である「429号」法廷の隣、「430号」法廷だ。「429号」法廷には33席の傍聴席があるが、「430号」法廷には20席しか傍聴席がない。

傍聴者の数を制限しようとする、裁判所の悪意は明白だったので、事前集会でもそのことへの追求や糾弾発言が相次いだ。午前9時30分、傍聴券の抽選が行われた。日頃行いの悪い私は今回も抽選から外れてしまったが、支援者の皆さんのご協力で傍聴券を譲って頂き法廷内に入ることができた。

「経産省前」でやはり不当逮捕された3名の「勾留理由開示公判」は「429号」法廷で開かれたが、その時以上に裁判所は警戒度を高めていたのだろう。

傍聴券を手にして法廷に入ることが出来る20名の他、支援者たちも地裁4階に集結し、「どうしてもっと大きい法廷で開かないんだ!」、「裁判所は傍聴させろ!」と開廷時間前から裁判所職員に抗議の声をぶつけた。この日、午前10時から「429号」法廷では何の審理もおこなわれていないことが判明したので、抗議の声はより高まった。

◆傍聴者全員を犯罪者扱いするような金属探知機による身体検査

東京地裁(高裁)は建物に入る際に金属探知機で全員が「身体検査」を受けるが、「警備法廷」傍聴の者は、筆記用具以外全ての荷物を裁判所に預けなければならないという「身勝手」なルールがある。私は傍聴できない方に全ての荷物を預かって頂き、多くの職員の間を通り法廷前に進んだ。ここでまた改めて「金属探知機」による身体検査がある。まるで犯罪者扱いだ。

そして「430号」法廷の前に移動するが、傍聴に入った人が、「430号」法廷向かいの法廷の傍聴席に3名が着席していることを発見した。向かいの法廷は今日審理の予定が張り出されていない。つまり誰もいるはずがない、いてはならない場所に照明がともり「何者か」(警察の疑いが濃厚)が控えていることが判明した。

「おかしいじゃないか」の声が上がる。「開廷予定のない部屋に照明がともり不審者がいる。中を調べろ」と裁判所の職員に要求するが、一向に取り合う気配はない。開廷予定は午前10時であったが、弁護団の1名が他事件の接見で到着が遅れたために、開廷時間は30分ほど遅れた。到着した弁護士に、支援者が早速不審者が控えている旨を伝える。

定刻から約40分遅れで傍聴者の入廷を許されたが、開廷前にもかかわらず裁判官は「私語や拍手などあれば即退廷を命じます」と威圧的な発言をした。

◆拍手をしただけの傍聴者を法廷外へ排除する有賀貞博裁判官

この裁判官の名は「有賀貞博」 。そうだ。経産省前で逮捕された3名の「勾留事由開示公判」の際にも法廷を仕切り、多数の「退廷命令」を乱発し、挙句の果て「閉廷後の全員退廷命令」まで出した「退廷専門裁判官」だ。10時40分、被逮捕者が入廷してきた。拍手をした傍聴者に早速「退廷命令」が出される。まだ有賀は「開廷」を宣言していないのに、体格だけ大きくて暴力が大好きな裁判所職員が傍聴者1名を取り囲み、無理矢理法廷外へ排除した。

すかさず弁護団が「おかしいじゃないか、開廷も宣言していないのに何で退廷なんだ!」と抗議するが有賀は無視。続いて10時41分、被逮捕者に「頑張れ!」と声をかけた傍聴者がまたしても数人の「乱暴者」達により抱えられて無理矢理法廷外へ連れ去られた。

前回傍聴した「勾留理由開示公判」で有賀は弁護団の求釈明にほとんどまともに回答しなかった。この日も入廷して以来、1分に1度くらいの割合で法廷後部の壁に掛けられた時計をしきりに見ている。有賀には身柄を拘束されて非道な扱いを受けている冤罪被害者の「勾留理由」を説明するつもりなど最初からまったくなく、ただ形式的に弁護団の求釈明に「答えません」、「先ほど話した通りです」を繰り返し、この場を乗り切ろうとする姿勢がありありとうかがえた。しかも有賀の物言いは極めて高圧的だ「静かにしなさい」、「被疑者は黙りなさい」と命令口調に終始する。「お前は何様だ!」と怒った弁護士もいた。

不当拘束をされ、まともに「勾留理由」を開示しようともしない有賀に、被逮捕者が怒るのは当然だろう。何度も被逮捕者は有賀を糾弾する言葉を投げつける。

検察からは3名が出て来ていた。「全員名前を名乗れ」との弁護団の要請を、有賀は「発言した検察官に限り名前を名乗るように」と、裁判所=検察癒着体質を露わにする。そもそも「勾留理由開示公判」で検察が出廷していようとも発言することは稀だから、名前を名乗るチャンスはほとんどありはしないのだ。唯一「吉田純一」という検察の中でも「公安事件専門」と言われる検察官が苗字だけ名乗ったが、弁護団の「姓名を名乗れ」の要求を有賀は「その必要あありません」と却下した。

吉田のフルネームが判明したのは、傍聴席にかつて吉田に取り調べを受けた経験のある人がいたからだ。

弁護団は「求釈明を項目ごとに読み上げるので、その都度、理由の説明をして欲しい。そうでないと被疑者の人も傍聴席の人も訳が分からなくなる」と有賀に要求するも、有賀は「全て読み上げた後に回答します」と答えるのみだ。どうせ、「先ほど述べた通りです」、「これ以上は答えません」以外にこの裁判官という名の「国家権力の犬」(弁護団の表現)は語るつもりはないのだ。

私が知る限り、有賀の語彙は「前に述べた通りです」、「これ以上は答えません」、「被疑者は静かにしなさい」、「退廷を命じます」だけだ。

これだけの語彙で「裁判官」という職業は務まるらしいのだから、司法試験なんか不要なんじゃないか。有賀と同じ采配と発言なら私にだってできる。それほどこの男は許しがたく被逮捕者や傍聴人を冒涜する。本質的な意味において「悪人」である。

◆逮捕勾留は「弾圧のための見せしめ」だった!

11時06分、大した発言もないのにまたしても傍聴者に「退廷命令」が出される。

弁護団が緻密に用意した求釈明に有賀は一切まともに答えなかったのでその間のやり取りは割愛する。

が、ここで珍事が起きた。被逮捕者の両側に座り警備をしている警察官のズボンの中の携帯電話が鳴り出したのだ!

おいおい!法廷内には携帯電話持ち込み規制されて、傍聴者は全員入り口で預けさせられているんだぞ。お巡りさんよ。慌てふためく警察はどこのポケットに携帯電話が入っているのか探るがなかなか見つけられない。間抜けな呼び出し音が鳴り続ける。

おい!有賀!この警察官に何故「退廷命令」を出さなかったのだ!

百歩譲って、被逮捕者の警備が業務の警察官が携帯電話を持っていることまでは認めるにしても、法廷内で傍聴者の僅かな発言には「退廷」を命じるなら、少なくとも「携帯電話の電源を切るように」くらいの命令をすべきだろうが。

9月24日「りべるたん」ガサ入れの際に示された、被疑事実「被疑者は背中で機動隊を押した」には腰を抜かしそうに驚いたが、25日「勾留理由開示公判」に出廷した2名の被逮捕者の方々の嫌疑も、ほぼ同様に「背中で機動隊を押し暴行した」と有賀は冒頭勾留理由を読み上げた。

人権蹂躙と税金の無駄使い、そして不要な国家権力による暴力はたいがいにしろ!としか言いようがない。機動隊の虚偽の申告以外に証拠はないし、目撃証言もない。どう考えたって起訴できるわけがない! つまり、この逮捕勾留は「弾圧のための見せしめ冤罪逮捕」以外の何物でもない。

弁護団の意見陳述では3弁護士の怒りが爆発した。「話にならない。有賀!お前は裁判官であるまえに権力の犬だ!」との発言には私も思わず「よし!」と声を出しそうになったが、退廷を食らっては取材が続けられないのでぐっとこらえた。有賀の視線は相変わらず時計を追うばかりだ。

被逮捕者お二人の意見陳述は見事だった。お一人は裁判官ではなく傍聴席に向かって「今日ここに集結された全ての労働者・学生その他の皆さん!」から始まり、「犯罪者を切り捨てるような視点で平和や社会問題を語ってはならない、それは犯罪を犯さずにはいられないところまで社会から追い詰められた人を切り捨てることになる」ときわめて多くの示唆に富む内容だった。

もうお一方は着席のまま淡々と今日の社会情勢を読み解き、何故この逮捕事件が起きたのか、そしてその意味は何かを極めて高い格調でかたっておられた。

有賀の一本調子と全くの好対照が印象的だった。

閉廷の予感が近づくと傍聴席から多くの声が飛び出した。被逮捕者も裁判所職員に阻まれそうになりながらも、笑顔で傍聴席と握手やガッツポーズを交わす。

有賀はもたないだろう。今日釈放でほぼ間違いないだろうと私は確信した。

その時、「全員退廷」命令が出された。有賀得意技だ。私は検察官の態度が許せなかったので、少し彼らにアドバイス(?)を送った。そうすると若手二人の検察官は泣き出さんばかりにおののいている。何を怖がっているのだ。私如き善良な市民に。

◆私を足蹴りで転ばした東京地裁職員たちこそ暴力集団!

気が付いたら天井が見えていた。裁判所暴力職員に足蹴りで転ばされたのだ。「おい!暴力やないか!」と反撃すると3人がかりで手足を掴んで立ち上がらせようとするが、その際明らかに1名が私の脇腹を(強くはないが)殴ってきた。さすがに私もキレてしまった。それ以降の発言は私の人格に対する誤解を招くので割愛するが、25日の有賀及び東京地裁暴力職員の横暴を私は決して忘れない。

そして、その様子は法廷外でも多くの人びとが直接、間接に見聞きして知っている。この写真は傍聴できなかった人から提供頂いたものだが、閉廷後も抗議の声は暫く止まなかった。

13時から記者クラブで学生を中心に記者会見が行われた。20近いメディアが取材を行った。

14時30分頃、被逮捕者釈放の報が支援者に届き、歓声があがる。その後拘留されていた残り5名全員の釈放決定の連絡が入った。

釈放は当然と言えば当然すぎる。だが愚かにして罪深い警察、検察、裁判所よ。そしてその最終責任者である安倍よ。お前たちの妄動はこのように自立した個と、豊かな個性、人格とその連帯によってことごとく粉砕されていくことを心しておけ。

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▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎快挙は国会前デモだけじゃない!──6日目124時間を越えた学生ハンスト闘争
◎8.27反安倍ハンストの大きな意味──開始直後の学生4人に決起理由を聞いてみた!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

するな戦争!止めろ再稼働!『NO NUKES voice vol.5』創刊1周年記念特別号!

月刊『紙の爆弾』10月号発売中!

[総力特集]安倍晋三の核心!
体調悪化、原発回帰、カルト宗教、対米追従、芸能人脈、癒着企業の深層と真相

2008年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11人に重軽傷を負わせた引寺利明(48)。「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役刑が確定。現在は岡山刑務所で服役中だ。

この引寺が〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉と送ってきた手記を前回に続いて、紹介する。今回紹介する手記の後半部分では、犯罪者たちの服役生活の実情が前回紹介した前半部分以上に詳しく綴られている(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆逮捕時に90キロ近くあったメタボ体型が58キロになってしまった

今現在のワシのメンタルについてはここに書いた通りだが、身体については、この5年間で劇的に変わってしまった。逮捕時には90キロ近くあったメタボ体型が、広拘で70キロ台になり、ここに来てからもガンガンやせていき、ついには60キロを切って58キロになってしまった。(驚)まさしく文字通りのガリガリ君である。

シャバにいた頃には酒は全く飲まなかったが、毎日タバコ2箱ペースで吸いまくり、あま~~い缶コーヒーもガンガン飲んでいたので、20代後半頃から逮捕されるまでの間、数々の会社で働いていた時に受けた健康診断の血液検査では、毎回、肝臓と糖尿の数値がレッドゾーンだった。逮捕されて拘留生活となり、ポリ署ではタバコが吸えたものの、広拘に移管されてからは完全に禁煙となってしまった。(悲)2年ほど経った頃に、医務で血液検査をした所、なな、なんと!!あれほど何年間もレッドゾーンが続いていた肝臓と糖尿の数値が完全に正常値になっており、医師から「血液の数値は全て正常です。すこぶる健康ですよ」と言われてしまった。

ホンマ、人生とは因果なもんよのー。塀の中で強制的に規則正しい生活をする破目になり、その結果、健康になってしまった。

◆ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます

シャバとは違う塀の中での制限がキツイ禁欲生活ではあるが、1年2年と経つうちに慣れてしまった。人間とゆうものは、どんな環境においてもそれなりに順応するもんなんじゃのーと思う。住めば都とはこの事か。刑務所では筋トレをする受刑者がけっこー多いのだが、ワシは筋トレはたいぎいので全くしていない。

ここまでやせられたのは単純に飯のせいである。拘置所も刑務所も飯の量とカロリーが少なすぎる。もうちーたー喰わしてくれーー!!ギブミーカロリー!!って感じである。(笑)塀の中の飯は、文字通り生かさず殺さずである。ここで暮らしているとホリエモンが30キロ痩せたのも十分理解出来る。

雑居房でテレビを見ている時に、うまそうなステーキやスイーツが画面に写ると、みんな口々に「かあーー、うまそうなのーー」「喰いてーのー」「あーあ、もう一生喰う事は出来んのんかのーー」などと言っている。ここでは、いくら金を持っていても好きな食い物は買えない。出された物しか食べられない所がヒジョ~~~~にツライ!!

ちなみに、ナイスバディのイケてるオネーチャンが画面に写った時も「かあーー、えーのー」「たまらんのーー」「パフパフしたいのーー」などどワーワーゆーとります。(笑)ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます。

◆サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念

事件当時の報道にあったように、ワシは無類の車好きです。もうこれから先、自分で車を運転することはないと思うが、やっぱ車が好きじゃのー。ワシが車好きという事と、事件に車を使った事については、ワシにとっては全く別の話じゃ。それはそれ、これはこれじゃ。

受刑者の中にはけっこー車好きな人が多く、工場での休憩時間や運動時間には、アーダコーダと車ネタで盛り上がる事がある。ワシはスーパーカー、チューニングガー、レーシングカーが好きなので、手元にあるゲンロク、オプション、オートスポーツなどの雑誌を、日々ヒマな時に眺めている。ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、若い時には、SA22CやFC3Sを所有していた時期があったのだが、残念ながらFD3Sは所有する事が出来なかった。それがちょっと心残りじゃのー。

シャバにいた頃には、毎年数回ほど岡山国際サーキットやミネサーキット(現在はマツダのテストコースになっている)へ出向いて、スーパーGTやフォーミュラーニッポンのレースを観ていた。特に好きだったのがスーパーGTを走っていたRE雨宮のRX-7で、あのペリチューン独特のつんざくような高周波のエキゾーストノートにシビれていた。サーキット特有の非日常な世界の光景が大好きだった。もうこれから先、サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念に思う。

ワシはスポーツカーやチューニングカーが好きなので、早いこと新型RX-7が見たいのだが、なかなか出てこんよのー。えーかげん待ちくたびれとるでえー。いつになったら出るんかのー。どの雑誌を見ても、新型ロードスターに関する記事はあっても新型RX-7の記事は全くない。マツダのエンジニアの皆さんには期待しとるけーのー。世界中のRX-7ファンがあっと驚くようなインパクトのあるカッコイイRX-7をデビューさせてくれ。塀の中にも熱狂的なRX-7ファンがいる事をお忘れなく!!

◆柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー

ワシがここに来て一年半が過ぎた。刑務所にキッチリ管理された制限がきつくて刺激のない単調で退屈な日常生活が日々続いている事に、もう飽きてしまった。ホンマ、何だかなーって感じである。

以前見た新聞記事で、全国の刑務所を調査し、無期懲役の受刑者が入所する人数と仮釈で出所する人数の統計があったのだが、無期懲役の判決を受けて入所する受刑者の数は、毎年かるーく何十人かはいるのに、仮釈をもらって出所する受刑者の数は、年に数人ぐらいだった。このバランスの悪さは何なんや。まあー、わかりやすく説明すると、無期懲役で服役している受刑者の大半はシャバに出ておらず、世間に知られる事もなくひっそりと獄中死しとるゆーこっちゃ。

世間に知らされるのは死刑囚の執行だけじゃ。ワシの場合、事件の規模からして、これから先、いかにワシが10年20年30年と真面目に服役したとしても、仮釈なんぞ絶対にありえないだろうと思っている。おそらく大半の受刑者と同じように柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー。

あーあ、な~~んかワシもプリズンブレイクしたい気分じゃのー。(笑)

================以上、手記================

筆者は過去様々な殺人犯に会ってきたが、誰もが引寺のように獄中で無反省の日々を送っているわけではない。しかし一方で、引寺のように刑罰すらも無力だと思わせるような殺人犯もたしかに存在するのである。

引寺が暴走したマツダ本社工場

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》マツダ工場暴走犯の独占手記!
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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反骨の砦に集え!『紙の爆弾』9月号絶賛発売中!

 

〈片岡さん、お元気ですか? ワシはボチボチ元気にやっております。ってゆーか、ホンマ、マジで、ここでの生活に飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きがきております。(笑)〉(筆者注:7つの飽きの右横には・・)

先日、男から久しぶりに届いた手紙は相変わらずハイテンションだった。名は引寺利明(48)。当欄で繰り返し近況をレポートしてきた暴走殺傷犯である。

引寺は2008年6月22日の朝、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11日に重軽傷を負わせた。事件後ほどなく自首したが、その口から明かされた犯行動機は特異なものだった。

「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」

そして引寺は裁判でも被害者や遺族に謝罪せずじまい。逆に公判廷で「ワシがマツダに黒歴史を刻んでやったでぇ!」と叫ぶなど、被害者、遺族の心情を逆撫でする言動を繰り返した。結果、集団ストーカー云々の話は妄想性障害ゆえの妄想だと認定されたが、完全責任能力を認められ、無期懲役が確定。現在は岡山刑務所で服役している。

当欄では、そんな引寺が無期懲役囚となった今も無反省の日々を過ごしていることはすでに紹介した。今回の手紙は便せん13枚に及び、2通の封書で届いたが、簡単な近況報告ののちに次のように綴られていた。

〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉

このあと、引寺は便せん約9枚に渡り、「今のワシの気持ち」を書き綴っているのだが、結論から言うと、引寺は今も徹底的に「無反省」だ。この手記を読めば、気分を悪くする人もいるだろう。

とはいえ、この手記が重大殺人犯の実像を知るための貴重な情報であることは間違いない。また、犯罪者の矯正の実情を窺い知れる記述も散見される。そこで、この手記を前後編2回に分け、紹介する(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆5年という時間の流れを遺族や被害者はどう感じとるんかのー

6月の22日でマツダ事件から丸5年が経ちました。この5年間とゆうのは、ワシにとっては長く感じました。

振り返れば逮捕後に南署での取り調べで一ヶ月ちょいかかり、精神鑑定で九州の精神病院に3ヶ月、広島の南署に戻ってから一ヶ月弱過ごし、その時に起訴された。広拘に移管されてから約3年ほど過ごした時には、弁護士に金を渡して買ってもらったロト6のくじで3等が当選してバブルとなり、その金でお菓子、パン、カップラーメンや雑誌などを買い漁り、独居房の中が小さなコンビニのようになったり、一審や二審の裁判の時には法廷で言いたい放題ブチまけたり、何人もの記者と毎日のように面会したりなど様々な出来事があり、今でも時々思い出す事がある。

ハッキリ言って今の時点においても、ワシには謝罪感情は芽生えておりません。ただ、事件から5年という時間の流れを、遺族や被害者の方々はどう感じとるんかのーと思う事はあります。

◆刑務所で精神障害の治療なんぞありゃーせん

広島地裁で行われた一審の判決日に、ワシに向かって無期懲役を言い渡した裁判長が「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」などと言っておったが、いざ刑務所に来てみると、精神障害と断定されたワシに対する治療なんぞありゃーせん。体調不良になった時に医務が薬をくれるだけで、専門医によるカウンセリングや投薬などの治療なんぞ全くない。あの裁判長は刑務所の現状なんぞ全く知らんのじゃろーのー。今でも裁判で精神障害と断定された事に対する怒りがある。

ショボイ捜査をしやがった警察、ワシをキチガイ扱いした検察や裁判所にはホンマ頭にくるぞ。その怒りのせいで謝罪感情がどっかへ飛んでいってしもーとる。結局の所、何年何十年と刑事や検事や裁判官をやっとっても、真実を見極める目なんか全く持っておらんゆーこっちゃ。事件の真相が一審の前に明らかになっていれば、ワシには精神障害なんぞ全く無い事になり、正当な裁判が行われたはずじゃ。

裁判所に関しては、裁判官には怒りがあるが裁判員に対してはそうでもない。裁判員は所詮素人じゃし、どうせ裁判官の連中にうまくのせられとるだけじゃろーけーのー、アーダコーダと言うつもりはない。

◆裁判員だったオッチャンが語った記事に笑ってしもうた

一審が終わった頃の中国新聞に、裁判員の一人だった年配のオッチャンが語った記事があり、裁判員を務めた感想についてアレコレと語った後に「また機会があれば裁判員をやりたい」と言っているのを見て笑ってしもうたで。ワシはそのオッチャンに対して、裁判員ゆーのは一人の人間が何回もやるもんじゃないんでえー、と突っ込んでやりたかった(笑)おそらくそのオッチャンは、法廷での裁判員とゆう非日常に味をしめたんじゃろーのー。ホンマ、困ったもんよ。

ワシが逮捕された後も、世間では様々な殺人事件が起こり、裁判の判決をテレビのニュースや新聞で見ていたが、1人殺害で死刑になる被告もいれば、2人殺害で無期になる被告もいる。いかに市民感覚を取り入れた裁判員裁判とはいえ、この判決のバラツキはいかがなものかと思う。マツダ事件の裁判も、真相が明らかになった上で正当な内容の一審が行われていれば、例え判決が死刑になったとしても、ワシは満足したじゃろーのー。

================以上、手記================

引寺は筆者の取材に対し、裁判で真相が明らかにならなかったことが不満であると以前からずっと主張し続けてきた。真相とは、自分がマツダで期間工として働いていた頃、集団ストーカー被害に遭ったことや、その犯人が誰だったのか、ということだ。しかし裁判では、引寺が訴える集団ストーカー被害は妄想性障害ゆえの妄想と認定され、引寺としては真相が明らかになったとは到底思えないことが反省の思いを持つことを妨げているわけだ。

それにしても、引寺が裁判で精神に障害があると認定されたうえ、裁判長から「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」と言われながら、刑務所で何の治療もされていないというのは、本当ならば日本の犯罪者矯正システムに疑念を抱かせる話である。(後編につづく)

引寺が服役している岡山刑務所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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