【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授が「お詫び」ブログを公開! 私との公開書簡も、私の質問に答えず一方的に「終了」宣言。はたしてこれでいいのでしょうか? 鹿砦社代表 松岡利康

この間、公開書簡の形でやり取りをしている前田朗教授が「お詫び」ブログ
https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post_13.html
を公開されました。

前田教授の『救援』紙に公表された2つの論評は、教授の良心が現われている名文です。前田教授にはリンチの情報が伝わっておらず蚊帳の外に置かれていたようですが、これを私たちが作った本で知られ、教授の懸念と警告が、はたして加害者とこの周囲、神原元、上瀧浩子、師岡康子弁護士らに伝わったか疑問です。

少なくとも前田教授が、くだんの『救援』の2つの論評を書かれた際には、このリンチ事件に対して怒りと運動への懸念があったことは事実でしょう。

『救援』(580号。2017年8月10日発行)
『救援』(589号。2018年5月10日発行)

ならば、私(たち)からの質問には真正面から答えていただきたかったと思うと残念です。6月13日の通信でも述べていますが、私の一連の通信は前田教授と論争し教授を論破しようということを目的としたものではありません。「お詫び」なんて要りません。真正面から〈対話〉し、このままでは社会運動や市民運動への悪影響は否めませんから、なんとかこれを回避したいと思ったのです。前田教授の見識や立場からすれば、教授が意欲的にリンチ事件の本質的解決・止揚の作業に取り組まれれば、社会運動や市民運動への悪影響を阻止できると考えていました。

今回で、私とのやり取りも「終了」ということですが、読者の皆様方は、どう思われますか? 私の個人的意見としては、「お詫び」なんていらない、私からの質問にお答えいただくことを望むばかりです。そうでなく「終了」すれば、回答に窮し逃げたとの印象を読者の皆様方に与えかねないので、ヘイト研究の第一人者の前田教授にとってもマズイと思うのですが……。

◆リンチ事件訴訟、加害者に約115万円の賠償金支払い確定のM君勝訴!

先週12日、リンチ被害者M君が加害者5人を訴えた訴訟の上告が棄却されたとの報せがありました(正式決定日は11日)。直接の加害者の2人に約115万円ほどの賠償金支払いが確定しました。賠償金も、一審の80万円から増額になっています。当初の願望が大きかったこともあり不満が残る内容ではありますが、M君の勝訴です。もっとレベルアップした内容を求めて上告しましたが、これが棄却されたということです。不満が残る内容があるとはいえ、勝訴は勝訴です。私は長年多くの訴訟を経験しましたが、裁判とはこういうものです。完全勝訴など、ほんの一部です。M君や弁護士の先生、支援していただいた皆様――マスコミも完全無視するなど圧倒的少数派の中で頑張りました。彼らがよく使う言葉〈マジョリティ―マイノリティ〉の力学では、M君や私たちのほうが圧倒的にマイノリティで、マスコミや多くの知識人らを味方にした李信恵氏らのほうが圧倒的にマジョリティでした。

しかし、M君勝訴をかき消そうとしているかのように、加害者側代理人・神原弁護士や李信恵氏らはリンチ事件を「でっち上げ」と言い狂喜乱舞しています。当の加害者側の李信恵氏や野間易通氏らは大学院生M君の実名を出して攻撃しています。M君はまだ学生、日頃「人権」という言葉を口にしているのなら、いささか配慮がないんじゃないでしょうか。敗訴して狂喜する神経も理解できませんが、はたしてこのリンチ事件は「でっち上げ」なのでしょうか? 被害者M君が何の目的で「でっち上げ」ないといけないのでしょうか? リンチ事件(加害者らはリンチという言葉を殊更嫌うようですので集団暴行事件と言ってもいいでしょう)があったことは、私たちの綿密な調査・取材によって明らかになっています。フェイクではありません。これを私たちは5冊の本にまとめ世に問いました。これに対する加害者側からの反論本などは一切出ていません。「デマだ」「でっち上げだ」と鸚鵡返しにツイートするばかりです。

リンチ(集団暴行)があったことは裁判所も認定しており、激しい暴行は李信恵氏がM君の胸倉を掴んだことが口火になったことも認定されています。李信恵氏は決して清廉潔白ではなく、リンチの最中も、悠然とワインをたしなみ、これをインスタグラムで配信するという神経、さらには瀕死の重傷を負ったM君を師走の寒空の下に放置して立ち去ったという非人間性――到底理解できるものではありません。さらには、いったんM君に渡した「謝罪文」を一方的に反故にし活動再開したことも、人間としていかがなものでしょうか?

◆私たちがリンチ問題に関わった3年余り前を想起する──

2014年12月以来1年以上も経った2016年2月末に、私はこの事件を知りました。被害者M君は村八分にされ、一部の方(一般には無名の普通の市民)のサポート以外には孤立していました。「いくらなんでも、それはないやろ」という素朴な義憤から、まずは被害者救済/支援のために、M君の話をしっかり聞き資料を精査しようということで、最後までご尽力いただいた当社顧問の大川伸郎弁護士と共に面談しました。2016年3月はじめのことです。慎重な性格の大川弁護士は当初難色を示されましたが、鹿砦社の顧問弁護士でもあり、私が押し切る形で受任いただきました。大川弁護士は、ある事件で国選弁護士に就き、それが敗訴し容疑者が実刑になった際に、「自分の力不足で実刑になり申し訳ありませんでした」と容疑者に土下座して謝ったということを、その容疑者本人から聞き驚きましたが、大川弁護士への信頼は、この事例に基づいています。

◆鄭玹汀さんの本質を衝いたコメント

折りに触れて私のFBにコメントを下さる鄭玹汀さんは今回も次のようにコメントされています。──

「以下の記事(引用者注:6月14日、本通信に先立って公開された私のFBの記事)で取り上げられている問題は、今後の日本社会の人権運動において非常に重要です。しかし、関連記事や本を読まない限り、この投稿だけでは理解するのが難しいと思います。
 特に、ヘイト問題研究の第一人者の前田朗氏がこれまで、リンチ事件の主犯について批判してきたのに、その態度を急に変えて、むしろこれまで複合差別と闘ってきた人だと弁護するようになったのは、決して看過することのできない問題だと考えています。
 私はこの問題について、周りに関心を呼びかけても、ほとんどの方々が自分には関係ないことだと見做していたので、内心驚きました。
 これは日本社会を覆う暗雲といっても決して言い過ぎではありません。」

こうした方がおられるのにはとても勇気づけられます。鄭玹汀さんのような方は現在少数派ですが、こうした方の声が徐々に拡がっていくことを望んでいます。

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗先生、私の質問に真正面からお答えください! このリンチ事件をどう本質的に解決、止揚するかが社会運動の未来のために必須です  鹿砦社代表 松岡利康

6月4日付け「デジタル鹿砦社通信」(と私のFB)に対して、前田朗教授から「返信(3)」 が届きました。リアクションだけは速いですが、その内容は? というと……。

◆前田教授からの「返信(3)」はゼロ回答! 1項目にも答えず!

6月4日の通信では、前田教授が答えやすいように14項目に整理し具体的に質問項目を提示いたしました。さらに、6月8日に東本高志氏がバクロしたメーリングリストでの私に対する前田教授の陰口についても確認を求めご本人にメールしましたが、これにも触れていません。

これらについては抽象論にならないように、また前田教授が答えやすいように、私なりに考慮し項目を設け質問しましたが、1項目にも解答がないのは誠実さに欠けるとしか言いようがありません。回答しない理由として、「その余の記載は、ほとんどが同じことの繰り返しのため、申し訳ありませんが、私も同じ趣旨のお返事を差し上げることしかできません」と仰っています。果たして「ほとんどが同じことの繰り返し」でしょうか? 例えば「師岡メール」についての質問は今回初めてで、師岡弁護士、および前田教授の「人権」についてのスタンスを問うた質問です。極めて重要です。今からでも、ぜひともお答えいただきたい質問です。

もう一方で、答えない別の理由として、「松岡さんはいつまでも、あれはどうだ、これはどうだ、と蒸し返し、掘り返し、執拗に自説を唱えています」から「他人がこれにお付き合いする理由がありません」と述べられています。学者は逃げる言い訳もうまいものですが、ずいぶんと無責任なものです。この通信の読者のみなさん、そう思いませんか?

また、研究者なのですから見解の発信には「事実」かどうかが不可欠でしょう(研究者でなくとも同様ですが…)。6・4通信の冒頭第1項目に訊ねた前田教授の「リンチ」についての規定と解釈の誤りや事実誤認(直接手を下した者が1人だったとするもの)についても重要なことなので答えていただかないと困ります。ご自身で単独犯なので「リンチではない」と仰っておられ、「リンチ」(私刑)の規定と事実認識を間違われたわけですから、少なくともここだけはご説明いただかないといけないのではないでしょうか?

さらに、東本氏がバクロしたメーリングリストでの陰口など初めて確認を求めるものです。これは図らずも漏れたものですが、前田教授を信頼していた人々を落胆させるに十分な内容でしょう。私もこれを見てわが目を疑い、非常に落胆しました。前田教授の良心を信じていましたので、これが一気に崩れました。

◆新左翼の内ゲバの二の舞にならないように、「今からでも遅くない、背筋を正して事実と責任に向きあうべき」だ!

生来浅学な私には前田教授と論争や論破しようなどという大それた考えはありません。せいぜい前向きな対話をしたかったにすぎませんが、せっかくそのきっかけが見えてきたところでのスルー……これでは問題の前向きな解決に向かうことはできませんよね? 前田教授も、この問題の本質的な解決を望んではいないのでしょうか? この問題に真正面から向き合い反省し教訓化し止揚しない限り近未来的に反差別運動、社会運動、市民運動の中で暴力事件は繰り返されるのではないでしょうか? 

1969年から70年にかけて新左翼の内ゲバで3人の学生が亡くなりました。大変な話で、これを深刻に捉えた、当時京都大学助教授で作家の高橋和巳は雑誌『エコノミスト』に2度にわたり「内ゲバの論理は越えられるか」(『わが解体』所収)を書き、今深刻に考えないと将来に禍根を残すことを訴えました。『エコノミスト』のような経済誌でも、そんな高橋和巳の必死の訴えを掲載するような度量がありました。この後も、知識人らが声明を出したりもしましたが、これらを無視するかのように内ゲバは激しくなり、現在までの死者は100人を越えています。あの時、高橋和巳の提言に真正面から向き合っていたら……との想いが消えません。そうした新左翼の内ゲバの二の舞にならないためにも、前田教授の言葉を借りれば「今からでも遅くない、背筋を正して事実と責任に向きあうべき」なのではないでしょうか?

◆裁判についての私たちの考え方と進行中の3件

前田教授は、「裁判所の判決が確定した以上、通常の法的手続きは終了です」とし、「法的救済を求めたのですから、結論としての判決に従いましょう」と本件からの私たちの退却を求めておられます。以前にも申し上げ恐縮ですが、冤罪被害者や薬害被害者、住民運動などが、訴訟上では負けても負けても「法的救済」を求めて訴訟を繰り返すことに「通常の法的手続きは終了です」「判決に従いましょう」とでも言うのでしょうか?

「李信恵という人格の不可思議」(第5弾本グラビアより)

リンチ被害者M君が加害者(私は直接手を下した者2人のみならずリンチ現場に同座した者全員の連帯責任として加害者という語を使います)5人を訴えた訴訟は、最高裁に上告中でしたが、偶然にも本日(6月12日)、上告棄却の報せがありました。法的には確定しました。

 
李信恵氏の暴言1

しかし、鹿砦社が李信恵氏らを訴えた訴訟など3件はまだ当分続きます。これら4件は、この原稿を書いている段階では確定したわけではありませんでしたから、「判決未確定」を前提で執筆してきました。1件は本日確定しましたが、3件はまだ「確定」していないので、そうそう退却するわけにはいきません。特に李信恵氏が原告となっている訴訟は、鹿砦社に賠償と出版差し止めを求めていますから中途半端にはできません。裁判というものは、油断したら負けますので、私たちもまだまだ本件から退却するわけにはいかないのですよ。

 
李信恵氏の暴言2

現在の私たちにとっては、これら一連の訴訟こそ、前田教授の言葉を借りれば「目の前の最重要事実」です。そうして、これら一連の訴訟を裏打ちする真相究明も必要ですし、本件事件の総括のためにも、私たちはまだまだ老骨に鞭打って頑張っていかざるをえないのです。「正義だ、正義だ、正義だと言わんばかりのその作法」だって!? 仰る相手を間違っていませんか? 「正義は暴走してもいい」などと嘯き、執拗にネットでの被害者バッシングで訴えられ敗訴した徒輩にこそ仰られることではないですか?

おことわり:リンチ被害者M君が加害者5人を訴えた訴訟、最高裁に上告していましたが、本日(6月12日)棄却の報せがありました】

◆私の質問と直接関係のない記述でごまかしたらいけません!

前田教授は、私の質問にはなんら答えず、それでいて後半では私の質問には直接関係のないことを連々述べられています。私には到底理解できません。失礼な例えかもしれませんが、長年、任侠やアウトローを取材してきた、鹿砦社に出入りするライターが、「ヤクザは、本題で旗色が悪いと感じるや、本題とは直接関係のないことや瑣末なことなどを挙げつらって煙に巻く」と言っていました。私には今回の前田教授の「返信」が、同様の性格を帯びていると思われてなりません。

この通信は、莫大ではないものの、少なからずの方々が注目しています。これも試しに何人かに尋ねてみましたが、既にこの間の前田教授の態度は、『救援』の読者からも評価は落ちていますよ。

前田教授の『救援』の論評には大いに勇気づけられました。裁判にも証拠資料として提出もしました。いわく、

「本書のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まったく異議はありません。名言ですらあります。前田教授は、これらの論評は「訂正の必要を認めません」と仰られていることは救いですが、「仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない」と述べつつ、現実には「暴力を容認」している師岡康子弁護士、辛淑玉氏、李信恵氏らに忖度していませんか? 果たして加害者やその周辺の人たちは「背筋を正して事実と責任に向きあうべき」という前田教授のアドバイスに従っているでしょうか?

私たちは決して無茶なことを要求していません。被害者M君に真摯な謝罪と正当な補償をすべきで、そのためにいったん提出しつつも反故にした「謝罪文」に立ち返るべきだと求めているにすぎません。それはダメなんですか? 私は何度も申し述べていますが、一貫して和解論者です。加害者らが心からそうするのであれば、社会運動の未来のために、暴言が飛び交い暴力がはびこる、現在の「反差別」運動に直接的に参加するつもりはありませんが、本件については条件が整えば和解に向けて汗をかく所存です。

◆メーリングリストの陰口には落胆しました!

一方、東本高志氏がバクロしたメーリングリストでの前田教授は、

〈○○さん
ごぶさた。コメント有り難うございます。
○○さんがアンチ前田とは初めて知りました(笑)。
鹿砦社は危機と乱戦を乗り越え、世界を遊泳してきた強者ですし、
今回は被害者救済という大義名分を手にしていますから、誰も止められません。
対立構図を固定させ、ひたすら「敵」を論難し、
突撃取材でネタをどんどん作り、一種の炎上商法。
権力相手にやってくれるのなら良いのですが、
ターゲットはマイノリティ女性。
日本的ヘイト状況の悲しいネガフィルムを見るようです〉

と述べられています。

これが本音なのでしょうか? 「炎上商法」だって!? 「ターゲットはマイノリティ女性」だって!? 必ずお答えください、前田先生! 私たちは単純素朴に被害者支援と真相究明に関わってきたにすぎません。「炎上商法」―-この表現には私のみならず取材班、私たちの周辺の者一同満腔の怒りを禁じ得ませんでした。「炎上商法」という物言いは、私たちに〈悪意〉を持った、ネット社会でしか生きられない連中の表現と同じですよ! 私たちは特段「マイノリティ女性」を「ターゲット」にしてもいません。

 
加害者エル金のツイート。反省などどこ吹く風

本件は、何度も表明していますが、第一線を退く目前だった私が、事件の凄惨さや被害者の苦境を知り、いわば“最後の仕事”としてもっぱら善意で、採算など度外視してリンチ被害者支援と真相究明に関わったにすぎません。社内外から集まった取材班や支援者らの大半もそうです。「社会運動の将来のためですから」と原稿料や謝礼を辞退してきたライターもいるほどです。そのような私たちの行為を「炎上商法」と前田教授は言い切られました。失礼ですが、前田教授の無礼には呆れます。

目の前に凄絶なリンチを受けながらも、正当な謝罪や補償も受けず、さらには村八分状態にされ苦しみ助けを求めている青年がいるのに、「いや、私たちには君を助けることはできないんだよ」などと言えるでしょうか? 私たちの世代は、日本国憲法や戦後民主主義に立脚した人権意識を植え付けられ、私でさえ人権意識の欠片ぐらいは持っているつもりです。「炎上商法」など頭の隅にもなく、私の人権感覚上も黙過するわけにはいきませんでした。

今でもリンチのPTSDに苦しんでいる被害者を前にして、少なくとも加害者らの心からの謝罪や正当な補償を受けることに力を貸し続けたいと考えていますが、このどこがいけないのでしょうか? 加害者らは「謝罪文」さえ反故にしているんですよ。少なくともこの地点には立ち返ってもらわないといけません。

 
香山リカ氏の小口ビジネスモデルのツイート1

筆者注:本稿が完成し、さあ送稿する段になって、前田教授は「炎上商法」との表現を撤回なさいましたので、今後「炎上商法」の件で前田教授を追及することは差し控えます。しかし本稿執筆から完成の時点で撤回はありませんでしたので、完成した当初の文章をそのまま掲載します。撤回は「友人の忠告」ということですが、この友人の方は、人間としての見識と常識のある方だと思います。こうしたことをもってしても、「炎上商法」という表現が、これと関係のない者にとって、いかに人を傷つけ、問題のある表現だということを前田教授も認識されたものと思います。「人権」を標榜する者なら、これぐらいは常識として認識していただきたかったものです】

 
香山リカ氏の小口ビジネスモデルのツイート2

◆またしても香山リカ氏……

先に前田教授から「炎上商法」という言葉が出てき、また香山リカ氏への言及がありましたので付言しておきますが、香山氏は私たち鹿砦社や、このリンチ事件と訴訟について、非常識極まる珍説をツイートしています。

例えば、私たちが、香山氏宛に質問状と本を送付したことを知った香山氏は「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」とツイッターで私たちに「要請」してきましたので、彼女の「要請」に従い送付先(=自宅住所)を書き込んだところ、すぐに神原元弁護士から削除の要求(電話、ファックス、内容証明郵便のトリプル要求。いかに慌てていたかがわかります)が来たことがありました。香山先生が「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」と言うから、これに応えただけのことです。

 
話題になった「どこに送付したか、書いてみれば?」

このような幼児性が象徴的ですが、私たちにとって、香山リカ氏はその知識・見識・人格において全く信用のおけない人物です。香山氏は、私たちが裁判を起こしてカンパを集め、それを元に出版をし支援者に買わせる「小口ビジネスモデル」をやっているなどと私たちを誹謗しました。この人の鹿砦社に対する物言いは、いつもこういった内容ですので放置しておきましたが、今回前田教授の「炎上商法」と香山氏の「小口ビジネスモデル」は同じ意味ではありませんか? 「のりこえねっと」の皆さんの中では「鹿砦社は『炎上商法』」が共通認識になっているのでしょうか? であれば全く残念至極な事態です。

さらに申し上げれば、『オジサンはなぜ勘違いするのか』など参考にする気にもなりません。天皇制と皇室をこよなく愛する香山リカ氏に、説教されなければならない理由はないからです。「昭和の常識は令和の非常識なのです」などとお気楽な自説を披歴していますが、時間の区切りを「昭和」「令和」と規定する時点で私の関心対象外です。元号がなければ薄っぺらいゴシップも書けないのか、と聞きたいところです。前田教授は、〈さすが香山さんと思わされるのは「もちろん、私も自分が“おとなでステキなオバサン”になれているとは思っていません」と冷静な認識を披露しているからです〉と誉め称えられていますが、散々迷惑を被っている私たちにすれば「それがわかっているのであれば、最低限おとなの振る舞いをしなさい」と言い返したいところです。

この前後の、鹿砦社に対する彼女のツイートと併せ私たちに対する名誉毀損は甚だしいものです。

前田教授の「返信(3)」の最後はその香山氏の著書からの引用で「勘違いオジサンは顰蹙を買うだけです」と結ばれています。私たちは前田教授が引用された香山リカ氏を全く評価していませんので、アドバイスには従いかねます。「勘違いオジサン」でも、たとえ「顰蹙」を買っても、本件の解決に向け更に一肌も二肌も脱ぐ覚悟です。中途半端で退却することは、私の生き方に反しますから―――。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

◆ひとまずの結びとして――

最後に、韓国からの研修員(現在大学講師)で、2015年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったSEALDs(シールズ)を批判し、本件リンチ事件加害者らに連なる者らから激しいネット・リンチを受け、最近でも私信を悪意を持って公開された鄭玹汀さんの言葉を挙げて擱筆いたします。――

〈大衆の前で「人権」について声高く唱えても、長年「人権」についての本をたくさん出版しても、身近なところで他人を尊重しないのは、砂の上に家を建てるような生き方だ。
私は彼らを憎まないが、彼らの偽善を憎む。
周りの人を心から尊重する名もない人こそ本当に偉い人だとつくづく思う。〉(6月8日付けFBより)

至言です。前田教授はこの言葉をどう思われるでしょうか? 「人権だ人権だ」と言っても、身近の一人の青年の人権さえ蔑ろにする人に人権を語る資格はないでしょう。前田教授は、人権やヘイトスピーチについての著作が多いですが、リンチ加害者らの側の有力な人たちとの繋がりを持ち解決の橋渡しができる立場にいながら、リンチの被害者を見て見ぬ振りをするのならば、人権を語る資格はないということだと私なりに解釈しました。

私はそろそろ第一線を退くことを考えていた、ちょうどその頃、このリンチ事件に出会い、以来3年余りのかなりの時間、資金、労力を、この問題に費やしてきましたが、悔いはありません。「炎上商法」や「小口ビジネスモデル」で儲かったりなどしていませんし、そうするつもりもありませんでした。

ただ、目の前で苦しむ一人の青年を、彼が満足するように救えたかどうかは分かりませんが、私なりに彼の人権を尊重し法的、人道的に救済せんとしてベストを尽くしてきたことだけは確かなことです。「裁判所の判決が確定した以上、通常の法的手続きは終了です」「法的救済を求めたのですから、結論としての判決に従いましょう」――このようは言葉は当事者にとって、戯言にしか聞こえません。

リンチ被害者のM君はリンチの悪夢にうなされPTSDに苦しんでいます。加害者らは、このことがわかっているのでしょうか? 前田教授も、真に人権を考えておられるのなら、彼の人権に目を向け、彼の救済に一肌脱ぐことを考えませんか? これもまた「反ヘイト裁判」同様「目の前の最重要事実」ではないでしょうか? 前田教授は、リンチ直後の被害者の顔写真を見て何も感じないのでしょうか? You Tubeで視聴者が9万人ほどにもなるリンチの最中の音声もお聴きになれば、血の通った人間ならば、特に日頃「人権」を語る者ならば、身の毛がよだつのではないでしょうか?

最後に、この際ですから、前田先生に提案します。この間のやり取りで気づきましたが、前田先生は、私たちが想像していた以上に「カウンター」/「しばき隊」関係者と懇意のようです。また、本件リンチ事件の本質的解決、止揚の作業を放っておけば、この国の反差別運動や社会運動、市民運動に悪影響を及ぼすと思います。そう思いませんか? であるならば、せっかく、誰もが評価・称賛する『救援』紙上での2つの論評を公にし問題提起をされたのですから、ここは和解のために「カウンター」/「しばき隊」関係者と懇意の前田先生、一肌脱がれませんか? いくら机上で立派なことを言っても、それは〈空論〉でしかありません。

私は私で、もう少し老骨に鞭打ちたいと考えています。

【追記】先にも触れましたが、本日(6月12日)、リンチ被害者M君が加害者5人を訴えた訴訟の上告が棄却されたとの報せが代理人弁護士よりありました。これについては、後日あらためて私(たち)の見解を申し述べたいと思いますが、M君は一審、控訴審を通じて一貫して〈勝訴〉していたことを確認します。懲りもしない加害者やこの周辺の人たち、代理人の一人、神原元弁護士らは、さっそく「風説の流布」に余念がないようですが、現実に集団暴行で一人の青年に瀕死の重傷を負わせたという事実、これに対する反省などあるのでしょうか。不満ながらも加害者らに100万円超の賠償金の支払いが確定したことも変わりはありません。これに加え、私たちは闇に葬られようとしていた、このリンチ事件の存在を明らかにしたことを想起すれば、決して負けてはいません。

そして前田教授ならこう言うかもしれない、「最高裁で判決が決定したのですから」と。そうだ! その通りだ! 最高裁でリンチ(私刑)に対する賠償が確定したのだ。

まずは、これまでご支援を賜りました皆様方に心よりお礼を申し上げます。

[参照記事]
◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月23日デジタル鹿砦社通信)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます(2019年5月28日デジタル鹿砦社通信)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される!~前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問~(2019年6月4日デジタル鹿砦社通信)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される! 前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問 鹿砦社代表 松岡利康

5月28日付け「デジタル鹿砦社通信」に対して前田朗教授より再び「返信」が公開の教授のブログ(https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post.html)でありました。

出張先で資料なども手元にない中での執筆のようで、あらためての意見表明を望みますが、とりあえず私からの再反論と再質問を行っておきます。ぜひお答えいただきたく望みます。

◆      ◆       ◆        ◆

前田 朗 先生

拝復 さっそくの再「返信」、ありがとうございます。

 
「しかと見よ!」リンチ直後の被害者大学院生M君

思えば、この「カウンター大学院生リンチ事件」について、リンチの現場にいた当事者(加害者)ら5人や周辺の人たちから、これまでこうした真正面からの意見なり反論などありませんでした。「デマ本」とか「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などばかりで真正面からの意見や議論、反論などありませんでした。

わずかに第5弾書籍『真実と暴力の隠蔽』にて木下ちがや(こたつぬこ)氏が座談会で正論を述べられていますが、のちに謝罪、撤回されています。木下氏が発言を撤回されるに至ったのには、先生にもあったような激しいバッシングがあったものと推察しております。

さて、まずは『救援』での2度の論評を撤回されないという先生の固いご意志、確認させていただき、正直嬉しく思います。これをしかと踏まえた上で、以下、再度私見を申し述べ、あらためて質問を行わせていただきたく思います。

【1】

まず、先生のおっしゃる「リンチ」の定義に従っても(実際の加害者で刑事・民事共に賠償を下されたのは2人なので)この事件がリンチであることは明らかになりましたが、再「返信」でも前提となる事実認識から誤認されています。そのことは非常に重要な点です。

さらに、先生の「リンチ」の定義自体が間違っています。リンチとは「私刑」です。手を下した人間の数に関係なく特定の人間に対する暴力的制裁(私刑)です。「カウンター」界隈の方々は「リンチ」という言葉に殊更神経質のようですが、実際に集団で1人の大学院生M君を呼び出して暴力を振るっていることは紛れもない事実で、これを許されるとお考えでしょうか?

【2】

この事件直後、少なくない人たちが動いています。東京在住で言えば、事件直後の2014年12月20日に中沢けい氏が大阪に駆けつけ、事件のもみ消しを図っています。

また、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」 で挙げられているように、事件直後の2014年12月22日、師岡康子弁護士が金展克氏に宛て、被害者M君に刑事告訴を思いとどまるように説得してほしいとのメールを送っています。

このことについての私たちの意見は同日の「通信」に縷々述べていますので、ここでは繰り返しませんが、とても「人権」を語る弁護士とは思えない、いわゆる「師岡メール」について先生はどう思われますでしょうか? 

このメールをどう思うかで、その人の人権についてのスタンスや人格・人間性が判ります。人権に対する、師岡弁護士の本音が露呈されたメールであると私は感じますが、先生のご意見をぜひともお聞きかせください。

【3】

私(たち)は、このリンチ事件を、事件発生から1年以上過ぎてから知りました。先生もご存知なかったように、事件の隠蔽、もみ消しは成功したかに見えたでしょう。

被害者は、一部の人たちが彼を支えたことを除いて、かつての仲間はじめ多くの人たちから村八分(いわゆる「エル金は友達」活動はその最たるものでしょう。M君本人も、これは精神的にきつかったと言っています)にされ、正当な補償もなされていません。

村八分という行為が差別だということは先生もご存知でしょうが、加害者や周辺の人たちが、こうした〈隠蔽〉を行っていた事実、また被害者M君が正当な補償もなされていないことについて、先生はどうお考えでしょうか?

付和雷同した暴言の数々
 
木下ちがや(こたつぬこ)氏への恫喝ツイート(2018年5月30日)

【4】

私はなにも「自説に固執」しているわけではありません。幾度となく公言していますように、加害者らが真摯に謝罪するのであれば、和解に向けて汗を流すことに努めます。

しかし、李信恵氏ら3人は、いったん出した「謝罪文」を破棄し開き直っています。前田先生にご提案いたしますが、李信恵氏や上瀧浩子弁護士らを説得し、あらためて被害者に謝罪し和解をしてはどうかと、お勧めになりませんか? そうすれば問題は一気に解決すると思われませんか?

【5】

先生がつらつらとご自身の活動について記載されていることほど立派なものではありませんが、この際、私自身の経験を少し申し述べておきましょう。

 
木下ちがや(こたつぬこ)氏が表明した「謝罪」ツイート(2018年5月31日)

私が大学生の頃(大学は異なりますが有田芳生参議院議員と同期です)、ノンセクトの学生運動に関わっていたことは隠しません(このことからいまだに「極左」呼ばわりする李信恵氏の代理人弁護士がいますが)。

当時(1970年代前半)、ミーティングの際に新入生の後輩が自らが在日であることをカミングアウトし、ショックを与えました。以来私たちの運動に「差別・排外主義との闘い」のスローガンが入り、彼を防衛しようということも私たちの黙約になりました。

また、部落問題では、私の先輩が、教員として赴任した高校で起きた、いわゆる「八鹿高校事件」に巻き込まれ、この頃から部落解放同盟の、いわゆる「糾弾闘争」が激しくなっていきました。

これについては、長らく思い悩んでいましたが、師岡佑行氏(京都部落研究所所長。故人)や土方鉄氏(作家。『解放新聞』編集長。故人)らから糾弾闘争の誤りを教えられ、ようやく納得できました。

私は現在、直接に「反差別」運動には関わっていませんが、自身の経験からも、私なりに差別や人権について考えているつもりで、何がいいか悪いかの判断ぐらいはできます。

さらに申し上げれば、取材班の中には「のりこえねっと」発足時、辛淑玉氏に協力を申し出た者(田所敏夫)もおります(この事件についても取材の電話を入れましたが、うまく逃げられています)。

言葉の本来の意味において差別に対する運動にとって、李信恵氏らが関わったリンチ事件(リンチという言葉が嫌なら集団暴行事件と言ってもいいでしょう)は絶対に許されないものです。そう思われませんか? 

裁判の結果がどうかは関係ありません。裁判所がどう判断しようとも、人道上悪いものは悪いんです。このリンチ事件を主体的に反省し止揚しないのなら、将来的に運動に禍根を残すと断言いたしますし、「糾弾闘争」同様、人々を反差別運動から遠ざけるのではないでしょうか?

【6】

このリンチ事件の解決に混乱を与えているのに、李信恵氏らが被害者M君に出した「謝罪文」を撤回したことがあります。少なくとも今、まずはこの「謝罪文」に立ち返るべきではないか、と私は考えますが、先生はいかがでしょうか?

李信恵さんの裁判を支援する会「李信恵さんの活動再開について」(2015年4月8日)
 
【関係各位へ】2016年9月10日付辛淑玉氏facebook(一部)

【7】

さらに、このリンチ事件について、先生と「のりこえねっと」共同代表である辛淑玉氏も当初「Mさんリンチに関わった友人たちへ」という文書を出し「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と喝破しましたが、のちにこれを否定し、逆にM君が「裁判所の和解勧告を拒否している」(裁判所の和解勧告など今に至るもありません)などまったく事実と違うことを発信しました。

さらには、木下ちがや(こたつぬこ)氏も座談会での自らの発言を撤回しています。なぜにこうもみなさん、自分の意見をいとも簡単に変えるのでしょうか? 木下氏の発言など正論で、こうした人がこの問題を解決すると期待しましたが、残念です。こうしたみなさんの「豹変」についてどう思われますか?

【8】

「糾弾闘争」は、社会的批判や、解放同盟内における師岡佑行氏や土方鉄氏らのような良心派の内的批判により、今はなくなりました。このリンチ事件についても、先生の『救援』における論評のような心ある批判がもっと出なければ、再び同様の事件を繰り返すと思います。そう思われませんか? 

【9】

大出版社のカネとヒトをふんだんに使った取材には到底及びませんが、私たちがこのリンチ事件について、私たちなりに、これまでになく資金を投じ徹底して取材し、本にまとめて出版するや、まともな反論本が出るわけでもなく、単に「デマ本」だとか、「リンチはなかった」、「リンチではない」などと評されました。

しかし、証拠を積み上げた出版物に対する、無根拠な罵倒は、私に言わせれば、「南京大虐殺はなかった」と言うようなものです。

マスコミもこのリンチ事件を総じてタブーにしています。李信恵氏らには、例えば朝日新聞が社説に採り上げるなど積極的に報じながら、一方で李信恵氏らがM君を深夜に呼び出し、「日本酒にして一升」(李信恵氏の供述)ほどの酒を飲み酩酊状態で及んだ、このリンチ事件については徹底して無視です。先生は不公平とは思われませんか? 「反ヘイト裁判に勝った」と表面ばかり報じて、影の部分を報じないのは、人々の判断を誤らせるのではないでしょうか?

【10】

先生は『救援』の論評で、李信恵氏の人格について、

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてC(引用者注:李信恵氏)を擁護することはできない」

「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と厳しく批判されています。

ところが、このたびのブログでは、

「李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、戦い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に『複合差別』を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか」

と、まったく人物評価が異なっています。

「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」とまで激しい表現を用いられていた人物評が、どうしてこのように「豹変」したのでしょうか? 李信恵氏についての今現在の先生の人物評価をご教示ください(繰り返しますが、この質問も「私怨」などとは無関係です)。

差別と闘い人権を守るということは人間の崇高な営為です。そして、その運動はリーダーや中心的なメンバーの人間性や人格が反映されます。畢竟、社会運動とはそういうものだと私自身の経験からも申し述べることができます。「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーである運動は、早晩メッキが剥げ社会的に「唾棄」すべき存在となりかねまません。そう思われませんか?

李信恵氏の暴言の数々

【11】

趙博氏の裏切りについてはリンチ本で2度記述していますし、この箇所をコピーしてお送りしてもいますので読まれていることと察します。彼は戸田ひさよし氏と6月7日の講演会を主催するということですので、彼については、その際に直接本人にお尋ねになって、その後にお答えを頂いてもいいかと思いますが、趙博氏の裏切りは、私も「まさか」と思いましたし、リンチ被害者M君も、私以上にショックを受けておりました。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【12】

同じく6月7日の講演会の主催者の戸田ひさよし氏について、門真市民会館事件の件は以前から承知しておりましたが、私がお聞きしたいのは、一方で、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)に突然赴き業務を妨害したことについてです。

これについては資料もお送りしておりますので、ご覧になっておられると思います。戸田氏のブログを更に拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏がN氏から提訴され敗訴した判決文も一緒にお送りしていますが、戸田氏のこの行為について先生はどうお考えでしょうか?

【13】

先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います。

私たちはあくまでも法的救済を求めて提訴したリンチ被害者M君を支援するために立ち上がりました。確かに法的救済はM君や私たちが望んだものではありませんでした。だからといって、あれだけ酷いリンチを受けながら、実行犯2人に合計で110万円余りの賠償金で我慢しろということですね? 

一審は80万円ほどでしたが、これを見た山口正紀氏(元読売新聞記者)は、「『80万円支払うから、同様に殴らせてください』というに等しい」と看破し、ガンと闘う身でありながら意見書まで書いてくださいました。

私(たち)は決して頑なになっているわけではありません。今後も可能な限り解決の道を探り、愚直に被害者M君の法的、人道的救済を求めていきたいと考えているだけです。この姿勢に問題があるでしょうか? あるとお考えであれば、「何が問題か?」ご教示ください。そのどこがいけないのでしょうか?

【14】

最後になりますが、もう一つ。

リンチ被害者M君は、以来ずっとPTSDに苦しめられています。夜中に、うなされて起きることもたびたびあるといいます。それはそうでしょう、あれだけ酷いリンチを受けたのですから。先生は、このことについてどう思われますか? 「人権、人権」と言うのであれば、被害者M君の人権はどうなりますか? 

この問題について、まずは被害者M君の人道的救済ということを第一義に始めなければならないのではないでしょうか? M君は果たして救済されたとお考えでしょうか? このままでいいとお考えですか?

李信恵氏は最近、リンチ事件の反省などどこへやら頻繁に講演会や学習会などに講師として呼ばれています。あろうことか大阪弁護士会まで学習会に呼んでいます。違和感を禁じ得ません。

一方のリンチ被害者M君は、1円の補償もなく、リンチの悪夢にさいなまれPTSDに苦しんでいます。それでいながら、時間を見つけては三陸の被災地にボランティアに赴いています。これまでこのことは明らかにしていませんでしたが、M君の人となりを知る一要因となりました。

夜な夜な飲み歩く李信恵さんと、研究の合間を縫ってPTSDに苦しみながらも被災地へのボランティアに赴くM君……私は「頑張れM君!」とエールを送りますが、とてもじゃないが、「頑張れ李信恵さん!」とは思いません。先生はいかがでしょうか?

ご自宅にお帰りになり、リンチ本5冊や資料などを手元に置き、上記の質問にお答えいただければ幸いです。

敬具

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます 鹿砦社代表 松岡利康

5月23日付け「デジタル鹿砦社通信」で前田朗東京造形大学教授への苦言と、この内容で送った手紙に対して、当の前田教授よりご丁寧な返信がありました。公開の形になっていますので、私もこれに対する再私見を公開書簡の形でアップさせていただきます。急いで書き上げましたので誤認や誤読の箇所もあるやもしれませんが、その際はご容赦ください。これが実りある議論になれば幸いです。(松岡)

◆      ◆      ◆       ◆

前田 朗 先生

冠省 長文のお答えをいただき、感謝にたえません。差別問題に対する前田先生のこれまでの取り組みの数々には深く敬意を示すものでございます。
 
ご返答いただいた回答ですが、前田先生は肝心の「リンチ事件裁判」の判決について、大変な誤解をなさっています。先生は、

〈しかし、刑事事件としては、実行犯は一人とされて、判決が確定しました。民事事件としても、同様の結論になったと言えます。「リンチ事件」という言葉が、複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件はなかったことになります。李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました〉

と勘違いなさっていますが、刑事事件も民事訴訟も実行犯は2人(単独ではない)との判断が出ています。したがって先生が前提とされる「複数犯によるリンチを指すとすれば」の前提に立っても、「リンチ事件はなかったことになります」は完全なる間違いであり、「複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件は刑事・民事であったことが確定しました」でなければなりません。この点、事実関係は非常に重要ですから、強調して、先生の誤解を指摘させていただきます。先生の定義に沿った「リンチ事件」は存在したと刑事・民事(現在上告中)でも判断されている点は、認識を改めていただきますよう、強く要請いたします。

ちなみに、リンチとは「法によらない私的制裁。私刑」(広辞苑第七版)で、複数の者によらなければならないわけではありませんが、M君リンチ事件は、5人で深夜にM君を呼び出し、M君に対する「私刑」ですからリンチです。李信恵氏自身が供述しているように「日本酒にして一升」ほどの酒を飲み酩酊状態で集団暴行を行ったのですから、そこに同座した5人全員に〈連帯責任〉があり、また師走の寒空の下に重傷でのた打ち回っている被害者M君を放置し立ち去ったことを、先生は人間としてどう思われますか? このことだけを見ても、李信恵氏らの言う「人権」が偽物だということが判ります。

リンチ直後に李信恵氏が出した「謝罪文」の1ページ目。のちに撤回。少なくともこの「謝罪文」に立ち返るべきだ。
リンチ直後に出された辛淑玉文書の1ページ目。なぜか、のちにみずから否定する。

また、先生は「共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました」とも仰っています。「裁判上確定したから…」云々で言えば、冤罪で闘っている方々は救われません。裁判官も人間ですから〈誤判〉もあるでしょう。先生もお聴きになりご覧になったであろう、リンチの最中の音声データやリンチ直後の被害者M君の顔写真という動かぬ証拠があるのに「共謀はなかったし、不法行為もなかった」とは子供騙しの物言いです。冤罪とは、罪のない人が権力の策謀で罪を押し付けられることですが、このリンチ事件では逆で、実際にリンチの場にいた5人(その中の1人は格闘技の達人)でM君に暴力を行使し重傷を負わせたことは否定できない事実です。これが裁判所で認められないのは、いわば“逆冤罪”といえるでしょう。『救援』は半世紀にわたり、権力からの弾圧と闘ってきた「救援連絡センター」の機関紙です。その運営委員で、連載を担当されている、前田先生に「冤罪」「誤判」の話を持ち出すのはためらわれますが、「裁判上確定したから…」とのご判断には、首肯しかねます。

また先生は「松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、その理屈を李信恵さんに差し向けるのは不適切です」とご注意いただいておりますが、私たち鹿砦社が李信恵氏と係争関係になっているのは、李信恵氏が一方的に、鹿砦社に対して、容認できない汚い言葉での攻撃をツイッターで続けてきたからです。誹謗中傷、罵詈雑言を「差し向け」てきたのは李信恵氏ですよ。先生も『救援』記事以降、ある人から30件ほどの罵詈雑言を受けたとのこと、罵詈雑言メールは他にもあるでしょうから合計すれば多数にわたるでしょう。それらのメールなりツイッターの詳しい内容は分かりませんが、おそらく李信恵氏らにつながる「カウンター」関係者と推察します。同様の罵詈雑言を私たち鹿砦社も受けているのです。

幾度となく述べていますが、李信恵氏とは付き合いもなく(顔を見たのはリンチ裁判での本人尋問の時1回だけです)、よって私怨や私恨もございませんが、「リンチ裁判」の途中から李信恵氏は、鹿砦社や代表の私を攻撃(攻撃というより罵倒に近いでしょう)するツイートを重ねてきました。出版社としての業務にも支障が生じるほどの内容でしたので、代理人を通じ「そのようなことはやめるように」と「通知書」を送りましたが、それでも李信恵氏の鹿砦社罵倒は、やまなかったため、仕方なく提訴した次第です。

先生の文章では、この経緯をご存知ないように拝察いたしましたので、重要なプロセス故、事実関係とこの推移をご説明させていただきました。私たちがあたかも李信恵氏だけにこだわって「批判」を続けているように誤解なさっているようですが、そうではありません。また先生は以下のように述べられています。

〈『救援』記事に対して、松岡さんとは全く逆の立場から、私を非難してきた人物が数名います。中には私を「敵」として非難し、「おまえのような馬鹿はもう相手にしない」と罵倒する絶縁メールを30回も送りつけてきた人物がいます。返事は出していません。この種の人物に返事を出しても時間の無駄です。ただ、ここで紹介したのは、この人物と松岡さんには一つ共通点があるからです。それは「敵/味方」関係で物事を考えていることです〉

 
李信恵氏らの代理人である神原元弁護士による鹿砦社と支援者らに対するツイートの一例

このご指摘はまったく失当です。私並びに特別取材班は、「正義の味方」と「敵」を峻別しようなどと微塵も考えていません。ただ実直に「リンチ事件」についてどう考えるか?を事件に直接ではないものの、「隠蔽」や「二次加害」で関わった可能性のある方々(そのほとんどは「可能性」ではなく濃淡はありますが、実際に手を染めておられました)に「これでも『リンチ事件』がなかったというのですか?」「あなたは隠蔽に加担して心が痛まないのですか?」と尋ねているにすぎません。

また、事件の加害者と、組織的隠蔽に加担した者は、程度に差がありこそすれ人道上の〈罪〉や〈連帯責任〉がある、と私は考えます。ですから「事件隠蔽」に関わって素知らぬ顔をしている人々を私たちは、まったく信用することができません。この点では事件の加害者、その代理人である神原元弁護士をはじめとする、隠蔽加担者。あるいは被害者に対する二次加害加担者を批判するのは当然ではないでしょうか。「敵/味方」関係で物事を考えているとのご指摘は的を射ていません。私たちは「事実に忠実か、そうでないか」で人物の評価を行っています。誤解なさいませぬように。

次いで、先生はこうも述べておられます。

〈私はもともと「敵/味方」関係で考えていません。上記のように、反差別と反ヘイトの研究と活動の仲間たちですから、その行動に疑問があると指摘しましたが、敵対関係ではありません。「敵」がいるとすれば、それは差別する権力、差別させる権力、差別を利用する権力です〉

このご意見には大賛成です。ですから、権力が恣意的な運用を図るきっかけを与えた、「ヘイトスピーチ対策法」を私たちは、まったく評価しません。ここは、先生のお立場と全面的に異なる点です。が、この問題は冷静に先生と議論させていただく機会があれば、実のある議論が展開できるのではないかと存じます。

しかし、以下のご指摘はまったく承服しかねます。

〈松岡さんがあくまでも自説に固執して、従来と同じ発言を繰り返し、李信恵さんを非難し、関係者を非難し続けることは、今や不適切なことと言わざるをえません。李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、闘い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に「複合差別」認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか〉

李信恵氏が裁判所に「複合差別」を認めさせたことを評価なさるのであれば、同じ大阪地裁で記者会見を申し入れるも一切無視され(記者会見を開かせてもらえず)大阪司法記者クラブにより、完全に「事件」をなきものにされた、「リンチ被害者」M君への“複合重層差別”を先生は度外視なさるのでしょうか?この事件を論じるにあたり、まず先生は基礎的事象について正しく理解されていません(刑事・民事とも「リンチ」は認定されていることなど)。したがって先生のご見解は事実をお知りになれば大きく、根本的に変化するのが自然であろうと思慮いたします。先生は、お送りしたリンチ関連本5冊をどれほど深く読まれているのでしょうか? 深く読まれたので『救援』での2度の論評を書かれたものと推察しておりましたが……。「複合差別」との闘いが大変であるとすれば“複合重層差別”との闘いがさらに困難で、厳しいものかはご想像に難くないはずです。

 
リンチの現場にいた伊藤大介氏の恫喝メール。とても、「反差別」や「人権」を語る者の言葉ではない。

話は前後しますが、私は「自説に固執」などしていません。誤りがあれば潔く認めます。これも幾度となく公言していますが、私は自分にも他人にも「私たちは正しいのか?」と常に問い返してきました。この問題への私たちの関わりが、これだけ激しいリンチを受け、さらにはかつての仲間らから村八分(これは差別ですよね?)された被害者を前にして人間として見て見ぬ振りはできませんでした。支援を始めてからも、しばらくは半信半疑のところはありましたが、取材や調査を重ね、リンチがあったのは事実で、被害者への正当な補償もなされておらず、逆にネット上でセカンド・リンチを受ける理不尽に不条理を覚えました。ネットでの誹謗中傷は私たちにも及び過熱化する兆しがありましたので、M君は、先頭に立ってネット・リンチを行っていた野間易通氏を名誉毀損で提訴し、また鹿砦社も李信恵氏を提訴し、どちらも野間氏、李信恵氏の不法行為が認められ勝訴しています。

また私は、李信恵氏らがいったんM君に渡した「謝罪文」に立ち返り真摯に謝罪するのであれば和解に向けて汗を流すことも厭わないとも何度も述べています。なのに、開き直っているのは李信恵氏らではないでしょうか? 李信恵氏の代理人の一人、神原元弁護士は「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」などと私たちを罵っています。私たちは素朴かつ愚直に被害者支援と真相究明に関わったにすぎず、トンデモない物言いです。

ちなみに、私は40数年前の学生時代にノンセクトの学生運動に関わったことはありますが、そんな私以外には、M君は勿論、社内、取材班、支援会に左翼運動の経験者は誰もいません。

ところで、昨年公開されてから何度かコメントしましたが、先生の「出版記念会」に名がありましたので、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」で、あらためて採り挙げた師岡康子弁護士が金展克氏に宛てて送ったメール、俗にいう「師岡メール」について、先生はどう思われるか、ぜひご意見を伺いたく存じます。師岡弁護士には以前に取材の電話を差し上げたところ、けんもほろろに切られましたが、被害者の人権もなにもあったものではありません。こんなメールを送る人がいくら「マイノリティの人権」だとか言っても私は信用しません。

先生のご主張には、『救援』での論評から「豹変」したと感じることが少なからずございました。たびたび引用させていただきますが、『救援』では李信恵氏に対し、
「反差別・反ヘイトの闘いと本件(注:リンチ事件)においてC(注:李信恵氏)を擁護することはできない」
「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」
と述べられ、さらに「被告C(李信恵氏)」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」
と断罪されました。さらに上瀧浩子弁護士らに対しては、
「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」
と述べられています。今でも至言だと思っています。

言いたいことが山とあり、脈絡のない手紙となりましたが、何卒ご容赦ください。
先生のますますのご活躍をお祈り申し上げ擱筆いたします。      早々

[参照記事]
松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月23日デジタル鹿砦社通信)
前田朗東京造形大学教授「鹿砦社・松岡利康さんへの返信」(2019年5月26日前田朗Blog)
鹿砦社特別取材班【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!(2019年5月27日デジタル鹿砦社通信)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康

◆リンチ事件に対して的確に論評した前田朗教授

著名な法学者の前田朗東京造形大学教授は、ミニコミながら創刊50年を迎えた『救援』(月刊。救援連絡センター発行)紙に、2度にわたり「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」)に対して、研究者としての良心から(と思ったのは私たちの勘違いか?)怒りをもって言及されています。

「反差別運動における暴力」(『救援』580号。2017年8月10日発行)の公表は衝撃的でした。おそらく、そこで厳しく叱責されている李信恵氏や上瀧浩子弁護士らにとっても、別の意味で衝撃的だったと思われます。前田教授は、李信恵氏らの、いわゆる「反ヘイト裁判」で意見書も提出されているといいますから。

前田教授には、リンチ関連本3冊(この時点では4弾目、5弾目は未刊)を送り意見を仰いだところでの論評の公表でした。

ここで前田教授は、私たちの営為とこの事件について、次のように評価されていました。いささか長くなりますが引用しておきます。

「本書(引用者注:前田教授は3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは、差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(引用者注:李信恵氏)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することはできない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まさに至言です。「リンチはなかった」という戯言は論外として、リンチ現場にいた5人は連帯責任として真摯に反省し被害者に謝罪すべきということは言うまでもありません。

『救援』(580号。2017年8月10日発行)

さらに続いて同論考の「2」(589号。2018年5月10日発行)においても厳しく述べられています。――

「被告C」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも幸去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と断罪し、さらには、

「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」

と怒りが溢れる物言いです。全文は別途画像をお読みください。 

『救援』(589号。2018年5月10日発行)

◆私たちはなぜ前田教授に失望したのか?

ところが……
前田教授は先頃『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房刊)を上梓され、私のもとにも送っていただきました。A5判、上製、450ページ余りにもなる分厚い本で、本体価格も4600円という高価です。

『救援』紙に上記のような論評をされたので期待を持って紐解くと、期待に反し、リンチ事件については1行も記述されていませんでした。残念です。

なぜなら、このリンチ事件についての反省と教訓こそが反ヘイト・スピーチ運動を止揚する要だからです。いくら立派なことを述べても、身近に起きたリンチ事件という恥ずべき行為に対して真正面から取り組まない限り、虚妄であり空論でしかないでしょう。

また、前田教授が『救援』紙で強く叱責された方々に「感謝」を述べるに至っては、『救援』で述べられたことは一体何だったのか、と遺憾に思いました。

『ヘイト・スピーチ法研究原論』あとがき

さらに、6月7日の集会の案内(別紙参照)が出回っています。私のところにも回ってきました。一瞥して驚きました。すでにお送りしているリンチ関連本5冊を読まれたのならば、前田教授が豹変(コペルニクス的転換とさえ申し上げます)されたのか、と感じざるをえません。リンチ関連本5冊をつぶさに読まれたならば、リンチ関連本でも断罪した人物が中心的に関わっている集会にホイホイと出るということは常人にはできないことです。そうではないでしょうか?

6・7集会案内

実はこの文章、この集会が終わってから明らかにするつもりでしたが、瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げ、悠長に時が過ぎ去るまで待っておれず、本日公開に踏み切った次第です。

趙博氏は、一時はリンチ被害者のM君を庇うかのような振る舞いをしながら突然掌を返しM君や私らを大いに失望させました。M君は趙博氏を信用し貴重な多くの資料を渡しています。これらの資料を入手するためにM君に近づいたのかと思うとスパイ行為と断じます。私に言わせればリンチ事件隠蔽と二次加害のA級戦犯です。(趙博氏の裏切りについてはリンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』P74~79、第4弾『カウンターと暴力の病理』P100~106をご覧ください)

仲岡しゅん弁護士も、一時はM君と昵懇でありながら、彼が当時務めていた法律事務所(この所長のK弁護士は私もかねてより知己があり、数件弁護を依頼したこともありました)にM君が弁護を相談するや独断で断り、これを批判されるや各所でM君や私たちへの誹謗中傷を述べています。(仲岡弁護士については第3弾『人権と暴力の深層』P105~110をご覧ください)

さらに元大阪門真市議の戸田ひさよし氏は、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)を突然訪れN氏の業務を妨害しています。N氏は一般市民で下級公務員、こうした業務妨害行為でN氏が職場にいずらくなることが判っているのに平気で行い、これを意気揚々とネットで流しています。

これを受け拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏はN氏に訴えられ敗訴しています(静岡地裁2019年3月29日判決言渡。久保田代理人は神原元弁護士)。久保田氏は悪名高い「はすみリスト」の作成者として有名ですが、戸田氏や久保田氏の行為は、とても賛同できません。社会には、仮に相手が逆の意見でも、常識的なルールというものがあり、これを踏みにじってはいけません。そう思いませんか?

戸田氏とはかつて(10年余り前)交流がありましたが、こうしたことを平気でやったり、有田芳生参議院議員はじめ「カウンター」/「しばき隊」のメンバーと親密にしていることなどから最近は距離を置いています。

こうした人物が3人も中心的に関わる集会に前田教授が出られるということについては、前田教授にもなんらかの“意図”があるものと察しますが、ご説明いただきたく望みます。

また、前田教授は、リンチ事件隠蔽活動の拠点と化したともいえる「のりこえねっと」の共同代表ですので、ここを改革するとか、他の共同代表の方々にリンチ事件の内容を知らせ議論を惹起するように努めることに、まずは手をつけるべきではないでしょうか。なんのための「共同代表」でしょうか。

前田教授の最新著と、前田教授が講師として参加される6月7日の集会について、私見を申し述べさせていただきました。あまりに失望しましたので、いきおい表現が直截的になりました。

上記のような内容で資料を付け、去る5月21日に前田教授に手紙を出しました。真摯な説明を待ちたいと思います。

手紙の返信を待たずに、あえて公開しました。読者の皆様方は、今後の前田教授が、私の物言いをどう受け止め、どう説明されるのか――留意して待っていただきたいと思います。私たちの「勘違い」であればいいのですが……。

この3年余り、リンチ事件の真相究明と被害者支援の活動で見えた問題の一つとして「知識人」の存在があります。リンチ事件という凄惨な事件が身近で起きたのに、有名無名問わず多くの人たちが、隠蔽に加担したり沈黙したり、うまく逃げたりしたことなどを見ました。

「知識人」とは、こういう時にこそ存在理由があり真価の是非がわかろうというものです。「みんなずるい!」というのが私の率直な感想です。1980年代前半から長年付き合いがあった鈴木邦男氏とは義絶せざるをえませんでした。鈴木氏は、ああ見えても結構計算高い人で、私など小物よりも、辛淑玉、香山リカ、金明秀、安田浩一氏ら「のりこえねっと」に蝟集する著名人を選択したのだと思います。

この「反差別」運動において起きた問題について、常に私は「私の言っていることは間違っているか?」と自らにもみなさん方にも問いかけています。今回は中途半端に済ませることはできません。将来ある一人の大学院生が村八分(これは差別ではないのでしょうか?)にされ正当な謝罪や補償もなされず、マスコミも報じず、事件そのものが隠蔽され、極端に言えば闇に葬られようとしてます。ですから、取材も、私の長い出版人生の中で一番徹底して行いました。それは5冊の本に結実しています。

私は愚鈍・愚直な田舎者ですから、許せないことは許せません。齢を重ねて、少しは丸くなりましたが、それでもやはり生来染み付いた体質は変わりません。

これまでの人生を、人間として出版人として私なりに精一杯闘ってきたという自負ぐらいあります。「反差別チンピラ」(作家・森奈津子氏のしばき隊/カウンター評価)如きには負けません!

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

釜ヶ崎に行って来た!「はなまま」尾崎美代子さんの想いに応えて 松岡利康

これまで釜ヶ崎現地で食堂を営みながら労働者を支援している尾崎美代子さんからの報告をもとにお伝えしているように、先月から釜ヶ崎の動きが目まぐるしく転回しています。どういう経緯で知り合ったか思い出せませんが、尾崎さんとはもう20年余りの付き合いになり、誰がなんと言おうが、その人間性を信じています。彼女の報告にウソはないと思います。

彼女は、食堂を営みながら、冤罪や福島支援、女医変死事件などに積極的に奔走されています。

 
西成労働福祉センター

一部の関西マスコミも報道しているように、突然の西成労働福祉センター1Fの強制閉鎖で多くの労働者が雨宿りの場所を追われ排除されています。これに対し異を唱える労働者のみなさんが抵抗し、一時は閉鎖を阻止し占拠、自主管理していました。

しかし、それも強制力で排除され、労働者のみなさんは、外にテントを張ったりして過ごされています。今はしのぎやすい季節ですからまだいいとしても、これから来る酷暑は大変です。

センターは、日本が高度成長で沸き、大阪万博があった1970年に竣工しています。階上には病院、公営住宅を持ち、しかしながら老朽化や耐震性などで問題があり建て替えは既定路線とのことです。さすがにこれだけの大きな建物をすぐに取り壊し建て替えはできませんから、これらあと2年ほどは移行期として閉鎖されずにやっていくそうです。

単純な疑問は、それなら、労働者の集まり場所になっている1階だけを突然閉鎖せず、労働者のみなさんの今後の行く末を面倒見ながら向こう2年間にわたってソフトランディング的に進めていけばよかったんじゃないんでしょうか(というのが外部の者の素朴な感想です)。

この連休も私のような中小企業経営者は、ゆっくり休めず休み明けの業務の準備に大わらわですが、1日割いて釜ヶ崎に陣中見舞いに行ってきました。

この通信でもお馴染みの「カウンター」リンチ事件被害者M君も同行してくれました。彼は東北地震の被災地にも陰ながらボランティアに駆けつけるような好青年です。

カップ麺50個、水、カンパなどをお渡しし、喜んでいただきました。東京から青年が支援に来ていました。後日また仲間を連れてくるそうです。まだこういう青年がいて頼もしい限りです。

例の「代替地」とされる場所も見ましたが、30人ほどが集まれるテントと長椅子、仮設トイレを設置しただけの簡素なものでした。もちろん雨もしのげません。

「代替地」。労働者をバカにするのもいい加減にしろ!

私たちは労働者の側に立ち、こういう強制力によるセンター閉鎖と労働者排除に対しては、断固抗議する労働者の方々を支援します。

尾崎さんらが労働者のみなさんと共に抗議の声を上げるのは当然で、おとなしくしているほうがおかしいです。もし足元で起きたことに黙っているのなら、「尾崎さん、どうしたの?」と疑問を投げつけるでしょう。

センター閉鎖・労働者排除を黙過した人たちもいたようですが、私としては、小異を捨てて大同につくの精神で一致して戦ってほしいと願います。

以前から釜を代表する人物のひとり稲垣始さんは、労働者の先頭に立って怒りの声を上げ抵抗されました。当然です。

釜ヶ崎には二つの組合があり、稲垣さんが委員長を務める「釜ヶ崎地域合同労働組合」(釜合労)と、「釜ヶ崎日雇労働組合」(釜日労)です。どちらも長い歴史を持ち、元は同じということです(釜日労の初代委員長が稲垣さん)。80年代はじめに分裂し、以後ずっと対立しているようです。「釜合労」が名誉毀損で「釜日労」を訴え勝訴したこともあるとされています。賠償金600万円余りで高額です。双方言い分もあるでしょうが、もうそろそろ矛を収めたらいかがでしょうか。

今回の閉鎖騒ぎでも、「釜合労」は所有するバスをセンターに入れシャッターが閉めれないようにしたり頑張っていました。

閉鎖に抵抗した釜合労のバス
 
排除された労働者の荷物とテント

ところが「釜日労」の姿が見えません。こちらの方々のほうが多数派で戦闘的だと聞いていましたので、こういう時には奮闘しているのかと思っていました。なにか逆のようで、正直ちょっとガッカリです。あとからいろいろ講釈を垂れるのは誰でもできます。

今回の事態については『人民新聞』も報じていましたが、これに対しても長文の批判文を委員長名で出しています。地元大阪のことですし、常に弱者の側に立つ『人民新聞』が報じるのは当然で、ちょっとみずからに都合が悪いとすれば不倶戴天の敵のように見なすのはいかがなものでしょうか?

また、1日には「釜日労」関係所有のテントが何者かに破られるという事態が起きています。由々しきことで、抗議文を出すのは当然です。犯人はまだ判っていませんが、なのに、「この街の事情をまだよく知らない新参者の仕業には間違いない。また、それを煽る連中の存在が一役買っているのも事実だろう!」と、まるで「釜合労」や尾崎さんらが犯人であるかのように仄めかすのはいかがなものでしょうか。大いに疑問です。私の知人の多くも「いいね!」したりコメントしたりしていますが、逆に「お前ら、労働者と共にセンター閉鎖に抗議しろ!」と叱咤激励していただきたいと思います。

さらに、尾崎さんや飛松五男さんらが尽力されながらも未解決の「女医変死事件」についても、「釜日労」は冷淡で、これを報じた『週刊金曜日』に強く抗議したそうです。今回の『人民新聞』への抗議に似ています。人民の側に立つことを公言するならば、逆に事件の真相究明のために力を貸していただきたいと思うところです。

尾崎さんと長い付き合いがあるからといって、尾崎さんが先のテントを破ったりしたのなら諌めますし、こうしたことが繰り返されたりするならば訣別します(同行してくれたM君リンチ事件で、その日和見主義的態度を取り、四半世紀以上の付き合いがあった鈴木邦男氏と義絶したように)。また、「釜合労」「釜日労」、どちらに与するわけでもなく、労働者の利益のために頑張っているほうを応援するのは言うまでもありません。

新潟出身で東京の大学に行き、在学中に新聞会の活動を通して山谷や釜ヶ崎の問題に関心を持ち、20数年前に釜ヶ崎に居を据え食堂を開いた尾崎さんの想いは素晴らしいと思います。私が尾崎さんの立場ならできません。

 
「はなまま」尾崎さんの2019年5月5日ツイッターより

女ひとりで食堂を営んでいますので、けっこう怖い場面もあるようで、刃渡り40センチぐらいののこぎりを持って食堂の前に居座られたりしたことも。こういう時には食堂のお客さんや仲間らが追い払ってくれるそうです。

尾崎さんは、時折冤罪や原発問題などで講演会を開いたりしますが、仲間らが手伝ってくれ、けっこう人数を集めます。来月には湖東病院冤罪事件被害者で先頃再審を勝ち取った西山美香さんと主任弁護人の井戸謙一弁護士(私たちが支援している滋賀医大問題の患者側の代理人でもあります)も来てくれるそうです。

一時は「一億総中流」などといわれた時代もありましたが、今はそんなことなど誰も信じません。ほんの一部の上流とほとんどの下流(嫌な言葉です)の格差が広がり、一所懸命働き年金も積み立ててきたのに年金さえもまともにもらえない(もらってもそれだけでは生活できない)社会になっています。一千万円単位の退職金をもらえるのは公務員とほんの一部の大企業ぐらいでしょう(ここでもほとんどの民間企業、特に中小企業との格差です)。

釜ヶ崎や山谷には、そうした格差や貧困問題が凝縮されていると思います。時代や社会が変わり、街が小奇麗になっていくのは、ある意味で致し方ないとしても、たった一人の労働者も弱者も切り捨てることなく都市計画を進めていただきたいと、あらためて感じました。

これからも情況は激しく転回していくと思われますが、釜への注目をお願いいたします。

 
『NO NUKES voice』18号 「はなまま」尾崎美代子さんによるフォークシンガー中川五郎さんインタビューを収録
『NO NUKES voice』19号「はなまま」尾崎美代子さんによる報告「美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?」を収録
創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

【My sentimental journey 望郷篇】熊本地震から3年 ―― 帰郷し、震災復興を祈り、40数年振りの旧友との再会を喜ぶ 鹿砦社代表 松岡利康

「風よ吹け吹け 雲よ飛べ 越すに越されぬ田原坂
仰げば光る天守閣 涙をためて ふりかえる ふりかえる ふるさとよ」(『火の国旅情』より)
https://www.youtube.com/watch?v=fP5zuOacZA0

 
熊本県人会総会にラストはみなで「火の国旅情」を歌う

この歌は、1970年代半ばのもので、一般的にはさほど流行らなかったが、関西の熊本県人会総会では最後に必ず出席者全員で歌うことになっているほど、熊本出身者にとっては大切な歌となっている。35番まである長い歌で、高橋ジョージらTHE虎舞竜の『ロード』のようだ。実際に歌われるのはそのうちの3番ほどだ。

ここに出てくる天守閣とは熊本城の天守閣のことだが、これは西南の役で焼き討ちされ消失、今のものは1960年に再建されたもので、いわばレプリカである。なので、消失を免れた江戸時代からある小さな宇土櫓や、「武者返し」といわれる石垣は文化財になっているが、天守閣はなってはいない。

しかし、熊本市民、県民にとっては象徴的な建物である。熊本市出身の私は少年期、城内には何度も何度も行き、天守閣にも幾度となく上った。18歳で故郷を離れてからは、帰郷する際には必ずといっていいほど熊本城に行き天守閣に上り市内を一望した。

3年前の4月14日と16日の2度にわたり震度7の熊本地震から3年を迎えた。天守閣や石垣が大きな被害を蒙ったことは大ショックだった。今は再建工事中で、城内には入れない。一日も早い復旧を願う。

再建工事中の熊本城

歳を取ると、なぜか望郷意識が高まるもので、若い頃は「こぎゃん(こんな)田舎は一日一刻も早く出たい」という気持ちが強かったが、今は故郷に帰り旧友と毎日楽しく飲み交わしたりして愉快に過ごしたいと思うようになった。実際には、会社の経営もあるので、それを放って故郷に引き揚げることはできないのだが……。

ということで、なにか用がないと戻れないが、このかんは1年に2度、つまり4月の高校の同窓会と9月の「琉球の風」に合わせて帰郷してきた。

その前後に、彼岸には帰郷できないので、お寺さんに行き挨拶と墓参りをすることにしていた。

◆まずは墓参り

熊本は城下町なので、下級侍の流れを汲む、わが松岡家の菩提寺も市内中心から少し離れた所にある。中学の同級生の有田正博君(後述)らが作った若者のファッション街「シャワー通り」と風俗街に隣接している。徳川時代からある、このお寺も、熊本地震では大きな被害を受け、本堂、山門、塀などが全壊した。境内にある墓も大半が倒壊していたが、その前年秋に従妹と費用を出し合って新しくした松岡家の墓は、石材店がしっかりした仕事をしてくれたお蔭で、びくともしなかった。

まずはお寺さんにご挨拶済ませ、お墓の掃除、ろうそくと線香を灯す。若い時には気づかなかったが、心が休まる。

 
9回目の「琉球の風~島から島へ~」(2017年9月24日熊本フードパル)

◆「琉球の風」のご苦労様会で一献傾ける

高校の同級生で沖縄与那国島にルーツを持つ東濱弘憲君(故人)が、まさにライフワークとして始めた島唄野外コンサート「琉球の風」に、私たち鹿砦社も途中から協賛企業として参画した。これには、東濱君の想いに応え、沖縄島唄の大御所・知名定男先生を総合プロデューサーとして、著名なミュージシャンが数多く参加してくれた。

宮沢和史(BOOM)さんはまだ得体のしれないイベントに第1回からレギュラーとしてほぼ全回参加していただき、宇崎竜童、BEGIN、ネーネーズ、かりゆし58、夏川りみ、南こうせつ……錚々たる方々が薄謝で集ってくださった。

東京、大阪などの大都会ならともかく、熊本のような地方都市では採算分岐点の2000人余りの観客を集めることは難しい。本来なら昨年が10回目だったが、残念ながら台風で中止となった。なんとしても10回はやるというのが東濱君との約束だったのだが自然の猛威には勝てない。

 
第10回「琉球の風」中止のため急遽ミニライブで歌うネーネーズ。もうすぐ2人が卒業

この季節(9月の最終日曜日)、いつも台風に悩まされ、しかし、9回までは運良く台風も避けてくれた。

これだけでも奇跡的なことだが、最後は、事前に沖縄から来ていたミュージシャン(知名先生、BEGINの島袋優さん、ネーネーズら)と夜が更けるまでミニライブと余興を行った。これはこれで楽しかったですがね。

その「ご苦労様会」として、今回の帰郷で一席設けさせていただいた。最大のスポンサーで女子サッカーを不遇の時代から支えてきたことで有名な黒糖ドーナツ棒を熊本を代表する人気商品に育て上げた「フジバンビ」の吉田高成会長も、仕事先の八代市からわざわざ駆けつけてくださった。

 
『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が「薔薇亭」に贈ってくれた筆画

委員長の山田高広さん、超ベストセラー『ONE PIECE』の著者・尾田栄一郎氏が学生時代アルバイトしていて、海上レストラン「バラティエ」のモデルになったことでファンの間では有名な高級ステーキハウス「薔薇亭」店主で、私と高校3年間共に学んだ松藤春夫君、若者ファションの街「シャワー通り」を作り若者ブランド「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君らも来てくれた。Paul Smithさんがまだ有名になる前にニューヨークの展示会で知り合い意気投合、その場で30万円を投じ彼の商品を買い付けたことが最初とされる。

有田君は、中学3年の時に家庭の事情で八代市から転校してきたが、中学を卒業して以来ご無沙汰していたところ、「琉球の風」の第5回までの記録集『島唄よ、風になれ!』を製作中に、東濱君が作ったメンズショップで働いていたことが判り、元地元新聞記者の取り計らいで再会、実に40数年振りだった。爾来、帰郷するごとに一献傾ける機会を持つようにしている。

彼はPaul Smithの販売権を得たこと、そして何よりも彼自身の才覚で大ブレイクしたそうで、一時はビルを3つ持ち釣り三昧の日々を送ったというが、さすがに妻子に三行半を突き付けられ離婚、この際、ビル3つとPaul Smithの販売権を全て妻子に渡し、自分はゼロから再出発したという。何度も結婚―離婚を繰り返し、離婚するごとに全財産を妻に渡したという、往年の名時代劇俳優・嵐寛寿郎の現代版だ。

失礼な言い方だが、中学の時のイメージからすると、こんな剛毅な男とは思えない。今でも彼の熱烈なファンが多いらしく、自前のブランドを作り、妻子の店の斜向かいで店を構えている。

有田正博君の記事(2016年6月8日付熊本日日新聞)
「琉球の風」ご苦労様会。写真右から「フジバンビ」の吉田高成会長、筆者、ステーキハウス「薔薇亭」店主の松藤春夫君、「Paul Smith」を日本に最初に持ってきたことで有名な有田正博君

◆高校の同窓会で旧友と再会した!

そうして、次は高校の同窓会だ。今年は趣向を変えて、同級生が灯篭祭りで有名な山鹿市の温泉街で土産物屋をやっているということで、温泉旅館でやることになった。

われわれの母校は当時、熊本商科大学付属高校といって新設校だった。通称「商付(しょうふ)」で男子校だった。われわれが第9期、未だ歴史も浅い開校から一桁の時代だ。その後、熊本商科大学が学部を増やし熊本学園大学に名称を変更し熊本学園大学付属高校と名を変えている。通称「学付(がくふ)」、今は男女共学になっている。同窓会の名は「紫紺会」と言う。

当時は、公立校に落ちた者の受け皿として設立され、新設校ということでレベルも低かったが、今では東大・京大にも合格するようにまでレベルアップしているようだ。

一昨年、関西の同窓会を久しぶりにやったところ、読売新聞大阪本社社長として赴任してきたばかりの溝口烈君(先輩‐後輩の関係から「君」付けで呼ぶ、「さん」や「氏」では変ですよね?)も出席してくれた。前任は、東京本社専務である。読売の社長というから、どんなコワモテかと想像していたところ、予想に反し物腰の柔らかい男だった。私も外部からはコワモテと思われているようだが、実際は軟派な男で、これと同じだな(苦笑)。

読売の評価はともかく、われわれの母校も、読売の専務、大阪本社社長を生み出すほどにまでなったか、と正直感慨深いものがあった。

ところで、今回の同窓会で最も嬉しかったのはHM君と実に40数年ぶりに再会できたことだ。彼は台湾・中国大陸に渡り、一時は死亡説まで流れたので、私が生きている間には会えないだろうと思っていた。本人に言わせると台湾・大陸を駆け巡り約30年頑張ったという。1年半ほど前に熊本に帰ったそうだ。寡黙でニヒルなイメージがあったが、けっこう能弁な男に変わっていた。仕事がそう変えたのか、久しぶりに日本に帰ってきて話したいことが一杯あるのか――。

高校を卒業し、大学に向かうために、当時は寝台列車に乗って行った。HM君は他数人と見送りに熊本駅に来てくれた。その後、彼は東京のH大学に入り、もう言ってもいいだろうが、私同様、当時の学生の多くがそうだったように学生運動に走った。彼の性格と地方出身者ということから、ラジカルに闘ったと想像する。逮捕の噂も耳にした。現在のH大の総長も一時共に活動していたとのことだ。しばらくして首都圏では人気があったブント叛旗派という党派に入り、1971年秋、当時沖縄返還協定批准阻止闘争で私も東京で活動していたところ、H大学の学園祭でバッタリ遭遇した。「なんばしよっとね?」と、叛旗派が根城にしていた教室だったかボックスだったかに連れて行かれ、幹部と思しき人物にオルグられた。彼はこのことを忘れていた。

その後、卒業してから私は大阪市内に出て働き始めた。75~76年頃だったか、叛旗派が解体し、展望を失ったHM君は熊本に帰るということで、大阪に途中下車し、曽根崎のスナックで飲んだ。当時出始めたばかりのカラオケ(カセットの時代だったですね)で彼は『五番街のマリー』を歌った。そのことを言うと「よう覚えとるね」と言った。このことも忘れていた。そして一晩私のアパートに泊まり熊本に帰って行った――それ以来の再会だ。

有田君との再会といいHM君との再会といい、なにか不思議なものを感じる。私たちも先が見えている世代、これからどれだけ旧友らと再会できるか、若い時には同窓会というと小バカにしてきたが、機会があれば、できるだけ足を運びたい。8月には4年ぶりに中学の同窓会があるという。もちろん万難を排し出席する。航空券もホテルも予約済みだ。

熊本商科大学付属高校(現・熊本学園大学付属高校)「紫紺会」9期同窓会
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[3](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

《6》李信恵の「被害」なるものの意味が理解できない

 第2訴訟の訴状において李信恵がみずからへの「被害」として、「(1)精神的被害」「(2)講演会への抗議」「(3)身体的異変」を挙げているが、被害妄想としか言いようがない。

「(1)精神的被害」として、私たちがジャーナリズム、メディアや出版関係者、それらに加え今回は李信恵支持者や関係ら多くの人たちに意見を聞くためのテキスト、資料として鹿砦社発行出版物を献本送付した。例えば月刊『紙の爆弾』は、毎月発行ごとに300人ほどのジャーナリズム、メディア、出版関係者らに献本送付しているが、本件関係ではその半分から3分の2ほどであるから特段問題にする必要もない。

 李信恵は、こうしたことを「誹謗中傷」として「強い精神的苦痛」を受けたとして挙げているが、献本送付行為はどこの出版社でも一般的に行う行為であって、これをあれこれ言われては出版社としては立つ瀬がない。これを「誹謗中傷」と言うのであれば、あらゆる出版物が「誹謗中傷」ということになる。

 鹿砦社発行出版物に批判や反論があるのであれば、「言論には言論で」の原則のもと、李信恵も反論本を出版すればいいのである。李信恵、及び彼女の支持者らは、それなりに出版社とのつながりがあり、執筆能力も十分あり、少なからず著書もあるが、鹿砦社発行出版物に対する反論本は1冊もない。

 李信恵は、李信恵代理人・上瀧浩子弁護士と共著で『黙らない女たち』(かもがわ出版)を昨年出版した。おそらく鹿砦社発行出版物に対して「黙らない」で反論しているのかと思い購読してみたが、1文1行1句たりとも反論は記述されていない。

 また、私たちは常々、間違いや批判などがあれば指摘してくれたら、いつでも訂正することを述べているが、李信恵側からは具体的な指摘などはなく、単に「デマ本」「クソ鹿砦社」等々の悪罵があっただけである。

 今、裁判所の場での応酬を展開しているが、李信恵が「フリーのジャーナリスト」(第2訴訟訴状3ページ)を自認し、著書もあるわけだから、基本は言論戦でなければならないことは常識である。

「(2)講演会への抗議」。全く意味不明。山口県の部落解放同盟主催の講演会に鹿砦社、及び鹿砦社関係者が抗議した事実はないし、とんだ濡れ衣である。妨害行為自体はあったかもしれないが、それを入念に調べもせずに、あたかも私たちが行ったかのように虚偽の物言いをし裁判所に鹿砦社のイメージ悪化を図るのは、これこそ鹿砦社に対する名誉毀損そのものである。解放同盟の幹部が「陳述書」を提出しているが、解放同盟も、いまだにこんな茶番に加担してどうするのか!?

「(3)身体の異変」。医師の診断書も付けずに何をかいわんやである。これも鹿砦社に責任をなすりつけるもので言語道断と言わざるを得ない。「(1)精神的被害」にしろ「(3)身体の異変」にしろ、激しいリンチの被害者Mが負い、今でも時折夜中にうなされたり身体的精神的な後遺症(PTSD)と苦痛を李信恵はいかに考えるのか? 李信恵には人間としての良心はないのか!?

《7》「出版物差止請求権」「削除請求権」と「表現の自由」「言論・出版の自由」

 さらに李信恵は第2訴訟において鹿砦社発行出版物に対して出版物の販売差し止めを求めている。出版物の差し止めについては、その出版物に高度の違法性と強度の緊急性があることが大前提となることは論を俟たない。また、李信恵は、これら出版物の中のほんの一部を切り取り挙げつらって、これら出版物そのものの販売差し止めを求めている。

 周知の通り日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を謳い、私たち出版社はこれに基づいて活動をしているが、李信恵も「フリーのジャーナリスト」を自認し出版社とのつながりもあり実際に著書も出版している。李信恵による販売差し止め要求は、憲法21条の精神を蹂躙し、みずからの首を自身で締めるようなものであり、断じて許すことはできない。

 また、ネット上のブログ「デジタル鹿砦社通信」に対する「削除請求権」であるが、李信恵がリンチ事件が起きる以前からずっとネット上で頻繁に発してきた「死ね」「デマ」「クソ」などと言った誹謗中傷(第5弾本巻頭グラビア参照)に比べれば穏健で、綿密な調査・取材に基づく事実と、これに裏打ちされた公正な論評によるレポート記事であり、これも「表現の自由」の見地から削除を要求されるいわれはない。

李信恵氏の暴言の数々

《8》リンチ被害者Mが李信恵らリンチ現場に同座した5人を訴えた訴訟について

 李信恵が法的責任を免れたからといって全くのシロではないと私たちは認識する。むしろ、人間として、人道的、道義的、倫理的責任があることは言うまでもない。

 李信恵は、リンチ被害者Mが彼女らを訴えた訴訟において、大阪地裁、及び上級審の大阪高裁で、法的責任を免れた。また、刑事処分にあっても不起訴となっている。

 しかし、これは事件を白紙の状態から時間と労力と資金を費やして調査・取材に当たってきた私たちに言わせれば、一部分を除き全くの誤判だと断ぜざるを得ない。これは800ページ余に渡る鹿砦社による出版物において証明されている。裁判官も人間ならば、第4弾本に付けているリンチの最中の阿鼻叫喚の音声を聴くべきだ。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 私たちは、多くの人たちの協力、綿密な調査・取材に基づき長い出版人としての良心と矜持をもってリンチ事件についての書籍を出版してきたつもりだ。できるだけ常識と、いわゆる「一般人」としての感覚でリンチ事件に当たってきたのである。例えば、「一般人」の常識や感覚から言って、リンチに関わっていないのならなぜ「謝罪文」を出したのか、それも自筆で。疑問に思うこと多々であり、裁判所の良心を疑うものである。ブラックそのものであるが、少なくともダークである。刑事処分では「無罪」になり民事訴訟でも責任を課せられかなったかもしれないが、全くのホワイトでも〈無実〉でもない。

 もともとこの集団によるリンチ事件、主たる実行犯のエル金こと金良平のみにほぼ全ての責任が課されているが、この場に居た全員に〈連帯責任〉があることは言うまでもない。なかでも李信恵は「首謀者」として誰よりも責任がある。私がよく言うように、私が若い頃、いわゆる「連合赤軍事件」が起き、首謀者の永田洋子は、自らは手を下さずに死刑判決を受けた。実行犯は、阿吽の呼吸で暴力を振るった配下の者らである。事件の規模は違えど同じ構図である。

 現場に同座した李信恵には、少なくとも人道的、道義的、倫理的責任はあるのだから、李信恵に人間としての一片の良心があるのならば、まずは、かつてリンチ被害者Mに渡し、その後撤回した「謝罪文」に立ち返るべきである。

 特に李信恵は日頃から「人権」という言葉を口にしているが、まさに人権上、このリンチ事件はその言葉の内実を問うものである。

 当初リンチ事件の存在を伝え聞いた際に、李信恵も、いわば“「反差別」運動の旗手”であるならば、人間として一片の良心はあるはずなので、もっと良心的に振る舞うものと思っていたが、これが全くの誤認であったことを知り私は落胆した。このままでは日本の反差別運動や社会運動は、事件の真相を知った世の人々の失望を誘い後退するに違いない。

 リンチ被害者Mが李信恵ら5人を訴えた訴訟を後押しし支援し、また私たちが相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言で李信恵に対して訴訟を起こしたのも、訴訟の勝ち負けに関係なく、李信恵の人間としての良心を信じたからであるが、最近では李信恵はじめリンチ現場に同座した5人も、李信恵を支援する者らも、李信恵の代理人らも、開き直っていることを知るにつけ、私たちは、「人権」という言葉が空洞化し、日本の反差別運動や社会運動は衰退していくだろうと懸念する。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

ひとまず本稿の最後に

 鹿砦社が係争する訴訟3件も、勝ち負けに関係なく、裁判所が公平・公正な判断をされることを期待し、よって私が長い出版人生を懸け、誹謗中傷、罵詈雑言を浴びながらも血のにじむ想いで、総計800ページ余に成った5冊の本をもってしても蔑ろにされ判断の材料にされないのなら死んでも死にきれない。裁判所に切に要請するものである。

 
鹿砦社代表・松岡利康

 私がこの3年間に感じたことは、他にもいくつもある。最も怒りを覚えたのは、リンチの隠蔽活動に狂奔し、またはこの片棒を担いでおきながら、私たちが問い質すと沈黙したり逃げたりした人たち、つまり社説にさえ採り上げた朝日新聞をはじめとするマスメディア(の住人)やジャーナリスト、政治家、弁護士(三百代言?)、著名人、「知識人」らのデタラメさと偽善であるが、これは後日稿を改めて申し述べたい。これだけ証拠も揃いリンチは歴然なのに、なぜ良心に沿って自分の意見を言わないのか? なぜ逃げるのか? こういう時こそ、勇気を出して発言するのが真の知識人ではないのか!?

 また、当初から、あるいは偶々、このリンチ事件に関心を持った多くの人たちが、いまだに1円もの治療費さえも受け取っていないリンチ被害者M救済、このリンチ事件の真相と本質をしかと見つめ、近未来の日本の反差別運動、社会運動、市民運動にどのような悪影響を与えるのか、しっかり考えていただきたいと切に願う。[了]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[2](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

《4》各々の書籍の概要と、李信恵への反論

 5冊の書籍には、私たちの取材の範囲の広さを反映し多くの人物が登場する。各人が持論を展開し、真相究明に役立った。

(1)第1弾本『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』

 
『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』2016年7月14日刊

 取材はまだ初期の段階の成果である。前記の、①M関係者からもたらされた資料の読解と解析。②リンチ被害者M本人への面談と聴取。③Mをサポートしてきた者らへの取材。④李信恵本人への取材(拒否)を一通り行い、また⑤李信恵支持者や彼女と連携する者らへの取材にも着手し、事件と、事件後の様子が概略把握できた。これには、リンチ事件に関心を持ち、李信恵らの所業を批判し、そのことで李信恵らから激しい誹謗中傷攻撃をされた、ろくでなし子(漫画家)、高島章(弁護士)、田中宏和(ネットブロガー)、合田夏樹(自動車販売会社経営者)らが名を出して登場し協力、みずからの体験に基づき証言した。本書発行の前に起きた不可解な2つの出来事(李信恵が関与したリンチ事件を記事に採り上げながら李信恵支持者らからの抗議で記事を撤回し謝罪した『週刊実話』問題、これまで協力者として振る舞っていたミュージシャン趙博の裏切り)についても記述した。

 また、事件の概要、リンチの最中の音声の一部書き起こしなども掲載している。本書で李信恵が「不法行為」として訴状で挙げているのは6箇所(略)だが、あらためていちいち精査したが全て綿密な取材に基づいて記述した事実であり公正な論評である。これらのどこがどう問題なのか、私たちには理解できない。逆に李信恵に釈明と反論を求める。

(2)第2弾本『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』

 
『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』2016年11月17日刊

 この頃になると取材・調査もかなり進み、それを誌面に反映した。また、第1弾本を同封し、李信恵周辺の者、李信恵に連繋する者、特段李信恵を支持しなくても私たちが意見を聞きたく思ったジャーナリスト、大学教員など計40名に質問書もしくは取材申込書を送付した。

 送付した者の名は、同書「4」42ページから101ページに記載し、うち李信恵の裁判を支援する会事務局長の岸政彦(当時龍谷大学教授)に直接取材した。また安田浩一(ジャーナリスト)、西岡研介(ジャーナリスト)、金光敏(コリアNGOセンター事務局長)、中沢けい(作家、法政大学教授)、金明秀(関西学院大学教授)、秋山理央(カメラマン)らには電話取材ができた。他は無回答で、同書161ページに名前を列挙し次回出す本であらためて取材することにした。

 また、第2弾本には、寺澤有、佐藤雅彦の2人のジャーナリストも参画した。寺澤は、リンチ被害者Mに同情したことで、李信恵支持者らからの激しい攻撃を受けた合田夏樹への、国会議員の宣伝カーを使ったとの疑いのある自宅訪問脅迫(未遂)事件を取材し、李信恵支持者で最も過激といわれる「男組」関係者と思しき石野雅之(団体職員)、高野俊一(フリーライター)らを対面取材している。

 さらに第2弾本で最も話題になったのは、水面下でハンドルネームITOKENこと伊藤健一郎らが作成した、「『暴行事件』のあらまし」を記述した「説明テンプレ」と、李信恵らへの経済的支援を呼びかける「声かけリスト」である。リンチ事件後の李信恵や彼女の支持者らの蠢きが判る。

 ここでも李信恵は「不法行為」として3箇所を挙げているが、これらも綿密な調査・取材に基づく記述であり公正な論評である。

(3)第3弾本『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究、偽善者との闘い』

 
『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究、偽善者との闘い』2017年5月26日刊

 本件リンチ事件の調査・取材・編集に着手して以来、李信恵を支持する者らへの直接対面取材を試みてきたが、今回、李信恵の背後に居てリンチ事件の実相を知る大物として有田芳生(参議院議員)、中沢けい(作家、法政大学教授)に直接対面取材することができた。また、リンチ事件のキーパソンの1人でもある師岡康子(弁護士)らにも電話取材を試みたが、すぐに切られた(この様子も記述している)。リンチ被害者Mが提訴した訴訟、この訴訟(対李信恵第1、2訴訟)の李信恵代理人の上瀧浩子(弁護士)は、リンチ被害者Mとも一時は「友だち守る団」というグループで一緒だったこともあるが、短いながら取材に応じてくれ、この様子も記載している。

 さらに、佐藤圭(東京新聞デスク)は嫌々ながらも長時間のインタビューに対応してくれた。

 こういうことがあり、もう少し予定した項目(具体的には、第4弾本に記載している藤井正美の件)があったが作業が遅れていたこともあり、急遽発行することにしたのである。だから、第2弾本よりもページ数が少ない。

 また、本件には多くの在日の人たちが証言してくれたが、その一例として、この第3弾本には、ある在日女性の長時間インタビューが掲載されている(第3弾本64ページから76ページ)。

 この第3弾本に対しても李信恵は「不法行為」として3箇所挙げているが、これも事実を記述したのであって、失当である。

(4)第4弾本『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』

 
『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』2017年12月6日刊

 第4弾本は、リンチ被害者Mが、李信恵らリンチの現場に同座した5人を訴えた訴訟の一審判決直前に発行されたものである。私たちがリンチ事件の被害者支援と真相究明を開始して2年近くとなり、これまでの調査・取材・編集の一定の成果をまとめ、特筆すべきは、巻頭カラーグラビアにリンチ直後の被害者Mの顔写真を掲載し、さらにリンチの最中に被害者Mが必死に録音した音声データのCDを付けたことだろう。誰が見ても、また裁判官も血の通った人間ならば、また一般人の常識と感覚を基準とするというのならば、酷いと感じるはずだし人権を蔑ろにするものだと思うはずだ。李信恵が頻繁に口にする「人権」を李信恵みずからが否定する証拠と言わざるをえない。

 さらに、李信恵が極右団体・在特会らを訴えた訴訟「反ヘイト裁判」に李信恵の立場で裁判所に意見書を提出した前田朗(東京造形大学教授)が「反差別運動における暴力」との題で『救援』(2017年8月10日号)に寄稿した一文が転載されている(第4弾本83ページ)。前田は、李信恵らによってリンチ事件が発生したことを、ずっと知らなかったが、鹿砦社が発行した第1弾本から第3弾本を読み、次のように述べ私たちの調査・取材・編集活動を評価している。

「本書(注:前田は第1弾本から第3弾本の3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない。」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは差別、暴力、差別の扇動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(注:李信恵)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する。」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することは矛盾する。」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである。」

 真っ当な意見である。

 次いで、鹿砦社元社員として、李信恵支援のため裏で蠢動していた藤井正美に貸与していたパソコン(鹿砦社所有)から出てきた、勤務時間に行っていたツイッター、メールを解析した(第4弾本135ページから178ページ)。これは当初、第3弾本に掲載する予定であったが、データが膨大な量に及び、整理と解析の作業が遅れ第4弾本に掲載したものである。尚、私は在職中問題を起こして解雇や退職に至った者に対しては「武士の情け」で後からしつこく追及しないできたが、藤井に対しては、あまりに悪質なので給与返還等を求めて大阪地裁第16民事部に提訴している。藤井代理人は、またしても神原弁護士である。

 第4弾本に付けたCDは広く衝撃を与え、誰かがこれをYou Tubeにアップし、現在8万人近くが視聴している。

 この第4弾本に対しても李信恵は「不法行為」として6箇所を挙げているが、これらも全くの事実であり、事実に基づく公正な論評であり李信恵の主張は失当である。

(5)第5弾本『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

 
『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』2018年5月28日刊

 第5弾本は、対李信恵第2訴訟提訴以後に発行され、第2訴訟では訴外となっている。私たちがリンチ事件の被害者支援と真相究明に関与してから2年余り経ち、リンチい被害者Mが李信恵ら5人を訴えた訴訟の1審判決が下された後に発行され、1審判決の分析を主な内容として構成されている。

 巻頭第1項に、被害者Mの手記が掲載されているが、Mはこの間リンチの後遺症(PTSD)に苦しんできたことを述べている。それはそうだろう、リンチ直後の顔写真やリンチ最中の阿鼻叫喚の音声から推認できる凄惨なリンチを受け後遺症に悩まないわけがない。李信恵がいやしくも「人権」という言葉を語るならば、リンチ被害者の苦しみを理解しMの人権を慮るべきではないのか!?

 本書後半に、このリンチ事件に関心を持つ5人へのインタビュー・座談会の内容が掲載されている。このうち、中川淳一郎(ネット評論家)を除き、一時は李信恵らと「カウンター」活動に関わった者である。凛七星(歌人)は、李信恵代理人・上瀧浩子弁護士やMと活動を共にした者。三輪吾郎(自営)も、李信恵らと「カウンター」活動を行った者で、2人ともリンチ事件後に活動から離れているが、内部の事情が詳らかに語られている。

 さらに、木下ちがや(大学講師)と清義明(自営)も、「カウンター」活動に関与しつつも、東京在住で地理的にも遠いことなどもあってか李信恵には批判的で距離を置いていた者である。

 ここでも内部事情がディープに語られ、発行直後から話題が沸騰し、木下などは、李信恵や彼女の支持者、仲間らから激しい攻撃を受け謝罪に追い込まれている。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

 中川淳一郎にはネット関係の多くの著書や雑誌連載(最近『紙の爆弾』でも連載している)があるが、中川は、「カウンター」の初期の段階から、これを見つめてきて、『ネットの反差別運動の歴史とその実態』(NEWSポストセブン)という長大なレポートもあり私たちも大いに刺激を受け参考にさせてもらった。
 
 以上鹿砦社がこれまで発行してきた5冊の本について概要を記述してきた。昨今「切り取り報道」といって、都合のいい箇所を切り取って報じる手法が批判されているが、これら5冊の本は「切り取り報道」、つまり資料をつぎはぎしたり組み合わせたりして編集したものではなく、時間と労力と資金を費やし綿密な調査・取材に基づいて記述し編集したものである。鹿砦社50年の社史で、これほどまでに時間と労力と資金を注ぎ込んだ書籍・雑誌のシリーズはない。総計800ページ余りになることからも判るであろう。

 また、第4弾本35ページから38ページに列挙しているが(諸事情を配慮し掲載していない者が一部いる)、その都度質問書や取材申込書を送った者は、当初は40名ほどだったが、その都度増え第4弾本には80名を超えた。遺憾ながら、これに応じてくれた者は多くはない。忌まわしい凄惨なリンチ事件から逃げたと言われても致し方ないが、その他にも有名・無名問わず数多くの人たちに取材してきた。取材源の秘匿の原則からいちいち名を挙げることはできないが、私たちとしては最大限多くの人たちの意見を聞く努力をし、事実解明を積み上げてきた。

 その結果、私たちはリンチ事件の発生は事実で、李信恵ら5人がこの現場に居たことも事実、李信恵がMの胸倉を?んだのを合図に一方的に激しいリンチが始まったことも事実、その前に李信恵は、みずから供述しているように「日本酒に換算して1升」ほどの酒を飲み酩酊状態にあったことも事実、リンチを止めなかったことも事実、リンチの間悠然とワインを飲んでいたことも事実、救急車などを呼ばなかったのも事実、さらにはリンチで瀕死の状態の被害者Mを師走の寒空の下に放置して立ち去ったのも事実、である。人間として考えられないことであり、人道上も道義上も倫理上も到底許すことはできない。李信恵に「人権」という言葉を口にする資格はないと断じる。

 第1弾本から第4弾本で「不法行為」として摘示された箇所を解析し公正に判断されるには総計800ページに及ぶ原本を読解し、それらの文脈から判断されるべきである。

(6)「デジタル鹿砦社通信」上の発信について

 鹿砦社は、このリンチ事件に限らず、その時々の出来事について「鹿砦社通信」において申し述べてきた。もう20年以上にもなる。当初はファックス同報通信でマスコミ・出版関係者ら100人余りに毎週送り、ここ10年ほどはネットでブログ化し「デジタル鹿砦社通信」として発信している。

 リンチ被害者Mが李信恵らリンチの現場に同座した5人を提訴した裁判の経過報告について、その都度、「鹿砦社特別取材班」名義、松岡名義でレポートしてきている。裁判の支援者としても、リンチ事件の取材者としても当然の行為である。李信恵は、この「デジタル鹿砦社通信」の6箇所について「不法行為」として挙げ削除を求めている。そこで、あらためて全文(略)を読み直し精査してみたが、全く事実であり、これに基づいた公正な論評であり、李信恵の主張は失当である。

《5》鹿砦社発行出版物、及び「デジタル鹿砦社」の記事に対して李信恵の言う「名誉毀損」「不法行為」は失当である

 上記(前回参照)鹿砦社発行出版物は、地道な調査・取材に裏打ちされ、事実を積み重ねて記述し編集されたものであり、原告が摘示している箇所は全て真実であり、鹿砦社は真実と見なし掲載し発行したものである。時間と労力と資金を費やして調査・取材したもので、総計800ページ余りにも及び、真実、もしくは真実と見なすに相当するものと思慮する。これだけやって「虚偽」だとか「デマ」だとか言われると、どのような調査・取材をすればいいのか。

 また、ブログ「デジタル鹿砦社」の記事も、裁判や判決など、その都度都度の出来事の報告であり、「虚偽」の記述などはない。

 上記記事や記述においては、慎重に慎重を期しているし、私たちが我慢ならず提訴(鹿砦社勝訴の第1訴訟)したように李信恵には汚い言葉や表現が多いが、鹿砦社の上記出版物やブログ「デジタル鹿砦社通信」等での表現には気を配り、時に激しい表現はあっても汚い表現はないように努め、チェックにチェックを重ね、推敲に推敲を重ねて編集し自信を持って発行したものである。

 さらには、第2訴訟の訴状はじめ、たびたび李信恵が「リンチ事件の首謀者ではない」云々の表現があるが、私たちは綿密な調査・取材の結果、やはり「リンチ事件の首謀者」と認識せざるを得ない。リンチの現場に同座した5人で、例えば実行犯のエル金こと金良平を「首謀者」とは言えないし、他の者もそうである。わずかに最年長者の伊藤大介がサブ的な存在と見なされるが、李信恵以外のこのグループの4人は、李信恵の親衛隊的な性格を持つものであり、李信恵が「リンチ事件の首謀者」であることは言うまでもない。[つづく]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[1](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

 俗に「しばき隊リンチ事件」とか「十三ベース事件」などともいわれてきた「カウンター大学院生リンチ事件」に私たちが関わるようになって3年が経った──私なりに思うところもあり、時あたかも対李信恵第1訴訟が一審判決で鹿砦社勝訴‐李信恵敗訴となり、双方控訴し、また第2訴訟の審理が進捗しつつある中で、“準備書面の準備”も兼ねて、この3年の経過や想いなどを整理してみた。

 なお、対李信恵訴訟は2件あり、便宜上、鹿砦社が原告となり李信恵を被告として訴えたものを「第1訴訟」、これに李信恵が反訴し、反訴とならず別個の訴訟となったものを「第2訴訟」(原告李信恵、被告鹿砦社)とする。

 また、俗に「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」の呼称は、おそらく東京の反しばき隊の人たちが作り広まった言葉で、関西にいて見ていると、「カウンター」と「しばき隊」も実態的に同じであろうが、当地では「しばき隊」よりも「カウンター」という表現が一般的のようで、「カウンター大学院生リンチ事件」と表現するほうが、より的確だと思われるので、本稿ではこう表現する。

 以下、本稿では全て敬称は省かせていただいた。

《1》私が「カウンター大学院生リンチ事件」に関わる契機

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

 対李信恵第1訴訟は、李信恵による鹿砦社、あるいは同社代表の私への誹謗中傷、悪口雑言に対するものであり、一方第2訴訟は、李信恵が現場に同座し加担したとされる「カウンター大学院生リンチ事件」について記述した書籍に対するもので第1訴訟から枝分かれしたものである。

 もう3年にもなるのか──2016年2月28日、リンチ事件の被害者でK大学大学院博士課程に在学するMの知人Yが鹿砦社本社を訪問し、Mが李信恵ら5人による集団リンチに遭い重傷を負った事実の説明を受け、資料を受け取り、リンチ直後の顔写真に衝撃を受けた。また、リンチの際の)、マスメディアの報道の印象から、むしろ私は李信恵を“ネトウヨ・極右勢力と戦う勇気ある女性”と尊敬さえしていた。おそらく一般の人たちも、詳しく事情を知らない限りそうだろう。

 しかし、その本人が裏で(私たちが知らないところで)、このような集団リンチに同座し関与したことにも大きなショックを受け、さらに被害者Mが、一部の者らによって支えられていたこと以外に、集団リンチ被害者として正当な償いを受けず、いわば村八分状態にされていること、李信恵に連なる、著名人含め多くの者らによる隠蔽活動により、それも事件後1年以上も放置されていることにもショックを受けた。

 私のショックは、そうしたリンチ事件の実相をなぜかマスメディアが報じないこと、さらにその隠蔽活動に、私が経営する会社・鹿砦社に勤務していた藤井正美が、李信恵らの仲間として関わっていたことも判明するに至りショックは強まるばかりだった(藤井については、第2弾本『反差別と暴力の正体』、第4弾本『カウンターと暴力の病理』にて記載し、あまりの悪質さに給与返還、損害賠償を求め大阪地裁第16民事部に提訴している)。

 日頃、「反差別」や「人権」を声高に叫ぶ者が、リンチ被害者を村八分にし、被害者の人権を蔑ろにしている……私たちは、一致してリンチ被害者Mを支援し、事件の真相究明を行うことにした。これは、僭越ながら、私の長い出版人としての矜持による営為である。私も長い出版人生の中で、散々いろいろな方たちに迷惑をかけたり顰蹙を買ったりしたが、まだ人間としての良心の一片は残っている。

 私は、李信恵に対して一切の付き合いもなく直接顔を見たこともなかった(初めて顔を見たのは2017年12月11日、Mが李信恵らリンチの場に同座した5人を訴えた訴訟の本人尋問の法廷であり、それ以前も以後も会ったことはない)ので何らの私怨・私恨は一切なかったし今もない。このリンチ事件が、社会運動、とりわけ、いわゆる「反差別」運動の内部で、その運動の過程で起きたこと、また、李信恵がその運動の旗手のように頻繁にマスメディアに採り上げられることなどを鑑みると、李信恵は公人に近い存在、準公人であり、社会運動、とりわけ「反差別」運動の内部で起きたことで公共性、そしてこれを追及することに公益目的があることは論を俟たない。

《2》創業50年を迎えた鹿砦社は、その過程で独自の取材のノウ・ハウを身に付けた

 鹿砦社は1969年(昭和44年)に創業、本年で創業50周年を迎える。また、同社現代表の松岡も途中から加わり、代表に就いて30年余りになる。

 50年に至る過程で、当初は人文・社会科学関係を中心に出版し、ノーベル賞受賞作家、ボリース・パステルナークの『わが妹人生 1917年夏』(1972年)など、いわば硬派の出版社として名を成した。また、松岡が代表に就くや、出版の巾を芸能関係にまで拡げ、小さいながらも左右硬軟広範に渡り出版する、いわば総合出版社として現在に至り、今では年間100点前後の新刊書籍・雑誌を発行し、コンスタントに年間売上3~4億円を挙げ、ピーク時にはヒット作が続き売上10億円を超えたこともある。

 李信恵はじめ一部には、鹿砦社が、きのうきょう出てきた、“ぽっと出”のいかがわしい新参出版社の如く誤解する向きもあるようだが、半世紀も続く歴史と伝統のある出版社であり、手前味噌ながら、本社のある兵庫県では、信用情報機関の調査でも1位とされるし、関西でもおそらく10位前後にランキングされると思われる。

 鹿砦社は、創業50年の間に、独自の取材のノウ・ハウを身に付け、出版業界内外に一定の評価を受けている。

 今般、このリンチ事件についても、会社の規模からして、たびたびはないが、私たちは、これまでの出版人生で培った取材のノウ・ハウをかけて真相究明にあたることにしたのである。これには、リンチ被害者の人権を尊重し、これを支援するという、人間として当たり前の行為であると共に、被害者の人権が蔑ろにされたり村八分にされたりしたことに対する同情と義憤があった。

 想起すれば、人生の中で、このような場面に遭遇したことはたびたびあった。例えば、50年近く前の学生時代の学費値上げ問題、母子家庭に育った私にとっては他人事ではなかった。このことが李信恵代理人・神原元弁護士が「極左」呼ばわりするファクターになっているようだが、私にとっては、後先顧みず闘うしかなかった。ことは単純だ。50年近く前の学費値上げ問題にしろ最近のリンチ事件にしろ、実態を前にして放っておけるわけがない。どこかの誰かとは言わないけれど、殊更「正義」を振りかざすわけではないが、許せないことは許せないとハッキリ言うしかないという単純なことだ。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

《3》私たちがリンチ事件に対して調査・取材に着手した経緯

 私たちは、社内外の有志と東京編集室に出入りする者らによって取材班を結成し、次のように取材の手順を考え、早速着手した。この際、李信恵ら加害者側、Mら被害者側問わず、できるだけ広く多数の者に取材し、情報の真偽を見極めることに最大限努力した。

①M関係者からもたらされた資料の読解と解析。

②リンチ被害者M本人への面談と聴取。

③Mをサポートしてきた者らへの取材。多くの人物が応じてくれた。

④原告と同じ在日の人たちへの取材。在日同士で李信恵支持者が多いと思ったが、意外にも、多くの人たちが、このリンチ事件を知っていて、李信恵に批判的で被害者に同情的だった。また、情報提供などにも協力的だった。

⑤李信恵本人への取材。李信恵拒。逆に、このことにより、リンチ事件の存在と李信恵の関与の情報の信憑性が強まった。

⑥日本人、在日問わず李信恵周囲、李信恵に連繋する者らへの取材。これは、直接面談、電話取材など多岐に渡り、かなりの時間と労力と費用が掛かった。少なからず心ある人物が、身分が判らないようにすることを条件に応じてくれた。それは、李信恵の仲間らからの報復を怖れてのことであるが、Mの支援者らに対するバッシングはじめ他のケースでも、筆舌に尽くし難く酷いものだったからである。

 このようにかなりの時間と労力と費用をかけたことにより、私たちは事件の実態に迫ることができた。リンチ事件が実際に起き、李信恵はリンチの現場に同座し、これに関わっていることに私たちは確信を持ったのである。なお、取材の際には、必ず録音を録るように努め、これは膨大な量になるが保存し、一部は下記書籍に掲載している。

 そうしたことを現在まで行い、鹿砦社は次の5冊の出版物にまとめ発行、世に送り出し一般書店での販売を行っている。

(1)『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』(2016年7月14日発行。本文104ページ)。以下「第1弾本」とする

(2)『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』(2016年11月17日発行。本文187ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第2弾本」とする。

(3)『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(2017年5月26日発行。本文132ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第3弾本」とする。

(4)『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』(2017年12月11日発行。本文195ページ、カラーグラビア4ページ。音声データCD付き)。以下「第4弾本」とする。

(5)『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』(2018年5月28日発行。本文179ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第5弾本」とする。

 この間に鹿砦社は「デマ本」「クソ鹿砦社」「鹿砦社潰れろ」「ネトウヨ御用出版社」とか李信恵、及び彼女の周囲の者らから散々罵詈雑言、誹謗中傷を浴びてきたが、鹿砦社はこれまで、1つの案件や事件で、このように5冊もの本にして出版したことはない。李信恵がリンチの現場に同座して関わったとされる「カウンター大学院生リンチ事件」に対する綿密な取材や調査を、時間と人と金を費やして行った証左である。5冊の本で、実に本文合計797ページ、カラーグラビア16ページ、総計813ページにもなる。さらにリンチの際に被害者Mが必死に録音した音声データのCDまで付けている。鹿砦社50年の歴史の中でもなかったことである。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 総計813ページにも及ぶ取材・調査の堂々たる内容は、じかに現物を紐解いてもらえれば歴然だが、遺憾ながら、李信恵が対在特会らを訴えた訴訟で李信恵勝訴の判決を出し“李信恵リンパ”と言っても過言ではない当初の増森珠美前裁判長は、対李信恵第2訴訟において原本提出を拒絶している。繰り返すが、李信恵が「不法行為」とか「名誉毀損」とする一部箇所のみならず、これに至る前後の文脈から読解すべきと思慮するので、裁判所は上記5冊の本の現本を受理すべきだし、判断の材料とすべきである。そうでなければ、公平・公正な判断もできないだろうし、「木を見て森を見ない」偏頗な判断しかできないと懸念する。その後、増森裁判長は突如異動になり新たな裁判長により原本提出は認められた。当然だ。[つづく]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

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