【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗先生、私の質問に真正面からお答えください! このリンチ事件をどう本質的に解決、止揚するかが社会運動の未来のために必須です  鹿砦社代表 松岡利康

6月4日付け「デジタル鹿砦社通信」(と私のFB)に対して、前田朗教授から「返信(3)」 が届きました。リアクションだけは速いですが、その内容は? というと……。

◆前田教授からの「返信(3)」はゼロ回答! 1項目にも答えず!

6月4日の通信では、前田教授が答えやすいように14項目に整理し具体的に質問項目を提示いたしました。さらに、6月8日に東本高志氏がバクロしたメーリングリストでの私に対する前田教授の陰口についても確認を求めご本人にメールしましたが、これにも触れていません。

これらについては抽象論にならないように、また前田教授が答えやすいように、私なりに考慮し項目を設け質問しましたが、1項目にも解答がないのは誠実さに欠けるとしか言いようがありません。回答しない理由として、「その余の記載は、ほとんどが同じことの繰り返しのため、申し訳ありませんが、私も同じ趣旨のお返事を差し上げることしかできません」と仰っています。果たして「ほとんどが同じことの繰り返し」でしょうか? 例えば「師岡メール」についての質問は今回初めてで、師岡弁護士、および前田教授の「人権」についてのスタンスを問うた質問です。極めて重要です。今からでも、ぜひともお答えいただきたい質問です。

もう一方で、答えない別の理由として、「松岡さんはいつまでも、あれはどうだ、これはどうだ、と蒸し返し、掘り返し、執拗に自説を唱えています」から「他人がこれにお付き合いする理由がありません」と述べられています。学者は逃げる言い訳もうまいものですが、ずいぶんと無責任なものです。この通信の読者のみなさん、そう思いませんか?

また、研究者なのですから見解の発信には「事実」かどうかが不可欠でしょう(研究者でなくとも同様ですが…)。6・4通信の冒頭第1項目に訊ねた前田教授の「リンチ」についての規定と解釈の誤りや事実誤認(直接手を下した者が1人だったとするもの)についても重要なことなので答えていただかないと困ります。ご自身で単独犯なので「リンチではない」と仰っておられ、「リンチ」(私刑)の規定と事実認識を間違われたわけですから、少なくともここだけはご説明いただかないといけないのではないでしょうか?

さらに、東本氏がバクロしたメーリングリストでの陰口など初めて確認を求めるものです。これは図らずも漏れたものですが、前田教授を信頼していた人々を落胆させるに十分な内容でしょう。私もこれを見てわが目を疑い、非常に落胆しました。前田教授の良心を信じていましたので、これが一気に崩れました。

◆新左翼の内ゲバの二の舞にならないように、「今からでも遅くない、背筋を正して事実と責任に向きあうべき」だ!

生来浅学な私には前田教授と論争や論破しようなどという大それた考えはありません。せいぜい前向きな対話をしたかったにすぎませんが、せっかくそのきっかけが見えてきたところでのスルー……これでは問題の前向きな解決に向かうことはできませんよね? 前田教授も、この問題の本質的な解決を望んではいないのでしょうか? この問題に真正面から向き合い反省し教訓化し止揚しない限り近未来的に反差別運動、社会運動、市民運動の中で暴力事件は繰り返されるのではないでしょうか? 

1969年から70年にかけて新左翼の内ゲバで3人の学生が亡くなりました。大変な話で、これを深刻に捉えた、当時京都大学助教授で作家の高橋和巳は雑誌『エコノミスト』に2度にわたり「内ゲバの論理は越えられるか」(『わが解体』所収)を書き、今深刻に考えないと将来に禍根を残すことを訴えました。『エコノミスト』のような経済誌でも、そんな高橋和巳の必死の訴えを掲載するような度量がありました。この後も、知識人らが声明を出したりもしましたが、これらを無視するかのように内ゲバは激しくなり、現在までの死者は100人を越えています。あの時、高橋和巳の提言に真正面から向き合っていたら……との想いが消えません。そうした新左翼の内ゲバの二の舞にならないためにも、前田教授の言葉を借りれば「今からでも遅くない、背筋を正して事実と責任に向きあうべき」なのではないでしょうか?

◆裁判についての私たちの考え方と進行中の3件

前田教授は、「裁判所の判決が確定した以上、通常の法的手続きは終了です」とし、「法的救済を求めたのですから、結論としての判決に従いましょう」と本件からの私たちの退却を求めておられます。以前にも申し上げ恐縮ですが、冤罪被害者や薬害被害者、住民運動などが、訴訟上では負けても負けても「法的救済」を求めて訴訟を繰り返すことに「通常の法的手続きは終了です」「判決に従いましょう」とでも言うのでしょうか?

「李信恵という人格の不可思議」(第5弾本グラビアより)

リンチ被害者M君が加害者(私は直接手を下した者2人のみならずリンチ現場に同座した者全員の連帯責任として加害者という語を使います)5人を訴えた訴訟は、最高裁に上告中でしたが、偶然にも本日(6月12日)、上告棄却の報せがありました。法的には確定しました。

 
李信恵氏の暴言1

しかし、鹿砦社が李信恵氏らを訴えた訴訟など3件はまだ当分続きます。これら4件は、この原稿を書いている段階では確定したわけではありませんでしたから、「判決未確定」を前提で執筆してきました。1件は本日確定しましたが、3件はまだ「確定」していないので、そうそう退却するわけにはいきません。特に李信恵氏が原告となっている訴訟は、鹿砦社に賠償と出版差し止めを求めていますから中途半端にはできません。裁判というものは、油断したら負けますので、私たちもまだまだ本件から退却するわけにはいかないのですよ。

 
李信恵氏の暴言2

現在の私たちにとっては、これら一連の訴訟こそ、前田教授の言葉を借りれば「目の前の最重要事実」です。そうして、これら一連の訴訟を裏打ちする真相究明も必要ですし、本件事件の総括のためにも、私たちはまだまだ老骨に鞭打って頑張っていかざるをえないのです。「正義だ、正義だ、正義だと言わんばかりのその作法」だって!? 仰る相手を間違っていませんか? 「正義は暴走してもいい」などと嘯き、執拗にネットでの被害者バッシングで訴えられ敗訴した徒輩にこそ仰られることではないですか?

おことわり:リンチ被害者M君が加害者5人を訴えた訴訟、最高裁に上告していましたが、本日(6月12日)棄却の報せがありました】

◆私の質問と直接関係のない記述でごまかしたらいけません!

前田教授は、私の質問にはなんら答えず、それでいて後半では私の質問には直接関係のないことを連々述べられています。私には到底理解できません。失礼な例えかもしれませんが、長年、任侠やアウトローを取材してきた、鹿砦社に出入りするライターが、「ヤクザは、本題で旗色が悪いと感じるや、本題とは直接関係のないことや瑣末なことなどを挙げつらって煙に巻く」と言っていました。私には今回の前田教授の「返信」が、同様の性格を帯びていると思われてなりません。

この通信は、莫大ではないものの、少なからずの方々が注目しています。これも試しに何人かに尋ねてみましたが、既にこの間の前田教授の態度は、『救援』の読者からも評価は落ちていますよ。

前田教授の『救援』の論評には大いに勇気づけられました。裁判にも証拠資料として提出もしました。いわく、

「本書のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まったく異議はありません。名言ですらあります。前田教授は、これらの論評は「訂正の必要を認めません」と仰られていることは救いですが、「仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない」と述べつつ、現実には「暴力を容認」している師岡康子弁護士、辛淑玉氏、李信恵氏らに忖度していませんか? 果たして加害者やその周辺の人たちは「背筋を正して事実と責任に向きあうべき」という前田教授のアドバイスに従っているでしょうか?

私たちは決して無茶なことを要求していません。被害者M君に真摯な謝罪と正当な補償をすべきで、そのためにいったん提出しつつも反故にした「謝罪文」に立ち返るべきだと求めているにすぎません。それはダメなんですか? 私は何度も申し述べていますが、一貫して和解論者です。加害者らが心からそうするのであれば、社会運動の未来のために、暴言が飛び交い暴力がはびこる、現在の「反差別」運動に直接的に参加するつもりはありませんが、本件については条件が整えば和解に向けて汗をかく所存です。

◆メーリングリストの陰口には落胆しました!

一方、東本高志氏がバクロしたメーリングリストでの前田教授は、

〈○○さん
ごぶさた。コメント有り難うございます。
○○さんがアンチ前田とは初めて知りました(笑)。
鹿砦社は危機と乱戦を乗り越え、世界を遊泳してきた強者ですし、
今回は被害者救済という大義名分を手にしていますから、誰も止められません。
対立構図を固定させ、ひたすら「敵」を論難し、
突撃取材でネタをどんどん作り、一種の炎上商法。
権力相手にやってくれるのなら良いのですが、
ターゲットはマイノリティ女性。
日本的ヘイト状況の悲しいネガフィルムを見るようです〉

と述べられています。

これが本音なのでしょうか? 「炎上商法」だって!? 「ターゲットはマイノリティ女性」だって!? 必ずお答えください、前田先生! 私たちは単純素朴に被害者支援と真相究明に関わってきたにすぎません。「炎上商法」―-この表現には私のみならず取材班、私たちの周辺の者一同満腔の怒りを禁じ得ませんでした。「炎上商法」という物言いは、私たちに〈悪意〉を持った、ネット社会でしか生きられない連中の表現と同じですよ! 私たちは特段「マイノリティ女性」を「ターゲット」にしてもいません。

 
加害者エル金のツイート。反省などどこ吹く風

本件は、何度も表明していますが、第一線を退く目前だった私が、事件の凄惨さや被害者の苦境を知り、いわば“最後の仕事”としてもっぱら善意で、採算など度外視してリンチ被害者支援と真相究明に関わったにすぎません。社内外から集まった取材班や支援者らの大半もそうです。「社会運動の将来のためですから」と原稿料や謝礼を辞退してきたライターもいるほどです。そのような私たちの行為を「炎上商法」と前田教授は言い切られました。失礼ですが、前田教授の無礼には呆れます。

目の前に凄絶なリンチを受けながらも、正当な謝罪や補償も受けず、さらには村八分状態にされ苦しみ助けを求めている青年がいるのに、「いや、私たちには君を助けることはできないんだよ」などと言えるでしょうか? 私たちの世代は、日本国憲法や戦後民主主義に立脚した人権意識を植え付けられ、私でさえ人権意識の欠片ぐらいは持っているつもりです。「炎上商法」など頭の隅にもなく、私の人権感覚上も黙過するわけにはいきませんでした。

今でもリンチのPTSDに苦しんでいる被害者を前にして、少なくとも加害者らの心からの謝罪や正当な補償を受けることに力を貸し続けたいと考えていますが、このどこがいけないのでしょうか? 加害者らは「謝罪文」さえ反故にしているんですよ。少なくともこの地点には立ち返ってもらわないといけません。

 
香山リカ氏の小口ビジネスモデルのツイート1

筆者注:本稿が完成し、さあ送稿する段になって、前田教授は「炎上商法」との表現を撤回なさいましたので、今後「炎上商法」の件で前田教授を追及することは差し控えます。しかし本稿執筆から完成の時点で撤回はありませんでしたので、完成した当初の文章をそのまま掲載します。撤回は「友人の忠告」ということですが、この友人の方は、人間としての見識と常識のある方だと思います。こうしたことをもってしても、「炎上商法」という表現が、これと関係のない者にとって、いかに人を傷つけ、問題のある表現だということを前田教授も認識されたものと思います。「人権」を標榜する者なら、これぐらいは常識として認識していただきたかったものです】

 
香山リカ氏の小口ビジネスモデルのツイート2

◆またしても香山リカ氏……

先に前田教授から「炎上商法」という言葉が出てき、また香山リカ氏への言及がありましたので付言しておきますが、香山氏は私たち鹿砦社や、このリンチ事件と訴訟について、非常識極まる珍説をツイートしています。

例えば、私たちが、香山氏宛に質問状と本を送付したことを知った香山氏は「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」とツイッターで私たちに「要請」してきましたので、彼女の「要請」に従い送付先(=自宅住所)を書き込んだところ、すぐに神原元弁護士から削除の要求(電話、ファックス、内容証明郵便のトリプル要求。いかに慌てていたかがわかります)が来たことがありました。香山先生が「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」と言うから、これに応えただけのことです。

 
話題になった「どこに送付したか、書いてみれば?」

このような幼児性が象徴的ですが、私たちにとって、香山リカ氏はその知識・見識・人格において全く信用のおけない人物です。香山氏は、私たちが裁判を起こしてカンパを集め、それを元に出版をし支援者に買わせる「小口ビジネスモデル」をやっているなどと私たちを誹謗しました。この人の鹿砦社に対する物言いは、いつもこういった内容ですので放置しておきましたが、今回前田教授の「炎上商法」と香山氏の「小口ビジネスモデル」は同じ意味ではありませんか? 「のりこえねっと」の皆さんの中では「鹿砦社は『炎上商法』」が共通認識になっているのでしょうか? であれば全く残念至極な事態です。

さらに申し上げれば、『オジサンはなぜ勘違いするのか』など参考にする気にもなりません。天皇制と皇室をこよなく愛する香山リカ氏に、説教されなければならない理由はないからです。「昭和の常識は令和の非常識なのです」などとお気楽な自説を披歴していますが、時間の区切りを「昭和」「令和」と規定する時点で私の関心対象外です。元号がなければ薄っぺらいゴシップも書けないのか、と聞きたいところです。前田教授は、〈さすが香山さんと思わされるのは「もちろん、私も自分が“おとなでステキなオバサン”になれているとは思っていません」と冷静な認識を披露しているからです〉と誉め称えられていますが、散々迷惑を被っている私たちにすれば「それがわかっているのであれば、最低限おとなの振る舞いをしなさい」と言い返したいところです。

この前後の、鹿砦社に対する彼女のツイートと併せ私たちに対する名誉毀損は甚だしいものです。

前田教授の「返信(3)」の最後はその香山氏の著書からの引用で「勘違いオジサンは顰蹙を買うだけです」と結ばれています。私たちは前田教授が引用された香山リカ氏を全く評価していませんので、アドバイスには従いかねます。「勘違いオジサン」でも、たとえ「顰蹙」を買っても、本件の解決に向け更に一肌も二肌も脱ぐ覚悟です。中途半端で退却することは、私の生き方に反しますから―――。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

◆ひとまずの結びとして――

最後に、韓国からの研修員(現在大学講師)で、2015年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったSEALDs(シールズ)を批判し、本件リンチ事件加害者らに連なる者らから激しいネット・リンチを受け、最近でも私信を悪意を持って公開された鄭玹汀さんの言葉を挙げて擱筆いたします。――

〈大衆の前で「人権」について声高く唱えても、長年「人権」についての本をたくさん出版しても、身近なところで他人を尊重しないのは、砂の上に家を建てるような生き方だ。
私は彼らを憎まないが、彼らの偽善を憎む。
周りの人を心から尊重する名もない人こそ本当に偉い人だとつくづく思う。〉(6月8日付けFBより)

至言です。前田教授はこの言葉をどう思われるでしょうか? 「人権だ人権だ」と言っても、身近の一人の青年の人権さえ蔑ろにする人に人権を語る資格はないでしょう。前田教授は、人権やヘイトスピーチについての著作が多いですが、リンチ加害者らの側の有力な人たちとの繋がりを持ち解決の橋渡しができる立場にいながら、リンチの被害者を見て見ぬ振りをするのならば、人権を語る資格はないということだと私なりに解釈しました。

私はそろそろ第一線を退くことを考えていた、ちょうどその頃、このリンチ事件に出会い、以来3年余りのかなりの時間、資金、労力を、この問題に費やしてきましたが、悔いはありません。「炎上商法」や「小口ビジネスモデル」で儲かったりなどしていませんし、そうするつもりもありませんでした。

ただ、目の前で苦しむ一人の青年を、彼が満足するように救えたかどうかは分かりませんが、私なりに彼の人権を尊重し法的、人道的に救済せんとしてベストを尽くしてきたことだけは確かなことです。「裁判所の判決が確定した以上、通常の法的手続きは終了です」「法的救済を求めたのですから、結論としての判決に従いましょう」――このようは言葉は当事者にとって、戯言にしか聞こえません。

リンチ被害者のM君はリンチの悪夢にうなされPTSDに苦しんでいます。加害者らは、このことがわかっているのでしょうか? 前田教授も、真に人権を考えておられるのなら、彼の人権に目を向け、彼の救済に一肌脱ぐことを考えませんか? これもまた「反ヘイト裁判」同様「目の前の最重要事実」ではないでしょうか? 前田教授は、リンチ直後の被害者の顔写真を見て何も感じないのでしょうか? You Tubeで視聴者が9万人ほどにもなるリンチの最中の音声もお聴きになれば、血の通った人間ならば、特に日頃「人権」を語る者ならば、身の毛がよだつのではないでしょうか?

最後に、この際ですから、前田先生に提案します。この間のやり取りで気づきましたが、前田先生は、私たちが想像していた以上に「カウンター」/「しばき隊」関係者と懇意のようです。また、本件リンチ事件の本質的解決、止揚の作業を放っておけば、この国の反差別運動や社会運動、市民運動に悪影響を及ぼすと思います。そう思いませんか? であるならば、せっかく、誰もが評価・称賛する『救援』紙上での2つの論評を公にし問題提起をされたのですから、ここは和解のために「カウンター」/「しばき隊」関係者と懇意の前田先生、一肌脱がれませんか? いくら机上で立派なことを言っても、それは〈空論〉でしかありません。

私は私で、もう少し老骨に鞭打ちたいと考えています。

【追記】先にも触れましたが、本日(6月12日)、リンチ被害者M君が加害者5人を訴えた訴訟の上告が棄却されたとの報せが代理人弁護士よりありました。これについては、後日あらためて私(たち)の見解を申し述べたいと思いますが、M君は一審、控訴審を通じて一貫して〈勝訴〉していたことを確認します。懲りもしない加害者やこの周辺の人たち、代理人の一人、神原元弁護士らは、さっそく「風説の流布」に余念がないようですが、現実に集団暴行で一人の青年に瀕死の重傷を負わせたという事実、これに対する反省などあるのでしょうか。不満ながらも加害者らに100万円超の賠償金の支払いが確定したことも変わりはありません。これに加え、私たちは闇に葬られようとしていた、このリンチ事件の存在を明らかにしたことを想起すれば、決して負けてはいません。

そして前田教授ならこう言うかもしれない、「最高裁で判決が決定したのですから」と。そうだ! その通りだ! 最高裁でリンチ(私刑)に対する賠償が確定したのだ。

まずは、これまでご支援を賜りました皆様方に心よりお礼を申し上げます。

[参照記事]
◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月23日デジタル鹿砦社通信)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます(2019年5月28日デジタル鹿砦社通信)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される!~前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問~(2019年6月4日デジタル鹿砦社通信)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される! 前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問 鹿砦社代表 松岡利康

5月28日付け「デジタル鹿砦社通信」に対して前田朗教授より再び「返信」が公開の教授のブログ(https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post.html)でありました。

出張先で資料なども手元にない中での執筆のようで、あらためての意見表明を望みますが、とりあえず私からの再反論と再質問を行っておきます。ぜひお答えいただきたく望みます。

◆      ◆       ◆        ◆

前田 朗 先生

拝復 さっそくの再「返信」、ありがとうございます。

 
「しかと見よ!」リンチ直後の被害者大学院生M君

思えば、この「カウンター大学院生リンチ事件」について、リンチの現場にいた当事者(加害者)ら5人や周辺の人たちから、これまでこうした真正面からの意見なり反論などありませんでした。「デマ本」とか「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などばかりで真正面からの意見や議論、反論などありませんでした。

わずかに第5弾書籍『真実と暴力の隠蔽』にて木下ちがや(こたつぬこ)氏が座談会で正論を述べられていますが、のちに謝罪、撤回されています。木下氏が発言を撤回されるに至ったのには、先生にもあったような激しいバッシングがあったものと推察しております。

さて、まずは『救援』での2度の論評を撤回されないという先生の固いご意志、確認させていただき、正直嬉しく思います。これをしかと踏まえた上で、以下、再度私見を申し述べ、あらためて質問を行わせていただきたく思います。

【1】

まず、先生のおっしゃる「リンチ」の定義に従っても(実際の加害者で刑事・民事共に賠償を下されたのは2人なので)この事件がリンチであることは明らかになりましたが、再「返信」でも前提となる事実認識から誤認されています。そのことは非常に重要な点です。

さらに、先生の「リンチ」の定義自体が間違っています。リンチとは「私刑」です。手を下した人間の数に関係なく特定の人間に対する暴力的制裁(私刑)です。「カウンター」界隈の方々は「リンチ」という言葉に殊更神経質のようですが、実際に集団で1人の大学院生M君を呼び出して暴力を振るっていることは紛れもない事実で、これを許されるとお考えでしょうか?

【2】

この事件直後、少なくない人たちが動いています。東京在住で言えば、事件直後の2014年12月20日に中沢けい氏が大阪に駆けつけ、事件のもみ消しを図っています。

また、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」 で挙げられているように、事件直後の2014年12月22日、師岡康子弁護士が金展克氏に宛て、被害者M君に刑事告訴を思いとどまるように説得してほしいとのメールを送っています。

このことについての私たちの意見は同日の「通信」に縷々述べていますので、ここでは繰り返しませんが、とても「人権」を語る弁護士とは思えない、いわゆる「師岡メール」について先生はどう思われますでしょうか? 

このメールをどう思うかで、その人の人権についてのスタンスや人格・人間性が判ります。人権に対する、師岡弁護士の本音が露呈されたメールであると私は感じますが、先生のご意見をぜひともお聞きかせください。

【3】

私(たち)は、このリンチ事件を、事件発生から1年以上過ぎてから知りました。先生もご存知なかったように、事件の隠蔽、もみ消しは成功したかに見えたでしょう。

被害者は、一部の人たちが彼を支えたことを除いて、かつての仲間はじめ多くの人たちから村八分(いわゆる「エル金は友達」活動はその最たるものでしょう。M君本人も、これは精神的にきつかったと言っています)にされ、正当な補償もなされていません。

村八分という行為が差別だということは先生もご存知でしょうが、加害者や周辺の人たちが、こうした〈隠蔽〉を行っていた事実、また被害者M君が正当な補償もなされていないことについて、先生はどうお考えでしょうか?

付和雷同した暴言の数々
 
木下ちがや(こたつぬこ)氏への恫喝ツイート(2018年5月30日)

【4】

私はなにも「自説に固執」しているわけではありません。幾度となく公言していますように、加害者らが真摯に謝罪するのであれば、和解に向けて汗を流すことに努めます。

しかし、李信恵氏ら3人は、いったん出した「謝罪文」を破棄し開き直っています。前田先生にご提案いたしますが、李信恵氏や上瀧浩子弁護士らを説得し、あらためて被害者に謝罪し和解をしてはどうかと、お勧めになりませんか? そうすれば問題は一気に解決すると思われませんか?

【5】

先生がつらつらとご自身の活動について記載されていることほど立派なものではありませんが、この際、私自身の経験を少し申し述べておきましょう。

 
木下ちがや(こたつぬこ)氏が表明した「謝罪」ツイート(2018年5月31日)

私が大学生の頃(大学は異なりますが有田芳生参議院議員と同期です)、ノンセクトの学生運動に関わっていたことは隠しません(このことからいまだに「極左」呼ばわりする李信恵氏の代理人弁護士がいますが)。

当時(1970年代前半)、ミーティングの際に新入生の後輩が自らが在日であることをカミングアウトし、ショックを与えました。以来私たちの運動に「差別・排外主義との闘い」のスローガンが入り、彼を防衛しようということも私たちの黙約になりました。

また、部落問題では、私の先輩が、教員として赴任した高校で起きた、いわゆる「八鹿高校事件」に巻き込まれ、この頃から部落解放同盟の、いわゆる「糾弾闘争」が激しくなっていきました。

これについては、長らく思い悩んでいましたが、師岡佑行氏(京都部落研究所所長。故人)や土方鉄氏(作家。『解放新聞』編集長。故人)らから糾弾闘争の誤りを教えられ、ようやく納得できました。

私は現在、直接に「反差別」運動には関わっていませんが、自身の経験からも、私なりに差別や人権について考えているつもりで、何がいいか悪いかの判断ぐらいはできます。

さらに申し上げれば、取材班の中には「のりこえねっと」発足時、辛淑玉氏に協力を申し出た者(田所敏夫)もおります(この事件についても取材の電話を入れましたが、うまく逃げられています)。

言葉の本来の意味において差別に対する運動にとって、李信恵氏らが関わったリンチ事件(リンチという言葉が嫌なら集団暴行事件と言ってもいいでしょう)は絶対に許されないものです。そう思われませんか? 

裁判の結果がどうかは関係ありません。裁判所がどう判断しようとも、人道上悪いものは悪いんです。このリンチ事件を主体的に反省し止揚しないのなら、将来的に運動に禍根を残すと断言いたしますし、「糾弾闘争」同様、人々を反差別運動から遠ざけるのではないでしょうか?

【6】

このリンチ事件の解決に混乱を与えているのに、李信恵氏らが被害者M君に出した「謝罪文」を撤回したことがあります。少なくとも今、まずはこの「謝罪文」に立ち返るべきではないか、と私は考えますが、先生はいかがでしょうか?

李信恵さんの裁判を支援する会「李信恵さんの活動再開について」(2015年4月8日)
 
【関係各位へ】2016年9月10日付辛淑玉氏facebook(一部)

【7】

さらに、このリンチ事件について、先生と「のりこえねっと」共同代表である辛淑玉氏も当初「Mさんリンチに関わった友人たちへ」という文書を出し「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と喝破しましたが、のちにこれを否定し、逆にM君が「裁判所の和解勧告を拒否している」(裁判所の和解勧告など今に至るもありません)などまったく事実と違うことを発信しました。

さらには、木下ちがや(こたつぬこ)氏も座談会での自らの発言を撤回しています。なぜにこうもみなさん、自分の意見をいとも簡単に変えるのでしょうか? 木下氏の発言など正論で、こうした人がこの問題を解決すると期待しましたが、残念です。こうしたみなさんの「豹変」についてどう思われますか?

【8】

「糾弾闘争」は、社会的批判や、解放同盟内における師岡佑行氏や土方鉄氏らのような良心派の内的批判により、今はなくなりました。このリンチ事件についても、先生の『救援』における論評のような心ある批判がもっと出なければ、再び同様の事件を繰り返すと思います。そう思われませんか? 

【9】

大出版社のカネとヒトをふんだんに使った取材には到底及びませんが、私たちがこのリンチ事件について、私たちなりに、これまでになく資金を投じ徹底して取材し、本にまとめて出版するや、まともな反論本が出るわけでもなく、単に「デマ本」だとか、「リンチはなかった」、「リンチではない」などと評されました。

しかし、証拠を積み上げた出版物に対する、無根拠な罵倒は、私に言わせれば、「南京大虐殺はなかった」と言うようなものです。

マスコミもこのリンチ事件を総じてタブーにしています。李信恵氏らには、例えば朝日新聞が社説に採り上げるなど積極的に報じながら、一方で李信恵氏らがM君を深夜に呼び出し、「日本酒にして一升」(李信恵氏の供述)ほどの酒を飲み酩酊状態で及んだ、このリンチ事件については徹底して無視です。先生は不公平とは思われませんか? 「反ヘイト裁判に勝った」と表面ばかり報じて、影の部分を報じないのは、人々の判断を誤らせるのではないでしょうか?

【10】

先生は『救援』の論評で、李信恵氏の人格について、

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてC(引用者注:李信恵氏)を擁護することはできない」

「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と厳しく批判されています。

ところが、このたびのブログでは、

「李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、戦い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に『複合差別』を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか」

と、まったく人物評価が異なっています。

「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」とまで激しい表現を用いられていた人物評が、どうしてこのように「豹変」したのでしょうか? 李信恵氏についての今現在の先生の人物評価をご教示ください(繰り返しますが、この質問も「私怨」などとは無関係です)。

差別と闘い人権を守るということは人間の崇高な営為です。そして、その運動はリーダーや中心的なメンバーの人間性や人格が反映されます。畢竟、社会運動とはそういうものだと私自身の経験からも申し述べることができます。「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーである運動は、早晩メッキが剥げ社会的に「唾棄」すべき存在となりかねまません。そう思われませんか?

李信恵氏の暴言の数々

【11】

趙博氏の裏切りについてはリンチ本で2度記述していますし、この箇所をコピーしてお送りしてもいますので読まれていることと察します。彼は戸田ひさよし氏と6月7日の講演会を主催するということですので、彼については、その際に直接本人にお尋ねになって、その後にお答えを頂いてもいいかと思いますが、趙博氏の裏切りは、私も「まさか」と思いましたし、リンチ被害者M君も、私以上にショックを受けておりました。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【12】

同じく6月7日の講演会の主催者の戸田ひさよし氏について、門真市民会館事件の件は以前から承知しておりましたが、私がお聞きしたいのは、一方で、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)に突然赴き業務を妨害したことについてです。

これについては資料もお送りしておりますので、ご覧になっておられると思います。戸田氏のブログを更に拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏がN氏から提訴され敗訴した判決文も一緒にお送りしていますが、戸田氏のこの行為について先生はどうお考えでしょうか?

【13】

先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います。

私たちはあくまでも法的救済を求めて提訴したリンチ被害者M君を支援するために立ち上がりました。確かに法的救済はM君や私たちが望んだものではありませんでした。だからといって、あれだけ酷いリンチを受けながら、実行犯2人に合計で110万円余りの賠償金で我慢しろということですね? 

一審は80万円ほどでしたが、これを見た山口正紀氏(元読売新聞記者)は、「『80万円支払うから、同様に殴らせてください』というに等しい」と看破し、ガンと闘う身でありながら意見書まで書いてくださいました。

私(たち)は決して頑なになっているわけではありません。今後も可能な限り解決の道を探り、愚直に被害者M君の法的、人道的救済を求めていきたいと考えているだけです。この姿勢に問題があるでしょうか? あるとお考えであれば、「何が問題か?」ご教示ください。そのどこがいけないのでしょうか?

【14】

最後になりますが、もう一つ。

リンチ被害者M君は、以来ずっとPTSDに苦しめられています。夜中に、うなされて起きることもたびたびあるといいます。それはそうでしょう、あれだけ酷いリンチを受けたのですから。先生は、このことについてどう思われますか? 「人権、人権」と言うのであれば、被害者M君の人権はどうなりますか? 

この問題について、まずは被害者M君の人道的救済ということを第一義に始めなければならないのではないでしょうか? M君は果たして救済されたとお考えでしょうか? このままでいいとお考えですか?

李信恵氏は最近、リンチ事件の反省などどこへやら頻繁に講演会や学習会などに講師として呼ばれています。あろうことか大阪弁護士会まで学習会に呼んでいます。違和感を禁じ得ません。

一方のリンチ被害者M君は、1円の補償もなく、リンチの悪夢にさいなまれPTSDに苦しんでいます。それでいながら、時間を見つけては三陸の被災地にボランティアに赴いています。これまでこのことは明らかにしていませんでしたが、M君の人となりを知る一要因となりました。

夜な夜な飲み歩く李信恵さんと、研究の合間を縫ってPTSDに苦しみながらも被災地へのボランティアに赴くM君……私は「頑張れM君!」とエールを送りますが、とてもじゃないが、「頑張れ李信恵さん!」とは思いません。先生はいかがでしょうか?

ご自宅にお帰りになり、リンチ本5冊や資料などを手元に置き、上記の質問にお答えいただければ幸いです。

敬具

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます 鹿砦社代表 松岡利康

5月23日付け「デジタル鹿砦社通信」で前田朗東京造形大学教授への苦言と、この内容で送った手紙に対して、当の前田教授よりご丁寧な返信がありました。公開の形になっていますので、私もこれに対する再私見を公開書簡の形でアップさせていただきます。急いで書き上げましたので誤認や誤読の箇所もあるやもしれませんが、その際はご容赦ください。これが実りある議論になれば幸いです。(松岡)

◆      ◆      ◆       ◆

前田 朗 先生

冠省 長文のお答えをいただき、感謝にたえません。差別問題に対する前田先生のこれまでの取り組みの数々には深く敬意を示すものでございます。
 
ご返答いただいた回答ですが、前田先生は肝心の「リンチ事件裁判」の判決について、大変な誤解をなさっています。先生は、

〈しかし、刑事事件としては、実行犯は一人とされて、判決が確定しました。民事事件としても、同様の結論になったと言えます。「リンチ事件」という言葉が、複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件はなかったことになります。李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました〉

と勘違いなさっていますが、刑事事件も民事訴訟も実行犯は2人(単独ではない)との判断が出ています。したがって先生が前提とされる「複数犯によるリンチを指すとすれば」の前提に立っても、「リンチ事件はなかったことになります」は完全なる間違いであり、「複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件は刑事・民事であったことが確定しました」でなければなりません。この点、事実関係は非常に重要ですから、強調して、先生の誤解を指摘させていただきます。先生の定義に沿った「リンチ事件」は存在したと刑事・民事(現在上告中)でも判断されている点は、認識を改めていただきますよう、強く要請いたします。

ちなみに、リンチとは「法によらない私的制裁。私刑」(広辞苑第七版)で、複数の者によらなければならないわけではありませんが、M君リンチ事件は、5人で深夜にM君を呼び出し、M君に対する「私刑」ですからリンチです。李信恵氏自身が供述しているように「日本酒にして一升」ほどの酒を飲み酩酊状態で集団暴行を行ったのですから、そこに同座した5人全員に〈連帯責任〉があり、また師走の寒空の下に重傷でのた打ち回っている被害者M君を放置し立ち去ったことを、先生は人間としてどう思われますか? このことだけを見ても、李信恵氏らの言う「人権」が偽物だということが判ります。

リンチ直後に李信恵氏が出した「謝罪文」の1ページ目。のちに撤回。少なくともこの「謝罪文」に立ち返るべきだ。
リンチ直後に出された辛淑玉文書の1ページ目。なぜか、のちにみずから否定する。

また、先生は「共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました」とも仰っています。「裁判上確定したから…」云々で言えば、冤罪で闘っている方々は救われません。裁判官も人間ですから〈誤判〉もあるでしょう。先生もお聴きになりご覧になったであろう、リンチの最中の音声データやリンチ直後の被害者M君の顔写真という動かぬ証拠があるのに「共謀はなかったし、不法行為もなかった」とは子供騙しの物言いです。冤罪とは、罪のない人が権力の策謀で罪を押し付けられることですが、このリンチ事件では逆で、実際にリンチの場にいた5人(その中の1人は格闘技の達人)でM君に暴力を行使し重傷を負わせたことは否定できない事実です。これが裁判所で認められないのは、いわば“逆冤罪”といえるでしょう。『救援』は半世紀にわたり、権力からの弾圧と闘ってきた「救援連絡センター」の機関紙です。その運営委員で、連載を担当されている、前田先生に「冤罪」「誤判」の話を持ち出すのはためらわれますが、「裁判上確定したから…」とのご判断には、首肯しかねます。

また先生は「松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、その理屈を李信恵さんに差し向けるのは不適切です」とご注意いただいておりますが、私たち鹿砦社が李信恵氏と係争関係になっているのは、李信恵氏が一方的に、鹿砦社に対して、容認できない汚い言葉での攻撃をツイッターで続けてきたからです。誹謗中傷、罵詈雑言を「差し向け」てきたのは李信恵氏ですよ。先生も『救援』記事以降、ある人から30件ほどの罵詈雑言を受けたとのこと、罵詈雑言メールは他にもあるでしょうから合計すれば多数にわたるでしょう。それらのメールなりツイッターの詳しい内容は分かりませんが、おそらく李信恵氏らにつながる「カウンター」関係者と推察します。同様の罵詈雑言を私たち鹿砦社も受けているのです。

幾度となく述べていますが、李信恵氏とは付き合いもなく(顔を見たのはリンチ裁判での本人尋問の時1回だけです)、よって私怨や私恨もございませんが、「リンチ裁判」の途中から李信恵氏は、鹿砦社や代表の私を攻撃(攻撃というより罵倒に近いでしょう)するツイートを重ねてきました。出版社としての業務にも支障が生じるほどの内容でしたので、代理人を通じ「そのようなことはやめるように」と「通知書」を送りましたが、それでも李信恵氏の鹿砦社罵倒は、やまなかったため、仕方なく提訴した次第です。

先生の文章では、この経緯をご存知ないように拝察いたしましたので、重要なプロセス故、事実関係とこの推移をご説明させていただきました。私たちがあたかも李信恵氏だけにこだわって「批判」を続けているように誤解なさっているようですが、そうではありません。また先生は以下のように述べられています。

〈『救援』記事に対して、松岡さんとは全く逆の立場から、私を非難してきた人物が数名います。中には私を「敵」として非難し、「おまえのような馬鹿はもう相手にしない」と罵倒する絶縁メールを30回も送りつけてきた人物がいます。返事は出していません。この種の人物に返事を出しても時間の無駄です。ただ、ここで紹介したのは、この人物と松岡さんには一つ共通点があるからです。それは「敵/味方」関係で物事を考えていることです〉

 
李信恵氏らの代理人である神原元弁護士による鹿砦社と支援者らに対するツイートの一例

このご指摘はまったく失当です。私並びに特別取材班は、「正義の味方」と「敵」を峻別しようなどと微塵も考えていません。ただ実直に「リンチ事件」についてどう考えるか?を事件に直接ではないものの、「隠蔽」や「二次加害」で関わった可能性のある方々(そのほとんどは「可能性」ではなく濃淡はありますが、実際に手を染めておられました)に「これでも『リンチ事件』がなかったというのですか?」「あなたは隠蔽に加担して心が痛まないのですか?」と尋ねているにすぎません。

また、事件の加害者と、組織的隠蔽に加担した者は、程度に差がありこそすれ人道上の〈罪〉や〈連帯責任〉がある、と私は考えます。ですから「事件隠蔽」に関わって素知らぬ顔をしている人々を私たちは、まったく信用することができません。この点では事件の加害者、その代理人である神原元弁護士をはじめとする、隠蔽加担者。あるいは被害者に対する二次加害加担者を批判するのは当然ではないでしょうか。「敵/味方」関係で物事を考えているとのご指摘は的を射ていません。私たちは「事実に忠実か、そうでないか」で人物の評価を行っています。誤解なさいませぬように。

次いで、先生はこうも述べておられます。

〈私はもともと「敵/味方」関係で考えていません。上記のように、反差別と反ヘイトの研究と活動の仲間たちですから、その行動に疑問があると指摘しましたが、敵対関係ではありません。「敵」がいるとすれば、それは差別する権力、差別させる権力、差別を利用する権力です〉

このご意見には大賛成です。ですから、権力が恣意的な運用を図るきっかけを与えた、「ヘイトスピーチ対策法」を私たちは、まったく評価しません。ここは、先生のお立場と全面的に異なる点です。が、この問題は冷静に先生と議論させていただく機会があれば、実のある議論が展開できるのではないかと存じます。

しかし、以下のご指摘はまったく承服しかねます。

〈松岡さんがあくまでも自説に固執して、従来と同じ発言を繰り返し、李信恵さんを非難し、関係者を非難し続けることは、今や不適切なことと言わざるをえません。李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、闘い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に「複合差別」認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか〉

李信恵氏が裁判所に「複合差別」を認めさせたことを評価なさるのであれば、同じ大阪地裁で記者会見を申し入れるも一切無視され(記者会見を開かせてもらえず)大阪司法記者クラブにより、完全に「事件」をなきものにされた、「リンチ被害者」M君への“複合重層差別”を先生は度外視なさるのでしょうか?この事件を論じるにあたり、まず先生は基礎的事象について正しく理解されていません(刑事・民事とも「リンチ」は認定されていることなど)。したがって先生のご見解は事実をお知りになれば大きく、根本的に変化するのが自然であろうと思慮いたします。先生は、お送りしたリンチ関連本5冊をどれほど深く読まれているのでしょうか? 深く読まれたので『救援』での2度の論評を書かれたものと推察しておりましたが……。「複合差別」との闘いが大変であるとすれば“複合重層差別”との闘いがさらに困難で、厳しいものかはご想像に難くないはずです。

 
リンチの現場にいた伊藤大介氏の恫喝メール。とても、「反差別」や「人権」を語る者の言葉ではない。

話は前後しますが、私は「自説に固執」などしていません。誤りがあれば潔く認めます。これも幾度となく公言していますが、私は自分にも他人にも「私たちは正しいのか?」と常に問い返してきました。この問題への私たちの関わりが、これだけ激しいリンチを受け、さらにはかつての仲間らから村八分(これは差別ですよね?)された被害者を前にして人間として見て見ぬ振りはできませんでした。支援を始めてからも、しばらくは半信半疑のところはありましたが、取材や調査を重ね、リンチがあったのは事実で、被害者への正当な補償もなされておらず、逆にネット上でセカンド・リンチを受ける理不尽に不条理を覚えました。ネットでの誹謗中傷は私たちにも及び過熱化する兆しがありましたので、M君は、先頭に立ってネット・リンチを行っていた野間易通氏を名誉毀損で提訴し、また鹿砦社も李信恵氏を提訴し、どちらも野間氏、李信恵氏の不法行為が認められ勝訴しています。

また私は、李信恵氏らがいったんM君に渡した「謝罪文」に立ち返り真摯に謝罪するのであれば和解に向けて汗を流すことも厭わないとも何度も述べています。なのに、開き直っているのは李信恵氏らではないでしょうか? 李信恵氏の代理人の一人、神原元弁護士は「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」などと私たちを罵っています。私たちは素朴かつ愚直に被害者支援と真相究明に関わったにすぎず、トンデモない物言いです。

ちなみに、私は40数年前の学生時代にノンセクトの学生運動に関わったことはありますが、そんな私以外には、M君は勿論、社内、取材班、支援会に左翼運動の経験者は誰もいません。

ところで、昨年公開されてから何度かコメントしましたが、先生の「出版記念会」に名がありましたので、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」で、あらためて採り挙げた師岡康子弁護士が金展克氏に宛てて送ったメール、俗にいう「師岡メール」について、先生はどう思われるか、ぜひご意見を伺いたく存じます。師岡弁護士には以前に取材の電話を差し上げたところ、けんもほろろに切られましたが、被害者の人権もなにもあったものではありません。こんなメールを送る人がいくら「マイノリティの人権」だとか言っても私は信用しません。

先生のご主張には、『救援』での論評から「豹変」したと感じることが少なからずございました。たびたび引用させていただきますが、『救援』では李信恵氏に対し、
「反差別・反ヘイトの闘いと本件(注:リンチ事件)においてC(注:李信恵氏)を擁護することはできない」
「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」
と述べられ、さらに「被告C(李信恵氏)」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」
と断罪されました。さらに上瀧浩子弁護士らに対しては、
「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」
と述べられています。今でも至言だと思っています。

言いたいことが山とあり、脈絡のない手紙となりましたが、何卒ご容赦ください。
先生のますますのご活躍をお祈り申し上げ擱筆いたします。      早々

[参照記事]
松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月23日デジタル鹿砦社通信)
前田朗東京造形大学教授「鹿砦社・松岡利康さんへの返信」(2019年5月26日前田朗Blog)
鹿砦社特別取材班【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!(2019年5月27日デジタル鹿砦社通信)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!

先日、本通信で鹿砦社代表の松岡が、前田朗教授批判を展開した。前田教授の「豹変(コペルニクス的転換)」(松岡評)には驚かされた。一部の方からは「言い過ぎだ」との指摘も受けた。さほどリンチ事件の真相(深層)を知らない方ならそうかもしれない。

 

しかし、3年余りリンチ事件を徹底取材し5冊もの本にまとめ上げ、前田教授による『救援』紙上での2度にわたる厳しい、リンチと、この加害者、隠蔽に走る輩への批判(特に上瀧浩子弁護士らに対して)を知る者にとっては大ショックだったので、松岡の論評には、われわれも同感だし、リンチ被害者M君も同感だと言っていた。

ところで、先に紹介した6月7日の関西での集会に先立ち東京でも4月6日に前田教授の『ヘイト・スピーチ法研究原論』(版元は、われわれの世代には馴染み深い三一書房)の「出版記念会」が開かれている。

ここで、いまや「カウンター」/「しばき隊」の“宣伝部長”となった感のある香山リカ氏に加え「師岡康子」の名が出ている。岩波新書『ヘイト・スピチートとはなにか』の著者にして弁護士である師岡康子である。

師岡康子が何をやったか?「ヘイトスピーチ対策法」成立のためであれば「リンチ被害者」をも「犯罪者」扱いした人間を再度断罪せねばならない。口先では「人権」を騙りながら、その実、首尾一貫反人権的な師岡に対しては徹底的に糾弾しなければならない。

本稿ではあえて師岡に敬称付さない。師岡の行為は弁護士以前に、人間として失格であり、われわれは一切の敬意を抱けないからだ。師岡の人となりが、余すことなく明らかになったのは、リンチ事件直後の2014年12月22日(リンチ事件が発生したのは同年12月17日深夜)、金展克氏が師岡から受け取った「メール」を自主的に公開されたことによる。下記に師岡から金展克氏への「メール」を再掲する。

 
さらなる言論弾圧法を画策する師岡康子弁護士

俗に「師岡メール」といわれ存在が噂されながら公開されたのは、われわれがリンチ事件の取材を開始して3年余り後、リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』出版後だったので、これまでのリンチ関連本には収録されていない。噂はあったが、取材班は、「やはりないだろう」と諦めていた矢先で、超A級資料であり、なんでもう少し早く公開されなかったのか、と今でも悔やむ。

金展克氏にも事情があったのだろうが、これが、たとえば第1弾か2弾目あたりで公開されていたら、また違った展開になっていただろう。それぐらい貴重な資料なのである。みなさん方にあっては、まず虚心に一読されたい。

◆「ヘイトスピーチ対策法」成立しか頭になかった師岡

師岡が、目の前の「ヘイトスピーチ対策法」成立に向け、並々ならぬ意欲を燃やしていたことはわかる。それはメールを受け取った金展克氏も同様であり、事件後しばらくは「リンチ被害者M君」もそうであった。

しかし、われわれの見解はまったく違う。目に見える現象を法律で取り締まっても、人間の心は変えられない。それどころか理念法とはいえ「表現規制」を盛り込んだ同法は、必ずや権力によって〈弾圧〉に利用されるだろう、とわれわれは考えていた。例えば「凶器準備集合罪」は暴力団を取り締まるために作られたが、実際には新左翼運動を取り締まるために使われている。

同法成立後、現に差別表現を批判する意図で差別表現を引用した人が、アカウント凍結に遭うなどの被害は、既に顕在化している。一般市民や街頭活動で差別言辞は問題にされるが、同法によっても、日本国や政治家の差別的政策や、他国蔑視が改められることはない。「北朝鮮の人権問題を考える週間」。毎年人権週間に合わせて、政府が展開する国家的「差別事業」である。「ヘイトスピーチ対策法」成立に熱心であった方々から、この国を挙げての「朝鮮民主主義人民共和国」への差別に対して、強い批判の声を聞いたことがない。

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党=当時)

末端で「言葉狩り」をいくらやったって、本質的な差別はなくならないどころか、ますます陰湿化、巧妙化するだけではないか。それは犯罪を摘発する法の施行と類似する。なにより「ヘイトスピーチ対策法」は、最終段階で有田芳生議員と、確信的アジア蔑視主義者、自民党の西田昌司議員との握手で成立した点を、少しくらい政治や社会に興味のある人間であれば問題視しなければならない。そうではないのか、前田教授、師岡康子!

西田はこれでもか、これでもかと、国会で「差別意識丸出し」の質問を繰り返してきた議員だ。右翼方面から「西田砲」などと持ち上げられてもいる。そういう人物が、一朝一夕に「差別に反対」する考えに変わることがあると、師岡らは考えたのか? そうであれば軽率の極みとの批判からは逃れられない。

師岡は「メール」の中で「在日コリアンへの差別は、戦後日本の体制の根幹の一部であり」と述べている。そうであろうか? 在日コリアンへの差別は戦中や戦前、もっと言えば朝鮮民族への蔑視や差別は1900年頃からこの国には、明確に存在していた。誰もが知る1910年の「日韓併合」に至るまでも当時の日本政府は様々な謀略を巡らし、大韓帝国内に「親日派」を育成することに力を割いている。

「戦後日本の体制の根幹の一部」というのは、歴史認識が浅すぎないか。このような歴史的な短史眼が、今日的社会に対してどのように対応すべきかへの具体策の誤りへと繋がっているとも考えられよう。

言わずもがなであるが、われわれはあらゆる差別に「原則的に反対」である。日本のアジア差別も、WASPのヒスパニックへの差別も、スリランカ仏教徒のムスリムへの差別も、イスラム諸国での女性差別も。そして世界にはわれわれの知り得ない数々の価値観と、それにより引き起こされる差別があろうことも心しておかなければならないと考える。

◆被害者を加害者にすり替える、犯罪的示唆

さて、師岡は「メール」の中で怖ろしい内容をいくつも発している。

・「その人(取材班注:M君)は、今怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負い続けることになります

師岡は事件のかなり詳しい情報を聞いていて、このように発言しているのだ。集団暴行傷害(集団リンチ)被害者に対して「運動の邪魔だから泣き寝入りしろ」と金展克氏を通じて、恫喝を発している。

・「反レイシズム運動にも関わることができなくなるでしょう

明らかに刑法に抵触する、違法行為、集団暴行傷害(集団リンチ)被害にあっても「泣き寝入りしろ」などという「反レイシズム運動」とは一体何なんだ!? そんな運動に被害者が復帰したいと思うとでも師岡は考えていたのか。弁護士でありながら犯罪行為を正当化し、被害者に「泣き寝入りを迫る」態度は大日本帝国がアジア侵略で犯した暴虐の数々に匹敵する。

・「告訴を勧める人がいるなら、同様に扱われるでしょう

被害者に寄り添うものも同罪だと師岡は断じている。

・「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人なら、そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか

ここに至り「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人」は一般的な遵法意識がない「カルト」であることを師岡は表明しているが、自身が「カルト」の牽引者であるとの意識はどうやらないようだ。「そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか」とは恫喝にしても、ずいぶんドスの利いた表現だ。よほどの〈悪意〉がなければこのような表現まで用いることはできないであろう。師岡にとって「ヘイトスピーチ対策法」の前では、「集団リンチ」事件が起ころうが、内部粛清があろうが関係なし。「自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えない」ファナティックな心情に陥っていたことが証明される。

・「展克さんは『犯罪ですよ』と言いました。でも、形式的に犯罪に当たることは山ほどあります。実際その人がやったという、エル金さんのうわさを流したことは、『虚偽の風説を流布し・・人の信用を毀損し、三年以下の懲役または50万円以下の罰金』となる信用棄損にあたります

風説の流布は「しばき隊」の得意とするところだ。鹿砦社も数えきれないほどの風説の流布被害にあっているが、そうか。片っ端から訴えて「三年以下の懲役」を食らってもらえばよい。そういうことだな!? 「形式的に犯罪に当たることは山ほどあります」から「集団リンチ」が免責されるのであれば、われわれが(決してそのような愚かなことに手を染めはしないが)、風説の流布に手を染めた人物に同様の行為に及んでも、師岡は鹿砦社の行為を正当化するのに間違いはないな?弁護士としてその判断に自信が持てるのだな!?

・「凛さんがやった生活保護の事件でも

と軽々しく書いているが、師岡も指摘している通り、これは明らかな運動潰しを画策する公安事件であり「凛さんがやった」のではなく「凛さんがでっちあげられた」と書くのが妥当だ。

・「なかでも共産党系の人たちなどは、ヘイト・スピーチを『犯罪』とすると、運動内部の敵対関係にある人たちが、相手をつぶすために、悪用する危険性があると主張しています」

ここでの「共産党系」の人たちの主張は正しいし、立法以前の2014年にすでに「リンチ事件隠蔽」という実例が出来てしまっている。そして「ヘイトスピーチ対策法」があろうが、なかろうが、師岡のようにこの運動にかかわった人間の多くは「自分と意見の違う人間を過剰に攻撃する」習性をもとより身に付けていた。あるいはそういった性格の人間が、運動のヘゲモニーを握ったことが“不幸中の不幸”であったのだ。師岡はもとより、金展克氏、そしてM君までが「ヘイトスピーチ対策法」の危険性と誤謬に気が付くことができなかったのであるから。

・「その人がやろうとしていることは、客観的には、運動内部の敵対する相手(この場合エル金)を現行法の『犯罪』規制を使ってつぶすことです

こういうとんでもないことを、しらふで書ける弁護士が岩波新書から本を出版するのだから、油断も隙もあったものではない。何を言っているのだ! 顔面骨折、数十発顔を殴るけるされた被害者が、どうして被害届を出すことが批判の対象になるのだ。

・「そのような人たちが主張する法規制は、真のレイシスト規制ではなく、運動内部の敵をつぶすためにその人たちが使うのではないか、との批判に反論できなくなります」

言い回しがややこしいが。その通りである。ここでの「その人たち」には師岡も含まれるし、師岡はレイシスト規制以前に、「極めて深刻な人権蹂躙」を重ねて主張していることに、まったく気がついていない。

「その人が被った不利益、エル金の被った不利益、その人が告訴することによってもたらされるあまりにも甚大でとりかえしの非常に困難な運動上の不利益(略)告訴という方法は絶対に取るべきではないと思います

師岡はM君だけでなく、エル金も本心ではどうなってもいいと考えていることを吐露している。何よりも「運動の利益」至上主義。そのためには個人は犠牲になっても泣き寝入りをしろ」これが師岡の本心だ。

その後もあれこれ御託を並べているが、はっきりしているのは、師岡が「ヘイトスピーチ対策法」成立のためには、周辺の人間がどのように傷つこうが、一切お構いなし、と考えていたことだ。

こういう輩の暗躍によって成立した言論弾圧法(ヘイトスピーチ対策法)は、皮肉にも師岡に向かっても「矢」となって飛んでゆく可能性がある。それを受け止める覚悟があるからこそ、ここまでの暴論を展開できたのであろうから、充分心して自らが身磨いた鏃が突き刺さる日を待たれよ。

さらに師岡は、同法の強化、もしくはもっと厳しい新法の成立を公言している。

「カウンター」/「しばき隊」の理論的支柱とされる師岡の心は倒錯している。人間としてここまで酷い吐露には眩暈さえ感じる。

師岡らは、『ヘイト・スピーチ法研究原論』にまとめ上げた前田朗教授を「ヘイトスピーチ対策法」の強化、あるいはもっと厳しい内容の新法の成立に向けて抱き込みを図っていることは明らかだ。

前田教授よ! 上記の「師岡メール」を読んで、どう思われますか? まさに名文中の名文である、『救援』での2つの論評、そしてそこで溢れ出た怒りに立ち返っていただきたい。「反ヘイト」運動も、このリンチ事件を隠蔽するのではなく、社会的に公開し主体的反省をしない限り間違った方向に行くであろう。これを止揚するのがリンチ事件に対する真正面からの取り組みだし、これから逃げることは歴史を逆に戻すことに他ならない。

(鹿砦社特別取材班)

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【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康

◆リンチ事件に対して的確に論評した前田朗教授

著名な法学者の前田朗東京造形大学教授は、ミニコミながら創刊50年を迎えた『救援』(月刊。救援連絡センター発行)紙に、2度にわたり「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」)に対して、研究者としての良心から(と思ったのは私たちの勘違いか?)怒りをもって言及されています。

「反差別運動における暴力」(『救援』580号。2017年8月10日発行)の公表は衝撃的でした。おそらく、そこで厳しく叱責されている李信恵氏や上瀧浩子弁護士らにとっても、別の意味で衝撃的だったと思われます。前田教授は、李信恵氏らの、いわゆる「反ヘイト裁判」で意見書も提出されているといいますから。

前田教授には、リンチ関連本3冊(この時点では4弾目、5弾目は未刊)を送り意見を仰いだところでの論評の公表でした。

ここで前田教授は、私たちの営為とこの事件について、次のように評価されていました。いささか長くなりますが引用しておきます。

「本書(引用者注:前田教授は3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは、差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(引用者注:李信恵氏)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することはできない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まさに至言です。「リンチはなかった」という戯言は論外として、リンチ現場にいた5人は連帯責任として真摯に反省し被害者に謝罪すべきということは言うまでもありません。

『救援』(580号。2017年8月10日発行)

さらに続いて同論考の「2」(589号。2018年5月10日発行)においても厳しく述べられています。――

「被告C」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも幸去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と断罪し、さらには、

「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」

と怒りが溢れる物言いです。全文は別途画像をお読みください。 

『救援』(589号。2018年5月10日発行)

◆私たちはなぜ前田教授に失望したのか?

ところが……
前田教授は先頃『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房刊)を上梓され、私のもとにも送っていただきました。A5判、上製、450ページ余りにもなる分厚い本で、本体価格も4600円という高価です。

『救援』紙に上記のような論評をされたので期待を持って紐解くと、期待に反し、リンチ事件については1行も記述されていませんでした。残念です。

なぜなら、このリンチ事件についての反省と教訓こそが反ヘイト・スピーチ運動を止揚する要だからです。いくら立派なことを述べても、身近に起きたリンチ事件という恥ずべき行為に対して真正面から取り組まない限り、虚妄であり空論でしかないでしょう。

また、前田教授が『救援』紙で強く叱責された方々に「感謝」を述べるに至っては、『救援』で述べられたことは一体何だったのか、と遺憾に思いました。

『ヘイト・スピーチ法研究原論』あとがき

さらに、6月7日の集会の案内(別紙参照)が出回っています。私のところにも回ってきました。一瞥して驚きました。すでにお送りしているリンチ関連本5冊を読まれたのならば、前田教授が豹変(コペルニクス的転換とさえ申し上げます)されたのか、と感じざるをえません。リンチ関連本5冊をつぶさに読まれたならば、リンチ関連本でも断罪した人物が中心的に関わっている集会にホイホイと出るということは常人にはできないことです。そうではないでしょうか?

6・7集会案内

実はこの文章、この集会が終わってから明らかにするつもりでしたが、瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げ、悠長に時が過ぎ去るまで待っておれず、本日公開に踏み切った次第です。

趙博氏は、一時はリンチ被害者のM君を庇うかのような振る舞いをしながら突然掌を返しM君や私らを大いに失望させました。M君は趙博氏を信用し貴重な多くの資料を渡しています。これらの資料を入手するためにM君に近づいたのかと思うとスパイ行為と断じます。私に言わせればリンチ事件隠蔽と二次加害のA級戦犯です。(趙博氏の裏切りについてはリンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』P74~79、第4弾『カウンターと暴力の病理』P100~106をご覧ください)

仲岡しゅん弁護士も、一時はM君と昵懇でありながら、彼が当時務めていた法律事務所(この所長のK弁護士は私もかねてより知己があり、数件弁護を依頼したこともありました)にM君が弁護を相談するや独断で断り、これを批判されるや各所でM君や私たちへの誹謗中傷を述べています。(仲岡弁護士については第3弾『人権と暴力の深層』P105~110をご覧ください)

さらに元大阪門真市議の戸田ひさよし氏は、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)を突然訪れN氏の業務を妨害しています。N氏は一般市民で下級公務員、こうした業務妨害行為でN氏が職場にいずらくなることが判っているのに平気で行い、これを意気揚々とネットで流しています。

これを受け拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏はN氏に訴えられ敗訴しています(静岡地裁2019年3月29日判決言渡。久保田代理人は神原元弁護士)。久保田氏は悪名高い「はすみリスト」の作成者として有名ですが、戸田氏や久保田氏の行為は、とても賛同できません。社会には、仮に相手が逆の意見でも、常識的なルールというものがあり、これを踏みにじってはいけません。そう思いませんか?

戸田氏とはかつて(10年余り前)交流がありましたが、こうしたことを平気でやったり、有田芳生参議院議員はじめ「カウンター」/「しばき隊」のメンバーと親密にしていることなどから最近は距離を置いています。

こうした人物が3人も中心的に関わる集会に前田教授が出られるということについては、前田教授にもなんらかの“意図”があるものと察しますが、ご説明いただきたく望みます。

また、前田教授は、リンチ事件隠蔽活動の拠点と化したともいえる「のりこえねっと」の共同代表ですので、ここを改革するとか、他の共同代表の方々にリンチ事件の内容を知らせ議論を惹起するように努めることに、まずは手をつけるべきではないでしょうか。なんのための「共同代表」でしょうか。

前田教授の最新著と、前田教授が講師として参加される6月7日の集会について、私見を申し述べさせていただきました。あまりに失望しましたので、いきおい表現が直截的になりました。

上記のような内容で資料を付け、去る5月21日に前田教授に手紙を出しました。真摯な説明を待ちたいと思います。

手紙の返信を待たずに、あえて公開しました。読者の皆様方は、今後の前田教授が、私の物言いをどう受け止め、どう説明されるのか――留意して待っていただきたいと思います。私たちの「勘違い」であればいいのですが……。

この3年余り、リンチ事件の真相究明と被害者支援の活動で見えた問題の一つとして「知識人」の存在があります。リンチ事件という凄惨な事件が身近で起きたのに、有名無名問わず多くの人たちが、隠蔽に加担したり沈黙したり、うまく逃げたりしたことなどを見ました。

「知識人」とは、こういう時にこそ存在理由があり真価の是非がわかろうというものです。「みんなずるい!」というのが私の率直な感想です。1980年代前半から長年付き合いがあった鈴木邦男氏とは義絶せざるをえませんでした。鈴木氏は、ああ見えても結構計算高い人で、私など小物よりも、辛淑玉、香山リカ、金明秀、安田浩一氏ら「のりこえねっと」に蝟集する著名人を選択したのだと思います。

この「反差別」運動において起きた問題について、常に私は「私の言っていることは間違っているか?」と自らにもみなさん方にも問いかけています。今回は中途半端に済ませることはできません。将来ある一人の大学院生が村八分(これは差別ではないのでしょうか?)にされ正当な謝罪や補償もなされず、マスコミも報じず、事件そのものが隠蔽され、極端に言えば闇に葬られようとしてます。ですから、取材も、私の長い出版人生の中で一番徹底して行いました。それは5冊の本に結実しています。

私は愚鈍・愚直な田舎者ですから、許せないことは許せません。齢を重ねて、少しは丸くなりましたが、それでもやはり生来染み付いた体質は変わりません。

これまでの人生を、人間として出版人として私なりに精一杯闘ってきたという自負ぐらいあります。「反差別チンピラ」(作家・森奈津子氏のしばき隊/カウンター評価)如きには負けません!

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

《鹿砦社特別取材班座談会》「M君リンチ事件」訴訟上告審の結果がまだの中で

松岡 お疲れ様です。「M君リンチ事件」は最高裁に上告してかなり経ちますが、まだ弁護団に最高裁からは連絡はないようです。沖縄の山城博治さんや『人民新聞』など、M君よりも後に上告しながら年度末までに棄却されています。一審、控訴審共に一般人の常識からしても、あまりにもひどい判決だったので、ひょっとしたら……と、微かに期待しないでもありません。さて、きょうは「M君リンチ事件」も含め周辺情況について、自由に話してください。

◆「改元騒動」が過ぎて……

A  「しばき隊」問題と直接関係があるかどうかわかりませんけど、「改元騒動」は予想通りの空騒ぎでしたね。空騒ぎというのは、メディアもその辺の商店街も「令和おめでとうございます」なんて散々騒ごうとしていましたが。上滑りの感じがぬぐえませんでしたね。10連休で連日翼賛的な報道ばかりで、社長はここ数年支援してきた島唄野外イベント「琉球の風」の記録映像を数年分まとめて観たということです。沖縄の悲劇を想起する時、改元がどうの元号がどうの騒ぐのも考えものだと思いますよ。

B  代理店の友人が「広告収入は予算通りクリアできたけど、ムーブメントにはならなかった」と言ってたのが印象的です。10連休中はテレビも政府もそれなりにメニューを揃えて、祝賀ムードを演出しましたが、それもすでに忘れ去られそうな……。

C  天皇制を真正面から考察し、問題点を突く報道は皆無に近かった。これは昭和天皇(ヒロヒト)が死去した時と大きな違いはない。ただし、ヒロヒトは長く病気だったから、各紙は余裕持って予定稿作ってた。今回もリードタイムは十分あったし、しかもアキヒトは死んではいないから、大手紙の翼賛記事準備は楽だったことでしょう。

D  ちょっと、一言いいですか。僕としてはどうして天皇陛下の約200年ぶりの生前譲位を皆さん祝う気持ちがないのか、正直違和感があります。

A  Dは天皇主義者だからなぁ。そのくせ「君が代斉唱反対」とか言う。まあ意見はいろいろあっていいんじゃない。

香山リカ『皇室女子“鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

C  俺的には違うね。天皇制は差別の元凶。この意味わかる? D君?

D  でも平成天皇は、平和主義者だったじゃないですか。

C  じゃあ、ヒロヒトは? 昭和天皇は? 誰が太平洋戦争(もっと言えば15年戦争)の最高責任者だったの?

D  あれは軍部が暴走して……。昭和天皇は戦争したくなかったと思いますよ。

C  「昭和天皇は戦争したくなかったと思う」? 馬鹿いうな! 時代の不幸っちゃそうだけど、お前たちみたいに10代の頃、小林よしのりを読んでいた奴らは平然とこんな口が利ける。統帥権って知ってるか?

松岡 まあまあ、きょうは天皇制の話ではないのでそのへんにしましょう。

C  社長、失礼しました。でもねやっぱり10連休に乗っかった「しばき隊」は多かったね。もとから「権力別動隊」だから不思議はないけど。A君がまとめてここで発表した通り香山リカの『皇室女子』には参ったし笑ったね。「読んでもいない」と香山リカはツイートしてましたが、コメントするために2冊も買いましたよ(笑)。

A  ですよね。なにが「反差別」ですか。「反論あるなら受けて立つ」と書きましたが、案の定まともな反論なんかありません。

B  言論人の態度じゃないよね。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより

◆「こたつぬこ」こと木下ちがやさんの後日談

E  言論人といえば……。あの話いいですかね? 社長?

松岡 なんの話でしょうか?

E  「こたつぬこ」さんの後日談です。

松岡 あははは! いいですよ!

E  「こたつぬこ」こと木下ちがやさん。『真実と暴力の隠蔽』の〈9〉「『カウンター』周辺のキーマンに松岡が直撃! 明かされる『しばき隊』の内情」に清義明さんと一緒にご登場頂いて、慧眼な問題意識を披露していただいたのに、『真実と暴力の隠蔽』が出版されると、急に態度がおかしくなって、鹿砦社を批判したり、自己批判したり。なんだか訳わからなくなっちゃってんです。で、あそこには木下さんだけじゃなくって、凛七星さんや三輪五郎さん、中川淳一郎さんなんかも登場していただいてるんです。

A  うんうん。それはみんな知ってる。

 

E  実はですね。木下さんが訳わかんなくなって李信恵さんに謝罪したり鹿砦社批判や自己批判始めた後に、鹿砦社は謝礼として2万円の商品券を登場頂いた皆さんに送ったんですよ。でもね、最初から「私は謝礼なんて一切受け取れない。謝礼もらうつもりで話したわけではないから」と頑として受け取っていただけなかった方もいるんです。こっちとしては恐縮の極みです。で、あんだけの大騒ぎになったから木下さんは鹿砦社を批判したし、商品券受け取らないだろな、って社長と話してたんです。

B  そりゃ受け取らないでしょ。また「しばかれ」たらただ事では済まないもんね。

E  それが木下さん、受け取ったんです。

A、B、C、D 嘘だぁ!

C  それ本当かよ?

松岡 本当です。本社から簡易書留で送りましたが返送されてきていないので間違いありません。

B  せこいよな。っていうかどういう神経してるんだろう。僕なら受け取れないですよ。こんなこと書いたらまた木下ちがやさん、叩かれるんじゃないですか。

E  でも事実は事実ですから……。

C  俺、知ーらない(笑)。それにしても、木下ちがやさん、あれだけのことをスッパ抜いた発言しながら、もっと突っ張ってほしかったなあ。あれは本当に凄い発言で、リンチ関連の5冊の本の中で最高の発言ですよ。最近、政治情勢や社会状況などについて積極的に発言を開始しておられますが、あれ以来俺は木下さんの最近の発言は、どうも信用できんなあ。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

◆岸政彦教授は三島由紀夫賞を受賞するか?

B  受け取るといえば、芥川賞を惜しくも逃した岸政彦先生(龍谷大学から立命館大学へ昇進?)の『図書室』が三島由紀夫賞の候補作品にまた選ばれました。

C  おいおい! 芥川賞候補ならまだしも、三島由紀夫賞の候補になって喜んでいいの? 岸先生? 三島って言っても若い人にはもうあんまりリアリティーないかもしれないけど。俺から見れば完全な「右翼」ですよ。板坂剛とか全共闘世代には不思議と支持者が多いんだけど、三島は市ヶ谷の自衛隊に軍服で乗り込んで「こんな憲法で君ら黙っていられるのか! 決起しろ」とアジった挙句に「腹キリ」で死んだ人間だよ。最近ボケ気味だけど当時三島の破綻(自殺)を本多勝一が予想していた。あれは慧眼だったね。ところで岸先生。「反差別」とか言ってるなら(ああ、岸先生最近は「君子危うきに近寄らず」で「反差別」も口にしなくなったか)三島由紀夫賞の候補になって喜んでいていいんだろうかね。

A  発表は5月15日だそうです。今回は是非受賞を祈念しましょうよ。

B  うん。僕も「反差別」で「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長(だった?)岸先生には是非「三島賞」受賞コメント聞きたいな。

D  三島は大好きな作家なんですけど……。岸政彦が候補ですか……。

C  15日が楽しみだ。受賞記念の記者会見には特別取材班も駆け付けるから準備よろしくな。

松岡 皆さんよろしくお願いいたします。

B  久しぶりににぎやかになりそうですね。

「岸先生お久しぶりです。この顔写真と僕の顔見たら思い出してくれますよね」


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

(鹿砦社特別取材班)

◎主要関連記事
・松岡利康「木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問を即刻やめろ!」(2018年6月5日付け本通信)
・松岡利康「『真実と暴力の隠蔽』収録座談会記事に対する木下ちがや氏の「謝罪」声明に反論します!」(2018年6月12日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「岸政彦先生に芥川賞を!」(2017年1月15日付け本通信) 
・鹿砦社特別取材班「芥川賞候補の岸政彦先生は公正な社会学者で個人的事情を優先するはずがない!」(2017年1月17日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「M君がより『意味のある』存在として成長してほしいと願う岸政彦先生の哲学」(2017年1月18日付け本通信)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

どうした! 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い! 鹿砦社特別取材班

2回にわたって香山リカ氏の欺瞞と虚言癖について述べてきた。今回で一応の打ち止めとするが、「知識人」として持て囃される同氏が、どのような人物であるのかを決定的にご理解いただこう。まずは2017年12月16日の書き込みだ。例によって「しばき隊」の尊師こと野間易通氏とのペアーである。

《「裁判を起こす→支援者からカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる」という小口のビジネスモデルに活路を見出したのであろうか。》

という疑問形を使った揶揄の対象は、鹿砦社に向けられてのものであることは言うまでもない。まかり間違っても李信恵氏に対する当てこすりではあるまい。劇的に失当なこの悪意に満ちた邪推は、しかしながら看過することのできない“攻撃”でもある。“攻撃”の主たる対象は鹿砦社のつもりであろうが、この文章からはリンチ被害者M君までもが“攻撃”の対象とされている。

1時間近く殴る蹴るの集団暴行を受け、半殺しにされた被害者が、損害賠償請求を提訴することの何が問題だと香山氏は言いたいのだろうか。李信恵氏は差別者に差別言辞を浴びせられ「精神的苦痛を受けた」と損害賠償請求を提訴した。李信恵氏は提訴段階から何度も記者会見が開かれ、その様子がマスメディアによって報じられた。約300万部を発行する朝日新聞に至っては社説にまで採り上げている。

一方リンチ被害者のM君は。提訴するも大阪司法記者クラブ(大阪地裁の中にある記者クラブ)に「記者会見拒否」をされ、けっしてこの事件がマスメディアで報道されることはなかった。判決はM君勝訴であった(当然だ)けれども、満足のゆく内容ではなかった。

昨今、記者クラブの問題が取り沙汰されているが、M君の記者会見拒否に至って、われわれも身をもってその弊害を実感した。また、われわれは事件の背後に“何者かの力”が働いていることを強く疑わざるを得なかった。「精神的苦痛」を負ったとされる李信恵氏に対する対応と、顔面骨折をはじめ肉体的重症を負った被害者M君に対するマスメディアの扱いが、あまりにも違いすぎるのだ。専門家によれば「法的な損失は物質よりも精神的なものが過大に評価される」のが今日の日本の司法だ、との指摘もあったが、そんなものは市民感覚から離れすぎているし、馬鹿げている。

集団暴行を受けたうえに、事件隠蔽に著名人らが数多く組織的に関わった。被害者M君は数少ない力なき者が支えるだけで、いまだに1円の治療費も受け取っていない。そんなリンチ被害者を支援することの、どこが問題だと香山氏は主張するのか。同氏や同氏の仲間らは、しきりに「マイノリティーの権利」を口にする。そうであれば政治家から弁護士、知識人がこぞって事件隠蔽にかかわり、孤立無援のリンチ被害者こそ、“究極のマイノリティー”ではないか。だから鹿砦社、取材班、弁護団、支援会は彼の救済と支援に動いたし、全国から多くの方々が顔も知らないにもかかわらずM君を支援してくれたのだ。

鹿砦社代表・松岡は、この事件を知るや被害者への同情と加害者らへの義憤にかられ損得を度外視して、この事件の真相究明と被害者支援に乗り出し、そんな松岡のピュアな想いにわれわれも「特別取材班」を結成し協力した。その行為をあたかも「儲けの手段」であるかのように見下す香山氏の内面に、われわれは、人間としての最低レベルの醜悪さと、究極の倒錯を見るほかない。「小口のビジネス」などと揶揄されたら、われわわれも「馬鹿言うな!」と大声のひとつも挙げたくなる。この事件に関して鹿砦社は5冊の出版物を書店に並べたが、そこまでの道のりは通常の出版物発行とは比較にならない困難さを伴った。資金も時間も労力も、これまで30年余りの出版活動で一番かかったと松岡は言う。

何度も述べるが、鹿砦社はM君が被った非道が許されないと考えて支援を買って出たのであり、それで金儲けをしようなどという魂胆など微塵もなかったし今もない。香山氏の着想には恐れ入るほど驚いたが、そういった発想が生まれてくる神経を分析するために、心理学を学んだスタッフにも取材班には参加してもらったのだ。専門家の分析は明確に出されているが、あえてここで香山氏の人格分析を明示するのは控える(われわれには「慎み」の感覚があるからである)。

「M君の裁判を支援する会」に寄せられたカンパ(浄財)は弁護士が管理し、不定期ながら1円単位まで収支報告がなされており、鹿砦社には1円たりとも流用されてはいないので、そうした香山氏の物言いに一番激怒したのは鹿砦社代表の松岡である。収支報告といえば、「李信恵さんの裁判を支援する会」には、M君支援会よりも遙かに多額のお金が集まったと推察されるが、この収支報告はどうなったのだろうか? 素朴な疑問だ。いわゆる「反ヘイトスピーチ裁判」は終結したのだから、最後のケツはきちんと拭け!

また、鹿砦社が本件リンチ事件の真相究明で資金的にもこれまでになく費やしたと前述したが、収支はかなりの赤字である。それでも、本件リンチ事件は、中途で放れなかったのである。さらに、支援会は経費を節減するために最低限の人数に抑えられている。弁護団にも無理をお願いしている。

はっきり言えばこの事件にかかわることで、商売上の「得」などは一つもない。副産物として鹿砦社代表の松岡が30数年来付き合いのあった鈴木邦男氏と、また取材班の田所敏夫が辛淑玉氏と義絶せざるを得ないという状況にも直面した。それでもわれわれは、事実に即して取材し判断したことが間違いだとは思っていないし、鈴木氏や辛氏の態度は到底容認できるものではなかったということだ。なあなあで済ませば、これらの人たちと義絶することもなかっただろうが、松岡にしろ田所にしろ、けじめをつけなければならない時にはけじめをつけるということだ。

そこまで腹を決めて、取材し判断のうえ出版しているのだ。研究室に取材に伺ったら逃げまくった挙句「この写真ネットとかに出さんといてくださいね」と情けない姿をさらした、リンチ事件隠蔽のA級戦犯の岸政彦教授らとは、覚悟が違うことを述べておく。

さて、前記の書き込みに続き下記の書き込みである。これらは鹿砦社という出版社に対する著しい名誉毀損である。

「勝手な想像と余計なお世話」で済ませられない事情がある。実はご存知の向きも多かろうが、ほかでもない香山氏らが徒党を組む「しばき隊」関係者に、少なくない数の「不適切書き込み」による失職者や実質的な失脚者、末は、見捨てられた挙句、若くして逝去する人までが出てきているからだ。「傷つく」どころではない。社会的地位のある者たちが、たかだかツイッターにのめり込み攻撃言辞を書き込み職を追われるのは、悲劇というしかないが、彼らの面倒を香山氏らはちゃんと見ているのか。他人事に首を突っ込む前にやることがあるではないか。

さて、立教大学教授にして精神科医、NHKのラジオ番組にレギュラー出演する「知識人」香山先生は、2017年6月7日下記の書き込みをした。香山先生にご要請(?)あるいはご誘導(?)をされたので、鹿砦社は正直に送り先を鹿砦社アカウントに書き込んだ。「頼まれたことには答えなさい」と子供のころから教育されていた通りに「要請」には「お答え」したのだ。すると翌日、神原元弁護士から文句がつけられた。削除の要請があり鹿砦社は「大人の対応」をした。なんなんだこの幼稚さは!中年版「ピンポンダッシュ」でもあるまいに。「ちょと書いてみては?」と言うから、言われた通りに書いたまでだが、答えが来たら「エーン神原先生ぇー」と弁護士に泣きつく。こんな幼児性は「知識人」と呼ぶに値しないどころか、一般常識を備えた社会人としても失格じゃないか。アホらしというか、笑えるというか、実はこの程度が香山先生の本質なのである。

そして最後は地味ながら、また持ち前の「虚言癖」と「決めつけ」の決定版をご覧いただこう。あれこれ御託を並べた挙句に、

《今日、高裁でそれが「リンチ」ですらなかったと確定した。鹿砦社の責任は重い。》

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

と断定している。しかし、M君の「対5人裁判」高裁判決文には、どこにも《「リンチ」ですらなかった》などという文言も、文章もない。これは香山氏による明確な“嘘”である。それどころか1審判決よりも被告に命じられたの賠償額が増額されている。なのにどうして「鹿砦社の責任は重い」のだ。説明してくれと頼んでも、われわれと違い香山先生は、まともな回答をよこしてくれたことがないので、もう期待しない。

ただし、われわれは知っている。香山リカという人物は皇室に媚び、時代を利用し、反差別を唱えながら平気で嘘をつき人を傷つける人物であることを。自己認識しているかどうかはわからないが、典型的な“21世紀型ファシズム”の牽引者であることを。要するに矛盾の塊なのだ。精神科医・香山氏を「困った人」と言ったのは、同じ精神科医で、この世界の重鎮・野田正彰氏だが(『カウンターと暴力の病理』参照)、「困った人」につける薬はあるのか!?

改元と来月の天皇代替わりを見越して発刊されたと思われる『皇室女子』。どのタイミングで本人は積極的な広報に出るか。来月1日の天皇の代替わりには、多くの便乗商法が待ち受けている。10連休の間「天皇代替わり祭」の雰囲気を盛り上げ続けなければいけないのだから、マスコミの準備も万端だろう。その中で必ず香山氏も天皇称揚の役割を演じるであろうことを予想しておく。

香山リカ氏は、いわゆる「リベラル」と自称し、右派からもそういわれているようだが、「リベラル」も地に堕ちたものだ。「リベラル」を地に落とした香山リカ氏の「責任は重い」と断ぜざるをえない。香山氏よ、反論があれば堂々と受けて立つぞ!(完)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

タブーなきスキャンダルマガジン!月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

どうした! 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる 鹿砦社特別取材班

前回は香山リカ氏の近著『皇室女子』にみる、同氏の矛盾した主張と、破綻している論理を批判した。

『皇室女子』に関連して、あらためて香山氏がわれわれに対して行ってきた誹謗中傷ツイートを一瞥したが、その社会的立場のある人間、世間では「知識人」として見られている人物が行ったものとは、にわかには思えないほどひどいものである。

これからご覧いただくのは、そのように「上品」な話ではない。香山リカ氏が“嘘つき”であり、鹿砦社や取材班に対して充分「名誉毀損」が成立する書き込みを、せっせと行ってきた様子について、証拠をも元に読者の皆様にご紹介する。まずは2016年8月25日の明確な〈嘘〉である。

「しばき隊」尊師こと野間易通氏の頓珍漢な書き込みに呼応する香山氏のこの書き込みは、明確な〈嘘〉である。取材班は電話取材の際にすべて録音しながら取材を行っている。この会話の様子は『人権と暴力の真相』に収録してある通りであり、ガチャ切りなどはしていない。事実を確認なさりたい読者はぜひ『人権と暴力の真相』をお読みいただきたい。

しかし、多数のフォロワーを持つ香山氏がこのように書けば、それが事実ではなくとも広く拡散される。実体的に鹿砦社や取材班への社会的評価の低下が誘引される。非常に問題の大きい書き込みである。

「私怨」ではない。上記のようにまったくの虚偽を書き込むので、その経緯を出版物にまとめたことを、“しっかり書いている”と強調しているのである。「祈ります」は主語や対象をぼかしているが、侮蔑的なイメージが包含されているとわれわれは感じる。また、以下のような下品な言葉でわれわれを“馬鹿にする記述”もある。

さらには、座視できないのが下記の書き込みである。

「鹿砦社のデマ本」なる表現は、鹿砦社が香山氏を相手に損害賠償請求を提起すれば、ほぼ間違いなく勝てるであろう。その証拠に香山氏らはこのようにツイッターなどで、断片的に、われわれを誹謗をすることはあっても、まとまった書籍や反論本、文章、論文などで、取材班や鹿砦社への批判を一切展開していないことがあげられる。

われわれは、伝える事実が衝撃的なものであろうと、取材に関しては慎重を期し、裏取りのできた(事実と確認ができた)もののみを出版している。上記「なにがかなしゅうて鹿砦社のデマ本の取材班に」への回答は、「社会的に著名でありながら、嘘を発信してもなんの痛痒も感じない精神科医の精神を分析記述するため」である。

いかがであろうか。読者諸氏にはWikipediaなどで、香山リカ氏の著作や、職歴の検索をして頂くことをお勧めする。同氏には膨大な数の著書があり、現職は立教大学教授である。精神科医としての立場から、広く社会での出来事に関心をお持ちで、発言は多岐の分野にわたっている。その人物が、上記ご紹介したような書き込みを実際に行っている。

果たして、この人の発言や発信が信用できるであろうか。判断は読者に委ねるも、事実は曲げられない。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか? 鹿砦社特別取材班

「カウンター」/「しばき隊」による「大学院生M君リンチ事件」の取材に取り掛かって以来、取材班はさまざまな人々から情報を得て、その膨大な情報から整理した事実を元に5冊の出版物にまとめ、世に問うてきた。「事件」は隠蔽された〈集団リンチ〉である。基本的な事件像はつかめたが、関係者への取材は一筋縄ではいかなかった。事件に関係が深ければ深いほど、関係者の口は重くかつ取材開始直後から取材班・鹿砦社そして被害者M君への攻撃は熾烈を極めた。

M君は〈集団リンチ〉の被害者であるにもかかわらず、ネット上ではさらなる人格攻撃や虚偽の誹謗にさらされた。たまりかねたM君は「しばき隊」の頭目・野間易通氏を名誉毀損で提訴し、当然勝訴した。それでも彼らの攻撃はやむことはない。これが「リベラル」だの「反差別」だの美辞麗句を用いながら、原理原則などなく「自らが気に入るかどうか」だけで、擁護するか攻撃するかの対象を決めて、結果として「権力の別動隊」として機能している「しばき隊」の本性である。

そしてその周辺には「知識人」と呼ばれるニセモノも多数寄生している(「知識人」・「しばき隊」は相互依存の関係というべきかもしれない)。国会議員では有田芳生参議院議員は確信犯であり、弁護士では「M君リンチ事件」の報を金展克氏から知らされるも、あろうことか「M君に非あり」と加害者擁護・加害者加担の見解を金展克氏にメールで表明した師岡康子氏。「M君リンチ事件」の加害者弁護人でもあった、上瀧浩子弁護士、そして神原元弁護士。……

名前を挙げればきりがないが、師岡氏を除き、上記の人々はいずれも、ツイッターなどで取材班や鹿砦社を誹謗してきた人物でもある。その詳細は、われわれが地を這うがごとき取材でまとめた5冊の本に詳しいので是非まだお読みではない読者の方々は、現物を確認されたい。

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

◆『皇室女子』と「反差別」

「知識人」や大学教員も多数がリンチ事件の隠蔽活動に狂奔し、事件取材を進める取材班に対して、言いがかりをつけてきた。なかでも香山リカ氏はその代表格である。同氏の展開する言説は「リベラル」や「反差別」に近いか、あるいは関係があるとの誤解があるが。それが全くの見当違いであることを、同氏は近著『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)ではっきりと示している。

本書は1月刊行であるが、なぜかあまり宣伝しないこともあるのか、われわれも出版を知らず、出版されていたのを知ったのは、出版から2か月ほど経ってからである。『皇室女子』の書名と、帯の「最も“日本的”なる女性たち プリンセス雅子からいよいよ皇后雅子へ」を見た知人が「香山リカはついにどうかしたのか?」と知らせてきたが、同氏は以前から皇室や天皇制について批判の目を持たず、出自によって乳児でも「さま」と敬語が使われる、単純な差別構造が理解できなかった人物である。

《最も“日本的”なる女性たち》などという物言いは、個性や出自、生活のありさまがさまざまな日本の女性たちを乱暴に“日本的”などという言葉でくくっている。フェミニストでなくとも、このような決めつけの枠に閉じ込められたら、不快に感じる女性は少なくないであろう。

香山リカ氏

『皇室女子』のあとがきは、

《新元号のもとで始まる時代が、平和で国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なものとなることを願って》

と、お偉い立場のお方が、現世を見下ろすかのように結ばれている。

でもこんな短い文章の中にも徹底的な矛盾がある。中学生程度の読解力がある方であればすぐにお気づきになるであろう。まずは「皇室・天皇制護持」の立場はけっして「反差別」とは相いれないということである。生まれたとたんに「さま」と呼ばれる制度が存置されていることは、生まれたとたんに「差別」される赤ちゃんも同時に捨て置かれる、制度への賛同と共感をあらわすものだ。

香山リカ氏

だから「新元号のもとで」なる前提では、いかなる「反差別」も論じようはない。「差別」は「不自由」であるから「国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なもの」などはありようがない。

本当に国民の自由を、差別の廃絶を願うのであれば、「出生により差別を生じさせる」天皇制廃絶への論考が少なくともなければ、現実には何の力も持ちえないばかりではなく、現存する差別の温存につながる。現実の変革は「願って」いるばかりでは訪れない。与えられた権利はいとも簡単に奪われる(あるいは手放してしまう)ことを、われわれは、20世紀終盤から今日に至るまで目の当たりにし、経験してきたではないか。権利は闘い獲得するものである。

香山氏の意図する「平和」や「自由」とはいったい何なのか。曖昧を通り越して想像すらできない。『皇室女子』はその論証として価値はあろう(手に取ることを読者にお薦めしているわけではない。念のため)。(つづく)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[3](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

《6》李信恵の「被害」なるものの意味が理解できない

 第2訴訟の訴状において李信恵がみずからへの「被害」として、「(1)精神的被害」「(2)講演会への抗議」「(3)身体的異変」を挙げているが、被害妄想としか言いようがない。

「(1)精神的被害」として、私たちがジャーナリズム、メディアや出版関係者、それらに加え今回は李信恵支持者や関係ら多くの人たちに意見を聞くためのテキスト、資料として鹿砦社発行出版物を献本送付した。例えば月刊『紙の爆弾』は、毎月発行ごとに300人ほどのジャーナリズム、メディア、出版関係者らに献本送付しているが、本件関係ではその半分から3分の2ほどであるから特段問題にする必要もない。

 李信恵は、こうしたことを「誹謗中傷」として「強い精神的苦痛」を受けたとして挙げているが、献本送付行為はどこの出版社でも一般的に行う行為であって、これをあれこれ言われては出版社としては立つ瀬がない。これを「誹謗中傷」と言うのであれば、あらゆる出版物が「誹謗中傷」ということになる。

 鹿砦社発行出版物に批判や反論があるのであれば、「言論には言論で」の原則のもと、李信恵も反論本を出版すればいいのである。李信恵、及び彼女の支持者らは、それなりに出版社とのつながりがあり、執筆能力も十分あり、少なからず著書もあるが、鹿砦社発行出版物に対する反論本は1冊もない。

 李信恵は、李信恵代理人・上瀧浩子弁護士と共著で『黙らない女たち』(かもがわ出版)を昨年出版した。おそらく鹿砦社発行出版物に対して「黙らない」で反論しているのかと思い購読してみたが、1文1行1句たりとも反論は記述されていない。

 また、私たちは常々、間違いや批判などがあれば指摘してくれたら、いつでも訂正することを述べているが、李信恵側からは具体的な指摘などはなく、単に「デマ本」「クソ鹿砦社」等々の悪罵があっただけである。

 今、裁判所の場での応酬を展開しているが、李信恵が「フリーのジャーナリスト」(第2訴訟訴状3ページ)を自認し、著書もあるわけだから、基本は言論戦でなければならないことは常識である。

「(2)講演会への抗議」。全く意味不明。山口県の部落解放同盟主催の講演会に鹿砦社、及び鹿砦社関係者が抗議した事実はないし、とんだ濡れ衣である。妨害行為自体はあったかもしれないが、それを入念に調べもせずに、あたかも私たちが行ったかのように虚偽の物言いをし裁判所に鹿砦社のイメージ悪化を図るのは、これこそ鹿砦社に対する名誉毀損そのものである。解放同盟の幹部が「陳述書」を提出しているが、解放同盟も、いまだにこんな茶番に加担してどうするのか!?

「(3)身体の異変」。医師の診断書も付けずに何をかいわんやである。これも鹿砦社に責任をなすりつけるもので言語道断と言わざるを得ない。「(1)精神的被害」にしろ「(3)身体の異変」にしろ、激しいリンチの被害者Mが負い、今でも時折夜中にうなされたり身体的精神的な後遺症(PTSD)と苦痛を李信恵はいかに考えるのか? 李信恵には人間としての良心はないのか!?

《7》「出版物差止請求権」「削除請求権」と「表現の自由」「言論・出版の自由」

 さらに李信恵は第2訴訟において鹿砦社発行出版物に対して出版物の販売差し止めを求めている。出版物の差し止めについては、その出版物に高度の違法性と強度の緊急性があることが大前提となることは論を俟たない。また、李信恵は、これら出版物の中のほんの一部を切り取り挙げつらって、これら出版物そのものの販売差し止めを求めている。

 周知の通り日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を謳い、私たち出版社はこれに基づいて活動をしているが、李信恵も「フリーのジャーナリスト」を自認し出版社とのつながりもあり実際に著書も出版している。李信恵による販売差し止め要求は、憲法21条の精神を蹂躙し、みずからの首を自身で締めるようなものであり、断じて許すことはできない。

 また、ネット上のブログ「デジタル鹿砦社通信」に対する「削除請求権」であるが、李信恵がリンチ事件が起きる以前からずっとネット上で頻繁に発してきた「死ね」「デマ」「クソ」などと言った誹謗中傷(第5弾本巻頭グラビア参照)に比べれば穏健で、綿密な調査・取材に基づく事実と、これに裏打ちされた公正な論評によるレポート記事であり、これも「表現の自由」の見地から削除を要求されるいわれはない。

李信恵氏の暴言の数々

《8》リンチ被害者Mが李信恵らリンチ現場に同座した5人を訴えた訴訟について

 李信恵が法的責任を免れたからといって全くのシロではないと私たちは認識する。むしろ、人間として、人道的、道義的、倫理的責任があることは言うまでもない。

 李信恵は、リンチ被害者Mが彼女らを訴えた訴訟において、大阪地裁、及び上級審の大阪高裁で、法的責任を免れた。また、刑事処分にあっても不起訴となっている。

 しかし、これは事件を白紙の状態から時間と労力と資金を費やして調査・取材に当たってきた私たちに言わせれば、一部分を除き全くの誤判だと断ぜざるを得ない。これは800ページ余に渡る鹿砦社による出版物において証明されている。裁判官も人間ならば、第4弾本に付けているリンチの最中の阿鼻叫喚の音声を聴くべきだ。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 私たちは、多くの人たちの協力、綿密な調査・取材に基づき長い出版人としての良心と矜持をもってリンチ事件についての書籍を出版してきたつもりだ。できるだけ常識と、いわゆる「一般人」としての感覚でリンチ事件に当たってきたのである。例えば、「一般人」の常識や感覚から言って、リンチに関わっていないのならなぜ「謝罪文」を出したのか、それも自筆で。疑問に思うこと多々であり、裁判所の良心を疑うものである。ブラックそのものであるが、少なくともダークである。刑事処分では「無罪」になり民事訴訟でも責任を課せられかなったかもしれないが、全くのホワイトでも〈無実〉でもない。

 もともとこの集団によるリンチ事件、主たる実行犯のエル金こと金良平のみにほぼ全ての責任が課されているが、この場に居た全員に〈連帯責任〉があることは言うまでもない。なかでも李信恵は「首謀者」として誰よりも責任がある。私がよく言うように、私が若い頃、いわゆる「連合赤軍事件」が起き、首謀者の永田洋子は、自らは手を下さずに死刑判決を受けた。実行犯は、阿吽の呼吸で暴力を振るった配下の者らである。事件の規模は違えど同じ構図である。

 現場に同座した李信恵には、少なくとも人道的、道義的、倫理的責任はあるのだから、李信恵に人間としての一片の良心があるのならば、まずは、かつてリンチ被害者Mに渡し、その後撤回した「謝罪文」に立ち返るべきである。

 特に李信恵は日頃から「人権」という言葉を口にしているが、まさに人権上、このリンチ事件はその言葉の内実を問うものである。

 当初リンチ事件の存在を伝え聞いた際に、李信恵も、いわば“「反差別」運動の旗手”であるならば、人間として一片の良心はあるはずなので、もっと良心的に振る舞うものと思っていたが、これが全くの誤認であったことを知り私は落胆した。このままでは日本の反差別運動や社会運動は、事件の真相を知った世の人々の失望を誘い後退するに違いない。

 リンチ被害者Mが李信恵ら5人を訴えた訴訟を後押しし支援し、また私たちが相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言で李信恵に対して訴訟を起こしたのも、訴訟の勝ち負けに関係なく、李信恵の人間としての良心を信じたからであるが、最近では李信恵はじめリンチ現場に同座した5人も、李信恵を支援する者らも、李信恵の代理人らも、開き直っていることを知るにつけ、私たちは、「人権」という言葉が空洞化し、日本の反差別運動や社会運動は衰退していくだろうと懸念する。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

ひとまず本稿の最後に

 鹿砦社が係争する訴訟3件も、勝ち負けに関係なく、裁判所が公平・公正な判断をされることを期待し、よって私が長い出版人生を懸け、誹謗中傷、罵詈雑言を浴びながらも血のにじむ想いで、総計800ページ余に成った5冊の本をもってしても蔑ろにされ判断の材料にされないのなら死んでも死にきれない。裁判所に切に要請するものである。

 
鹿砦社代表・松岡利康

 私がこの3年間に感じたことは、他にもいくつもある。最も怒りを覚えたのは、リンチの隠蔽活動に狂奔し、またはこの片棒を担いでおきながら、私たちが問い質すと沈黙したり逃げたりした人たち、つまり社説にさえ採り上げた朝日新聞をはじめとするマスメディア(の住人)やジャーナリスト、政治家、弁護士(三百代言?)、著名人、「知識人」らのデタラメさと偽善であるが、これは後日稿を改めて申し述べたい。これだけ証拠も揃いリンチは歴然なのに、なぜ良心に沿って自分の意見を言わないのか? なぜ逃げるのか? こういう時こそ、勇気を出して発言するのが真の知識人ではないのか!?

 また、当初から、あるいは偶々、このリンチ事件に関心を持った多くの人たちが、いまだに1円もの治療費さえも受け取っていないリンチ被害者M救済、このリンチ事件の真相と本質をしかと見つめ、近未来の日本の反差別運動、社会運動、市民運動にどのような悪影響を与えるのか、しっかり考えていただきたいと切に願う。[了]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!