2009年頃に社会の耳目を集めた鳥取連続不審死事件で、2人の男性を殺害するなどしたとして強盗殺人などの罪に問われ、無実を訴えながら死刑判決を受けた上田美由紀被告(43)。その最終審理とも言える上告審弁論も6月29日に最高裁で開かれ、あとは最後の判決を待つばかりだ。

私はこの連載で2つの殺人事件について、事件当日の上田被告や被害者の足取りをたどるなどしたうえで上田被告の無実の訴えは無理があることを論証してきた。

今回は2つの殺人事件のうち、上田被告が2人目の被害者・圓山秀樹さん(当時57)を殺害したとされる事件について、上田被告の弁明がどんなものだったかをみてみよう。

◆同居していた男性が真犯人であるかのように弁明

一、二審判決の認定によると、上田被告は2009年10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、摩尼川という川の上流で溺死させたとされる。

そして事実関係を見ていくと、事件当日の朝、圓山さんは内縁関係にあった女性に「集金に行く」と言って、用意された朝食も食べずに外出。そしてほどなく上田被告と合流し、殺害現場のほうに車で向かったのちに行方が途絶え、翌日、川の中で溺死体となって見つかっている。

加えて、上田被告は同年4月、借金270万円の返済を免れるために殺害したとされる1人目の被害者・矢部和実さん(同47)が失踪した当日も朝から矢部さんと行動を共にしていた。そして一緒に車で殺害現場である海まで向かったのち、矢部さんはそのまま行方不明になり、後日、溺死体で見つかっている。このように2つの事件が酷似した経緯をたどっていることを「単なる偶然」だと思う人はいないだろう。

そして2つの殺人事件では、上田被告の弁明も酷似していた。矢部さんが殺害された事件について、上田被告が当時同居していた男性A氏のことを犯人であるかのような弁明をしているのはすでに述べた通りだが、上田被告は圓山さんの殺害についてもA氏の犯行だったかのように主張しているのである。

圓山さんが殺害された当日、上田被告と一緒に赴いた岩戸港

◆詳細に事件当日のことを語ったが……

裁判の第一審では黙秘した上田被告。控訴審の法廷で黙秘を撤回し、圓山さんの事件について弁明した供述の要旨は次の通りだ。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

私は事件当日、知人の運転する車で、ファミリーマート鳥取丸山店に寄って、コーヒー、タバコ、お茶を購入した後、圓山さんが経営する電気工事業の事務所に赴き、圓山さんと合流しました。そして圓山さんの運転する車の助手席に乗って喫茶店に赴き、モーニングを食べ、その際に圓山さんから「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言われたので、Aに電話をしました。そしてAに対し、圓山さんの言う通りに待ち合わせ場所を説明したのです。

それから、私は圓山さんの運転する車で、当時は名前を知らなかった岩戸港まで移動しました。そして岩戸港に到着後、10分か20分すると、Aが車を運転してやってきました。すると、圓山さんが「Aと1対1で話がしたい」と言ったため、圓山さんの車の助手席に座っていた私はAと交替しました。そして私はAが乗ってきた車の運転席で2人の話し合いが終わるのを待っていましたが、途中、自動販売機で買った缶コーヒー2缶を2人が乗っている車に差し入れました。

しばらくすると、Aと圓山さんが車から降りてきて、運転席に座っていた圓山さんが助手席に座り、助手席に座っていたAは缶コーヒー2本を海に投げ捨ててから、車の運転席に乗り込みました。そしてAは私に対し、「圓山さんは気分が悪いみたいだ。車を運転し、ついてくるように」と言い、圓山さんの車を運転して岩戸港から出発しました。そこで私も車を運転し、Aが運転する圓山さんの車についていったのです。

それからAは殺害現場の川のほうに車を走らせて行きましたが、その途中、Aの運転する車の助手席に座った圓山さんが窓に頭をもたれかけているのが見えました。それから私はクラクションを鳴らしてAの運転する車を停めさせ、Aに「ついていきたくない」と言いました。私は無免許運転だったため、このまま一本道を行くと、後ろからついてきていると思っていた警察に捕まるのではないかと思ったためです。

すると、Aは「待っとれ」と言い、私の運転する車を残し、自分は圓山さんを助手席に乗せた車で殺害現場の川の付近に向かっていきました。その後、私からAに電話をしたところ、Aから「まあ、ええけえ。ちょっと待っとれ」と言われましたが、私が乗っていた車を少し前進させたところ、Aが小走りで向かってきて、私が乗っていた車の助手席に乗り込んできました。

私は「何があったの?」と尋ねたり、自分と交替で運転席に座ったAに「車を進めて欲しい」と言いましたが、Aは膝から下を濡らした状態で、しどろもどろになってはっきり答えず、車を動かしませんでした。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

 
とまあ、上田被告は裁判で、かくも詳細に事件当日のことを語っている。A氏こそが圓山さんを殺害した犯人だと明言しているわけではないが、そう言ったに等しい供述内容だ。

◆罪を免れるための虚言

実際問題、検察の主張では、上田被告が圓山さんから「代金後払い」の約束で交付をうけていた電化製品は計12点・販売価格合計約123万円に及んだとされたが、そのうち6点・約69万円が圓山さんの作成した売掛帳ではA氏が債務者であるかのように記載されていた。そしてA氏本人は裁判で、自分が債務者であるかのようにされた電化製品6点は上田被告が注文したものだと主張したのだが、裁判では結局、A氏の証言が信用されず、A氏が問題の電化製品6点の債務者だったように認定されている。

しかし事実関係を見ると、上田被告が主張する通りにA氏が真犯人だと考えるのはやはり無理がある。

まず、そもそも上田被告らと圓山さんが取引を始めたのは、以前から知り合いだった上田被告と圓山さんが2009年8月頃、ドラッグストアでばったり会ったのがきっかけだった。さらに圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝、上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして携帯電話の通話記録を見ると、圓山さんと上田被告の間で頻繁に電話がかけられていた。こうした事実関係を見る限り、圓山さんが代金を請求する相手をA氏ではなく、上田被告だと認識していたことは明らかだ。

そして事件当日の朝、圓山さんは取引先に電話をかけ、「集金に来てくれという電話があったので、行かなければならないからまた後で電話をする」と伝え、その後に内縁関係にあった女性に「集金に行く」などと言い、用意された朝食を食べずに慌てた様子で出かけて行ったという。そして外出後、ほどなく上田被告と合流している。こうした事実経過をたどる中、圓山さんが突如、「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言い出し、やってきたA氏がいきなり圓山さんを殺害するなどということはどう考えてもありえないだろう。

そしてA氏が圓山さんを殺害するということがありえないならば、圓山さんを殺害する機会や機会を有していたのは上田被告だけである。上田被告の無実の訴えについては、「罪を免れるための虚言」と評価せざるをえない。(次回につづく)

上田被告は、この橋の下を流れる川まで圓山さんを連れて行き、溺死させたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号!【特集】アベ改憲策動の全貌

小泉純一郎という男が父親でなかったら、まずは国会議員に当選することなどなかったであろう、そして、その言動がこのように注目されることもなかったであろう世襲議員がいる。小泉進次郎だ。

この男は21世紀最初の災禍、小泉ファシズムの残滓(ざんし)として登場し、わざとらしく父親の語り口を真似るなど姑息な面を持つが、その内実は小泉純一郎の最も汚濁した部分を不足なく引き継いでいる。


◎[参考動画]加計学園問題巡り、小泉進次郎氏「規制改革は必要」(2017年6月2日ANNnewsCH公開)

◆ワンフレーズには宿命的に危険が伴う

小泉純一郎が首相に就任した時、何を断言したか読者はご記憶だろうか。

「郵政民営化は改革の本丸。何があっても8月15日に靖国神社を参拝します」

これだけだ。

今となっては日本郵政が赤字に陥り、米国資本からの乗っ取りが現実味を帯びてきて、識者や経済学者の中には郵政民営化が「失策」だったと断じる人も少なくないが、小泉ファシズムの勢いは安倍の比ではなかった。横綱貴ノ花が怪我を押して優勝しそうだとみるや、国技館に駆け付け、表彰状を読み上げたのちに「感動した!」と言い放つだけで小泉純一郎の支持率はますます上がった。ワンフレーズ政治家としては、戦後の政治家の中でも飛びぬけた人気を小泉純一郎は得ていた。

しかし、ワンフレーズには宿命的に危険が伴う。複雑な社会情勢を「ひとこと」で言い表すのは、端的に言えば「単純」に過ぎて「乱暴」なのだから。日本漢字能力検定協会が主催して、年末に清水寺の僧侶が「今年の漢字」を揮毫するのが恒例となっているが、「今年の漢字」が日本漢字能力検定協会のプロモーションだとご存知の方がどれくらいいるだろうか。あたかも公平・公正な意見の集約の結果のように大々的に報道されるが、あれは壮大なる「広報作戦」である。


◎[参考動画]小泉劇場の5年間 2001-2006(2012年10月20日souri37公開)

◆小泉とトランプの類似性

民間で何をしようと、文句を言う筋合いはない。「ああそうなんだ、今年は〇なんだ」と年末気分をさらに補完する企画を、上手に(小狡く)使うのは勝手である。ただしワンフレーズによる決定は、小情況の場合、優れた判断力の持ち主が小気味よく方向性を示し、仕事のテンポが上がったり、問題解決が一気に進むことはある。

しかし政治の場ではわけが違う。一国の最高指導者がそれをやるとどうなるかといえば、その相似形はトランプである。トランプはワンフレーズではないが理詰めではない。トランプの発語は短いセンテンスによる「決めつけ」だろう。そしてワンフレーズ小泉とトランプの類似性は、自己顕示欲が強烈に強く、他者の意見に耳を傾けない、「俺が一番偉い」と生理的に確信していること、そしてその結果に対して責任を負わないことだ。その証拠は両者の顔に書いてある。

◆愚劣の上塗りを披露する小泉進次郎の改憲賛同論

 

2017年6月1日日本記者クラブ公開動画より

そんな不肖の宰相であった小泉純一郎の愚息、小泉進次郎が、愚劣の上塗りを披露している。

自民党の小泉進次郎衆院議員は6月1日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、安倍晋三首相(自民党総裁)が意欲を示す憲法9条の改正による自衛隊の存在の明記について「当然だ」と賛同した。

小泉氏は、自衛隊を「違憲」と指摘する憲法学者がいることに関しても「自衛隊が違憲かどうかという論争が起きている状況を放置し続ける方がおかしい」と述べ、論争に終止符を打つべきだと強調。「『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と主張する首相を支持した。
産経新聞2017年6月1日付記事

実に明快、無茶苦茶な改憲論だ。議論もへったくれもない。これは小泉進次郎に限ったことではないが、上記のごとき発言は、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に明確に反している。そんなことは一切お構いなし。

もっとも小泉進次郎がここで述べているのは、自民党憲法改正草案と異なる「自衛隊」への言及を加えるという、最近の安倍の思い付きに対する賛同を示したものに過ぎず、例えるならば、振り込め詐欺の犯行グループが金をだまし取る対象を、老人の預貯金から、年金にターゲットを変えた程度の発言なのではある。

◆現在この国の法の支配の頂点には日本国憲法以外はない

 

2017年6月1日日本記者クラブ公開動画より

であるから「盗人猛々しい」の表現が似つかわしいのだ。連中が「当たり前」のように既成事実化を図ろうとしている「改憲策動」は憲法99条にはっきり違反している、その認識から反論がなされてもよいのではないか。そして現行憲法(解釈改憲が行われようと、違憲立法審査にかかれば違憲の疑いが認定されるであろう「安保法制」などが成立しようとも)、現在この国の法の支配の頂点には日本国憲法以外はないのである。

「現実(自衛隊)が憲法違反だから憲法を変える」との順逆の主張を展開する向きが急増する今日、しかし「『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」とはよくぞ本音を言い切ったものだ。小泉進次郎のこの発言は、「自衛隊議論については言論封殺をすべきだ」と語っているのだ。

元加計学園役員、安倍晋三の首相在任期間が小泉純一郎を超えたらしい。息子としては、なんとなく悔しかったのだろうか。目立ちたいだけか、それとも単に頭脳が空疎なだけなのか。


◎[参考動画]自民党「人生100年時代の制度設計特命委員会」事務局長の小泉進次郎衆議院議員会見。司会=橋本五郎・読売新聞 (日本記者クラブ2017年6月1日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

スーパーは当時と違うが、矢野さんは店の前で刺され、倒れていた

 

大阪府警もホームページ上で事件の情報提供を求めている

大阪府茨木市の阪急電鉄南茨木駅と隣接したスーパー「阪急共栄ストアー南茨木店」(当時)の前の歩道で、この店の店員・矢野愼さん(当時33)が血まみれで倒れているのを同僚が見つけたのは2001年5月1日の午前8時過ぎのこと。矢野さんは左胸を刃物で刺されており、病院に搬送されたが、ほどなく死亡が確認された。

目撃証言によると、矢野さんは刺される前、スーパーの2階の階段踊り場で白髪交じりの黒っぽいジャンパーを着た男ともみ合いになっていたという。警察は、男が開店準備中のスーパーに押し入り、金を盗もうとしたが、矢野さんに抵抗されたため、路上に連れ出して刺したとみていると伝えられている。矢野さんは責任感の強い人だったそうだから、強盗から店を守ろうとして生命を奪われたのかもしれない。

目撃者は複数いたようで、犯人の男は「年齢が30歳から50歳くらい」、「身長は165から170センチくらい」、「体格はがっちり型」などと絞り込まれたが、事件は16年経った今も未解決。遺族が私的に懸賞金200万円を用意して犯人検挙につながる情報を募り、大阪府警もホームページで情報提供を呼びかけ続けているが、有力な情報は得られない状態のようだ。

◆変わりゆく現場の様子

私がこの現場を訪ねたのは、2013年の夏のこと。店は事件当時の「阪急共栄ストアー南茨木店」から「阪急オアシス南茨木店」へと変わっており、地元の人たちによると、店の前の歩道も事件当時より拡張されて広くなっているとのことだった。

だが、矢野さんが犯人の男ともみ合っていた2階の階段踊り場はそのまま残されていた。その階段踊り場は南茨木駅と直結しており、これならば事件を目撃した人たちがいるのも納得だ。犯人はおそらく、さほど綿密な計画を立てずに成り行きで事件を起こしたのだろう。

矢野さんが犯人ともみ合っていたとされるスーパー2階の階段踊り場

犯人の逃走経路とされる陸橋

 

 

聞き込みをしてみると、スーパーの女性店員がこんなことを教えてくれた。

「私は当時、この店で働いていなかったんで、刺された人のことは知らないんですが、そこの陸橋のところに地蔵があるらしいですよ」

スーパーの建物の横には、線路の反対側に渡るための陸橋があるのだが、そこに行ってみると、金網で囲まれた陸橋のたもとのところに、たしかに小さな地蔵が設置されていた。矢野さんを悼むためのものだろう。地蔵の前には、水のつがれたグラスが供えられていたが、水は綺麗な状態で、矢野さんの死を悼む人がまめに水をかえていることが窺えた。

◆地蔵の設置場所は犯人の逃走経路

実は目撃証言などによると、犯人の男は矢野さんを刺した後、たもとにこの地蔵が設置された陸橋を通り、線路の反対側の駐輪場の方向に逃げていったとされている。私には、この地蔵は犯人が再びこの現場を通らないか、見つめ続けているようにも思えた。

2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人の公訴時効は撤廃された。16年もの年月が過ぎてしまうと、警察としても犯人検挙につながる新たな有力情報を得るのは難しいだろうが、犯人は生きている限り、矢野さんを殺害した罪から決して逃れられることはない。

【参考】大阪府警もホームページ上でこの事件の情報提供を求めている。

陸橋の下に矢野さんを悼むために設置された地蔵

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

先の「デジタル鹿砦社通信」6月20日号で、ここ1年余り「カウンター」-「しばき隊」による大学院生M君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援(裁判、権利回復など)で共に動いている「鹿砦社特別取材班」の一人「A生」(社外メンバー)が、鈴木邦男さんに対して直截的で激しい意見を述べています。会社としての見解ではなく「A生」の個人的意見ですが、身近で私の「逡巡と苦悶」を見て、やむにやまれぬ気持ちで書いたのでしょう。

あくまでも社外取材班「A生」の個人的意見にもかかわらず、それをそのまま即鹿砦社の見解と早とちりし誤認して香山リカ氏がツイッターで絡んでこられましたが、鹿砦社のHP「デジタル鹿砦社通信」に意見をアップしたからといって、即鹿砦社の見解ではありません。「A生」の意見に基本的に同意しつつも私の気持ちや会社の方針と違う箇所も散見されますし、小なりと雖も会社経営を担い、社員の生活に責任を持つ私や会社は、「A生」ほど過激ではなく、一定のバランスはとっているつもりです。

【注】鹿砦社特別取材班 李信恵氏ら「カウンター」5人による大学院生集団リンチ事件の真相究明と被害者M君支援のために鹿砦社社内と社外のメンバーが集まった有志のグループ。メンバー個々の思想・信条は右から左まで幅広い。リンチ加害者らの代理人・神原元弁護士が詰るように、間違っても「極左」ではない。神原弁護士らによる「極左」認定は、ためにする批判だ。

さて、そこでも述べられているように、鈴木さんとは1980年代前半以来30数年の付き合いになります。月日の経つのは速いものですね。出会ったのは、まだ「統一戦線義勇軍」のリンチ・殺人事件の前だったと記憶しますが、鈴木さんは「新右翼の若き理論家」として売り出したばかりの頃です。いろいろなことが走馬灯のように思い出されます。今闘病中の装丁家で私に出版・編集の手ほどきを実践的にやってくれたFさんの紹介でした。鈴木さんとFさんとも組んで何冊も本を出しました。

まだこの頃はサラリーマンをしながら『季節』という思想・運動系の小冊誌を不定期に出していて、鈴木さんの伝手で、その「現代ファシズム論」の特集に、前記のリンチ・殺人事件の首謀者で、後に見澤知廉を名乗る清水浩司氏(故人)に獄中から寄稿していただき、主に新左翼周辺の読者から顰蹙を買った記憶があります。

1984年暮れに10年間のサラリーマン生活を辞め独立、しばらくして同じ西宮市内で朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、鈴木さんとの関係で、私も疑われました。

そうこうしている中で、朝日襲撃3部作『テロリズムとメディアの危機』『謀略としての朝日新聞襲撃事件』『赤報隊の秘密』を出し、そして鈴木さんにとっても私にとってもターニング・ポイントになった『がんばれ!! 新左翼』(全3巻)を刊行しました。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)、『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)、『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』(1990年)

『がんばれ!! 新左翼 「わが敵わが友」過激派再起へのエール』(〈初版〉1989年、〈復刻新版〉1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part2 激闘篇』(1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part3 望郷篇』(2000年)

この本を出したことで、私は新左翼界隈から大変な非難を浴び顰蹙を買いました。この頃から、プロレス・格闘技関係も含め数多くの書籍を刊行させていただきました。共著を含めると何点になるでしょうか、すぐには数え切れないほどです。鈴木さんが創設された新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版』(2巻。1~200号)も刊行しました。

【注】統一戦線義勇軍 1980年代はじめ、一水会を中心に結成された新右翼、行動右翼の連合組織。初代議長は木村三浩氏(現一水会代表)、書記長は清水浩司氏。結成後すぐに清水浩司氏らによるリンチ・殺人事件が起き「新右翼版連合赤軍事件」と揶揄された。現在でも活動を継続している。

さらには、12年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件で会社が壊滅的打撃を蒙り、その後、多くの方々のご支援により復活、鈴木さんへの長年のお付き合いのお礼も兼ね、私たちの思想的総括を懸けて、いわゆる「西宮ゼミ」といわれる、市民向けのゼミナール「鈴木邦男ゼミ」を2010年9月から隔月ペースで3期3年にわたり開催しました。多くの著名な方々が当地(兵庫県西宮市)までお越しになりました。18回開催し(「西宮ゼミ」はその後「浅野健一ゼミ」「前田日明ゼミ」と続き計30回で一応終了しました)、一度たりとも採算に合ったことはありませんが、それでも私は清々しい気分でした。これは記録に残っていて、今これを紐解きながら、鈴木さんとの長い付き合いを想起しため息をついています。なぜ、ため息をついているのか、鈴木さんにはもうお分かりのことと察します。

『生きた思想を求めて 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.1〉』(2012年)、『思想の混迷、混迷の時代に 鈴木邦男ゼミ in 西宮 報告集〈Vol.2〉』(2013年)、『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.3〉』(2014年)

ここ1年3カ月余り、私(たち)は、「カウンター」とか「しばき隊」と自称他称される「反差別」運動内で、「カウンター」-「しばき隊」のメンバーによって惹き起こされた大学院生集団リンチ事件の真相究明と、裁判闘争を含めた被害者M君支援を行ってきました。私たちなりに事実関係を整理し精査していく過程で多くのことを知ることができました。幸か不幸か……。

その成果は、このかんに出した3冊の本に編纂し出版いたしました。「カウンター」-「しばき隊」界隈の人たちからは「デマ本」とか非難されていますが、その内部にいた人たち複数にチェックしてもらったらほぼ事実だということでした。事実関係には、全く白紙の状態から取材や調査をし、裁判も絡んでいますから特に厳しく留意しています。

驚いたことは幾つかありますが、その一つが、鈴木さんも「共同代表」に名を連ねる「のりこえねっと」、及びこれに群がる人たちがリンチの加害者を擁護し、この唾棄すべきリンチ事件の隠蔽工作、さらには被害者M君へのセカンド・リンチを積極的に行っていることでした。私(たち)に言わせたら「のりこえねっと」は「コリアNGOセンター」と同じく、リンチ事件隠蔽工作の〝特A級戦犯〟です。

「共同代表」の中で、事実上のトップといえる辛淑玉氏は、当初は被害者側に立ち、「これはまごうことなきリンチです」としてリンチ事件の真相究明と被害者M君への慰謝、問題の根本的解決を進めるかと思いきや、すぐに沈黙、昨年9月には逆に掌を返し、挙句には被害者M君が「裁判所の和解勧告を拒否」しているとまでウソの記述をして、あれだけ証拠が揃っていながら、深刻な事情があるのか、「リンチはなかった」という加害者側に寝返ってしまいました。

その3冊の本で集団リンチが確かにあったことが公にされ、佐高信氏ら他の「共同代表」の方々は、ひたすら沈黙です。普段歯切れの良い物言いで人気があり私もファンだった佐高氏でさえ黙殺されています。これも意外でした。中沢けい氏に至っては、電話でガチャ切りされ、ようやく直撃することができましたが、取材担当の若者を前にして、したたかにずるく交わしています(『人権と暴力の深層』参照)。人間として醜いです。

さらには、「共同代表」ではありませんが、「のりこえねっと」に巣食い「のりこえ」の名を冠したネット放送を頻繁に行う実質的中心メンバー、野間易通、安田浩一氏らは、被害者へのセカンド・リンチを執拗に行い続けています。

鈴木さんのサイト『鈴木邦男をぶっとばせ!』では、彼らと和気あいあいと写っている画像が頻繁にアップされています。今週号(6月26日更新)でも3枚の画像がアップされ、うち1枚は鈴木さんが発言されている場面、さらに1枚は辛淑玉氏とのツーショット──「共同代表」、普通考えれば、この会にそれ相当の立場があるわけですから、それも当然と言えば当然かもしれません。

とはいえ、一般にはさほど知名度がなくセカンド・リンチの旗振り役・金明秀(関西学院大学教授)氏の写真をアップされた(『鈴木邦男をぶっとばせ!!』6月12日号)のには驚きました。「松岡さんへの当てつけでしょう」と言う方もいますが、どうなのでしょうか? 金明秀氏がどういう言動を行っているかは、辛淑玉氏や「のりこえねっと」がリンチ事件隠蔽工作について、どう動き、どのような役割を果たしているかは、お送りしている3冊の本をご覧になれば分かるはずです。読み飛ばされましたか? 

しかし、鈴木さんには、佐高氏らのような対応をしてほしくはありませんし、そうした「のりこえねっと」の「共同代表」を務め、辛淑玉氏ら中心メンバーと昵懇であれば、M君リンチ事件や、この隠蔽工作について立場や意見などを明確にされるべきではないでしょうか。そう思いませんか?

鈴木さんは、かの野村秋介氏(故人)をして「人間のやることではない」と言わしめた、見澤知廉氏らが惹き起こしたリンチ・殺人事件を境に、言論に主たる活動の場を求め舵を転換されました。このリンチ・殺人事件は、鈴木さんにとって大きな衝撃だったことが、長い付き合いの私には判ります。僭越ながら、鈴木さんとの付き合いで、現一水会代表の木村三浩氏ら一部を除いて、30数年の長きにわたる人はさほど多くはないものと察します。特に出版関係者では……。こういう意味でも、鈴木さんとは全く付き合いのない、社外取材班メンバー「A生」とは、立場も思うところも異なります。

昨年来、私は鈴木さんに、リンチの加害者を擁護しこのリンチ事件隠蔽工作を行う辛淑玉氏ら「のりこえねっと」を採るか、被害者側に立ちリンチ事件の真相究明と被害者支援を行っている私や鹿砦社を採るか、選択を迫っています。回答がございません。鈴木さんほどのひとかどの方が、八方美人的に振る舞われることはやめたほうがいいいのではないでしょうか。思想界でも、社会的にも大きな存在となった鈴木さんは、その泰斗として、いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり物言うべきです。それができなければ、厳しい言い方になりますが、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいでしょう。

鈴木さんの日和見主義的態度に、ある読者は「手持ちの安田浩一氏、鈴木邦男氏の著作は全て処分することに決定しました」と言ってきました。リンチ加害者を擁護してやまない安田氏は当然として、鈴木さん、恥ずかしくありませんか?

鈴木さんは見澤知廉氏ら統一戦線義勇軍によるリンチ・殺人事件に直面し、運動内における暴力の問題に苦慮され、その結果として言論による活動にシフトされたと私は思ってきました。では、ふたたびリンチ事件に接し、この国屈指の思想家であり知識人であり社会運動家である鈴木さんは、どう振る舞われるのでしょうか?

先の「デジタル鹿砦社通信」で、このかん私と共に活動してきた「A生」は、私がいまだに「逡巡と苦悶」をしていることを感じ取り、ダイレクトな表現でネット上に明らかにしました。同じ取材班の田所敏夫は、私と鈴木さんほど長くはありませんが、辛淑玉氏との長い関係を清算し「決別状」を、この「デジタル鹿砦社通信」で明らかにしました(『反差別と暴力の正体』に再録)。

リンチ事件追及第三弾『人権と暴力の深層』で、私は、「鈴木邦男さんへの手紙」を書くつもりでしたが、「逡巡と苦悶」を繰り返し書けませんでした。いろんな意味で、やはりこのままではいけないと思い、気持ちを整理しつつ、こうして「鈴木さんへの手紙」を書き始めた次第です。私と鈴木さんとの関係を知る人はおそらく大なり小なり驚かれるでしょう。

人は、ここぞという時に、どう振る舞うかで、その人の人格なり人間性が現われるのではないでしょうか。とりわけ、知識人のレゾンデートル(存在理由)はそこにあると私は考えています。ふだん立派なことを言っていても、ここぞという時に日和見主義的態度をとったり、逃げたりするような人は、「知識人」としてのみならず人間としても失格です。私と知り合い、言論活動に舵を切られて以降、生来頭脳明晰な鈴木さんは、この国の言論界でも存在感を示すようになられました。知り合った頃の、言論界から異物、異端としか思われていなかった鈴木さんを知る私としては喜びにたえません。今、鈴木さんの発言は、この国の言論界でも受け入れられ、その優等生的な発言に面と向かって非難や罵倒をする人はいないでしょう。いまや一介の右翼活動家、右派系知識人ではなくなりました。

鈴木さん、リンチ直後の被害者M君の写真を見て、どう思われますか? 失礼な言い方になりますが、被害者M君は幸いにも死に至らなかったから、間違っても、見澤氏によるリンチ殺人よりはマシだなどとは思ってはおられないでしょうね? くだんのリンチ事件に接して、日頃「非暴力」とか「暴力はいけない」と言っている人たち(この代表は、「のりこえねっと」が支援している、「しばき隊」内の最過激派「男組」組長で暴力行為や傷害で前科3犯、そして昨年も沖縄で逮捕され公判中の高橋直輝こと添田充啓氏です)、とりわけ「カウンター」運動や「のりこえねっと」に関わる人たちがこぞって隠蔽に走ったり沈黙しています。著名な方々も少なくありません。なんのために知識を培ってきたのか、情けないことです。事実に真摯に向き合い自らのスタンスをはっきりさせるべきでしょう。

本来ならば、こういう時こそ鈴木さんの出番ではないでしょうか。私と知り合った直後に統一戦線義勇軍のリンチ・殺人事件に直面し、のた打ち回られたのではないですか。こういう経験を今こそ活かし、大学院生リンチ事件の内容を当初から知り隠蔽工作に走る辛淑玉氏ら「のりこえねっと」の「共同代表」の方々に厳しく進言し、逃げないで問題の本質的解決に汗を流すべきではないでしょうか。鈴木さん本当にこれでいいんですか!? 私の言っていることは間違っていますか?

長年、私には常に鈴木さんの<影>がありました。80年代からの私と鈴木さんとの付き合いの経緯を知らない香山リカ氏などちゃらちゃらした人たちが言う以上に、口では表現できないような、あまりにも濃密な関係があり、もし決別することになれば、大仰な言い方ですが、出版人としての私の30数年そのものを全否定することにもなりかねません。

しかし、人付き合いに不器用で、あちらにも良い顔、こちらにも良い顔ができない私は八方美人にはなれません。要領よく振る舞えず、どこにも良い顔はできません。

私ももうすぐ66歳、決して若くはありません。鈴木さんは70歳を越えられました。自らの心を押し殺し、なあなあで行くほうが簡単ですし、正直、この歳になって義絶したくはありませんが、頑固な鈴木さんは、「のりこえねっと」共同代表をお辞めになる気はなさそうですし、お考えを変えられそうもありませんので、義絶するのも致し方ないかもしれません。一方、私は、辛淑玉氏ら「のりこえねっと」界隈の人たちによるリンチ事件隠蔽に反対しこれを突き崩し、被害者M君へのセカンド・リンチから彼を守ることに尽力していく決意です。

「老兵は去るのみ」── 実は私は、昨年65歳になったところで、会社も再建し黒字体質になったことだし第一線から引退し、いわば「相談役」的な立場に退くつもりでした。これは周囲に公言していましたので覚えておられる方もいらっしゃるかと思います。しかし、その少し前にリンチ被害者のM君に出会い、この理不尽な事件の真相究明とM君支援に汗を流すことにし、引退を先延ばししました。

鈴木さん、厳しい言い方になりますが、いいことはいい、悪いことは悪いと言えなくなった鈴木さんは、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいのではないでしょうか。私にしろ鈴木さんにしろ、けっして若くはありませんから、どこかの時点で、「老兵」は去らないといけません。「老兵」松岡は、早晩M君問題が解決したら、当初の予定通り第一線から退き、近い将来出版の世界から去るつもりです。鈴木さんはどうですか?

ここに至り私は、このM君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援に、私自身の出版人生の総括を懸けて、この最後の仕事とするというぐらいの覚悟で臨んでいます。それはそうでしょう、目の前にリンチの被害者が現われ、誰にも相手にされず助けを求めてきたら、人間ならば手助けしようとするでしょう。そして、そのリンチ事件、及び以降の隠蔽工作やセカンド・リンチが理不尽なものであったら、歳とってフットワークが鈍くなったとはいえ、真相究明をしたくなるでしょう。そうではありませんか?

このリンチ事件は、人間としてのありようを問うものです。鈴木さん、これでいいんですか!? これを蔑ろにして、鈴木さんのみならず「人権」だとか「反差別」だとか口にする人を今後私は信じません。

鈴木さんとは生きる方向性が真逆になってしまいました。このまま鈴木さんが「のりこえねっと」や「しばき隊」、この界隈の人たちと関係を続けられるのであれば、残念ながら、私は静かに去るしかありません。ほとんど私のほうがご面倒をおかけしお世話になったと思います。長年のご交誼に感謝いたします。

この手紙も、そろそろお終いにしますが、鈴木さん、大学院生M君集団リンチを肯定し事件の存在を隠蔽しようとしている「のりこえねっと」や「しばき隊」と手を切ってください。そうでないと、鈴木さんもリンチ隠蔽やセカンド・リンチの<加害者>となり、せっかく日本を代表する思想家として名を成したのに晩節を汚すことになりますよ。鈴木さんには<偽善者>になってほしくありません。これが最後の忠告です。

蛇足ながら、「のりこえねっと」や「しばき隊」と特段に密接な関係のある香山リカ氏は、「デジタル鹿砦社通信」6月20日号の「鹿砦社特別取材班 A生」の個人的意見を即鹿砦社の見解と誤認し「A生」が「言論界からの『引退』を勧告する」のは「鈴木氏に御社(引用者注 鹿砦社)からのすべての出版物の版権引き上げをおすすめし、新たな版元の紹介や手続きなどすべて御社で行ったのち、が出版界の常識でしょう」と、ネットで話題になった「どこに(本を)送付したか、ちょっと書いてみては?」(そう言うから書いたら神原弁護士から内容証明が届きました)という挑発に続き、またまた〝挑発〟されていますが、出版界に30数年いる私にも、はたして香山氏の言うようなことが「出版界の常識」かどうかは判りません。ここは香山氏の〝挑発〟に乗って申し上げますが、鈴木さん、どうされますか? 鈴木さんが「版権引き上げ」や絶版を希望されるのなら、それもよし、私に異存はございません(もし鈴木さんが版権引き上げや絶版を希望される場合、香山氏が言うように「新たな版元の紹介や手続きなどすべて」をやるのが前か後かは別として事務処理はきちんと行わせていただく所存です)。

長い手紙になりました。これでも自分では整理して書き連ねたつもりですが、感情が入り乱れている箇所や、内容が繰り返されている箇所もあるやもしれません。30数年の重みは、思った以上に肩にのしかかり堪えるものです。

いろんなことが過りました。時に感傷的にもなりました。鈴木さんとリンチ事件に対する構え方や目指す方向性が決定的に違ってしまいました。私はあくまでもリンチ事件の真相究明と被害者M君支援を継続しますが、鈴木さんは、そうした私(たち)と対立する「のりこえねっと」共同代表を継続されるようですから、やむをえません、喧嘩別れではありませんが、ここは袂を分かち、各々信じる道を進みましょう。

鹿砦社代表 松岡利康

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6月29日、最高裁で上田美由紀被告(43)に対する上告審の弁論が開かれる鳥取連続不審死事件。前回は、上田被告が2009年4月、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬を飲ませ、海に誘導して溺死させたとされている通称「北栄町」事件について、上田被告と矢部さんの事件当日の足取りをたどったうえで、上田被告の無実の訴えが荒唐無稽だったことを伝えた。

今回は、同年10月に上田被告が電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を殺害したとされている通称「摩尼川事件」について、一、二審判決をもとに上田被告と圓山さんの事件当日の足取りをたどり、事件の真相を検証する。

◆2人目の被害者も1人目と同じ死に方

鳥取市を流れる摩尼川の上流で、圓山さんが遺体で見つかったのは2009年10月7日の午後2時半過ぎだった。発見者は圓山さんの知人で、遺体はえん堤付近の河川内でうつ伏せの状態で浮いていた。圓山さんは前日の午前8時頃に家を出かけたまま、行方不明になっていた。

解剖の結果、圓山さんの死因は溺死と判断されたが、矢部さんと同じく圓山さんも体内から睡眠薬や抗精神病薬の成分が検出された。一方で、体内からアルコールは検出されず、疾病も確認されず、頭部などに損傷もほとんど認められないことなどから圓山さんが誤って川に転落したとは考え難かった。さらに現場の水深は30センチから80センチ程度であるにも関わらず、圓山さんの手の平などには傷がなく、溺れた際に危険回避行動をとっていなかったと推定された。

つまり、海と川の違いこそあるが、圓山さんも矢部さん同様、何者かに睡眠薬を飲まされたうえ、水の中に誘導されて溺死させられたことを示す事実が揃っていたわけである。そして2つの事件の共通点はそれだけではない。事件当日に上田被告と被害者がたどった足取りも2つの事件は酷似しているのである。

圓山さんの溺死体が見つかった摩尼川のえん堤付近

◆いずれの被害者とも事件当日に行動を共にした被告

圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして事件当日の午前8時8分、圓山さんは上田被告から電話をうけ、女性に「集金に行く」と言い、朝食を食べずに慌てた様子で出かけたという。その約20分後の午前8時30分頃、圓山さんは営んでいた電化製品販売業の事務所前で上田被告と合流し、自分の車に乗せている――。

つまり、2つの殺人事件の当日、いずれも上田被告は被害者と朝から会っているわけだ。

さらに言うと、実は裁判では、上田被告がこの日、圓山さんに会う前に知人の運転する車でファミリーマート鳥取丸山店に赴き、麦茶など4点を購入していることも明らかになっている。矢部さんが殺害された事件当日も上田被告は矢部さんに会う前、このファミリーマート鳥取丸山店で飲み物などを買っていた。2つの殺人事件の当日に上田被告がとった行動はこんなところまで共通しているわけである。

そして上田被告は圓山さんと合流後、喫茶店に立ち寄ってモーニングを食べ、圓山さんの運転する車でいったん岩戸港という港に赴いている。それ以降の行動については、色々争いがあるが、上田被告と圓山さんが摩尼川の殺害現場近辺まで車で赴いていることは間違いない。

そしてこの日の朝、上田被告と会ったのちに殺害現場のほうに向かい、行方が途絶えた圓山さんは、翌日、摩尼川で睡眠薬を飲まされた溺死体となって発見されている。4月に矢部さんが亡くなった時とまったく同じようなことが再び起きたわけである。この事実経過を見ただけでも、上田被告が圓山さんを殺害したのだと確信する人は少なくないだろう。

◆被告の弁明内容も2つの事件は酷似

そんな状況でもなお、上田被告は圓山さん殺害の容疑についても無実を訴えているのだが、実は上田被告の弁明の内容も2つの殺人事件は酷似している。上田被告は裁判において、矢部さんの事件に関して主張したのと同様、圓山さんの殺害についても同居していた男性A氏が犯人であるかのようなことをとうとうと語っているのである。

次回は、その上田被告の弁明内容をみていこう。

(次回につづく)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

クティ(僧宿舎)内。22年前、この壇上で日々の食事をしていました

献上される寄進物。私もこんなふうにバーツ(お鉢)と黄衣を買って来ました。贈ってくれる親族が居ないので自分で買うのです

和尚のアムヌアイさん。私、貫禄で負けそうです

タムケーウ寺の境内。寺の敷地内もこんな綺麗になりました

タムケーウ寺の憩いの場。バス停のような佇まい

なぜ22年もお世話になった寺に足が向かわなかったのだろう。今回、その寺に向かうことになった導きは何だったのだろう。藤川さんが導いたのか、ムエタイ絡みの友達の縁がそうさせたのか。

バンコクからペッブリー県に向かう朝、同行していた友人は仕事でシンガポールへ向かい、22年ぶりの出身寺に向かうのは私一人でした。

サイタイマイという南方行きバスターミナルにムエタイジム経営の友達に車で送って貰い、バスのチケットを買う。以前はエアコンの青色高級大型バスだったのに見渡すとワゴン車が並んだ乗り場しか見当たらない。経費節減でこんな運送手段に変わったのか。真相は分かりませんが係員に言われるがまま、この車に乗り込みました。いずれにしてもペッブリー県まで2時間ほど掛かります。

◆私が出家したタムケーウ寺

着いたところは、私が出家したタムケーウ寺の隣のバスターミナル。何も迷わず寺に着きますが、宿泊地を探してやや遠回り。すると周りをうろつく野良犬が唸りながら寄ってきます。何もしなければ咬まないまず。しかし煩いので、振り返ってカメラを向けると途端に逃げ出す。コンパクトカメラなのに怖いのか。以前、夜に絡まれた際はフラッシュ焚いてやったら途端にシッポ巻いて逃げたものでした。野良犬にフラッシュは効果的です。

私が寺に居た当時に寺の脇にローカル型(エアコン無し)長距離バスターミナルが新たに開設されましたが、今は無く、それとは違う位置にこの日に乗ったワゴン車型バスターミナルが開設されていました(エアコン高級バスはもっと離れた集落にターミナルがありました)。

昔は舗装の無い土埃のたつ路地と草の生える空地でしたが、今や立派な飲食店を含む団地が立ち並ぶ街となっていました。「お前が今度来た時は街の変貌に驚くぞ」と言っていた藤川氏の手紙を思い出す街並みでした。

プラ・ナコーン・キーリー(歴史公園)という観光地の山の麓にある、この寺の中も新たな仏塔が幾つか増え、寺の敷地内に舗装された歩道が引かれ、クティ(僧宿舎)も改築された綺麗さが目立ち、本堂周りも裸足で歩けば尖った地面に痛い思いをするザラつくコンクリート造りからタイル張りのような石畳に変化。これなら裸足で歩いても痛くないはず。お寺もお金が無ければ新たな建築物は建ちませんが、それなりに“儲かっている”と言ってはかなり語弊あるところ、信者さんが寄進する結果の発展をしていることが伺えました。

以前から藤川さんに教わり知っていたことですが、私の出家を認めて下さった以前の和尚さんは十数年前、ニーモン(信者さんの招きでの寄進)に向かう途中に交通事故で亡くなっており、今の和尚は私の初めての剃髪をしてくれた、当時の寺では中間管理職的なお坊さんで、現在51歳。厳しさある歳の取り方が表情に表れている貴乃花親方のような貫禄を感じました。

22年ぶりの再会ツーショット

◆笑って迎えてくれた和尚さんに感謝

笑顔で懐かしそうに迎え入れてくれましたが、最初に出た言葉が「よく来たな、もう嫁はもらったか?」。

「居ねえよ!」とは思えど、そんな目くじら立てることではなく、「居ない居ない、一人で居る自由奔放な人生だから」と言うと、「お前はホモか、ワッハッハッハ!」。

イラつく会話ではなく、「お前らこそホモ集団だろ、何十年も寺に居やがって!」とはギャグ的に思っても声には出していませんが、笑って迎えてくれた和尚さんに感謝でありました。

「今度、出家したいと言う友達を連れて来たら、この寺で出家させてくれますか?」と尋ねると、いとも簡単に「いいよ!」という返答。タイ人は先を読まず簡単に了解する民族であります。後になって「ダメダメ!」と言い出すこと当たり前なので再度交渉が必要です。

しかし、「で、いつ来るんだ?」とは気の早い展開。いやいや、その想定で聞いてみただけで実際に身近に出家志願者が居る訳ではない。しかしそんな心に悩みを持つ人生転機に、志願者がいつ現れてもおかしくない状況でもあるのです。そんな前準備的相談の訪問でもありました。

献上される寄進物。お坊さんに渡すグッズ数、15名分でしょうか

得度式を行なう本堂。懺悔の式もここで行ないました。懐かしい場所です

フェイスブックに夢中のメーオさん

◆また一人懐かしい僧侶と再会

そんな話は先延ばしとして、また一人懐かしい僧侶と再会。私より10歳若いお坊さんで22年前は23歳ぐらい。今は45歳と言う“メーオ”というニックネームで呼ばれていたお坊さん。まだ居たか、お互いハグまでした懐かしさでした。

「こいつは学も無いし、坊主やっているしか無いやろうなあ。還俗したところで就職先も無いやろうし」とは私がまだこの寺に居た頃の藤川さんの言葉。そんなことを思い出したのは、このメーオは数年前、一回還俗したことがあるという。たった5日で再出家したと言うメーオ。その理由を教えてはくれなかったが、藤川さんの言葉を思い出してしまうのでした。

しかし、こんなお坊さんは知能が低い訳ではありません。田舎では幼い頃に学校に行く機会が無かった者が多かったのです。今とはまた時代が違うので比べられないですが、メーオが持っていたのは“スマホ”。いとも簡単にフェイスブックを使いこなす。その中でも友達の多いこと。私は専門学校まで出ていても未だに使いこなせない。

外から見たクティ(僧宿舎)。藤川さんの部屋もここにありました

寺周辺でたまたま祭りの露店が並んだ店

◆「寺に泊まるか」とは誘われたが……

そんなクティの中で、早速翌日、得度式(出家式)を迎える青年が経文を暗記している姿を発見。これは撮って行こうと早速、得度式の撮影許可依頼をしました。ここでも「いいよ!」と誰もが言う簡単な了解。和尚は以前の私の撮影姿を見たことがあるお坊さん。どんな撮り方をするか、おおよそ想定出来たと思いますが、なかなか一般人として高僧の前をどこまで踏み込めるかは難しい問題があるのは承知の上でした。

その青年の親族が石鹸や歯ブラシなどの日用品を包んだ、寺での必需品を持って現れ仏壇に献上。といってもそんな僧侶グッズが街で売っている必需品であります。更に僧志願者に与える黄衣も同様に捧げていました。

僧志願者の若者は21歳で“ワサン”と言う名前でした。この得度式のため、過去に藤川氏が移籍したサムットソンクラーム県の寺に向かうことは中止として、スケジュールどおりにはいかないのがタイの常識ではありますが、機転を利かせて動く心構えで翌日の得度式に準備を整えました。

「寺に泊まるか」とは誘われましたが、寝る部屋も固い床に毛布一枚だったり、水浴びも想定も出来、懐かしい寺の造りの中ですが、先に近くにとったゲストハウスに戻ることにして、賑やかな寺周辺のターミナルや、たまたまお祭りの露店が連なっており、見て歩き食事もして、この日を終わりました。(つづく)

よそ者に吠えて向かってくるがカメラを向けると逃げる犬

◎ 私の内なるタイとムエタイ 〈1〉14年ぶりのタイで考えたこと

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

夜行バスではあまり眠れなかった。隣がいたら休めないことは分かっていたから、割高(それでも片道4,000円)の独立3列シートを購入したのにもかかわらず、だ。

川崎を出発するまでシートを倒すな、消灯したらスマホを見るな、カーテンを開けるな、渋滞中です。繰り返されるアナウンスに嫌気がさしたまま京都に到着した。

マイクロバスに乗り換え、しばらく北上。6月6日(火)、高浜原発3号機の再稼働を阻止すべく集まった人々と共に現地へ向かった。

◆5月17日の4号機再稼働に続き、6月6日に3号機が再稼働

高浜原発3号機、4号機は、2016年3月に大津地方裁判所が下した決定により運転を停止。裁判所が稼働中の原発の運転停止を命じた初の事例として注目されていた。

しかし、今年の3月に大阪高等裁判所が大津地裁の判断を覆す決定を下したことで、5月17日に4号機が再稼働。3号機についてはこの日、6月6日の14時に再稼働が予定されていた。

◆たじろぐ警察官、近づく海上保安庁ボート

高浜原発付近では複数回の検問に足止めされた。強気の運転手にたじろぐ警察官。なんのための検問かと尋ねると、ペットボトルロケットが打ち込まれたことなどを受け原発を警備しています、と答える。ワードのコントラストがなかなか面白い。

“音海地区”から原発を眺めていると、海上保安庁のボートが近づいてきた。それにしても海は透明で、風も心地よい。原発さえ見えなければとても穏やかな環境だと言える。

◆警察らと対峙する人たち、涙ぐむ黒田節子さん

現地には、報道陣や警察官を除き、約120名が集まっていた。数こそ少なく感じるかもしれないが、あのような僻地の限られたスペースだ。警察らと対峙する人数としては迫力がある。

暑い日差しのなかスピーチとシュプレヒコールを繰り返すも、3号機再稼働の知らせが入る。以降、原発を止めろとの主張に変更し抗う参加者。

「福島はもう取り返しがつかないが、高浜ではまだまだやるべきことがある」と語る、原発いらない福島の女たち・黒田節子さんの目には涙が浮かんでいた。

◆ゲート前の騒然──途絶えた拡声器の音と抗う人たち

代表者がゲート内に入りマイクを握った際、鉄製のゲートを締め切ったことが無線の障害となったのか、拡声器から声が聞こえなくなってしまった。

申し入れ内容を聞かせてくれと頼む声を無視されたことに反発し、数名がゲートに駆け寄り制止されるという、やや騒然とした場面も見られた。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

周辺で6人の男性が不審な死を遂げ、そのうち2人の男性に対する強盗殺人の容疑を起訴された鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。裁判では、別件の詐欺や窃盗は罪を認めたが、2件の強盗殺人についてはいずれも無実を主張している。しかし、2つの強盗殺人事件が起きたとされる日の上田被告と被害者らの足取りをたどってみると、それだけでも上田被告の無実の訴えは無理があるとわかる。

今回はまず、現場の地名から「北栄町事件」と呼ばれる2009年4月4日の事件について見てみよう。一、二審判決によると、上田被告はこの日、270万円の債務の支払いを免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海中に誘導して溺死させたとされる。2人は3月5日、金額を270万円、借主を上田被告、貸主を矢部さん、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を3月31日とする金銭借用証書を作成していたというのは前回述べた通りだ。つまり、事件があったとされる4月4日は返済期限を4日過ぎた日だったことになる。

この日、上田被告は午前7時33分頃、車を使えば自宅からそう遠くない鳥取市丸山町のファミリーマート鳥取丸山店で、おにぎり2個、お茶、即席みそ汁を購入。これと前後して矢部さんと連絡をとって合流し、矢部さんはその後、上田被告が購入したおにぎりやみそ汁を食べている。

そして上田被告は矢部さんの運転する車ダイハツミラの助手席に乗り、2人で殺害現場の東伯郡北栄町の砂浜があるほうに向かっている。そして午前8時16分、国道9号線沿いにあるファミリーマート鳥取浜村店に到着。この店で上田被告はフェイシャルペーパー、ハンディウェットティッシュ、紙コップ、缶コーヒーを購入すると、再び助手席に乗り込んで、午前8時22分に同店を出発し、殺害現場の砂浜がある西のほうへ向かっている。

こうしたことは防犯カメラの映像など上田被告の裁判で示された客観的証拠により動かしがたく証明されている。そしてこの日、午前8時22分、ファミリーマート鳥取浜村店を出発する際に防犯カメラの映像で確認された矢部さんの姿は、客観的証拠により認められる「矢部さんの生前最後の姿」となった。

2日後の4月6日、殺害現場の砂浜で矢部さんのダイハツミラが止められているのが、通報を受けて臨場した警察官により確認される。それからさらに5日後の4月11日、砂浜から東に約3・5キロメートル離れた沖合の海中でワカメ漁をしていた漁師により、矢部さんの溺死体が全裸の状態で発見されている。そして死体解剖の結果、矢部さんの血液や胃内容物から睡眠薬や抗精神病薬が検出された――。

上田被告が矢部さんを殺害したとされる北栄町の砂浜

◆同居していた男性が真犯人であるかのように語ったが……

さて、矢部さんの体内から検出された睡眠薬などと上田被告の結びつきについては後に述べるが、矢部さんには自殺の動機や兆候は見受けられなかったという。とすれば、矢部さんが砂浜で自ら睡眠薬などを飲み、溺れ死んだとも考え難く、何者かに睡眠薬を飲まされ、殺害されたとみるほかない。矢部さんが姿を消すまでの経緯からして、その「何者か」が上田被告である疑いを抱かない者はいないだろう。

そんな状況において、上田被告にとって無実を訴えるうえでの唯一の望みは、午前11時過ぎに現場の砂浜で当時同居していた男性A氏と合流していることだ。この件に関する上田被告とA氏の言い分は大きく食い違うが、上田被告が電話やメールでA氏を迎えに来るように呼び出したことは事実関係に争いがない。そして上田被告は控訴審の法廷において、A氏こそが真犯人であると言ったに等しい次のような供述をしたのである。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんの運転する車で西に向かっていた途中、矢部さんは私と自分の交際について、『今後どうするだ』『どう思っとる』などと言ったり、Aさんのことを『あれは男だろう』などと問い質したりしてきました。そして私が曖昧な答えをしていることについて怒り出したため、私はそのまま怒らせたら大変だと思い、矢部さんに対し、『頭、冷やして』と言って砂浜近くにあるコンビニ付近の路上で車から降ろしてもらいました。すると、矢部さんは砂浜のほうにいったん去っていきました。

その後、矢部さんは私をおろした場所まで戻ってきましたが、「頭、冷えたん?」と尋ねたところ、「いや、もうちょっと」と言うので、私が「じゃあ、もう1回頭冷やしてきて」と言ったところ、矢部さんは「わかった」と言って砂浜のほうに車を走らせて行ってしまい、その後、私は矢部さんと顔を合わせていません。

そしてこの間、私はAさんにメールや電話で迎えに来るように頼んでいたのですが、午前11時11分過ぎ頃、車に乗ってきたAさんと合流しました。そしてAさんに対し、矢部さんを怒らせてしまったことや、私のかばんを矢部さんの車に残したままにしてしまったことを説明したところ、Aさんは車を運転し、現場の砂浜手前の空き地に車を停め、車のトランクからペットボトル入りミルクティー2本を持ち出し、私を車に残して1人で砂浜のほうに歩いていき、約20分後、ズボンを濡らした状態で、私のかばんを持って戻ってきました。

その後、Aさんとホテルに入りましたが、Aさんは私をホテルの部屋に残し、車を運転してどこかへ行きました。Aさんはしばらくしてから戻ってきましたが、その時、車の後部座席には、矢部さんが当日着ていた着衣の上下とスコップが積んでありました。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんは事件前、上田被告と交際しているような状態だった時期があったとされる。それにしても、上田被告の供述では、矢部さんが嫉妬に狂い、突如、頭がおかしくなったような話になっており、あまりにも不自然だ。そして同居男性のAさんについては、上田被告に呼ばれて現場にやってくるなり、矢部さんに睡眠薬を飲ませ、殺害した犯人であるかのような行動をとったことになっているのだが、荒唐無稽な弁解だと言わざるをえない。

広島高裁松江支部の控訴審で被告人質問が行われた際、私は傍聴券を確保できず、法廷の出入り口ドアにつけられた小窓から中の様子を伺っていたのだが、上田被告に質問をしている男性の弁護人が何やら悲しげな表情をしていたのが印象的だった。それは、第一審では公判で黙秘したまま死刑判決を受け、いよいよ自分の言葉で無実を訴えた控訴審でこんな荒唐無稽なストーリーを大真面目に語った上田被告に対し、哀れみを感じたからではないか。私はそう思えてならない。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

 

  
過去数回、国民投票法の問題点について取り上げたが、5月3日に安倍首相が2020年までの憲法改正を宣言したことで、来年の国民投票実施がにわかに現実味を帯びてきた。

来年というのは、国民投票実施のための国会発議には衆参両院で3分の2以上の賛成票が必要であり、現在の衆院の任期満了が来年末に控えているからだ。もし次期衆院選で与党が議席を減らして3分の2を維持出来ないと、国会発議そのものが不可能になる恐れがあるので、改憲派としては何としても来年中に実施したいのだ。

◆「失敗は許されない。やる以上は成立させる」(保岡興治推進本部長)

この安倍宣言を受け、自民党の憲法改正推進本部はそれまでの憲法審査会における与野党協調路線をかなぐり捨て、首相の意に沿うような憲法改正案策定に向けて急速に動き出した。

また、推進本部の保岡興治本部長は6月13日、国民投票について「否決されたら、安倍内閣の命運だけでなく日本の根底が揺らぐ。失敗は許されない。やる以上は成立させる」と述べ、推進本部の強化策として高村正彦副総裁を相談役とし、石破茂前地方創生担当相を執行役員会に入れて挙党態勢を目指すと述べた。

なぜ「否決されたら日本の根底が揺らぐ」のかさっぱり分からないが、自民党が総力を挙げて国民投票実施を目指し始めたことは伝わってくる。首相の発言に対して批判的な石破氏は推進本部会合でも批判はしたが、追随する者がなく孤立していると報じられており、最終的には安倍の腰巾着連中によって押し切られる可能性が高いだろう。

この保岡発言で注目すべきは、「失敗は許されない。やる以上は成立させる」という部分だ。現在、憲法改正のための国民投票実施が、国民に周知されているというような状況では全くない。自民党がどのような改憲案を提示するかで多少の違いは生じるかもしれないが、大急ぎで憲法改正をしなければならないという状況にないことは誰の目にも明らかだ。

そんな中で保岡氏がいくら「やる以上は成立させる」と力んでみても、国会の中だけならお得意の強行採決でなんとかなるが、国民に直接信を問い、なおかつ有効投票の過半数以上の賛成票を獲得しなければ「不成立」となってしまうのだから、これは相当にハードルが高い試みである。

◆改憲のための広報宣伝、国民洗脳が動き出す

自民党お得意の、国会のような「閉じられた世界」での成功方程式が全く効かないとなると、過半数以上の賛成票を発生させる方策は何か。それこそが、「人を説得する」こと、即ち怒涛のような広告宣伝によって多数の国民を洗脳し、賛成票を投じるように仕向けることしかない。

初めて体験する国民投票という場で、憲法改正という国の命運を左右する大命題の審判に参加させ、しかも必ず改憲賛成に投票させなければならない。しかもそれは全国規模で、数千万人の意志を「改憲賛成」にもっていかなければならない。これは首相が国会で所信表明演説をしたくらいでどうにかなるものではなく、圧倒的な物量で「改憲賛成」という意識を国民に刷り込まなければ到底不可能である。

そして現在の日本はまがりなりにも民主主義国であるから、独裁国家のように国民に強制的に独裁者の演説だけを聞かせて投票させることは出来ない。国民に改憲派の意見を聴かせるには、あらゆるメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・インターネット)を通して語りかけるしかない。しかし、そのメディアを使用するにはカネが必要だ。なぜなら、自らの主張だけを発信するのは、わが国においてはメディアの「広告」枠を買って使用するしかないからだ。これはもちろん、護憲派も同じである。

そうなると、国民投票で賛否の鍵を握るのは、1億人の有権者に自らの信条を届け、説得し、投票に行かせるための「広報宣伝戦略」ということになる。裏を返せば、これはある商品の魅力を伝え、購入する気にさせ、実際にカネを払って購買にまでいたらせる、通常の「商品宣伝」と基本構造が全く同じなのだ。

となれば、この憲法改正国民投票で改憲派の命運を握るのは、その広報宣伝を一手に引き受けるであろう「電通」だということになる。ネットを除くあらゆるメディアに対し大きなシェアと影響力を持つ電通は、改憲派(自民党)の豊富な政党助成金や財界からの政治資金をすべてのメディアに流し込み、圧倒的な「改憲賛成」世論作りを行うだろう。そこでどのようなことが起こるのかは以前にも書いたが、次回はさらに深く解説したい。

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 本間龍さんの好評連載「原発プロパガンダとは何か?」第10回は「佐藤栄佐久知事と東電トラブル隠し」

2010年6月22日に広島市のマツダ本社工場の敷地内で元期間工の男が車を暴走させて従業員たちを撥ね、1人を殺害、11人を負傷させた事件から明日で7年。犯人の引寺(ひきじ)利明(49)は「マツダで働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役判決が確定。現在は岡山刑務所で服役生活を送っている。

 

引寺が服役している岡山刑務所

当欄では、そんな引寺がまったく無反省の服役生活を送っていることを繰り返し伝えてきたが、引寺は事件から7年経っても相変わらずのようだ。引寺はこのほど、事件から7年の節目ということでデジタル鹿砦社通信への掲載を希望し、便箋20枚を超す手記を送ってきたのだが、それを見れば、引寺が今も何ら罪の意識を感じていないことが実によくわかるのだ。

◆マツダを侮辱しながら「RX-7が大好き」

引寺の手記はまず、〈今年の6月でマツダ事件から7年経つ。もうあれから7年かあー。月日が経つのは早いねーとはいえ、日々、刑務所にキッチリ管理された変わりばえの無い単調で退屈な受刑生活を送っているワシにとっては、事件からの7年は長く感じたのー〉と罪の意識が微塵も感じられない書き出しで始まる(〈〉内太字は引用。以下同じ)。

その後は、2013年に埼玉県でマツダ系列の自動車販売会社が試乗会で車の自動ブレーキがかからずに事故を起こしたことを持ち出し、〈やはりマツダの車は欠陥車じゃのー。(笑)〉〈ったく、マツダのエンジニア達はボケとるのー。(笑)〉などと嘲り笑うなど、マツダを侮辱する記述が続く。

そうかと思えば、〈ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、今でもその気持ちに全く変わりは無い〉とマツダ車を好きだという屈折した感情を吐露。さらに〈ワシはRX-7とロータリーエンジンが好きなのであって、マツダが好きな訳じゃない。ロータリーエンジンが持つ、マイナーさゆえの孤高の存在感が好きじなんじゃ〉などと言うのだが、こうした記述には、マツダの関係者を挑発するような意図も窺える。

◆手記で訴える集団ストーカーの「真相」

引寺は手記の後半では、自分に対する集団ストーカー行為に関与していたと信じるYという人物について、引寺の裁判に証人出廷した際に〈自らの保身の為に明らかな嘘をついた〉と主張。この事実がまったく報道されなかったことについては、大手マスコミがスポンサーであるマツダに日和っているためだという持論を展開している。

手記では、このように引寺にとっての真相が色々綴られているが、その大半は「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない内容だ。そこで、以下に手記のすべてをスキャニングした画像を掲載した。凶悪殺人犯の実像を知るためには一級の資料だと思うので、心ある人に有意義に活用して頂きたい。

引寺が事件から7年の節目に綴った手記(01-02)

引寺手記(03-04)

引寺手記(05-06)

引寺手記(07-08)

引寺手記(09-10)

引寺手記(11-12)

引寺手記(13-14)

引寺手記(15-16)

引寺手記(17-18)

引寺手記(19-20)

引寺手記(21-22)

引寺手記(23-24)

引寺手記(25-26)

《我が暴走》マツダ工場暴走犯、引寺利明の素顔と手記
◎《08》マツダ社員寮強殺事件でマツダ工場暴走犯が本ブログに特別寄稿
◎《07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

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