この「デジタル鹿砦社通信」でも再三再四記載されてきましたように、「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明について、私たちなりの作業をまとめた第3弾となる『人権と暴力の深層』が完成し発売となりました。昨年発行した第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』、第2弾『反差別と暴力の正体』に続くもので、まだ発売2週間ですが、堅調な売れ行きで、手に取られた心ある方々には概ね好評裡に迎えられています。
ここで、私がなぜこのリンチ事件真相究明に関わるようになったのか、被害者M君を支援するのか、あらためて考えてみました。
◆〈1〉私が本件リンチ事件を知った経緯と被害者M君を支援する理由、3冊の本の出版について
昨年(2016年)3月はじめ、偶然に知人から某国立大学大学院博士課程に学ぶM君が、「反差別」を謳う「カウンター」、あるいは「しばき隊」と称するメンバー5人らから蒙った集団リンチ事件のことを知り、そのあまりにも酷い内容からM君への同情と本件リンチ事件への義憤により爾来M君への支援を行っています。
リンチ事件が起きた2014年師走から1年2カ月余り経っていましたが、それまでこのリンチ事件のことを知りませんでした。それも、事件以来これを知りつつ隠蔽工作にも関与していた者が、私の会社の社員として在籍していながらです。この社員は、一昨年(2015年)12月初めに退社いたしましたが、退社後に詳細が判明しました。なんということか、忸怩たる想いです。
そうしたことから、半殺し(M君がラクビーをやっていて頑強な体格でなければ、おそらく死んでいたでしょう)と言っても過言ではない被害を受けたM君への同情と共に自らに呵責の念が起き、このリンチ事件の真相究明を開始することにいたしました。
まずは被害者M君への聴取と、彼が持ってきた主だった資料の解析です。何よりも驚いたのは、リンチ事件直後の酷い顔写真と、リンチの最中の録音です。暴力団でもあるまいし、今の社会にまだこういう野蛮なことがあるのか――M君の話と資料には信憑性を感じ、嘘はないと思いました。私は、この若い大学院生が必死に訴えることを信じることにしました。僭越ながら私も、それなりの年月生きて来て、また出版の世界でやって来て、何が真実か嘘かの区別ぐらいは動物的な勘で判ります。
私の生業は出版業ですので、その内容が公共性、公益性があるものと判断、世に問うことにし、その具体的産物として、これまで上記の3点、それに関連した人気ブログ「世に倦む日日」を主宰される田中宏和氏の著書2点の出版物を刊行いたしました。これまでどれも発行直後から大きな反響を及ぼしており、「こんな酷いリンチ事件があったのか」「言葉に出ない」等々の声が寄せられています。私もリンチ事件を知った直後に感じたことで当然です。
私は、私の呼びかけに共感してくれた人たちと、被害者M君が、李信恵氏ら加害者5人によって蒙ったリンチ事件の内容と経緯を私たちなりに一所懸命に取材し編集いたしました。加害者の周辺にも少なからず取材を試みましたが、なぜかほとんどの方々が答えてくれませんでした。まだ一部解明しえていない点はあるやもしれませんが、事実関係の概要は明らかにし得たと、私たちは自信を持って世に送りました。もし、読まれた方の中で、事実誤認など見つけられましたらご指摘ください。調査し訂正するにやぶさかではありません。
加害者やこの界隈の者らがあれこれ三百代言を弄し弁明しようとも、この3冊の本の内容を越えるものでない以上、社会的に説得力はないと思いますし、裁判所も、この3冊の本の内容を踏まえた判断をすることを強く望み信じています。また、万が一不幸にも被害者M君の主張を棄却する場合、この3冊の本の内容を越えた判断でない限り、私たちや、この3冊の本でリンチ事件の事実を知った多くの人たちは納得しないでしょう。
◆〈2〉被害者M君が心身共に受けた傷を蔑ろにし開き直る加害者らの言動は許せません
被害者M君が心身共に受けた傷は、リンチ直後の顔写真に象徴されています。みなさんも、この写真をご覧になったら驚かれるでしょうし、逆に何も感じないとしたら、もはや人間ではないと断じます。人間として失格です。
また、被害者M君は、これだけの傷を受けていながら未だ1円の医療費、慰謝料も受けていません。加害者5人に対して民事訴訟に打って出たのは、その正当な民事責任を求めることも目的にあると思われますが、何よりも、いったんは謝罪文を寄越し(たとえ形式的、ヌエ的ではあれ)反省の意思を表わしていながら、突然それを覆し「リンチはなかった」「無実」と開き直る加害者らの、人間として到底考えられない言動に真摯な反省と正当な損害賠償を求めること、さらには、これだけの酷いリンチと、その後の事件隠蔽やセカンド・リンチを受けていることに対する名誉回復もあろうかと思います。
常識的に考えて、リンチ直後の写真やリンチ最中の録音を目の当たりにしたら、「リンチはなかった」とか加害者らが「無実」とは考えられず、まともな人間としての感覚があるならば、非人間的で酷いと感じるはずです。今、加害者5人に対する民事訴訟は大阪地裁で係争中ですが、裁判官も血の通った人間ならば、そうしたことは当然理解されるものと信じています。
また、あろうことか、加害者らは「反差別」を金看板に、彼らと繋がる者たちと連携し、被害者M君や、これを支援する人たちに対して、あらん限りの罵詈雑言、誹謗中傷を続けています。
考えてみましょう、真に差別に反対するという崇高な目的をなさんとするならば、まずはみずからが犯した過ちを真摯に反省し、集団リンチ被害者のM君に心から謝罪することから始めるべきではないでしょうか。人間として当然です。それなしには、いくら「反差別」だとか公言しても空語、空虚です。特に加害者のリーダー的存在の李信恵氏は、在特会らに対する2件の差別事件訴訟の原告となっていますが、相手方の差別行為を批判する前に、まずはみずからを律すべきではないでしょうか。
これだけの厳然たる事実が明らかになりながら、かつて出した「謝罪文」を覆し、未だに加害者らが開き直り、この訴訟に対し争う意思を示していることは驚きですし全くもって遺憾です。加害者らがまずやるべきことは、被害者M君への謝罪ではないでしょうか。
さらには、私たちが原告への支援を行っていること、また3冊の出版物を発行したことを、加害者らへの「遺恨」「私怨」からだとする、加害者やその界隈の人たちの恣意的な意見も流布されていますが、これもひどい言い掛かりです。決してそうではありません。加害者らと付き合いがあったわけでもなく、いまだに加害者に一度も会ったこともないのに「遺恨」も「私怨」もあるわけがありません。あくまでも被害者M君への同情、このリンチ事件そのものや、加害者とこの界隈の人たちの不誠実な態度に対する義憤です。
◆〈3〉「人間の尊厳」や「人権」に反する大学院生リンチ事件の事実を多くの方々が知り、メディアが報じ、加害者の周囲にいる著名人(弁護士、ジャーナリスト、研究者ら)はみずからの言葉で語り、裁判所は公平、公正に判断すべきです
ところで私事に渡りますが、私は、縁あって2015年4月から関西大学で「人間の尊厳のために~人権と出版」というテーマで教壇に立たせていただきました。このリンチ事件と、その後の加害者らの言動、また被害者M君への不当な扱い(=セカンド・リンチ)は、まさに「人間の尊厳」も「人権」も蔑ろにしたものと断じます。私は学生に「人間の尊厳」や「人権」を教えるとき、普段いくら机上で立派なことを言っても、「人間の尊厳」や「人権」に関わる現実に遭遇した場合、みずからが、いかに対処するかで、あなた方一人ひとりの人間性が問われると話しました。「人間の尊厳」や「人権」は、「死んだ教条」ではなく、まさに〈生きた現実〉だからです。
普段立派なことを言っている人たちが、このリンチ事件の現実から逃げ、語ることさえやめ、ほとんどが沈黙しています。こういう人を私は〈偽善者〉と言います。くだんの3冊の本に、リンチ事件(と、その後の隠蔽)に陰に陽に、大なり小なり、直接的間接的に関わっている人たちの名が挙げられ、質問状や取材依頼を再三送りましたが、ほとんどがナシの礫(つぶて)です。ほとんどが、この国を代表するような、その分野で著名な人たちです。公人中の公人たる国会議員もいます。あなた方は良心に恥じないのか!?
私も偶然に、このリンチ事件に遭遇しましたが、学生に「人間の尊厳」や「人権」を話したのに、実際に「人間の尊厳」や「人権」を蔑ろにする事件を前にみずからが日和見主義的、傍観者的な態度を取ることは決して許されないものと考え、このリンチ事件の真相究明や、被害者M君が起こした訴訟の支援に関わっています。
裁判所は「人権の砦」と言われます。そうであれば、リンチ被害者の「人権」について裁判所がなすべき判断は自明です。それが判りながら加害者らが三百代言を弄し続け、被害者M君を苦しめることは、普段「人権」だ「反差別」だ「リベラル」だというような耳触りの良い言葉を口にする者がやるべきことでしょうか? 素朴に大いに疑問です。
また、メディアが報じないのにも疑問を感じます。時にどうでもいいような事件を殊更針小棒大に報じるメディアが、国会議員や多くの著名人が隠蔽に関わるリンチ事件をなぜ報じないのでしょうか? さらには、多くの著名な知識人らも〝見ざる、言わざる、聞かざる〟で、こういう人たちに、知識人としての矜持はあるのか!? 良心に沿ってみずからの言葉で〈真実〉や思いのたけを語っていただきたい。
「反差別」を謳う「カウンター」運動内部で、その中心的なメンバーによって起こされた悲惨な大学院生リンチ事件について私の率直な意見を申し述べさせていただきました。以上の内容を盛り込み「陳述書」として裁判所にも提出いたしました。
裁判所も、これまで裏切られたことのほうが多かったですが、今回だけは公正、公平な判断を下してくれるものと信じてやみません。