2010年6月22日に広島市のマツダ本社工場の敷地内で元期間工の男が車を暴走させて従業員たちを撥ね、1人を殺害、11人を負傷させた事件から明日で7年。犯人の引寺(ひきじ)利明(49)は「マツダで働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役判決が確定。現在は岡山刑務所で服役生活を送っている。
当欄では、そんな引寺がまったく無反省の服役生活を送っていることを繰り返し伝えてきたが、引寺は事件から7年経っても相変わらずのようだ。引寺はこのほど、事件から7年の節目ということでデジタル鹿砦社通信への掲載を希望し、便箋20枚を超す手記を送ってきたのだが、それを見れば、引寺が今も何ら罪の意識を感じていないことが実によくわかるのだ。
◆マツダを侮辱しながら「RX-7が大好き」
引寺の手記はまず、〈今年の6月でマツダ事件から7年経つ。もうあれから7年かあー。月日が経つのは早いねーとはいえ、日々、刑務所にキッチリ管理された変わりばえの無い単調で退屈な受刑生活を送っているワシにとっては、事件からの7年は長く感じたのー〉と罪の意識が微塵も感じられない書き出しで始まる(〈〉内太字は引用。以下同じ)。
その後は、2013年に埼玉県でマツダ系列の自動車販売会社が試乗会で車の自動ブレーキがかからずに事故を起こしたことを持ち出し、〈やはりマツダの車は欠陥車じゃのー。(笑)〉〈ったく、マツダのエンジニア達はボケとるのー。(笑)〉などと嘲り笑うなど、マツダを侮辱する記述が続く。
そうかと思えば、〈ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、今でもその気持ちに全く変わりは無い〉とマツダ車を好きだという屈折した感情を吐露。さらに〈ワシはRX-7とロータリーエンジンが好きなのであって、マツダが好きな訳じゃない。ロータリーエンジンが持つ、マイナーさゆえの孤高の存在感が好きじなんじゃ〉などと言うのだが、こうした記述には、マツダの関係者を挑発するような意図も窺える。
◆手記で訴える集団ストーカーの「真相」
引寺は手記の後半では、自分に対する集団ストーカー行為に関与していたと信じるYという人物について、引寺の裁判に証人出廷した際に〈自らの保身の為に明らかな嘘をついた〉と主張。この事実がまったく報道されなかったことについては、大手マスコミがスポンサーであるマツダに日和っているためだという持論を展開している。
手記では、このように引寺にとっての真相が色々綴られているが、その大半は「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない内容だ。そこで、以下に手記のすべてをスキャニングした画像を掲載した。凶悪殺人犯の実像を知るためには一級の資料だと思うので、心ある人に有意義に活用して頂きたい。
《我が暴走》マツダ工場暴走犯、引寺利明の素顔と手記
◎《08》マツダ社員寮強殺事件でマツダ工場暴走犯が本ブログに特別寄稿
◎《07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省
▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。