平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆近所の家電量販店からの領収証

高齢者を狙った犯罪が後を絶ちません。詐欺や窃盗など、刑法に触れる犯罪は社会的に深刻な問題です。しかしそこまでいかない、普段の生活の中でちょっとした『ごまかし』によって、高齢者を騙して得をしようと企む人はたくさんいるようです。民江さん89歳にまつわるそんなエピソードです。

ちょうど二年前なので、まだ自分である程度身の回りのことをこなしていた頃のことです。「リビングの蛍光灯がつかなくなったんだけど、交換してもらって明るくなったわ」と嬉しそうに電話が掛かってきました。ゆっくり聞き直すと、昨夜電気がつかなくなったから、朝、近所の家電量販店に行き、先程お兄さんが来て交換してくれて、ありがとうと現金を支払って、お兄さんは帰ったということでした。

電気がつかない時に疑うのは、壁スイッチがOFFになっていることか、単なる蛍光灯の寿命のはずですが、なんとなくおかしい。「ところで何を交換してもらったの? 蛍光灯の管? まさか本体?」聞いても返事は曖昧です。「いくらだったの?」すると領収証を見ながら「35,000円よ」と。

つまりシーリングライト本体を交換したということです。民江さんにその時の様子を尋ねても、お兄さんが車に戻ってこれを持って来てくれたということ以外、詳細を聞き出すことはできません。

私は翌日民江さんの家へ行きました。なんと明るいのでしょう。6畳の居間は煌々としています。そして案の定、複雑なリモコンのどのボタンを押したらいいのかわからなくて今度は怒っています。

私は型番号を控えて家に戻り、製品について調べてから販売店に電話をし、事情を尋ねました。「お母様がLEDをご希望されましたので、そのような器具に取り換えさせていただきました」と。

それからやり取りをすること約30分。年配者には明るい方がいいから部屋の3倍である18畳用で、今後切れる心配のないLEDのシーリングライトに交換したという事がわかりました。そして販売店は蛍光灯を交換するだけで対処できたことを認めたのです。この件は、後日店舗へ行き、一番シンプルで使いやすいリモコンの付いた12畳用の商品に交換し、差額を返してもらうことで決着しました。

◆地銀のクレジット機能付きカード

次は半年ほど前の話です。民江さんから「○○銀行がお金をくれない! 私のお金なのに!」猛烈な勢いで電話が掛かってきました。カードが間違っていないか聞いても「お金が出てこない!」の一点張りです。たまたま居合わせた女性が電話を替わって現場の様子を教えてくださいました。日曜日なので行員さんは不在だし、非常用ボタンを押したためにSECOMが駆けつけて、とにかく大騒ぎになっているようです。私はすぐ家を出るので30分ほどで着くことを伝えて、急ぎ銀行へ向かいました。

到着すると、突っ立った若いSECOMのお兄さんに向かって民江さんが「こんな銀行!」と鬼の形相で怒鳴りつけ、横に女性が付き添ってくださっているという状況でした。まずその親切な女性にお詫びとお礼を申し上げました。それからカードを確認し、難なく希望の現金を引き出しましたが、民江さんの興奮はおさまりません。「もうこんな銀行には来ませんよ!」と大声で叫んでいます。現金を引き出す様子を離れて見守っていたSECOMのお兄さんにお礼を言い、民江さんを抱えるように車に乗せて家まで送りました。

さて、何故このような騒動になったのかということです。銀行のカードの図柄が以前使っていた物と違うことは、私にも一見してわかりました。紫色のそのカードは、クレジットカードとキャッシュカードが一体になっています。差込口に入れる時には、小さな文字を確認して矢印の向きに入れなくてはなりません。差し込む方向がわかりにくいのです。

私の知らない間に、民江さんはこの銀行でクレジット機能の付いたカードに変更をすることを勧められ、何もわからないまま了承して変更をしたということでしょう。

民江さんは昔から「クレジットカードで買い物するということは、借金をして買い物をするということだから、私は絶対にしません」と、クレジットカードを持つことすら拒否し続けてきた昭和一桁生まれです。この銀行は、もう数十年間も民江さんのメインバンクで、年金の振り込みを含めて日常的に利用し、最近では暗証番号を忘れたり印鑑を間違えたり、その都度お世話になっている地方銀行です。ですから民江さんの老化に気付いてくださっていたと思います。

その上でこのカードを勧めたのでしょうか。クレジットカードなんか使うわけがないじゃないですか。万が一落とした時はどうなりますか。サインレスでしょ。簡単にごまかすことができる高齢者を利用しようという人間の心理が働いていたのだと、私は思います。

余談ですが、この銀行は民江さんが端の破れた一万円札を持って交換のお願いに行った際、「ここではできませんので日銀に行ってください」と言ったそうです。90近いお婆さんにです。幸いすぐ傍の別の銀行に寄って交換してもらった民江さんが一枚上手でしたけど。

私達が気を配っていないと、本人が気付かないまま軽く騙され、結果高齢者はデメリットを被ることがあるのです。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

MOMOTAROの前蹴りが一仁のアゴへ度々ヒット

MOMOTAROのミドルキックで一仁を突き放した

「リアル・チャンピオン“超豪華”大集結。運命の9.22、いよいよ来たる!」

興行タイトルは格好良く、激しい試合も展開されましたが、セコンドや応援団の声ばかりが響く試合も多かった。

◎NJKF 2018.3rd
9月22日(土)後楽園ホール17:00~20:55
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆第12試合 メインイベント 57.5kg契約3回戦

再起戦を飾ったMOMOTARO、海外からも声が掛かり戦う場が広い若きエース

WBC・M・IN・フェザー級チャンピオン.MOMOTARO(=小寺耕平/OGUNI/57.4kg)
VS
J-NETWORKフェザー級チャンピオン.一仁(真樹AICHI/57.5kg)

勝者:MOMOTARO / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:中山30-27. 神谷30-27. 宮本30-28

序盤、離れた蹴り会いから距離が縮まり、組み合った接近戦でMOMOTAROがヒジ打ちを執拗に連打すると負傷した一仁だが、その後も怯まずに出て来る。しかし、MOMOTAROのタイミングいい蹴りと距離を取るフットワークに、一仁の蹴りやパンチもヒットは弱く、リズムを狂わされてしまう。MOMOTAROは終始落ち着いた表情で的確にヒットさせるが、一仁のしぶとさに深いダメージを負わせる決定打は無いまま、大差判定勝利を掴んだ。

◆第11試合 58.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/57.7kg)
VS
MA日本フェザー級チャンピオン.宮崎勇樹(相模原S/58.0kg)

勝者:新人 / 判定2-0 / 主審:和田良覚
副審:中山29-29. 竹村30-29. 宮本29-28

宮崎がパンチのリズム感と連打がヒットし攻勢を印象付ける勢いがあったが、打ち合いは避けたい新人は蹴り中心の的確さで試合を進める。新人が僅差ながら判定勝利。

宮崎勇樹VS新人。蹴りの距離で優勢を保った新人(右)のミドルキック

接近戦での打ち合いとなった実方拓海(左)と真吾YAMATO

◆第10試合 64.0kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級2位.真吾YAMATO(大和/63.8kg)
VS
WMC日本スーパーライト級チャンピオン.実方拓海(TSKjapan/63.7kg)

勝者:実方拓海 / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:中山28-30. 竹村28-30. 和田28-29

積極性と的確さがやや優っていた実方。第2ラウンドにはヒジでカットさせ調子を上げるが、真吾も下がらず応戦してくる。第3ラウンドもパンチとヒジ、蹴り合っても実方の勢いが目立ち、印象的にも優位に立って判定勝利を掴む。

人気実力急上昇中の実方拓海(左)が22歳同い年の真吾YAMATOにハイキックで攻める

◆第9試合 WBCムエタイ日本スーパーバンタム級タイトルマッチ5回戦

地花デビット(右)を蹴り続けた波賀宙也、再浮上へ執念を燃やす

暫定チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/55.3kg)
VS
WMC日本フェザー級チャンピオン.知花デビット(エイワスポーツ/55.3kg)

勝者:波賀宙也が正規チャンピオン / 判定3-0 / 主審:宮本和俊
副審:神谷50-47. 竹村49-47. 和田50-47

波賀は距離をとってミドルキック中心に知花のパンチの距離に入れさせないテクニックで波賀が優った。知花デビットも勝負を掛けてパンチで前に出るが、波賀は接近戦でもヒジ打ちや組み合ってのヒザ蹴りなど波賀が体重を掛けていく有利な体勢で、知花デビットの距離を潰してしまう。波賀が判定勝利で正規チャンピオンに昇格。

主導権は波賀宙也(右)が握ったまま、知花デビットは今ひとつ力及ばず

NJKFを一番の団体に、満員にしたい、エースとなる,力強いアピールが続いた琢磨

 
 
◆第8試合 61.0㎏契約3回戦

WBCムエタイ日本スーパーフェザー級チャンピオン.琢磨(東京町田金子/60.3kg)
VS
NJKFスーパーフェザー級1位.澤田曜祐(PIT/60.4kg)

勝者:琢磨 / TKO 3R 2:13 / カウント中のレフェリーストップ
主審:中山宏美

初回からパンチからローの琢磨、更にハイキックと多彩に繰り出していくが澤田もパンチで応戦し、第3ラウンドのボディブローのヒットから一気にヒザ蹴りやパンチや距離に合わせた打撃が続く中、更に左のボディブローがヒットすると、効いた様子の澤田はついにダウンを喫する。

立ち上がるもコーナーを向いたままでレフェリーストップされてしまう。

「Knock outは正直、すごい出たいなあと思うんですけど、僕はこのNJKFをキック界一番の団体にして来年僕はメインイベンターで、エースとして、この舞台に立ちたいと思っているので、その時は会場を満員に出来るようにしたい。」というコメントを残しました。

ボディブローで防戦一方となる澤田曜祐へ琢磨(左)の猛攻が続く

目まぐるしい展開を見せた松谷桐(右)の左ストレートで高坂侑弥が仰け反る

◆第7試合 51.0kg契約3回戦

NJKFフライ級チャンピオン.松谷桐(VALLELY/50.8kg)
VS
WMC日本バンタム級3位.高坂侑弥(エイワスポーツ/50.9kg)

勝者:松谷桐 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:神谷30-28. 宮本29-28. 中山30-27

スピーディーで激しい打ち合いが最後まで続き、松谷がパンチの連打、ボディブローも印象付け、飛び技も見せた攻勢が高坂を下がらせたが、パンチの交錯では高坂も打ち負けない展開を見せ、松谷も右目瞼辺りが大きく腫れる被弾の跡が残る痛々しい表情となった。

終始、わずかに上回る松谷の攻勢の印象が残る中、ポイントも僅差から大差まで開く結果となった。これも5回戦で見なければ総合力が現れない結果でもあった。

◆第6試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFスーパーフェザー級5位.梅沢武彦(東京町田金子/58.8kg)
VS
同級9位.山浦俊一(新興ムエタイ/58.9kg)

勝者:山浦俊一 / 判定0-2 / 主審:
副審:竹村29-29. 宮本28-30. 中山29-30

◆第5試合 スーパーライト級3回戦-中止-

NJKFスーパーライト級7位.敦YAMATO(大和)
VS
同級10位.木村弘志(OGUNI/63.3kg)

敦YAMATOの体調不良によりドクターストップが掛かり、中止(場内発表は木村弘志の不戦勝)。

◆第4試合 56.0kg契約3回戦

将泰(PIT/55.8kg)VS 鈴木力也(ZERO/55.9kg)

勝者:鈴木力也 / TKO 1R 1:50 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

◆第3試合 スーパーフェザー級3回戦

吉田凜汰朗(VERTEX/58.5kg)VS 吉田優佑(K&K/58.2kg)

勝者:吉田凜汰朗 / 判定3-0 / 主審:
副審:宮本30-28. 和田30-28. 神谷30-28

◆第2試合 スーパーバンタム級3回戦

雨宮洸太(キング/55.0kg)VS 雅(PIT/55.1kg)

引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

◆第1試合 フライ級3回戦

宇宙YAMATO(大和/50.8kg)VS EIJI(E.S.G/50.8kg)

勝者:EIJI / TKO 1R 0:22 / ドクター勧告及び戦意喪失

正規王座を奪回した波賀宙也

《取材戦記》

総勢9名のチャンピオンの肩書きを持つ選手が出場。更にイケメンやマジ強のキャッチフレーズが付いた興行に反し、観衆の少なさは何を物語るか。

6月のNJKF 2018.2ndで健太が「僕はもう一度NJKFを満員にしたい」と語り、今回は琢磨もTKO勝利後、“来年はエース格宣言”したように「キックを良くしたい、盛り上げたい、満員にしたい」と言う宣言はよく聞かれるマイクアピールです。

セミファイナル以前の選手が「まだいい試合が続くので最後まで観て行ってください」とマイクアピールしてもメインイベント(最終試合)に近付くにつれ観衆が減っていくのは6月に続き、この日も見られた光景でした。

チャンピオン対決が行われてもこの状況。これらの増え過ぎた国内王座はどれほどの規模か。その先の頂点に繋がるものかどうか。ファンは見抜いているのでしょう。

現在のNJKFエース格、MOMOTAROは昨年6月18日、カルロス・セブン・ムエタイ(スペイン)の持つWBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級王座に挑戦し、2ラウンドTKO勝利で王座奪取。最近は海外遠征や敗戦が続くも、約1年ぶりのホームリングで復活となりました。

来年に向けてメインイベンターとなるのは健太やMOMOTAROが続く他、琢磨が加わり、または前回のタイトルどおり、新たなニューウェーブ到来か。それらが超満員に導く存在となってくれるでしょうか。

NJKF年内プロ興行は、11月25日(日)に埼玉県春日部市ふれあいキューブに於いてPITジム主催の「絆 Ⅺ」、12月2日(日)に「NJKF 2018.4th」於:後楽園ホール、12月16日(日) 大阪・阿倍野区民センターに於いて誠至会主催の「NJKF 2018 west 5th」が開催予定となっています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)(C)Kaleo Films

聞こうとする心があるなら、耳が聞こえなくても
何の問題があるのですか。本当の「聾」、
癒しがたい「聾」とは、聞こうとしない閉ざされた心を言うのです。

2018年6月に刊行された、フランスに生まれアメリカに渡ったろう者教師ローラン・クレールの語り形式による大河物語のようなノンフィクション『手話の歴史』(ハーラン・レイン著:築地書館)。上の言葉は、エピグラフとして記された、文豪ヴィクトル・ユーゴーがろう者フェルディナン・ベルティエに贈ったものだ。

これは、10月13日よりアップリンク渋谷ほか全国で順次公開されるドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)にも共通するメッセージであり、テーマ。いずれにも、手話という大切な言語を奪われているろう者たちの苦悩や怒り、悲しみ、そして手話を用いる喜びや手話表現の美しさなどが描かれている。

 

 

筆者自身は、小学生の時に手話の五十音や簡単な数の数え方のみを覚え、現在の活動では現場や集会などでろうの人に出会うこともあるという程度。しかし、上記の作品を通じ、初めて手話の背景や排除、闘いの歴史を知り、より多くの人にも知ってもらうことを願っている。また、これらの作品は、言語とは何か、コミュニケーションとは何か、表現とは何かをも問うてくるのだ。

今回、『手話の歴史』を訳した斉藤渡さんと監修・解説を担当した前田浩さんに、『ヴァンサンへの手紙』をアップリンクと共同で配給する「聾の鳥プロダクション」の牧原依里さんから、第1回『手話の歴史』翻訳本誕生の背景に引き続き、お話を聞いて(見て/読んで)いただいた。

◆口話主義がろう者の社会生活にもたらしたもの、ろう者のアイデンティティの揺らぎ

牧原 それでは、本書や本作でも繰り返されている、「なぜ独自の文化をもつろう者が、欠陥をもっているとみなされるのか」についてどのようにお考えでしょう。

 

『手話の歴史』の監修・解説を担当した前田浩さん

前田 言語にはすべて、まずはお互いにわかり合おうという伝達機能があります。フランスも日本もごく最近まで、ろう教育現場では「手話があった方が伝わりやすい」という実用面でしか、手話が評価されていなかった部分があります。言語は、コミュニケーション機能だけでなく、その言語と言語コミュニティで生きる人間たちが形成してきた歴史・文化をも背負っている。

日本にも大正末期以降、手話法と口話法の論争が長く続き、その間、手話が顧みられなかった残念な歴史があります。口話法自体は、母親法とセットになって提唱された聴覚口話法(口形を読む読話と補聴器による残った聴力の活用によって発音とコミュニケーション方法を学ばせる方法)の普及にとって代わられていきました。口話教育の誤りは、(一般社会では通用しない、口話を使う習慣がくずされる)からと、手話を教育の場から退け、そのことでろう者が誇りをもって手話言語を学び使うこと、手話によってわかる授業を受けたり、積極的に社会参加したりする権利も奪ってきたところにあるといえます。

1980年代以降になってやっと、ろう学校における手話復権と手話教育の必要性が叫ばれだしました。それは、法改正運動などをはじめ、ろう者の市民的権利を訴えていく運動が展開されていった中から出されてきたものです。

映画『ヴァンサンへの手紙』で触れていたフランスのろう教育の状況には、歴史的に日本と重なっていた部分があります。筑波大学で教えておられた斎藤佐和先生のレポートによると、フランスでは、LPCと言って日本でいうキュードスピーチに近いものですが、フランスで言う初等教育、つまり幼児レベルから導入する乳幼児センターがかなり多いようです。しかし、これには「この手段は聾の人たちからみると手話のライバルのように見え、話しことばに対する以上に反発が大きかった。…その背後には、政府の助成金がLPCの発展に対して与えられたのに、手話に関しては何の予定もないということに対する不満もあった」というのです。

そして、「1991年1月18日法」という、「ろう児の教育における二言語コミュニケーション(手話とフランス語)と、フランス語による口話コミュニケーションの間の選択の自由を規定するに至った」という一見、先進的な法規定が出されています。しかし、現実には、ろう難聴の乳幼児をもつ保護者に接する医療機関、乳幼児センター等にろう者がほとんど採用されていない中で、聴者の考え方が先行し、二言語コミュニケーションによる教育という選択肢が活用されてこなかったという事情があるようです。

 

「聾の鳥プロダクション」の牧原依里さん

牧原 そうですね。フランスと所縁がある日本のろう者たち等にお話を伺ったことがありますが、実はフランスの方が日本と比べて状況は深刻で手話と口話の二極化が深まってしまっていると聞いています。とはいえ、ろう者や手話に対する認識は日本もフランスも同じだと言えます。この映画を拝見された聴者たちから「手話は言語だということを初めて知った」と言われますから。

前田 牧原さんがおっしゃるように、ろう者が医療モデルの対象としてみられることが多い。聞こえないことを医療対象の症状としてしか見ない現実が、まだまだ残っています。手話言語をもちいて、ろう者があるがままに生きていくという当たり前だけれども大事なことが、本当に理解されているかどうかです。

牧原 たとえば、日常生活のなかでも、問題は多々あります。金融機関の本人確認において、私も会社の同僚に、かわりに電話に対応してもらったことがありますが、これは聴者には驚かれる事実ですね。欧米では、電話によるコミュニケーションが困難な人のために、文字や手話などで支援する「電話リレーサービス」が普及しています。いっぽう国内においては、そのような支援は普及していません。

前田 それは、日常の生活場面でも、実際にあちらで数週間生活してみればわかるのですが、アメリカ合衆国では日曜日のニュースでもワイプで手話通訳があったり、そうでなくても英語字幕が必ずついたりします。日本では、平日の早朝のニュースですと、日本語字幕がつかない番組がまだまだあります。日曜日となるともっと少なくなり、怒りを感じますね。

また、キャッシュカードの申し込み時に、いまどき電話による本人の音声での確認を求める信販会社が多いことにも困っています。そのような情報保障やろう者への配慮のクオリティ面では、日本は本当に発展途上にあると強く感じます。

牧原 前田さんは、その会社に問い合わせて対応を改善してもらったんですよね。『ヴァンサンへの手紙』に登場するろう者で手話講師のステファヌもこう言っていました。「犠牲者とは何? 憐れんでもらうこと?それでは何も進まない」と。こういった出来事に1人ひとりが声を上げていく行動が必要。とても大変で骨が折れる作業ですが、それが社会を変える1歩につながる。ところで、1880年のミラノ会議で手話の禁止について決議され、手話法は口話法よりも劣っているということにされます。『手話の歴史』でも、このことが取り上げられていますね。

 

『手話の歴史』を翻訳した斉藤渡さん

斉藤 ミラノ会議の決議は、過去のものではありません。現在の日本でも、たとえば旧優生保護法(1948~96年)によって障害者らが不妊手術や妊娠中絶を強制された当事者が、記者会見の場で悔しさを手話で訴えています。中央省庁の障害者雇用水増し問題もありました。だが、誰も処分されていません。障害者は軽くみられていると言わざるを得ない。その一方で本書の解説に前田さんが書いたとおり、「世界で、そして日本で、弱者を切り捨てる不寛容の精神が強さを増して」いるのです。

牧原 「ミラノ会議は今も続いている」。まさにその通りで、重い言葉です。現在も、聞こえない子をもつ親に対し、色々な情報を提供する前にすぐ人工内耳がすすめられる状況にあることからミラノ会議の口話法優先の考え方は基本的に変わっていないことが窺えます。

前田 ミラノ会議の影響もあって、教育方法としてだけでなく、ろう者の生活の場からも手話が排除されていったのです。聞こえる人と同じような言語生活ができるろう者つまり口話のみで社会生活ができるろう者を育てることが教育目標とされ、ろう者の人間性というより、発語や読話の能力でもって教育の成果をはかる風潮すら生み出してしまいました。

映画『ヴァンサンへの手紙』では、あのような形でもがき苦しむろう者の姿を通して、観る人たちに人間教育に関する根源的な問いかけをされているものと捉えています。(第3回につづく)

ハーラン・レイン『手話の歴史 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで』(上/下)翻訳=斉藤渡、監修・解説=前田浩(築地書館2018年6月刊)


◎[参考動画]ドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)(C)Kaleo Films
配給:アップリンク・聾の鳥プロダクション、宣伝:リガード
監督:レティシア・カートン、主演:ヴァンサン、ステファヌ、サンドリーヌほか
112分/2018年10月13日(土)よりアップリンク渋谷ほか全国順次公開

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真] 1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『neoneo』『情況』『救援』『現代の理論』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。書評、映画評、著者・監督インタビューなども手がける。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

まさに体育会系me tooとでもいうべき、スポーツ界の暴力・パワハラ告発の連鎖が始まっている。女子レスリング、日大アメフト部、女子体操、ウェイトリフティング、日体大駅伝部など、枚挙にいとまがない。コーチ陣みずからの利益を優先した権力構造的なものであったり、現場の暴力であったりするが、根はひとつであろう。すなわちコミュニケーション能力の欠如である。そしてこれは、親和的な社会といわれる日本において、いまだに再生される「いじめ」と同根なのである。

◆パワハラと「いじめ」は負のコミュニケーションである

「いじめ」はその対象への攻撃を共有することで、共同体の成員であることが確認される、排他的な因習である。負のコミュニケーションと言い換えてもいいだろう。そこには、些細な失敗をあげつらうことで、失敗の原因を共同体の成員全体に知らしめる、共同体の指導者の思惑が最初にある。会社組織であろうと地域社会であろうと、共同体が生産力を紐帯にしている以上、「いじめ」という違反者を排撃する「規則」からは逃れがたい。学校における「いじめ」も、一定の協同体規範(水準以下の者・底辺の者を排撃する)を源泉にしているのだ。

たとえば体育祭やスポーツ大会を「正のコミュニケーション」、つまり全体が一丸となる必要にせまられた団結だとしたら、「いじめ」は成員の団結を確認する「負のコミュニぇーション」の契機となるわけだ。反ヘイト運動内部のリンチ事件や内ゲバと呼ばれるものも、大半はこの構造の中にある。そして暴力の問題がそこに陥穽として存在する。「パワハラ」や「いじめ」の暴力と対峙することこそ、克服の第一の関門であろう。

◆暴力の再生産とその克服の道

いっぽう、個人競技でのパワハラと暴力は、個的な関係性の産物でありながら、やはりコミュニケーション能力の問題である。そして指導における暴力は軍隊式の教育方法であり、戦前の軍隊の体罰から来ている。戦争体験世代の父親を持つ男子の多くが、その成長過程において父親からの暴力をトラウマにしているとされる。

 

小倉全由『お前ならできる―甲子園を制した名将による「やる気」を引き出す人間育成術』 (日本文芸社2012年2月)

わたしもその一人である。「言ってわからなければ、身体で言うことをきかせろ」というのが、体罰の発動の契機となる。多くの男子が「父親を殺したいと思ったことがある」という。これは精神的な父親殺し(自立)をうながすという意味で、肯定的に評価されることが多い。さらに軍隊世代の教育(体罰)を受けた世代は、そのままコミュニケーションツールとして、暴力を用いる傾向が強いのだ。世代をこえた、暴力の再生産である。

思い出してみよう。野球部における「ケツバット」ウェイトリフティング部における試合前の「気合い入れ」の「ビンタ」。バレーボール部でもバスケットボール部でも気合入れの「ゲンコツ」はあった。暴力はたしかに「気合い」が入るコミュニケーションツールなのだ。

したがって、暴力を問題視する選手は少ない。そして選手の任免権と指揮権をにぎり、圧倒的な権力を持つ監督やコーチに、現場で反論できる選手はいないだろう。そこで告発という手段が採られるわけだが、その態度はスポーツマンとしては「姑息」に映る。かくして、暴力は再生産され温存される構造があるのだ。

◆理想の指導者像とは

問題なのは、理想的な指導者像の不在ではないだろうか。甲子園大会が100回をむかえた高校野球を例に取ろう。日大三高の小倉全由(まさよし)監督は夏の大会を2度制覇、春の大会2度の準優勝(取手一高時代をふくむ)の実績を持つ。

 

岩出雅之『常勝集団のプリンシプル 自ら学び成長する人材が育つ「岩出式」心のマネジメント』(日経BP社2018年3月)

単身赴任で野球部寮に住み、選手とのコミュニケーションを第一に指導してきた名将である。知り合いのスポーツライターによれば、誰にも温和で取材を歓迎するタイプ、そして褒めて育てる指導方法だという。

それでも、小倉監督は映画「仁義なき戦い」の啖呵が好きで「わりゃ、何しとるんじゃい!」「そんなんじゃ、甲子園は行けんけんのぅ」などという叱咤を好むという。みずから「瞬間湯沸かし器」であるともいう。戦績ばかりで評価される高校野球の監督だが、やたらと選手を壊さない、上で活躍するためには高校時代は基本練習の反復と体力の育成に努めるなど、指導方法の内実が評価されるべきである。

大学ラグビーの理想的な指導者では、帝京大学の岩出雅之監督である。9連覇の偉業もさることながら、選手に徹底して相手チームをリスペクトさせる指導思想がすばらしい。チームが大所帯になればなるほど、一本目(レギュラーチーム)ではない部員はくさる。部員が一丸になれるチームの思想風土、メンバーシップの確立は並大抵ではないはずだ。個人の指導者においても、小倉監督や岩出監督のような人が出てきて欲しい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

聞こうとする心があるなら、耳が聞こえなくても
何の問題があるのですか。本当の「聾」、
癒しがたい「聾」とは、聞こうとしない閉ざされた心を言うのです。

2018年6月に刊行された、フランスに生まれアメリカに渡ったろう者教師ローラン・クレールの語り形式による大河物語のようなノンフィクション『手話の歴史』(ハーラン・レイン著:築地書館)。上の言葉は、エピグラフとして記された、文豪ヴィクトル・ユーゴーがろう者フェルディナン・ベルティエに贈ったものだ。

ハーラン・レイン『手話の歴史 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで』(上/下)翻訳=斉藤渡、監修・解説=前田浩(築地書館2018年6月刊)

これは、10月13日よりアップリンク渋谷ほか全国で順次公開されるドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)にも共通するメッセージであり、テーマ。いずれにも、手話という大切な言語を奪われているろう者たちの苦悩や怒り、悲しみ、そして手話を用いる喜びや手話表現の美しさなどが描かれている。

筆者自身は、小学生の時に手話の五十音や簡単な数の数え方のみを覚え、現在の活動では現場や集会などでろうの人に出会うこともあるという程度。しかし、上記の作品を通じ、初めて手話の背景や排除、闘いの歴史を知り、より多くの人にも知ってもらうことを願っている。

また、これらの作品は、言語とは何か、コミュニケーションとは何か、表現とは何かをも問うてくるのだ。

今回、『手話の歴史』を訳した斉藤渡さんと監修・解説を担当した前田浩さんに、『ヴァンサンへの手紙』をアップリンクと共同で配給する「聾の鳥プロダクション」の牧原依里さんから、お話を聞いて(見て/読んで)いただいた。

◆手話言語条例が制定されつつある今こそ、ろうの人の生活の豊かさの真価が問われよう

 

「聾の鳥プロダクション」の牧原依里さん

牧原 今回の『手話の歴史』と『ヴァンサンへの手紙』には共通点があり、また斉藤さんと前田さんにとっても、ろう社会の問題を反映するような共通の認識があるかと思います。まず、斉藤さんが本作を手がけたきっかけを教えてください。

斉藤 私は聴者で、ろう者が働くための支援をしていますが、ろう教育についての研究はしてきませんでした。「あとがき」でも触れたように、この本との出会いは本当に偶然です。そして読むと同時に、これは絶対翻訳が必要だと考えたのです。

牧原 すごいことですね。プロの翻訳家ではないが故にご苦労も多かったのでは。

斉藤 やはり文化的背景を知らなければ、言葉のもつ意味がわかりません。今はインターネットからの情報があるので、たいへん助けられました。

牧原 前田さんは、斉藤さんの翻訳を手伝われたということですよね。

 

『手話の歴史』の監修・解説を担当した前田浩さん

前田 私はろう者で、教員を経て、大阪ろう就労支援センターに勤務しています。フランスのろう教育については、ド・レペ神父が世界初のパリ聾学校を立ち上げ、手話での教育を始めたことなどは知っていましたが、ド・レペの方法的手話の詳しい内容、パリ聾学校で働く教員群像、聾学校卒業生たちによる聾コミュニティの誕生と経緯について、あの本ほど生き生きと描かれた書籍は日本では出ていません。
手話言語とろうコミュニティの関係性については、研究領域としても重要な分野であり、日本でも、京都盲唖院や東京の訓盲院が成立して以降のろう者コミュニティの発展史を伝えるような本が必要です。

牧原 『手話の歴史』を拝読したのですが、自分のルーツがそこに書かれていることが興味深く、歴史が苦手な私でも面白く読めた。しかも固い本かと思いきや、登場人物のキャラクターが強く、人間味に溢れていました。人間が歴史を作ってきたのだということがよく伝わってくる本だと感じました。『手話の歴史』も『ヴァンサンへの手紙』もろう者の世界をより聴者の世界に伝えてくれるメディアの1つですね。

 

『手話の歴史』を翻訳した斉藤渡さん

前田 本作は、フランスのろう者による草の根の運動をありのままに描くという視点がよかった。ただ、映画の中でも誰かが語ったように「点が線に、線が面に」なっていく運動の広がりを創り出していく視点に立った、今後を展望できるような第2作目を期待したいですね。

牧原 この映画は聴者がろう者の視点に立って撮っている。作品そのものが共生のあり方を提起しており、希望そのものだと思います。ただレティシア・カートン監督から「出演者たちのその後は明るいとはいえない」という現状も伺いました。

斉藤 その現実を見たい。フランスでの聞こえる人と聞こえない人との結びつき、日本との共通点や差異を知りたいですね。日本では、日本語と同等の言語として手話を認知させ、ろう者が手話言語による豊かな文化を享受できる社会を実現するための「手話言語条例」が最初に鳥取県で制定され、その後、多くの自治体で同様の条例が制定されていますが、その内容をどう実行するかはこれからの課題です。

牧原 ただし、個人と個人としては、「人間同士」としてろう者と付き合う聴者も増えているように感じています。

斉藤 昔からいますよ。私と前田さんも40年以上の付き合いです。(第2回につづく)

 


◎[参考動画]ドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)(C)Kaleo Films
配給:アップリンク・聾の鳥プロダクション、宣伝:リガード
監督:レティシア・カートン、主演:ヴァンサン、ステファヌ、サンドリーヌほか
112分/2018年10月13日(土)よりアップリンク渋谷ほか全国順次公開

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真]
1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『neoneo』『情況』『救援』『現代の理論』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。書評、映画評、著者・監督インタビューなども手がける。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

石松竹雄弁護士が亡くなった。刑事司法に関心のない方にはご存じではない方も多いかもしれないが、1947年に司法試験に合格し、2期の司法修習生だった石松先生は、裁判官時代に良心的裁判官として、現場で闘ってこられた方だ。わたしが石松先生とのご縁を頂いたのはわずか数年前で、ここに数少ない思い出を綴にあたっては、長年ご親交のあった、法曹界をはじめとするお知り合いの方々に申し訳ない思いもあるが、つい数か月前に石松先生とは貴重なお話をさせて頂く機会を得たばかりであったので、法曹の素人としてあえて、石松先生から伺ったお話をここにご紹介する無礼をお許しいただきたい。

 

石松竹雄『気骨 ある刑事裁判官の足跡』(2016年日本評論社)

石松先生から「自宅の蔵書を処分したいのですが」というご相談を伺ったのは、半年ほど前、ある会合での席だった。蔵書寄付のような形にできないか、と考えたわたしは、いくつかの大学や研究機関の図書館に相談してみたが、なかなか思わしい返答はなかった。そしていずれのケースでも「どのような内容の書籍が、何冊くらいありますか」と問われたので、それでは石松先生の蔵書を確認させていただいた方がよいであろうと判断し、やはり元裁判官であった今は弁護士の先生にご一緒頂き、石松先生のご自宅にお邪魔することになった。

ご自宅は大阪府南部であるが、石松先生は吹田市内の老人ホームで暮らしておられたので、そこまでお迎えに伺った。石松先生は、数年前に「胃がんが見つかったが、手術はしないことにした」と内々ではお話になっていた。年に2回ほどしかお会いしないけれども、90歳を超えられて胃がんを持っていらっしゃるお身体にしては、食事も普通に召し上がり、深刻そうなご様子はなかった。

ご自宅に伺う日、約束よりも1時間程度早く吹田に到着した。当該老人ホームの受付でお約束をしている者だが、早く着いた旨を申告すると、石松先生はまだ朝食の最中なので、控えの椅子で待つように案内され、30分ほどのちにお部屋に案内された。ご挨拶をしてお部屋にお邪魔すると、「食事をしてから1時間ほどしないと、胃が落ち着かんのです。申し訳ありませんが少しここでお待ち頂けますか」と仰ったので「どうぞ、先生のお身体とご準備が整うまで急ぎませんので」と申し上げた。

築後それほど年月が経ってはいないと思われる、その建物はわたしがこれまでに訪れた老人ホームの中では最も広く、美しかった。高層階なので見晴らしもよい。石松先生にすれば胃が落ち着くまでの時間は心地の良いものではなかろうが、わたしはそのおかげで貴重なお話を伺う時間を得ることになった。

◆「僕は死刑事件を担当したことがないんです」

 

石松竹雄「裁判の独立、裁判官の職権の独立を守る」(2010年11月22日付け「WEB 市民の司法 ~裁判に憲法を!~」より)

その前日、袴田事件の再審請求が高裁で却下されたニュースが一面トップを飾る朝日新聞の朝刊が目に入った。法律や法曹界の知識が皆無に近いわたしは、「袴田事件は厳しい判断が続きますね」と会話の糸口を求めた。

「この事件は検察がどうしてここまで一生懸命になるのか。ちょっと理解に苦しみますな」と石松先生は雑感を述べられた後、いきなり「僕は死刑事件を担当したことがないんです。『死刑が嫌いな裁判官からは死刑が逃げていく』という言い回しがあるんですが、幸運でしたな」とこちらでも会話が成立するトピックにまで、テーマを調整してくださった。そしてそれはわたしがもっとも尋ねたい、極めてデリケートな設問であったのだけれども、わずか数分のあいだに石松先生は結論を教えてくださったのだ。

それからは学生時代から裁判官就任後のお話。北海道に赴任されたときに、何年間も放置されていた事件を精力的に片づけた際の裏話など、話は弾み始めた。わたしも興味深いお話に没頭してしまい、危うくその日の目的を忘れて話し込みそうになったが、1時間ほどした頃に「それではそろそろ行きましょうか」と石松先生から促していただいた。

わたしが運転する車の中でも話は弾んだ。石松先生はフルマラソンを何十回も完走されている方で、おそらく市民マラソンの日本での先駆けの大会から参加されていたことも伺った。70代はおろか、80代になってもフルマラソンを走っておられたとのお話には、こちらが情けなさを感じさせられた。登山もご趣味で数々の山に週末出かけたお話も伺った。ご自身のマラソンや登山についてお話になっているときの石松先生のお声は、朝お会いしたときよりもずいぶんお元気だった。

◆刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」

わたしは以前耳にしたことのあった、刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」へと質問を変えた。「東京方式」、「大阪方式」とはかつて存在した刑事裁判における法廷指揮の思想とありようの違いである。

それをわたしが最初に知ったのは井戸謙一弁護士(元裁判官)にインタビューしたときだった。別のサイトにわたしが井戸弁護士から伺ったのと同内容のお話が掲載されているので、「東京方式」、「大阪方式」をご理解いただくために引用しよう。

〈当時、大阪方式、東京方式というのがあって、特に刑事部のやり方は全然違ったんですよ。例えば学生裁判なら、東京の場合は、法廷内で暴れるようなことがあれば警察を入れて追い出し、被告人不在で裁判を進める。対して大阪は「警察を入れたら裁判にはならない」ということで、頑として受け入れなかった。最高裁としては東京方式を望んでいたんでしょうけど、大阪には、「俺たちが正しいと思う裁判をする」、そんな雰囲気があったのです。それは修習生にも伝わってきて、影響を受けたのは確かです。気概を感じ、僕にとってはそれが魅力的に映ったのです。〉

井戸修習生に「影響を与えた」裁判官の一人が当時の石松裁判官であったのだ。石松先生は「わたしは当時退廷命令を出したことは1回もありませんでしたな」と仰った。さすがにわたしは驚いた。今日、民事であれ刑事であれ傍聴席で少しでも声を出せば、即座に退廷命令を出す裁判官が少なくない(つまり「大阪方式」は死滅し、全国が「東京方式」で制圧されたということである)。ところが石松先生は「傍聴人は言いたいことがあるから裁判所に来ているんですよ」とこれまた、現在の法廷しかしならないわたしには腰を抜かすような見解を堂々と仰った。

最高裁の意を受けた「東京方式」とそれに対する在野意識の「大阪方式」は、法廷外でせめぎあいが続いたと石松先生は回顧した。「東京と大阪の真ん中ということで、愛知県の蒲郡のある旅館で、なんどか会合がありましたな」、「お前は大阪にいるから気楽に『大阪方式』でやっているけれども東京に来たらそんなわけにはいかんぞ。という人がおりましてね。口には出しませんでしたけども『東京に一人で行ったって堂々と大阪方式でやってやるわい!』と思っておりました」。

こんな良心が日本の司法の中に生きていた時代があったことを知り、羨望の念を抱くとともに、自身の無知を恥じた。闘っていたのは学生や労働者、市民ばかりではなかったのだ。裁判所の中にも良心を軸にした”闘い”と実践があったことを、生き証人の石松先生から直に伺えたのはわたしにとっては、極めて大きな財産である。超人的な体力と精神力、知性を備えた法曹界の巨人が亡くなった。

戦後の司法界で闘ってこられた石松先生からはそのほかにも吹田と大阪南部のご自宅の往復の車内で、生涯忘れられないお話をいくつも教えて頂いた。東京と大阪の文化が均質化され、司法改革は破綻した。反動化が進む時代を、

「いい時代とは言えませんな」

短い言葉で石松先生は評された。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

『くまもと元気ばい新聞』(地元の熊本日日新聞発行)

熊本での島唄野外ライブ「琉球の風」は今年で10回を迎え、しかしこれがラストになります(泣)。

今年も錚々たるアーティストの方々が参集されます。第1回からほぼ常連の宮沢和史さん、島袋優(BEGIN)さん、ロックの大御所・宇崎竜童さん(『沖縄ベイブルース』最高!)、『涙そうそう』の夏川りみさん、私のイチオシ『黄金(こがね)の花』のネーネーズ、きよさくさん(モンパチ)、登場すれば一気に盛り上がるかりゆし58、そして大御所で総合プロデューサーの知名定男さん……わくわくしまっせ! それも午後1時から午後7時過ぎまでの長丁場、値打ちありまっせ!

『琉球の風2018』9月30日(日)フードパル熊本

一部の方はご存知ですが、この「琉球の風」は私の高校の同級生の東濱弘憲君(故人)が、みずからの出自を自覚し開始したものです。

当初は赤字続きで、宇崎竜童さんBEGINらが出演した第3回になってようやく黒字、宇崎さんにささやかな出演料を振り込もうと現実行委員長の山田高広さんが「銀行口座を教えてください」と電話したところ、内情を知る宇崎さんは「教えません」と受け取りを固辞されたといいます。まさにロッカーだね! 宇崎さんは今年も駆けつけてくださいます。

10回まではやりたいという東濱君の遺志で、今年がその10回目を迎えます。残念ながら、諸事情で、今回でラストとなります。若い世代が東濱君、山田さんらの志を継いで持続してくれることを願っています。

ありし日の東濱君(右)と2011年の「琉球の風」会場で

「素朴で純情な人たちよ きれいな目をした人たちよ 黄金(こがね)でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る」(『黄金の花』より)

この歌は、故筑紫哲也氏の『NEWS23』のバックグラウンドミュージックとして使われた(筑紫氏らしい)そうですが、作詞は、森進一が歌いレコード大賞を受賞した『襟裳岬』や、吉田拓郎のヒット曲『旅の宿』などを手掛けた岡本おさみ氏(故人)です。作曲は知名定男さん。かりゆし58の真悟君も、ステージの傍らで聴きながら涙ぐんでいたのを私は見ていますし記録映像にも残っていました。かりゆしの『アンマー』も泣けますけどね。

「琉球の風2018」にぜひ参集し、いろいろあった今年の夏の終わりの一日を楽しく過ごそうではありませんか!

◎『琉球の風2018』HP http://edgeearth.net/ryu9_kaze/
9月30日(日)12:00 開場 / 13:00 開演 フードパル熊本

第1回~5回までの記録『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定記念版(DVD映像付き)。こちらのほうもぜひご購読お願いいたします。会場でも販売します。記念として、書家・龍一郎が即興で揮毫し贈呈いたします。

高僧らによる読経

ワット・ミーチャイ・ターでのお祭りに参加した信者さん達。生活に根付いた仏教の儀式です

◆眠そうなネーン達!

ネイトさんは、12月14日に我々と突然出会い、18日には出家が認められるという
「早過ぎだろ」と言えるぐらい早い展開だった。

倉庫部屋に戻って寝るも、私はお腹痛くて深夜に2回トイレ行く。12時23分、3時38分。お腹は不調のまま平行線なのである。

もう鐘が鳴る時間である。まだ暗い境内にある本堂に向かい、4時の読経に参加してみる。プラマート和尚さんがマイクを持って先導する。

「ヨーソー パカワー アラハン サンマー サンプットー」から始まる毎朝の経文であるが、経本を持って文字を追っていくと5行ぐらいで見失ってしまう。日本語だったらもっと追えるが、タイ文字ではもう追えない。

ネーン達も大人への一歩を経験していきます

読経の続くクティ内

途中、後方を振り返った藤川さん。私に「壇に上がれ」と床を軽く叩く。読経の場は比丘数名が座れる壇があるが、基本的に比丘は壇上、ネーンは壇下になるらしい。私は新米比丘なので遠慮していたが、空席がある限りは比丘1日目でも壇上となるようだ。

始まる頃はプラマート和尚さんと我々日本人の他、真面目な比丘2名程しか居なかったが、少しずつ遅刻者が入って来る。読経後、プラマート和尚さんは後ろに向いて座り、点呼を取る。名前を呼ぶと「マーカップ(来ました)!」。日本で言う「ハイ!」に相当する返事。総勢15名程と見える。後方はほぼネーン達だ。やっぱり眠そうな顔。慌てて黄衣纏って小走りで来るのだろう。今日は遅刻者多いネーン達に怒ったプラマート和尚さん。

「他所から来た日本人がしっかり参加しているのにお前らダラしないところを見せるな!」と言うような感じだった。

独特の雰囲気がある比丘と信者さんのまとまり

◆茶色い僧衣

朝食後、藤川さんはネイトさんを連れて、黄衣を買いに出掛ける。私はお漏らししないか不安で行かなかった。近くにトイレが無いと危なくって何も出来ない。そんなトイレ往復から戻ると、早くもネイトさんらが帰っている。

黄衣三衣2着とバーツ(お鉢)で3500バーツ(14000円ぐらい)だったらしい。見てみると、茶色い僧衣だった。しまった、無理してでも私も行けばよかった。

たぶん藤川さんが「茶色にせえや!」と言ったのだろう。「やられた」といった後悔に変わる。でもこれらは全て藤川さんが払ったらしい。何か嫉妬を感じるなあ。

読経が終わり、在家信者さんより寄進が行なわれます

◆藤川さんは私の親!?

またメコン河を眺めに土手に向かうと、本堂で寝起きするオジサン比丘が「コーヒー飲まないか」と招いてくれた。このオジサン、比丘となって2年ぐらいで、元々はトラック運転手だったという。ノンカイに65年住んでいるそうだ。このオジサンにもこの土地で生きて来た人生のドラマがあるのだ。この寺の前を何千回往復されたことだろう。

ネイトさんもやって来たので、オジサン比丘にコーヒーを勧められる。また他愛も無い話の中、「俺、残って得度式撮ってあげたいなあ」と言うと、
「いいですね、そうしてください」と応えるネイトさん。そうか、それ可能だな。
夜、藤川さんに「俺、残りたい!」と話すと、
「お前一人残るのはダメや、タムケーウ寺の和尚から見れば、ワシは保護者で、お前は子供や。お前を置いてワシだけ帰る訳にはいかん」と言う。

「こんな大人が」と思うが、私をこの仏門に導いた師匠であるといえば、そういうことになるのは仕方無い。

プラマート和尚さんに延期を申し出る。「24日まで居させてください」と。
了承は簡単即答だった。滞在延期決定。

右側がワット・ミーチャイ・トゥンの和尚さん

本堂で寝泊りするオジサン比丘

翌日の朝食時、プラマート和尚さんは我が寺の、ワット・タムケーウに電話していきなり私に携帯電話を渡される。こんなところで、私は我が寺の和尚さんの名前を知らないことに気付く。「ハルキ・プーッナカップ!」と自分の名前言って、何とか「25日に寺に帰ります」と話す。その事情までは言葉が出なかった。その事情は代わってプラマート和尚さんが伝えてくれた様子。

朝食後、ネイトさんに付いて来てもらって、ノンカイ駅で切符の変更申し出るが、すんなり受け付けて貰えた。手数料50バーツと、座席は藤川さんと離れ、寝台は二人とも上段になるが、それぐらいは仕方無い。

よかった。あと4日長く居られる。お腹の具合も悪いから、今日こんな状態で夜行列車に乗るのは危険であった。

◆ミーチャイ・ター祭り!

寺に戻ると「こっちでしか見れん、面白いことやっとるぞ」という藤川さん。
何かの祭りの準備に入っている様子。

「毎年この時期、在家信者さん皆の健康と、この寺の繁栄を祈願するお祭りがあるんだ」という大雑把な話しか聞けなかったが、この準備で昼食はヨーム(在家信者さん)による豪華な寄進。サーラーで比丘達も並んで座り、プラマート和尚さんは私に「写真撮れ」と、またこの寺でもカメラマンを任されてしまう。他の寺から高僧は招かれているし、ミーチャイ・トゥン和尚さんも来ているし、立って歩いて失礼なことしたかもしれないが、カメラマンに徹して踏ん張ってみた。

先週すでにミーチャイ・トゥンで会っている信者さんも居て、私が日本人であることを他のオバサン達に教えたようだ。瞬く間に情報が広まるの早かった。

比丘の昼食が終わると在家信者さんの昼食となります

ネイトさんも食事の輪に招かれました

午後の外での読経、とうろう流しに似た祈願

◆藤川さんの吉本話

午後も外で第2部のお清めの読経が続いていた。やがて信者さんも比丘も皆で後片付けに掛かり、終わった頃、部屋に戻ると、私はお腹の調子の悪さで外出はしないで寝ていたが、藤川さんは散歩に、ネイトさんは得度式に際し、親代わりをお願いに知り合いのオバサン宅へ出掛けたようだった。

ネイトさんは帰ってから「街中で読売新聞売ってましたよ」と言うと、藤川さんは早速100バーツ渡して「もう一回行って買うて来て!」とお願いする。

私が「後で俺にも見せて!」と言うと「イヤッ、捨てる!」と藤川さん。
「じゃあ拾って読みます!」と言うと、「やっぱり燃やそう!」と返す藤川さん。
こんな意地悪な対話に笑って聞いてたネイトさん。こんな冗談言えるほど、より朗らかになれたのもネイトさんが現れてから、この寺での会話からだった。

過去の見た聴いた話題にも花が咲く藤川さん。

「吉本(花月)はオモロイぞ、朝10時から始まって、1日3回舞台に立つ訳や、新人漫才師の女の子のコンビがボケと突っ込みやるが、朝から仕事も行かんと酒飲んで、3列目ぐらいで漫才見とるオッサンがそのネタ覚えてしもうて、入れ替えの無い昼の部で、同じ流れのウケるところで、オッサンがデッカイ声で先に言うてネタばらしてしまう訳や、“オイ姉ちゃん、それからどうした!”とまた冷やかしてもうて、周りの客はそのオッサンの突っ込みで笑うとるわ、それで女の子二人はオッサンに持ち味殺されて、ネタがウケんからもうボロボロ涙流しながら漫才続けとるんや、そやけど、みんなそこから“何クソ!”と這い上がって来るんやろうなあ。春やすこけいこも、そうやったんちゃうかな」。

寝転がって話す藤川さんのお話は面白かった

他愛も無い話だが、人の試練のオモロイ話でもあった。これが本当の修行というものだろうと思う。

藤川さん自身のネタは「阪神-巨人戦の阪神側のエゲツナイ野次はオモロイぞ!」と陽気なお話は幾つもある。体調不良の中、寝転がって聴いている分には心安らかになれる空間だった。

呑気な私と比べ、お経を覚えようと暗記に力を注ぐ出家準備の進むネイトさん。口移しでいけるとは言え、極力覚えようと経本片手に比丘に聞き、いよいよ剃髪が迫って来ます。

ノンカイ駅にて、こんな姿で撮るのも今の内

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

 昨日に続き、松岡の「陳述書」を分載します。

◆7 安易に出版や販売の差止めを求めるべきではありません

 原告(注:李信恵氏)は被告会社(注:鹿砦社)が出版した出版物に対し、販売の差止めを求めています。また、当社のホームページで日々展開している「デジタル鹿砦社通信」の一部記事の削除も求めています。
 周知のように日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を高らかに謳っています。民主主義社会にとって「表現の自由」「言論・出版の自由」は必要不可欠なものです。万が一差止めがなされるのは、その出版物や表現物に高度の違法性があり、差止めなければ名誉毀損やプライバシー侵害等の被害が拡大するという強度の緊急性がなければならないことは言うまでもありません。
 原告は、みずからにとって不都合な表現や言論、出版に対しては妨害したり隠蔽したりする傾向にあるようです。
「言論には言論で」という言葉があります。原告は、出版物の販売の差止めを求めたりするのではなく言論で対抗、反論すべきです。原告も、代理人のお二人の先生も著書を出されていますので、出版物を出せる環境にありますし、実際に出せると思います。原告らは出版物で堂々と反論することを強く望みます。

◆8「人間の尊厳」や「人権」に反するM君リンチ事件の〈真実〉を知れば、言葉に表わせないほど酷いと感じるでしょうし、裁判所の公平、公正な判断に期待いたします

 ところで私事に渡りますが、私は、縁あって2015年4月から2年間にわたり関西大学で「人間の尊厳のために~人権と出版」というテーマで教壇に立たせていただきました。このリンチ事件と、その後の加害者李信恵氏らの言動、また被害者M君への不当な扱い(=ネットリンチやセカンドリンチ)は、まさに「人間の尊厳」も「人権」も蔑ろにしたものと断じます。
 私は学生に「人間の尊厳」や「人権」を教える時、普段いくら机上で立派なことを言っても、「人間の尊厳」や「人権」に関わる現実に遭遇した場合、みずからが、いかに対処するかで、あなた方一人ひとりの人間性が問われると話しました。「人間の尊厳」や「人権」は、「死んだ教条」ではなく、まさに〈生きた現実〉だからです。
 普段立派なことを言っている人たちが、このリンチ事件の現実から逃げ、語ることさえやめ、ほとんどが沈黙しています。こういう人を私は〈偽善者〉と言います。くだんの5冊の本に、リンチ事件(と、その後の隠蔽)に陰に陽に、大なり小なり、直接的間接的に関わっている人たちの名が挙げられ、質問状や取材依頼を再三送りましたが、全くと言っていいほどナシの礫(つぶて)です。その多くは、この国を代表するような、その分野で著名な人たちです。公人中の公人たる国会議員もいます。良心に恥じないのでしょうか。
 私も偶然に、このリンチ事件に遭遇しましたが、学生に「人間の尊厳」や「人権」を話したのに、実際に「人間の尊厳」や「人権」を蔑ろにする事件を前にして、みずからが日和見主義的、傍観者的な態度を取ることは決して許されないものと考え、このリンチ事件の真相究明や、被害者M君の救済・支援に関わっています。
このように、「人間の尊厳」や「人権」について学生に教えた私にとっては、それが言葉の上でのことではなく、その内実を問う、まさに〈試金石〉だったのです。
 
◆ おわりに

「反差別」を謳う「カウンター」といわれる運動内部で、その中心的なメンバーである原告李信恵氏らによって起こされた、M君に対する悲惨な集団リンチ事件について私の率直な意見を申し述べさせていただきました。
 原告が今まずなすべきことは、みずからが関与した集団リンチ事件についての真摯な反省であり、かつ被害者M君への心からの謝罪であり、そう考えると、原告李信恵氏による本件訴訟は、そうしたことが垣間見れず、まさに〈開き直り〉としか思えません。
 原告李信恵氏らによる集団リンチ事件は、私たちが取材、調査、編集、出版した5冊の出版物で多くの方々に〈公知の事実〉として知られるに至っています。特に、第4弾『カウンターと暴力の病理』に付けられたリンチの最中の音声(CD)と巻頭グラビアのリンチ直後のM君の顔写真は強い衝撃を与え、多くの方々がM君に同情と救済の声を寄せてくださっています。
 このように多くの方々が多大の関心を持って本件訴訟の審理の推移と結果に注目されています。多くの方々がリンチ事件の内容を知り注目しているのです。裁判所が公正、公平な判断をなされなかったら、リンチ事件を知る多くの人は「人権の砦」という看板に疑問を持ち信頼が揺らぐでしょう。
 裁判所は、当然ながら軽々な審理を排し、公正、公平なご判断をなされるよう強く要望してやみません。
 原告の請求は当然のことながら棄却となることを信じてやみません。

これまで申し述べた内容を盛り込み私の「陳述書」として提出させていただきます。
以上

────────────────────────────────────────────────────

【付記】
 この「陳述書」を提出したあとでも相変わらず、作家・森奈津子さんに対する誹謗中傷はやむことはなく、ますます酷くなっているようです。
 いわく、「森奈津子さん大便垂れ流してますよ」。
 かつて「しばき隊」と真正面からやり合った人たち(「世に倦む日日」田中宏和氏、高島章弁護士、金剛医師ら)は後景に退き、今や森奈津子さんが女ひとり堂々と渡り合っています。
「反差別」運動とは、こんなに汚い言葉を遣うのでしょうか? 差別に反対するとは崇高な営みのことだと思ってきましたが、李信恵氏の言葉遣いといい、M君リンチ事件の真相究明と救済に関わって2年半あまり──疑問になってきました。李信恵氏に連なる「反差別」運動=汚い言葉のオンパレードです。これで普通の人々の支持を得ることができるでしょうか? 
 加えて、彼らは「左翼」「リベラル」だと自称他称されています。私は学生時代の一時期、ノンセクトの新左翼運動に関わったことがありますが、私が見てきた「左翼」「リベラル」は、もっと違いました。
 私にとって「左翼」とは、そう「湯川秀樹、朝永振一郎の後継者」とまで言われた山本義隆東大全共闘議長や、安田講堂攻防戦の最後の伝説的演説をし、その後僻地医療の魁となった今井澄元参議院議員(旧社会党!)らのイメージが強く、「リベラル」とは、機動隊導入に身を挺して抗議した鶴見俊輔元同志社大学教授(故人)や作家・高橋和巳さん(故人)らのイメージが強いですね。
 私に言わせれば、「しばき隊」界隈の人たちが「左翼」だとか「リベラル」などおこがましく、「左翼」の面汚し、「リベラル」の面汚しです。懲戒請求した右派系の人たちのリストを権力に渡すと嘯く神原元弁護士など自称「正しい左翼」らしいですが、とんでもありません。こんな権力に親和的な「左翼」など、う~む、世も変わったとしか言いようがありません。
 私たちが若い頃から見てきて頭の中にこびりついている「反差別」「左翼」「リベラル」などのイメージががらっと変わりました。
 汚い言葉と、これを恥ずかしげもなく常用する「反差別」「左翼」「リベラル」に対するイメージ・チェンジ……訳が分からなくなりました。
 さらには、ここでは詳述しませんが、今の時代に一流大学で暴力を振るいながらも、地位を失くすことなくのうのうとしている金明秀関西学院大学教授、「人権派弁護士」らしくない言動が暴露された師岡康子弁護士らについても、現代日本の知識人のレベルを象徴するものといわざるをえません。
 こういう人たちに比べれば、たとえば大学を中退し大阪・西成に住みつき、小さな食堂を営みながら、冤罪、反原発、女医不審死問題などに積極的に取り組んでいる尾崎美代子さんらのほうが、草の根の、言葉の真の意味で〈知識人〉と言えるでしょう(持ち上げすぎか!? 笑)。

 このように、「カウンター大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)に関わる中で、考えることも多い、この2年半でした。

【画像説明】「反差別」運動の旗手と持て囃される方の素晴らしい言葉の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◎私たちはなぜ、「カウンター大学院生リンチ事件」(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)に関わるのか?(全3回) 鹿砦社代表・松岡利康

〈1〉2018年9月20日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27578
〈2〉2018年9月21日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27596
〈3〉2018年9月22日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27645

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 昨日に続き、松岡の「陳述書」を分載します。

◆4 被害者M君が心身共に受けた傷を蔑ろにし開き直る、集団リンチの加害者で中心人物の原告李信恵氏の言動は許せません

 被害者M君が心身共に受けた傷は、リンチ直後の顔写真に象徴されています。裁判官も、この写真をご覧になったら驚かれるでしょうし、逆に何も感じないとしたら、もはや人間ではないと断じます。人間として失格です。さらにリンチの最中の音声、聴くに耐えず、言葉を失います。ぜひお聴きください。
 被害者M君は、リンチ以降、この悪夢に苦しみPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいるといいます。本人にしかわからない苦しみでしょうが、私たちにも一定程度は察することができます。しかし、あろうことか、これだけの傷を受けていながら未だ1円の治療費、慰謝料も受け取っていませんし、事件後も引き続きネットリンチ、セカンドリンチを受けてきました。酷い被害写真のコラージュまで作られ回されています。
 また、原告李信恵氏は、いったんは「謝罪文」を寄越し(たとえ形式的、ヌエ的ではあれ)反省の意思を表わしていながら、突然それを覆し「リンチはなかった」「無実」と開き直り、これに異議を唱えると、後述しますように、「鹿砦社はクソ」とか誹謗中傷を行なっています。これは私たちに対しだけでなく、原告李信恵氏に異議を唱える者すべてに対してです。
 原告李信恵氏の、人間として到底考えられない言動に真摯な反省を求め、そして、これだけの酷いリンチと、その後の事件隠蔽やセカンドリンチ、ネットリンチを受けているM君の名誉回復がなされなければなりません。常識的に考えて、リンチ直後の写真やリンチの最中の録音を目の当たりにしたら、「リンチはなかった」とか、加害者で中心的首謀的立場にあった李信恵氏が「無実」とは考えられず、まともな人間としての感覚があるならば、非人間的で酷いと感じるはずです。そうではないでしょうか?
 裁判所が「人権の砦」であり、裁判官も血の通った人間ならば、そうしたことは当然理解されるものと信じています。

◆5 李信恵氏による相次いだ「鹿砦社はクソ」発言に対して、やむなく民事訴訟を起こしました

 前述しましたように、原告李信恵氏ら加害者らは、彼らと繋がる者たちと連携し、被害者M君や、彼を支援する人たちに対して、あらん限りの罵詈雑言、誹謗中傷を続けています。
 例えば、M君の後輩の同大大学院生は母子家庭で、先輩が酷いリンチにあったということで支援していたところ、名前や住所をネット上にアップされたり執拗に攻撃され、お母様に累が及ぶことを懸念し表立った支援を差し控えたといいます。
 また、四国で自動車販売会社を経営しM君支援を行なっておられる合田夏樹社長に対しては、国会議員の宣伝カーで自宅まで押し掛けられたり、娘さんが東京の大学に進学し一人暮らしを始めたところ、近くのコンビニなどから住所を突き止め暴くぞと恐怖を与えたりしています。
 さらに、やはりM君を支援する作家の森奈津子さんには、「森奈津子にネットでいやがらせして鬱病に追い込もう」とか「こんな奴は潰さんとダメだろ」とか、さらには、森さんは乳がんで片方の胸を摘出されていますが、「正気かどうかも保証されてない病人」と揶揄してみたり、とても「反差別」や「人権」を語る者がやることとは思えません。
 M君を支援する当社に対しても、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」とか「鹿砦社、潰れたらええな」「下衆」「害悪」「ネトウヨ御用達」などと李信恵氏や彼女の仲間らはこぞって誹謗中傷を行なってきました。遺憾なことです。
 あまりにエスカレートしつつあり、当社としても取引引先に悪影響を与える具体的な懸念が生じたため、そうした誹謗中傷を抑止する目的もあって、株式会社鹿砦社を原告として李信恵氏に対して民事訴訟(大阪地裁第13民事部 平成29年(ワ)第9470号)を起こし損害賠償金300万円と謝罪を求め現在係争中です。本件訴訟も、本件原告は当初上記訴訟の反訴として起こし、それを取り下げ、その後別訴として併合審理を求め提訴したものが却下されたものです。

 さて、李信恵氏のツイッターの一部を引用してみましょう。──
 2017年7月27日 「鹿砦社はクソですね。」
 同年8月17日  「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」
 同年8月23日  「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」
 同日 「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」
 同日 「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないなあ。あんなクソに、(以下略)」
 同日 「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」
 同月24日 「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」

 李信恵氏の発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない、品性を欠く表現であることは一般常識です。原告は「クソ」という言葉を「論評」などと評価しているようですが、「クソ」だけを用いた「論評」など目にしたことがありません。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人たちの支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、当社に対する強い悪意を持ってなされたものであることが明瞭です。
 しかも、2018年9月1日現在で1万3,818ものフォロワー数を持ち(ちなみに当社の「デジタル鹿砦社通信」ツイッター版は3分の1の3,412にすぎません)、マスメディアによって「反差別」運動における一定の社会的評価を得ている李信恵氏がかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、当社に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ません。
 私や当社、あるいは当社関係者が、李信恵氏に対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行なった事実などありませんし、また当社やこの関係者の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも李信恵氏の一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものです。当社に対する名誉毀損の程度は、マスメディアで持て囃される「差別と闘う旗手」によってもたらされた「お墨付き」の言葉として大きな影響力を持って拡散されました。甚だしく遺憾です。

◆6 原告李信恵氏はリンチ事件の中心人物として適正に刑事・民事責任を問われるべきです

 考えてもみましょう、真に差別に反対し人権を守るという崇高な目的をなさんとするならば、まずは脚下照顧、率先垂範でみずからが犯した過ちを真摯に反省し、集団リンチ被害者のM君に心から謝罪することから始めるべきではないでしょうか。人間として当然です。それなしには、いくら「反差別」だとか「人権を守る」とか公言しても空語、空虚ですし、「反差別」を錦の御旗にすれば何をやっても許されると考えている節もあり遺憾です。
 特に加害者のリーダー的存在の原告李信恵氏は、在特会らネット右翼に対する2件の差別事件訴訟の原告となり勝訴しマスメディアによって大々的に報道もされていますが、裏ではこのような集団リンチ事件に関わっているのです。在特会らネット右翼の差別行為を批判する前に、まずはみずからを律すべきではないでしょうか。
 これだけの厳然たる事実が明らかになりながら、リンチ直後に出した「謝罪文」を覆し、未だに開き直っていることは驚きです。加害者で中心的首謀的立場の原告李信恵氏がまずなすべきことは、血の通った人間として被害者M君への真摯な謝罪ではないでしょうか。このためにも、李信恵氏の「不起訴」と、被害者M君が李信恵氏ら加害者5人を御庁に提訴し李信恵氏に責任を課さなかった民事訴訟判決(御庁第3民事部平成29年(ワ)第6564号)は、一般人の感覚、世間の常識からは著しく乖離しています。刑事責任も民事責任も当然あるというのが一般人の感覚、世間の常識でしょう。M君は民事、刑事ともに判決・決定を不服として現在、民事については大阪高等裁判所(第12民事部平成30年(ネ)1029号)に控訴し判決を待ち、また刑事については、大阪第四検察審査会に不起訴不当の申立てを行い審理の結果を待っているところです。(つづく)

【画像説明】①ありもしないことを、さもあったかのようにツイート(by 李信恵氏)。どこの喫茶店か言ってみろ!

【画像説明】②あたかも鹿砦社関係者が李信恵氏の講演を妨害したかのように裁判所にイメージづけるために出したと思われる「証拠資料」。意味不明! 念のために調べたところ鹿砦社関係者で、この講演を妨害した者はいませんでした(当たり前だ!)。悪質極まりない作為! 李信恵氏に限らず、平気でありもしないことを、さもあったかのように言う人たちのようです。

【画像説明】③同上

◎私たちはなぜ、「カウンター大学院生リンチ事件」(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)に関わるのか? 鹿砦社代表・松岡利康

〈1〉2018年9月20日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27578
〈2〉2018年9月21日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27596

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

前の記事を読む »