先日、本通信で鹿砦社代表の松岡が、前田朗教授批判を展開した。前田教授の「豹変(コペルニクス的転換)」(松岡評)には驚かされた。一部の方からは「言い過ぎだ」との指摘も受けた。さほどリンチ事件の真相(深層)を知らない方ならそうかもしれない。
しかし、3年余りリンチ事件を徹底取材し5冊もの本にまとめ上げ、前田教授による『救援』紙上での2度にわたる厳しい、リンチと、この加害者、隠蔽に走る輩への批判(特に上瀧浩子弁護士らに対して)を知る者にとっては大ショックだったので、松岡の論評には、われわれも同感だし、リンチ被害者M君も同感だと言っていた。
ところで、先に紹介した6月7日の関西での集会に先立ち東京でも4月6日に前田教授の『ヘイト・スピーチ法研究原論』(版元は、われわれの世代には馴染み深い三一書房)の「出版記念会」が開かれている。
ここで、いまや「カウンター」/「しばき隊」の“宣伝部長”となった感のある香山リカ氏に加え「師岡康子」の名が出ている。岩波新書『ヘイト・スピチートとはなにか』の著者にして弁護士である師岡康子である。
師岡康子が何をやったか?「ヘイトスピーチ対策法」成立のためであれば「リンチ被害者」をも「犯罪者」扱いした人間を再度断罪せねばならない。口先では「人権」を騙りながら、その実、首尾一貫反人権的な師岡に対しては徹底的に糾弾しなければならない。
本稿ではあえて師岡に敬称付さない。師岡の行為は弁護士以前に、人間として失格であり、われわれは一切の敬意を抱けないからだ。師岡の人となりが、余すことなく明らかになったのは、リンチ事件直後の2014年12月22日(リンチ事件が発生したのは同年12月17日深夜)、金展克氏が師岡から受け取った「メール」を自主的に公開されたことによる。下記に師岡から金展克氏への「メール」を再掲する。
さらなる言論弾圧法を画策する師岡康子弁護士
俗に「師岡メール」といわれ存在が噂されながら公開されたのは、われわれがリンチ事件の取材を開始して3年余り後、リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』出版後だったので、これまでのリンチ関連本には収録されていない。噂はあったが、取材班は、「やはりないだろう」と諦めていた矢先で、超A級資料であり、なんでもう少し早く公開されなかったのか、と今でも悔やむ。
金展克氏にも事情があったのだろうが、これが、たとえば第1弾か2弾目あたりで公開されていたら、また違った展開になっていただろう。それぐらい貴重な資料なのである。みなさん方にあっては、まず虚心に一読されたい。
◆「ヘイトスピーチ対策法」成立しか頭になかった師岡
師岡が、目の前の「ヘイトスピーチ対策法」成立に向け、並々ならぬ意欲を燃やしていたことはわかる。それはメールを受け取った金展克氏も同様であり、事件後しばらくは「リンチ被害者M君」もそうであった。
しかし、われわれの見解はまったく違う。目に見える現象を法律で取り締まっても、人間の心は変えられない。それどころか理念法とはいえ「表現規制」を盛り込んだ同法は、必ずや権力によって〈弾圧〉に利用されるだろう、とわれわれは考えていた。例えば「凶器準備集合罪」は暴力団を取り締まるために作られたが、実際には新左翼運動を取り締まるために使われている。
同法成立後、現に差別表現を批判する意図で差別表現を引用した人が、アカウント凍結に遭うなどの被害は、既に顕在化している。一般市民や街頭活動で差別言辞は問題にされるが、同法によっても、日本国や政治家の差別的政策や、他国蔑視が改められることはない。「北朝鮮の人権問題を考える週間」。毎年人権週間に合わせて、政府が展開する国家的「差別事業」である。「ヘイトスピーチ対策法」成立に熱心であった方々から、この国を挙げての「朝鮮民主主義人民共和国」への差別に対して、強い批判の声を聞いたことがない。
西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党=当時)
末端で「言葉狩り」をいくらやったって、本質的な差別はなくならないどころか、ますます陰湿化、巧妙化するだけではないか。それは犯罪を摘発する法の施行と類似する。なにより「ヘイトスピーチ対策法」は、最終段階で有田芳生議員と、確信的アジア蔑視主義者、自民党の西田昌司議員との握手で成立した点を、少しくらい政治や社会に興味のある人間であれば問題視しなければならない。そうではないのか、前田教授、師岡康子!
西田はこれでもか、これでもかと、国会で「差別意識丸出し」の質問を繰り返してきた議員だ。右翼方面から「西田砲」などと持ち上げられてもいる。そういう人物が、一朝一夕に「差別に反対」する考えに変わることがあると、師岡らは考えたのか? そうであれば軽率の極みとの批判からは逃れられない。
師岡は「メール」の中で「在日コリアンへの差別は、戦後日本の体制の根幹の一部であり」と述べている。そうであろうか? 在日コリアンへの差別は戦中や戦前、もっと言えば朝鮮民族への蔑視や差別は1900年頃からこの国には、明確に存在していた。誰もが知る1910年の「日韓併合」に至るまでも当時の日本政府は様々な謀略を巡らし、大韓帝国内に「親日派」を育成することに力を割いている。
「戦後日本の体制の根幹の一部」というのは、歴史認識が浅すぎないか。このような歴史的な短史眼が、今日的社会に対してどのように対応すべきかへの具体策の誤りへと繋がっているとも考えられよう。
言わずもがなであるが、われわれはあらゆる差別に「原則的に反対」である。日本のアジア差別も、WASPのヒスパニックへの差別も、スリランカ仏教徒のムスリムへの差別も、イスラム諸国での女性差別も。そして世界にはわれわれの知り得ない数々の価値観と、それにより引き起こされる差別があろうことも心しておかなければならないと考える。
◆被害者を加害者にすり替える、犯罪的示唆
さて、師岡は「メール」の中で怖ろしい内容をいくつも発している。
・「その人(取材班注:M君)は、今怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負い続けることになります」
師岡は事件のかなり詳しい情報を聞いていて、このように発言しているのだ。集団暴行傷害(集団リンチ)被害者に対して「運動の邪魔だから泣き寝入りしろ」と金展克氏を通じて、恫喝を発している。
・「反レイシズム運動にも関わることができなくなるでしょう」
明らかに刑法に抵触する、違法行為、集団暴行傷害(集団リンチ)被害にあっても「泣き寝入りしろ」などという「反レイシズム運動」とは一体何なんだ!? そんな運動に被害者が復帰したいと思うとでも師岡は考えていたのか。弁護士でありながら犯罪行為を正当化し、被害者に「泣き寝入りを迫る」態度は大日本帝国がアジア侵略で犯した暴虐の数々に匹敵する。
・「告訴を勧める人がいるなら、同様に扱われるでしょう」
被害者に寄り添うものも同罪だと師岡は断じている。
・「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人なら、そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか」
ここに至り「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人」は一般的な遵法意識がない「カルト」であることを師岡は表明しているが、自身が「カルト」の牽引者であるとの意識はどうやらないようだ。「そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか」とは恫喝にしても、ずいぶんドスの利いた表現だ。よほどの〈悪意〉がなければこのような表現まで用いることはできないであろう。師岡にとって「ヘイトスピーチ対策法」の前では、「集団リンチ」事件が起ころうが、内部粛清があろうが関係なし。「自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えない」ファナティックな心情に陥っていたことが証明される。
・「展克さんは『犯罪ですよ』と言いました。でも、形式的に犯罪に当たることは山ほどあります。実際その人がやったという、エル金さんのうわさを流したことは、『虚偽の風説を流布し・・人の信用を毀損し、三年以下の懲役または50万円以下の罰金』となる信用棄損にあたります」
風説の流布は「しばき隊」の得意とするところだ。鹿砦社も数えきれないほどの風説の流布被害にあっているが、そうか。片っ端から訴えて「三年以下の懲役」を食らってもらえばよい。そういうことだな!? 「形式的に犯罪に当たることは山ほどあります」から「集団リンチ」が免責されるのであれば、われわれが(決してそのような愚かなことに手を染めはしないが)、風説の流布に手を染めた人物に同様の行為に及んでも、師岡は鹿砦社の行為を正当化するのに間違いはないな?弁護士としてその判断に自信が持てるのだな!?
・「凛さんがやった生活保護の事件でも」
と軽々しく書いているが、師岡も指摘している通り、これは明らかな運動潰しを画策する公安事件であり「凛さんがやった」のではなく「凛さんがでっちあげられた」と書くのが妥当だ。
・「なかでも共産党系の人たちなどは、ヘイト・スピーチを『犯罪』とすると、運動内部の敵対関係にある人たちが、相手をつぶすために、悪用する危険性があると主張しています」
ここでの「共産党系」の人たちの主張は正しいし、立法以前の2014年にすでに「リンチ事件隠蔽」という実例が出来てしまっている。そして「ヘイトスピーチ対策法」があろうが、なかろうが、師岡のようにこの運動にかかわった人間の多くは「自分と意見の違う人間を過剰に攻撃する」習性をもとより身に付けていた。あるいはそういった性格の人間が、運動のヘゲモニーを握ったことが“不幸中の不幸”であったのだ。師岡はもとより、金展克氏、そしてM君までが「ヘイトスピーチ対策法」の危険性と誤謬に気が付くことができなかったのであるから。
・「その人がやろうとしていることは、客観的には、運動内部の敵対する相手(この場合エル金)を現行法の『犯罪』規制を使ってつぶすことです」
こういうとんでもないことを、しらふで書ける弁護士が岩波新書から本を出版するのだから、油断も隙もあったものではない。何を言っているのだ! 顔面骨折、数十発顔を殴るけるされた被害者が、どうして被害届を出すことが批判の対象になるのだ。
・「そのような人たちが主張する法規制は、真のレイシスト規制ではなく、運動内部の敵をつぶすためにその人たちが使うのではないか、との批判に反論できなくなります」
言い回しがややこしいが。その通りである。ここでの「その人たち」には師岡も含まれるし、師岡はレイシスト規制以前に、「極めて深刻な人権蹂躙」を重ねて主張していることに、まったく気がついていない。
・「その人が被った不利益、エル金の被った不利益、その人が告訴することによってもたらされるあまりにも甚大でとりかえしの非常に困難な運動上の不利益(略)告訴という方法は絶対に取るべきではないと思います」
師岡はM君だけでなく、エル金も本心ではどうなってもいいと考えていることを吐露している。何よりも「運動の利益」至上主義。そのためには個人は犠牲になっても泣き寝入りをしろ」これが師岡の本心だ。
その後もあれこれ御託を並べているが、はっきりしているのは、師岡が「ヘイトスピーチ対策法」成立のためには、周辺の人間がどのように傷つこうが、一切お構いなし、と考えていたことだ。
こういう輩の暗躍によって成立した言論弾圧法(ヘイトスピーチ対策法)は、皮肉にも師岡に向かっても「矢」となって飛んでゆく可能性がある。それを受け止める覚悟があるからこそ、ここまでの暴論を展開できたのであろうから、充分心して自らが身磨いた鏃が突き刺さる日を待たれよ。
さらに師岡は、同法の強化、もしくはもっと厳しい新法の成立を公言している。
「カウンター」/「しばき隊」の理論的支柱とされる師岡の心は倒錯している。人間としてここまで酷い吐露には眩暈さえ感じる。
師岡らは、『ヘイト・スピーチ法研究原論』にまとめ上げた前田朗教授を「ヘイトスピーチ対策法」の強化、あるいはもっと厳しい内容の新法の成立に向けて抱き込みを図っていることは明らかだ。
前田教授よ! 上記の「師岡メール」を読んで、どう思われますか? まさに名文中の名文である、『救援』での2つの論評、そしてそこで溢れ出た怒りに立ち返っていただきたい。「反ヘイト」運動も、このリンチ事件を隠蔽するのではなく、社会的に公開し主体的反省をしない限り間違った方向に行くであろう。これを止揚するのがリンチ事件に対する真正面からの取り組みだし、これから逃げることは歴史を逆に戻すことに他ならない。
(鹿砦社特別取材班)
M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!