橋下徹が府知事時代に始めた「TOEFL上位校に破格の助成金を与える施策」が行き詰まっている。助成金をゲットしたのは、帰国子女が多く他の授業も英語でやっているような高校。もともと英語が喋れる生徒たちで、どうやって日本の習慣に慣れるかが、むしろ課題になる生徒たち。英語ができることで助成金をもらっても、「世界に通用する人材育成」には繋がらない。

昔と違って、英語ネイティブの外国人たちが日本にゴロゴロいる。学校での英語の授業も変わっているのではないか、と思っていた。
イギリスから来たロバートと知り合ったのは、3年前だった。ロンドン大学で日本文化を専攻。源氏物語を原文で読んでしまうというから、こちらよりも日本語が得意、ということになる。英語で問いかけても、日本語で答える。英語で喋ってくれと頼むが、こちらの英語力より、ロバートの日本語力のほうが上。込み入った話になると、日本語になってしまう。

優秀なのだから日本で企業に勤めればいいと思うのだが、スキンヘッドでパンクロッカーのような風貌。就職は適わずブラブラしていたが、中学校の英語の補助教員として働くようになった。
彼が先生だなんて、どんな素晴らしい授業が行われるのか。なんと幸せな生徒たちなのだろう。
そう思ったが、授業内容を聞いて、愕然とした。
ごく普通の英語の授業の中で、日本人教師の指示に従って、教科書の例文を読み上げるのが、ロバートの役割なのだ。テープレコーダー代わりである。
もっと自由に、生徒とロバートと話させるようにしたらいいのに。
バカバカしくなったロバートは、日本を出て、カナダに行ってしまった。
大学で日本文化を勉強して、念願の日本在住だったのに。

かくいう私は、英語は不得意科目だった。特に嫌になったのは、高校に入ってからだ。
30代の時に、ラテンアメリカ旅行するためにスペイン語を勉強し、40代でオーストラリアのアボリジニと話すために、英語の勉強をし直した。アボリジニは部族によって200以上もの言語があるが、それを日本で学習する術はない。部族が違う者同士は、英語で話している。
夏にフィンランドに行くので、今はフィンランド語を勉強している。
今、語学を勉強するのは楽しい。時間さえ許せば、いつまでもやっていたいくらいだ。
それは、話したことが通じた、相手の母国語で笑わせることができた、という喜びを味わった体験があるからだ。

定冠詞、不定冠詞、仮定法現在、仮定法過去完了、などの言葉など知らなくても、外国語を勉強することはできる。
学校での英語の勉強は、喋ることと離れた「英語学」のようになってしまっている。それが、学校時代に英語が嫌いになったわけでもあるような気がする。

国際人を育てたかったら、ロバートに好きに授業をやらせればいい。
日本が好きだったはずのロバートに呆れられる日本の学校に、国際人を育てる力はない。

(FY)