〈『さいたま地検の出鱈目を暴くゲーム』の話をしよう。〉
筆者の手元には、そんな書き出しで始まる45枚に及ぶ手記のコピーがある。執筆者は、新井竜太という。昨年12月4日、最高裁で上告を棄却され、死刑確定した46歳の男だ。
横浜市で内装業を営んでいた新井は2010年に、2件の殺人事件の容疑で検挙された。容疑内容は、従弟の無職・髙橋隆宏(42)に指示し、2008年3月に髙橋の「養母」安川珠江さん(当時46)を保険金目的で殺害させ、さらに2009年6月に金銭トラブルとなった伯父の久保寺幸典さん(同67)も殺害させた疑い。「実行犯」の髙橋が罪を認め、一足早く無期懲役刑が確定したのに対し、新井は裁判で「いずれの事件も自分は無関係で、髙橋が1人でやったことだ」と無実を訴えていた。しかし2012年2月、さいたま地裁の裁判員裁判で死刑を宣告され、この死刑判決が控訴審と上告審でも追認されたのだ。
45枚の手記は、新井が昨年の秋、最高裁の判決が出る直前に綴ったものだ。無実の自分が髙橋に罪を押しつけられて容疑者となり、警察や検察の不当な捜査によって連続殺人事件の首謀者へと仕立て上げられていく過程が当事者の立場から詳細に綴られている。
手記によると、警察や検察は当初、髙橋の供述に基づいて、新井の家族を「殺人家族」だとみており、新井のみならず、家族で殺人に関与しているかのように疑っていたという。そこで、新井は家族を巻き込まないように取り調べで自白したが、裁判では容疑を否認し、さいたま地検の作り上げた出鱈目なストーリーを暴くゲームをしているという意識だったという。
結論から言うと、筆者は2年間に渡って取材を重ね、この新井を冤罪だと確信するようになった。髙橋が実際には自分1人で2件の殺人に手を染めたにも関わらず、死刑を免れるために取調室で首謀者は新井だというストーリーをでっち上げたことを示す事実が散見されるからだ。
たとえば裁判では、髙橋が事件屋のような男や暴力団組長の元妻である女と結託し、新井から金をだまし取り、笑い者にしていたことを示すメールの記録が示されている。そしてそもそも、髙橋は新井とは関係なく、安川さんをはじめ、出会い系サイトで知り合った様々な女性を売春させるなどして金をむしり取るなどの悪事を重ねていたことも明らかになっている。にも関わらず、髙橋は2件の殺人については唐突に新井の指示で実行したような話をしているのだが、あまりに不自然なことである。
◆手記に示された冤罪の難しさ
ただ、何も知らない人が新井の手記に目を通しても、おそらく新井のことを無実だとは思えないだろう。その文体には独特のクセがあるからだ。
たとえば、新井は手記で、逮捕された時のことを次のように書いている。
〈騙し討ちのような突然の拉致、そして監禁――
そんな、隣国の秘密警察が得意とする卑怯な行為を仕掛けて来たのは、さいたま県警の連中だった。
「俺達は、正規の手続きを踏んで逮捕しているんだ!」
抵抗する僕に、刑事は紙切れをひらひらさせて胸を張る。〉
〈「ワタシ、ハングル、ノーノ―」と抗ったのも僕としては妥当な行動だ。
「フザケるな」と刑事に怒鳴られたが、フザケてないし。〉
この文章を読み、新井のことを無実と思えないどころか、殺人者が悪ふざけしているような印象を抱いていた人もいるのではないかと筆者は懸念する。新井の45枚の手記では、このような記述が延々と続く。それゆえに筆者は、新井の手記を読み、新井のことを無実だと思える人は少ないだろうと予想するのだ。冤罪の難しさはここにある。
◆「普通ではない人」が重大犯罪の濡れ衣を着せられる
というのも、筆者はこれまで様々な冤罪事件を取材してきたが、殺人のような重大犯罪の濡れ衣を着せられる人は、実は大半が「普通ではない人」だ。最たる例があの河野義行だろう。
河野はオウム真理教が起こした松本サリン事件によって奥さんが寝たきり状態となり、自らも負傷したうえに重大な冤罪被害に遭った。にも関わらず、事件の首謀者を「麻原さん」と呼び、「限りある人生の時間は人を恨むより、有意義なことに使いたい」と言ってのけている。無実だと誰からも知られた今だからこそ、河野はこうした言動によって「立派な人」だとか「人格者」だと評価されている。しかし、世の多くの人は仮に河野がまだ疑われている時期に、河野のこのような人柄に触れたなら、「あいつは犯人だから、そんなことを言うのだろう」と思ったことだろう。
同じようなことが、警察車両で4人殺害事件の容疑者として連行されながらニコニコし、毎日新聞に「不敵なうす笑い」などと書かれた袴田巌にも当てはまる。袴田が日本の大半の人から冤罪被害者と認識された今でこそ、この時の袴田の笑みは「すぐに自分の疑いは晴れるはずだ」と確信しているからこその余裕の笑みだと誰もが思う。しかし当時、この記事を見た人たちは「なんというふてぶてしい犯人だ」と思ったはずである。無実の身で有罪なら死刑という重大な事件の容疑をかけられながら、ニコニコするというのは「普通ではない」からだ。
では、新井はどうか。筆者は2年間、新井を取材してきて、新井のことも「普通ではない人」であるように認識している。人となりに関する評判はむしろ良い。ただ、ものの考え方や言動が独特で、誤解をまねきやすいところがある。それが今、新井が苦境に陥っている原因の1つになっている。それが筆者の見方である。
仮に今後、新井が誰からも無実だと思われる冤罪被害者になれば、この手記も「死刑確定が間近に迫った時期においても、(ブラック)ユーモアあふれる手記を獄中で綴っていた人物」と評価されることになるだろうと予想する。だが、そうならなければ、そこに待っているのは冤罪処刑という悲惨な結末だろうと筆者は考えている。
実を言うと、新井は2009年に始まった裁判員裁判で、完全無罪を訴えながら死刑が確定した初めての例である。そんな人物が今後どんな運命をたどるのかをぜひ、読者諸氏にも注視して欲しい。そんな願いをこめ、ここに新井の手記45枚を公開しておく。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。
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