「安倍政権NO!0214大行進in渋谷、無事終了しました。約一万人の参加者でした。皆さまお疲れ様でした!安倍政権妥当の為に引き続き、力を合わせて頑張りましょう!」
これは2月14日に反原連Twitterに記されたメッセージだ。誤字脱字が日ごろから多い私は、このメッセージの中の「安倍政権妥当」の揚げ足とりなどするつもりはない。とんでもない変換ミスや打ち間違えを頻繁に繰り返す自分への反省から、「この部分は訂正されてはいかがですか」とご指摘申し上げておくだけだ。
◆原発避難や被曝問題を排除して再稼働反対だけを唱える違和感
しかしながら以下のインタビューで語られた反原連の「女帝」氏のコメントとの整合性はどのように理解すればよいのであろうか。
「参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。『野田政権打倒』を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか」
このコメントは週刊ポスト2012年8月31日号に掲載されている上杉隆氏による女帝氏へのインタビューにおける発言である。社会問題を自分なりに考察した経験のある人間ではない、との吐露のようなこのコメントは前述の「安倍政権妥当(正しくは打倒)」とどのように整合性を保つのであろうか。女帝氏はここで「野田政権打倒」を掲げることが「私たちはそれが目的ではない」と断言し、その後は詳述するのも憚られるような理屈にもならない思い込みだけを語っている。「野田政権打倒」は「目的ではなく」、「安倍政権妥当(打倒)」なら整合性があるのか。
ここに私は痛烈な違和感を禁じ得なかった。「シングルイシュー」を看板に活動し始めたこの団体は女帝氏が述べている通り「福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます」と切り捨てていた。
「私自身、2007年頃から反原発運動を始めたばかりの新参者だし、いまデモを主催する反原発連合に入っている13のグループのうち、11団体は3・11以降にデモを始めた人たちです。みな一般の感覚に近いので、とにかく普通の人たちが来やすい雰囲気を心がけました」(赤文字は田所)。
この時点で既に私は一見反対運動を纏った、「翼賛運動」あるいは「ガス抜き」が堂々と登場したことに大変不快だった。「一般の感覚」や「普通の人たち」の定義は何だ。自分を「新参者」と認識しておきながら、何十年も脱原発運動をして来た先輩の運動は「一般の感覚」や「普通の人たち」に受け入れられないとでも言わんばかりである。傲慢とはこのような態度を示す言葉だろう。
◆自由な公道で警察と協力して他者を排除する「市民運動」の矛盾
さらに「排除の論理」を確信していることは以下の発言から明らかである。
「(略)3・11以前も反原発の集会などをすると、革マルや中核っていうのが来るわけですよ。私はその頃からとにかくアンチセクトでやっているんですが、(参加しないでくれという)クレームをつけると面倒くさいので、来られても放置みたいな状況でした。
いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い(略)」(赤文字は田所)。
これは完全な勘違いと思い上がりである。女帝氏たちは当初日の丸を掲げて抗議運動を行っていた。私は中継越しにその姿を見て「なんなんだ、こいつら」と強烈に不快感を覚えた。片方で「組織や反原発以外ののぼり旗を立てない」ように要請しておきながら、主催者の横には「日の丸」がある大矛盾。その方が「一般の人」が入りやすいと決めつける傲慢。そして極めつけは「(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い」という公安警察顔負けの弾圧思想である(赤文字は田所)。
誤解なきように付言しておくが、私はどのような政党や政治団体であれ集会に参加するのは自由であると考える。個人的に政党や党派への感度の差はもちろんある。自民党や創価学会の旗を持った参加者が居れば議論をしたいと感じるだろうし、嫌いな党派には近づくこともないだろう。しかし場所は路上集会である。誰が来ようと拒む筋合いはない(公安警察が市民を装い侵入していた場合は別だが)。
そして極めつけは、
「野田首相と面会するときもこの運動を一緒に作ってきた警備の警察官に同行してもらいたいってコアメンバーと話しているほどなんです。彼らが人事異動するのが一番怖いですね(笑い)」
(笑い)じゃないだろう。ここまで警察権力との合作、癒着を誇示している市民運動は世界にも例を見ない恥ずべき現象だ。社会を構成する力学や政治、国家や暴力に対するごく基本的な知識すら欠いていることに唖然としたものだ。
「皇室の存在を日本が世界に誇るものと」語る上杉隆氏を私は信用していない。自由報道協会は一定の成果を収めているが上杉信の「タヌキ」振りには要注意だとまだ気が付かない読者には警告しておく。その上杉氏が女帝氏に問う。
「これまでのデモは、『権力側は敵だ』という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている」と。女帝氏が答える。
「デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによってようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と」
私の感想はもう述べない。述べる気にもならない。「安倍政権妥当(打倒)」に異議はないが。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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