西日本の某地方で殺人事件の裁判員裁判を傍聴していたら、被告人のDNA型は「いつのものか」ということが争点になっていた。被告人の男性は一貫して無実を訴えているが、捜査では被害者の遺体発見現場周辺で見つかったタバコの吸い殻などから被告人のDNA型が検出されている。このタバコの吸い殻などをめぐり、「犯行時に捨てたものだ」(検察側)、「事件が起きる前にたまたま捨てたものだ」(弁護側)などと検察側と弁護側の主張が対立しているのだ。
このパターンは一体何度目だろうか……と思ってしまう。近年、被告人が無罪を主張する殺人事件の裁判では、DNA型鑑定をめぐる同様の争いを非常によく見聞きするからだ。

たとえば、7月14日に本欄に登場した、東広島市の女性殺害事件で有罪とされた飯田眞史さん(56)。短期賃貸アパートの室内で見つかった被害者A子さんの遺体は頭部と顔面を鈍体で激しく執拗に殴打され、リビングでは多数の血痕が飛び散っていた。その血痕の1つから飯田さんのDNA型がA子さんのDNA型と共に検出されたことが、飯田さんが裁判で有罪とされた根拠の1つである。

しかし、飯田さんは逮捕当初から、事件の前にA子さんと一緒に現場の短期賃貸アパートに入室したこと自体は認めている。したがって、飯田さんのDNA型がアパート室内で検出されても、それだけでは有罪の決め手にならない。たとえば、飯田さんがアパートに入室した際にツバを遺留させ、のちにA子さんが真犯人に殺害された際に飛び散った血が飯田さんのツバに混ざるなどした可能性も残るからだ。しかも、アパート室内では、飯田さんのものでもA子さんのものでもない別の人物の血痕も見つかっているのである。
結果として、裁判官たちは飯田さんのDNA型が犯行時にアパート室内に遺留したものだと認め、有罪としたのだが、仮に自分が裁判員としてこの事件を裁くとしたら悩む人が多いだろう。

もう1つ紹介したいのが、2010年に山梨県富士河口湖町で発生した女性新聞配達員殺害事件。強盗殺人罪で逮捕・起訴されて無期懲役判決が確定し、現在は山形刑務所で服役中の田中龍郎さん(60)という男性も捜査段階から一貫して無実を訴えていた。これに対し、有罪の決め手の1つとなったのが、自宅で絞殺された被害者B子さん(当時61)の左手の爪から採取された微物から田中さんのDNA型が検出されたことだった。つまり裁判では、田中さんがB子さんを殺害した際、B子さんが田中さんを引っ掻くなどして反撃し、手の爪の中に田中さんのDNA型が付着したと認められたのだ。このDNA型は強力な有罪証拠のように思える人もいるだろう。

しかし、田中さんは警察の調べに対して当初から、事件当日にB子さん宅アパートを訪ね、玄関の前でB子さんに借金の返済猶予を頼んだところ、怒ったB子さんに引っ掻かれたのだと説明していた。そして実際、田中さんはB子さんから小口の借金を重ね、気の強いB子さんに返済を激しく迫られており、田中さんの説明は辻褄の合うものだった。しかも、B子さんの遺体が見つかったB子さん宅アパートの室内では、田中さんの指掌紋や毛髪など田中さんが入室した痕跡は一切見つかっていないのだ。仮に田中さんが犯人なら、これも変な話だろう。なお、田中さんは現在、再審請求を準備中である。

足利事件の冤罪を証明して以来、被疑者や被告人の白黒を決定的に見極めるものであるかのように持ち上げられることもあるDNA型鑑定。東電OL事件の再審開始が決まる決め手になったのもDNA型鑑定だった。だが、実際には、現場に遺留していた何らかの資料のDNA型と被疑者や被告人のDNA型が一致しても、有罪・無罪の決め手にならない場合が多い。上記の飯田さんや田中さんのような事例に遭遇するたび、科学鑑定を重視した捜査をすれば冤罪がなくなるとか、減るというのは幻想ではないかと筆者は考えさせられている。

★写真は、B子さん宅

(片岡健)