オリンピックの話題で盛り上がるということがほとんどない、私の近辺であるが、開幕式のフィナーレで、ポール・マッカートニーが『ヘイ・ジュード』を歌ったことは、ちょっとした話題になった。

チェコ語で歌われた、もう一つの『ヘイ・ジュード』のことを思い浮かべたからだ。
マルタ・クビショヴァー(Marta Kubi?ov?)が、チェコスロバキアで歌手デビューしたのは、1966年のことだ。

1968年、アレクサンデル・ドゥプチェクが、チェコスロヴァキア共産党第一書記に就任すると、彼は「人間の顔をした社会主義」を提唱し、検閲を廃止する。
「プラハの春」が始まったのだ。
ドゥプチェクの短い任期中、マルタ・クビショヴァーは、ヨーロッパ中を公演して回ることができた。
だが、チェコの自由な空気が他の東欧諸国に波及していくのを、ソ連は恐れた。
その年の8月20日午後11時、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を突破し、チェコスロヴァキアに侵攻した。
プラハのバーツラフ広場に、ソ連の戦車は居座った。
「プラハの春」は終わり、一気に冬かやってくる。

マルタ・クビショヴァーは、『ヘイ・ジュード』の歌詞を変えて発表した。

ねえ ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ねぇ ジュード 甘いささやきは一見心地いいけど
それだけじゃないのね

「韻」の終わりがある すべての歌の裏には
「陰」があって
私たちに教えてくれる

人生は素晴らしい 人生は残酷
でもジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖が折れるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで

ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる

あなたはこっちへ、私は向こうへ歩き出す
でもジュード あなたと遠くはなれても
心はあなたのそばへ行ける

今 私はなす術もなくあなたの歌を聴く自分を恥じている
神様 私を裁いてください
私は あなたのように歌う勇気がない

ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

 

ソ連の占領下で、自由を求めるこの歌はチェコ市民たちに愛されたが、1970年、彼女は歌手活動を禁止されてしまう。
「プラハの春」を主導した知識人たちの多くが、西側に亡命していく中、マルタはチェコに留まった。出て行けば、歌手を続けられたのに違いないのに。

マルタは地味なタイピングの仕事を続けながら、やがて民主化を求める地下活動のスポークスマン的な役割を引き受ける。警察から尾行され、逮捕、尋問されても、彼女はいかなる書類にも署名しなかった。

1989年、東欧に再び自由の風が吹く。ハンガリーがオーストリアとの国境を開放すると、東ドイツから、ハンガリー、オーストリアと経由して、西ドイツに越境する、汎ヨーロッパ・ピクニックが成功。11月9日に、冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊する。

チェコでも、ビロード革命が進行した。
11月17日、100万人の民衆の前に姿を現したマルタは、20年ぶりに歌った。
マルタは歌手活動を再開し、今に至っている。

(FY)