いまだにマスコミでは、明らかな暴行や犯罪を“いじめ”と呼んでいる。
「いじめられている君へ」というような呼びかけの文章も新聞で見かけるが、あまり実効性がある提言とは思えない。
根源的な解決とは言えないかもしれないが、同級生による暴行に耐えられなくなった少年の自死を防ぐには、DVに対するのと同じような、シェルターが必要なのではないかと思う。

中学生の時に、同級生からの被害に遭っていた少年の話を聞いてそう思った。
今、大学生になっている目黒君(仮名)は、「あの時、なぜアイツに従属してしまったのか分からない」と言う。
横田君(仮名)は最初、気の合う友達だった。「自分たちはアーチストになるのだから、学校の勉強は必要ない。勉強はやめよう」と約束し合った。
たまたまテストでいい点を取ってしまうと、「約束違反だ」と言って罰金を取られたり、CDを取り上げられた。

横田君に言われて、自分が加害者になったこともある。冬の最中、ストーブの横にあった、バケツの水を、同級生の頭からかけた。彼が風邪を引いて休めば、席順が移動になってテストのときにカンニングがしやすい、という理由だった。
目黒君は、ほとんど横田君の言われるがままになっていたが、やがて、気にくわない奴を「殺せ」と言ってきた。なんとなくその時、目黒君は「ああ」と頷いてしまったのだ。
約束したのだがやらなくてはいけない、と目黒君は思った。

その友人を家に呼び出して、睡眠薬を入れた紅茶を飲ませた。
睡眠薬など、よほどの量を飲まなければ死なない。友人は家に帰ってから、昏々と眠り続けただけだった。
我に返ってから、失敗したとはいえ、殺人を試みた、ということに目黒君は絶望した。
行ってみたかった京都を見てから死のうと思った。
家に置き手紙も何も置かず、目黒君は京都に向かった。
乗車券が京都まで買えずにいたので、車掌に怪しまれ、家出だということで警察に補導された。

目黒君の両親は、暴力を振るうことなどはなかったが、子どもとのコミュニケーションはまるでへたくそだった。
小学生のときに目黒君が、社会科の百科事典をほしいとねだったら、父親は「なんだ、こんなもの買えるか」と言ってパンフレットをビリビリに引き裂いた。母親も、なんのフォローもしない。
何も、相談できない、両親だった。

教師が頼りにならないことは、今さら言うまでもない。
相談できる大人との回路を、子どもたちに用意してあげることが必要だ。
ぎりぎりまで追いつめられた子どもには、そんな大人たちのいるシェルターが必要だと思う。

(FY)