「三里塚? 負けた闘いだろ」
自慢するつもりもなく、20代の頃、三里塚に住み着いて空港反対運動をしていたことを私が言うと、若松孝二はそう言って笑った。
その時、パレスチナについての詩を書いてきた若者がいた。
「君はパレスチナに行ったことがあるのか? 死体の山を見てきてから書けよ!」
やはり、若松孝二はそう言って笑った。
「反原発デモ、やるなら命をかけてやれ。デモってそう言うものだ。ちゃらちゃらするな。権力になめられる」
最近は、そんなことも言っていた。
いつも、挑発していた。
作品に盛られた“怒り”そのものを、胸に抱えた人だった。
若松孝二監督は、10月12日夜、都内でタクシーにはねられ頭や腰を強打、救急搬送されたが、17日午後11時5分、多発外傷のため都内の病院で死去した。76歳だった。
気取らずにどこにでも出かけてくる監督だったから、何度もお会いする機会があった。
一度は、赤軍派元議長、塩見孝也主催の忘年会だった。
「本日、特別にご招待いたしました若松監督です」
塩見氏が紹介して発言を求めると、若松監督、
「何が招待だ。バカヤロウ! さっき、入り口で会費払っただろ」
怒った顔を一瞬見せて、豪快に笑った。
2010年、『キャタピラー』で主演した寺島しのぶが、ベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞。今年公開の『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』は、「第65回カンヌ国際映画祭」へ出品。
世界の監督となったのに、相変わらず、気軽に出かけていたのだろう。
若松さんらしい、と言えるが、その死は、あまりに無念だ。
エロチシズムに反体制の怒りを盛る若松監督の作品に、惹かれ続けていたが、ここ数年は、それがもう一段上のステップへと結実していた。
2007年公開の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、リアリズムに徹することで、それまでの連合赤軍解釈をすべて吹き飛ばした。エロチシズムを通じて、生身の身体を描くことを積み重ねてきたからこそ、可能になった表現である。
70代にして、これからまだまだ成長の可能性を見せつけてくれる、若松監督であった。
これからも、心の師として、我が胸で生き続けていてほしい。
(FY)