「反リストラ産経労」との筆者の出会いは、2001年のことになる。
「小倉あやまれ友の会」として、フジテレビにデモをかけた時のことだ。
ライブハウス『新宿ロフト』で、ニューロティカというバンドのライブに、野村紗知代が出て歌った。サッチーが歌うということで、民放はすべて取材に来た。
ニューロティカはノリのいいバンドで、聴衆は飛び上がらんばかりに躍りまくっていた。サッチーが歌い始めてからも同じだった。
その様子を放映したフジテレビの「とくダネ!」で、キャスターの小倉智昭は「あのお店に来てた若者たちは、いくら貰って来たの?」とコメントした。
金など貰ってない、やらせではない、とデモに発展。ストリッパーを先頭に、200名ほどが行進し、一部の先鋭部隊は、フジテレビ社屋内に突入し、怒りの声を上げた。
この時に連絡してきて、デモに参加したのが「反リストラ産経労」であった。
反リストラ産経労の松沢弘委員長は、フジサンケイ帝国と長年に渡って闘って来た方だ。
産経労組は、産経新聞社(『産経新聞』『夕刊フジ』『サンスポ』『競馬エイト』など)、日本工業新聞社(『フジサンケイ・ビジネスアイ』)の社員が入社とともに加盟する、ユニオンショップ制の組合。1960年にスト権を放棄、昇給や賞与は会社側が全額考課査定する、ウルトラ御用組合だ。
連合(日本労働組合総連合会)が成立する前に、組合のナショナルセンターとしては、同盟(全日本労働総同盟)と、総評(日本労働組合総評議会)があった。
同盟は明確な労使協調路線であったが、その同盟さえからも、スト権もないのでは組合とは言えない、として加盟を断られたのが、産経労組なのだ。
産経労組に代わる、従業員のための組合を目指そうと、1994年1月10日に、「反リストラ産経労」(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)を結成し、委員長に就任したのが、松沢氏だ。
すると会社は、それまではなかった千葉支局長のポストを作り、松沢氏を配転した。
支局長は管理職だから、組合員の資格はないという言い分の、組合つぶしの策略だ。
しかも千葉支局は新聞の拡張を業務とする販売・開発局の下部組織、それまでの編集記者とは業務内容がまるで違う。
そして自宅からの往復が5時間もかかり、組合活動をする時間さえなくなる。
1994年9月に、松沢氏は「支局長として所定の業務を遂行していない」という言いがかりで、会社から懲戒解雇されてしまう。
絵に描いたような、不当労働行為だ。
松沢氏は、裁判で争い続けてきた。
さる10月25日、東京高裁(大橋寛明裁判長)は、会社側の言い分を丸呑みする形で、反リストラ産経労の控訴を棄却する判決を言い渡した。
この裁判官は労働組合法も知らないのかと思える、めちゃくちゃな判決だ。
同労組は11月7日、最高裁に上告した。
「最後までやり遂げたい。これは、私たち組合だけのためでなく、フジ産経グル―プで働く人々や日本全体の労働者のためになるはずだ」と松沢氏は語っている。
(FY)
★写真は、2001年の「小倉あやまれ友の会」による、フジテレビ抗議デモ