12月18日、猪瀬直樹氏が、都知事としてはじめて東京都庁に登庁した。
獲得した433万8936票は、国政選を含め、国内の選挙で個人が得た票数としては史上最高。自民、公明、維新が支持しただけでなく、無党派層からの票も得た、ということになるのだろう。
石原都政に感じていたのは、猪瀬直樹の使い方がうまいな、ということだった。
自分だけが使う副知事室のトイレの新設に450万円もかけた猪瀬だが、都民に「近さ」を感じさせるコミュニケーション能力は優れている。
2010年、都の青少年保護育成条例改定の動きに対して、出版社やマンガ家を初めとした創作者たちから反対の声が上がった。
それも当然だ。
そもそも、青少年保護育成条例は「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」を青少年に見せないよう、書店や映画館などに義務づけている。
性的感情を刺激するものとは、水着写真や水着姿の絵だって、それに当てはまりうる。
第一、青少年も年頃になれば性的欲求が芽生えるのが当然であり、性的刺激物は必要なものだ。
上記の条文は文字だけ見ればフリーハンドで、レイプを賛美するかのようなセリフの出てくる、石原慎太郎著『太陽の季節』だって、不健全図書に指定できるものだ。
表現の自由の侵害にならないように、運用面でセーブがかけられていた。
そもそもフリーハンドの条文を改定するというのだから、いったい何を規制しようとしているのかと、出版界が色めきだったのは当然だ。
そんな2010年12月、Twitterで猪瀬は反対派に向けて、「財政破綻した夕張を助けに行け。雪かきして来い。それならインタビューうけてもよい」と挑発した。
これを受けて立ったのが、漫画家の浦嶋嶺至だった。翌年1月21日、夕張市に赴き、雪かきを実行した。
猪瀬は約束を果たし、対談は実現した。
浦嶋はサイン入りの猪瀬の著作をもらい、にこやかに対談を終え、副知事と「メル友になった」と喜んだ。
話のできる副知事、という印象を広げるのに、猪瀬は成功した。
私は、猪瀬副知事からコメントをもらったことがある。
1968年10月21日に起きた新宿騒乱を回顧する記事を、数年前に書いた時のことだった。
ベトナム戦争で使われるジェット燃料を積んだ貨車が新宿駅を通っていることが分かり、国際反戦デーのこの日にそれを止めようと、過激派学生を初めとした群衆が新宿駅に集まり、列車を止めて東京は混乱に陥った。それが、新宿騒乱だ。
この時、猪瀬直樹は、信州大学全共闘議長であり、騒乱の現場でもリーダーの一人だった。
騒乱罪が適用された後の騒然とした様子など、克明に語ってくれた。
だが、後で連絡してきて、運動側のリーダーということではなく、たまたま通りかかって見たというふうに書いてくれ、と言われたのでその通りにした。
東京都は東京電力の大株主でもある。
今年の東電の株主総会では、猪瀬は副知事としてマイクを握り、当時の会長の勝俣恒久が日本原子力発電に天下りすることにたいして、身を引くべきだ、と批判した。
そのシーンの詳細は、『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』にも書かれている。
株主提案という形で、東電改革にも積極的だ。
選挙では脱原発を言わなかった猪瀬だが、東電への対決姿勢が印象づけられて、脱原発票のいくらかも吸い上げたのではないか。
実際に猪瀬は、東京天然ガス発電所プロジェクトを立ち上げ、三宅島へのメガソーラー建設を検討する、など原発以外の発電を模索している。
当選後のインタビューでは、すでに今、東京は脱原発、電力の自由化を目指す、と答えている。
「国は何もやってくれない、東京だったら何とかしてくれるという都民の期待が、僕と職員のみなさんに集まっている」と初登庁で、猪瀬は語った。
どんな期待に応えてくれるのか。見守っていきたい。
(FY)