私がミャンマーへ行ったのは、ひとえにミャンマー人である夫の家族、親族に娘(0歳11カ月)を会わせるためだった。
民主化活動をしていた夫は、ミャンマー軍事政権の迫害を逃れるべく1991年に来日し、以後、一度も祖国ミャンマーに帰れなかった。
そこで2012年2月、娘である赤ん坊と会うために、ミャンマーにいる家族が、在ミャンマー日本大使館に日本への渡航ビザ発給を求めた。義父にはビザが出たが、義妹や義妹の子は、ビザを得ることができなかった。その理由について、在ミャンマー日本大使館は「原則的発給理由を満たさなかったため」という不可解な回答をした。

ミャンマー人が日本に来るには、ミャンマーもしくは他国の日本大使館でビザを得る必要がある。しかしビザが出ないことが多い。観光ビザなどで日本に入国し、そのまま住み続ける外国人を増やさないようにと、日本政府が考えているためだ。義父にビザが出たのは、72歳と高齢で日本で仕事をするとは考えられないため、義妹にビザが出なかったのは、日本に観光で来て、そのまま日本で働く可能性が否定できなかったため、と推測できる。
とにかく、日本国外務省の出先機関の判断により、日本人の私と、日本の法律で婚姻関係を結んでいる夫の家族は、日本で会うことができない。そこで私と娘がミャンマーへ行ったのだ。

ヤンゴンで、私と娘は、日中、国際空港近くのホームセンターにいた。義父がここで店主をしているのだ。
ホームセンターには男女合わせて10人弱のスタッフがいる。彼ら、彼女らは、義父の兄弟の娘、息子といった親族縁者。みな少数民族州のラカイン州から出稼ぎに来ている。男性スタッフの月給は約7000円、女性スタッフの月給は約3000円だ。男性スタッフの方が高給な理由は、セメントなど大きな荷物を届ける力仕事を、男性がこなすためだという。

義父は売場の会計机に座り、スタッフが商品を販売する様子を見ている。スタッフは客から代金を預かり、義父がその金をスタッフから受け取って、おつりを出す。レジはない。スタッフが会計机に手を触れることもない。
半年前に来日し、日本のスーパーマーケットの様子を見て感嘆していた義父は言う。
「日本の店では、仕事中にスタッフが座っていない」
義父の店に限った話ではなく、ミャンマーでは、ガソリンスタンドでも、八百屋でも、客が来るまでスタッフは座っている。
しかし義父は、日本のサービスを見てしまったため、店のスタッフに、もっと働いて欲しいと思うようになった。
ところが義父以外のスタッフや義妹は、日本はおろか、ほとんど外国に行ったことがない。義父が「仕事中に座らないで、みずからやるべき仕事を探して行って欲しい」と思っても、スタッフ一同、彼の気持ちを全然理解できない。

「本当はこれ以上、スタッフを増やす必要なんかない。だけど自分の兄弟から『娘、息子を雇ってほしい』と言われると、断れない」
義父はこうつぶやく。雇われたスタッフは、義父の兄弟にあたるスタッフ自身の親に給与を送金する。それが義父の兄弟の家計を助ける。故郷ラカイン州で、豊かとは言い難い生活をしている兄弟を、72歳の義父は、今なお助けている。

客足が少ないとき、男性スタッフは店前でサッカーをする。突然やってきた日本人嫁は、「サッカーより店の掃除!」と言いたくなる。しかし、たとえ非生産的な雇用体系であっても、彼らがサッカーしながら笑う姿を見ると、「まあいいか」と思えて、うやむやになる。
こうした旧態依然としたミャンマーの体質も、今後は、参入する海外資本の影響を受けるだろう。彼らがどう変化し、生き残るのか。激動を迎えるミャンマーだが、今も、かつてと同じ生活を繰り返す人は多い。(続く)

【写真キャプション】
義父のホームセンター。日本のように巨大なスペースではなく、こじんまりとした店構えになっている。

(文・写真:深山沙衣子)

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