確かに社長は、例の開発が終わったら給料を上げると言っていたが、大失敗に終わったのでうやむやになっていた。それどころか、赤字をやり繰りしている中突然、事前連絡もなくアンナという女性社員を雇い、会社に連れて来た。馴染みのキャバクラから。金遣いは荒いが、行くのは結局キャバクラ程度なのだ。そこが小市民的というか、社長はどうも大成しなさそうな、そんな雰囲気がある。
アンナは何の仕事もできなかった。マスカラで目をくっきりさせ、顔をラメでキラキラさせて出社してきた。事務仕事で雇ったのにまともにPCを扱えない。それどころか、ネイルアートを施したやたらと長い爪で、まともにキーボードすら打てないのだ。歳は二十歳ぐらいで、デスクワークのイロハもわからない。そんなのが同じ給料で雇われたのだからたまったものではない。社長に散々文句言ったのだが、
「しばらく、様子みてください。何か、仕事覚えさせますから」
社長が庇うのだからどうにもならない。仕事覚えさせますと言っても、教育は私らにやらせるんだろう。愛人候補かなと思ったが、アンナは結婚を前提にした彼氏と同棲しているというし、ますますわからない。キャバクラでかっこつけて、社長らしい、いいところを見せたかっただけか。
雇ってしまったものは仕方ないので、仕事を教えようとしたが、覚える気がないのか
「ワードとかエクセルって難しいじゃないですかー。アンナ出来ないんで事務員っぽく電話応対したいです」
なんていい始める。ところがその電話応対すらまともに出来ない。かかってきた相手の社名と名前も聞かず、受話器だけをこっちに向けてくる。
「戸次さーん。女の子から電話ですよー。かわいい声してますけど、戸次さん会ったことあります? イケてます?」
学生のノリとかいうレベルじゃない。てか保留ボタン押してくれ。
他にも請求書のファイルを頼むと、他社の請求書と自社の請求書控を全部一緒くたにまとめてファイルに突っ込んでしまう。客に送るメールに顔文字を入れていたので注意したら、腹を立てて仕事の指示を無視し始める始末。尚坂は、
「いやあ。あれぐらいの歳の子は若いから何でも許せちゃうんだよ。戸次君の方が大人なんだから、広い心で許してあげなよ」
なんて言っている。若い女の子なら許す。これはあくまで努力している女の子に対して使うべき言葉だ。当の尚坂はなんだかんだ言いつつ仕事上でアンナと関わるのは避けている。
堀口とは話が合うようで、やがて何かあるとアンナは堀口に相談するようになった。
「堀口さんやさしいですー。戸次さん厳しいし言うこと難しくてー」
こっちに聞こえるように言っているのかなんなのか。普通なら多少ねたましくも思うところだが、気にならない。むしろ堀口のところへ行ってくれた方が、こっちの仕事が楽になる。
一ヶ月程経って、アンナの歓迎会をやるというので、行きたくなかったが無理矢理連れていかれた。会場は社長自ら高級焼肉店を選んだので、私はひたすら美味い肉を食っていた。その場でアンナが、
「実は妊娠したかもしれないんですー。生理がこなくておかしいなって思ってたんですけど、体調もちょっとおかしくてー」
とビールジョッキを持ちながら、タバコの煙を吐きつつ嬉々と語っている。社交的におめでとうとは言ったが、それ以上は何も言わなかった。
翌日からアンナは無断欠勤をしはじめる。社長はどうしたんだろう、事故かな、とボヤいていたが私はあえて返事しなかった。彼女がいないと仕事がはかどる。欠勤が三日程続いて、ようやく社長が「誰か連絡取ってください」と言う。私はそれを聞こえないふりをして報告書を書いていた。仕方なく堀口が面倒くさそうに電話をかける。アンナは「産休です」と答えたという。それから一ヵ月後、アンナが会社に置いていったビューラーやコンシーラーを箱に詰めて、彼女の家に送りつけた。それ以来彼女の姿は見ていない。
(続く)
※プライバシーに配慮し、社名や氏名は実際のものではありません。
(戸次義寛・べっきよしひろ)