「現代の大相撲の礎を築いた人物で、あらゆる力士は彼を基準に描いていた。今も取り組みの映像を見るが、技はキレているし、所作も一流だ」(スポーツライター)
大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜氏が1月19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった。
20歳5カ月で幕内優勝など数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に、柏戸とそろって横綱に推挙。このとき、21歳3カ月で、当時の最年少昇進の記録だった。
「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作った。幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに「昭和の大横綱」と評された。
大鵬といえば、「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉もあったほど。だが当人は「巨人は集団で、僕は個人」とあまり好きなフレーズではなかったという。
柏戸とのライバル対決に多くのファンが手に汗を握ったが、昭和46年夏場所で引退した。現役時代は1年近く休場していたが、休場明けにいきなり14勝1敗で優勝するなど、横綱の威厳を保ち続けた。
大嶽部屋では、大鵬の遺体を置いた稽古場で、さっそく稽古が再開された。
「現役時代は、誰よりも早起きして稽古場に出て、四股を踏んでいた。昭和55年から8期16年にわたり、日本相撲協会の理事を務め、名古屋場所部長などの要職に就いたが、理事を退いて一評論家となっても最後まで大相撲人気の凋落を気にしていた。とにかく死ぬまで横綱であり続けた稽古の鬼だと思います」(相撲関係者)
幕内の優勝回数32回は、今も燦然と輝く。
なかなかスターが登場しない大相撲で大鵬の志を継ぐ力士は現れるのだろうか。
(鹿砦丸)