そんなこともあって余計なことに気をとられてか、私の給料の件は棚上げにされていた。土方さんは話せる人だと思ったので、退職を考えていること、次の職場の目安も付けていることを伝えた。
翌日、それを土方さんから聞いた社長がいつになく必死な顔で飛んできた。
「戸次さん、辞めないでください。今辞められると、収支の管理も広告営業もわかる人がいなくなります」
本当にこの社長は、まったく経営状況を理解していないのだ。毎月の業務内容を報告書にまとめて渡しているのに、ろくに目も通さず気がつくと私の机に戻ってきている。
「給料は倍出します。それでも辞めるというなら源泉徴収票も離職票も出しません」
それは困る。次に勤めようとしている会社は、円満退社を条件にしている。社長がゴネて書類出さないなんて言い張ったら、円満退社どころじゃない。
土方さんに呼ばれ、再度話し合う。
「戸次君な、辞めようという気持ちはわかるんや。無理には引き止められん状態やからな」
ラッキーストライクをスパスパ吸いながら、同情的な目で私を見る。土方さんは以前から多くの部下を持ち、指導する立場だったというから、イーダがいかにデタラメかよくわかっているだろう。
「けどな、社長もあんな言うとるし、俺がどうにか立て直すさかいな。もうちょい辛抱でけんか? とりあえず、給料は絶対上げたるから」
土方さんはコンサルティングのようなことをやっているが、セントラル社もシステム開発の会社だ。自社で不足している技術者を補完したい気持ちがあるのだろう。社長は実用的なものを作れるかどうかはともかく、プログラミングの知識だけは一流なのだ。
「土方さん、一つだけ言いますけど、社長にあまり期待しない方がいいですよ」
土方さんはガハハと笑って、
「そう言える人ならますます会社に残って欲しいわ。俺がいる間は、とりあえず金の心配はせんでええ。社長が倍出す言うてるんやから、もろといたらええわ」
給料の事をはっきり言うのは、関西人だからだろうか。関西弁で話されると、金銭にはしっかりしている人に感じてしまう。ただ、いくら資金援助を受けるとしても、今の経営状況で倍は無い。経理をやっている身としては、簡単にありがとうございます、と言い難い。
しかし実際、薄給で困っているのは確かなので、五割増より少し下、月二十五万でこちらから提示することにした。最低これぐらいなら会社としても無茶な数字でもない。後は社長が私の仕事を評価する分を加味してくださいと社長に伝えた。
土方さんは給料や仕事内容だけでなく、普段の生活や趣味についてまで、こと細かく助言をくれたり興味を示してくれる。この人と仕事をしてみたいと思うようになる。円満退社が難しそうだし、既に二度転職している身としては、これ以上経歴を傷つけたくなかったのもある。もう少し様子見で、一年ぐらい続けてもいいだろうと思い、そう伝える。土方さんは満足そうな顔をした。
寒さが身に染みる、冬の日のことだった。
(続く)
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(戸次義寛・べっきよしひろ)