忌野清志郎が亡くなって、今日で4年になる。
昨年、『タブーなき原発事故調書』(鹿砦社)をトークで取り上げた番組「ラジオキャンパス」がFM熊本で打ち切りになったことと関連して、今までにも増して、清志郎を聴くことが多くなった。
原発を扱った曲は、「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」だけではない。
一家に一台、原子力~♪ 原発サンセイ♪ 原発サンセイ♪ と叫ぶ、一瞬、東電も喜んでしまいそうな、「原発音頭」もある。
科学の力を信じていたのに、と歌う「メルトダウン」は、まるで福島第一原発の事故を予見していたかのようだ。

清志郎のステージは何度も見た。
まだ売れていなかった頃のRCサクセションが、神奈川テレビのフォーク番組にレギュラーで出ていて、よく見に行っていた。
自分もシンガーソングライターになりたい、と思い、ギターをつま弾きながら、ずいぶん曲を作った。
だが天性の音痴である自分には、そんなことは望むべくもない。
ギターのチューニングにも手間取るほど音感が悪かったので、自分でチューニングする必要のないキイボードに転向したのだが、ものになるわけがない。

全共闘って、火炎瓶とか投げたりして、かっこわるいじゃない。
清志郎のそんな言葉を雑誌で見て、いつの間にか火炎瓶を投げるようになっていた自分は、少なからずショックを受けた。
清志郎のやり方はかっこいい。
「サマータイム・ブルース」にしても「君が代」にしても。

清志郎を最後に見たのは、2004年のフジロックフェスティバルだった。
「い・け・な・いルージュマジック」「ぼくの好きな先生」「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などのヒットソングのオンパレード。
様々なスポンサーが絡む、巨大ビジネスの場であるフジロックでは、「サマータイム・ブルース」や「メルトダウン」などは、やはり歌えない。

それはそれでいい。
ワンステージを持たせるだけのメガヒットがあり、歌える場所では、自分のいいたいことを歌う。かっこいい、やり方だ。
要は、聴く側の問題だ。
清志郎の言葉を探すしかない。
「言論の自由」「善良な市民」「恩赦」なども、ぜひ聴くべきだと思う。

(FY)