昨年11月30日に知人の美術品を横領した容疑で逮捕された学校法人グループ堀越学園グループの堀越哲二(旧名・小池哲二)被告の控訴審が、今月28日に東京高裁で開かれる。
一審で堀越哲二被告は、検察側の論告に対してひたすら「その通りであります。申し訳ございません」を繰り返し、恭順の姿勢を見せていた。学校経営が苦しく、切羽詰って預かった美術品を横領してしまったことを主張し、情状酌量を狙う戦術をとっていたが、2月25日の前橋地裁の判決は、2年6カ月の実刑だった。
美術品を横領された知人が、政界フィクサーとして故後藤田正晴との親密な関係や、オウム真理教の黒幕説まで報道されたことがある朝堂院大覚(美術品の所有者は、朝堂院の息子名義)だったから、世間からは軽視されている裁判だ。
だが、堀越哲二に金を騙し取られた者や、迷惑を被った著名人は、朝堂院以外にも大勢いた。こうした被害者の声は、殆ど報道されないし、起訴状にも載っていない。
本来の戸籍名が小池哲二だった現在の堀越哲二被告が、堀越学園グループの経営権を握った経緯については、関係者の間で深刻な疑惑が囁かれていたのだ。
堀越学園グループは、地元の旧家の出で、教育者として知られる堀越久良が設立し、群馬県内では評価されていた学校だった。ところが、06年に久良氏が亡くなり、小池哲二が堀越哲二として経営権を握ってから、急速に経営が悪化し、文科省から学校法人認可の取り消し処分を受ける事態となり、完全に経営破綻した。
創立者の堀越久良が亡くなった時に、久良氏の遺書が偽造されたのではないか? という疑惑が取り沙汰されている。遺書の偽造について抗議した久良氏夫人の堀越嶋子も、夫の後を追うようにして死んだ。堀越夫妻の合同葬儀は、堀越家に養子縁組して小池哲二を堀越哲二に改名した被告を喪主に、生前の久良氏と交流のあった群馬県内外の多くの名士が出席して盛大に行われたが、事情を知る関係者の間では、「嶋子さんは、小池哲二に殺されたのではないか?」と囁かれていたという。
筆者も当初は、まるで〝昭和のサスペンスドラマ〝のような話が、現実の世界で起こり得るとは信じられず、「それは本当の話なのですか?」と何度も関係者に聞き返していたのだが、複数の学園関係者が事実だと認めている話なのだ。
ある学校関係者から聞いた話では、堀越久良の臨終の席には学園の理事らが集まり、そこで堀越哲二が久良氏の口元に耳を寄せて「いま確かに私に任せると仰言った。皆さん聞きましたかっ」と喚いたという。だが、既に久良氏は口が聞けるような状態ではなかったという。臨終の席で言ったとか、言わないでは法律上の効力はないが、このあと遺書が出てきて、その遺書に嶋子夫人が偽造だと抗議し、嶋子夫人も急死したという流れらしい。
この小池哲二こと堀越哲二被告の学園乗っ取りに加担していたのが、地元群馬県選出の衆議院議員(引退)で、第一次安倍内閣で、財務大臣も務めた通産官僚OBの尾身幸次だと言われている。堀越哲二は、尾身に闇献金を渡したことまで吹聴していたという。少なくとも尾身幸次が堀越哲二から度々接待を受けていたことは間違いない。小池哲二は、尾身以外にも、学校の金を湯水のように使い、地元の有力者たちへの接待や饗応に勤しんでいたという。
堀越哲二被告から接待を受けた者の中には、群馬県警や群馬地方検察庁といった司法関係者も含まれている。今回の裁判について、朝堂院大覚は、「何度も群馬県警に、証拠を揃えて美術品の盗難被害届けを出してきたのに放置されてきた。やっと逮捕したかと思えば、僅か6500万円の被害額(朝堂院の話では、盗まれた美術品は全部で19億円以上の価値があったと言う。ただし、古美術品の評価額は、人によって違うし、変動も大きい)で起訴された。群馬県警の中に堀越から金を貰った奴がいたのではないか?」と言っている。
朝堂院だけでなく、過去に堀越哲二の乱脈経営について告発した者もいたのだが、これも無視されてきた。堀越哲二の逮捕後も、地元のマスコミにさえ、なかなか堀越哲二の乱脈経営の実態が報道されないのは、群馬県警が、報道されることを望んでいないからだという。
堀越哲二の周囲には、相談役として学校経営にアドバイスした元新聞記者でKCIAのエージェントだった人物が登場したり、アメリカのキリスト教系団体で、バックに統一教会ついていると言われる宗教法人の話もある。
東京高裁での控訴審でこれらの疑惑にも話が及ぶか注目されるのだ。
(橋本征雄)