「メアド間違ってた。正解はこちら」と書いてきた、妹のメールはしばらく放っておくことにした。「メール届いている?」という確認も来たが、無視した。
石屋へ代金を振り込むと、すぐに社長からお礼の電話がかかってきた。こちらはとても気持ちのいい人物だ。
数日後に、寺の住職から電話がかかってくる。
「卒塔婆はどうされますか? 1本3000円なんですけど」
セールスである。
「あのね、こちらは、そもそも戒名なんかいらないって言ってるんですよ。戒名がないと墓に入れられないっていうから、付けてもらったんであってね。卒塔婆なんか、いらないよ」
「卒塔婆は、だいたい親戚の方が立ててくれるんですけどね」
あなたがたには費用の負担は生じない、という意味だろう。
「そうですか。それでは親戚に聞いてみます」
言い争いを続けているわけにもいかないので、そのように引き取って電話を切る。
妹にメールする。
石屋への代金の支払いが済んだこと、かかった総額を後で、兄弟で3等分しようと念押しする。
親戚への連絡の窓口になっていたのが妹だったので、卒塔婆を立てるかどうか聞いてくれるように頼む。
翌日になって、父の兄弟は全員、卒塔婆を立てるというメールが妹から来る。
卒塔婆に入れる名前を、寺にファックスすると、住職から電話がかかってくる。
「これじゃあ、ダメですね。主宰者である、あなた方兄弟が立てないと」
なんだ、やっぱりそういうことになるのか。
3000円だし、まあしかたがないと思い、妹に電話して、住職の言葉を伝える。
「お墓を立てるんだから、卒塔婆はいいかなっていう気がするんだけど。私、そういうのよく分からないから」
分からない!? 戒名が必要だとか、石塔を建てるべきだとか、あれだけ強く主張しておいて……。
「まあ、戒名付けるのも墓建てるのも、建前でやっていることだから、卒塔婆はいいよ」
そう言って、電話を切る。
しかしそれならば、親戚にも卒塔婆の話などしなければよかったのだ。
親戚が建ててくれると言っている以上、我々兄弟が卒塔婆を立てないことは、どう思われるだろうか。八方ふさがりの気分になる。
「卒塔婆は、どうすればいいんだよ!」
母親に電話して、叫んだ。
「そんな、一人一人立てる必要ないから。全員で一本でいいから。お寺にそう言うから」
そんなことが通用するか分からないが、その言葉を信じて放っておくことにした。
しばらくして、また住職から電話がある。
「お母さんが卒塔婆を立てると言ってますけど、お母さんはいいですよね。それと、妹さんは旦那さんと連名で立てると言ってますけど、それでいいですか」
結局のところ、立てると申し出てくれた親戚と、我々兄弟全員の卒塔婆を立てることになったのだった。
(FY)