8月2日、臨時国会が召集され、先月の参議院選挙で当選した新人議員も登院した。
どの報道でも、注目の新人として、山本太郎議員の姿が写っている。
当選後、山本太郎は、すぐさま活躍を開始した。
選挙日翌日、読売テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」に生中継で出演。
山本太郎が、日本が原発をやめられない理由として、「日米原子力協定」の存在について語り始めると、司会の宮根誠司の顔色がみるみる硬化し「原発をやめて江戸時代に戻るのか…」と無知をさらけ出す発言を口にする。
現在、日本で稼働している原発は、大飯原発の2基のみ、十分に電力は足りていることを山本が語ると、コメンテーター達もそれを認めた。
そして山本が、残り時間が「1分」だと確認して、テレビとスポンサーの関係、被曝リスクの問題がテレビで語られないことを喋り始めると、1分経たないうちにCMに切り替わってしまったのだ。
テレビとスポンサーの関係を、はしなくも証明する形となった。
そんな山本太郎の活躍に対して、ネガティブキャンペーンが噴き出している。
その一つが、過激派の中核派が、山本太郎を支持している、というもの。
経済評論家の池田信夫は、ブログで次のように書いている。
「革共同中核派は、これまで内ゲバで革マル派や革労協などを50人以上殺してきた、日本最大のテロリスト集団である。彼らの支援する候補が国政に議席を得るというのは先進国では例をみない事態であり、日本の政治は世界から嘲笑されるだろう」
中核派は武装闘争で革命を起こすことを志向する集団であり、60年代後半からの火焔瓶を用いた実力闘争を初めとして、80年代にはロケット弾を飛ばしたり、成田空港問題に絡んで千葉県収用委員会長を襲撃したりした。
池田信夫の文章には、中核派が「革マル派や革労協などを」殺してきた、とある。革労協を標的としたのは革マル派なので、これは間違いだが、中核派と革マル派が殺人を含む内ゲバを繰り広げてきたのは事実だ。
中核派の機関紙『前進』7月29日号には、一面トップで「山本氏当選の歴史的勝利」と大きな文字で書かれている。まるで、自分たちが勝ちとった勝利のように書かれているが、党派宣伝のいつものやり口だろう。
「僕は、どの団体からも勝手連的に応援してもらっています。1人の人間として応援してもらえるなら問題ないんじゃないですか」と、選挙中に山本太郎は語っていた。
まったくその通りだろう。
この問題を、中核派の立場から見てみようと思い、本部である前進社に電話してみた。
「中核派は山本太郎さんを応援していますが、山本さんは非暴力の立場ですよ。中核派の武装闘争路線とは相容れないんじゃないですか?」
そう問うと、電話に出た男性は、かなり長く沈黙した後に言った。
「電話では応対しないことになっているんで、手紙をください」
武闘派である中核派が、手紙ください……。
電話やメールは、盗聴、盗読のおそれがある、ということだろうが、別にゲリラの相談をするわけでもなし、政治主張の説明くらいしてくれもいいのではないか。
中核派は、武装闘争のかたわら、議会選挙にも臨んできた。
革命的議会主義と言い、議会での革命を目指すのではないが、プロパガンダとして議会を利用する、というのだ。
1969年には、中核派の同盟員であり、元全学連委員長の北小路敏が東京都議会議員選挙に立候補して落選した。
それに先立つ1967年、杉並区議選で中核派は長谷川英憲を立て、当選を勝ち取っている。長谷川は、以後6期にわたり杉並区議を務めた後、1989年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から出馬し、当選。1993年東京都議会議員選挙に再選をめざしたが、落選。2000年、衆議院議員総選挙に出馬するが、落選した。
杉並区議選では、長谷川の後継として、結柴誠一、新城節子を中核派は当選させるが、後に両氏は、考え方の違いから中核派から離れている。
2007年、国電同時多発ゲリラへの参加で6年半の獄中生活を送った北島邦彦を、中核派は杉並区議へと当選させたが、2011年に落選している。
中核派は、選挙ノウハウを蓄積し、区議会から都議会、そして国政へと攻め上っていくつもりだったのだが、結局のところ、革命的議会主義は区議会で潰えた。
見果てぬ夢を、中核派は山本太郎に託したのだ。
中核派は、2007年に関西組織が分裂するなど、弱体化している。
現在は、武装闘争らしきものも行っていないが、路線転換したわけではない。
もっぱら、市民運動のかたちをとって、イラク反戦や脱原発の運動に入り込み、メンバーを増やそうとするのにやっきで、今の若者たちに受けない「武装闘争」は、口にもしない。
山本太郎を当選させた力のうち、中核派は、そのほんの一片にしか過ぎない。
言うなれば、中核派の片思い。片思いされたほうが、とやかく言われるのは変だろう。
(FY)