六本木ヒルズでは、利用者を歩かせないために幅の狭いエスカレーターを設置している、という。あまり意識していなかったが、地下から地上2階の高さのエントランスまで続く長いエスカレーターで、確かに、歩いている人はいなかった。

エスカレーターを歩くことがないので、不便とも思わず意識もしなかったが、それが「利用者を歩かせないため」だと知って、少し驚いた。
そこまで日本は、言葉が通じない社会になってしまったのか、と思ったからだ。

エスカレーターは、歩く前提で設計されていない。標準的なエスカレーターの傾斜は30度で、駅構内の階段の26?27度より急だ。ステップの高さも20センチ程度で、階段の、15?16・5センチより高い。
無理に歩くと、転倒などの事故にも繋がるのだ。

だが都市では、歩く人のために片側を空けておく習慣が、定着している。
関東圏では右側を空け、関西圏は左側を空けている。
片側しかスペースを使わないために、歩かない人の側で、長い行列ができてしまう、というのは都市でよく見かける光景だ。
新宿などの大きな駅では、上りエスカレーターが2本並んでいるが、どちらも片側が空いていて、行列ができている。この習慣が、逆に不便を生じさせているのだ。

これへの対策として、六本木ヒルズは幅の狭いエスカレーターを設置した、というのだが、歩くのは危険なのだから、張り紙をするなり、アナウンスで訴えるなり、言葉を使って伝えるということを、なぜしないのだろうか?

鉄道会社は、なぜか、そういうことに積極的でない。
たまたま目にした、地下鉄のエスカレーターでは、むしろ逆に、止まって立つ側とされる左側の手すりにマークが付けてあるほどだ(写真)。

定着してしまったこの「マナー」について、急ぐのは日本人の国民性、という声もあるが、果たしてそうだろうか? もっと根深い問題があるような気がする。

エスカレーターを歩くのは危険だ、という情報は、少なからず浸透していると思う。
10年前と比べると、歩く人は減っているという印象がある。
そうは言っても、空けるべきとされてきた側に、立って止まっている、ということができない、というのが、大多数の人の意識なのではないか。
後ろから歩いてきた人に、チッと舌打ちされたり、「なぜ歩かないんだ」「歩くべきじゃないです」など口論になるのが面倒、ということがあるだろう。
それ以前に、無言の圧力、「空気」が怖いということがある。
それこそが、日本人の国民性だろう。

なぜ日本では、少数者が多数者を支配してしまうのか?
それを解く鍵が、エスカレーター問題には、あるかもしれない。

(FY)