音楽プロデューサーの佐久間正英さんが、末期ガンに侵されていることをブログで告白した。脳に転移したと思われる腫瘍以外は、あえて治療せずにガンと共に生きる道を選んだ。
彼の名前を初めて見たのは、いつだっただろう。BOOWYやTHE BLUE HEARTS等を聴き始めた頃だから、80年代の後半頃、小学生の時だ。買うCDの殆どに、編曲やプロデューサーとして彼の名前を目にした。
「さくましょうえい? 誰なんだろう」
プロデューサーという仕事が何なのかもわからなかったが、よく目にする名前だと思っていた。
それもそのはず、80年代より現在に至るまで、JUDY AND MARY、GLAY、黒夢、エレファントカシマシ……彼がプロデューサーとして手がけたミュージシャンは数知れない。とりわけ、80年代~90年代のロックバンドにとっては、影響力という点で彼の右に出るものはいない。私を含め、ロックの入り口に彼が立っていたという人は、星の数ほどいるだろう。
自らのバンドでベースを弾くこともあり、また、ギターのブランドを立ち上げている。そういったところが「ロックの人」と見られる傾向にある。しかし、佐久間さん自身はロックばかりな人ではない。ピアノやオルガンから音楽に触れ、吹奏楽の経験もあるマルチプレイヤーだ。
私が大学生になりジャズを聴き始めた頃、今まで聴いた音楽との違いに戸惑った頃があった。この違和感はなんだろう。なぜロックやポピュラーを聴いた時のように、自然と馴染めないのか。
その時読んだある音楽関係の記事で、このようなことが書かれていた。
「ジャズっていうのはロックと違う意味のもっとヤバい不良な感じが、もうちょっとヤクザがらみ的な不良なイメージがしたんですね、大麻というより麻薬な感じが。」
私は大変納得して、ジャズというものに向き合うようになった。これは佐久間正英さんの意見だった。ロックのみならず、ジャズの入り口にも佐久間さんが立っていた。
高校よりシンセサイザーをいじるようになった私は、いつしか音楽プロデューサーになりたいという夢を持つようになった。しかし腕が足りなかったのか、才能がなかったのか、断念して普通に社会人として働くようになった。月日は過ぎ、10年以上音楽のことなど忘れていた。
ある時ボーカロイドなるものが注目を集めていることを知る。シンセサイザーを何台も並べて音楽制作をする時代から、パソコン1台でボーカルも含めた音楽制作が出来る時代になっていた。
ふと、音楽制作を再開しようか。退屈なサラリーマン生活をしながら、そんなことを思った。久しぶりに行く楽器店。音楽機材の山の奥に、ボーカロイドも並んでいる。一番人気があるのは「初音ミク」だが、私は日本語に加え英語も歌うことが出来る「巡音ルカ」を購入することにした。
10数年振りの音楽制作は困難を極めた。時代が変われば製作の仕方も違う。歌声を作るというのは、ボーカロイドの登場で新たに生み出された技術だ。何か手本になるものはないか。動画サイトを検索すれば、ボーカロイドの楽曲が山ほどあがっている。殆どがアマチュア、セミプロの作品だ。もっと参考になるものはないか。
その中で見つけた。佐久間正英さんの作った巡音ルカの作品を。
佐久間さんは30年以上も常に音楽シーンの最前線にいて、時代と共に歩いている。佐久間さんの巡音ルカは、まさにプロの作品だ。まだ発展途上のボーカロイドというものを、ここまで完成させることが出来るなんて。佐久間さんは、ボーカロイドの入り口にも立っていたのだ。
私は今でも、趣味として音楽を続けている。技術は佐久間さんに遠く及ばないものの、楽しんでやっている。日本の音楽界の貢献はさることながら、私のようなアマチュアが音楽に興味を持った時、佐久間さんの影響で前に進むことが出来た。こういった人は、潜在的に数多くいるのではないか。佐久間さんは、末期ガンと付き合いながら、音楽家として最後の仕事を成そうとしている。これからも、音楽家佐久間正英の姿を、世のアマチュアたちに示して欲しい。
(Tachibana)