自分はいつからライターになったのだろう? 成田空港に反対する三里塚闘争に参加して、現地の団結小屋に住んでいた時から、党派の機関紙『戦旗』に現地の報告を書いていたし、理論誌『理論戦線』には論文を発表していたが、それはすべて無償であった。
だが党派では、職業革命家にならない限り、あらゆる行為は無償である。だから、この頃からライターだったと言えるのかもしれない。
そうすると30年近くライターをやっていることになるが、今になっても最後まで悩むのが、人名の敬称をどうするか? ということだ。
敬称には、「氏」「さん」「君」「様」「殿」「先生」「閣下」などいろいろあるが、文中でよく使われるのは、「氏」「さん」だろう。
男性には「氏」、女性には「さん」をつけると、なんだか女性蔑視のように思われるが、女性に「氏」をつけると、なんだか堅い、と、これだけでも迷う。
敬称を付けない場合というのが、最も悩む。
犯罪者や、自分が罵倒したい相手には、敬称を付けない、ということはよくあるだろう。
だが逆に、偉大な人物にも、敬称を付けないが普通だ。
黒澤明や手塚治虫に、「氏」なんかつけたら、おかしいだろう。
これは別に故人だから、ということではない。生きている人間でそれくらい偉大なのは誰だろうと、ふと考えてしまうが、とりあえず、大江健三郎や北野武、宮崎駿などには「氏」なんかつけないだろう。
いつか、橋下徹が小林よしのりに、「呼び捨てにすんじゃねえよ」とツイッターで憤ったことがあったが、首長という公の立場の人間であったら、敬称を付けないのが普通である。むしろ「橋下徹氏」などと書かれたら、「なんで『氏』なんかつけんだ。バカヤロウ。俺は一般人じゃねえ」と憤るのが、彼のキャラに合っているだろう。
偉大な人物だから敬称を付けていない、と、はっきり分かる場合はいいのだが、そうでない場合もしばしばある。
たとえば、永山則夫は、文学を通じて更生し、小説をものした作家であるから、私は敬称を付けないが、犯罪者だから呼び捨てなのか、と誤解される可能性もある。
何か簡単な統一基準があればいいのにと思うのだが、これが英語と違う日本語の豊かさなのだから、最後まで悩むしかないだろう。
(FY)