朝の8時半頃、朝食を採っていると、携帯電話が鳴った。
何冊か一緒に本を作ったことのある、元編集者だった。
「今日は何か予定入ってます」と言う。「夕方に打ち合わせがあるよ」と答えると、「ああ、打ち合わせ……。それじゃあ、午前11時に会いませんか」と言う。
水曜日だが、彼は有給休暇を使って、毎週水曜日を休みにしているという。
彼は休みなわけだし、もう編集者ではない。だから、仕事の話ではない。誰にでも稀にやってくる、無性に誰かと話したい、という気分なのだろう。
かつて世話になった仲であり、応じてあげようと思ったが、少しでも進めておかなければならない仕事もある。
「11時は早すぎる。午後1時にしてくれ」と言って話は決まった。
わずかであるが、彼は待ち合わせに遅れてきた。
恩に着せるわけではないが、こちらは彼の求めに応じて時間を割いているのである。
どうせ彼は何も考えていないだろうからと、私が探しておいた、落ち着けそうな喫茶店に入って話をする。
彼とはいくつも仕事をしたが、プライベートでもよく一緒に過ごしていた時期があった。
2人で飲み歩いていたのだ。
軽度ではあるが、明らかにアルコール依存に陥っていた。
酔った上での舌禍で、飲み会で追い返される、という失態を犯した。
「俺たちダメですね。2人断酒会を結成しましょう」
翌日になって、電話で提案してきたのは、彼だった。
断酒した。それまで、どれだけの量のアルコールを採ってきたのか、1週間経っても頭に響く鈍痛に思い知らされた。
3ヶ月間経って、断酒を解いた。それからは、節度あるアルコールとのつきあいができるようになった。ランチで呑むことはなくなった。1週間に1度以上は休肝日を設けた。そうすると普段の摂取量にも抑制が効いた。
彼のほうは、断酒を誓った間にもスリップして呑み、その後も同じように呑んでいたようだ。
酔って階段を転落し、頭を打ち、手術が必要なほどの怪我を負った。
記憶力が著しく減退するという後遺症が残り、編集の仕事はできなくなった。
過去の活躍していた時期のことを彼は語りたがり、今のことは語りたがらない。
社員であるから容易に解雇することができず、閑職に就かされているということが伺えた。
なんとしてでも今の会社にしがみつく、そして、有給休暇はすべて消化する、という決意を、彼は述べた。フリーランスの私に向かって、有給休暇のことを得々と語るほど、彼は客観的思考から遠ざかっている。いやそれは、頭を打つ前からそうだったような気もするが。
彼には子どももいる。家のローンも残っている。会社にしがみついていくことは、彼には必須事項だろう。
だが、閑職しかしていない彼に、それまで通りの給与を支払うために、安い給与の非正規社員が難しく厳しい仕事をさせられているのも、まごうことなき現実なのだ。
(FY)