8月24日、ルポライターの日名子暁氏が逝去された。日名子氏は、週刊誌出身のルポライターである。クローズアップされたのは、フィリピンから日本に出稼ぎに来る女性が「じゃぱゆきさん」などと呼ばれていた94年ごろだったと思う。ヤクザ、詐欺師、ブローカーなどとのつながりが深く、アウトローからネタを引っ張ってくるタイプでは、最後の世代ではないかと思う。
日名子氏からの今年の年賀状には「携帯なし、パソコンなし、みごとなほど時代に取り残されております」とあった。この時代に携帯なし、手書き原稿で、山ほど原稿のオーダーをこなしたのだ。そもそも、朝5時まで飲んでいても、事務所に帰り際に寄って仮眠して原稿を書くほどのタフネスで、締め切りは絶対に守るタイプであったから、携帯もパソコンも必要ないといえばないのだが。
最後に会ったのは、2011年の冬だった。すでに体調を崩されていた日名子氏は、「具合が悪くても、タバコをやめられないんだよな。もうあきらめたよ」と千代田区猿楽町の事務所で嘆いていた。
誰か家族に転送されるのではないかと思い、事務所に電話をかけてみたが、日名子氏の懐かしい声で「6月いっぱいは入院しています。ただ外出はできますので、週に2、3回は事務所に来ます。用事があるかたは、留守番電話に入れてください。折り返し連絡いたします」と入っていた。氏は復帰して執筆する気に満ち満ちていたのだ。
酒豪で知られる日名子氏は、新宿ゴールデン街がよく似合った。5,6軒はハシゴするのが常だった。晩年は酒を自粛していたようだが、豪傑な飲み方を思い出す。
日名子氏に学ぶのは、フットワークの軽さである。おもしろそうなネタがあれば、九州だろうと北海道だろうと、なんとかして旅費を捻出して出かけていた。息子さんがフィリピンにいる関係もあるだろうが、フィリピンの汚職警官の話やマフィアの話は実にリアルで、フィリピンのネタがかけるライターとしては、第一人者なのではないだろうか。体の具合を悪くされてから、私も忙しさにかまけてなかなか連絡できなかったことを悔やむ。いまだに、氏が事務所にいて、「なんかおもしろいネタでもあるか」と笑顔で話しかけてきそうな気がする。取材力とフットワークのある実力派ルポライターが亡くなったのは業界には痛手だ。
(TK)