「最期は病と闘いながら、週刊新潮の連載に執念を燃やしていました。すでに20回分までは入稿していて、連載は続行されます。書きながら棺に入るのが作家だとおっしゃっていて、それをそのまま体現されました。実に立派で、実に無念です」(出版社社員)
山崎豊子が9月29日午前、心不全のため死去した。享年88歳。
「1959年に週刊新潮で『ぼんち』の連載が始まった時には、書店に、連載開始の看板が立ったものです。テレビの普及していなかった当時は、今の連ドラ以上の注目度があった。『ぼんち』も後に『横堀川』としてテレビドラマ化されましたが、その後も作品が次々にドラマ化や映画化された。作家人生を通して、一線を走ってきた作家でしょう」(週刊誌編集者)

「取材量の豊富さで勝負し、社会を痛烈に批判する視点でさまざまな物語を紡いだ。『華麗なる一族』では、銀行が、より大きな規模の銀行と合併する方法を探るために、執拗に取材を敢行していました。マムシのような執念を感じましたね」(書籍編集者)
山崎氏は、毎日新聞の記者を経て1957年、生家をモデルにした長編小説『暖簾』で作家デビュー。58年発表の『花のれん』で直木賞を受賞し、63年の『白い巨塔』で大学病院の腐敗に切り込み注目を浴びた。
「今では普通に語られるようになりましたが、大学病院の権力闘争などは、当時は全くのタブーで部外者の知らない世界だった。権威を求める医者の下で、患者が犠牲になっているという現実をえぐりだした。それを下敷きになる民衆の視点を軸に書く。そこに山崎イズムの原点があるような気がします」(作家)

山崎氏の作品は、現在の小説やドラマの多くに影響を与えている。
山崎氏の切り込みで、大学病院の権力闘争がタブーでなくなったから、ドラマ『雲の階段』がテレビで放映できる。
都市銀行の深層に迫った『華麗なる一族』がなければ、『半沢直樹』もなかった。巨大総合商社を描く『不毛地帯』は、企業小説の教科書である。

日本航空での苛烈な労働組合潰し、その中で起こった御巣鷹山でのジャンボ機墜落事故を題材に、1995年から『沈まぬ太陽』を週刊新潮で連載し始めた。
日本航空を「国民航空」と名を変え小説として書かれていたが、あまりにも現実を浮き彫りにしていたため、日本航空は不快感を示し、連載中は機内で週刊新潮を取り扱わなかった。

山崎氏が毎日新聞の記者だった時代、師事した上司は、井上靖である。このときに取材のイロハを井上氏に叩きこまれたことが山崎豊子のベースになっている。ゼロから1にはならない。取材で得たデータから小説のおもしろさが発生しているのである。
遺作となった『約束の海』(週刊新潮)は、なだしお事件がモチーフのひとつとなっている。海上自衛官の物語だ。山崎氏の取材を元に、どなたかに引き継いでもらいたいと願うが、果たして、それに価する人物がいるだろうか。
「今後、テレビ局では、山崎氏原作の映画やドラマの特集が緊急に組まれるでしょう。某出版社では『山崎豊子文学賞』のスタートが検討され始めました」(出版エージェント)
巨星がまたひとつ消えた。

(鹿砦丸)