航空技術者として、七試艦上戦闘機、九試単座戦闘機、零式艦上戦闘機の設計などを手掛けた、堀越二郎の生涯を描いた宮崎駿の引退作『風立ちぬ』。
「空を飛ぶ」夢に生涯をかけた堀越二郎の執念の設計が、零戦の開発に結びついていく。「空を飛ぶ」夢が戦争の武器となっていく航空機についての堀越の苦悩が、悪夢となって描かれている。工学的にも緻密に飛行機が描かれており、航空学の授業を受けているような気分にもなる。飛行シーンは痛快のひと言で、やはり「空を飛ぶ」表現をさせたら、宮崎監督に叶うアニメーターは世界にはいないだろう。
だが、堀越役として起用された映画監督、庵野秀明の声がまったく素人丸出しであった。西島秀俊や瀧本美織、西村雅彦、大竹しのぶら創意工夫あふれる声優陣の中で、まったく感情の抑揚がなく、主役の声優に力量がないせいで、なぜ航空技術者をめざし、なぜ奈穂子にプロポーズしたのかというバックボーンへの説得力がまったく感じられない。庵野は「棒読み」の声優であった。言うまでもなく、庵野は役者ではなく、映画監督だ。宮崎監督や鈴木プロデューサーは、本気で主役にド素人を配する博打が成功すると思ったのだろうか。
それでも、飛行機が飛ぶ音を人間が声で表現していたり、結核で死に向かう菜穂子と二郎の切なくて時間が残り少ない新婚生活や、ドイツにまで行って航空技術を学ぶシーンなど、昭和のドラマ好き&メカニック好きには涎が出る場面がふんだんに織り込まれている。ときおり、堀越と世界的な航空技術者、カプローニが夢の中で語らう場面が出てくる。
堀越の夢の中で「人生の創造的持ち時間は10時間だ」と神妙な面持ちで言う。
これこそが、『風立ちぬ』で語りたい、重要なテーマなのだと思う。
「宮崎監督は、最後の作品で、自分が表現したいものをすべて詰め込んだ」という声がある。戦闘機をひたすら設計して眠る時間を削る堀越。その姿は、ひとりアニメーションという舞台で表現に苦慮する宮崎の人生の分身である。宮崎監督論は、語りつくされているので、ここで触れないが、あえて引退会見から映画『風立ちぬ』に連動するコメントを拾えば、「この世は生きるに値する」という台詞である。
戦争に向う時代、堀越は「生きるに値する」仕事をなしえた。それが戦闘機の開発だ。堀越二郎は、零戦の開発で確かに名前をあげたが、「戦犯」として批判されているのも事実である。「夢を追う」青年の情熱を利用したのは、当時の軍部であり、政府であるのを忘れてはいけない。ともかくも、宮崎アニメの時代は確かに終わった。今後、時代を引っ張る天才アニメーターの出現を願いたい。
(鹿砦丸)