東京地裁の医療集中部で部総括判事を勤めた貝阿彌誠裁判官が栄転したことを、あるサイトの裁判傍聴記が、次のように皮肉を述べていた。
【おめでとうございます。で、平成23年1月29日の中日新聞記事「適正で迅速な裁判環境づくり進める 長野地裁・家裁の貝阿弥所長会見」に記載されていたインタビューからなんですが、「患者が高水準の医療を期待する一方、医師はわれわれが思う以上に一生懸命で、両者の調整が悩ましかった」・・・私も、「医療裁判、医療訴訟」のコーナーを書くに当たっては、国民や当事者が高水準の司法を期待する一方、裁判官はわれわれが思う以上に一生懸命で、どのように気を使いながら書いたものか、悩ましく思っています。】
日本において裁判は大変なものである。訴える決断をするのは余程のことである。しかし医療裁判を担当する部署の責任者であったこの判事に言わせると、訴える側にケチをつけるべきものなのだ。医者は一生懸命にやっているのに、患者が高度な医療を求めすぎる、ということになるのだ。
それなら同様に、裁判官も想像以上に一生懸命やっているが、それ以上に国民や当事者は高度な司法を期待する、ということなのだろう。しかし裁判官が一生懸命なのは利権とか出世とかであり、そして目出度くご栄転というわけだ。
この貝世阿爾誠裁判官は、裁判官になってから、ずっと、順調に出世街道を登り進み、この後もさらに昇進している。だから魚貝類だが貝類ではなく魚類である。いわゆるヒラメ判事の典型である。
この人は、医師の団体から買収されていると言われてきた。それくらい、医療裁判での偏向した態度が露骨だからだ。この人の「調整」とは、被害を受けた患者への恫喝である。「お医者のすることに文句言って訴えるんじゃねえ馬鹿、ぶっ殺すぞ」などと、今にも言いそうな凄まじい顔をする。
実際に、裁判では凄まじい偏向であり、医師が訴えられたり敗訴したりした腹いせに、患者の個人情報を漏洩してネットに流出させるなど、技術水準どころか人間性が疑われる行為が問題となったさいも、屁理屈で擁護してきた。部下の裁判官が公正な訴訟指揮をしていると、それにより医師や病院が不利になってきたら割り込んできて、「私は部下と違って患者に甘くはないですよ」と平然と口にする。
だから、すごい悪評だし、他の裁判官にも嫌われているはずだ。現に、貝阿彌誠の恫喝に居合わせた部下の裁判官は、嫌悪感を露にしたり、立場上仕方ないのでうつむいていたりする。
それでも平然としている貝阿彌誠。自分がやってきたことは、すべて、社会的に成功者となるための当然のことだと確信しているのだろう。こういう人は、特に官僚に多い。このような人間性も問題ではあるが、可哀想な人でもある。だから、本当の問題は、そんな人が居心地良い世の中の仕組みのほうだろう。
(井上 靜)