「やられたら倍返しだ」の流行にあやろうと、こんどは「やられなくてもやり返す」という言葉が、テレビドラマに登場している。これもまた流行するのか。
ビックカメラ新宿店で、「やられなくてもやり返す」商法にやられてしまった。
シーズンオフの落ち着いた時期にエアコンを購入しようと、賢い消費者のつもりで店に行ったのが、結局は愚かだったということか。

エアコン本体を購入。料金に工事費は含まれているが、ダクトのカバーなどが別料金でかかるという。そのために工事業者に見積もりに伺わせましょうか? と言う。
ダクトのカバーていどのことで見積もり? と思ったが、急ぐわけでもないので、来てもらうことにする。

数日後、業者が見積もりに来た。エアコン取り付け場所を見た後に、「ブレーカーを見せてください」と言う。ブレーカーの蓋を取り外して見て、彼は見積書に記入する。
「もう1台はこちらです」と言うと、「あっ、2台なんですね」と言い、壁などを確かめる。

計算が終わって、彼は言う。
「エアコンを取り付けるのは、ブレーカーから直接引いた専用のコンセントを設置する必要があります。配線を覆うモールなどを含めると、工事費は8万円ほどになりますね」
今あるエアコンは、普通のコンセントから電源を取っている。
「専用のコンセントが必要というのは、法律でそうなったんですか?」
「法律でどうなってるかは分かりませんけど、ビックカメラ発注の業者では、そうすることになってますね」
自分の心の清さを幻想できるように、リビングの壁は純白だ。そこに、モールで覆われていたとしても、配線が這うというのか。もちろん、8万円の工事費も痛い。

業者の者が帰ってから、考えた。
ビックカメラの店員は、ダクトのカバーのことは言いながら、なぜコンセントのことは言わなかったのか?
どうひいき目に見ても明晰とは言えない私の頭脳でも、どういうことかは、だいたい分かった。
購買意欲を減退させるコンセントのことは購入時には言わず、見積もりの時になってそれを明かして、もう買ってしまっているのだからしかたがない、と受け容れさせようという商法だろう。

だが私も、知命を経た人間だ。あまり早計に決めつけるべきではない、と思った。
もしかしたら、“エアコンには専用コンセント”というのは、誰でも知っている常識なのかも知れない。
メーカーに電話してみると、専用のコンセントである必要はない、とのことだ。
別に、常識ではないのだ。
ネットで調べてみると、法律で規制されているわけではないが、電気業界での指針で、8年ほど前からそう変わったということだ。
安全性を重視しての歓迎すべき変更だが、問題は、なぜそれを購入時に言わないのか、ということだ。

ビックカメラに電話して、キャンセルするという意向を伝えると、「来店していただかなければならない」とのことだ。
ビックカメラでエアコンを買おうとした私に、いくらかでもよこしまな気持ちがあったであろうか。私はただ、対価を払って商品を買おうとしただけだ。
それなのに、見積もりに立ち会う時間を取られ、店に行く手間を割かなければならない。
何もしていないのに、倍返しされてしまったのだ。

専用コンセントが必要だということを最初から聞いていれば、購入はしていない。
キャンセルのために店に行く必要も生じない。
それを伝えると、電話口のスタッフは「申し訳ございません」と謝った。
先方は謝罪したのだから、店に行ったら、何も言わずにキャンセルだけ行おうと思った。

買う時も同じだったわけだが、キャンセルのために行ってみると、改めてビックカメラの接客スペースの簡素すぎさを痛感する。背もたれのない丸椅子。バッグや傘を置くスペースもない。
キャンセルであることを伝えて、丸椅子に座って待つ。
なんの咎もないのに呼び出されたわけだが、お茶の一つも出てこない。

少しでも早くキャンセル作業が終わるようにと、明細書などの一式が入ったビックカメラの袋を、バッグから出してデスクの上に置く。
やって来た店員は向かいに座ると、何も言わずにその袋を引き寄せて、中の物を取りだして見る。
「取り付けができなかったということでしょうか?」と言うので、「店頭での購入時に、専用コンセントが必要だと伝えられなかったんです」と、一通りの説明をする。
「今はエアコンには、専用コンセントが必要となってまして」と、したり顔で店員が言うので、「だから、それを買う時に言ってくれよ」と、私はムカムカし始めた。

「ビックカメラのカードをお願いします」と店員。
買った時に付与されたポイントを消去するということだろう。そんなことは、もちろんかまわない。
「ポイント使ってますか?」と店員。
何を訊いているのか理解するのに、数秒を要する。
「使ってないよ」と答える。
ムカムカが、かなり高まる。

すべての作業が終わって、「ビックカメラで発注する業者ではすべて、エアコンには、専用コンセントをつけることになっています」と、再び店員が言う。
「だからそれを、買う時に言えよ! 重要なことなんだから、店頭にでかでかと書いとけ! だいたい工事費込みとか書いといて、専用コンセントつけるとなったら、大規模な工事になるじゃねえか!」

私が起ち上がると、店員も起ち上がり、「申し訳ございませんでした」とお辞儀をした。だがその角度は、90度に達していない。
「頭の下げ方が浅い! こういう場合は、もっと下げるんだ!」
店員はさらに頭を下げた。まだムカムカは収まらない。
「バカヤロウ! もう2度とビックカメラでなんか買い物するか!」
店員はエレベーターまで追ってきて、再び頭を下げた。

敬愛するマザー・テレサのしめした慈愛から、私の言動は、いささかかけ離れていたのは言うまでもない。
だが一方で、私淑し、お世話にもなっている、社会学者の宮台真司・首都大学東京教授は、こんなことを言っている。怒るのではなく叱りなさいとよく言うが、そんなのダメだ。感情を乗せなければ、伝わらない。怒るべきだ、と。

もしかしたら、店員は私の怒りを受けとめ、客の時間を不当に奪ったことに気づき、今後はエアコンには専用コンセントが必要だと購入時に説明するように、接客が改善されるかもしれない。だが、もしかしたら、今日は嫌な思いをしたといって、その夜、ぐでんぐでんに酔っぱらうだけかもしれない。もしかしたら、客は皆エゴイストだ、これからもっと倍返しをしてやろう、と心に誓っていいるかもしれない。

いくら考えても、見つからない。答は、風に舞っている。

(FY)