なんとも悲しい時代だ。NPO法人ライフリンクの調査で、就職活動を行った大学生に対するアンケートによると「本気で死にたいと思った」と回答した人が21%もいた。そして現実に自殺を選んでしまった人は年々増加し、6年前の2.5倍となっている。
本来、就職活動とは学問を修め終わり、蓄えた知識を生かして世に出る時期だ。ところが現代においては殆ど建前となっている。中学を出れば高校に入る。高校を出れば大学に入る。単にその流れの一つでしかない。通う場所が学校から会社になるだけだ。レールに乗リ続けていないとあっという間に出世コースは閉ざされ、非正規、フリーター、無職引きこもりといったものが現実に迫ってくる。中卒と高卒では就ける職に違いがあるし、収入も違う。大卒でも正規雇用と非正規雇用では明らかな差がある。それを「身分」と揶揄する人もいるが、あながち間違いではない。
どこかで失敗してしまえば、挽回するのは困難だ。まだ社会に出ていないはずの大学生は、それをよく知っている。真面目に頑張るだけではどうにもならないことも、自分の身を守れるのは自分だけということも。ライフリンクのデータには「正直者が馬鹿を見る」と答えた人が69%「いざという時日本社会は何もしてくれない」と答えた人も65%もいた。それ故に就職活動で躓いてしまうと、この先何の希望も持てなくなってしまう。20歳そこそこで未来に絶望して、自殺を選ぶなんて哀れとしか言えない。
もっと副次的なことも含めれば、同級生の就職が決まっていく中で取り残される疎外感、面接に落ち続けることによる自己の不要感、両親や親戚からの目、これだけでも結構つらいものだ。当然潜り抜けて希望する職に就けた人は「甘え」と思うだろう。しかし誰もが面接が得意なわけではないし、精神的に強いわけではない。それだけの理由で人生の落伍者のような扱いをされるべきなのかどうか。さらに進学受験から続く競争社会が嫌になってしまう人も居て当然だ。なぜ競争を強要され、勝ち残ることが義務のようになってしまったのだろう。そうして苦労した先にバラ色の人生が待っている保証もなく、その先にも様々な落とし穴が待っているのだ。自殺を考える人ほど、冷静に未来が予測できているのかもしれない。
自殺はいけない、なんて綺麗事はもう聞き飽きた。意気揚々と社会に出て働こうと思えない社会である限り、哀れな若者の自殺者の増加を、止められないだろう。
(戸次義継)