人が人に手紙を渡した。どこがいけない。と言い切れないのが、今も尾を引いている、山本太郎議員の天皇への手紙手渡し問題だ。
まず、私信であるはずの手紙の内容を、ぶら下がり取材で山本議員は自ら明かしてしまっている。これは社会的常識に欠けている。
そして、その内容である。被曝により子どもたちの健康被害が拡がっていること、現場の作業員たちがいかに非人道的な過酷な環境下で作業しているかということ、そして特定秘密保護法のことなどだという。
昨年10月、天皇は福島県川内村を訪問し、除染作業を視察した。
天皇自身の強い希望があったことが、宮内庁から明らかにされている。
福島第一原発事故が国土に与えた影響について、天皇は憂慮されている。
天皇制の是非を、ここで問う必要はないだろう。
だが、天皇として生きることが、どれだけ過酷なことかは、少し想像をめぐらせれば分かることだ。
言論の自由を初めとして、国民が持っている当たり前の権利が、天皇にはない。
気ままな旅行はできないし、たとえ新宿2丁目で飲んでみたいと思っても、そんなささやかな願いさえかなえられることはないだろう。
裕福な生活をしていたとしても、それと釣り合うほどの不自由を生きている。
日本国の象徴という立場を背負って、天皇は日本を見続けてきた。
かつて園遊会で、棋士の米長邦雄に「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」と言われて、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と天皇は答えている。
このような言葉が即座に出てくるということは、日頃から、さまざまなことを天皇は考えているのだろう。
そのような方に対して、あなたはこういうことを知らないでしょう、教えてあげますよ、みたいな手紙を渡したというのか。
馬鹿か、おまえは、山本太郎。
山本議員は、社会的常識をわきまえていない、ひよっこだ。だが、馬鹿やひよっこが国会議員になってはいけない、という法はない。これから勉強して、成長していけばいいだろう。それだけの話だ。
ここまでの騒ぎになっているのは、脱原発で市民からの圧倒的な支持を得て当選した山本議員に、なんとかダメージを与えようと手ぐすね引いていた連中がいる、ということだろう。
だが、ヒラの一議員の行状を国会で問題にするというのは、なかなか難しい。女性問題などで失脚するのは閣僚や要職にある者で、その場合だって、議員まで辞めることはない。
そこで待ってましたとばかりに起こったのが、山本太郎の天皇への手紙手渡しだった。
この全体を考えれば、どちらが天皇を政治利用しているかは明らかだろう。
当たり前の話だが、山本太郎が辞職する必要はない。辞職してもらっては困る。
遙か過去のこととは言え、今に至るまで心の傷になるほどのことを女性にしておいて、その暴露が、原子力ムラからのバッシングだといって居直る姿に、山本に投票した多くの人々は失望した。
山本議員の昔の女性問題を暴いた週刊新潮は、原発利権屋の仙谷由人のセクハラも暴き、原子力安全・保安院のスポークスマンだった西山英彦の不倫も暴いている。スキャンダルならすべて暴くのが、週刊新潮だ。原子力ムラなど関係ない。
自分が与えた女性の傷に真摯に向き合うこともできずに、福島の子どもたちや原発作業員のことを語っても、あまりにも説得力がない。
心もきちんと成長させて、立派な議員になり、失望を希望に変えてほしい。
右翼の一部が、山本議員を攻撃対象にしているという。
行われるのは、おそらく手紙攻撃だろう。
行くところ行くところで、「竹島は日本の領土です」「尖閣は日本の領土です」とその根拠が長々と書かれた手紙や、レイプされた心の痛みを切々と綴った女性の手紙などが手渡されるだろう。
人に人が手紙を渡すのは悪くない、としたのは自分なのだから、すべて受け取るしかない。
一つの試練である。
これをくぐり抜けて、大きな政治家へと成長してほしい。
(深笛義也)