昨年10月12日の夜に新宿区の外苑西通りでタクシーに撥ねられ、同月の17日で搬送された病院で死亡した映画監督の故若松孝二氏の交通事故裁判が、11月12日に東京地裁で開かれた。
被告のタクシー運転手は、検察の起訴状を認めて公判は1回で終了し、11月20日の判決では、求刑通りに罰金70万円が言い渡されている。
若松監督の交通事故死は、脱原発運動の参加者からも注目されていた。
監督は事故の一月前のベネチア国際映画祭の記者会見で、次の作品は東電を題材にすることを宣言していたからだ。反骨精神の塊のような監督のことだから、大手メディアがタブー視して報道してこなかった白川司郎氏や竹内陽一氏といった原発マフィアと政治家やメディアの関係など、国や政府が隠してきた闇の部分にも、大胆に斬り込むことが想像され、原発マフィアにとっても、看過できない話だった。
起訴状では、監督を轢いたタクシーの運転手は、50メートル余りの距離で、車道を横断中の監督を視認してクラクションを2回鳴らし、スピードを落とすことなく、17.8メートルの距離になってブレーキを踏んだが間に合わなかったとされる。
78歳という高齢の被告は、足元がヨタヨタし、「今日は補聴器を忘れたので検事の声がよく聞き取れない」と言って聞き返していたが、タクシー会社の話では、被告が事故当時に補聴器を使用していた事実はないという。
一方で、「健康に問題はなかったのか?」 という質問に対しては、「まったく問題はありませんでした」と明確に答えている。
また、弁護士から遺族に対する気持を聞かれた時は「申し訳ないことをしたと思います」と神妙に答えていたが、裁判官から「あなたは免停中ですが、再び車を運転したいですか?」と聞かれると、「出来ればしたいです」と答えるなど、言行が一致しないところがあった。
判決の時も、謝罪や反省の言葉はなく、罰金70万円を言い渡されると、「どうやって払えばいいのか、分割払いは可能ですか?」弁護士に尋ねていた。
遺族は、調書を弁護士と見た後で、民事訴訟を提訴することを考えているという。
この裁判は、四谷警察署の交通捜査課が検察に提出した調書が一度差し戻されている。4月から新たに担当した検事が調べ直して起訴・公判になった。
民事訴訟が始まれば、これまで公表されて来なかった新たな事実が判明する可能性もあるだろう。
四谷警察署の目撃者調書には、故若松監督が自宅のある千駄ヶ谷方向とは逆方向に中央分離帯を歩いていたとされるなど、不可解な点が多いのだ。
それに若松監督の事故から4時間半後に朝日新聞の科学医療部の女性記者も事故に遭っている。こちらは月島の横断報道で倒れているところを、北区滝野川の個人タクシーにひき逃げされたという。
現場の防犯カメラに映った映像からひき逃げしたタクシーを特定出来たという。犯人は起訴され、2013年2月25日に、懲役1年2カ月、執行猶予3年の判決を受けている。
被害者の科学医療部に属する女性記者が、放射能汚染など原発関連の報道に関係していたのかを、朝日新聞に問い合わせてみたが、回答出来ないという返事だ。朝日新聞記者の話では、事故があったことさえ朝日社内で知っている人が少なく、話題にさえならなかったという。
原発事故から3ヶ月後にも読売新聞の社員がひき逃げ事故に遭っている。それも警視庁のすぐ近くの道路だった。この読売新聞の社員も、東電の記者会見で活発に発言していたとネットで話題になっていた。偶然にしては奇妙な事だと言えよう、
若松監督の裁判については、紙の爆弾12月合併号でも記事にしている。こちらも併せてご覧頂きたい。
(高田欽一)