『エコ&ピース月刊誌Actio』が休刊した、といっても、何のことだか分からないだろう。それは、一般社団法人アクティオの機関誌である。
アクティオの源流は、第2次ブント(共産主義者同盟)崩壊後の1971年に結成された、共産主義者同盟(戦旗派)に発する。
武装闘争を標榜する、革命党派である。
ベトナム戦争が続いていて、日本にある米軍基地が拠点となっていた。安穏とした生活を享受している間に、ベトナム人たちは生活を破壊され、命を奪われていく。そんな思いから、多くの学生や労働者が闘争に起ち上がり、角材や火焔瓶などを手に、機動隊に立ち向かった。
戦旗派は、そのような闘いばかりを行っていたのではない。
かねてから組織内では囁かれてきたことだが、2011年に発刊された『40年目の真実』(創出版)で、その全貌が明らかにされた。
日石・土田爆弾事件を行ったのが、戦旗派であった。
開封すると爆発する仕掛けの小包を、送りつけるという手法。2つは、途中の郵便局で爆発し郵便局員が負傷した。土田国保・警視庁警務部長の家では、届けられた小包が爆発し、夫人が死亡し四男が負傷した。
40年経って明かされたということは、責任のない人間を巻き込んだこの闘争を、自分たちでも誇るべきものとは思えなかったということだろう。
そのため無実の者たちに罪が着せられ、それを晴らすまで、最長10年もの間拘置されることになった。
1980年、戦旗・共産主義者同盟に改称する。
火焔瓶を時限装置付きで発射する“火炎ロケット弾”を開発し、成田空港や、その関連施設、皇居、アメリカ大使館などに飛ばした。
1993年に、共産主義者同盟と改称。それまで戦旗派という分派だったが、分派ではなく共産主義者同盟そのものになったという意味である。
1997年には、ブント(BUND)に改称。BUNDはドイツ語で「同盟」の意味であり、それまで共産主義者同盟の略称として用いられてきたものだ。だが、この改称に伴って、共産主義との決別を宣言。武装闘争もすでに放棄していた。集会を「グラン・ワークショップ」と呼び、料理対決や凧揚げ大会などを開き、革命党派とは違うという面を打ち出していた。
だが、この年、彼らを批判するビラを撒いた元活動家を、集団で暴行するということを行った。彼に対する暴行は、その後も続いた。
2008年に、アクティオ・ネットワークに改称。2010年に、一般社団法人アクティオとなった。
アレフも顔負けの5回もの名称変更は、オウム真理教と同じく、過去の存在から自分たちを切り離して見せるためだろう。
だが、その試みも虚しく、『エコ&ピース月刊誌Actio』は休刊した。
ネット上にはサイトが残っているが、自分たちが関わっているわけではない、集会やデモのお知らせが載っているだけだ。
(深笛義也)