辺野古埋め立てを承認したことで、仲井真弘多知事は辞職すべきであるという声が上がっている。
沖縄の人々が怒りの声を上げるのは、知事が公約違反したのだから当然だ。だが、沖縄以外から同じ声が上がっているの見ると、かなりな違和感を感じる。
米軍専用施設の75パーセントを沖縄に押しつけ続けてきたのは、日本政府であり、あえて言えば、沖縄以外の日本人だ。

移設先がどこにもない状態で、辺野古への移設を拒否し続ければ、普天間が固定され周辺住民への危険が続く。辺野古は以前から米軍が基地として欲しがっていた地域であり、移設は口実であるという説が有力だが、普天間が危険であり続けることは同じだ。
沖縄以外のどこにも引き受け手がないところで、知事としてはどこかで落としどころを見つけなければならなかった。

もちろん本来であるなら、米軍すべてにお引き取り願う、というのが常道だ。
1955年に、当時の重光葵外相は、アメリカに対して12年以内の米軍の完全撤退を提言している。当時、政府の中では、対米追随路線と自主路線の争いがあった。しだいに、対米追随路線が勝ってきたのだ。

その後も、アメリカと距離を取って、日本の自主を高めたいと考えた政治家がいた。
1972年に首相になり、日中国交回復を実現した、田中角榮だ。
だが1974年、金脈問題を追及され、内閣総辞職で首相を退任する。1976年、ロッキード社からの5億円のリベートの受け取りが発覚し、受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で角榮は逮捕された。

ロッキード事件は、アメリカが仕掛けたものだというのは、もはや秘密ではない。国務長官だったヘンリー・キッシンジャーは「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と記者に問われて、「もちろんだ」と答えている。

当時、角榮への批判の声は、自民党内の反田中派より、左翼やリベラルを認ずる知識人からのほうが高かった。日本は丸ごと、アメリカの掌の上で躍らされていたのだ。
それが現在まで続いている。

自分たちの知事であるから、沖縄の人々が辞職を求めるのは当然だ。
だが、それ以外の日本人は、まずは胸に手を当てて、自分たちの無力を恥じるべきなのだ。そこから始めるしかない。
もちろん、私も含めて。

(深笛義也)