日本では死刑囚が再審で無罪を勝ち取った例は4件しかない。しかも、そのすべては80年代に集中しており、1989年1月の赤堀政夫さん(島田事件)以来、現在まで20年以上も死刑囚に対する再審無罪判決は出ていない。そんな中、今年は袴田事件や飯塚事件という有名死刑事件で再審開始可否の決定が出るのではないかとみられているが、実はそれ以外にもう1件、再審の重大局面を迎えている死刑事件がある。90年代末にマスコミが「第2の和歌山カレー事件」として騒ぎ立てた本庄保険金連続殺人事件である。

99年7月11日、産経新聞が「薬物?で保険金殺人」と東京本社版の朝刊一面で大きく報じたのをきっかけにマスコミ総出の報道合戦が勃発したこの事件。疑惑の主となった埼玉県本庄市の金融業者・八木茂氏(現在64)は連日、愛人女性たちが経営する飲食店に記者たちを集め、前代未聞の「有料記者会見」を開いて日本全国から注目を浴びた。結果、八木氏は愛人女性らと共謀の上、保険金目的で2件の殺人と1件の殺人未遂に手を染めたとして殺人罪などに問われ、無実を訴えながら08年8月に死刑判決が確定。その後、09年1月にさいたま地裁に再審請求し、10年3月に請求を棄却されたが、現在は東京高裁に即時抗告中である。

では、そんな本庄保険金連続殺人事件で一体、何があったのか。「被害者」の一人で、八木氏の知人だった工員の男性・佐藤修一氏(享年45)について、東京高裁が保管された同氏の臓器(肝臓、腎臓、肺、心臓)をもとに死因の再鑑定をすることを12月11日付けで決定したのである。

というのも、確定判決では、佐藤氏は95年に八木氏らにトリカブトで毒殺されたと認定されているのだが、弁護団はこれまで複数の専門家の意見に基づき、佐藤氏の本当の死因は「溺死」だと主張してきた。そしてついにこのほど、即時抗告審の裁判官がこの弁護側の主張や専門家の意見に重大な関心を抱き、再鑑定を行うことを決めたのだ。12月20日に東京・霞が関の司法記者クラブで会見した弁護団によると、再鑑定をすれば、臓器に含まれるプランクトンの量などから佐藤氏が溺死だと認められるのは確実。その結果、佐藤氏の死の真相が「川に飛び込んだことによる自殺」だという弁護側の主張が法医学的にも裏づけられ、再審開始決定が出るのは間違いないという。

と言われても、読者の中には「いくらなんでも、この事件で無罪が出るなんてことは・・・・・」などと思った人もいるだろう。無理もない。この事件では当初、八木氏らをクロと決めつけた報道が大々的に展開されてきた。一方で、今回の再鑑定の決定に関するマスコミ報道は皆無なのだから。

しかし、実際に調べてみると、この事件の証拠は大変乏しい。めぼしい物証は何一つなく、確定判決が八木氏を有罪と認めた拠り所は「共犯者」とされる愛人女性たちの証言だけ。しかも、その愛人女性たちの証言についても、裁判の中では様々な問題が浮き彫りになっているのである。

今回再鑑定が決まった佐藤氏の死因に関しても、マスコミはかつて、保管された臓器からトリカブトの成分が検出されたことを鬼の首でも取ったように報じていたが(読売新聞東京本社版2000年10月20日朝刊など)、そもそもトリカブトは「毒草」として有名な一方で、その根は附子(ブシ)や炮附子(ホウブシ)、修治附子(シュウジブシ)などの名で医薬品の成分になっているものだ。とくに漢方薬には、トリカブトは非常によく使われている。つまり、トリカブトの成分が佐藤氏の臓器から検出されたこと自体に大きな意味はない。にも関わらず、実は八木氏の裁判では、佐藤氏の臓器から検出されたトリカブトの成分が医薬品に由来する可能性は一切検証されていないのだ。

実際問題、裁判所は徹底的に捜査機関寄りの判断をするのが常で、それは再審事件でも変わらない。しかし、少なくとも今回の再鑑定については、すでに日本医科大学法医学教室教授の大野曜吉氏、東京大学法医学教室技術専門職員の中嶋信氏という第一線の専門家たちが佐藤氏の死因は「溺死」だという意見を述べており、弁護側の主張通りの結果が出る可能性がきわめて高いと筆者も思っている。再審が重大局面を迎えながら、マスコミがそろって黙殺し続けるこの事件の冤罪の可能性について、当欄では今後、重点的にレポートしていく。

(片岡健)

 

 

★図は、佐藤氏の臓器から検出されたプランクトン(弁護団提供の資料より)。その量などから再鑑定で死因が「溺死」と認められるのは確実という。動画は、再鑑定が行われることを公表する八木氏の弁護団(東京・霞が関の司法記者クラブ)。