公安調査庁の今年発行の「内外情勢の回顧と展望」に、鹿砦社の『終わらないオウム』が表紙の写真入りで紹介されていた。
『終わらないオウム』では、鈴木邦男の司会で、上祐史浩と徐裕行が語り合っている。
このような本の出版は、「生き残るための挑戦」として、「脱麻原」を喧伝するためのメディアの活用と、公安調査庁は見ているようだ。
オウム真理教は「Aleph」に改名して活動していたが、 2007年に上祐史浩が率いる「ひかりの輪」が分かれて活動を始め、現在に至っている。
これを公安調査庁は路線対立による分裂と見て、「ひかりの輪」の脱麻原の姿勢は信者獲得ためのポーズだとしている。
一般の人々の見方も、それに近いのではないだろうか。
鹿砦社が西宮で開いてきた鈴木ゼミのゲストに、上祐史浩は2年前の10月に招かれている。
その内容が、『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミin西宮報告集 Vol.3』に収められている。
オウム真理教の起こした地下鉄サリン事件から、来年で20年。事件を知らないという若者も増えているだろう。
上祐史浩はオウム真理教のスポークスマンとして、テレビのワイドショー、ニュース番組などに出演し、教団を擁護した。その弁説巧みさは「ああ言えば上祐」と揶揄されたから、その頃を覚えている世代にとっては、うさんくさい奴、という印象が強いだろう。
同書に収められた鈴木邦男との対談で、上祐は麻原のことを次のように語っている。
「95年に多くの信者が捕まった後、『麻原にだまされた!』と言う弟子が多かったんです。そういう人たちを見て、逆に反感を覚えたというのがありました。主体的に承知したのに、それって子どもじゃないかなと感じたんです」
「麻原を憎んでいるといつまでも離れられないんです。それに憎む人っていうのは、麻原の他に別の教祖を求めるところがあるんですね」
麻原から離れられると思えるようになった心の動きを、上祐は淡々と語っている。
自分が信じていたものから、自立しようと苦悶したことのある者には、共感ができる内容だ。
現在、苦悶している最中だという者には、指針になるのではないか。
上祐は「ひかりの輪」で行おうとしていることを、次のように語っている。
「私が今提唱しているのは宗教ではなく、幸福になるための思想・人生哲学だと思います」
「宗教では、自分の外側に特定の絶対者・超越者がいて、それ以外のものは邪教だとする傾向がありますが、『ひかりの輪』は、そうした考え方は取っていません」
ゼミ参加者からの「オウム教団内の性の処理はどうしていたんですか?」という質問にも、虚心に答える上祐史浩。
地下鉄サリン事件から20年経っても続いている彼の試行錯誤が、同書から読み取ることができる。
(深笛義也)